2012年11月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落218

218 Let me clear the point of man being a thought. To create a form like that of man or any other, whatever is responsible for creating the form had to have a thought pattern of the form before it could be created. Man is a thinking being, for if he did not think he would not be what he is as thought is the motivating force of his being. He has to think before he can walk or eat and no matter what he does he has to have a thought as a director. And these thoughts come to him either as a combination of past experiences, associations with others, or as cosmic impressions.
218 人が想念であるという要点について明確にして置きましょう。人あるいは他のどのような物でも形を造り出す為には何者がその責務を担っているにせよ、それが創造される前にその形についての想念パターンを持たねばなりません。人は考える存在です。何故なら想念がその存在の原動力である故に、もし考えることをしなければ、人は自分が自分であることがなくなることでしょう。人は歩くにせよ、食べるにせよ、その前に考えなければなりませんし、如何なることをするにしても想念を指揮者にしなければなりません。そしてこれらの諸想念は過去の体験や他との結合として、あるいは宇宙的印象類としてその者のところにやって来ます。


【解説】
 新しさを重要とする中で、その最もポイントとなる分野は私達の想念にあるという訳です。
 各人の人格を構成するのが、その人が持つ想念のパターンということが出来る訳で、日頃どのような想念を抱くかが重要です。また、これに関連して著者はそれら想念が環境に作用し、それに呼応した状況を創り出す等、常に創造的な機能を有していることを明示しています。
 これら私達が日常選択している想念が、本人を形成する訳ですので、その想念が生き生き、活発なものであれば、それを肉体細胞が表現することは極く自然な成り行きです。しかし、その想念は一般的に言って、多くは身勝手で習慣的なものになりやすい為、私達は努めて、毎日を新鮮な想念、新しいアイデア、未知の分野への探求を進めて、創造主が用意して呉れている様々な世界を学ぶことが期待されています。
 自己の肉体細胞をその本来の生き生きとした状態に維持する為、私達は想念分野から積極的に新鮮さを保つ工夫が求められています。空を見上げれば、雲が驚くべき速さで流れている等、私達は目くるめく動的な世界に生きており、全ては流転の中の一瞬を過ごしているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落217

217 Newness is youth as well as progress. And there is some evidence today of the effect that newness has on society. For we can observe increasingly large numbers of people who do not show their age as they did in the past because in these days of scientific discovery something new is brought to their attention almost daily. Whether they understand or not the effects are there. Since man is nothing but a thought in action, any new thought, especially of cosmic nature, will have an effect upon his body.
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。


【解説】
 いつの時代も若者が新しい世の中を切り開くと言われています。現状の高齢化した我が国にあって、何が問題かと言うと、それは新しいものへの意欲が薄れることではないかと考えています。
 しかし、こと肉体について言えば、ごく表層の皮膚を除けば、人間の肉体は最後の時まで、実は皆、活発に活動して生き生きとした状態を保っているのではないか思っています。つまり人間の死は肉体の本来の活動がほんのわずか立ち行かない不都合が生じた時に起こるもので、それまでは活発なる動きをしている、それによって生命が保たれているように思うのです。
 逆に言えば、肉体は本来の生命活動を維持しているのに、心が「あきらめ」や「無気力」の状態に陥り、そのことが自身の肉体に悪影響を与えてしまっているという構図です。
 これに対し自然界においては、常に新しいものが自然を支配し、繁栄していますし、自然界の生き物の中に衰えを見ることはあまりありません。旺盛なる生命力を表現するもののみが生存し、少しでも老化し、意欲を失ったものは他のものの生きる糧となったり、朽ちる等して、自然界から速やかに退場しているように思います。
 生きものを観察する中では、皆誕生した頃が最も生命を良く表現しているように思えます。イエスやアダムスキー氏が述べたように、私達はこの宇宙意識によって生み出された存在達から、多くを学ぶべきで、幼児の素直さや、やがて出る若芽や若葉のはつらつとした姿の中に生命の源泉の姿をしっかり理解することが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 かつての人々より、現代人は長生きになっています。もちろん、医療技術の進歩、栄養摂取量の違いも大きいものと思いますが、何よりも毎日伝えられるニュースや新しい発見、次々に生み出される新製品等が老化を抑制しているものと思われます。
 また、老化は個人によっても異なります。早くから老ける方もいますし、いつまでも若々しさを保っている者も、皆様の周囲に居られるものと思われます。
 宇宙兄弟達の寿命は千年にも及ぶとされていることを考えれば、私達はこの肉体が本来の機能を大切に保持するよう努めれば、今まで考えられない程、長寿を維持出来る能力を有していることが分かります。
 宇宙を貫く意識本体は絶え間ない生命の鼓動を伝えており、現象界にあってもそれと呼応する限り、疲れを知らず、老化も無い生命を永続させることが出来るという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落215

215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not.
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。


【解説】
 惰性に流されたい自分と、新しさを求めて探求しようとする意思のどちらを採り入れるかが問われています。とかく私達は安直で努力を要しない道のみを選択してしまいますが、それでは進歩から遠のく他はありません。
 必要なのは困難であるように見えても新たな心境をもたらすような体験です。その為にはそれまでの自分の心に意識を信頼させ、自分より遥かに優れた存在があることを認めさせるような感動を与えることだと考えます。
 大自然の美しさや偉大な人物の言葉をかみ締める中で、私達の心を宇宙意識を信奉させ、そこからやって来る印象に気付きたいと思わせることから始めなければなりません。
 実際、私達の心の方に帰依している細胞がどの部分であるか等、詳細の所は不明ですが、少しずつでもこれらの細胞を本来の方向を志向するよう仕向けなければならないという訳です。そうすれば、次第に身体の浄化も進むというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第6課-段落214

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON SIX
Newness, The Rejuvenator Of The Mind

214 In lesson five we showed you how the mind can get lost in the jungle of opinions.

生命の科学-学習コース
第6課
新しさ、すなわち心の若返りの推進役

214 第5課では私達は皆さんに心が意見というジャングルの中で如何にして道に迷ってしまうかを示しました。


【解説】
 第5課では私達は意識を受け入れる以前に、自らの心の呪縛という藪の中で、先の見えない手探りの暮らしを続けていることを学んで来ました。
 その問題をどのように解決して行くべきかを学ぶのが、第6課ではないかと考えます。
 教課のタイトルにあるように、新鮮さの意義について本課で学んで行くことになります。
 何事によらず、よどみや停滞は退化を意味します。私達は季節の顕著な地域に暮らしていますが、目の前の木々が目下は紅葉、やがて落葉の時を迎える一方、早春には再び芽吹き、夏には葉を繁らせ木陰を作ります。一見して動きの無い植物ですが、実際には絶えず変化し、日々新しい活動の途上にあると言えるでしょう。
 とかく惰性に陥りやすい中で、努めて新しい側面に挑戦することが如何に大切か、またそうすることが若さの秘訣となり、生命の本質的特性と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。


【解説】
 進化の道は常に生命の源泉に回帰する道程かと思います。
 私達が宇宙開発、宇宙探検の旅に出るのも、新しい発見を通じて私達自身への理解を深めることに繋がることが醍醐味でもあるのです。そして進化の道は私達の思いもよらないスピードで進展するのではないかと考えています。
 実は先日、ある仕事で「エアバスA380」という総二階のジェット旅客機に搭乗する機会がありました。9000km、12時間以上のフライトでしたが、座席はゆったりしており、シートが水平になる等、快適に過ごすことが出来ました。また、座席正面のテレビには好きな映画を見られるようになっており、その中に「2001年宇宙の旅」があり、それを見ることにしました。
 そこではたと気が付いたのは、これらの座席や天井等機内のつくりは「2001年宇宙の旅」の映画に出てくるキャビンそっくりであったことです。もちろん、映画での宇宙空間と地上1万メートルの違い、あるいは重力圏の違いはありますが、当時、夢のように見えた光景も今日では極く普通に実現しているのです。映画を見ながら、窓を通して暗い空に遠く星が見える中、飛行を続ける船内にあって、つくづく進化の歩みの尊さに感じ入ったものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 私達それぞれは自分の心に支配され、わずかばかりの藪の中で一生を送っていることは残念でならないと著者は説いています。意識に従えば、あらゆるものが容易に手に入り、本来の創造主が用意して呉れている進化の道を歩めるというのに、私達はそれすら気付いていないという訳です。
 古今東西、様々な哲人、知者がそのことを伝えて来ました。しかし、それをどのように実現して行くかの過程についてまでは整理されていなかったのかも知れません。また、人間が怠惰である故に、新しい生き方を好まないことも進化の道を歩めない要因でしょう。
 それに対して、宇宙兄弟達は積極的に宇宙意識を自身に取り込み、実生活に活かすことを続けてきました。その結果、今日では私達が想像できない程の文明を構築するまでに至っています。私達にとって彼らは格好なお手本であり、またそのように彼らの生き方を見習う必要があります。アダムスキー氏と会った宇宙兄弟達は、実に必要な事項のみアダムスキー氏に授けたと聞いています。本人が必要としている知識を的確に伝えること、相手のニーズに合わせた情報提供が大事なことは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません


【解説】
 私達一人一人は各自、小さな自分の藪の中におびえて暮らしているということでしょう。大自然の芝生が日差しに映える広大な土地にあっても、自らの藪の中で助けを叫びながら狭い殻の中にうずくまっているのが私達という訳です。
 これを打破するには、自らその視野を妨げている心の殻を取り去る必要があり、先ずは、実際には光が満ち溢れている世界の中に生きていることを学ぶこと、自らの視界を妨げている正体を知ることが必要です。
 何年間かの取組みの中では、殻の外の世界を垣間見る機会もある訳で、そもそもの日常を見直す中で、著者が伝えようとしているイメージを掴むことも出来るものと思われます。
 決して、現状に妥協し、安直なる惰性の道を歩むのではなく、絶えずやって来る印象の到来に耳を済ませることによって、少しでもその殻が消滅させる日を早めることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 飛行機に乗るといつも思うことは、地上では厚い雲に覆われていても、上空は太陽が燦燦と輝いており、光を地上に投げかけているということです。私達は自分の意思で自らの道を暗くしているということでしょう。
 更には、仮にこの光明を知った後にも、再び元に戻ってしまう者も多いと本文では記しています。
 折角の光明の一筋を見つけた時に、その価値を十分理解していなかったことが問題であり、価値が十分に分かっていなければ、たとえ一時的に光悦感に浸っただけで、長続きはしないのではないかと思っています。
 具体的な効果(結果)を優先することなく、仕組みや原理についてよく理解した上で、体験を得ることが大切で、単に能力が一時的に高まることだけでは、本人の救いにはならないものと思われます。
 第5課では意識について学んで来ましたが、この無言の知性について理解した上で、ご自身に受け入れるためには、心をどのような態勢に保つべきかについて、各自の工夫が求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 人間の生きる道とは何であるかを示した内容です。
 私達は実に自分の殻という狭い森の中に居るという訳です。オリジナルの「宇宙哲学」の原書の表紙にはタイマツのイラストが描かれていますが、その暗い森を通過する者に必要な知識がこれであると表現していることに、本項を読んで気付きました。
 この暗闇の中では、人は迷うばかりで、そのタイマツを頼りに一歩一歩切り込み、光明の世界に抜け出た後で、後を振り返れば、何と小さな繁みであったかと思うものかも知れません。
 もちろん、進む道は上へと続いている訳ですが、当面、山麓の藪を越えることが私達の課題になる訳です。

ご連絡

いつもご覧戴いている皆様へのご連絡です。
都合により、次回の更新は11月16日以降になる見込みですので、ご了承下さい。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 残念ながら、街を歩いている多くの人達が、本項に記載されているような人生を歩んでいるのかも知れません。私達も絶えず同様な脇道に陥らないよう、心を監視する必要があります。
 おそらく本項で記述されている事柄は容易に皆様にも理解出来るものと思われます。それほどに心の性質は共通しているとも言える訳です。怠け者であり、不安の中に生き、他人の欠点にのみ鋭敏である等々、本来の自らの課題について省みないのが問題であることに気付いていないということでしょう。
 一方、人間以外の生きものは、実に平穏な暮らしをしています。最近は海外でまだ貧しい暮らしの中で生活している地域を目にする機会も多いのですが、子供達は元気で遊んでいますし、犬達ものんびり日光浴を楽しんでいる姿を見ると、ほっとするものがあります。
 当面、本人の力ではどうすることも出来ない厳しい環境の中にあっても、宇宙の生命の息吹を感じて、満ち足りた一日を送ることが如何に大切かということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 この項の語る意味は大きいものがあります。私達が生きる目的とも言える事柄が、本項に込められているように思うからです。
 私達は各々、何らかの道を求めて歩んで来ていることは確かです。その求める内容は各人によって異なるものと思いますが、それは実勢、本人にとって埋めるべき内容である訳です。どこかで中断して十分理解できないでいた事柄の続きを学べることで、本人にとって真の安らぎが得られるものと思われます。
 そうした体験を得る為にも、私達は絶えず新しい試みをし、新しい分野を体験することで探し求めていたものに再会出来るということでしょう。
 失敗を恐れず、自由に活動する中で、様々な人や言葉と出会ったり、貴重なる体験を積み重ねることが出来るというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。


【解説】
 印象への取扱いの誤りが何度も続くことの問題について本項は述べています。
 未熟な私達は仮に意識からの印象が来ても、心が理解しない為に正しい対応が出来ないことが多い訳です。しかし、印象が来たということは、本人とその印象の経路が一時的にせよ繋がったことを意味するように思います。その結果、本来その経路を維持できれば様々な知識や情報が流れ込んで来る筈ですが、本人の心が柔軟な対応が出来ない為に、途中で遮断し、その経路を意図的に外してしまう結果、本当のイメージが掴めないまま、終了し、訳の分からない神秘が生まれるとしています。
 私達の日常は慌しく、折角の印象も日常の雑事に紛れてしまうと同様な事態になる可能性もあります。しかし、印象は私達の生活を豊かにして呉れますし、本人の必要な時、必要な援助、助言をして呉れる点で、先ず第一に大切にしたいものです。そしてその援助の手はいつも優しく差し伸べられており、私達はひたすらその声に耳を澄ますことが大切なポイントです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 印象への理解が合っているか否かは、結果を分析すれば容易に分かるという訳です。また、もし間違っていれば解決法も示されるとしています。
 意識による教えは、このように全て正解を伝えてくれており、そもそもが真理の法則である訳で、私達は先ずこの点を明確にして臨む必要があります。
 しかし、ミスを犯したといって、急に印象の流れを取り止めることは良くないと本項では説いています。せっかく繋がった意識とのパイプですし、その印象の出所とはパイプを継続しておく必要があります。今回はたまたま解釈を誤っただけで、次回はしっかり応用できると思うからです。
 このような時、大事なのは、どのような心の持ち方をしていて、そのようなアイデアが湧いたのかを自覚することと、それらの印象の贈り主に改めて感謝する気持ちではないかと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 心は知ったかぶりをしたがるものです。しかし、こと印象に関する限り、厳に慎まなければならないことを本項では、特に戒めています。自分だけが知っていることを他の者に喋って自らが他よりも物知りだと自慢したいというレベルが私達の心な訳です。
 しかし、大切な知識を含むその印象は大事に取り扱われるべきで、それが最適に活用される状況が整った上で応用されるべきことは言うまでもありません。同じアイデアは武器の製造や相手を支配する道具にも利用され得ることにも注意しなければなりません。
 感受した印象をそのまま口にするのではなく、適切な時期に心がそれを十分理解出来る状況になった時に応用されるべきな訳です。
 いずれにしても、私達は失敗を繰り返しながら、前進する訳で、例え失敗したからと言って、その原因を分析し、次に活かせられれば、その失敗は役立つ経験の一つにすることが出来ます。印象感受についても同じこと。私達は感受ばかりでなく、その後の活用方法についても学ばなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。


【解説】
 結論から言えば、印象は正しいということでしょう。また、いわゆるアイデアというものもその一つです。従って、印象への感受力が高まれば、どのような場合でもそれに対応したアイデアが無尽蔵に湧き上がることも容易に理解出来ます。
 この生命という精緻な活動を支えている宇宙の意識には、これらアイデア以上に膨大な量の知性を現象世界に降り注いでいるということでしょう。
 私達はまだ、それらの一片に触れるだけの段階ですが、間違いなくその印象は私達の何処かに役立つ内容を持っている筈です。その意味では何かの印象・アイデアを感受した場合は、それを大切に記憶し、何処に当てはまるのか、大切に取り扱うことが必要です。
 これら宝石とも言える解決策を与え下さる創造主には感謝すべきことは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。


【解説】
 印象を感受し易くなった後に注意したい点を前項(201)に引き続き説いています。
 心の想像力はたくみであり、とかく印象を自分が分かり易いように、あるいは自分の都合の良いように歪めることに注意せよと言う訳です。その為には、全宇宙を通じて何か特別な生命体が存在することはなく、他の太陽系であっても私達人間という存在の基本的形は共通していることに留意すべきです。
 様々なレ段階の人間が宇宙に存在する中で、私達のもの一角を占めているということでしょう。仏教では宇宙には無数の仏国土があると言っており、キリスト教では天には多くの館があると説いています。これらの惑星社会の多くは地球よりは格段に優れた所も多い筈で、私達はそれらの人達に学びたいと思う訳です。しかし、これらの人達も基本的には私達と同じ道を歩いて来たことは明らかです。本文最後のくだりに、法則の誤用に対して正すこと、法則を理解する為、絶えず分析することは永遠に行われることだと述べているからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。


【解説】
 恐らく心が判断出来そうにない印象を受けた時、何かつじつまを合わせる為に、心は勝手なイメージを作り上げてしまうということでしょう。
 折角の印象がこうして心の作用により歪められることを、本項では特に注意しているように思われます。実際の例は個々により異なる訳で一概には例示出来ませんが、当面、「何か分からない」ようなものを感知しても、それを性急に解釈しようとせず、大切にしまっておくような気持ちで良いのではないかと考えています。やがて時期が来て、理解できるようになった時、その時の印象を正しく解釈出来るものと思われます。
 大事なことは、仮に漠然とした印象でも、何かそのような感じを持ったということを記憶して置くことではないでしょうか。「あの時、あそこで、何かそのような印象を持った」ということを大切に覚えて置くことだと考えています。
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