2012年04月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落080

080 The mind acts as it does mostly through fear caused by a lack of knowledge and faith. For if it changes, it knows not what the next moment might be like. Fear is the master of the mind and governs nearly every human being on earth, in one form or another. Very few people realize that fear is a dominant factor for we have been children of its household for centuries and now feel that it is a natural way of life. We do not even know that we fear, yet fear is nothing but a lack of understanding of the laws that govern life. And these laws cannot be learned by studying effects, especially of human experiences. For most of these are the result of fear dictation.
080 心というものはそのほとんどが、知識や信頼の不足が原因で生じる恐怖を通じて行動しています。何故なら、もし変化があった場合、心は次の瞬間にどうなるのか知らないからです。恐怖は心の主人であり、地球上のほとんどの人間をどのような形態にしろ支配しています。私達は何世紀の間、そのような(恐怖に支配された)家庭にいる子供であった為、私達の中で恐怖が支配的な要素であるということを知っている人々は極くわずかであり、今やそれが自然の生き方だと思うようになっています。私達は私達自身が恐怖していることすら知らないのですが、恐怖は生命を支配する諸法則の理解が欠けていることでしかありません。そしてこれらの諸法則は結果、とりわけ人間の体験を学ぶことによってでは学習することができません。何故なら、これらのほとんどが恐怖による指図の結果だからです。


【解説】
 テレビのCMに保険会社の宣伝が数多く放映されますが、これらも本項で言う私達が皆、恐怖によって支配されていることを反映したものと言えます。そして保険会社は人々に多少の安心を与える代わりに利潤を挙げる等、この世の中に適応した企業分野となっています。
 昨今では昨年(2011年)の地震や津波の経験から、災害時の備えについても人々の関心事になっています。これについてはもちろん、備えをしておくことは大切なのですが、以前にも紹介したように、地震の翌々日、所用があり千葉房総の海岸沿いを通った時のことは今も忘れられません。目の前には何も無かったような穏やかな春の海が広がっており、人気(ひとけ)の無い海岸にカモメが群れる等、実に平和な光景が広がっていたのです。
 車で通り過ぎる私達は、ここに津波が来たらどうするか等、東北の被災が頭から離れず、独り人間達だけが恐怖の中で生きていたような気がしたものです。
 結果は、その後1年間、再び津波が来ることはなく、行く末を心配していた人間と春の陽光を満喫していたカモメのどちらが賢かったかの判定は歴然でしょう。因の領域からの印象を理解し、未来についての信頼や予知能力を備えれば、不安は消滅する訳です。


ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落079

079 The mother has been used as an example, but people daily ignore impressions that are given to the mind by the consciousness and cause many imperfect acts that could have been avoided. All because the mind has been exalted through the ages and has given no thought to its parent - the consciousness. It supports itself by past acts and repeats history instead of going forward. There is some improvement historically, but actions are still founded on the past, like the destruction of men in war, instead of evolving above the past. The mind has an opportunity to bring newness each day by following the guidance of consciousness.
079 母親の件は一つの例として用いられましたが、人々は日常的に意識から与えられた印象を無視しており、避けることができた多くの不完全な行為を起しています。全ては心が長い時代を通じて誉められ、その両親である意識には何らの配慮も与えて来なかったことに原因があります。心は過去の行動によって自身の拠り所とし、前進する代わりに歴史を繰り返しています。いくつかの進歩も歴史的にはありますが、戦争における人間の破壊のように過去を超えて進化することの代わりに、行為は依然として過去に基礎を置いています。しかし、心は意識の指導に従うことによって、日々新鮮さをもたらす可能性を有しています。


【解説】
 本項は「日々新たに」という古くからの教えが、本質に繋がる真理を示していることを伝えています。私達の心は実績重視、経験第一としますので、その延長上には長年の習慣や惰性が待ち構えていることになり、やがて進歩とはかけ離れて行くことは否めません。
 これに対し、新しいことを指向する姿勢には、当然失敗を恐れる心の抵抗があるでしょうが、新しい道を進む為には、自らの進路を印象に従って選択する必要があり、印象の源を信頼する必要があります。また、「失敗を恐れない」という言葉の中には、「結果を重視しない」という意味合いが含まれています。
 このように毎朝すがすがしく迎え、一日を始めることは何よりのことであり、一日毎に進歩の歩みを進めることになります。一歩前進する中で、また新しい局面に出会い、学ぶ中で人はあらゆる場面で生命の息吹に触れ、それらの力を学ぶ中で進歩を続けられるというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落078

078 And what is this higher intelligence? Again we have to refer to the consciousness for a definition. For at times it impresses the mother's mind to seek a certain type of food that she does not ordinarily care for, because this chemical is needed in constructing the infant form. And this intelligence causes the movement within the mother's body. No voice of instruction is heard yet the mind of the mother knows that some change has taken place. This is done by impressions for consciousness does not use sound as we know it. It is this consciousness that is the creator or builder of the form as near as we can tell. And this is all done independent of the mind. Even here the mind may interfere by opposing the impressions that come, like the food. Either by not seeking it or not being able to get it, which could bring about an imperfect form.
078 次に、このより高い知性とは何でしょうか?ここで再び定義の為に意識について引用しなければなりません。何故なら時々、胎児の建設に化学物質が必要となる為、それは母親の心に彼女が普段は好まないある種の食べ物を求めさせるからです。そしてこの知性は母親の体内に運動を生じさせます。声に出しての指導は聞こえませんが、母親の心は何らかの変化が起ったことを知ります。意識は私達の知るような音を用いませんので、これは印象によって行われます。私達がこの形あるものの創造主あるいは建造者と呼ぶのに近いのはこの意識なのです。しかもこれは心とは全て独立して行われています。ここにおいてもなお、心は食べ物の場合のようにやって来る印象に反対することによって妨害するかも知れません。それを求めることをしないか、摂ることが出来ないことによって、不完全な人体をもたらすことになるかも知れないのです。


【解説】
 本項は妊娠中の女性についての話でしたが、同様なことは必要性に応じて一人一人に対しても行われていると言えるでしょう。無言の印象を通じて英知なる存在から各自の心に様々なアドバイスが降り注がれているものと思われます。
 これらの印象類は各個人の状況によって異なる訳で、各々に向けた創造主の愛情の現れとも言うことが出来ます。降り注ぐメッセージに対して私達は鈍感であり、時に感受してもそれを無視し続ける等、容易にはそれらを受け入れようとはしません。それと分かる明確な証拠や納得できる理由も無いのに、それら突発的な印象には従えないというのがエゴの言い分でもあるのです。
 一方で、目の前でスプーンを曲げたりする「しるし」を見せ、相手のエゴを支配下に置くような所業を為す人々が見られるようになる等、迷える子羊に対する危険性も増しています。それを防ぎ、真に宇宙的本源から来る印象類を指向し、その成就を為すためには、まずは自らを日々高める鍛錬を行い、高次な印象のみを受信するような心の状態を保つことが必要です。私達は結果を求めるのではなく、印象の発信源である創造主に自らを指向する態度が基本に無ければならない訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落077

077 THE CREATION OF A HUMAN FORM
A pregnant mother knows that a conception has taken place within her being, but her mind does not know what is to be done in the creation of the form. Many times she wonders what is going on. There is not a mind in the world that knows exactly the type of intelligence that is responsible for the growth. It is true that pictures have been taken from conception to birth, but not of the intelligence that brings about the form from moment to moment. This intelligence is superior to the minds of men and that of the mother, for they know not what goes on. This proves that the mind is subject unto a greater intelligence than its own. Yet the mind has the potential of attaining equality if it allows itself to be guided by the higher intelligence.
077 人体の創造
妊娠した母親は自分自身の中で妊娠が起ったことは分かりますが、彼女の心は形あるものの創造において何を為すべきかは知りません。何度も彼女は何が起っているのか不思議に思います。しかし、胎児の成長に責任をもっている知性のタイプを正確に知っている心はこの世に一つもありません。妊娠から誕生までの写真が撮られていることは真実ですが、一瞬一瞬人体を形作っている知性について写真に撮られることはありません。この知性は人間の心や母親の心より優れており、それらは何が起っているかを知っています。このことから、心はそのもの自体より大きな知性に支配されていることを示しています。しかしまた、心は自らをそのより高い知性によって導かれることを許すならば、それと同様な能力を持つ可能性を有しています。


【解説】
 そもそも私達一人一人が何処から来たのかについて究明する上で、受精卵から赤ん坊の誕生までの経過は重要な点です。文字通り卵子と精子という外見上、「無」から「有」が創り出される過程は、生命体の特徴でもあるのです。
 自分というものが何処に起源を持つとなると、肉体の上からは、細胞の一つである受精卵ということになりますが、その後、細胞数60兆個もの構造体にまで発達し、はじめて人体としての機能が果たせるようになります。この間、各細胞は各々自分の担う役割に沿って各部位に成長して行く訳で、そこには人体内に活動を指導する英知の存在とその指導に従う細胞の知性があるのです。
 もちろん、このような誕生までの実績やその後の活発なる身体の生育活動から各細胞は今日まで、受精卵からの延長として身体の維持増進に努めていることがわかります。しかし、その一方で、「私」なる存在がこれら肉体の細胞とどのような関係にあるかは、依然未解決です。
 何より、私達の心はこれらの生命活動の恩恵を受けながらも、それらについて何らの関心を持たず、惰眠をむさぼっていることが問題だと言えるでしょう。余談ですが、それらの問題の理解について男性と女性のどちらかが勝っているかと言えば、自ら新たな生命体誕生を体験する女性の方が、優位な立場にあると思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落076

076 So the mind does not have to go far to learn. For it can learn from the form through which it works if it humbles itself to the knowledge within the form. We can now see where the saying "man know thyself and you shall know all things" originated, for all creation is governed by this law. And there is no greater truth than this that has ever been spoken.
076 ですから、心は学ぶ為に遠くに行く必要はないのです。何故なら、形あるものの内部にある知識に心自らが謙虚になりさえすれば、心は形あるものの働きを通じて形あるものから学ぶことが出来るからです。私達は今、「汝自身を知れ、そうすれば全てが分かるであろう」という言葉が何処に起原を持つかを知ることができます。何故なら、全ての創造がこの法則に支配されているからです。そしてこれまで語られた中でこれほどに偉大な真実はありません。


【解説】
 「ご自愛下さい」とは、日本で良く用いられる言葉です。「身体を大切にして下さいね」という意図で使われる訳ですが、その含む内容には深いものがありそうです。この場合、「自分を愛する」という表現の中には、真の自分の上にあぐらをかくエゴを溺愛するという意味は無く、本項で言う「自分を支えて呉れている肉体、更にはそれを機能させている生命の本源」に対して、感謝し、いとおしむようにと諭しているものと思われます。
 表面的な認識力しかない「心」を取り囲むように肉体や意識が存在し、その中に全ての英知が詰まっていることは、細胞一つ一つのDNAが全ての生命に共通する基本配列を有しながら、多様な情報を保持していることからも理解出来ます。
 それゆえ、私達は周囲に当面の理解者が居なくても、また身近に豊かな自然が無くても、自分一人で自身の肉体細胞と生命の根源である意識と呼ばれる活動的な英知から、いつでも必要な知識を学ぶことが出来るのです。
 その為の唯一の前提は自身がそのような贈り物を身近に持っていることに気付くことです。既に十二分に持っているのに、その在庫に気付かず、外にそれを求めて時間や費用を浪費してしまうケースこそ、問題にすべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落075

075 We have been taught that the mind is the man as well as the knower. But as the mind is an effect, this statement is far from the truth. Yet within the form of man lives the knower. If the mind would humble itself and become the observer of the form through which it works, it would soon realize how little it does know. i.e. There is no question in our minds that we have brilliant people in the world, for the new inventions in the recent years prove this. In the field of electronics the things that are done could be called miracles. Things like correcting instruments from earth that are many miles out in space, and talking back and forth with a man in a capsule orbiting the earth. These accomplishments only show the potentials of the human mind when it listens to the guidance of consciousness. Yet with all of the knowledge at present there is not one man in the world that can create a human form and have it function as we do. But within the form there is that knowledge which manifests every day in the birth of children. Not to mention the thousands of other form creations.
075 私達はこれまで心こそが人間であり知る者であると教えられて来ました。しかし、心は一つの結果であり、この声明は真実とはかけ離れています。しかし、人体の内側には知る者が生きています。もし心が自らを謙虚にし、その知る者が人体を通じて働く様子の観察者になるならば、心はすぐに心がいかに少ししか分かっていないを自覚することでしょう。つまりこういうことです。世の中には素晴らしい人々が私達の中にいることについては疑問はありません。近年の新たな発明がそれを物語っています。エレクトロニクスの分野では為されている物事は奇跡と呼ばれても良いでしょう。宇宙空間に何マイルも離れている装置を地上から修正するようなことや、地球を周回するカプセル内の人間と相互に交信するようなことがそれです。これらの成就した出来事だけでも人間の心が意識の指導に耳を傾けた時に発揮する人間の心の可能性を示しています。しかし、今日の知識の全てをもってしても、世界中に一人として人体を造り出し、それを私達同様に機能させることが出来る人はおりません。しかし、その人体の内部には毎日、赤子の誕生として現出する創造的知識が備わっているのです。その他、何千もの他の創造物についても言うまでありません。


【解説】
 私達が通常、「自分」と呼んでいるものの正体は何であるかについて、本項は解説しています。実は、日常、私達の行動を支配している「心」なるものは、大して内容の無い存在で、問題が多いという訳です。それらが人間の主人公で居られるのは、ひとえに身体内部にある英知のお蔭だという訳です。
 そして、心自体は発達しなければなりませんし、その発達につれて成し遂げ得る内容は、驚くべき高度なものにすることが出来、その意味では創造主の似姿としての潜在能力を有していることになります。
 一方、私達の心が学ぶべき内容は無限に広がっており、身近に溢れています。つまりは、遠い図書館や離れた導師に逢えなくても、身の回りにはその生きた教材は無尽蔵に提供されています。
 野原の花の一つであっても、詳細に観察すると、その形状や色彩、虫達とのつながり等、多くのことを学ぶことが出来、私達が素晴らしい天国に住んでいることを自覚出来ます。これらの生きとし生けるもの達との交流の中から、自分の「心」と生命の本源についての関係を学ぶことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落074

074 History does not necessarily have to be repeated, for it is man's action that make history. We will cover this more thoroughly in the coming lessons but at the moment we will continue with the mind.
074 歴史は必ずしも繰り替えされる必要はありません。何故なら歴史を作るのは人間の行動であるからです。つぎの課ではより完全に取扱いますが、ここでは心について続けることとしましょう。


【解説】
 最近のニュースでも、地下深くの地層から、過去にも何度となく津波の痕跡があり、何千年かに一度は今回の東北を襲ったような大津波が繰り返し起こっていたことが分かったとのことでした。地殻変動は繰り返し起こっているというのです。
 また、人生あるいは転生後の次なる人生についても、私達は因果応報の宇宙法則の下、原因と結果の関係の中で生きている訳で、自ら造った原因に対応して結果を刈り取る仕組みの中に居ます。早ければ瞬時にも結果が現れますし、遅くても数日、あるいは数年後の自分のところに戻って来るように思われます。
 そのような玉突きの関係を抜け出て、新しいサイクルに移行する為には、原因と結果の対応関係をしっかり理解する必要がある訳です。今私達の中に取り込む想念が果たして妥当なものなのかをチェックしたり、結果の観察から、それを動かしている原動力となる因を知る等、私達は目に見えない法則の存在を学ぶ必要があるのです

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落073

073 You may say here, what about the people among us who are criminals and those who harm others? These actions could be considered mistakes on the part of the actor since he has been taught to guide himself by effects. And most everyone has been guided by effects, so we have all made mistakes. But if we are wise and desire understanding we shall then learn the reason for our mistakes and make the corrections. And we can be thankful for the experience that taught us a lesson. For without this we would not know the better way.
073 ここで、あなたは私達の中にあって犯罪者であったり、他人に危害を与える者についてはどうかと言うかも知れません。これらの行為は結果によってのみ自身を導くように教えられて来たその行為者の側の過ちと見なせるでしょう。そしてほとんどあらゆる人が結果によって導かれており、私達は皆、過ちを犯します。しかしもし、私達が賢明であり理解を望むなら、私達は私達の過ちの理由を学び、修正しなければなりません。そうすれば私達はレッスンを私達に教えてくれたその体験に対して感謝することにも成り得るのです。何故なら、このこと無しにはより良い方法を知ることは無かったからです。


【解説】
 外観等、いわゆる形あるものは「結果」に過ぎないこと、またそれらは絶えず変貌することを私達は学んでいます。これら変化し、不安定なものに自身を委ねることには問題が多い訳です。
 しかし、昨今の社会では結果主義、業績主義が横行し、どのような頑張りでも結果が揃わなければ、評価されない風潮も広がって来ました。いわゆる欧米型の管理の広がりです。実はその結果、短期的に見かけの結果が得られることしか取り組まれず、弊害が多く出ているように思われます。本講座で著者が盛んに「結果」と「原因」の対比を語るのは、結果至上主義の欧米社会に向けた警鐘の一つと言えなくもありません。
 私達は様々な過ちを犯しますが、唯一の救いは悔い改めてその失敗の原因を考え、改める勇気を持つことです。この内、最大級の罪は、創造主の存在を無視すること、或いは創造主から日常受けている恩恵を裏切ることだと考えています。その罪さえ犯さなければ、私達にはまだ十分、進歩の芽はあるように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落072

072 As you can now see, everyone in his daily life is important in one form or another. The thing that we must do is to learn the importance of each one, as the advanced space people do on their planets. In this way each individual effort is honored as he serves others. Directly or indirectly.
072 今やお分かりのように、あらゆる人はその日常生活の中で何らかの形において重要なのです。進化した宇宙人が彼らの惑星で行っているように、私達が行わなければならないことは各々の重要性を学ぶことです。このようにして、個々人の努力はその者が直接的あるいは間接的に他に奉仕することに対して栄誉を受けるのです。


【解説】
 もちろん、自我(エゴ)の突進を制御し、その欠点を観ることは大事なのですが、それだけでは只、問題が多く至らぬだけの存在にしか見えなくなります。しかし、私達は、日々何らかの前進をしていることも確かですし、昔と比較して優れた社会を作りつつあることも言えるでしょう。そうした中で、私達自身が果たしている役割についてもっと丁寧に観る必要があると本項は説いているのです。
 もちろん、他惑星と比べて程度の差は莫大と思われますが、基本的な部分として各自が他者に役立つ為の努力を行うことは地球でも行われているところです。
 各々の個人にはそれぞれ別の才能が天与されており、その働きによって各自が向上するとともに他者の役に立つこと、惑星全体の相互関係が深まることが期待されているように思います。もとより生を受けたからには、生きる目的と社会における役割が期待されている訳で、各々自分の生涯の中で嬉々としてそれら使命の発現発揮にいそしみたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落071

071 Jesus brought this truth to the people when he said that the man who desired honors from earthly men, had none coming in heaven. He also said not to worry about tomorrow, for the sparrow neither sows nor reaps, yet the Father takes care of each of them. But this calls for definite faith in the consciousness. For he also said, "are you not more than the raiment ?" This is the law by which all Venusians live.
071 イエスは地球の人達からの名誉を望んだ者で天国に来る者はないと人々に述べてこの真実を当時の人々に伝えました。彼はまた、明日を思い煩うなスズメは蒔くことも刈ることもしないが父はそれら個々の者を養ってくださっているのだから、とも言いました。しかしこれには意識に対する絶対的な信頼が要請されます。何故なら彼はまた、「あなたは衣服より以上のものではないか」とも言いました。これは全ての金星人が生きている法則です。


【解説】
 本項からイエスが金星から来た教師であることが分かります。また、今更のことですが、既に2000年以上も前に金星ではこのような生き方が全ての人の基本的姿勢として根付いていたことには驚くばかりです。私達の住む地球との文明のレベルの差が途方も無く大きいことを先ずは認識する必要があります。
 しかし、その文明もそこに住む人間に関わる部分だけが違うだけで、自然界の営みは各惑星ともに大差はないのかも知れません。今日この頃(4月上旬)、日本では櫻の季節となっています。幹から伸びた枝の細い先までびっしり花を付けた櫻は見事に自身を通じて生命の美を惜しみなく発揮しており、見る者に感動を与えます。一方、その櫻の木は自らを自然の流れに委ねており、偉ぶったりする様子もありません。そればかりか、鳥達に蜜を与え、時間が来れば花を散らして、次なる活動のステップに移ります。
 本項にも記述があるように、鳥達は時々の自然の恵みを享受し、季節を謳歌しているように見えます。桜も鳥もその存在を全て自然に委ねており、決して不安を見せることはありません。外敵や気象の変動に対しても何ら臆することなく、平常心を保ち、楽しく暮らしています。意識への信頼に於いて、身近な野生生物に学ぶ所は多いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落070

070 This equality is lived on Venus and Saturn, for each talent is respected as a Divine gift from the Creator unto creation. And it manifests in ever field of endeavor - sports, art, etc. There is not the feeling of competition that we of earth express. But rather a feeling or desire for a finer quality of expression of individual talents towards the fulfillment of the Divine purpose. It is only the ego mind that desires honors for its accomplishments.
070 この平等さは金星と土星では実行されています。あらゆる才能が創造物に対する創造主からの神聖なる贈り物として尊敬されている為です。そしてそれはスポーツ、芸術等々、努力におけるあらゆる分野に現わされています。地球の我々のような競争意識はありません。むしろ、聖なる目的の達成に向って個個人の才能に関してより精緻な表現を感じたり、望んだりするのです。その達成に対して名誉を求めるのはエゴの心だけです。


【解説】
 一切の名声を求めないという姿勢は、著者アダムスキー氏自身の言葉によく表れています。先日、別のサイト(「ジョージ・アダムスキー アーカイブズ」 http://georgeadamski.blog.fc2.com/)で紹介した氏の書簡の中で、氏が自分の著作物ですら、自分の功績ではないと言明しています。
 重要なのは、その理由です。氏は著作をする為には宇宙の中心部に自分が出向いて掴んだ内容であり、自分はその発現の経路になっただけだとしている点がポイントです。
 各自の才能は、各々何らかの宇宙的源泉に到達して、そこから得たものを結果である物質世界に持ち帰ったものだと解説していました。
 才能の発揮とは各自がそれぞれの経路を通じて源泉からの流れを現世に反映させたということであり、唯一、功績と呼べるものは、その者がその経路になり得たということだという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落069

069 The King turned to the blacksmith and asked him by what right he seated himself there. With this the blacksmith arose and questioned the other workmen by saying, "who fashioned your trowel and your compass" ? They replied "you did". Then he said, "could you have built this Temple without these ?" Their answer was "no." Then he said, "the honor belongs to me."
069 ソロモン王はその鍛冶屋に何の権利によってそこに座っているのかと訪ねました。すると、鍛冶屋は立ち上がり、他の者たちにこう訪ねたのです、「誰があなた方のコテやコンパスをこしらえたのか?」。彼らは答えた。「お前だ」。すると彼は言った。「あなた方はこれら無しにこの寺院を建てることができただろうか?」。彼らは答えた。「いいえ」。すると彼は言った。「それでは、その栄誉は私のものだ」。


【解説】
 この場合、もちろん鍛冶屋が作る道具だけでは寺院が建立される筈もありません。各々がそれぞれ事業に貢献しており、その貢献度合に差別はないということです。
 私達は日常生活を様々な目に見えない機能jから恩恵を受けて暮らしています。スイッチを入れれば電気が通じますし、黙っていてもゴミは回収・処理され、蛇口を回せば水は出、排水は処理されています。これらは私達の生活に不可欠なものですが、私達はそれらを当たり前のこととして、その価値を考えることは通常、ありません。
 同様に、私達が暮らすこの惑星や太陽の絶え間ない活動も、更には宇宙を貫いて躍動する一大生命力も、それらはあまりに安定し、無償で私達に下さっている故に、私達はその恩恵について普段、考えることすらないのかも知れません。それらの働きがあってはじめて、私達の生活が成り立っていること、今日の私達の生活がそれらの下支えに依存していることに気付く必要があります。
 当たり前のこと、私達が通常、感知しない中に貴重な存在があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落068

068 Another example for the sake of clarity. When King Solomon's Temple was finished he expressed a wish to have the man who had done the most in bringing about its completion, honored in a ceremony and seated in a chair next to his own on the Throne. All of the men of different talents presented themselves in clothing appropriate for the occasion, each hoping for the honor. But a blacksmith entered dressed in his working clothes. A burned apron and dirty hands from the forge, and seated himself in the chair. This caused a stir and complaint among the other men.
068 明確にする為にもう一つ例を挙げましょう。ソロモン王の寺院が完成した時、ソロモン王はその完成に最も貢献した者を式典で表彰し自らの王座の隣に座らせたいという希望を明らかにしました。様々な才能の持ち主が、各々その名誉を期待して、その場面に相応しい身なりで出席しました。しかし、ひとりの鍛冶屋が作業衣のまま入って来ました。仕事場から焼けたエプロンと汚れた両手のまま、その椅子に着席したのです。これは他の者たちの間に騒ぎと不平をもたらしました。


【解説】
 ソロモン王に関するこの逸話は、私が調べた限り(http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi)では、旧約聖書の本体には、記載されていないようですが、有名な逸話としては伝承(http://edwardkarn.com/king-solomon-and-the-blacksmith/)されています。
 とかく職業に差別感を持ちやすい私達に対して、この勇気ある鍛冶工は自分の身の危険を顧みず、自らが考える「平等」について主張したという訳です。
 私達は服装や外観から良し悪しを判断しがちです。もし汚れた作業衣を着る者が劣等感を、美しく着飾った者が優越感を持つとしたら、自ら上下の差別、貴賎の差を認めることとなるでしょう。しかし、この逸話は、栄華を誇ったソロモンの時代に寺院建築の下働きを支えた職人に自分の技術に対する誇りを持てる程、技術レベルも上質なものとなったことをも示唆するものと言えます。いわゆる古代の中にあっても、今日に通じる一定レベル以上の文化・技術が当時、既に出来上がっていたことをも意味していると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落067

067 Here you can see that the lowest talent is equal to the highest. From this you should know what the word equality really means. And this is far from the average definition of the word.
067 ここにあなたは最低位の才能が最高位の才能と等しいことがお分かりになるでしょう。ここからあなたは世界の平等というものが実際、どのようなことを意味するかを知らねばなりません。また、これは世の中の平均的定義とはほど遠いものです。


【解説】
 「等しい」・「平等」の本質的意味を前項(064~066)で示していると著者は説いています。
 「等しい」ということを別な表現をすれば、互いに相互依存し、無くてはならない関係にあるということでしょう。これは建物に限らず、あらゆるものに当てはまります。また、相互依存の関係は植物と動物との関係にも成り立っています。植物が動物に食物を提供する代わりに、種を遠くまで運んでもらう、等々です。花の受粉を助けるミツバチや木の実を食べた鳥が種を遠いところに運ぶ等、その例は枚挙のいとまはありません。
 一方、平等感は一体感にも通じるものがあります。「異質なもの」と毛嫌いする姿勢は分離や対立感しか生み出しませんが、平等感や相互依存の自覚は対象物との一体感が生まれます。実はその一体感こそが、相手の意識と融合し、印象によるコミュニケーションを可能にする基礎的な条件ではないかと思っているところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落066

066 From here on many talents will be employed to complete the structure. The final touch of historic recordings and beauty will be the murals painted upon the inner walls of the entrance. And for this the finest artist will be engaged. But even he with all of his talent cannot produce what is asked of him if the pigments of his paint had not been processed from the pick and shovel man through the various refining steps necessary. And this is true with the brushes and other equipment which he must use. And without these his talent would be of no value.
066 ここからは、多くの才能を持った者が建物を完成させる為に雇われることになります。その歴史的記念と美の最終段階の仕上は入口の内壁上に描かれる壁画となるでしょう。そしてその為に最高級の画家が雇われることでしょう。しかし、彼の才能全てをもってしても、彼の使用する顔料がツルハシとシャベル人夫で取り出されてから必要な精製工程を経て処理されていなければ、依頼されたものを造り出すことは出来ないでしょう。そしてそれは彼が用いる刷毛やその他の道具についても同じく当てはまります。


【解説】
 本項で示されているのは、何かの記念館のような建物の例ですが、建築物の最初の発想から具体的に建物が建造されるまで、様々な人の手が関わっていることを、改めて考える必要があります。つまりは、私達はその後、完成した建物を見ますが、それは最終的に形となって現実世界に出現した結果であって、それが創り出される為には、基礎工事から最終的な壁画の仕上げまで、様々な才能の発現があったことに気付く必要があります。しかも、その各々の仕事には貴賎の別は無く、相互に依存した関係にあることも重要なポイントです。
 以前、アダムスキー哲学にも造詣が深いある映画関係者から生前、お聞きした話の中に、映画作りの上で最も重要な役割はプロジューサーだという発言がありました。当初のイメージをどのように具現化して行くか、全体を調整し、作品の方向付けを決める役割が重要だという意味であったかと今では考えています。建物の場合も、全体を通じて各役割を調和させ、全体を指揮する存在が重要です。結果物を一瞥する時、このような背景を私達は因として感じ取る必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落065

065 The first workers that he engages are what could be called of the lowest talents. For they will be the ones responsible for the ditch in which the foundation of the building will be laid. And without which the building could not be built.
065 最初に雇う労働者は最も低い才能の者達と呼ばれるかも知れません。何故なら彼等は建物の基礎を置く為の溝を受け持つ人々であるからです。しかし、それ無しでは建物を建てることは出来ません。


【解説】
 本項で言うところは建物を建立する際には、何処でも見られる光景であり、基礎・土台はその後、その上に立つ建物を支える重要な存在です。考古学ではしばしば、地中の土台しか残っておらず、その礎石の配置や大きさから当時の建物の規模を推定することすら行われます。
 しかし、一般にはこれらの仕事は、比較的職業差別の少なくなった日本でも、つい最近までは「3K」職場として嫌われて来ました。諸外国の多くは職業の差別感は根強いものがあり、各々の仕事を担う者が完全に分かれている等、仕事の別による差別意識は高いようです。
 本項の場合、著者は人間各々の能力(才能)は様々であり得ることは認めたにしても、その意義と価値は皆等しいことを説いています。職業の貴賎無しという意味はそれらが全て創造の御業を担う意味合いに立つことで、はじめて理解できるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落064

064 The construction of a large building can be used as an example of what we mean, especially when it is to be a new type of architecture. The completed building is pictured on the screen of a man's mind by the consciousness. Once the mind sees the picture clearly a blue print of the impressions is drawn in order to retain the design of the structure. As in the drawing of the house plans, this is the first effect of the cause. Then the blue print is placed in talented responsible hands to bring about the manifestation. This individual in turn procures artisans and materials for the construction.
064 大きな建物の建設はこの意味するところの一例として用いることができます。新しいタイプの建築の場合は特にそうです。完成した建物は意識によってある人物の心のスクリーンに描かれます。その人物の心がそのイメージ(姿)を明確に見るとその建物のデザインを保持する為、すぐに印象に基づく青図が引かれます。家の建築計画の作図の時と同様、これが原因の最初の結果です。次に青図はそれを現出させる任務を担う人の手に委ねられます。この人物は次にその建設に必要な職人や材料を手配するのです。


【解説】
 私達は、あらゆるものが神の創造物とする時、人の手による建造物はどのように観たらよいのでしょうか。その問題を本項はわかりやすく述べています。
 つまりは、人を介して創造物が造られるというルートです。この場合、これまでにない新しいデザインの建物なのですが、それを感じ取ったのはある人間で、その人がそのイメージを紙に描いたのが第一の創造、即ちいままで形として表に現れて来なかった印象がはじめて物質である紙の上に固定されたということになります。
 この物語は更に進展し、建造の責任者の手により、より具体的な形となるよう、詳細な検討が行われ、図面化される訳です。
 このように次々に創造の段階は進展し、遂には当初のイメージを具現した建造物が出来上がることになる訳です。
 そこで大事な点は、この各段階を担う人の各々がそれぞれの自らの才能を発揮して具現化(即ち、創造)に向けて、役割を果たして行くことであり、それに携われる者全てが、その創造を担っている、あるいはその発現の道具になっているということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落063

063 The Bible also states that man has many talents. So we will observe the talents with which the Infinite man is endowed. And the important part which each one plays in the cosmic plan where men are equal.
063 聖書はまた、人は多くの才能を持っているとも言っています。ですから私達は無限なる人が授かっている才能を観察することとしましょう。そして人々が等しく存在する宇宙の計画の中で1人1人が担う重要な役割についてもです。


【解説】
 宇宙においては誰一人、差はなく、皆一人一人が各々の才能を持つと、本項は私達に説いています。次項(064)以降、建築物を建立する際に果たす様々な職種・技能についての記述が続く訳ですが、注目したいのは、何故著者は「心とその構成要素」というテーマの中で、この課題を取り上げているかという点です。
 従来の私達は、自我(エゴ)が物質を所有(支配)し、これまでの文明・文化は全て、人間が作り上げて来たと主張して来ましたが、本講座においては、そのような観念は捨てなければならない訳です。全ての知恵は因に属しており、人がたまたま幸運にもその英知に触れたことにより、達成出来たという訳です。
 因から見れば、様々な才能分野に差異はなく、高低の別もありません。一人一人が因に繋がって得た才能を応用することが重要だということでしょう。この講座の当初の目的が各自の自己研鑽とすれば、その先にあるものは、その結果得た才能を各自が発揮して、惑星全体をより良いものにすることが本来の目標ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落062

062 Patience and faith are the foundation of such a reward. For those who become impatient become shipwreck.
062 忍耐と信頼はこのような報いの基礎です。短気な者は挫折します。


【解説】
 マジックショーでもない限り、目に見える結果が私達の想念の変化に対して現れる筈もありません。目に見える段階に到達するには原子・分子が10の何十乗倍もの規模で反応する必要があり、一定規模以上の時間は必要なのです。種が地中で発芽してから地上に若芽を現すまでには、種の内側で起こった変化の時点から、かなりな時間が経過しているころは私達も理解出来るところです。
 一方、直ちに結果、即ち目に見える形が現れないからと言って、折角の努力を止めてしまっては、かえって混乱だけが残ってしまいます。この種の学習には忍耐が必要です。
 しかし、一度、良い成果が得られることを学習出来れば、歩む方向はこれで良しということになり、あとは目に見えない創造主に信頼を寄せて歩むことになります。
 私達の状況は、自らが作った狭い殻の中にいる自尊心だけが強く、実態は弱弱しい鳥のヒナなのかも知れません。早く光のあたる広い外界に出たいところですが、それには自分でコツコツ殻を壊す必要があり、ヒナの行く末を創造主がそっと待っているのかも知れません。
 一方、忍耐強さについては、私達の創造主は驚くべき辛抱強さであり、何度も裏切られながらも、長年月の間、私達が創造主の下に戻ってくるのを待って下さっており、およそ、忍耐に関する限り、創造主に勝るものはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落061

061 Many people have asked me why I did not ask this or that, trifling things in most cases, but had I done so I would not have the knowledge that I have today. Jesus said, lest you become as a little child you cannot enter the Kingdom of Heaven. Which is the kingdom of cause. And the Bible states that there is nothing hidden that shall not be revealed in time.
061 多くの人々が私にあれこれといった多くの場合、つまらぬことを尋ねなかったのかと聞いてきますが、もし私がそうしていたら、私が今日得ている知識を得ることはなかったでしょう。イエスは言っています、幼子のようにならない限り、天の王国に入ることは出来ないと。それは因の王国でもあります。そして聖書はやがて明らかにならないものは何も無いと述べています。


【解説】
 アダムスキー氏がデザートセンターで最初にコンタクトしたのが1952年ですから、氏が61歳の時です。その後、同乗記以降、他惑星人との正式な交流が始まる訳ですが、同乗記に記述されているように、氏は他惑星人に対して、実に素直に受け入れる姿勢を貫いています。
 ここが大事な所で、年齢に関わりなく私達は宇宙的源泉に対して、全くの受け入れの姿勢を保つことが必要です。もちろん、世の中には偽宇宙人や故意に謝った情報を流して他人をおとしめる勢力も多い訳ですから、私達は受け入れる対象についてはじっくり観察し、真偽を確かめる必要はあります。
 その点、各自が各々宇宙的源泉からやって来る印象を感受するについては、何らの心配は不要です。意識の指導に従う生活はより良い方向に私達を導いて呉れることは確かです。少しずつ因の世界の仕組みや法則を理解するにつれて、私達自身の能力(実現力)も高まることでしょう。
 そういう意味では、創造主に対して私達は常にその子供であり、創造主の庇護の下に生活していることを忘れてはなりません。
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