2012年02月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落039

039 A perfect diamond will reflect pure light from each facet that is cut upon it, and there can be no imperfections if the cosmic frequencies are to manifest in full.
039 完璧なダイヤモンドはカットされた一つ一つの面から純粋な光を反射するでしょうし、宇宙の諸振動が溢れるほどに現わされるなら、欠点などというものはあり得ない筈です。


【解説】
 ダイヤモンドが他の宝石と異なるのは自分自身には色を持たず、外から照らされる光をそのまま受ける中でキラキラと光輝く物体に自身を表現することです。著者が他の宝石ではなく、ダイヤモンドに例えた背景にはこのようないくつかの理由がある訳です。
 類似した教えは先日のトルコ旅行で巡り会ったメブラーナ・ルミーも述べているところです。人の中にある価値あるものを宝石に例える教えは時代を超えて伝えられて来たということです。
 "There is a soul in your soul, seek that soul; There is a jewel in your body, seek that jewel."(Mawlana Jalal Al-Din Al-Rumi His Life and His Path(2010年)より。
 オーソドックスなダイヤモンドのカット数は58(ブリリアントカットの場合)であり、その一つ一つがいわば人間の才能であるとすれば、輝く人物はそれほど多くの魅力と才気を発揮している存在と言えます。原石の状態から晴れて輝く存在になるまで、注意深く自らを磨く先に、私達は各自の目標を定めるべきと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落038

038 This is not a pleasant process for each removal, in most cases, will cause a pain of one kind or another. But the more pain he is able to endure -- the finer the stone will be.
038 これは多くの場合、心地よい過程ではありません。ひとつひとつの取り除き作業にあれやこれやの痛みをもたらすだろうからです。しかし、その者がより多く痛みに耐えられればそれだけ、よりすばらしい宝石になることでしょう。


【解説】
 自らの課題に関して様々な機会を捉えて克服努力を行うことが求められています。各自の人生はそうした道程を絶え間なく歩む中で自然と磨かれて行くことでしょう。
 一方、私達の自我(エゴ)は、変化・改革を好みません。今までの自己にしがみつき、自己保身のみを主張し、惰眠を好む怠けものです。私達が生きるこの世界は諸法則の下に動いており、入力(原因)に対して得られる出力(結果)が対応しています。これは物理や化学の分野のみならず、想念を含めたあらゆる分野に適用されます。良い原因と作れば、良い結果が得られ、誤りを放置すれば、それに呼応した結末を得るのみです。私達は一つ一つの体験から学ぶ努力を積み重ね、時には痛い思いをしながらも前進することが求められています。
 前項(037)の冒頭で、私達はダイヤモンドの原石だと表現されていましたが、こびりついた一つ一つの不要な部分を取り去り、本来の純粋(純真)な部分を輝かせる努力(精進)によって、私達一人一人は輝く存在に十分なり得ることを著者は伝えています。ただの路傍の石でなく、宝石の原石であることが重要で、磨けば誰もが必ず価値を置く宝石となるという訳です。

お知らせ

明日から撮影に出かける為、次回の更新は週明け火曜日になるものと思われます。ご承知置き下さい。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落037

037 You see we are like a diamond in the rough. When man first found the substance that turned out to be a diamond, he saw a rock through his physical sense of sight but something inside of him told him that this rock was different from others. It was his consciousness and not his mind that alerted him to the fact that if he would cut and polish it, it would be the most beautiful thing that he had ever seen. Radiating every color conceivable. But this result would require patience and a lot of hard work, even pain at times when cut by the sharp edges. Every man is a diamond in the rough and there are many rough edges that must be removed before he can see the purity of himself.
037 私達は未加工のダイヤモンドのような物です。人が後でダイヤモンドと判明する物を最初に発見した時、人は自分の肉体の視覚を通じては一つの岩を見たに過ぎないのですが、自分の内部の何かが彼にこの岩はその他とは違うと知らせたのです。彼にもしそれをカットとして磨けばありとあらゆる色彩を放ち、これまで見たことのないような最も美しいものになるという事実を警告したのは彼の意識であり、彼の心ではありません。しかし、このような結果に至るには忍耐と努力、更には鋭い刃先でカットされる時の痛みさえ必要とされることでしょう。すべての人間は未加工のダイヤモンドであり、自分自身の純粋さを見い出す為にはそれ以前に多くの粗い角を取り除かなければなりません。


【解説】
 著者は私達各々が素晴らしい才能を持ち、皆輝く存在となり得る十分な素材を持っていることを、ダイヤモンドの原石に例えて述べています。その本来の輝きを出す為に自分に付いた不要なものを取り除けば、光を受けた際にその光を美しく反射させることが出来るという訳です。身を削る努力がなければ、輝くものとはならないということでしょう。
 一方で、その原石は外見からでは他と見分けがつかないものであり、その違いを知るのは各々が持つ因の知覚力です。そのものの本質(中身)を知るのは目や耳の感覚ではなく、私達に本来備わっている意識的な知覚力としています。
 石は道の下に敷かれたり、建物の壁や床に貼り付けられたり、その使われ方は様々ですが、最も人々が価値をつけているのが宝石だという訳です。その代表物がダイヤモンドですが、私達一人一人がそれ程、貴重な存在であることを著者は記しているのです。なお、ダイヤモンドは光り輝く美しいものですが、重要なのは宝石自体は輝く機能はなく、外部からの光を受け、その光の美しさを表現する存在であるということでしょう。創造主の意図を身をもって表す故に美しい存在となる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落036

036 What is consciousness ? No one definitely knows except that it is a life force that is the creator of all forms. For without consciousness man would not be a living being. And in man the best way that we can describe it is -- a state of alertness. And a state of alertness is a state of feeling or awareness. In the animal it is known as instinct which does not have to depend upon sound. The language of consciousness is the language of the Creator that one feels when he becomes conscious of things not yet experienced. Jesus expressed it in these words -- Blessed are those who see and hear not yet believe. For they shall enter the Kingdom of Heaven. And the kingdom of heaven was used in reference to the realm of Cause, a sea of consciousness or everlasting life. For consciousness proceeds all manifestation.
036 意識とは何でしょう?誰一人、それが全ての形有るものの創造主である生命力であるということ以外、明確には知ってはいません。何故なら意識無くしては、人は生き物とはならないだろうからです。そして人間においてはそれを最も適切に表現するとすれば、それは警戒の状態ということができるでしょう。そして警戒の状態というのは印象もしくは気付きの状態です。動物においてはそれは音声に頼らない本能として知られています。意識の言語は未だ体験していない物事について意識的になる時に感じる創造主の言語なのです。イエスはそれをこのような言葉で表現しました。「見もせず、聞きもしないのに信ずる者は幸いなり。何故なら彼等は天の王国に入るだろうからである。」そしてこの天の王国とは因の領域、即ち意識の海、永続する生命について用いられたのでした。何故なら意識は全ての創造の現れに先立つからです。


【解説】
 おそらく「生命の科学」を学ぶ人の全員が、各々「意識」について何らかのイメージを持っておられることでしょう。その「意識」について、本項で著者は明確に解説しています。また、驚くべきことは、この「意識」については2000年以上も前にイエスからも同様な教えが与えられていたという訳です。
 即ち、私達が学ぶ「生命の科学」の本質は、宇宙普遍(不変)の真理法則であり、用いられる言語やその伝え手の個性により、表現方法は多少異なることがあっても、皆同一の法則について述べているのです。
 さて、その意識なるものは、ある種の状態を指すとしています。ここでは「警戒の状態」と解説されており、その状態が創造主から発せられる印象類を現実化する大きな力を発揮すると解釈されます。これは全くの現時点での私見ですが、そのような状態は印象を活性化する機能があり、各々の分子・原子が呼応して印象に沿った活動を進めて行くのではと考えています。
 つまりは、様々な事象が現実化する前には、必ずそれを促す作用が必要であり、その段階で状況をキャッチ出来れば未来は予見出来るということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落035

035 Faith is the foundation of all manifestations. And one without faith is like a ship without a rudder or captain. Once your mind has trust in faith, it will trust the instructions of consciousness, thus allowing the consciousness and mind to work as one. Then the consciousness of God which is the cause, and the sense mind of man which is the effect, have been united. And the biggest Mystery of Life has been dissolved.
035 信頼は全ての創造の現れの基礎です。そして信頼の無い者は舵や船長のいない船のようなものです。ひとたびあなたの心が創造主への信頼に委ねれば、心は意識の指導を信頼するようになり、その結果、意識と心が一体として働くようにさせることになります。そうすれば因である神の意識と結果である人間の感覚の心が一体となって結びつくのです。そして生命の最大の神秘が氷解することになるのです。


【解説】
 人間性として最も大事な要素が、このFaith、即ち創造主への信頼ではないかと私は考えます。能力や技量といったものは訓練次第で身に付く訳ですが、このFaith(信頼感)が無いと長い年月には進歩が出来ないように思うのです。実際には人生の間には波風にもさらされ、初期の自分の能力に頼っていると次第にエゴに支配され、次第に本来とは異なる方向に進んでしまうことも多いからです。
 その点、創造主へのFaith(信頼)の姿勢を絶えず心の中心に据えていれば、たとえどのような波乱が起きようと、また一時的に流されることがあっても、やがては本来の道に戻ることが出来ます。まさに羅針盤のような基本的姿勢が、意識への信頼、創造主への感謝なのです。
 本項ではFaith(信頼)が全創造物の基礎だと明示しています。どんな外乱があっても、落ち着いて自分本来の役目をまっとうしようとする自然界の生物達を見ると、彼らは信頼感において人間を遥かに越える段階を生きているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落034

034 Here you may say that you do not wish to follow blind faith. Yet to accomplish what you feel down deep within yourself that you can -- you must use it. For what is blind faith? When you were planning your house you were using blind faith for the house was not present as a finished structure of concrete and plaster. Whatever you do in your life is performed with blind faith, for you never know what the results will be in any act. Whether walking or riding or whatever you are doing you hope that all will be well, but you are never sure. In fact 99 % of our life depends upon blind faith. I leave the 1 % to past experiences, but even there you are not sure the results will be the same if repeated.
034 ここにおいてあなたは、盲目的な信頼に従がおうとは思わないと言うかも知れません。しかし、あなた自身の中の奥底であなたが出来ると感じていることを達成する為には、あなたはそれを用いなければなりません。何故なら、盲目的な信頼とは何でしょうか?あなたがあなたの家を計画している時、あなたは盲目的な信頼を用いています。その家はコンクリートとしっくいの仕上げられた構造物として存在していないからです。あなたが人生の中で何を成そうと、それは盲目的な信頼とともに成されます。あなたはいかなる行動においても結果がどのようになるかはわからないからです。歩いている、或いは乗り物に乗っている時、或いはどのようなことをしているにかかわりなく、あなたはすべてはうまく行くように願いますが、確信を得ることはありません。実際には、あなたの人生の99%は盲目的な信頼に頼っているのです。私は残りの1%を過去の体験に残していますが、それでさえ、あなたは仮に繰り替えしであったとしても結果が同じになるかどうかは確かではないのです。


【解説】
 本項ではいわゆるBlind Faith(盲目的な信頼)について解説しています。物質的なものでなく、現象界に属さないいわゆる「意識」に絶対的な信頼を寄せることが、どういうことかを述べている訳です。従来、ややもするとFaithを「信念」と訳出して来ましたが、日本語の「信念」の中には、「我武者羅に頑張る」とか「心の意志を強調する」ようなニュアンスが含まれており、違和感があります。本項で著者が言うのは、もっと静かで信頼感を寄せ、何らの不安も感じないような状態、いわば信仰心とも呼べるような状態を意味しているのです。
 さて、本文にあるように私達自身、実は日常的に盲目的な信頼感を活用しているところが重要です。つまりは改めて議論するまでもなく、私達は意識による指導を頼りに生きているという訳です。
 しかし、そのままでは進歩はありません。日常、私達は改めて結果の世界の背後にある生き生きとした因の領域を感じ取り、そこからもたらされる印象を自分の生活に役立てることが重要です。
 その為には、如何なる時も静かに印象を受容するよう心の状態を整え、その持つ意図をはっきり理解すること、またそれに従い応用した結果、得たものをはっきりと関係づけ、記憶することが大切です。どのような場合にどのような結果を得たかを記憶することによって、次なる機会にそれを応用することが可能になるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落033

033 This could be called the development of the mind in intelligence. There is really nothing that you do that does not have the consciousness behind it. Your mind may change and modify an impression either for good or bad results, depending upon the mind's intelligence or how well it accepts the instructions. To produce good results the mind must have total faith in consciousness and permit itself to be guided by it.
033 これは知性における心の発達と呼んでもよいでしょう。あなたが成すことで背後に意識の無いものはありません。あなたの心は、その心の知性に依存して、あるいは意識の示唆を如何に良く聞き入れるかによって、良い結果となるにせよ悪い結果になるにせよ、印象を変化させ或いは修正するかも知れません。しかし、良い結果をもたらす為には、心は意識に全信頼を持ち、自らが意識によって導かれることを良しとしなければなりません。


【解説】
 せっかく、意識からの印象が来ても心の理解力に問題があればそれは受けた印象を捻じ曲げてしまうことも多い訳で、いったい正しい印象とはどのように掴むのか等、印象を感じ取る訓練が必要です。その訓練が前項(032)で述べられた「創造的な仕事」を進める際の心の持ち方にあると本項で示唆されています。
 つまり、心が未経験の新しい取組みを行う時、心は意識からやって来る印象を頼りに進める他はありません。その際に心は印象との係り方を学ぶということです。
 もちろん、印象をどう取り扱うかは心次第であり、中には心が理解出来ないため放置したり、勝手な解釈を加えてしまうこともある訳です。しかし、その場合には良い結果は得られない訳ですから、心は次々に得る体験によって学び取ることが出来ることになります。
 いずれにしても、日常、私達の生活の中で最もいけないことは惰性であり、習慣的な生活です。それに対し新しいことに挑戦する中でこのような意識からの印象(アドバイス)を求める心の姿勢を保ち、なおかつその応用体験を持つことが私達の心の発達にとって大変大事だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落032

032 When the form is seen with the mind and the consciousness reveals the cause we then see the visible and invisible at the same time. i.e. If you start making a plan for a house by drawing it on paper, you are producing the first effect that comes to the mind by conscious impression. You are using the consciousness and the mind as one. The consciousness alerts the mind what the design is to be. After the plan is drawn you may make many changes due to the experience you have had with houses. Even then the consciousness will point out the improvements that can be made which were not present in the houses you have known.
032 形有るものが心で見られ、意識がその因を漏らす時、私達は目に見えるものと見えないものを同時に見ることになります。即ち、もしあなたが紙に図を描くことによって家を作る計画を立て始めるならば、あなたは意識の印象によって心にやってくる最初の結果を作り上げていることになります。あなたは意識と心を一つにして用いているからです。意識は心にデザインはどうあるべきかを注意します。計画が図面化された後、あなたは家について得たこれまでの経験に基づき多くの修正を行うかも知れません。しかしそれでも、意識はあなたがこれまで知っている家には存在しない改善点があることを指摘するでしょう。


【解説】
 画家がインスピレーションにより絵を描くのと同様、建築デザインにおいても創造的な作業になることを本項では、意識との関係において説明しています。
 家を新築する際の間取りその他を検討する場合、実際にはその「家」自体は結果物になっておらず、因の領域にある訳で、その段階では意識は心に対し印象を与え、心が経験したことのない設計上の改良点や全く新しい要素を提供するとしています。その背景にはデザイン作りの作業を担う心が全くの白紙の状態からイメージを作り上げる必要から、何か目に見えない存在からのインスピレーションを求める姿勢を持つことがある筈です。その受け入れ体制が心の側に出来ると、意識は積極的に心に印象を与えるということでしょう。
 その結果、心はそれら意識の声を聞きながら、得た情報を元に紙に家のデザインを書いて行く訳です。もちろん、デザインを仕上げる過程では、多くの試行錯誤がありますが、それも一つのデザインを紙に描いて見て(即ち、一つの結果を出して見て)、心がその結果の評価を行い、修正作業を進めるといった具合の作業になります。
 このように何か新たなものを作成する作業には、心と意識の共同作業が必要になる訳で、他の生きものには見られない、創造物の頂点に立つ人間ならではの機能だと言えるのです。そして重要なのは、心が意識の声、即ち印象を感受する為には、まず一切の障壁を捨てて、意識への受容的態度を貫く必要があることです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落031

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.
031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。


【解説】
 結果と因の両方を同時に観るように、本項は私達に命じています。その裏には、これまでのように目に見え、手に触れることが出来る結果物にしか相手にしないことはもちろん問題外なのですが、現実世界を無視してひたすら因の世界にのみ関心を向けることも誤りであることをも示唆していることがあります。
 しかし、当面は私達は因の領域を印象への感受性を高めることで感じ取り、日常生活に適用することで少しずつ能力を高めて行く必要がありそうです。通常、私達は形あるもの(結果物)を観る時、本当の姿をよく観察するというよりも、ろくに見ないまま自分の判断を下してしまいます。エゴによる長年の習慣から判断(裁き)をしてしまう訳です。これに対し、物を一瞥した際にそれを存在させている陰の生命力に気付くようにせよと本項はアドバイスしているのです。
 結果と同時に原因を観ることで、その対象物の真の姿が正しく理解されるようになることは間違いありません。「観音」ということがありますが、文字通りに解釈すれば「音」という目に見えない存在を「観る」ということになる訳で、これも従来に感覚を越えた知覚能力を意味する言葉なのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落030

030 In observing the effect of forms we do not see the liquids or life blood, which we call sap in the tree, which flows through it making it a living thing. Nor do we see the roots in the depths of the earth and the work that they do in drawing energy from the earth unto themselves. Nor do we hear the molecules that make the form speak to each other in guiding it to the fulfillment of its purpose. This could be called the cause behind the effect.
030 その形ある結果物を観察する時において、私達は木の中の樹液と呼ぶ液体、生命を支える血液を見ていません。しかし、それは木の中を流れてそれを生き物と成しているのです。私達はまた、地表深くある根を見ることもありませんし、根が木々に土壌からエネルギーを引き出す為に果す仕事を見ていません。また、私達はその形有るものを構成する分子が互いにその形あるものの目的を果すために導く中で、互いに話しをする声を聞くこともありません。これは結果の背後にある因と呼べるものでしょう。


【解説】
 前項(029)に引き続いて、樹木を例に因の領域についての具体例を解説しています。
 このように外見には現れない所で、そのものの本質的な活動が為されていることが重要な所です。
 また、同様に、他人から自分が見られる時、他人は私の表面の姿しか見ておらず、木々と同様、私自身の中を流れる血液や肉体の状況、更には現在の心境等、内側のものについてはほとんど知らないまま、外見だけで相手を判断していることになります。少なくても多少は自分自身については因なる部分は感じ取ることが出来ますが、他者についてはそのような感性が働いていないということでしょう。
 このような事柄を合理主義の米国社会の中で説くことについては、様々な抵抗があったものと思われます。アダムスキー氏に関する伝記類を見ると、1952年のコンタクト以前から氏は同様の教えを人々に伝える活動をしており、コンタクト以降はそれらの教えを宇宙兄弟達から支持、確証され、その内容を深める上での指導を受けたことが分かります。
 このような因への感性は、別名テレパシックな感知能力と呼ばれるものですが、地球でも人間以外の他の創造物は皆、身に付けているものと思われます。自然界に暮らす多くの生きものが来るべき季節や気象変化に対してたくみに備えるのも、こうした能力によるものでしょう。私達もこれらの能力を身に付ければ、もっと柔軟に生き抜くことが出来るものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落029

029 As an example we will use the form of a tree and analyze its purpose. As we observe the effect we find that its services are many, both as a living tree and the products that can be made from it. For many useful things are made from the wood of its trunk and it fertilizes the earth by dropping its leaves. But we do not see the energy or life force which eminates from it and without which we would not have the pure air which is found in virgin forests. For it transmutes monoxide gas to oxygen which is essential to life. And all plant life serves in this field.
029 例として、樹木を取り上げることとし、その目的を分析しましょう。私達がその結果を観察すると、私達は生きている樹木及びにそれから作られる製品共に木がもたらす便益は多種に及ぶことを発見します。何故なら、木材からは様々な有用な物が作られますし、その葉を落すことで土壌を肥沃にするからです。しかし、私達は樹木から発せられているエネルギー、生命力は見ていません。その生命力が無ければ、処女林に見られる純粋な空気は生じないでしょう。何故なら、樹木は一酸化炭素ガスを生命に必須である酸素に変えるからです。そして全ての植物生命体はこの分野で務めを果しているのです。


【解説】
 私達が気付かなければならない因の領域の世界とはどのようなものかを樹木を例に本項は解説しています。
 この場合、結果としての樹木は、木材であったり、腐葉土の形成や栄養豊かな種子を通じて森を豊かにし、動物達を養う存在である一方、目に見えないより根本的な機能としては光合成により生きもの全てに必要な酸素を提供するという大きな役割があり、その活動こそが因の領域に属するものだとしています。
 目に見え、手に触れることが出来、確認も容易な結果の世界に属するものを下支えしているのが因の領域の諸活動と言える訳です。私達は未だ十分にはこれらの因に属する諸活動について気付いてはおりませんが、早晩これらに気付くことで、大地の奥深く起こっている活動から上空かなたの宇宙で生じようとしている現象についても、やがては把握出来るものと思われます。
 その為には前項(028)にあったように、結果を最終的な結論とすることなく、現象界より遥かに精緻な因の生命活動に心を開くことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落028

028 So we must first -- condition the mind which is made up of the senses to not accept the effects as the ultimate answer as it has been doing. But patiently analyze the reason for the effect before coming to any conclusion. It should not make any difference whether it be a personal effect related to one's self, or another person or form of life.
028 ですから、私達は最初に、過去にやって来たように結果を最終的な答として受け入れることの無いよう、諸感覚から成り立っている心を調整しなければなりません。代わって、何らかの結論に到達する前にその結果に対する理由を忍耐強く分析することです。それには御自身の個人的な結果であろうと他の人の或いは他の生命体についてであろうと何ら違いは無いはずです。


【解説】
 もちろん、これまで私達は自ら誤った想念を長年発して来た訳ですから、身の回りに不本意な結果が満ち溢れてくるのは当然の結果です。従って私達はまず、不本意になってしまった自らの結果について、その原因から結果に至る経過を冷静に分析する必要がある訳です。
 また、本文にあるように、それらの結果はたまたま、そのような原因があったために対応して現実化したのであり、別の要因が生まれれば別の結果が現出することになります。つまりは得られた結果は不変のものでないと認識すべきだと筆者は語っています。
 このように私達の身の回りに生じる現象は、より奥の原因要素に呼応して現れていると常日頃、認識することが大切で、結果に一喜一憂すべきではない訳です。私達の周囲には自分自身の他にもその学習の教材となる数多くの事例があると本項は指摘しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落027

027 We can observe that life lends itself to all nature without divisions. And it seems that man's free will has separated him from his natural expression of life.
027 私達は生命は分け隔てなく自然全てに自らを貸し与えていることに気付きます。そして、人間の自由意思こそが人間を生命の自然な表現から分離させて来ているのです。


【解説】
 本文で言うように生命が分け隔て無く万物に等しく自らを貸し与えていることが大切なところです。逆に言えば、その実際を観る為に何か特別な努力は不要であり、身の回りのあらゆるものの中に生命が現れているということです。
 その生命の現れの中に私達が目指すべき生命の自然な表現を見ようとすることが大事だということでしょう。季節に応じて各々花をつける草木をはじめ、鳥や虫達の鳴く声は皆、活気ある生命を表現しています。これらの表現が何故万物の頂点に立つ人間だけが出来ないのでしょうか。
 過去の悔悟、未来への不安を持たぬその日暮らしの他の生きものには苦悩は分からないという人間も居るでしょう。しかし、それ以上に大切なことはこの生命に対する絶対的な信頼なのだと考えています。「野のユリ」の例えのように、圧倒的に他の生きものは因なる存在に信頼を寄せており、その恵みを素直に享受しているというところでしょう。そうする中で自らを通じて因なる生命を結果の世界に表現する経路としての役割を務め、その姿を創造主は良しとしているのかと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落026

026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。


【解説】
 このエゴに関して言えば、未だ私達自身、自分がエゴに支配されていることすら、十分には認識できていないようです。エゴによって支配されていることが分かるのは、何かに対して怒っている時、対象物を嫌悪している時、自分の尺度で相手を見下している時です。しかし、そのような場合以外にも、少しでも不安な要素があれば、心は動揺し、最悪の事態を想像しパニック状態に陥るのかも知れません。
 このような状況に対して、どのように対処すべきか、本項では直接的には記述しておりませんが、その文脈の中にはいくつかのヒントが含まれているように思います。
 その一つが「心」自体は結果物、即ち創造された側のものであり、そこには限界があることをまず認識せよという訳です。何らかの拠り所を心が求めたがる(「しるしを求めたがる」)結果、ますます不安定な袋小路に入り込むとう訳です。そういう意味でも目に見えるものを探すのではなく、目に見えないものを大切に取り扱うことが重要です。もちろん、印象、インスピレーションは裏切ることのない創造主からのメッセージである可能性大です。
 また、とかく「心」を喜ばせるものには要注意ということもあります。五感を楽しませるものが必ずしも有益ではなく、有害であることも多いのです。私達が自己を発達させる上では時に自我の羞恥心を克服する訓練も必要です。自分の誇りを捨てて、他者に奉仕する中で得られるものも多いように思われます。自らのエゴとどう対峙して行くか、各自の工夫が求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落025

025 First -- What is a human being ? As we see the body which is an effect, we observe that it is composed of flesh, bone and liquid. And not much different than most animal forms. But that which makes up the form is never seen with the physical sight as it is made of myriads of cells. Each cell is independent yet it blends with all of the others for the common good and maintenance of the form. Just as the three billion people of the earth make up the human family. But because they have not been taught the part which they may play in life, disorder results. This disorder is minor compared to the total order on earth. For if it were not so the planet earth would be in a chaotic state. So now we must try and learn
the cause of disorder.
025 第一に、人間とは何でしょう? 人体を見ると、それは一つの結果であり、私達はそれが肉と骨、そして体液から構成されていることに気付きます。そしてそれらは大部分の動物の身体と大差が無いことがわかります。しかし、身体を作り上げているものは肉眼では決して見ることは出来ません。なぜならそれは無数の細胞から出来ているからです。一つ一つの細胞は独立していますが、同時にその形有るもの共通の目的や維持の為、他の全てのものと融合しているのです。丁度、地球の30億人の人々が人類家族を作り上げているのと同様です。しかし、人々は生命において果すべき役割を教えられて来なかった為、混乱が生じています。それでもこの混乱は地球の秩序全体と比べれば小さいものです。何故ならもし、そうでなければ、この惑星は渾沌状態になっていることでしょう。ですから、今、私達は混乱の原因を学ぼうと努力しなければならないのです。


【解説】
 本項では人体の60兆個あるとされている細胞が人体を構成している一方で、各々の役割がきちんと指示されていない為、混乱が生じていることを指摘しています。また、この細胞と人体との関係は一人一人の人間と地球との関係とも類似しているとしています。
 まさに細胞の状況が人体に反映されるように、人間の状態が地球全体に反映しているという相互関係にあることをも示唆しているものと思われます。
 さて、人体について言えば、少なくても私達一人一人は各自の人体をどのような状態に保つかについては一任されており、責任を委ねられています。しかし、私達は自らの細胞群に対し、これまで優しくいたわり或いは人体全体としての調和を保つことの大切さを認識しては来なかった気がします。一部の認識器官でしかない、視覚や味覚の意見やこれまでの個我のプライドを守る為に、人体そのものを苦境に追いやってしまうことが多かったように思います。その結果、各細胞は自由活発な活動を抑制せざるを得ず、元気を失って行ったのです。それを老化と一般には呼んでいるのだと考えます。
 これに対して、子供は全てにおいて柔軟であり、適応力があります。細胞一つ一つの存在と人体とが一体化し、成長を目指している関係がそこにあるのではないかと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落024

024 So we will endeavor to understand the self by knowing the equipment we have to work with.
024 ですから、私達は私達が日々共に働かなくてはならない道具を知ることによって自分自身を理解するよう努力することにしましょう。


【解説】
 趣味の話になってしまいますが、先日、35mmと85mmの2本のレンズを購入してしまいました。いずれもN社のF1.4の大口径の高級レンズに相当します。そのレンズで試し撮りをして驚いたのは、いずれも肉眼と同様、あるいはそれ以上に鮮明に撮れているのではないかと思われる程の写りであり、改めて最近の光学機器の性能の良さを実感した次第です。
 このレンズやカメラボディーは人間の眼に相当します。今日のカメラはこのように優れた光学機器ですが、人体の眼と比べれば比較にならないほど、重くかさばるものに留まっています。同様に人体各部の機能は骨格から神経、筋肉、内臓にいたるまで、精緻に造られており、それらが一体となって全身を機能させている等、改めて考えると私達の考えも及ばない性能を発揮しています。
 その性能は、日頃の訓練や成長の過程で増強される等、私達は等しく人体機能の恩恵を受けています。本項ではそれら天与の贈り物を私達自身が未だ十分に把握していない点を指摘しているのです。日頃、私達は様々なマイナス要因や悪習慣から人体にダメージを与え続けており、ある程度の年齢を越えると人体の老朽化が進みます。こうした中、いち早く各自に与えられた知覚機能や肉体機能の素晴らしさを探求して、自らその内なる美しさを発現する経路となることが重要だという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落023

023 We find no two human being that are alike. For the different talents with which each is endowed makes the difference. But like the keys on a piano, when one learns the tone of each and strikes it accordingly a beautiful harmonious melody is the result. The opposite can be brought forth when not understood.
023 私達はそっくりな2人の人間を見つけることはありません。何故なら各々に授けられた異なる才能が相違を作り出しているからです。しかし、ピアノの鍵盤のように、人が各々の音色を学び、適切にそれを打ち鳴らせば、結果として調和のあるメロディーが生まれます。理解されなければ、その反対が引き起こされ得るでしょう。


【解説】
 人間一人一人の多様性に関するピアノの鍵盤の例えについて、以前は一人一人が一つの鍵盤と解釈していましたが、もう一つの見方として、人間に備わった様々な才能を各鍵盤に例えているという解釈もあります。自分自身がどのような才能、能力を有しているのか、とにかく鍵盤を叩いて音を出して見なければなりません。苦労なく良い音が出る鍵盤もあれば、綿密な調律をやり直さなければならない所もある筈です。曲を練習しながら、その都度不都合な箇所を見つけ出し、手直しを進める中で究極にはいずれの才能も等しく備わることになるものと思われます。
 また、このように各自が調和ある発達を遂げたとしても、各自はそれぞれ特徴があり、人類には多様性が備わっているものと思われます。何故そのような多様性が存在するかについて、分かりやすく言えば、「一人一人に異なる使命があり、異なる才能が授けられている」ということが出来ます。この相違は遺伝物質において、多くの類似点がある一方、相違点も存在することと同様です。
 環境を豊かにするのは多様性です。これら異なる存在、様々な才能の存在が創造物世界を豊かなものにしているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落022

022 The major purpose for man seems to be -- an unlimited Expression of Cosmic Intelligence -- as no other form seems to have that scope of ability. Yet to do this, every phase of creation must be understood. When Jesus instructed his followers to be "about the Father's business" he had reference to this way of life. And in order to do this one must study each manifestation from the lowest to the highest.
022 人間の主な目的は、宇宙英知の限り無い表現であるように思えます。他の形有るものがそのような能力の可能性を持つとは思えないからです。しかし、これを成す為には、創造のあらゆる段階が理解されねばなりません。イエスが弟子に「父の務め」にとりかかるようにと命じた際、彼はこのような生き方との関連で述べたのです。そして、これを成す為には、人は最低位から最高位に至るまでの各々の現れを学ばなければなりません。


【解説】
 本項で着目したいのは、私達人間は「宇宙英知の限りない表現」だとする中での「限りない」という言葉です。無限の可能性、多様性を私達が有していること、またそれを体現することが私達本来の目的であるということです。
 「表現者」とはどのようなことをイメージしているのでしょうか。その点について思い浮かぶのは、舞台役者の場合です。役者をここで言う私達自身とすれば、役者は台本(宇宙の計画)に則り、様々な役柄を演じます。この場合、舞台は地球、衣装は人体であり、演出家の指示は宇宙意識に相当すると言えます。役者にとって舞台や衣装等、この演劇に関する一切は無償で提供されますが、それらは役者の所有物ではありません。しかし、舞台の上では役者は自由にそれらを活用し、演目を盛り立てることが期待されています。
 演じられる内容は役者の表現能力が未熟であれば、せっかくの台本も台無しになる一方、優れた表現者になれれば、その演目は人々に感銘を与えることが出来ます。
 同様に私達は、創造主から各自、舞台や衣装が与えられており、日々の演目を通じて表現の幅を広げ、より高品位な行動が出来ることを期待されています。いずれにせよ、役者が居なければ舞台が始まらない訳で、私達は日々の舞台の上で少しずつであっても表現に磨きを掛ける精進を進めて行くことが期待されています。第1幕の次は第2幕の講演が待っているというものでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落021

021 There can be no question regarding the fact that we were born for a reason or purpose, and there could be many. If this were not true, there would be no need for human beings.
021 私達が何らかの理由或いは目的の為に生まれて来たという事実に関して何らの疑問はあり得ません。もしそれが真実でないとするなら、人類の必要性は無いことになるからです。


【解説】
 千葉県佐倉市に国立民族学博物館があります。そこを訪れると石器時代から現代までの人間の生活がどのようなものであったかが展示されています。私達人間、とりわけ日本人の暮らしがそこに再現されています。そこを訪れると人間の生活が時代とともに変化はしていますが、基本的な部分はいつの時代でも差は無いように思えます。
 同様に人間本来の存在目的は何かという本項の問いかけに対する答えは、実は今日まで変わるものではないのかも知れません。映画「2001年宇宙の旅」で表現されたように、宇宙の英知に接したことで猿人時代から今日の文明までたちどころに進化したように、私達の創造主は私達人間に期待するところが大なのではないでしょうか。
 もちろん、人間が居なければ惑星は人為的に環境が汚染されることなく、森羅万象、調和した大自然のまま四季を送る訳で、美しい自然が手付かずに存続することでしょう。
 しかし、そこに暮らすもの達は、その美しさを果たして実感し、美しいと愛でることが出来ているでしょうか。自然界の生き物は直接的に自然の指令に従いはしていても、その美しさを鑑賞する能力はないのかも知れないのです。創造主は自らの作品を他者にも喜んで見てもらいたいと思っていらっしゃるのかも知れません。そういう役割を人間に期待し、またその人間にも創造主を手本として自らを創造主の活動の発現経路として欲しいと望んでいるように思うのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落020

020 We of today have a greater responsibility for we have more to compete with and more temptations than those who lived in the earlier days. So a greater alertness and determination is required if we are to understand and fulfill the purpose for which we were born.
020 今日の私達はより大きな責任を有しています。私達には昔の時代より多くの競争があり、多くの誘惑があるからです。ですから、私達が生まれて来た目的を理解し成就するには、より大きな警戒状態と決意が必要とされるのです。


【解説】
 古来の生活の糧であった農業や漁猟においては、毎日の作業そのものが大自然の営みの中で行われていた訳で、本講座で学ぶべき生命の息吹の真っ只中での暮らしでありました。しかし、現代では物質的な生活環境は格段に良くなった代わりに、私達は人為的な環境の中に身を置いています。その結果、生活は楽になった反面、求道の道を歩もうとする者にとっては、より困難な状況になっています。エゴの歓心を満たさせる代償として金銭が収奪される仕組みが社会の隅々にまで張り巡らされています。
 あえてこれらの例を一つ一つ挙げることはしませんが、皆様ご自身が周囲を見渡せばいくらでも見つけることが出来る筈です。こうした中にあって、本講座を学ぶ皆様には是非とも本来の道を外れることのないよう、毎日の生活を大切に、また志は高く維持して戴きたいと願っています。
 かつてアダムスキー氏の著作を読み、グループに参加された多くの方々が居りますが、その後、その方達がその歩みを続けているかと言えば、必ずしもそうでないのが実情でしょう。様々な問題や個人の事情もあったものと思われますが、それらの困難を乗り越えて、共に歩んで行きたいものだと思っております。
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