2012年05月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落097

097 We can use the television set again, as a good example. The set in itself has no power or intelligence. But there are instruments in it equivalent to the brain or mind of man which cannot act until the power is turned on. When this is done, intelligent expression follows. Let us say that the intelligence is inhaled into the set through the ether or radio waves which carry the message. And as they come into the set the expression takes place, and not only the message comes through, but the individuals are shown as a living image on the screen. As I understand it, there are 80 different frequency channels in this nation over which programs are carried. Each channel is separated from all the others, yet some are so close that they encroach upon another. This calls for a very fine instrument to keep them separated. All channels use the same power and the same law, but there are sets that can only pick up a few channels. Yet all must depend upon the power and the ether waves to be of service. And they must inhale and exhale the waves to have the continuence of the program.
097 テレビ受像機を再び好例として述べましょう。テレビ自体には電力も知性もありません。しかしその中には電力が入れられない限り行動出来ない人間の脳や心に相当する装置があります。それが為されると、知性的な表現が続いて起るのです。メッセージを運ぶエーテルもしくは電波を通じて知性がその受像機に吸込まれると言うことにしましょう。そしてそれらが受像機に入るや、表現が起りますし、スクリーンに個人が生きているイメージで映し出されます。私の知る限り国内には番組を放送している80の異なる周波数チャンネルがあります。各々のチャンネルは他と分離されています。この為、それらを分離し続けるにはとても繊細な装置が必要になります。全てのチャンネルは同一の電力と同一の法則を用いていますが、中には数チャンネルしか受信できないテレビもあります。しかし、全ては機能を発揮する為電力とエーテル波に依存しているのです。そしてそれらは番組を継続する為にはこれらの波を吸込み、吐き出す必要があります。


【解説】
 人体をテレビに例える本項は、私達が宇宙の生命力や時々の印象の感受、表現者としてどのように機能しているかを私達に明示しています。電気店に陳列されているテレビは確かに優れた装置であり、最近では緻密は映像と多数のチャンネルを受信できるようになる等、従来に比べても進化の度合いは目を見張るものがあります。
 昔のテレビと比べれば、確かにその能力は進化していると言えるでしょう。しかし、どうテレビが進化しようとも、コンセントから電気が供給され、放送番組が空中に流れていなければ、テレビは番組を再現することは出来ません。人間も同様にいかに肉体が健全であったとしても、肉体に外部から生命の源となるパワーが供給されなければ、生きものとはならない訳です。これは呼吸が関係しているとアダムスキー氏もどこかの講話の中で述べられていたことを思い出します。人体が生けるものとなった後は、電波に類似した印象を呼吸することで必要な英知を表現することになる訳です。
 従って価値があるのはテレビではなく、それで表現(再現)されている映像の側にあるのだと思います。私達人間はテレビにように表現者であり、他の者達にその番組の価値を伝えることがその存在意義なのです。数多くの表現(印象)がある中で、どれほど上質の源泉からの印象を体現し、他の者の進化の助けとなるかが肝要なところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落096

096 The Creator gives us the power of life, and intelligence through the avenue of consciousness. The personal ego mind can use this in accordance with the law or it can transgress the law and receive either bad or good results, as with the electricity. Every individual has been granted this free will.
096 創造主は私達に意識という大通りを通じて生命の力(パワー)と知性をともに与えています。個人のエゴ(自我)の心は法則に従ってこれを利用できますし、法則を逸脱することも出来ますが、その結果、電気の場合のように良い結末あるいは悪い結末を得ることになります。各自は皆、この自由意志を許されているのです。


【解説】
 私達の創造主は実に寛容であり、その力を無償で授けて呉れている訳ですが、文中にあるAvenue(大通り)という言葉にも留意すべき点があります。それはAvenueとは小道を指すものではなく、大きな通りを意味するからです。よくエゴに対処する難しさから「狭き道」という表現が用いられますが、それは真実ではありません。創造主は正々堂々、大通りを開けて私達を導いているということに気付く必要があります。
 つまりは迷う者は自ら進んで迷いの道を求めているとも言うことが出来るのではないでしょうか。
 さて、この創造主の支援は意識という媒体を通じて私達に絶えず与えられています。言葉には表現出来ない印象の世界や知覚、覚醒状態の中に創造主の意図と支援の力が常に流れているという訳です。
 この印象を心が解釈する訳ですが、その解釈をエゴの身勝手、或いは都合の良いように行う結果は、創造主の意図した方向とは違う方向に物事を進めることにもなりかねません。個々の具体的応用力を身に付ける前に、それらの印象をどのように活用するかについてしっかりした見識を身に付ける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落095

095 i.e. An electric socket is made to hold a light bulb and not for a finger to be placed in it when the current is on. Even when it is not, should one be standing in moisture, he can receive a shock. If one gets hurt or has an unpleasant experience by the misuse of the law, he cannot blame the man that is willingly giving him the power. He can only blame himself, either for ignorance of the law, or aggression on his part.
095 即ち、電球のソケットは電球を固定する為に作られたもので、電流が流れている時に指を入れる為のものではありません。指を入れなくても、湿った場所に立って(ソケットを触った)場合にはショックを受けるかも知れません。仮に法則の誤用によって痛い目に逢ったり、不愉快な体験をしたとしても、電力を喜んで送っている係員を責めることは出来ません。自分自身が法則について無知であったか、自分の無謀な行為について自分自身を責めるべきなのです。


【解説】
 私達に与えられた様々なパワー(能力)の内、最も注意すべきは想念の用い方でしょう。良いことも悪いことも私達は想念の力として発揮させることが出来ます。想念の力を知って、自らの発達に活用することが出来る反面、それを誤用すれば大きな痛手を負うことになります。
 日常、私達が抱く想念こそ、注意を払わなければならず、想念には実現力があることに注意しなければなりません。誤った想念を心に抱くことは、自ら誤った結果を指向しているのと同じで、早晩、その結果を得ることになる訳で、私達は自らの心を通過する想念に絶えず警戒する必要がある訳です。
 本文中に述べられている発電所から各家庭に供給されている電気の話は、丁度、私達各人が宇宙の本源から常時、供給を受けているパワーを説明したものです。その正しい使用法、応用方法を学ぶのが私達の人生であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落094

094 An attendant at a power plant that manufactures electricity sends out the current that you may use it for your benefit. He knows what the electricity is capable of doing and how it is to be used. And we are instructed how to use it. When used as instructed, many benefits are derived in many ways. We can even experiment with it providing we follow the law, without being hurt.
094 電気を起こす発電所の係員はあなたが自分の恩恵の為に使うことが出来る電流を送りだしています。彼は電気というものでどのようなことが出来るかや、どのようにして使用されるべきかを知っています。また、私達はその使い方について教えられています。教えられた通り使用する場合は、様々な面で多くの恩恵が引き出されます。私達は法則に従えば怪我をすることなく、電気で実験すらすることができます。


【解説】
 今日、私達の生活に電気は欠くことの出来ない存在です。昨今の原発問題から計画停電や節電対応を経験して分かるように、私達が電気の恩恵の上に生活している訳です。
 目には見えない電気ですが、私達の生活の隅々に関わっており、電気無しには私達の日常生活は成り立ちません。その電気を送り続けているのが発電所ということになります。
 ここで著者が何故、発電所の例を引いたかを考えることも必要です。人知れず遠隔地にあっても一人一人に便宜を提供する発電所は丁度、大宇宙に居られる創造主に例えることが出来ると示唆しているのではないでしょうか。各自が生活を享受出来るよう、一人一人にライフラインを提供してくれている存在が創造主ということになります。
 電気と同様、目には見えないものの、その絶大なパワーと圧倒的な恵みの中で、私達は各自の生活を送っているということになります。その恵まれた環境をどう活かすかは私達自身に委ねられているのです。また、更に大事なことは、各自の家のコンセントが直接、発電所と繋がっているように、私達も創造主といつも繋がっていることです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落093

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON THREE
The Application of Cosmic Law
093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.

生命の科学-学習コース
第3課
宇宙的法則の応用 
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 私達が気付いているいないに関わらず、宇宙には一貫した法則が流れています。もし、そうでなかったら、各天体の運行は不規則なものとなり、世界を統合する創造主の意志は揺らいだものになるからです。
 同じ事物を見ても、或る人にとってはつまらない物に見える一方、感受性の高い探求者には思いがけない程の発見物や創造の美の極みに見えるものです。この両者とも同じ法則に由来する結果物を見ている訳ですが、どのどちらがより真の姿を捉えているかは明らかでしょう。
 私達人間は、全ての創造物の上位に位置するものとして全ての法則を学び応用する能力が与えられています。その法則を本来の目的に沿って活用するか、或いは自我の欲望に従って悪用するかの責任は人間の側にあります。神の法則自体には何らの責任はないのです。






ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。


【解説】
 前項(091)に反して、私達の心はわざわざ困難な道を選択しているという訳です。それはかつての宗教が人々の生活を縛り付けていた時代に対する反動でもあるのですが、一方で、そのような姿勢は真理からますます私達を離しているように思われます。
 自己(自我)の確立こそ、第一歩だと長らく教えられて来ましたが、その一方で心が理解できない現象については神秘を創り出しているという訳です。
 昨今の超能力ブームや心霊現象等、心の常識でははかり知れない事柄に対しては、新たな神秘を造り上げており、私達の発達を阻害しています。
 このような事態から抜け出て、もっと科学的に現象を分析すること、また創造主や因の領域を含めて、心や物質について統一的な理解を促すことが本講座の目標であるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 因と結果の因果関係は確実なものであり、宇宙が全てその法則下にある通り、例外なく何処でも分け隔てなく成立するものです。各自の努力は必ず成果を導くことを理解し、各自が創造主から愛されていることを知れば、誰もが落ち着いて穏やかな生活を送ることが出来る筈です。
 そもそも私達が暮らすこの天体自体、正確無比に宇宙空間を運行しており、その地表は様々な要素が生きものの生存に適した方向に環境が保たれるよう、様々な活動が精妙に調和しています。それらは全て創造主の計らいである訳ですが、水の循環や大気の還流一つをとっても、私達が大いなる自然の中に生きていることが分かります。
 イエスの言う幼児は自らが愛されている存在であることを自覚していますし、教師の言うことに従う素直さを有しています。そうした創造主に対する素直さの中ではじめて宇宙の法則の真の姿が見えて来るというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。


【解説】
 重要なのは、本項で明記されているように、この生命の科学学習コースが、進化した宇宙兄弟達によって注意深く編纂され、私達地球人の学習用に執筆されたということです。実はこれほどまでに明確に著者アダムスキー氏が著述作品の意図を述べた箇所を私は知りません。それほどまでに他の何よりに増して「生命の科学」が関係者の間で尊ばれるのはこうした背景があるからです。
 しかし、本講座で説かれている内容はそう難しい内容ではありません。誰もが一様に理解できる簡明な表現となっています。誰もが自分なりに探求の取っ掛かりを掴める工夫がなされていると言うことも出来ます。
 もちろん、一読すればそれなりに納得は可能ですが、私としては本書はそのような一挙に読み下すべき内容ではないと考えています。一段階ずつ著者の意図を探りながら自分で内容を理解して行く中で、各自の日常生活の中で実践しながら、その本旨を身に付けるような取組み姿勢が求められているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。


【解説】
 本講座は元来、通信教育としてスタートしており、教材についての質問等は直接、著者の元に寄せられていた模様です。その一つとして、先に出されていた第1課の学習者からの報告がこの第2課の本文執筆時に寄せられていた訳です。つまりは、この生命の科学学習講座は章毎に執筆、配布されていたことを物語っています。
 本項で著者が引用する報告がどのような内容であったかは分かりませんが、文脈から言って、学習者が過去の事象について驚く程の状況を印象から知ることが出来たというものであったと思われます。
 前課でも述べられていますが、この学習講座で最も大事なのは第1課であるとしています。心や肉体の他に意識という大きな存在があり、私達の心や肉体は、本来、その意識と呼ばれる無言の存在によって存続されており、この意識の支持がなければ、生命は成立しないということです。その意識のささやきに耳を傾ける為には、心の横暴を押さえ、意識を信頼して印象を受容する誠実さが必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたをあなた自身の心の意志によって学ばせますが、その心の意志は貴方に苦痛をもたらします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 何かと私達は様々な自然現象や当人の力ではどうしようもない状況に対して「神の意志」という表現を用いて、それらが人間には何ら責任がない要因から生じているとして来ました。しかし、本項では、実はそれより先に様々な機会を通じて創造主は私達に助言を与えて来たことを示しています。
 それら助言に対して、私達の心は鈍感であったり、無視して来た結果、実際の現象が起こり、私達は苦痛を味わう訳ですが、それでもその体験がその後に活用されないとしたら、随分と悲しいことになります。
 創造主の適時適切な印象によるアドバイスも、それを意に介さない心であったなら、結局は結果が発現した中で痛い体験を学ぶ他ありません。意識の声は常に発せられていますが、私達はそれを受け入れ、自分の行動に採り入れなければ、創造主の意図は実現されません。宇宙全体が統一された法則性の中で動いている以上、例外なく原因と結果は一対一の対応関係で結びついています。良い原因を作れば良い結果が、誤った原因には誤りの結果が現出するのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。


【解説】
 私達を包む意識に対し、私達がそれを知覚する手段は印象を通じてのみ行われます。即ち、私達は意識を理解する為には印象を正しく解釈出来ることが必要です。
 ところがこの印象に対して私達は自分の都合が良いように解釈したり、理解出来ない印象は無視しがちなのです。幼児の火傷のたとえのように意識から警告が発せられているにも拘らず、私達はその忠告を受け入れず多くの不完全な行為を行うことも多いのです。
 この場合、解決策はまず私達を包む、本講座で意識と称される生命の息吹を信頼し、時に応じてやってくる印象類(インスピレーション)を大事にして、印象に従った行動をとることです。仮に些細な事でも正しい印象の扱い方を学べば、次回からはより多くの印象を感知でき、日常の行動に活かすことが出来るという訳です。

お知らせ

都合により、次回の更新は5月17日になってしまいますが、ご了承下さい。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。

【解説】
 意識自体は意識を理解しているからといって、その者を特別視したり、恩義を与えたりすることはありません。磔刑に遭ったイエスに対しても天の父は特別に助けることはなかったと聖書は伝えています。問題なのは人間の側にあって人間が自分達が何をしているかを自覚できていないことにある訳です。
 意識は全ての形あるものを因の側から支え、その形を維持するよう、必要な情報と指示を与え続けており、その形あるものをどのように使用するかについての責任は人間の側にあるのです。
 善人も悪人も平等に生命の支えを与えている意識の中には、善悪の区別はないという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。


【解説】
 昨日、久し振りにイエスの生涯を描いたビデオの一つ(「キング・オブ・キングス」)を見ましたが、2000年前、民衆に説いたイエスの教えを当時の人々は十分には理解せず、奇跡を求めるばかりでありました。そればかりか、イエスを無理やり罪を押し付けて葬り去ろうとした訳です。真理に対する私達の理解はその後、物質中心への一変する一方、生命の息吹である意識については学ぶことはありませんでした。
 本項はその一歩としてまず私達の日常の行動について、それが何に起源を発するかをよく調べよと説いています。この場合、「行動」とは具体的な行為を意味する訳ですが、広く言えば私達の心が瞬間瞬間に抱く想念についても同様に、それが何処に起源を発するものか、何処から来るものかを観察せよと説いていることでもあります。
 想念レベルの段階で、それをより良いものに保つことが出来れば、進歩は容易に生まれるものと思われます。より真理に近い原産からの印象を取り込む中で、その想念に基づく行動の結果、更に新しい体験に巡り会う等、私達一人一人が歩むべき道が、前に進む度に示されるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 生命の本質とはどういうことかについて本項は説いています。形あるものとしては肉体が生命の全てとすることが出来るかも知れませんが、ここで述べられているように真理は異なります。肉体という家の中に意識と心が住んでいると本項ではわかりやすく解説しています。通常、肉体をあやつっているのは心であると心自体は身勝手な思いを持っていますが、実はその心自体も意識による支えが無ければ存続出来ないのです。
 ここで人の臨終の時の話をしなければなりません。父の場合に私が体験した事柄です。数年前手術も出来ない病状の中、緩和治療をしばらく続けてきた父も遂に最期の日を迎えることとなりました。その日の朝、落ち着いた様子でしばらく私と途切れ途切れの声でしたが、話をしていましたが、夕刻になり病状が悪化。その日の晩に亡くなりました。次第に目ももうろうとする中、意識が遠のいて行く様子を身体をさすりながら見ていました。父はまさに人の死の一部始終を私に見せて呉れた訳です。
 幸い特に痛みを訴える訳でもなく、呼吸が小さくなり、心臓も止まる様子に立ち会った訳ですが、生命の本質に関わる時には、目や耳その他感覚器官は何らの意味を為さないこと、ただ意識のみが身体から引いていくことで、肉体は生命体でなくなることを私自身学んだように思っています。
 即ち、仮に肉体に何ら欠陥が無くても、意識が引き下がれば、生命を続けることは出来ません。よく「死んだように寝ていた」という表現がありますが、意識が無くなったような状態は、まさに一時期、死体と化していたのかも知れません。そしてその本人の本質は意識と同行して、いずこの地に移動しているのだと思っています。生命の科学学習講座の第10課は「意識による旅行」というのがタイトルですが、私達が大切にし、頼りにすべきは肉体でなく意識の方であることを自覚したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落083

083 On this highway we shall find that all creation expresses a Divine intelligence. For consciousness is the life of even a grain of sand. It lives independent of forms, yet it activates all matter. It speaks the silent language which we call impressions, yet moves with a force far greater than any sound. And you and I are the highest manifestations of it, for without consciousness the mind would be nothing.
083 この大道では、私達はすべての創造物がある一つの神聖な知性を表わしていることに気付かねばなりません。何故なら意識は砂粒一つの生命でもあるのです。意識は形とは独立し、しかも全ての物質を動かしています。意識は私達が印象と呼ぶ無言の言語で話していますが、どんな音よりもはるかに大きな力で揺り動かしています。そしてあなたも私もその意識の最高位の創造物と言えます。何故なら意識無くしては、心は何らのものでもないのです。


【解説】
 何故、前項(082)以来述べられている大道が広い進歩の道であるか、本項が解説しています。つまりは、印象は万物共通の言語であり、印象は他の何よりも大きな実現力を持っていることが、その訳だしています。印象という目に見えず、耳に聞こえない衝動は自然界の鉱物にさえもその意図を伝え、一つ一つの微細な原子に目的を伝え、それらを働かせる力量を持っています。
 それ故に仮に時間は必要であるにせよ、物事を実現させる力を有している訳です。私達が求めるべきはこの印象の力を自らの進歩の道に取り入れることであり、宇宙からやって来る印象に素直に従う中で、自由闊達な人生を送れるとしています。唯一の課題はそのような大同があることを自覚する必要があることであり、全てを自身の中の小さな存在である心に全てを委ねてはいけないということだと解釈しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落082

082 All of our life we have been doing things the hard way. Either in one extreme or another. Now the time has come to settle down into the middle, which is the conscious eternal highway. And stop taking the mental by-ways, for the center balance will make life much easier.
082 私達はこれまで生活のすべてを困難なやり方で物事を行って来ました。ある極端から他の極端のいずれかであったからです。しかし今や、意識的な永遠の大道である中庸に落ち着く時期を迎えています。そして心の横道を取るのを止めるべきです。中央のバランス状態は生活をはるかに容易にすることになるからです。


【解説】
 とかく私達の心は一方に偏りがちです。一つの方向に邁進したかと思うと今度は一転して何もしなくなる等、不安定な行動パターンを特徴としています。好物を好むあまり、偏食し健康を害することもそうですが、人体にとって大切なのはバランスのとれた食事であることは言うまでもありません。それと同様に心の働きにもバランスが必要だという訳です。
 自然界の生きものは悲しみも喜びも表現しますが、よく見ていると人間のように極端に感情を表したり、継続させたりはしないようです。一時期悲しい表情をしますが、次に楽しいことがあると再び楽しい生命の表現者に立ち戻ります。そこには人間のように感情に囚われない、ある意味、淡白さもあるかと思います。しかし、わが子を守る際には自らの生命を賭けて対峙することもある等、ひとえに生命の源泉から来る指導に従順である様子が分かります。
 一方で、中庸とは何もしない静止状態や新しい試みの無い惰性状態とは異なります。ゆったりさせるのは心の状態であり、リラックスする中で様々な分野にチャレンジする勇気が求められています。これまでの自我を脱皮し、新しい自分を開拓する意義は変わることはありません。本項で言う「大道」とは自分の心を広々させる中で思う存分、行動を広げても良いのだという意味も含まれています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落081

081 F.D.R. expressed it well when he said, "there is nothing to fear but fear itself." For fear promotes fear. Our late President Kennedy made the statement, "Ask not what the Nation can do for you but what you can do for the Nation." I would say it this way ; it is not what God will do for you but what will you do for God? And God is the consciousness of our being. Or we could put it this way, it is not what the consciousness does for the mind, but what the mind can do for the consciousness.
081 F.D.R.(フランクリン・D・ルーズベルト、Franklin Delano Roosevelt)は「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」と言ってそれを上手に表現しました。恐怖は恐怖を助長するからです。故ケネディ大統領はこう声明しました。「国家があなたに何を為せるかと問うのでなく、あなたが国家に何を為せるかを問え。」私ならこう言うでしょう。「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」。そして、神とは私達自身の意識なのです。そこでこういうようにも言えるでしょう。「意識が心に何をなすかではなく、心が意識に何をなすことができるかである」。


【解説】
 恐怖はそれ自体で増殖します。暗い道を歩いている時、一瞬でも怖いと思う途端、心は次々に恐怖心を倍増させ、結局はありもしない勝手なイメージを作り上げ、自身の行動を左右させようとする訳です。
 こうした心の特徴に対して、冷静に心を鎮めよというのが従来の教えであったように思います。つまり、恐怖に陥っている心をマイナス状態とするなら、心をニュートラルにせよという訳です。
 しかし、本項では更に進んだ取組みをせよと説いています。つまり、ケネディーの言葉を引用しながら、私達が創造主に対してどのような貢献が出来るかを考え求めよとしているのです。求める中においてはそれが果たして与えられるだろうかという心配が起こる可能性もありますが、心が反転攻勢して、自ら進んで因に対してどのような奉仕が出来る経路になるかという姿勢に変わることが出来れば、もはや不安など無くなり、自分が主体的な行動の中心になれることになります。
 恐れへの対処の仕方等、当初、心が恐れを感じてしまった対象に対して、自らがその対象物にどのような役に立てるかと考える姿勢に転じる時、その解決策が生まれるというように理解したいものです。
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