2012年01月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落019

019 Even Jesus had to go through many unpleasant experiences and made a mistake when he drove the money changers from the Temple. For he taught, judge not. But when he realized his mistake he knelt in front of the Temple and asked his Father for forgiveness.
019 イエスでさえ多くの不快な体験を経なければなりませんでしたし、あの寺院から両替商を追い出した時は過ちを犯しました。何故なら、彼は裁くなと教えていたからです。しかし、過ちに気付いた時、彼はその寺院の正面にひざまずいて彼の父に許しを請うたのでした。



【解説】
 最も陥り易い過ちが他人を裁くことなのでしょう。本項はイエスでさえも過ちを犯したと告げています。何故、他者を裁き、決め付けること、ひいては相手に怒りの念を起こすことが大きな過ちかを考えてみましょう。実は私達自身、これまで無数の過ち、即ち贈り主にとってはひどい仕打ちを平気で行っていても、贈り主(創造主)からただの一言も不満の印象が発せられたことが無いのです。
 贈られた好意を無にしていても、飽くことなく私達には様々な恩典が惜しみなく与えられています。そのお蔭で、私達は命をつないでいるという訳です。その創造主さえ、長年無視され、裏切られた贈り主さえ、私達に一言の非難もない以上、私達が他者を批判する資格など無いのです。
 以前、読んだマザー・テレサの本の中に、マザーが戦争反対のデモに加わって呉れませんかと頼まれた時のことが書かれていました。その時、マザーは自分はそのデモに参加出来ないと告げています。戦争反対のデモではなく、平和を祈るデモなら参加しますという内容であったと記憶しています。私達は裁きに代わって、感謝や祈りを生活の中心に据える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落018

018 Remember every act is perfect - be it good or bad - as we classify it. For every action calls for a full coordination of your mind, body and consciousness. So you grow into perfection by action and experience.
018 あらゆる行動は私達の分類によるところの良くも悪くもそれ自身、完全であることを忘れないで下さい。何故なら、あらゆる行動はあなたの心と身体、そして意識の完全なる整合を必要とするからです。ですから、あなたは行動と体験によって完全なるものに成長を遂げるのです。



【解説】
 大事なのは行動だということです。行動しなければ体験を得ることはありません。単に考えあぐねているだけでは、行動の結果得られる新しい体験を通じて学ぶことも無い訳です。「宇宙哲学」では私達自身を機織り機の「ひ」(シャトル)のように例えられていました。次々にたて糸の間を通り過ぎる結果として、後から振り返れば美しい模様が布に織り込まれているといった具合です。
 また、「とにかくやって見る」という積極姿勢は大切なものだと考えます。行動に踏み出すことで、心の領域を離れ、全てを印象に従う行動様式に入ることになるからです。行動においても私達は自らを客観的に観察することが重要です。今、自分がどのような心境にあるかを記憶し、その心境に対応して得られた結果(体験)を分析することです。どのような心境の時、好ましい結果を得たかを覚えて置くということです。このような成功体験を数多く持つことで、その人は次第に逞しさを増し、この世の中にあっても力強く人生を歩むことになると思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落017

017 Do not be afraid of making a mistake. But when you are aware of making a mistake, correct it as soon as possible, for if you do not, it could be a block in your progress. But do not feel badly, for that could cause you to be too cautious. Remember at all times that mistakes are the result of wrong application through which we learn the right procedure. And experience is necessary for the expansion of knowledge.
017 過ちを為すことを恐れないで下さい。しかし、過ちを為したと気付いた時は、一刻も早くそれを正しなさい。何故なら、そうしないと、それはあなたの進歩の障害になるかも知れないからです。しかし、くよくよ思ってはいけません。あなたを余りにも用心深くさせることになるからです。いつも過ちは間違った応用の結果であり、それらを通じて私達は正しい手順を学ぶということを覚えていて下さい。そして体験は知識の拡張に無くてはならないのです。


【解説】
 本項では私達がしでかす過ちはただ法則の誤用なので、そこから過ちの原因を学び取って、次に生かせば良いと諭しています。もちろん、過ちは本人の責任であって、因の責任ではないのですが、決して相手を責めることなく、優しく教えていることに留意すべきでしょう。また、失敗そのものについての姿勢も学ぶところが多いように思います。つまり、過ちの結果の重大性には一瞥も与えず、深刻に考えずに、次なる機会で正しい行動をとるように教えています。
 言い換えれば失敗を恐れず、体験を大事にしながら、前進したら良いと説いている訳です。そこには創造主の優しいまなざしがあり、様々な体験を通じて、次第に目的地に近づく者達を見守る存在を感じさせます。
 人生の中では一見したところ本人の努力にも拘らず、一向に成果が現れない時期もあろうかと思います。それはこれまでの各自の歩んだ道程の違い、その他の条件が各自によって異なるからです。しかし、決して悲観的になることなく、気軽に構えて法則の応用の仕方、例えば日常保つ想念の選択や印象への警戒態度について少しずつの工夫を通じて、そこから得られる結果と突き合わせることで法則を学ぶことも出来る筈です。長い人生の中では過失を通じて何を学ぶかが最も重要なのだと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落016

016 This awareness will enable a faster growth of understanding when used in everything that is done. And when the full awareness comes it will seem at first that there are two of you. The mental acting and the consciousness directing.
016 この気付きこそが為される全てに用いられるならば、理解力においてこれまで以上の急速な成長をもたらすでしょう。そして完全な気付きに到達した時には、最初の内はあなたが二人いるように思えるでしょう。活動しようとする心と指示する意識の二つです。


【解説】
 いずれにしても、自分自身が極力、印象に従う姿勢を保つことで、次第に状況は良くなるという訳です。もちろん、私達は何か特別な利益を得ようとして意識の指導に頼るのではなく、言わば損得抜きで現実に対峙することが必要です。そうする中でも状況が必ず好転するのは宇宙空間に流れる意識の力なるものが宇宙全体を動かし生命を支えているからに他なりません。宇宙の中には自然界を統制する圧倒的なパワーが流れており、むしろそれに反抗すること自体、本来的に無理があるということでしょう。
 私達はただ、意識の力を応用すれば良く、自ら労苦の末に何かを作り出す必要はないという訳です。本文でも、意識に「気付くこと」を最大限の目標にしていることに注意する必要があります。何ら、自ら生み出す必要はなく、ただそのパワーの存在に気付き、それに同期するだけで良いとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落015

015 This will not be easy at first since we have been taught to study with our mind and seldom recognize the consciousness or cosmic impulse behind the thought.
015 これは最初は容易ではないでしょう。私達はこれまで心で研究するように教えられて来た一方、めったに意識すなわち、想念の背後にある宇宙的な衝動については認識して来なかったからです。


【解説】
 先ずは学習すること自体、怠惰である私達は思うようには進められないのですが、その学習も心によってもっぱら進められてきたという訳です。文字に書き留めながら、少しずつ論理を積み上げて行く、従来の心のやり方は結果を拠り所にしています。今日の文明はこのような知識の積み重ねと応用から成り立っているとも言えるでしょう。
 しかし、これから私達が新たなステージに昇るべく、取り組もうとしているのは、想念の奥にある宇宙的衝動に気付き、その勢いに従うことであるということが重要なのです。
 この宇宙的衝動のパワーの実態について私自身は明らかにすることは未だ出来ませんが、少なくても想念についてより鋭敏になることで、どのような状況で良い想念が生まれ、それらがどのような作用をもたらし、またその背後にどのようなものが存在しているか等、想念への関心を高めることが重要です。当然のことながら、そのような関心を持つと様々なアイデアも湧き起こるようになり、私達の日々の生活も豊かになることは確かです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落014

014 So this first lesson is the most important lesson of them all. One should learn through all of the lessons to follow that he is not studying effects alone but also causes, both at the same time. As you read and study the lessons from here on, make sure that you are using your mind and consciousness in full awareness of your study that you may see the effect and the cause behind the effect as a unit. Both are necessary to give us the things that we enjoy.
014 それゆえ、この最初の教科は全ての教科の中でも最も重要です。学習する者は以後に続く全ての教科を通じて自らが結果のみではなく、原因についても同時に研究しているということを学ぶべきです。あなたがこの教科を読み、研究する時は、あなたは御自身の心と意識をあなたの研究に全力で傾注して用いていることを確実にして下さい。そうすればあなたは結果と結果の背後の原因を一体として見ることができるようになるでしょう。原因と結果の両者ともが私達が享受する物事を私達に授ける為に必要なのです。


【解説】
 私自身、昔からこの「生命の科学」について読んではおりましたが、その取組姿勢は各年代で様々であったように思われます。いずれにせよ、第1課が最もとっつきにくいように思って来ました。
 通常、私達は自身の心の横暴さや抱える問題点等は自分のことなので、良く分かります。しかし、「生命の科学」では心とは別に意識の存在や意識の作用について学ぶことを求めています。従来、知覚出来ていない目に見えない要素に気付くことから、始めなければならない訳です。
 本講座から成果を得る為には、私達は著者が言うところの「意識」の存在について、各自の創意工夫をもって知る努力を始める必要があります。本文中にある"in full awareness"とは全身全霊をもってという意図があり、結果物と結果物の背景にある因について学ぶことを要請しています。
 この学習講座をどのような姿勢で参加するかは各自に委ねられていますが、成果は各自の取組み姿勢に応じたものになることは確かだと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落013

013 Consciousness speaks in silence, or impressions, which is the language of The Supreme Being know as God, while the mind speaks the language of effects, which is sound.
013 意識は沈黙のまま、即ち印象によって話し掛けます、それは神として知られる最高位の存在の言葉でもありますが、一方で心は結果の言葉、音声によって話し掛けます。


【解説】
 私達自身の内側にある言わば精神的要素である「心」と「意識」の両極について、各々の特徴が本項で述べられており、私達が通常支配されがちな心は「声」を話し、一方で意識は無音の「印象」を語るとしています。
 先ずは心についてですが、自分の心の能力を観察する時、実は心自体はあまり長い物語を考えられないことが分かります。つまり、何か物事を考えたり、考察をまとめる際には必ず文字に内容を記しながらでなければ、考えを進められないということです。更には互いに相対しての会話を通じて、何かのテーマを深めて行くということもあるでしょう。
 一方で、自然界の生命活動の全てと繋がっている「意識」なるものは、声に出して語ることはないという訳です。自らの身体の個々の細胞や大自然の様々な要素に生命の息吹を与える「意識」は、心には感知されないような精緻な印象によって、各々の創造物にその指示を与えているという訳です。
 よく「口では説明できない」と芸術家が語ることがありますが、言葉として表現できないある種の衝動こそが、個々の原子分子にも容易に伝わり、それらを揺り動かす原動力になるものと思われます。この衝動の存在と応用を理解できれば、私達は飛躍的に発展することになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落012

012 We must always remember through the entire course that the human mind or the senses have been depending upon effects, while the consciousness does not -- it produces the effects.
012 私達はこの全コースを通じて人間の心、諸感覚は結果に依存していること、一方、意識はそうではなく結果を作り出しているということを常に心に留めておく必要があります。


【解説】
 私達はもちろん、目に見え、手に触れることが出来る結果物については、その存在を認識することが出来ます。
 しかし、その一方で、形として現れることのない存在については、良く分かっていません。
 本項で言う心と意識はいわば、私達の内側にある両極の存在なのかも知れません。重要な点は意識が結果を作り出していると本文で述べられていることです。
 芸術の分野を例にとれば、私達は個々の作品(結果)については、多くの機会を得て学ぶことが出来、またそれらに価値を設定することさえ行っています。しかし、永続的にそれら作品を生み出す芸術家がそばに居ても、私達はその偉大な魂に何ら注目することなく、ひたすら彼の作品だけを愛でているということではないでしょうか。
 重要なのは、次々に作品を生み出そうとしている作家がどのような意図で作品を製作しているかなのですが、私達は作家を愛することなく、無関心で、ひたすら作品集めをしているのみです。
 このような創造的エネルギー体が各自の中に宿っていること、またそこから絶えることなく、創造的な波動が出ていることに気付くことが、私達の義務なのですが、そのようになれば私達の心は自然に創造的波動の指導に従うようになることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落011

011 This is the method that the planetarions or space people use in their development.
011 これこそが、惑星人達、スペースピープルが彼らの発達に用いている方法です。


【解説】
 本項からわかるように、地球人と他惑星人との大きな違いの一つに、「意識」についての認識の相違があるという訳です。
 元はといえば、肉体上の差異は、当面、健康であるか不健康であるかにあるかも知れませんが、こと「意識」に関する認識の違いは雲泥の差があるということでしょう。
 かく言う私自身、「意識」なるものの存在についてはっきり自覚している訳ではありません。一応のイメージとしては各自の内側にある自分という生命を維持している存在、その存在をアダムスキー氏は「意識Consciousness」と呼んだものと思われます。
 しかし、重要なのはその「意識」と表現された以上は、その存在は私達が日常的に「意識」と表現しているものとかなり類似した存在ではないかと考えられることです。自分で何かを”意識”する時、生じる心の動きの中に類似した存在が見られるのではないかと考えます。それをある想念の塊のようなものとすれば、それは自分自身に内在すると言っても、自由自在に自分の身体の内外、各自の関心の赴くまま自由に移動し、時間も空間も限界にはならないのかも知れません。
 こうした中で、より活発な想念がキャッチされ、自分の理解が拡がるということかも知れません。
 意識については、私自身明確に説明することは出来ませんが、各自各様、自分の手でその手がかりを掴むことが重要ではないかと考えています。まさに、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語:「子曰。朝聞道。夕死可矣。」)の心意気です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落010

010 So we not only are going to develop our minds with the help of consciousness, but also expand our conscious perception at the same time. And in this way we shall see the Creator face to face through the mind and the consciousness as they become one.
010 それゆえ、私達は意識の助けを受けて自らの心を発展させようとしているばかりでなく、同時に私達の意識的な知覚力を広げようとしているのです。そしてこのようにして、私達は一体となった心と意識を通して創造主を面と向って間近に見ることとなるのです。


【解説】
 創造物という結果の世界を学ぶと同時に私達はその創造の奥義、即ち形ない状態からその形を得るに至った中で作用した大いなる意図の存在について幅広く気付くようになる必要があります。
 私達の心はその日常的な暮らしの実態を見ても、他人に語れる程の価値はなく、好き嫌いや各種の欲望、そして怠惰を好むものです。唯一の救いはこれら心を自分自身の中にある意識と呼ばれる要素のアドバイスに従わせて、各自の体験学習を進めることにあります。
 また、一方で、その各自の意識も拡げる必要があるのだと本項は述べています。つまりは芸術、文化、自然等、様々な分野に触れること、或いは様々な事物を知ることが役立つものと考えます。同乗記には何ヶ月に一度、他惑星人は旅行をすると記されています。自分の目で各地を訪れることも意識を拡げ、創造主の意図の偉大さを学ぶことにつながるものと思われます。
 芭蕉も旅をしなかったら、それほど多くの名句を残せなかったのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落009

009 We must follow this same procedure of study in order to know nature and thus be able to free ourselves from the mysteries that have surrounded us and made us an entity separated from our creator. Then we shall come into an understanding of Cause and Effect. And our mental senses will perceive all forms and their purpose. And consciously we will understand the cause back of the manifestation.
009 私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要がありますし、そうすることによって私達を取り囲み、私達を創造主から分離した存在にしていた諸神秘から私達自身を解放することが出来るようになるのです。そうなれば私達は原因と結果の理解に到達することでしょう。私達の心の感覚は全ての形有るものとそれらの目的について気付くようになるでしょう。そして意識的に私達は出現の背後にある原因を理解することになるのです。


【解説】
 これまで記されていたように、丁度医師になろうとする場合のように、物事の分析と診断、更には全体との関わりを探求して行く中で私達は大きな成長を遂げるとしています。
 これは私達自身を学ぶ姿勢でもある訳です。ここで本文に記されている「神秘」について考えたいと思います。
 例えば「自分と他者との違いは何処から生まれるのか」「自分の想いがどのようにして相手に伝わるのか」「想念は何処から来るのか」「自分の起源は何処か」「自分の生命の終焉の時に何が起こるのか」「未来が予見できるとはどういうことか」「他の生物はどのようにして意思疎通を行っているのか」等々が思いつきます。これらの「神秘」がこの学習によって解明され、内容がよく理解できるということだと考えますし、そうなれば、楽しい「学び」でもあることが分かります。
 とかく「神秘」は浮ついた心の興味本位から取り扱われますが、解明に当っては、先ずそのテーマに真面目に取り組む必要があります。いつまでも神秘のままにしておきたいのは、自我(エゴ)の隠れた願望かも知れませんが、これらを冷静に観察し、因の領域にまで見通す洞察力を育成することが重要な点ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落008

008 Some doctors go deeper when studying the manifested form of man and observe him with his consciousness. Thus he perceives the invisible or cause back of the effect. In this way he learns the purpose of every artery, muscle and organ and how each is related to the whole form. Thus when one part is out of order he knows what to do.
008 医者によっては人体の具現化された姿を研究する際、深部まで探究し、自らの意識でその人体を観察します。そうすることで、彼はその結果をもたらす目に見えない、或いは背後にある原因を知覚するのです。このようにして、彼はあらゆる動脈、筋肉そして組織、また各々が如何に全体と関連しているかを学ぶのです。このことにより、身体の一部分が乱れた時に何をすべきかが分かるのです。


【解説】
 優れた医師が患者を観る時、自分の意識を用いて行う場合には、その病気の原因を特定することが出来ることも、本項では示されています。
 その場合、本文中の「自分の意識」という所が本項のポイントの一つです。つまりは外見上の症状はあくまで結果であり、その症状の真の原因はここだと直感させるには、どうしても意識の力を必要とする訳です。この意識なるものについて私自身、正確には理解できていませんが、自分の中にある本来的知性、想念波動や創造主からのメッセージを理解するもので、私達が日常、「意識」と表現される「感じ、感覚、覚醒状態」に似た感覚実態を指すものと思っています。その意識を患者の身体内部に染み込ませ、何処に問題があるのかを探すことを指しているように思います。
 生命の探求を医師になるための訓練を見なす時、本文にあるように医師が自分が専門とする身体部位の個別機能を学ぶだけでなく、各部の相互関係について学ぶように、私達は生命の探求についても相互関係の視点を持って行う必要があります。
 とかく私達の日常は、「おいしい・まずい」、「キレイ・キタナイ」等の2極で判断しがちですが、これらの表層的な裁きを避けて、意識や想念という精緻な面から、自分自身を教材として研究を進めることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落007

007 When one studies to become a doctor he does not study just a man's eyes or nose, but he studies every intricate part of the body. This includes every nerve, muscle, etc., and their purpose or function.
007 人が医者になるために学習している時、人の目や鼻のみを研究することはせず、肉体のあらゆる入り組んだ部分をも学びます。これにはあらゆる神経、筋肉等、及びそれらの目的や機能についても含まれます。


【解説】
 本項については、この「生命の科学」学習の最初に、何故、医師の話が掲載されているのか、考えて見る必要があると思います。想念や祈り、或いは行動のあり方といったテーマではなく、生物体、とりわけ人間についての問題を修復し更生させる職業人である医師になろうとする場合について、著者は敢えて意図を持って記述しているのではないでしょうか。
 生命の研究対象として何が最も相応しいかと言えば、私達人間であり、またそれも他人ではなく私達自身が最適の研究対象です。最も身近であり、物理手法では捉え切れない心の動きや意思の内容等、自分自身の反応を併せて研究できる等、生命を探求する上では格好の材料と言えるでしょう。
 私達はとかく日常をこれら探求とは関わりのない習慣的な暮らしを送っていますが、著者は「汝自身を知れ」の言葉があるように、医師のような冷静で科学的な分析思考で物質面、精神面ともに自分自身に起こっている様々な活動全体を研究せよと言っているように思えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落006

006 As stated, we cannot see Him as a person for he embraces all, and manifested creation is the Effect from His Cause Intelligence.
006 先に述べたように、私達は創造主を個人的人物のようには見ることは出来ません。何故なら、創造主が全てを包み込んでおり、創出された創造物は創造主の因なる知性から出た結果物である為です。


【解説】
 キリスト教や仏教は各々イエスや仏の像を有するのに対し、イスラム寺院では一切の像を展示することはありません。代わりにモスクにおいては多くの場合、アラビア文字等で創造主を称えるメッセージが美しい字体で掲げられています。
 イスラムについて知る者ではありませんが、より厳格に創造主に向き合う姿勢であるように思っています。祈りの殿堂であるモスク内部に入ると高い丸天井があり、トルコで見たブルーモスクではドーム一面に青を基調とした美しいタイル模様で装飾されており、何か整然とした「宇宙空間」を表しているような印象を持ちました。1日5回の礼拝の場として、イスラムの人の心の拠り所となっている訳です。
 一方で、本来は特別な祈りの場が無くても、各自の自覚次第で同様な心境で日常を送ることは出来る筈です。本文に記されているように、私自身も含め全てを直接、創造主が包み込んでいることを自覚することこそが重要です。原文にあるembraceという言葉には「母親が子供を抱きしめる」というイメージがあります。それを理解していないのは、自我(エゴ)だけなのです。私達がそのことに気付こう、自分を包み支えてくれている創造主に従おうとする気持を起こすことが、先ず最初の一歩ということでしょう。心臓の鼓動一つをとっても分かるように、創造主から発せされている生命エネルギーが一瞬一瞬、私達を支えているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落005

005 As we cannot see the Creator the God of the Cosmos in person, we then must study Him through His creation. And this manifests in what we refer to as nature, for it is the embodiment of His Supreme Intelligence.
005 私達は創造主、宇宙の神を個人的人物として見ることはできない以上、私達は創造物を通じて創造主を研究する必要があります。そしてこの創造物は私達が自然と呼ぶものの中に現れているのです。何故なら自然こそが創造主の最高英知の体現であるからです。


【解説】
 ギリシャやローマの時代、あるいはそれ以前の文明においては様々な名称を持つ神々が設定され、その神々の名が当時の神殿や街路に建立されました。古来から私達は創造主の存在を感じ取っていたと言うことが出来るかも知れません。しかし、このような偶像に囚われ、その像のみに私達の気持を込めることは果たして妥当と言えるでしょうか。この答えは是でもあり、否でもあるのです。
 つまりは初学者に創造主の偉大さ、優しさを伝えるには芸術家が描いた(或いは彫った)神の像が有効ですが、それが行き過ぎて本尊への寄進によって自分の罪が許されたり、その本尊のみが力を持つ存在とするのは誤りということでしょう。
 一方、これに対し、ことごとく偶像を排するイスラムの場合ですが、先日トルコに行った際の感想としては、私達仏教徒の日本人としては、何か今ひとつ物足らない感じがありました。全くの私見ですが、イスラム以前の各宗教が多くの偶像を拝していたこと、その弊害に対する反省の意図もあったのではないかと考えます。イスタンブールのアヤソフィアという今日ではモスク、以前はキリスト教寺院に残る壁画も国王がキリストにひざまずく等の壁画が描かれており、何か権威を主張するための宗教画であるように思えたからです。
 創造主への想いや感謝というものを向ける対象として、私達にとってはより人に近い創造主像を求めかちです。現に宇宙兄弟達も各宇宙船や家庭にそのような絵画が掲げられていると私達は聞いています。それは私達人間が創造主の似姿に造られていることにも根拠があるものと思います。
 とは言え、私達にとって真の意味で創造主を知る為に、本文では創造物を通じて創造主を探求せよと解説していることに注意したいものです。各自にとって自分自身も含め、身の回りの人間や草木から足元の小石に至るまでそれらがどのような構造、仕組みによって存在しているのか、あるいは長い年月の間にどのような分子原子が集まってそのような形あるものに集約したかについて、研究しながら、創造主の意図を学ぶ姿勢が重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落004

004 We, as his highest creation are intrusted with that responsibility. The study should be no different than a careful observation of a famous painting would be when the artist is not known in person. For the more that it is studied, the better one understands the mind responsible for the painting.
004 最高位の創造物である私達は、その責任を任されています。その研究は画家を個人的に知らない場合に著名な絵画を注意深く観察するのと違いはありません。研究が進むにつれて、人はその絵画を描いた本人の心をより深く理解することになるのです。


【解説】
 私達が創造物を通じて創造主を知ろうとする態度は、絵画作品を見てその画家を理解するのと似ていると著者は語っています。私達自身について言えば、自分自身を探求する中で、自分をこの世に生み出した根源の存在を知ることにもなる訳です。
 自然観察、あるいは社会情勢の分析等により、様々な物体や事象の理解を深める中で、私達は次第にその表面的な結果の背後にある原因や法則性に気付くようになるものと思われます。絵画の場合、具体的な結果物としては各々の絵の具の色とカンバスでしかありませんが、それらを組み合わせて描かれている全体像は風景であったり、人物描写である等、より深遠な内容があるという訳です。
 同様に私達が現象世界にあって、事物を観察する場合、私達はそれらが全体としてどのようなつながりを持っているか、あるいは何故、そのような状態になっているかの法則性等、背後にある創造の原理や製作者の意図を学ぶ必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落003

003 And in dealing with the religious or spiritual side, one should not be disturbed regardless of his faith. For the Creator whom we call God, created everything that is known and yet to be known. And to know the Father of all creation, one must study His creation and its purpose.
003 また、宗教や精神的な側面を取扱う際には、人は自身の信条がどのようなものであっても妨害を受けるべきではありません。何故なら、私達が神と呼ぶ創造主は、知られている、そして今後知られることとなるあらゆる物を創造したということ。そして、全ての創造物の父を知るために、人は父の創造物とその目的を研究しなければならないからです。


【解説】
 本項は私達日本人にとっては著者の意図した背景について十分理解できないかも知れません。西欧においては古来より、宗教戦争が数多く行われて来ました。古くはキリスト教への迫害の時代や十字軍とイスラムの戦い、近年においても中近東やアフガンでの争いは外見上、宗教上の争いとして説明されているところです。
 現代においても各々が信奉する宗教の違いによって互いに敵対的になったり、争いが深刻になれば殺し合いになる場合もあることは少し歴史を見れば明らかでしょう。
 こうした中、各自にとっての創造主を探求することに対して他人の妨害が有ってはならないと本項は指摘しています。もちろん、現代の私達も、各自それぞれの表現で自分の把握した創造主像を述べることがある訳で、それらは他人を強制するものであってはいけないことになります。各々が抱く創造主にイメージを互いに尊重し、互いにその優劣を争うよりは、各々の探求の道を歩むことを優先させる必要がある訳です。
 私達は同じ山を登っている訳で、どの道を選ぼうとも、頂上では必ず一緒になって、良い眺めを得るに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落002

002 When we speak of life, we mean in every phase of life's expression. In plain -we are going to explore life.

002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。


【解説】
 実は先日、機会があり、友人とトルコ旅行のツアーに参加しました。その中でコンヤというトルコ中部の文化都市で13世紀に活躍したメヴラーナ(正式な名前は「メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー」1207-1273)という以後、トルコの精神的な支えとなる思想家の足跡に触れることが出来ました。
 日本では旋舞(回る踊り)の宗教の創始者という何か神秘主義思想のように思われがちな人物ですが、現地トルコではメヴラーナは今もって多くの人々から敬愛されている方で、文字通り人々の心の神の愛、人の愛を蘇らせた人物です。イスラムについて日本ではその中身について知る機会は少なかったのですが、今回のトルコ旅行で、モスクの中にキリスト教時代の壁画やモザイク画が残っている等、イスラムの寛容さについて初めて知ることになりました。
 いずれ詳しくご紹介する機会もあると思いますが、その後日本で探し当てた本の中にメヴラーナを評したトルコの詩人クサクレクの言葉があり、本項に関連するため、一つご紹介しておきます。「私は思い知った。真の道とはすなわち神の探求である。これこそが真の技術であり、他は全て児戯に過ぎない」(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」丸善プラネット(株)、p.62(2006))
 同様に「生命の科学」においても最も大事なポイントは、私達被創造物の最大の義務は、私達に授けられた創造主からの贈り物をよく観賞し、その内容を学ぶことです。生命を与えられた者は、まずその本当の価値を知っておく必要があります。世に言うように自分の命を粗末にしたり、折角の自分の才能を埋もれさせるなど、もったいない行為は、このご自身の中の宝物に気付こうとしないことに原因がある訳です。
 私達、各自の中に潜んでいる才能や知識に気付くことは私達の義務でもある訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落001

SCIENCE OF LIFE - STUDY COUESE
FIRST LESSON
Analysis of Life - Awareness of Cause
001 This course on the science of life will get deeper as we proceed with the study.

生命の科学-学習コース
第1課
生命の分析-因への気付き
001この生命の科学コースは学習を進めるにつれて次第に深遠なものになるでしょう。


【解説】
 前回は2007年1月にこの「生命の科学」第1課を始めた訳ですから、あれから5年近くが経過しました。その間、「テレパシー」、「宇宙哲学」と学習を続け、今回再び「生命の科学」に戻って来たという訳です。
 再開するに当っては、私としては前回、遠い昔に述べたことを特に参照はせず、新たな気持ちで各章各段落に対峙したいと考えております。
 重要なのは、継続的な探求、即ち創造主への探求の道を歩むことだと様々な教師が伝えていることです。もちろん、その継続の中では時に過失を犯しながらも、本来人として望まれている方向に自身を訓練することで、次第に人間性も磨かれて行くものと思われます。
 よくある年齢以上になると、老化防止に健康維持に様々な努力、即ち若者の時代には不要であった努力を続ける傾向がありますが、本来、歩む道は退歩か進歩かのいずれかであり、こうした精進の道が全てのような気がしています。
 一方で「生命の科学」は一見、理路整然と記述されているようには思えませんし、そもそも「意識」という特別な言葉の概念が説明もなく出現する訳で、多くの読者はとまどうことも多いように思います。これら「生命の科学」の記述を理解する上でのポイントは「、本文中(第10課段落378)に記述のあったジグゾーパズルのたとえに記されているように思います。決して知識として記憶するための学習書ではなく、各自が心の底から理解した断片を大切に保持し、やがてそれらが多数組み合わさることで、自分自身で全体像が見えて来るようなこと、即ち「悟り」を目的としているように思います。
 従って、一度に全てを理解しようと思う必要はありません。一行一行読む中で自分で気付いたポイントを大切に書きとめ、次なる本文に取り組めば良いのかと思っております。
 本講座で学ぶ「生命」とは大宇宙に遍満する宇宙空間を母体とする生命エネルギーを指す訳で、それらが全宇宙空間で同じ源泉、同じ法則によって動かされていることを次々に実感して行く訳ですから、その学習は進めるにつれ、深遠なものとなることは容易にうなずけます。
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