2012年03月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落060

060 The consciousness is a cosmic teacher and unless the student does as I have done in this case, he shall have nothing but confusion in the end.
060 意識こそは宇宙的教師であり、学習者は私がこの事例で行ったようにしない限り、最終的に混乱以外の何物も得ることはないでしょう。

【解説】
 よく思うことは、この生命の科学講座の記述内容は通常の解説書とは異なった書き方が成されているという想いです。従来の地球的な学習書は内容の良否は別として、基礎から応用まで順序立てて記載されていますが、本書に関する限り必ずしもそのような記載になっていません。もちろん、そのような書き方も出来たかと思いますが、そうしなかった理由が最近、多少分かってきた気がするのです。
 つまりは本書が伝えたい内容は、これまでの私達の概念や常識を大きく変える程の転機となる為、それらを単に頭の中の知識の一つとして収納させることは、得策ではないと判断されている可能性があるです。
 従って、随所に何気ない記述で概念が散りばめられているようで。例えば、本項で言う意識からの指導に従う件についても、世の中にはその他数多くの想念や印象類が様々なレベルのものが流れており、それらの中で、その貴重な印象の出所と絶えず繋がっている為には、その源泉に信頼を寄せて、しっかり周波数を合わせて置く必要があります。成果を遂げる為には、意識と呼ぶその宇宙的源泉への揺るぎない信頼(faith)が重要な訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落059

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.
059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。

【解説】
 心の躾けのあり方として、本項はアダムスキー氏自身の実体験を語っています。私達がより高次な進化を遂げた他惑星人に会う時、私達はさまざまなことを聞きたいと思う筈です。しかし、そのような心の好奇心を満たすことと、意義ある知識を得ることとのつながりはないことが多いのです。
 同様に、何か奇跡を起こす為に努力することも本来の目的とは言えません。私達はとても限られた理解の範囲内で生きている為、そこから解脱することは容易ではありません。先人である教師の実体験から、乗り越え方を一つ一つ教わってはじめて殻を打ち破ることが出来るということでしょう。
 その為には、真実の教えを語る人や因なる源泉を信じて、送られてくるメッセージをしっかり受け止めなければなりません。当初は理解できなくても、何年後かに全体が組み合わされて理解出来るテーマもある訳です。
 私達は心を躾ける際、先ず心を素直にさせ、やって来る印象に一切の疑念を挟むことなく素直に受け入れ、その印象が何を意図しているのかを知ろうとすることです。場合によっては、先ずはその印象に従って行動して見てはじめてその印象の意図する所が分かることもある筈です。印象によるメッセージは人から、また因なる創造主から、私達が感受出来る出来ないに関わらず、私達に絶えず寄せられています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落058

058 The mind, in order to learn from the consciousness must humble itself to get each point in a clear manner. For this instruction comes only by impressions. Whether observing an object or listening to sounds, impressions will be given independent of the mind. Consciousness is not governed by habits like the mind is. i.e. When I made the first contact with a space person my mind wanted to know many things, especially things that conformed with my habitual life. I had to control my mind and remain silent so that I could receive all that he wished to impress upon my mind. Had I speculated on what was to be given, I would have missed the significants of the meeting.
058 心は意識から学ぶには各々の要点を明瞭に理解する為、自らを謙虚にしなければなりません。何故なら、この教えは印象によってのみもたらされるからです。ある物体を観察する際や音に耳を傾ける際に、印象は心とは無関係にやって来ます。意識は心のように習慣に支配されておりません。ですから、私が最初に宇宙人と会った時、私の心は多くの事柄、特に私の生活習慣に合った事柄を知りたがっておりました。私は自分の心を抑制し、相手が私の心に印象付けたいと思っていたこと全てを受け入れる為に沈黙を続けたのです。もし私に何を与えられるのか考え巡らせていたら、私はその会見の重要ポイントを見失っていたことでしょう。


【解説】
 印象に従おうとする姿勢は謙虚さを必要とします。私達の心の問題の第一は、結論を急ごうとすることと様々な不安が前面に立って、因からの印象をじっくり受けようとする謙虚さを失いやすいことにあります。
 これら心の動きについては、同乗記にアダムスキー氏がブラザーズ(宇宙兄弟達)に市中であった時の模様にも記述されています。コンタクトの際、心の関心事である様々な雑事について尋ねたいとする心を抑えて、ブラザーズの側から伝えようとしている事柄に耳を傾けようとする氏の姿が述べられているのはご案内の通りです。
 本項は前項(056)以来続く、「心の鍛錬」の一環の記事内容であり、私達の心を鍛錬するとは、どのようなことであるかを解説しています。
 先ずは、因から与えられようとしているメッセージがどのようなものであるか、じっと謙虚に耳を傾ける姿勢を日常生活に取り入れる姿勢が重要であるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落057

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。


【解説】
 それでは具体的にどのようにして感覚心を鍛錬するのかを示したのが本項です。
 私達の心に対する教師は「意識」であり、その教えは印象によってもたらされます。しかし、その教師の存在も、その声もこれまで私達は掴みきれていない所に難しさがあるという訳です。
 先ずは創造主に対し謙虚に、また自らの実態について客観的に観察することから始まる訳ですが、問題は次に因の領域からの印象を感受した場合にも、注意が必要だということです。
 私達の心はせっかちであり、直ちに結果を求めたがります。しかし、与えられる有益な印象は多くの場合、すぐには私達の理解出来ないものも多い為、未だ完全に受信し切れていない間に、心が良否の判断あるいは更にその印象を元に勝手な空想に進むことを厳に慎まなければならないという訳です。
 先ずは全てを受け入れて、その後、その印象が自分に何を伝えているかを考えることです。
 インスピレーションは貴重な機会であり、二度とはやって来ない可能性もある訳で、私達はそのような因からの贈り物を大切にお迎えして、その印象に託された創造主の思いをしっかり受け止めることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落056

056 DISCIPLINE OF THE SENSES
How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の鍛錬
諸感覚を鍛錬することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。


【解説】
 先ずは本文中にあるdiscipline(鍛錬、訓練)の意味合いについてです。disciplineとは日本語で鍛錬や訓練とは、トレーニングの意味にもなりますが、何か練習して速く走れるようになったとかという意味のトレーニングではなく、子供や動物に躾けを身に付けさせるような意味合いで用いられます。つまりは、自らの感覚をより繊細、上質なものとすべく、躾けを行えとしている訳です。
 しかし一方では、世の中には神秘主義的傾向を持つグループも多くあり、あまり未知なものに憧れ、一足飛びにその世界に飛び込むことには危険も多いのです。中には本物を教えるグループもあるでしょうが、その真偽を見分けること自体、容易ではないからです。その点、自らを実験台にして日々の暮らしの中で各々様々な工夫を行いながら、進める方が着実だと考えているところです。
 さて、本項では感覚の鍛錬・訓練がテーマですが、例えば目が対象物を見る際、形ある結果物の内側について気付く以前に、実は通常の視覚自体、十分には対象物を把握していないことが分かります。
 例えば、虫のスケッチ一つを描くにしても、私達の描いた画と、昆虫画の細密画家・熊田千佳慕(1911-2009)の絵とは、描写力において雲泥の違いがあります。熊田氏は虫を描く際にも、実に丹念に観察し、その後は対象物を見ることなく、あのような細密な絵を描いたとされています。「不思議なことに八十になってから目がよくなっちゃったんですよ。いままで見えなかったこまかなところが見えてきたのです。それでものをよく見るようになったんですね。」とは熊田氏87歳の発言です。(「熊田千佳慕 花と語り、虫と遊ぶ」 求龍堂,1998)
 創造物一つ一つに対する尊敬と愛情があってはじめて優れた観察が出来るということでしょう。私達の感覚の訓練は同時に、私達の才能を拡げる意義も持っている訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落055

055 If a family is to be happy, each individual of the family must respect each other member as he would like to be respected. And each must have trust and faith in the parents that are the guiding hands. And so it is with the senses - they are the family that make up the household of a man. And they must be taught respect, trust and faith in each other. And above all, for the parent which in the consciousness. It will not be easy to rehabilitate the senses due to the many habits that they have cultivated. But this must be done if we are to have a heavenly type of life. There is no other way except through learning and understanding the reason for life.
055 もし家庭が幸せになろうとするならば、その家族の各員が自分がそうされたいように互いを尊敬ししなければなりません。そして各々が導き手である両親に信頼と確信を抱かなければなりません。そしてそれは諸感覚についても言えることです。それらは人間という家庭を作り上げている家族なのです。そしてそれらは互いに尊重し、信用し、信頼することを教えられねばなりません。その中でも両親である意識に対しては特にです。それらが養った多くの習慣の為、諸感覚を矯正するのは容易ではないでしょう。しかし、私達が天国のような生活を得ようとするなら、この作業は成されなければなりません。生命の存在理由を学び、理解することを通じて以外に他の道は無いのです。


【解説】
 本講座に限らず、実は太古の昔から同じ内容が時々の賢者によって私達に伝えられて来たように思われます。言語や表現方法は異なりますが、各々の語る内容はいずれも近いものがあるようです。
 その共通しているものが、私達は皆、全能の存在の下に生きているということであり、その存在に依存すると同時に、その存在から絶えず恩寵を受けていることです。そうした中では、当然のことながら、私達は謙虚にその信頼を守り、その全能なる存在の庇護の下、信頼と感謝の気持を持って暮らすことが大切だという訳です。
 一方、本講座が特出されるべきは、その謙虚になる為には、私達の心自体の中身を分析し、四感覚が諸々のトラブルの原因となっていることを自ら突き止め、それらを調和統合させよと具体的に例示している点にあります。
 心の動きを観察する中で、各感覚が独自の判断を下して、「裁く」状況を作り出すことを確認し、それらを鎮め、感覚を謙虚にさせることが重要です。自らの感覚をコントロールする中で、遥かに大きな「意識」の存在に気付くようになることが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落054

054 Unless the sense mind disciplines itself and allows the consciousness to govern it, it will continue as it has in the past.
054 感覚心が自身を鍛練し、意識に心の支配を任せるようにしない限り、その状態は過去と同様、引続くことでしょう。


【解説】
 この生命の科学講座に出てくる学習内容は、万人共通のものであり、その学習は全く個人の選択に委ねられています。個人個人が自らをその方向に仕向け、意識という生命力に自らを委ねることをしない限り、進歩は無く、そのままの状態に留まることになると本項は指摘しています。
 私達各自が人生を送る目的の中で最大のものは、この意識なるものに目覚めることなのですが、それらは基本的に各自の選択ということになります。その選択を創造主は長く待ち続けているという訳です。その間、本人は自ら蒔いた種から出た結果を刈り取りながら、結果の世界で格闘することになりますが、その期間は当然ながら、転生後の次の人生にも及ぶことになります。
 そういう意味で、せっかく出会った貴重な機会と捉えて、長年の懸案であった心の訓練と意識の研究を進め、先を行く宇宙兄弟達が持つ理解力に触れようとする気構えが大変貴重であり、重要ということになります。
 従来から、様々な教えがありますが、皆同様なポイントを示しており、ウエィン・ダイヤーの言う「Surrender 降伏」、親鸞の「他力本願」もその例だと思います。自らの自我・感覚心をより大いなる存在に服従させるという言葉の意味は大きいということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落053

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.
053 感覚心のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。


【解説】
 若さが無くなるのは、学習意欲が薄れることに起因します。その遠因には、今更他人に教えを請うとか、自分が知らない事柄があることを表明することに対し、自我(エゴ)がプライドを失うことに抵抗を示すことがあるのです。しかし、自己防衛に走っていては、いずれまやかしの言い逃れの癖がつくだけで、真の進歩はない訳です。
 その点、大事なことはいくつになっても素直さを忘れないことです。とりわけ、創造主に対しては年齢の大小は関係ありません。また、本項にあるように、各感覚も等しく主人公(人間)の行動に役立つよう、各々平等に、また謙虚に互いを尊ぶ必要があります。
 このようなことは至極簡単な原理であり、私達に課せられた問題解決に向けた解決策は単純明快です。問題はその実行であり、そのような単純明快なる人生こそ、私達が求めるものと言えるでしょう。アッシジの聖フランチェスコもこうした明快な人生を送る手本を私達に示してくれた人物です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落052

052 And oftimes the mind takes the stand of least resistance, a state of inertia, and does nothing. It tries to escape its responsibility instead of having the determination to learn by correction. It has been said that God helps those who help themselves. So the individual must do something in order to correct the undesired results and have the rewards hoped for.
052 そして、しばしば心は最小の抵抗、慣性状態をとり、何もしなくなります。心は修正によって学ぼうと決心する代わりにその責任を逃れようとします。しかし、神は自ら助ける者を助けると言われてきました。ですから、個人は不本意な結末を修正し、望んでいた報酬を得る為には何かを成さねばなりません。


【解説】
 本当は失敗こそ貴重な学びの機会なのかも知れません。私達は体験を通じて学ぶことが出来ますが、そういう意味でも、その失敗はそれまでの積み重ねが現象化した一例と見なすべきでしょう。私達はその失敗から学ばなければ次には更に大きな現象を誘引することになります。
 しかし、私達の心は、多くの場合、失敗の原因をわざわざ分析しようとはせず、他の要因に押し付けてしまいます。真の原因を究明し是正しようとはしないものです。本項にあるように従来通りの生活を続けたいと思いますし、場合によっては「対応不能」として全てを投げ出して、眠ってしまいます。よく精神医学では問題を抱える患者には睡眠薬を処方するようですが、このような心の傾向はパニック状態を回避する一種の自己防衛なのかも知れません。
 一方、こうした問題発生時に、心がどのような状態になるのかについて、私達は冷静に心を観察する必要があります。宇宙に流れる生命の法則を信頼し、謙虚に自らの過ちを分析し、改心の歩みを始める必要がある訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落051

051 In time it must retract these opinions if it is to have a pleasant existence. All of the troubles in the world have been so created. And when they become too great, people decide to place them in The Hands of God, which is the All Inclusive Consciousness that created all things with a purpose. Each person will hope that this Great Intelligence will correct the situation. But when the correction is shown in many cases, it is not accepted for it is not understood by the mind which made the mistake in the first place.
051 もし快適な存在を得るのであれば、いずれはこれらの意見を引っ込めなければなりません。世の中のトラブルの全てはそのようにして造り上げられて来ました。そして、それらトラブルが大きくなりすぎると、人々はそれらを万物をひとつの目的で創造した全てを包括する神の御手に委ねることを決意します。各個人はこの偉大な知性が状況を修正してくれることを望むのです。しかし、多くの場合、修正法が示されても、その修正案は受け入れられません。最初に過ちを犯した心によって理解されないからです。


【解説】
 「心一つに」という言葉は、心の中に浮かぶ様々な意見を先ずは謙虚に整え、自分達は創造物であるとの実感に立って、因なる存在からの指導的印象に従うことに一致団結するという意味なのだと思います。
 私達の惑星で日々起こっているいさかいは、皆、心の意見から創り出されていると、本項は指摘しています。自然界では弱肉強食や群れの統率者を巡る争いがあるものの、人間社会が巻き起こす各地の戦争や社会の争いは、もはや地球の寛容の度を越えているように思います。
 日本でも弁護士が急増しているように、民事においても争いごとが増えているように思います。
 しかし、こうした自己主張の傾向が強まり、社会の調和が薄れると、やがて自然は耐えかねて、身をよじるような変動を行うのではないでしょうか。かつてのアトランティスやムー大陸等、文明の凋落期に合わせて地球規模の変動が起こったとされています。
 私達は、自らの心を注意深く観察し、何処に問題があるかを日々学ぶ必要があります。幸い、まだ寛容の範囲内にあり、学習の機会がある中で、一人一人が心を鎮め、因からやって来る助言を待ち望む態度を貫くことの重要性を知って欲しいと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落050

050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは二心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、二心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。


【解説】
 自身の中でも意志がふらついていては、実行力はありようもないのです。「二心ある」者についてのイエスの教えは、本講座にとっては心の中の各感覚の意見の衝突として描かれています。つまりは、基本的な学習事項は2000年前と何一つ変わらないとも言えるでしょう。
 この間、私達は、何度かこれらの教えの深遠な要素を学ぶチャンスがあったのでしょうが、再び、この学習コースの中に復活することが出来たという訳です。
 一方、私達の心は何故、迷いがあるかについては、因なるもの、創造主や意識の存在等、目に見えず形を持たない存在に信頼を置いていないことが挙げられます。これは本文にあるように、私達の心自体が肉体の感覚という、より肉体(即ち結果)に近い要素である為、結果(現象)に親近感が強く、因に属する存在については、よほど学習しないと、認識できないことに由来するものと思います。
 その結果、その行動によってもたらされる結果が確認されない以上、リスクを伴う行動は起こしたくないのです。しかし、そのような状況では「二心」は生じるとしても、物事を実現させる創造力ある力は発揮できません。私達はこれら心による抵抗や心の中の葛藤、恐怖心を捨てて、因の指導に従った行動を積極的に起こすことによって、体験を増やし、その法則性を学ぶ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落049

049 The most predominant individual is sight. The next predominant one is hearing. Then taste and smell. You may say here, what about touch? The touch could be called a nerve impulse reaction which is not a sense, but it gives a sense reaction to the mind. As each sense acts independent of the others, oftimes one will disagree with the others. i.e. The sight may perceive a beautiful flower but the aroma is very unpleasant to the sense of smell and it rejects it. So the unity of mind is already divided. The same is true with the other senses, for one may like something and another dislike it. And while this is taking place, as it has for ages, pain and an unpleasant existence is the result.
049 その内、最も支配的な者は視覚です。次ぎに支配的なのは聴覚です。次に味覚と嗅覚になります。あなたはここで、触覚についてはどうしたのかと言うかも知れません。触覚は感覚ではなく、一つの神経パルスの反応と呼ばれるようなものですが、心には感覚のような反応を起こさせるのです。各々の感覚が他と独立して行動する為に、時として一つの感覚が他と意見を相違することが起ります。即ち、視覚は美しい花を認識するでしょうが、その臭いが嗅覚にとっては大変不快であれば、嗅覚はそれを拒絶します。ですから、心の一体性は既に分断されているのです。他の感覚についても同様です。何故なら、ある感覚が何かを好ましく思っても、もう一方がそれを嫌うかも知れないからです。そしてこのことが起っている間、その結果として何世代にわたって、苦痛と不快が存在して来たのです。


【解説】
 私達は各々自分の体験から、視覚が最大の力を持っていることは理解出来ます。文字や画像から情報を得たり、自分の進路を選択すること等、全て視覚が取り仕切っています。航空機や自動車の運転等、視覚が十分に備わっていなければ実現できないものも数多いものです。
 しかし一方では、私達はあまりに視覚に頼りすぎる生活を送っていることも確かです。外見を重視することや他人の視点を意識した行動、更には自分自身の生き方を本来、一感覚に過ぎない視覚に依存する結果になっています。
 元来、感覚は得た情報をありのままに伝えるだけの機能でしたが、いつしか感覚自体が十分な知識や経験もないまま、勝手に即断し、対象を裁く立場に自らを増長させて来たことに気付くことが重要です。
 感覚は本来、生きる上で生命力に仕える為の存在でしたが、今や人間の主人公になり、横暴さを示していることが問題なのです。先日も電車の中で若者の一団がワイワイと話をしていましたが、彼らの会話が何と薄っぺらで、たわいの無いものであるかに落胆したことがあります。私達が支配されている四感覚の実力と正体を見定める姿勢から取り組む必要がありそうです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落048

048 In order to better understand the action of the mind, let us consider it in four parts, like four different people.
048 心の活動をより良く理解する為には、それを4つのパーツ、丁度、4名の異なる人のように考えることにしましょう。


【解説】
 心が四つの構成、即ち視覚、聴覚、味覚、嗅覚の四感覚からなるとするのが、アダムスキー哲学の大きな特徴の一つです。本項ではそれを4人の異なる人物のように表現しています。つまりは各感覚自体が判断の意志を持つ存在としている訳です。
 この状況について、かつてこのように考えたことがありました。つまり、私達は部屋の中央に座って居て、外界に関心があるのですが、4つの窓を通してしか外界を知ることが出来ない状況です。しかも各小窓自身が外界の情報を各々勝手に解釈して中央の本人に伝える為、本人は混乱するという図式です。
 そもそも小窓から見える景色はその家を実際に取り囲む大自然に対してあまりにも限られた世界しか写しようが無いのですが、本人がその限界を自覚せず、ひたすら暗い部屋の中から、時々小窓から垣間見る景色に釘付けになっているというのかも知れません。 
 小窓に依存することなく、自我という囲いの壁を取り去れば、広大が風景が目の前に広がっていることが分かる中で、私達は固執した薄暗い暮らしを続けているのかも知れないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落047

047 Now we proceed to analyze the mind, which is made up of the senses. This sense mind is actually in the process of creation through its constant learning. It is like a sensitive plate which receives impressions from its observations of effects. And most of the time its conclusions are not in accord with natural law.
047 これからは、感覚から成り立っている心なるものを分析することにしましょう。この感覚の心は実際にはその絶えざる学習を通じて創造される過程にあります。それは結果の観察から印象を受ける感受性のある板のようなものです。そしてほとんどの場合、その出す結論は自然法則と調和していません。


【解説】
 具体的に心が肉体内の何処にあるかについても知りたいところではありますが、心の進化発展を目指す上からは、あくまでその運用手法において改良努力が為されなければなりません。それは自動車の各部の機能や能力についてある程度の知識は必要ですが、その車(肉体)の運用(運転)にあたっては、それらの細かい知識は当分の間、必要ではなく、外界との調和や運転技能が重要となることに似ています。
 心がどのような反応を示し、どのような特徴を持っているのかを肉体(車)を操作する立場として、把握しコントロールすることの方が遥かに重要です。
 本項では心を感受力を持った感光板と表現しています。外界を観察した結果、各感覚が発した印象が表現される機能を持った存在という訳です。通常、これらの現象は自動的に行われる為、それに対する心の反応(判断、裁き)も自動化されているように思います。そのような心の作用を先ずは、分析し、実態を掴むことから始める必要があるとしています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落046

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON TWO
The Mind and Its Component
046 In lesson number one we left you with the idea of driving a car in full conscious awareness of all of its parts.
生命の科学-学習コース
第2課
心とその構成要素
046 第1課ではすべての部品を完全に意識しながら自動車を運転しているという概念で話しを終えました。


【解説】
 第1課では、心と肉体と意識について凡その仕組みを学んで来ました。その中で私達は精緻な印象が実は大きな力を有し、現象世界の各原子・分子に作用する力を持っていることや、それら印象等、現象の背後にある創造的な力について、現象を観る際に表面的な現象と同時にそれら因の要素についても感じるようにすることの大切さを教えられました。
 この「生命の科学」講座は宇宙兄弟達から授けられたものとされており、その秘められた価値は、私達には十分把握出来てはいないように思われます。
 与えられた自然環境や肉体等、他惑星人と地球人との間には大きな違いはありません。まして肉体内部で働く生命力の仕組みなるものは全く同じだと考えます。それに対して、大きく異なるのが心の発達程度です。おそらく想像以上の大差があるでしょうし、私達は自分の心をどう発達させるかが、当面の課題なのです。その為には、先ず自らの心を知る必要があります。研究対象は常に私達とともにあり、遠く調査に出かける必要はありません。四六時中十二分に観察できる環境にある訳で、この「生命の科学」の学習環境に関する限り、私達に不足しているものは何一つありません。後は実施に移すだけの問題です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落045

045 Just reading this lesson will be of very little value but daily and momentary practice will bring results. When you have questions pertaining to any of the lessons you should write them down. And if you do not find the answer in the forth coming lessons after receiving three, you may send them to me.
045 ただ、この教科を読むだけでは何らの価値にもなりませんが、日々のそして刻々の実践が結果をもたらすことでしょう。この教科のどの部分についてであれ、疑問がある時は、それらを書きとめて下さい。そしてもし、3課を受取った後もあなたが次ぎに来る教科までに回答を見つけられなければ、それらの疑問を私に送って戴いても構いません。



【解説】
 本項で第1課が締めくくられる訳ですが、著者はそのまとめのポイントとして、日々の実践の必要性を揚げています。また、読むだけの学習では価値がないとも述べています。
 いつも思うことですが、とりわけ、日本においてはアダムスキー哲学は広く知られており、学習者の関心も高いのですが、私も含めとかく従来は頭で理解する、即ち、本の記述内容を記憶しているものの、実践には至っていないケースが多かったように思います。
 しかし、本項で指摘されているように、自分が理解した事柄を自ら試し、実行する中で経験を得ることが大切で、実践のない思想は進化の役に立ちません。
 また、本項では日々のmomentary(刻々)の実践が重要だとしており、印象を感受する姿勢として瞬間瞬間の対応が図れるような印象への鋭敏さと全面信頼の重要性を伝えています。
 これまでの経験からも、地球上では印象感受は実に微妙な感覚であり、それらを感受するには、心を鎮め、感受性を高めておく必要があります。これらは印象への訓練として有効だと考えます。物質世界を生み出す因の作用である印象の潜在力を日々探求することが本項で言う実践の一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落044

044 So the first thing a student of life should do is to cultivate the ever present awareness of Cause and Effect. Where not only the mind will see the form as it has in the past, but also it will permit the consciousness to reveal the invisible supporter of the form. It will be like driving a car with full awareness of all of its working parts which produces the power, that the sight does not see.
044 ですから、生命の学習者は原因と結果に関する不断の警戒感を養うことを最初にしなければなりません。心がこれまでそうであったように形を見る他に、意識が形有るものの目に見えない後ろだてを明かすことを容認させることです。それは自動車を視覚では見えないその動力をつくり出す作動部品の全てを完全に意識しながら運転することに似ています。


【解説】
 私達が努力すべき分野は多様ですが、それに共通する事項として心掛けるべきことを、本項で著者は明示しています。つまり、あらゆる行動において目に見える結果と同時に、その背後にある因の要素の活動に気付くことです。このポイントは心が落ち着いて印象に即応できるよう、心が印象に誠実である必要があります。
 やって来る印象に対して、それを印象とすら認識しないほど即時に自らの行動をそれに従わせることが重要で、心の介在を無くすことが良い結果を生むように思います。各自が日常の生活の中で心の状態をどのようにしたら、そのような結果を得ることになったかを、じっくり分析することも必要です。
 さて、文中にある自動車を運転する事例については、同様な例として、人体が当てはまるように思っています。肉体を制御して日々行動する私達は丁度、自分の車を運転することと似ています。自分の車(肉体)の中でどのような活動が起こっているかを熟知し、問題の有無を張り巡らされた神経ネットワークを駆使して把握しながら、無理の無い範囲内で人体を運用する中で、様々な体験を積むという、ドライブ旅行にも似ています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落043

043 It may take ages to do this, but through patience and determination a human can express this beauty in ever increasing fineness. And thus become The Christ in God's Kingdom.
043 このことを成すには年月を要するかも知れません。しかし、忍耐と決心を通じて、人間は永遠に高まる繊細さの中、この美しさを表現することができます。そして、このようにすれば、人間は神の王国におけるキリストになるのです。


【解説】
 実際には日々の精進と言うことは簡単ですが、実行は容易ではありません。知らず知らずの内に私達は習慣に流されていますし、まして困難にめげずに進歩する道を維持することを選ぶには、大いなる決心を必要とします。
 もちろん、上流には本項に記されているように各自のゴールがある訳ですが、丁度、堰を越えようとするアユの稚魚のように、何度も失敗を重ねながら、あきらめることなく努力を続ける中で、流れを遡ることが出来る訳です。上流に向かって泳ぐことを止めれば、流れと共に下流に流されてしまうことも明らかです。
 何度も試行錯誤する中で、体験を学び知恵を身に付けられる訳で、本講座のように特段の導師の居ない中では、私達は各々、自らの毎日の体験から少しずつ何かを学んで必要な知識を身に付けて行く必要があります。
 毎日の心の状態をどのようなものに保つと、どのような結果に結びついたか等、精神と物質との相関関係について得た体験を大切に記憶し、自らの知恵とすべきです。その蓄積によってのみ、私達は進化を遂げることになるのだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落042

042 The real beauty of man's finer abilities has become covered with moss and lost to his vision. For all that he can see is the moss which is a parasite that lives on the body of another form. This is equivalent to human habits that cover the real man. While the rolling rock may come up against many problems and rocks twice its size and endure pain while bumping against them and losing parts of itself, it keeps on rolling. And finally it is polished to a high degree and shows the colors and minerals of which it is made. And in some rocks beautiful designs are formed when the minerals by the law of affinity adhere to one another.
042 人間の繊細な能力に関する真の美しさは苔に被われ、見失われています。人が見ることができるもの全てはその肉体あるいはその他の形有るものにとりついて生きている寄生生物である苔なのです。これは真実の人間を被う人間の習慣に相当しています。転がる岩は多くの問題やその大きさの2倍もある岩に出くわして、衝突して痛みを堪え、自らの一部を失いながら、それは転がり続けます。そして、最後にはそれは高度に磨き抜かれ、それを造り上げている様々な色彩や鉱物を示すようになるのです。そして岩の中には鉱物が親和の法則によって互いにくっつきあうことにより美しい模様を形作られているのです。


【解説】
 本章037項から、人間をダイヤモンドの原石に例えて来ました。その原石を覆っているのが私達自身の習慣的想念であり、実際にはそれらは原石をも覆い隠すほど、はびこっているという訳です。
 これに対し、毎日行動を起こし、新たなる課題にチャレンジする中で、今まで自分を覆っていた汚れが次第に取り除かれ、その者が本来持つ美しさが現れるようになるとしています。
 しかし一方では、人間は生誕以来、身体は老化が進み、外見上の姿は次第に老けてしまうのは、所詮は未熟な中で生きている私達にとって、止むを得ないことです。そうした中で自分の原石を磨いて行くということについては、自身の内面の変化を意味しています。おそらくはこの内面の進化こそがその者の次なる人生に引き継がれる筈で、日々の精進とはそのような来世に備える意味があるのかと思っています。もちろん、磨く中では自身の環境もそれに応じて変化して来ますが、環境も肉体も所詮は「結果」の世界のものであり、もっと重要なのは目には見えない「原因」に属する領域での進化、次の人生に格段の影響をもたらす内面の進化であると考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落041

041 It has been said that a rolling stone gathers no moss. But moss used in reference to man's accumulation of things has deterred his growth in cosmic intelligence. But the rolling one becomes polished by striking problems or other rocks and thus the debris is removed.
041 転がる石には苔が付かないと言われています。しかし、人による物事の蓄積に関連して用いられる苔は人の宇宙的知性における成長を遅らせて来ました。しかし、転がる石は諸問題や他の石とぶつかることによって、不要なものが取り除かれるのです。


【解説】
 河口や海岸にある石は、いずれも丸みを帯び手に包むとその円満な形は温かみや安らぎを感じさせます。しかしこれらの石は最初からその形を成していた訳ではありません。はるか遠い昔、上流の岩が割れて生まれた時には形も鋭く、時には人を寄せ付けない鋭さがあったもの達だったことでしょう。
 それらが毎年の大雨や洪水などの試練の度に、流され様々なものにぶつかって身を削る体験をしたものと思われます。その結果、たどり着いた先が大洋の波に洗われ、ますます磨かれる環境に身を置くことになったという訳です。
 様々な行動を通じて体験を得た結果として、円熟した姿になり更には磨くことを止めない。その結果として石自体の美しさを表現する存在になったという訳です。
 一方で現状に留まり、行動を起こさなければ風化は進み、コケに覆われて石そのものの存在も危うくなり、石自身の内部にある美しい結晶は表に現れることなく終わってしまいます。
 私達がどちらの道を執るべきかは明らかだと著者は指摘しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落040

040 Our habits of thinking in relation to past and present teachings in all fields of life are the rough spots that must be removed. Some will be harder to remove than others, but determination of purpose will bring the desired results. Then will come the polishing or establishing of new habits which perhaps will not be easy or pleasant at first. But when all of this is accomplished the Glory of God will manifest through the form once known as man.
040 生命の全ての分野についての過去及び現代の教えに関連した私達の思考習慣は取り除かなければならない荒削りな汚点なのです。ある部分は他より取り除くのがより困難かも知れませんが、目標に向けた決意は望む結果をもたらすでしょう。その後、研摩即ち、最初は容易でも快適でもない新しい習慣が来ることになるのです。しかし、この全てが達成される時、神の栄光が人として知られる形有る者を通じて現われるでしょう。


【解説】
 太古の昔からこれまで私達は様々な教師から話を聞いて来ました。しかし、そのいずれに対しても正しい受け取り方は出来ず、誤った概念のまま自我の現世利益の対象として勝手に取り扱って来たのではないでしょうか。
 著者アダムスキー氏は度々、イエスの言葉を引用しますが、それはイエスも同じ主旨の発言をされていることを示している訳であり、いつの時代でも教えの本質は変わらないことを意味しています。
 これは、地球という問題惑星に派遣される教師に似ています。地球の文明の発達レベルに応じて適切な教師が派遣されているのかも知れませんが、肝心なのは教わる側の私達が、その教師の言葉に対してどれほど真剣に学ぼうとする態度を持っているかでもあります。
 仏教もしかりで、お坊様の唱える仏典の言葉をその意味には一顧もなく、只有り難く聞き流している姿が日常的であり、死者をともらう儀典の背景音楽に近い位置づけに近い存在と言えるほどです。
 今回、たまたま旅先で知ったトルコにおけるイスラム教の聖人、メブラーナ・ルーミ(1207-1273)の語った言葉を見ると、その内容は本書に通じる面も多く見られます。実は千年に1度かの割合で地球に教師が訪れ、繰り返し生命の科学について私達に教えを説いている一大プロジェクトがあるのかも知れません。
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