2010年11月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落382

382 We believe the effects of emotions have been well covered in this course. We have pointed out the detrimental effect destructive emotions have on the body, and have given you examples in your daily life whereby you can prove this for yourself. So watch your thought-pattern habits; for your emotions are controlled by them. People are like apples in a barrel-we either mellow with maturity, or we rot. Unlike the apples, we have control over which of these will be our destiny; for our thought-pattern habits will decide our lot.
382 私達はこの講座において、感情がもたらす影響について十分に言及されて来たと思っています。私達は破壊的な感情が身体にもたらす有害な影響を指摘して来ましたし、あなたの日常生活の中での例示を示しましたが、それはそれによってあなた自身で確かめることが出来るものです。ですから、あなたの想念パターンの習慣を観察することです。何故ならあなたの感情はそれらによって支配されているからです。人々は樽の中のリンゴに似ています。私達は成熟して熟するか、腐るかのいずれかです。しかし、リンゴとは違って、私達はそのどちらが私達の運命になるかについて、支配権を持っています。何故なら私達の想念パターンは私達のめぐり合わせを決めることになるからです。

【解説】
 自分が日頃、どのような想念を取り入れる傾向にあるかに気付くことがまず、重要です。想念は私達の心身あるいは周辺環境に絶大なる影響力を持っています。しかし、通常は惰性的な想念パターン、思考パターンの中で、そもそも自分がどのような指向性を持っているかに気付いていないことが多いものです。
 本講座をまとめるに当たって、著者は私達が抱く感情が、この自らの想念パターンという指向性によって生まれるとしています。それを打ち破って、本来の姿に戻せばよいのですが、それには自らの想念パターンを観察せよと言っています。いわゆる想念観察です。この手法は自らの指向性の良否をその場で裁くことではなく、単に冷静に観察するだけでよいのです。正視して観察すれば自ずと答えがあるという訳です。
 それぞれの人生の中で、当初は青かったリンゴが年月を経るにつれて成熟したリンゴになれるよう、毎日を送りたいものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落381

381 The personal ego, interested only in perpetuating itself, is unaware of its unity with all manifestation; and selfishly concentrates its efforts upon the personal self. But when. through understanding, we can get the ego to turn its awareness outward, it will return to its natural free state; and the real Self will recognize its oneness with the Cosmos.
381 個人的な自我は自分自身の永続化のみに関心がある為、全ての創造物との一体性について気付いてはいません。そして自分自身への努力に自分本位に集中しています。しかし、理解を通じて私達は自我をその知覚を外向きに転換させることが出来る時、それはその自然で自由な状態に戻ることでしょう。また、その時、真の自己は宇宙との一体性を認識することでしょう。


【解説】
 例えば、見知らぬ土地に来たり、まして言語が伝わらない国を訪れる時、私達は不安になるものです。私達はことごとく、言語による意思疎通に依存し、印象によるコミュニケーションの訓練は出来ていないからです。このような状況では、エゴは自分を守る為、リラックス出来ないことになります。これもエゴが自分を守ろうとする姿勢の典型例です。
 一方で、渡り鳥達は、各地を渡りながら、何らの苦労もなく、自然環境を楽しんでいます。私達も自己保身を第一の目的とするのではなく、関心を外宇宙にまで広げることで自然との一体感が生まれるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落380

Conclusion
380 You have now become acquainted with the three tyrannical rulers that make up the life of the average person today: The ego, the emotions, and the four senses. We have shown you how each one influences your body and your mind.
結論
380 あなたは今や、今日の平均的な人間の生涯を作り上げている3人の専制的支配者に通じています。それらは即ち、自我、感情そして4つの感覚です。私達はあなたにこれらの各々があなたの身体と心に影響を与えていることを示して来ました。

【解説】
 本項からはテレパシー講座のまとめに入ります。
 今まで、繰り返し著者が述べてきたことの中で、私達が日頃から本来の自分というよりはこれまで影響を受け続けてきたエゴや感情、更には4つの感覚がその人を支配して来たことを、先ずは認識せよとしています。
 テレパシーは結局、新たに能力を開発するというよりも、これら昔ながらの支配のくびきから個人を自由にすることで、前項(379)に示されているように、やがて、原子自身から発信されているような精緻な振動を感受出来るという訳です。
 昔を思えば、私自身、時々にこれら3つの支配者の奴隷になってしまったこともありますし、これら3つの支配者を解消させること、落ち着いた精神状態を保つことがテレパシー学習に先ずは、必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落379

379 Once man learns that his purpose in life is to control his personal aggressive actions, he will become the recipient of all Cosmic impressions . . . born in silence, projected in silence, accepted in silence. For these are the impressions emanating from each conscious atom, using the Cosmic, universal language.
379 ひと度、人が自分の生きる目的が自己の個人的な攻撃的諸行動を制御することにあることを学ぶなら、彼は全ての宇宙的印象、即ち沈黙の中で誕生し、沈黙の中で放射され、沈黙の中で受信される印象の受取人になることでしょう。何故なら、これらは個々の意識的な原子が宇宙的、普遍的な言語を用いて発している印象だからです。

【解説】
 本項でキーとなる言葉は「沈黙」だと思います。これまで私達は直接、目に見えるもの、耳に聞こえるものと頼りに生活して来ました。しかし、テレパシー学習においては、それらによらない印象を日常、感受するよう求められて来ました。印象に気付く為には、心は受け入れる態勢を維持しなければならず、l自我が主張したいことを先ずは抑制することが必要になります。
 その場合、必要なのが沈黙という状況ですが、この沈黙には禅の修業その他で自我を抑制するのに採用されている意味の他に、実は宇宙の各原子から絶えず発せられている無言の印象というメッセージが、この沈黙の中で飛び交っているという訳です。沈黙の中には、宇宙英知に関して実に活発な活動があるということです。
 多くの仏像の中にも、また大自然の広がりの中でも、「沈黙」の中に含まれる宇宙的な活動の世界に気付くことが重要です。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落378

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.
378 理解は知識に生きることです。私達が各々の行為の裏にある目的を理解する時、私達は裁きを行ないません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。


【解説】
 ここでは、私達が日常暮らす中で、自分も含めてどのように対象物を見て行くべきかを明示しています。とかくこの分野の学習を進めて行くと、学んでいる分野と現実の一般社会との乖離が大きく感じるようになります。その結果、却って様々な欠点や問題が多く発生することになり、実は気を付けなければならない「裁き」を犯しがちになります。
 これに対して、本文にあるよう、私達は例え問題の行為であっても、先ずはその背後にある行為の意図と理解せよと言っています。決して「賛同」しろというのではなく、公平な目でどのような事情があったのか等、背景を知ろうとせよということです。このプロセスを踏むと、その行為に対し、裁きは出来なくなり、宇宙全体における関連性という視点の中で、どのようなことなのかを考える観察者になれると言っています。
 良否や善悪を超えて、全ての行為は宇宙の因の後ろ盾があることに私達は気付く必要があります。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落377

377 Jesus used the word Father when speaking to the children of the world, for although He knew there was no word capable of conveying the true meaning of the Supreme, the term Father would give man a feeling of warmth, love, and oneness. And when we awaken this quickening in our minds as did Peter, we are actually entering the Kingdom of Heaven. For the Kingdom of Heaven is the Kingdom of Cause . . . while the kingdom of earth is the kingdom of effect.
377 イエスはこの父という言葉を、この世の子供達に対して語る時のように用いました。何故なら、至上なるものの真の意味を伝えられる言葉は無かったことをイエスは知っていて、父という言葉が人に温かみや愛、そして一体感のフィーリングを授けることを知っていたからです。そして私達がペテロがしたように、この胎動に目覚める時、私達は実際には天の王国に入っているのです。何故なら天の王国は因の王国であり、方や地の王国は結果の王国だからです。


【解説】
 イエスが父と言った時の真の意味が本項で明かされています。信仰の源である創造主に対する認識表現の一つとして、子供(私達)がその保護者である父に対するように感じる存在として、イエスは当時の人々に「父」と表現した訳です。
 これについては現代の私達にも当てはまる気がします。各自にとっていつも頼りになり、その庇護の下、日々の暮らしを送っている私達は「父」の子供であるからです。
 これは、皆様各人が今後、生きて行く中で、時として困難な状況に立ち至る場合があるかも知れません。しかし、そうした中にあっても、常に見守ってくれる存在が「父」であり、宇宙の全てを因から支えてくれる存在だと考えます。
 ただ、そのような恩恵に授かる為には、先ずは父に気付く必要があり、ペテロのように一途に至高なる因の胎動に注意を払うことが必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落376

376 Jesus acknowledged this when He answered, "Blessed art thou, Simon Barjona; for flesh and blood hath not revealed it unto thee, but my Father which is in heaven." Matt. 16:17.
376 イエスはこう答えて、これを認めました。「幸いなるかな汝、シモン・バルヨナよ。何故なら肉と血が汝にこれを明かしたのではない。天におあす私の父が明かした為である。」(マタイ第16章17節)(訳注:シモン・バルヨナはペテロの別名です)

【解説】
 イエスは自身の本来の意義を悟ったペテロに対し、大変喜びました。何故なら、ペテロは物質レベルを超えて、宇宙根源の印象をしっかり感受出来る段階に達し、目の前のイエスがどのような光明を輝かせているかを見ることが出来たからです。
 私達がテレパシーを学ぶ目的も、表面的な物質を超えて、印象の世界にまで知覚力を広げることにあります。自らの教え子の中で、イエス自身の本質を見抜くまで成長した、この弟子をイエスが祝福したのです。
 また、同時に、読者の皆様は、著者アダムスキー氏がこのように当時のイエスの周囲の状況について実に詳しく知っていたことにも注目して欲しいと思います。伝えられているところでは、アダムスキー氏はイエスに関わっていた人物の一人だとコーワーカーの間では後年、言い伝えられていたからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落375

375 It was this universal Intelligence that Peter used when he said to Jesus, "Thou art the Christ, the Son of the Living God." Matt. 16:16.
375 ペテロがイエスに「あなたは生ける神の息子だ」(マタイ16章16節)と言った時、ペテロはこの宇宙普遍の英知を用いていたのです。


【解説】
 聖書について詳しくはありませんが、どうもイエスは弟子達に自分の出身由来等のことについては、敢えて語ってはいなかったように思います。イエスは自分が伝える内容を人々に理解してもらうことが最重要課題であり、例えを駆使しながら、本来の人の生き方を当時の人々に伝えていました。
 後日、キリスト教会の礎となるペテロですが、その彼が弟子達の中で初めて、目の前のイエスという人間が実は「現に居られる創造主の直接の息子のように思う」と述べたことになります。
 様々な事柄を語る者が多くいる中で、ペテロは外見からではなく、その人物が発する想念やその他、目に見えない要素をキャッチして、「この方が生ける神によって愛されている息子、私達にとっての真の導師だと悟りました」と述べたという訳です。
 前項(374)にありましたように、「物質を通して現出している英知ある因の光明」の一つとして生きることこそが、全てのものの目標です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落374

374 If we are understand Original Cause, we must discipline our minds as we would a child, and deal with the four senses as we would four children. We are all individuals rays of Intelligent Cause manifesting through matter.
374 もし私達が原初の因を理解しようとするなら、私達は自分達の心を私達が子供に対するように躾けなければなりません。四つの感覚に対しては四人の子供に接するように振る舞わらなければなりません。私達は全て物質を通して現出している英知ある因の個々の光明なのです。(訳注:原文では「私達は全て........光明なのです」の部分は太文字になっています)


【解説】
 ここで分かるのは、私達が日頃、行動を共にしている「心」と「四つの感覚」に対して、丁度、子供を躾け、育てるように取り扱うことに全てのポイントがあるということです。ここでは、親が自分の子供を育てるように、必要な注意をタイムリーに与え、その成長をいつまでも見守り、必要とすることをいち早く察知して、対処法を用意して置くといったことかと考えます。
 即ち、仮に自分の心の欠陥が大きく見えたとしても、親は子供を見捨てることはありません。必ず立ち上がれるよう、いつまでも見守る筈で、どんな子供でも自分の子供を否定する親はいません。また、少し上達したからといって、自分の子供が有頂天になるのを許せば、その子供の成長は止まることを大抵の親は知っているに違いありません。
 私達には各々、これらの子供を生涯にわたって育てて行く責任があるという訳です。そうする中で心身ともに健全になり、創造主の光明が各自を通じて発現すると本項は言っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落373

373 Volumes could be written on the subject of thought and its action, yet barely disturb the surface. It is one of the most interesting fields of research one can hope to find; for it is as vast as Infinity itself, and is the actual foundation of all our sciences.
373 想念とその作用のテーマについては何巻もの本を書くことが出来るでしょうが、それでも何とか表面に触れられるだけです。それは人が望み得る研究分野の中で最も興味深い分野の一つです。何故ならそれは無限遠そのものと同じほど広く、しかも私達の全ての科学の基礎でもあるからです。


【解説】
 万物の活動や創造に関して、想念の持つ作用については、それほどに宇宙全体に及ぶほど広く、大きなものだと著者は明かしています。また、重要なのは、これを各自の研究テーマとするよう促していることでしょう。
 私達が日常、発信し、また受信する想念は、本来自らの身体各部への影響はもとより、遠く宇宙空間の果てまで及ぶということです。以前、この地球の自転速度が地球人の想念活動からも影響を受けることや、地震や気象全般についても大きな影響を与えるほどの力があると聞いたことがあります。
 私達の心は時として馴れない環境に置かれる等、いわゆる習慣性が崩れる場合において、緊張して疲れることもありますが、様々な環境の中でも安定して宇宙の本源を志向し、この想念の潜在的な作用について、ご自身を媒介として研究して行くことが必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落372

372 Reasoning should be used to evaluate all things impartially, and to elevate the sense perceptions to understand and accept Cosmic Intelligence. Pure reasoning must involve the elements of faith and confidence; not faith in one's self as a personality, but faith in the immutable laws of thought-action, and in the unlimited scope of awareness in the faculty of feeling. This, I have proven by my own experiences over a period of years.
372 推論というものはあらゆるものを差別なく評価するために用いられるべきであり、感覚の認識機能を宇宙の英知を理解し、受容するために用いられるべきです。純粋な推論は信頼と信念の要素を含まなければならず、個性としての自我への信頼ではなく、想念?行動の不変の法則やフィーリングの機能に対する無限の知覚展望への信頼です。これは私自身の経験によって何年もの年月を経て実証して来たものです。

【解説】
 本項でようやくReasoningの意味が明らかになった気がします。即ち、Reasoning(推論)とは、様々な創造物を観察、探究してその目的や他との関連性を探ろうとする探究心、文字通りその存在理由(Reason)を問うことだと解釈出来ます。
 また、その際に大事な条件としてFaith(信頼、信仰)が掲げられています。物事を見る際に、その存在を支えている創造の法則を見るように、あるいは信じるように自らの心を指導せよということでしょう。
 これらのポイントについて、著者アダムスキー氏は自ら、長年の体験の中で学び取ったものだと明かしています。私達も歳を経る中で、自分なりの悟りを蓄積して行くことが大切だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落371

371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.
371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。


【解説】
 言い換えれば、全てのものに対し、その存在意義を尊重し、自分と対等の関係に据えることが必要なのです。これは動物、植物、その他何物についてもそうあるべきです。万物は同じ根源から生れ出たこと、またその表現は個々の創造物によって異なり、それが世界の多様性を生み出し、豊かにしている訳です。
 一方、私達はとかく限られた自分の経験や好みを基準に、これら創造物を値踏みし、評価しています。これはあくまでその本人の評価でしかなく、真実を捉えている訳ではありません。折角の新しい出合い、新たな世界の発見にも至るかも知れないチャンスに、自分の貧しい判断からその門を自ら閉ざすことは残念です。
 まして、想念の場合、二度と巡り会うことはないかも知れません。このような大切なアイデアについては、私達は先ずは全てを受容し、心の中を通して、その行く末を見守り、その想念が何を伝えたいかを見極める必要があります。受信した想念に暖かく接することが、心を鎮め、感受性を高めることにもなるように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落370

370 The difference between pure reasoning and perverted reasoning is the difference between definition and discrimination. We may say that a rose is red and is fragrant; and that a calla lily is white and possesses little fragrance. Our reasoning tells us they are two distinct objects; and defines their character by an act of recognition. But perverted reasoning could say that the lily is a mistake of creation, because it should have been red like the rose; or that the rose is malformed because it is cut up in little pieces called petals.
370 純粋な推論と歪んだ推論との違いは定義と差別の間の違いです。私達はバラというものは赤く、よい香りのするものと言いますが、カラー(訳注:植物名、オランダカイウ、日本ではカラーもしくはカラーリリーと呼ばれる。漏斗状の白い仏炎苞を持つ観葉植物)は白く、香りは無いと言うでしょう。私達の推論はそれらは二つ別個のものであることを私達に伝え、認識の行為によってそれらの特徴を定義します。しかし、歪んだ推論は、そのユリ(訳注:この場合、前述のカラーをユリと認識している)はバラのように赤くなければならないのになっておらず、或いはそのバラ(訳注:この場合は前出のカラーをバラと認識している)は花弁と呼ばれる小片に切れ込まれている為、誤って創造されたものだと言うかも知れません。


【解説】
 ここでは私達が、日々の生活の中で見る多様な創造物に対してどのような見方をしがちかを指摘しています。その中には正当な認識もありますが、実際には自分の好みやこれまでの経験に無いことを理由に、そのもの自体を否定したり、裁いたりすることも多いように思います。
 本項の場合は植物の例ですが、大事なことはそのものの存在をまずは認め、次にそれを理解しようとする心境でしょう。reasoning(推論)は対象は物体であれ、想念であれ、それがどのような経緯や意図で現れたものか、他との関連性は何処にあるか等、探究することにあります。
 最近は様々なテレビ番組で、生物多様性の問題が紹介され、熱帯地方の多様な色彩模様を持つ生物が数多く紹介されるようになりました。これらを見ると、創造主の才能は実に多才で豊かなことがよく分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落368

368 Other students will grasp one statement that does not coincide with their preconceived ideas, and shut their minds to the rest They will judge this idea according to their own knowledge of the subject, or compare it with some thought possessing a slight similarity. In so doing, they cut off the natural sequence being presented by the lecturer, and at the end of the session they generally find themselves decidedly confused over what has been said. Of course, they lay the blame at the door of the speaker-not to their own mental reactions.
368 他の生徒達は自分達が描いたアイデアと一致しない一つの発言を捉えて、その残りの話に心を閉ざすことでしょう。彼らはそのテーマに関する自分達の知識に従い、このアイデアに対し裁きを行うか、あるいはわずかな類似点を持ついくつかの想念と比較することでしょう。そうすることで、彼らは講師によって提起された自然な一貫性を切断し、授業時間の最後には、彼らは大抵、自分自身が明らかに語られたことに対して混乱していることに気付きます。もちろん、彼らは自分達自身の心の反応に対してではなく、講師のせいにするのです。


【解説】
 これについては、私自身学生の頃、度々経験しています。授業の中で先生が教える内容の中で少しでも自分の考えに合わない所があると、それ以降は授業内容に対してあれこれ反発し、結局は授業全体が身に付かないことになったものです。つまりは受け入れる側は例え、自分の考えと相容れない要素があったとしても、先ずは全体を受け入れ、心の中を通過させ、その上で、何がその要旨かを分析し、必要なエッセンスを学び取ることが必要だった訳です。
 一方では近代の学術分野では、とかく何事にも批判的な視点で物事を見ることが良いことだとされており、各分野には多くの批評家がいて、その対象に対する評価を下しています。しかし、本講座は各自の学習態度としては、もっと誠実で受容的な態度でなければ学び得ない精妙な分野があることを訴えているのです。
 単なる知識でなく、自らの心の有り様を変革する為には、心を増長させないこと、心を落ち着かせることが第一です。おの上で心を通過するようになる宇宙からの印象(想念)を静かに観察し、その印象の発信者が何を伝えているのかを学び取ることが求められているということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落369

369 This is what the average person does to the thought that impresses itself upon his consciousness. Consequently, instead of getting the clear impression of the attentive student, he receives disconnected fragments
369 これが平均的な人間が自分の意識に印象づける想念に対して行っていることです。結局のところ、注目し続ける生徒が明瞭な印象を得るのに対し、彼は互いに繋がりのない断片を受信するのです。


【解説】
 仮に印象を受信しても、受け取る心の側がその内容にわずかな違和感があったとすると、直ちにその流入経路を遮断し、類似した他の源泉のものを摂取しがちになり、その結果、元々受信した印象の意味を見失ってしまいます。印象の流れは高速とされていますが、私達の心はおそらくパソコンの通信速度の場合と同様、その受信能力の低さから全体の受信にはかなりな時間を必要とするものと思われます。
 その結果、その間の心の勝手な判断により、印象が途中で中断し、代わって他の源泉からのものが入り込んだ場合、心が困惑するのは当然です。一連の繋がりがあって初めて意味を持つ訳で、物事の関連性を理解することがいわば悟りのポイントなのでしょう。
 断片だけの印象は逆に人を迷わせることにもなりかねません。私達は静かに印象の送信者が何を伝えたいと思っているかを第一に考えなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落367

367 Another instance of perverted reasoning can be found in a group of students listening to a class lecture. Some will absorb what they hear, and at the end of the session will be able to repeat almost verbatim the material presented. They will recognize the logic and lucidity of the subject, and can summarize all points coherently.
367 もう一つの混乱した推論の例は、教室での授業に耳を傾けている学生の一団の中に見出せます。ある者は自分達が聴いたことを吸収し、授業時間の最後には提示された材料をほとんど語句を暗唱するほどになるでしょう。彼らはその本題の論理と明瞭さを認識し、全ての要点を理路整然と要約することが出来るようになります。


【解説】
 横道にずれる傾向は、誰でも学生時代に経験していることかと思います。詳しくは次項(368)に例が出ており、本項(367)はそうならない良い例を示しています。
 実はそれほどに心に抱く想念の一貫性を保つのは難しいことなのかも知れません。少しでも心が受容出来ない要素が見つかるや、次々に疑問に類似した想念が入り込み、混乱してしまう訳です。
 とりわけ、物事をはじめて学ぶ時には、伝え手に対し、100%受容する態度が必要ですが、この場合も先ずは伝え手が完全に信用できることが前提であることは言うまでもありません。世の中の多くの宗教が信者を支配しがちなことも事実であり、私達は誰を師とするかについては、慎重である必要があります。その点、最も良いのは自分の内奥から来る印象で、これが最も信頼出来る源泉ということになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落366

366 In the preceding illustration we may safely say that after a certain point, reasoning was not used at all. When this hap-pens it is usually due either to an untrained will, or to just pure mental laziness. Admittedly it is a ludicrous example, but similar examples on a smaller scale occur in our lives daily. Controlling the reasoning mind is what we meant when we spoke of "stilling" it. If we will make it our servant rather than our master, we will not put rockers on our baby carriage of life.
366 前述の事例では、ある時点以降、推論は全く使われていなかったと言えると思います。このようなことが起る時は、大抵は訓練されていない意思であったり、単に単純な心の怠慢のどちらかが原因です。前述の例は明らかに滑稽な事例ではありますが、同様な例は私達の生活の中ではより小さな規模で日々起っているのです。推論する心を制御するということは、私達がそれを「鎮める」と表現する際に意図するものです。もし、私達が心を主人としてではなく、召使にするようになれば、私達は人生の乳母車に揺れ足をつけるようなことはなくなるでしょう。


【解説】
 心が興味本位にあれこれ関心を放浪させることが、多くの物事を成就させない大きな原因となっているものと思われます。本来の心の推論機能としては、一連の想念の関連性をじっと観察し、妥当なものかをチェックする役割を持っている訳ですが、とかく心の関心は外に向きたがり、興味あるものに移って行きたいと思っているのでしょう。現代で言うネットサーフィンもこうした事例の一つです。
 一方、元来のチェック機能を果す為には、心自身は静かに全体を見渡せる状態であることが必要で、心自身の意思をあまり強く持っていては、そうした観察は出来ないことになります。
 心が主体となった行動ではなく、心はより高次なる想念(印象)の召使として、所定の任務を果すことで本人の人生の価値を高めることが出来ると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落365

365 True reasoning is the faculty of recognizing sequence, which gives a purpose to life. For instance, when one turns his attention to a certain phase of thought, it is necessary for him to perceive whether he is holding to that particular phase. He should not allow his interest to wander toward, or rather be impressed by, other phases which are of a similar nature. For example, if a person received the idea of constructing a baby carriage, he may hold to the original thought flow until the element of motion is beginning to take shape in the image state; then let his attention wander and allow a thought of a similar type to slip into his mind. When the product is finished, and he stands back proudly to survey his handiwork, he discovers he has put rockers instead of wheels on the carriage. He had followed the original impression perfectly to the point where movement entered. He did not achieve one means of motion-the infant can be lulled to sleep; but he did not accomplish his original plan of making a means of conveyance. The general construction of the two objects is similar; and reasoning, that power of recognizing the sequence of ideas, should have told him he had lost the trend of thought.
365 真の意味の推論は連続したつながりを把握する能力であり、それは生命に目的を与えます。例えば人が自分の注目をある想念の側面に向けた時、その人は自分がその特定の側面をしっかり掴んでいるか把握することが必要です。その人は自らの関心をふらつかせたり、類似した性質のある他の側面から印象を受けたりすべきではないのです。例えば、ある人が乳母車を作ろうというアイデアを受信したとすれば、彼は衝動の要素がイメージ状態として形を形成するまでは元の想念が流れるのを保持しているかも知れません。次には自分の関心を放浪させ、似たタイプの想念が自分の心の中に滑り込むことを許してしまいます。作品が完成した時、そして彼が誇らしげに彼の手作業の作品を吟味する時、彼は車の車輪の代わりに揺り足を付けてしまったことに気付きます。彼は衝動が入って来た時点では元来の印象に完全に従っていました。しかし、彼は運動の手段を達成することは出来ませんでした。赤ん坊は眠ることは出来ますが、運ぶ手段という元来の計画は達成しませんでした。この二つの物の一般的なつくりは同じですので、アイデアの連続したつながりを認識する力のある推論は、その者に想念のつながりを見失っていることを伝えるべきであったのです。

【解説】
 この事例を注意深く読んで行くと、最初、主人公は乳母車を作ろうと思い立ちます。その時は赤ちゃんを眠らせながら静かに運べる乳母車をしっかりイメージ出来、その実現に向けて図を書き、材料を集めて制作を始めたものと思われます。
 しかし、途中から、それが揺りかごに変わってしまった訳です。乳母車と揺りかごとは似ていますが、その移動機能は大きく異なります。つまり、いつの間にか、当初の衝動が途中から入って来た想念により歪められてしまったと言うことが出来ます。
 実は私達の感受性が高まる際、様々な想念を受信するようになるが故に、このような混乱の事例が増えて来ることを著者や注意しているのだと思います。
 私自身を含めて、当初は明確な意思(想念)があり、志を立てたけれど、年月が経過するにつれて、関心が移り、遂にはその志を実現出来なかった経験を多くの人もお持ちかと思います。その時の問題の答が、このreasoning(推論)にあると言っているのです。想念のつながり、即ち関連性をチェックして、方向がずれた場合には、それを本人に警告する役割を自分自身の中に育めと言っています。
 その為には、最初、受信した想念について単に最初の段階で早合点せず、じっくりその全体像を理解した上で、事を進めるべきということでしょう。ある時は、想念に従って瞬時に動けと言ったり、言い様によっては皆様に混乱を与えるかも知れませんが、この分野の初心者である私達としては、先ずはやって来た印象を大切にして、その意味する所を考えながら、落ち着いた行動をとることが一番ではないかと思われます。

お知らせ

 この度、仕事で中国に渡ることになりました。今月14日の出発ですが、今度は来年1月末までの長期の滞在になります。途中、何度か一時帰国をする予定ですが、この間、忙しい毎日を過ごすものと思われます。
 現地でもホテルに戻ればメールその他のインターネット環境は確保出来る予定ですが、引き続き本講座を継続できる状況になるかどうかは不明です。
 せっかく、毎日のようにご覧戴いている皆様には大変申し訳ありませんが、明日からの準備期間も含めて、今後不定期な更新になることを、ご理解戴ければ幸いです。
平成22年11月3日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落364

364 Everything in the universe works under the Law of Affinity ... therefore, thought will draw to itself its own kind. If a mind is tuned to particular thought station and the tuning apparatus is not tampered with, it will receive the entire thought program. All that is necessary is for the mind of the recipient to remain quiet until the thought is completed.
364 宇宙の中のあらゆるものは親和の法則の下で働いています。従って想念はその種の想念を引き寄せることになります。もし、心が特定の想念発信局に波長を合わせ、チューニング装置が壊されていなければ、それは全体の想念番組を受信するでしょう。受信者の心にとって必要なこと全ては、その想念が完了するまで静かにしていることです。


【解説】
 類は類を呼ぶことは以前にも述べられています。日常生活の中にも直接、電話の音声やその他を通して様々な想念に出会い、それに対する対応でストレスを感じることも多々有ります。しかし、そのようなマイナスの反応が出た時、いつまでもそれに執着していると、やがて類似したものが押し寄せて来る気がします。それが、ここで言う親和の法則です。
 そのような時は、努めて冷静さを保ち、心を騒がせないことです。静かに保っていれば、自ずと別の対応策が与えられ、物事は再びスムーズに動き出すように思います。
 大事なことは、心に留める想念に目がけて、類似した想念が集まって来るということです。ですから、常に心の中には良質なものしか留めてはいけないのです。また、本文にあるように、アイデアの全量が心を通過し、全体像が明白になるまで、心を落ち着かせ、早合点をさせないことでしょう。一度、これらに関し、良い体験を持てば、次第にストレスや危機に強い人物になれるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第4章-段落363

363 There is a vast difference between true thinking, and the misguided faculty of indiscriminate reasoning. Only two planes of life have the power of reasoning - animals and human beings. While as far as we know the vegetable and mineral kingdoms are devoid of reasoning, and the animal possesses this faculty only to a limited degree, all three planes of life manifestation respond to pressures without resistance. Because of his ability to reason, we have believed man to be the highest type of life on this planet. But actually, indiscriminate reasoning has so perverted his capacity to think universally that in many ways man is much lower than mere plant life. For plant life accepts and acts upon the impulses of nature, without questioning life's purpose.
363 真の思考と見境のない誤って導かれた推論との間には大きな相違があります。生命の内2つの平面、動物界と人間だけが推論の能力を持っています。一方、私達が知る限り、植物や鉱物界には推論は欠いており、動物もこの能力をただ限られた範囲に持っている一方、これら3つの生命の創造の平面は全て抵抗なく圧力に呼応します。その推論の能力の故から、私達人間がこの惑星上で最も高位であると信じて来ました。しかし実際には、見境のない推論は人間の宇宙普遍に思考する能力を誤らせ、多くの場合、人間は単なる植物の生命より低次に置かれています。何故なら植物は自然の衝動に対し、受け入れ行動するからです。


【解説】
 心の有り様について前項(362)では真の思考の意味について述べられていました。本項ではそれに対応する心の推論機能(reasoning)について述べられています。
 私自身、今もって著者が描くreasoningの意図をはっきり掴んでいる訳ではないのですが、本項及び後に続くいくつかの記述を読む限り、「やたらに知りたいと思う心」「じっくり考えようとするのではなく、あれこれ思い巡らせる心」というようなイメージかと考えています。
 この推論(reasoning)傾向にある心は、論証や事実を積み重ねるという意味では人間だけの能力として、これまでは重視されて来た訳です。しかし、本文にありますように、実際にはそれらの能力を持たない植物や鉱物の方が、はるかに創造主に従っており、上位の生き方をしているという訳です。万物の価値は創造主の意図を如何に表現しているかに尽きるということです。
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