2011年05月

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第10章-段落109

109 We know that all things in the manifested world are possessed of the positive and negative aspect. Faith is one of the positive aspects of man's character so what is the opposite of faith? Fear, of course! Therefore, to understand one we must understand the other; they are the two ends of one pole. Fear is the lower expression so let us begin with an analysis of it and work upward to faith.
109 私達は、創造されたこの世界の全ての物事は陽と陰の側面を有していることを知っています。信仰は人の性質の陽の側面の一つですが、それでは信仰の正反対は何でしょうか。もちろん、恐怖です。ですから、私達は一つを理解するには、もう一つも理解しなければなりません。それらは一本の棒の両端なのです。恐怖は低次な表現ですから、私達はその分析から始めて、信仰まで昇って行くことにしましょう。


【解説】
 古来から東洋には、「陰陽」という概念があるように、物事の性質はプラスとマイナスの要素として取り扱われると本項では述べられています。どのような光でもプリズムのように分解すれば、その振動数別にスペクトルとして表現されるように、各自の到達レベルも様々な段階として評価されるのかも知れません。
 この場合、重要なことは本項で言う陰陽とは、一つの棒の両端をその最たるものとしており、バラバラな要素としては捉えていない点です。不足している状態から、満ちている状態まで連続した状況を示している訳です。
 何事においても本来、上達して行く為には、何故上達出来ないか、その原因を理解することが大切で、その為には、自らの欠点を良く知ろうとすることが必要です。決して向上したいという気持だけでは効果が薄いということでしょう。私達自身、何処に問題があるのかを理解することも大切なのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第10章-段落108

10 FAITH
108 Faith is perhaps one of the most widely discussed topics in the world, yet it is the least understood. Teachers, ministers, psychologists, etc., all advise the development of faith and proclaim it as the basic quality of life but find difficulty in explaining this particular faculty.

第10章 信仰
108 信仰はおそらく世の中で最も広く議論された話題であり、また最も理解されていない話題でもあります。教師や聖職者、心理学者その他の人々は皆、信仰の発達を推奨し、それが生命の基本的な質であると宣言していますが、この特別な機能について説明することは難しいとしています。


【解説】
 前項107では、新しい分野、とりわけ因の領域への探求が推奨されました。その一歩を踏み出す際に必要なのが本章で言う「信仰」です。
 実はこの「Faith」という言葉の訳出には、従来からの「信念」とすべきかと迷うところもありました。しかし、以前にも何処かで述べた通り、日本語の「信念」には、「何か我武者羅に物事を確信する」という語感があることから、それを嫌って、本講座においては敢えて「信仰」という言葉を充てています。目に見えない創造主の存在を信じることに始まる静かなる信頼」をイメージ出来るからです。
 信仰的な信頼感は、一方で恐れを知らない安心しきった態度を示しており、それは加護を一身に受ける者が神を信じ切っていることに由来します。これは因の領域に作用して物事を実現する上で重要な要素ということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落107

107 Through our life on earth we have learned a great deal; how much more we shall learn as we venture into the realms of Cause. We shall know much more beauty than we have known in the world of effects. Our admittance to such knowledge is not difficult - just one step can prove itself the key that will unlock the chambers heretofore unknown to us. "There is nothing," we have been told, "that shall not be revealed." To the vision of the brave in heart no truth can be concealed. One single sacrifice - the releasement of old thought habits, may bring rewards far greater than you have ever dreamed
107 地球上における私達の生活を通じて、私達は多くを学んで来ました。私達が因の領域に足を踏み入れれば、更にどれほど多くを学ぶこととなるでしょう。私達の結果の世界で私達が知って来たよりも更に大きい写しさを知ることになるのです。このような知識に対する私達の入場の権利は難しいものではありません。ただ一歩の踏み込みが、私達にこれまで知られていなかった特別室を開けるカギであったことを明かします。「明かされないものはない」と私達は教えられて来ました。心の勇敢な者の視野には如何なる真理も隠されていることは出来ません。ただ一つの犠牲、古い思考習慣の解放は、貴方が夢見たこと以上に大きな報酬をもたらすことでしょう。


【解説】
 因の領域は現象世界より、はるかに美しいと解説しています。そしてその領域に入る為には、一歩を踏み込むだけの勇気でよいとしていることに注目したいものです。既存の4感覚では所詮、把握出来る範囲は限られますし、一度現象界に出たものは、時の流れの中で劣化は避けられないという訳です。
 これに対して、因の領域は常に新たな結果を生み出している訳ですから、そこには常に新鮮な生命の息吹が湧き出しているということでしょう。創造の源泉に触れない限り、永遠の生命について理解は出来ないということでしょう。森羅万象、静止するものは何一つとしてなく、一見静置しているように見える地表や地下深くの鉱物も、時折の地震で分かるように活動しており、何よりも地球自体が宇宙空間を高速度で滑空していることを考えれば、静置していると見ているのは限られた視野しか持たない立場の感覚人の幻想であることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落106

106 Remember that youth is the result of constantly renewed thoughts and life is activity - it is progress. The first step taken in any field of accomplishment is an initiation into a new endeavor and requires a certainty that is born of perception - an assurance of a vastness that lies beyond our present line of vision. Neither you or I know what each new step will bring but the journey must be made and only faith will reveal truth to us.
106 覚えておいて欲しいのは若さとは絶え間なく更新される想念の結果であり、生命とは活動であり、進歩であるということです。如何なる達成の分野でも踏み出された最初の一歩は新たな努力へのはじまりであり、私達の現在の視界の境界線の奥に横たわる広大さの知覚への確信を必要としています。貴方も私も新しいそれぞれの一歩が何をもたらすのか知るものではありませんが、その旅は為されなければならず、唯一、私達の信仰が私達に真理を明らかにすることでしょう。


【解説】
 若さを保ちたいというのは、人間の望みの最たるものでしょう。身体の老化を遅らせるにはどうすればと、中高年の多くが体力維持に努めています。古来から不老不死を求めて様々な探求が行われて来ましたが、果たしてどれほどの効果があったのか、疑問です。
 それに対して、本項では若さを保つ要因はその人が日常的に抱く想念が停滞することなく、絶え間なく変化、更新することだと述べています。つまり、習慣的想念とは正反対の状況なのですが、これは各自が新たな分野や物事への挑戦を行う際に最も良く発現するということでしょう。新しい分野に踏み出す時、その視界の先には広大な未知の世界が広がっていることを感じ取ることが大切だと言っているのです。
 日常、私達は安定した生活を望みますし、「こうすれば、こうなる」という決まり切った結果の世界に安住しがちです。しかし、それは心の惰性、習慣的指向から来るもので、本来は日々新たなる冒険こそ望ましいと言えるのです。「同乗記」には進歩した宇宙人達が広大な宇宙空間の旅行を楽しみ、千年以上も生きている長老が語るお話も紹介されていました。宇宙人達の若々しさは、このような想念活動の活発さにも裏打ちされているものと思われます。同じものを食べ、同じ環境に暮らしたとしても、その人が心に抱く想念活動の違いによって、発現する若さは大きく異なるものとなる訳です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落105

105 One step can set a man on the highway of eternal learning - the everlasting revelation of facts that exist only in the laboratory of Cause which knows no limitations or boundaries. But after you have taken the first step, learn the lesson of patience so you may not try to travel faster than your understanding will permit, One step will set you on the highway, but there are billions of steps ahead of you, for after you have reached a goal you still must travel through Eternity. Man can never attain the totality of all that is to be known, for if he could do that there would be an end to all things. Knowing that this is true, why be impatient to forge ahead? Each step we take is new; each step is the first one from the point that we have previously reached. It is well to have ideals; we are given glimpses now and then of the fullness of the life ahead of us so that we may be inspired to continue action, but if we keep our eyes totally upon the future we are sure to miss the beauty of the present and we may stumble into a briar patch and endure much suffering while trying to extricate ourselves.
105 一歩の踏み出しが人を永遠の学びという王道、制限も境も知らない因という実験室の中にのみ存在する事実の永続する現出の場に据えることが出来ます。しかし、貴方が第一歩を踏み出した後は、貴方は自分の理解が許すより速く旅しようとはしないよう、忍耐の教科を学ぶことです。踏み出す一歩は貴方を王道に乗せはしますが、貴方の前には何十億もの歩みがあるのです。何故なら、貴方が一つのゴールに到達した後も、貴方には永遠を通じてなお旅する必要があるからです。人間は知るべき全ての全体性を決して達成することは出来ません。何故なら、もしそれが出来たとすれば、あらゆるものに終わりがあることになるからです。このことが真実だと知ったからには、どうしてせっかちに先頭を切ろうと突進するのでしょうか。私達が毎回、踏み出す一歩は新しいものです。私達が時折、私達の将来にある満ち足りた生活を先立って見せてもらえることもありますが、もし私達が未来のみに全て着目していたとすれば、私達は間違いなく現在の美しさを見失い、イバラの小畑の中につまずいて、自分を救い出そうと、より手ひどい痛みに耐えることになるかも知れません。


【解説】
 思えば昔、初めて「実見記」や「同乗記」を読んだ時、そのあまりの美しさに感動し、一人夜庭に出て夜空を飽きずに見上げていたものです。アダムスキー氏との出会いはそれほど新鮮なものでしたが、それは今思うと素晴らしい未来への憧憬であって、そこに辿り着く為の道にしっかり乗った訳ではありませんでした。しかし、その体験感は今でも覚えており、私の人生もその辺から始まったように思います。
 あれから四十数年が経過し、私自身を巡る環境も大きく変化しました。この間を振り返ると、やはり継続して来て良かったと思う次第です。本シリーズをはじめ、アダムスキー氏の伝えた事柄は平易なものですが、頭で分かっていることと行動した上で体験から学んだ理解とは大きなレベルの差があるように思います。
 理解して身に付けたものは転生の後にも継続して運ばれるものだと思っていますが、使われることのない単なる知識はやがて忘れ去られるものです。そういう意味から、本項では一つ一つ理解し、実生活に応用しながら、各自の真の能力を高めて行くように述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落104

104 It is true that the step into the wholeness of life carries us into the unexplored but what would our existence be if we remained always in the world of the obvious? Delving into any subject takes us from stagnation to knowledge and progress. There is no need for any one remaining in the state of disintegration or static mental condition when everyone is privileged to step into the newness of things and study in the school of everlasting advancement. There is no place to which a man is bound; he may go forward freely whether it be in a world of acts or in the universe of facts. There is no standing still; one must go either up or down, and the upward step is always the proper one to take. All of the storehouses of earthly knowledge in which various manuscripts are treasured contain not even a beginning of the wisdom that is held within the storehouse of the cosmos.
104 生命の全体性への歩みは私達を未踏に運び入れますが、もし私達が明らかな世界にいつも留まっていたら、私達の存在意義は何なのでしょう。どんな課題でもそれを掘り下げることは、私達を停滞から知識と進歩に連れ行きます。誰もが物事の新しさへの一歩が与えられ、永続する前進の学校での学習が与えられているというのに、誰一人、崩壊或いは静止した精神状態に留まっている必要はありません。人が縛りつけられている必要のある場所は存在せず、人は行動の世界や事実の宇宙の中であれ、自由に前進することが出来るのです。静止しているものは何一つありません。人は上昇するか下降するかのいずれかであり、上向きの一歩は常に取るべき適切なものです。様々な原稿が収蔵されている地球上の知識の宝庫(訳注:図書館を指す)の全てでさえ、宇宙の宝庫の中に保存されている英知のはじまりさえも含んでいないのです。


【解説】
 私達がどう思おうと、私達が暮らす宇宙は、統合された生命が活発に活動する躍動感溢れる世界です。その中では何一つ静止するものはありません。役割を終えて静止するものは、直ちに分解し、新たな要素に取って代わります。その中では「死」のまま継続するものはありません。
 このように考える時、停滞というものは宇宙には存在しないことが分かります。当然、私達自身についても言えることで、向上心や探究心が薄ければ、退化や老化が起こることになります。いつも思うことは自然の中で観察して見ると、自然の中では皆、活発で生き生き暮らしているということです。各々の一生は短く、生存競争も激しい筈ですが、野原に出て、先ず弱弱しいものを見たことはありません。その理由の一つは弱いものは自然界では生きて行けないことや、寿命を終えたものは速やかに舞台から退場し、新しい存在に取って代わるということもあるでしょう。しかし、それに加えて、自然界の各構成員が季節の変化等の環境の変化に柔軟に対応し、調和の中、命がけで各自の生命の表現を行っていることに気付く必要があります。その活動を支えているのはが、本項で言う統合された生命と言うべきものです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落103

103 The thousands of scientific discoveries that have benefited humankind would be still in the realms of Cause if some few men had not had the faith to bridge the gap between the known and the unknown and had the courage to take the first step upon the bridge. The many things that we enjoy today may be laid to the credit of the few who were courageous enough to move forward into new realms of perception.
103 人類に恩恵をもたらした何千もの科学の発見は、もしわずかの人達が既知と未知との隙間に橋を掛けようとする信仰を持たず、その橋の上に第一歩を乗せる勇気を持たなかったとしたら、それらは依然として因の領域にあるままになっていたことでしょう。私達が今日享受している多くの物事は、新しい知覚の領域に進み出ようとする勇気を持った極少数の人達の貢献に帰すると言えるでしょう。


【解説】
 今日、私達の何気ない日常生活は、例えば100年前と比較しても大きく異なるものとなっている筈です。昔、夢見られた数多くのものが今では当たり前の生活用品として身の回りに溢れているからです。
 しかし、それらの日常も元々は科学者の発見が源であり、商品化に向けて様々な工夫をした技術者の成果である訳です。考えて見れば、このような先駆者達が新しい事実を掴んで応用することに熱意を持ち、試行錯誤の結果、今日の姿があるということでしょう。
 その際に、先人達が未知の事象に踏み出す際の心境、心持ちについて本項は述べています。限られた現象の観察から、その背後にある新しい真理を直感し、それを具体化するのが、発見だと考えます。その発見の過程において、その研究に携わる者がどれだけ真理に迫るか、また真理に迫る為には、与えられた真理の断片から、どのような全体像を認識するか等、これら重要な事柄は全てそれに携わる者に依存していることも確かです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落102

102 What would this country be today if the pioneers who set sail from lands across the sea had lost faith and courage and spent their days merely dreaming of the new land while their ships remained anchored in the ports of the old world?
102 もし大西洋を横断した大陸から帆を上げた先人達が、信仰と勇気を失い旧世界の港に錨を降ろしたまま、単に新大陸のことを夢見て彼らの時を過ごしていたとすれば、この国(訳注:米国)は今日どうなっていたことでしょう。


【解説】
 いつの時代にも次の時代を切り開くパイオニアの貢献がその後の発展をもたらすものです。文中にあるコロンブスの当時、大洋を小さな帆船で横断するのは大変危険でした。そもそも地球に果てがあるか疑わしい感覚の時代、パイオニアたる者、大いなる勇気を持った冒険家であった訳です。
 これに対してこの宇宙哲学の学習においても同様な状況にあると著者は言っていることに私達は着目しなければなりません。私達の先に待っている当面のゴールに至る上で、実は未知の新大陸を求めて出帆するのと同様の勇気と信仰が必要だということなのです。日々の生活一つにしても心で考えているのではなく、思い切って実施に移すことが大切であり、それには両足ともに新しいステップに乗ることが必要だということです。
 私がかつて、故エマ・マーチネリ女史からもらったアダムスキー氏の著作、Pioneers of Space(宇宙のパイオニア達)の本の奥付には氏のサインがあり、合わせて「Good Luck To You」(あなたに幸運を)と記されています。今までそれがどういう意図で記されていたのか分からないままでしたが、本項により、一歩を踏み出そうとする私達への声援として理解することが出来たように思います。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落101

101 It takes courage and faith to walk the road of progress; the doubter will remain forever in the same old rut. He may turn his vision towards greater knowledge but it will remain forever a dream of mystery unless he releases himself from the spot upon which he stands and takes one step forward.
101 進歩の道を歩むには勇気と信仰を必要とします。疑う者は永久にその同じ古いわだちの中に留まります。その者はより大いなる知識の方向に自分の視野を向けるかも知れませんが、自分が立つその場所から自身を解放し、一歩を前に踏み出さない限りは、永遠に夢の中に留まることでしょう。


【解説】
 習慣を抜け切るには勇気と信仰が必要だということです。わずかな一歩ですが、それを踏み出す、即ち行動に移すためには抵抗もある訳です。例えば、「〇〇をやらなければならない」ことは分かっていても、それを実行するのに何年も先延ばしにして来たこと、その内にはそのやるべき内容も忘れてしまうことも有りえます。私達は習慣の中に居心地の良さを感じるからであり、私達の自我の本性が怠け者であることがその主要な原因です。
 もう一つの要因は、行動した結果がどうなるか見えないということがあります。従来、経験の無いこと、新しいことはどのような結果になるか、とかく私達は不安視します。その為、実績があり、結果が想定できる前例に走りがちということでしょう。
 これらに対し、新しい分野に飛び込むためには、未知なるものに対する勇気と信仰が必要だという訳です。この場合、「信仰」とは原文では「faith」であり、信頼或いは信念とも訳される概念です。創造主への信頼ということかと思います。自身の進歩を目指す作業の中で学んだこと、少なくとも心が理解したわずかなステップも、それが完全に行動として実践する中では新たな体験が生まれます。その体験が次ぎのステップに移行する原動力になることでしょう。その為には、進む一歩こそ体験に裏付けられたものとして大切に取り扱われなくてはなりません。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落100

100 In these days of restless activity and innumerable new discoveries, in the babble of uncounted creeds claiming space contacts and guidance, and in the uncertain whirl of diversified circumstances it is well to contemplate this bit of wisdom and stabilize oneself in the thought that action begins with one single step. That regardless of how far or how near the goal may be there can be only one step taken at a time. It is the first stride forward or backward that will carry a man in that direction. This is true of every act of our daily lives and is just as true in our start to live a unified life. It takes but one step at a time to lift us out of the rut of the old habits and start us on the highway of the new, but that step must be complete; we cannot put one foot forward and keep the other in the rut, for in such cases we will have made no progress. That is what many people are doing in their effort towards moving into the newness of cosmic life - trying to go forward into the vastness of Cause while clinging to the limited sense conceptions of traditional belief and opinions.
100 今日の落ち着きのない活動と無数の新しい発見の時代、宇宙人とのコンタクトや導きを得たと主張する無数の信条のたわごとや様々な状況下におけるはっきりしない渦の中にあっては、この知識の小片をじっくり考え、行動は一歩から始まるというその考えの中で自分を安定化することは良いことです。ゴールが如何に遠いか、あるいは近いかに係らず、一時に一歩しか進むことはできません。前進であれ後退であれ、その方向に人を運ぶのは最初のひとまたぎです。これは私達の日常生活のあらゆる行為についても言えることで、統合された生命を生きる上で私達がスタートする上でも同じことです。古い習慣のわだちから私達を引き上げ、新たな王道で私達をスタートさせる為に一時にただ一歩が必要なだけですが、その一歩は完全でなければなりません。私達は一方の足を前に、他方をわだちの中に置いたままにしておくことは出来ません。そのような場合、私達は進歩することはありません。それは多くの人達が宇宙的生活の新鮮さの中に移行しようと努力している中で行っていることでもあるのです。因の広大さの中に行こうとする一方で、伝統的な信念や意見という限定された感覚の概念にしがみついているのです。


【解説】
 イエスの言葉の中にも「二心があってはだめだ」という表現があったとされていたことを思い出しました。迷いを打ち払い、心が一つになった状況を本項ではunified life(統合された生命)としているのです。これに対し、一方では進化の道を目指している中で、旧来の習慣を捨てがたい状況では真の進歩はないとしている点に注意が必要です。
 また一方で、進歩を獲得する為には一度で一段の進歩でよいとも言っています。階段と同様、当初の本人が理解でき、実行できる範囲内で一歩だけ前進させることです。その完全な移行が出来れば、次にそこでも新たな課題を発見し、取り組めば良い訳です。如何に道が遠くとも、進歩を続ける限り時間は十分にあるという訳です。この場合、一挙に高い位置まで無理して飛ぼうとすべきではありません。各自の理解する範囲、納得できる範囲内で移行すればよく、他の者の意見に頼ることは禁物です。
 不安が広がる世界にあって、内外ともに多くの宗教家が生まれていることも確かですが、これらの多くは人々の不安視する想念の影響を受けたものも少なからず存在します。真の宇宙の因から発する印象を正しく感知することは容易ではありません。先ずはご自身で印象を感受して、それが正しい内容であることを確かめながら、一歩一歩進むことが賢明です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落100

100 In these days of restless activity and innumerable new discoveries, in the babble of uncounted creeds claiming space contacts and guidance, and in the uncertain whirl of diversified circumstances it is well to contemplate this bit of wisdom and stabilize oneself in the thought that action begins with one single step. That regardless of how far or how near the goal may be there can be only one step taken at a time. It is the first stride forward or backward that will carry a man in that direction. This is true of every act of our daily lives and is just as true in our start to live a unified life. It takes but one step at a time to lift us out of the rut of the old habits and start us on the highway of the new, but that step must be complete; we cannot put one foot forward and keep the other in the rut, for in such cases we will have made no progress. That is what many people are doing in their effort towards moving into the newness of cosmic life - trying to go forward into the vastness of Cause while clinging to the limited sense conceptions of traditional belief and opinions.
100 今日の落ち着きのない活動と無数の新しい発見の時代、宇宙人とのコンタクトや導きを得たと主張する無数の信条のたわごとや様々な状況下におけるはっきりしない渦の中にあっては、この知識の小片をじっくり考え、行動は一歩から始まるというその考えの中で自分を安定化することは良いことです。ゴールが如何に遠いか、あるいは近いかに係らず、一時に一歩しか進むことはできません。前進であれ後退であれ、その方向に人を運ぶのは最初のひとまたぎです。これは私達の日常生活のあらゆる行為についても言えることで、統合された生命を生きる上で私達がスタートする上でも同じことです。古い習慣のわだちから私達を引き上げ、新たな王道で私達をスタートさせる為に一時にただ一歩が必要なだけですが、その一歩は完全でなければなりません。私達は一方の足を前に、他方をわだちの中に置いたままにしておくことは出来ません。そのような場合、私達は進歩することはありません。それは多くの人達が宇宙的生活の新鮮さの中に移行しようと努力している中で行っていることでもあるのです。因の広大さの中に行こうとする一方で、伝統的な信念や意見という限定された感覚の概念にしがみついているのです。


【解説】
 イエスの言葉の中にも「二心があってはだめだ」という表現があったとされていたことを思い出しました。迷いを打ち払い、心が一つになった状況を本項ではunified life(統合された生命)としているのです。これに対し、一方では進化の道を目指している中で、旧来の習慣を捨てがたい状況では真の進歩はないとしている点に注意が必要です。
 また一方で、進歩を獲得する為には一度で一段の進歩でよいとも言っています。階段と同様、当初の本人が理解でき、実行できる範囲内で一歩だけ前進させることです。その完全な移行が出来れば、次にそこでも新たな課題を発見し、取り組めば良い訳です。如何に道が遠くとも、進歩を続ける限り時間は十分にあるという訳です。この場合、一挙に高い位置まで無理して飛ぼうとすべきではありません。各自の理解する範囲、納得できる範囲内で移行すればよく、他の者の意見に頼ることは禁物です。
 不安が広がる世界にあって、内外ともに多くの宗教家が生まれていることも確かですが、これらの多くは人々の不安視する想念の影響を受けたものも少なからず存在します。真の宇宙の因から発する印象を正しく感知することは容易ではありません。先ずはご自身で印象を感受して、それが正しい内容であることを確かめながら、一歩一歩進むことが賢明です。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第9章-段落099

9. THE HIGHWAY OF PROGRESS
099 The sages of the Orient left to posterity many words of wisdom that might well act as guide posts along the way of life. Among the Chinese proverbs is one statement to the effect that "a journey of many miles begins with one step."

第9章 進歩の王道
099 東洋の賢人達は子孫に人生を歩む中で、案内標識としてよく機能する多くの知恵の言葉を残しました。中国のことわざの中に「何マイルもの旅も一歩から始まる」(訳注:「千里の道も一歩から」)という意味の言葉があります。


【解説】
 山道で道が分かれ、どちらが目的地に通じるか迷いそうな場所に、先人達が建てているのが道しるべです。本項で著者が例示しているのも、そうした案内標識をイメージしています。つまり、人が道に迷った時、正しい方向を指し示すのが、これら先人の知恵という訳です。
 宇宙哲学の学習においても、他の物事と同じく私達にとっては途方も無い遠いゴールを目指した道程です。最初は勢い良く進んで行っても、途中に起こる様々な出来事で時にはわき道に入り込んでしまうことも多いものです。しかし、このような時、あせらず本来の方向に向き合い続けていればいつか光も見えて来るものです。私達は長い旅を続けている訳で、当面、毎日毎日、目の前の一歩が正しければとりあえず、本日の仕事は良しとすべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落098

098 Science has now proven that the so-called fifth sense should not be classed with the other four.
098 科学は今や、いわゆる第5番目の感覚は他の4感覚と同類に見なすべきではないことを証明しているのです。


【解説】
 私達にとっての当面の課題は、この4感覚を監視し、それらを因や他の諸々の要素と調和させることにあります。著者は何故、このように「4感覚」に注目を集めようとしているのでしょうか。それは所詮、人間と外界との交流は自我というべき「家」にある4つの窓を通じてなされると考えられるからです。その4つの窓が曇りなく、また自身の好き嫌いの判断を加えることなく、ありのままの情報を主(自我)に伝えることが当面の目標です。
 人が長年生きた中では、必ずしも感覚の統制だけでは十分と言えないでしょうが、人間が生まれ変わって赤子として新しい人生を歩む時、心が未発達であれば、記憶を運ぶことが出来ず、まっさらな状態からスタートする訳で、その場合は想念を直接感受するよりもこれら4感覚を通じてほとんどの情報を得ることになり、その取扱いが重要となる訳です。私達が他惑星人のようなレベルに達するまでは、もっぱら既存感覚の統制を行う必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落097

097 In a television program called "Frontiers of Mind," the Bell Telephone Company presented an excellent scientific demonstration of what touch is and how it reacts to electrical impulses. It showed that touch is not a sense organ but acts as a telegraphic system via the nerves to the brain. It registers that which it contacts and relays that reaction as electrical impulses through the nervous system of the body. Touch is inseparable with feeling, for feeling gives sensation to the nerves.
097 「心の最前線」と呼ばれるテレビ番組の中で、ベル電話会社は感触が何であるか、またそれが電気パルスに対し、どのように反応するかを示す優れた科学実験を提供しました。その番組は感触は感覚器官ではなく、神経を経由して頭脳に通じる電信システムとして機能していることを示しました。それは触れるものを記録し、肉体の神経を通じて電気信号としてその反応を伝達しています。感触は触覚と分けることは出来ません。触覚は神経に感情を与えるからです。


【解説】
 触覚は身体中に分布する神経ネットワークを通じて、信号を頭脳に伝える機能を含んでいることは先に述べたところです。触覚こそが各細胞を人体という一つの機能体にとりまとめ、全体としての機能を果たす上で現在の私達が知っている以上の役割を果たしているのかも知れません。
 また、触覚が他の4感覚も含め全体の感覚を支えているということは、触覚が痛い、痒いの反応のみならず、目や耳の反応、即ち映像や音声の信号を伝える機能を有していることになる訳です。そういう意味では想念印象についてもその伝達に大きな役割を果たしているのかも知れません。私達はこれまで自分の目や耳を中心に生活して来ましたが、これからは印象中心の生活を送ることが求められており、その際にはご自身の触覚を頼りに生きていくことになります。日本語の「神経」という表現、「神に通じる経路」をイメージしたとすれば、実に的確な表現であることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落096

096 When that feeling is no longer playing upon the senses they lie inert like the muted strings of the violin after the consciousness of the musician is withdrawn to another channel of service.
096 諸感覚に対して触覚が作用しなくなると、諸感覚は演奏家の意識が別の奉仕の経路に引き上げられた後にそのバイオリンの沈黙した各弦のように不活発になったままになります。


【解説】
 アダムスキー氏の言う"Consciousness"は日本語では「意識」という概念が相当するとされて来ました。この意識という言葉について、日本語では、生き死にの境の重要な要素として「意識があるか否か」として、あるいは「自意識過剰」や「意識的に」という具合に用いられて来ました。よく言われるのは、例えばジムのトレーニング等では、コーチは鍛えたい身体の特定部位を「意識して」トレーニングを行うことを奨めています。
 また、この「意識する」という点については、自分の気持あるいは関心の集中物のようなイメージもあるのではないかと考えます。そういう意味では、意識は自分の自由に動かせますし、距離に関係なく自分が思った瞬間に移動させることが出来ます。この意識については、自分の身体については触角の要素を媒介としているものと思われますが、身体外の空間についても、その移動範囲を広げることが出来るものと考えています。
 とかく私達は言葉に引きずられますが、大事な点は著者がどのようなイメージとして、その言葉を用いたかを理解することです。演奏家が楽器を手にとって具体的にその持つ知性を動員して演奏すれば、楽器はそれまでとは異なり、生き生きとした音色を発しますが、それは演奏者がいわばその意識を楽器に吹き込んだとも言えるでしょう。このように意識という概念は、気持の本体とも言えるような、また触覚に似た存在として認識出来るのではと思っています。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落095

095 Feeling is a state of alertness - when expressed impersonally it is conscious awareness of conscious consciousness.
095 触覚は警戒の状態であり、非個人的に表現された場合、それは意識的意識に対する意識的な気付きとなります。


【解説】
 これまで触覚(Feeling、フィーリング)は4感覚の機能を支え、人体の生命活動を指揮する重要なものだと説明して来ました。本項ではその触覚の機能は、宇宙的生命力とも言うべき意識(Consciousness)に対しても感受出来る機能を持っていると明言しています。
 全身くまなく分布している神経網の各触覚受容器は、圧力や温度という要素を感知し、頭脳にその信号を送る監視員の役割のみならず、宇宙からの印象等、諸々の想念波動についてもキャッチ出来ることも、本文の言及の範囲かと考えます。
 このような触覚を自我への関心でなく、非個人的な姿勢で解放することによって、触覚は宇宙の意識の存在にも気付き、交流することが出来るという訳です。触覚はこのように生命活動に深く係る機能を有している訳で、私達は触覚を中心に据えて、その触覚から得た印象に従った生活を日々送ることが重要です。雨季を迎えてカタツムリの生き方にも学ぶところは多いようです。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落094

094 The mortal may be likened to a violin, which is the closest to the human expression known as man. Upon the violin there are only four strings; through the medium of those four strings can the coarsest or the most celestial melodies be played but the Instrument is only a bit of wood and string until it is acted upon by a conscious intelligent force. The sounds produced depend upon the skill of the musician. The four senses in the instrument called man are unable to bring forth any expression of life without the aid of the All-Inclusive consciousness which is feeling.
094 死すべき人間はバイオリンになぞらえることが出来るかも知れません。バイオリンは人として知られる人間的表現に最も近いものです。バイオリンには4つの弦しかありません。それらの4つの弦の媒体を通じて最も粗いものも最高に天上的なメロディーも演奏されることが出来ます。しかし、その楽器は意識的な知性を持つ力によって演奏されるまでは、単なる木と弦でしかありません。作り出される音はその音楽家の技量に依存しています。人と呼ばれるその楽器における4つの感覚は、触覚である全てを含有する意識の助け無しでは、如何なる生命表現をももたらすことが出来ないのです。


【解説】
 楽器単独では音楽を奏でることは出来ず、必ず演奏者が必要であることは言うまでもありません。しかし、この楽器を人体に置き換えれば、人が本来の活動を為しえるためには、常にその演奏者である創造主に身を委ねる必要があります。もちろん、楽器としての身体の整備や弦である4感覚の調和と調製が演奏に先立って行われなくてはなりません。
 テレビ番組でも著名な演奏家による音楽番組が時折放送されますが、それらを見ると演奏家は自分の分身として楽器(バイオリン)を自らの身体に押し付け、一心不乱に楽曲を追求していることが分かります。それと同様に私達が創造主に身を委ねるということは、それと同様な熱心さや没入感によって創造主と一体になり、私達の4感覚の表現分野を通じて何かを表現していることになります。その状況は単に私達が創造主と一体になるというよりは、創造主が私達の方に没入し、ご自身の表現したいイメージを私達(楽器)を通じて表そうとしているという、大変活気ある行為であることに気付きます。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落093

093 In other words this sense is merely the unification of the four senses with that unlimited conscious feeling which controls, supports and animates every conceivable thing in the universe. It is the expansion of the four senses in the channel of feeling which makes of the mortal sense man, a conscious user of conscious power. Through this education of the senses the sight becomes a microscopic sight extending beyond the gross material forms; the hearing is expanded to catch the soundless sound frequencies. etc. Each of the four senses Will themselves into greater fields of awareness through the recognition of Cosmic Feeling which is the mother-father thought supporting them.
093 言い換えれば、この感覚(訳注:触覚)は、宇宙空間の中のあらゆる知覚し得るものを支配し、支持し、活性化する無限の意識的な感じによってその4つの感覚を統合しているに過ぎません。それは触覚の経路への4つの感覚の拡張であり、死すべき感覚人間を意識的な力の意識的利用者にするのです。諸感覚の教育を通じて、視覚は大まかな物質の外観を超えて顕微鏡的な視野となり、聴覚は音のしない音波を捉えるまで拡張します。4つの感覚の各々はそれらを支える母性及び父性の想念である宇宙的な触覚の理解を通して自らをより大いなる気付きの場にもたらします。


【解説】
 視覚から嗅覚までの4つの感覚は、各自固有のものですが、触覚は宇宙全体とも繋がっている生命力である点が重要なのです。全身にくまなく分布する触覚は既存の4感覚に感覚機能を与え、それらが感受した信号を脳に伝える大事な機能を担っている他に、触覚の助けを受ければ、遠隔地の出来事をも4感覚は知覚することが出来ると言っています。
 その背景には、私達の持つ触角がむしろ、主体となる感覚要素であり、4感覚は補助的なものと言うべき関係があります。光の無い海底でも多くの生き物が棲息していますし、視覚は生存に不可欠という訳ではありません。聴力もしかりです。多くの生物は触覚を中心として生きているようです。同様に様々な予知反応を多くの生き物が見せますが、それもこの触覚の活用ということが出来ることでしょう。未だ現実化していない、イメージの段階でも物事を触覚を通じて感知することも意識に繋がる触覚だからこその機能ということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落092

092 Within the last few years the attention of the world of science has been attracted to the many cases of suspended animation where the body remains for months in a state of perfect preservation. The sense organs are normal, yet they cease to function in a conscious way. Why? Because most of the feeling has left the body; approximately ninety-nine percent of the consciousness has left, and while one percent of feeling within the body keeps it from disintegrating, this is not enough to cause any apparent awareness within it. Many of these cases have reentered into active life. The feeling had again taken possession of the body and reanimated the inert organs of sense producing in them a state of conscious awareness. If understood rightly these four senses of man correspond perfectly to the four elements of creation, and the so-called fifth sense is the stimulus which imparts to them the animation necessary to produce conscious functioning.
092 過去数年間、世界中の科学の注目は、肉体は何ヶ月も完全な保持状態である中での生気が中断している多くの事例に引き付けられて来ました。感覚の諸器官は正常なのですが、それらが意識的には機能しなくなっているのです。何故でしょうか。それは触覚の大部分が肉体を離れてしまっているからです。概ね意識の99%が離れてしまっており、肉体の残り1%の触覚が肉体の分解を抑えており、これでは肉体内部に知覚をもたらすには十分でないのです。これらの多くは再び生気を取り戻しました。触覚が再び肉体内の位置を取り戻し、不活発な感覚器官を再び活性化し、意識ある覚醒状態にしたのです。もし正しく理解できれば、人間の四つの感覚は創造の四つの要素に対応し、いわゆる第五感覚は、意識的機能を作り出す為に必要な活性化を与える刺激ということが分かります。


【解説】
 いわゆる本人の意識が無いと称される状態です。その程度は本当の臨終の状態から、いわゆる植物状態や脳死と呼ばれるものまであると思われますが、いずれにしても触覚的要素が機能しなくなっていることになります。また、本文中に「意識の99%が離れてしまっており」とさり気なく著者が表現していることにも注目したい所です。丁度、意識なるものが身体内から別の所に移動するような状況を表現している訳です。その結果、万一、更に意識がその肉体を離れれば、後は屍(しかばね)だけが残ることになります。実はその屍という意味合いが、よく出てくる「Mortal(死すべき)」ということで、各感覚はその窓口である感覚器官も含めて、その死すべき肉体に帰属しているという意味で「死すべき人間の心」という表現されて来たものと思われます。
 触覚についての研究事例を見ると、人間の皮膚をはじめとして触覚の受容器は身体内に広く分布しており、外部からの刺激に対して常に警戒状態にあることが分かります。私達は自らの心なるものが具体的には何処にあるのか明確には教えられていませんが、おそらくは頭脳に分布しているものと思われます。それに対して生命の源にも通じる触覚は全身くまなく分布し、想念活動も含め、私達の生命活動を支えているということになります。

ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」 第8章-段落091

091 Each sense is able to operate independently of the other senses only so long as it is supported by the life force of feeling, but the feeling or consciousness is entirely independent of the four senses. The sense of sight, taste, smell and hearing might all be destroyed and yet so long as the feeling remained man would be a conscious, active being, knowing joy and sorrow, peace and pain, and altogether very much alive. The feeling is indestructible. It is the eternal, the everlasting intelligence. The destruction of the body cannot destroy the feeling, which is consciousness. It is like the electricity which flows through the wires to the bulb to produce light. If the bulb is destroyed the electricity cannot produce light through it, but the electricity is not destroyed. On the other hand, if the electricity is withdrawn it matters not how good the bulb may be there will be no light emanating from it.
091 各感覚は触覚の生命力によって支えられている限りのみ、他の諸感覚から独立することが出来ますが、触角あるいは意識はその四感覚とは完全に独立しています。視覚、味覚、嗅覚そして聴覚が全て壊されても、触角が残る限り、人は意識があり、行動でき、喜びも悲しみも平穏さも痛みも感じることが出来、まったく活発に行動できます。触覚は破壊されることはありません。それは永遠であり、永続する知性なのです。肉体の破壊によって意識である触覚が破壊されることはありません。それは光を作り出すために電球に電線を通じて流れる電気のようなものです。もし電球が壊されれば電気は電球を通じて光を作り出すことは出来ませんが、電気は破壊されることはありません。もし電気が取り消されれば、電球が如何に良いものであるかは問題にならず、電球から光が出ることはありません。


【解説】
 そもそもの感覚の機能を下支えしているのが触覚という訳です。この「触覚」、原文では「feeling」という表現が用いられており、直接的なイメージとしては、"何か対象物と触れて受ける感触"を意味するように思います。昆虫等にある触角が様々なものに触れて、安全なものかどうかを見極めて前に進むような時に用いられる感覚です。私達の人体は、身体全体に触覚を張り巡らしており、各部から発せられる痛みや痒み等の警報を感受し、身体全体の維持に役立てています。
 これら身体各部に、いわば意識を行き渡らせて身体全体の一体感を作り上げるのが、触覚の役割なのかと思われます。それは私達自身の身体各部に自分の意識を巡らせることにも一致していることから、触覚は意識と一致しているように思われます。このような身体全体を支えている触覚的要素に対して、四感覚がどのように自分の意見を押し出して全体を支配しようとしているかについて、私達は日々の生活の中から観察し、それらの行動をコントロールしなければなりません。
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