2010年07月

お知らせ

本日から、月曜まで尾瀬に入ります。その為、本項の更新は来週火曜日からになります。
ご了承下さい。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落306

306 So let us make an effort to keep an open, receptive mind at least part of the time; and when our mental telephone bell rings just lift the receiver quietly, and impartially accept the impressions coming to us. This does not mean sitting idly in meditation, waiting with folded hands for some great thought to come to us out of the universal storehouse; but that we should continue normally about our daily lives.
306 ですから、少なくともある時間、私達はオープンで受容的な心を保つよう努力して見ましょう。そして私達の心の電話器のベルが鳴ったら、静かに受話器を取り上げ、そして偏らずに私達の方にやって来る印象類を受け入れることです。これは何もせず座って瞑想して何か偉大な想念が宇宙の倉庫から私達の所に来るのを、手を組んで待っていることを意味するのではありません。そうではなく、私達は私達の日常生活について普通の暮らしを続けるべきなのです。


【解説】
 本項で言う「手を組んで何もせずに座って瞑想する」こととは、明らかに座禅を指すものと思われます。座禅本来の意義については異論のある方もあるかと思いますが、いわゆる瞑想は受容的な心を育てることにはならないとアダムスキー氏は言っているのでしょう。この瞑想については、著者は他でも推奨しない記述を行っていたと思います。つまりは、日常的に結果に振り回されている私達にとって、只、黙して座すだけでは、心の受容性は高まらず、むしろ、心の平安さを留意しながら、日常生活を送る方が効果的だと著者は指摘していると考えるべきでしょう。
 一方、同乗記の中では、長老の言葉の後、一同が思わず瞑想し、そのイメージを深めたとされるような記述があったように記憶しています。瞑想はさらに能力が高まった段階では、ごく自然に行われるテレパシー状態の一つなのかも知れません。
 私達の日常生活は、これらテレパシーの応用先としては最も適切なものであり、受信した想念のヒント通りに動けば、スムーズな結果が得られますし、その逆では反省点も明らかになる生きた実例の場となります。また、その最も良い点は自分でその結果を体験できる点であり、良い結果が得られたら、その際の心の持ち様を記憶しておき、また次ぎに応用すれば良く、良くない結果が得られたら、その原因を明らかにすれば良い訳です。原因と結果の関係を自分自身を生きた教材として学習出来ることが大切な所です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落305

305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.
305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。


【解説】
 テレパシーが電話と同じであるとする本項からは、自分が絶えず話し中(想念を発する状態)では本来、受信されるべき想念が受信される筈もないことはもちろんであり、受信可能状態に心を保って置くべきことは言うまでもありません。
 また、電話と同じであるということになると、先ずは私達は電話の場合、受話器から聞こえて来る音声、即ち受信した印象を通じて、送り手を理解しようとすることに着目したいと思います。つまり、受話器を介して受信したメッセージ、あるいは互いの会話を通じて、相手や相手の状況を理解しようとするのが電話の機能と言うものだからです。
 電話の場合は1対1の意思疎通ですが、これまでの学習から、想念伝達の場合は一対複数の関係にあるようですから、その点の違いを除けば、意義は近いことになると思われます。丁度、太陽が地上の何処にいる人々にとっても「私の太陽」と思われる程に日々の恵みを人々に送り続けていますが、私達は太陽の光を通じて、各々太陽のイメージを抱くように、想念もその内容と同時に、その送り主を理解しようとすることが重要ではないかと思う次第です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落304

304 In developing telepathy as a means of communication, remember impressions work from mind to mind; and distance is no barrier. As we first begin to use this universal language, we will find it easier to exchange impressions with a few chosen individuals until confidence is gained. With all parties working in sympathy a certain wave length can be established between them; making it possible for them to communicate much as radio "hams" talk back and forth around the world.
304 意思疎通の手段としてテレパシー能力を発達させるについては、印象は心から心に作用し、距離は障壁にはならないことを覚えておいて下さい。私達がこの宇宙普遍の言語を最初に用いるに当っては、確信が得られるまでは少数の選ばれた個人の間で印象を交換する方が容易であることがわかるでしょう。仲間意識を持って働く仲間の間では、ある波長が出来上がりますし、ラジオの「アマチュア無線家」が世界中と通話するように意思疎通を可能とするのです。


【解説】
 夫婦や親子等の間で以心伝心、即ち、言葉は必要とせず、印象によって意思疎通が図られている間柄は、いずれも近しい関係があります。その近しい間柄ではテレパシーが作用し易いことを、本項では互いの周波数が揃う為に起るとしています。アマチュア無線の世界では、その周波数帯を使って、各地の愛好家が交信するのと同じだと言っている訳です。
 ここでのポイントはsympathy(同情的、仲間意識)です。即ちテレパシーを作用させるには、先ずは相手を受け入れ、一体となれる間柄であることが必要だということです。一般常識的に考えても、何処の誰だか分からない人から来る想念には警戒するのは地球では当然のことで、送り手はとにかく、受け手の方は、想念の出所に関心が行く筈です。そういう意味では、想念に発信者情報が含まれているとすれば、受信しても良いのか悪いのかの仕分けを自動的に行っている可能性もあります。
 しかし、より広く印象(インスピレーション)を受け入れ、場合によっては宇宙普遍の英知から来るメッセージに触れる為には、私達は努めて自ら構築したバリアーを外して、あらゆるものに心を開いて、わずかなものも見逃さない注意を日頃から怠らないようにしておく必要があります。そしてもし、優れたアイデアに巡り会った場合には、その際の心の持ち方をよく覚えておき、次回も同様な想念を得るために、そのような柔軟で落ち着いた心の状態を継続しておく必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落303

303 A very good example of this may be found in the way many of our scientific discoveries are made almost simultaneously in separate parts of the world. Working independently, and often unaware of the research the other is doing along the same line, each scientist actually tunes in on the same thought vibration of universal knowledge; (the same as any number of people can tune in on a radio program).
303 これについての大変良い例は、多くの私達の科学的発見がほとんど同時になされているという経緯に見ることが出来ます。個別に取組んでおり、しばしば他の者が同じ経路に沿って進んでいることを知らないまま、各々の科学者は世界の離れた場所で、実際には宇宙普遍の知識の同じ想念振動に同調しているのです。(他の多くの人々が同時に一つのラジオ番組にチューナーを合わせることが出来るのと同じです)


【解説】
 本項で指摘されている事柄は、以前、聞いたことがあります。電信や電話の発明、DNAの発見等、主要な発見・発明というものにはわずかのタッチの差で、勝者が決まる厳しい世界である訳ですが、別の見方をすれば、各々が同時期に同じ印象を感受していて、各自のわずかな行動の差が発明者の名誉の分かれ道となったのかと思われます。
 一般に、アイデアは自然に湧いて来るものとしていますが、突き詰めれば何一つとして自分(エゴ)が作り上げたものはなく、宇宙空間から流れ来る何らかの想念波動を捉えたものとすべきなのでしょう。そういう意味では、同じ時期に同様なアイデアは誰にでも掴むことが出来る筈です。広大な宇宙からどのような想念が降り注いで来るかについては分かりませんが、少なくともそれらが地球社会の進む大きな方向性を志向していることは明らかであり、究極には神の意思と見るべきなのかと思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落302

302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.
302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。


【解説】
 私自身は経験もありませんし、直接見聞きしたことはありませんが、声として本人に聞こえて来るような印象受信の例は聞いたことがあります。そういう意味では、より感受性が高まり、送信者の意思が明確に理解されるような段階になると、ぼうとした状態から雲が晴れるようにより具体的なメッセージ内容まで、自然と理解できることになるものと考えられます。
 一見、奇異な現象のように見えますが、実際には送信者と受信者の間は印象(想念)波で伝わり、それを受信した者が半ば自動的に検波し、音声まで出力するラジオの機能までになっているということで、原理的には一般のテレパシーと何ら変わるものはないのです。
 少し余談になりますが、夏川リミさんの「涙そうそう」という歌を御存知の方も多いかと思います。その歌が生まれた経緯を紹介する為の作詞した森山良子さんへのインタビュー番組を以前見たことがあります。彼女には最愛の兄が居たそうですが、その兄が若くして亡くなり、その面影慕って、宵の明星(金星)を眺めて涙するという歌詞には、一番星に願いを託した頃の思いでが綴られているとのことでした。
 実は既に亡くなっており、詳しいことは聞かないままになってしまいましたが、私の死んだ母にも若くして亡くなった兄と弟がありました。戦中、戦後のことで十分な薬もないまま、病死した訳ですが、その兄は死の当日、「実に綺麗な風景を見た」「良かった良かった」と言ったそうです。当時、周囲は訳が分からないでいたとのことですが、自分の転生先を垣間見たものと今日になって、私は思っています。また、宵の明星に向いては話し掛けたものだと言うことも母から聞いたことがあります。それから何年か経って、苦労の中にあった母に、ふと兄が現れて(夢の中であったかどうかは不明確ですが)、母に向って「○○をやりなさい」と話し掛けたそうです。母はその助言に従って、以後長い間その分野の仕事に就いたということです。
 多くは親子や兄妹の間の関係等、密接な間柄の場合には、直接、音声に転換出来る程、強いネットワークが出来るものと思われますし、夕空に輝く金星への思いには深い意味があるという一例かと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落301

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。


【解説】
 私自身、本項のような体験をしておりませんが、人によっては印象を送り手の話しかけとして聞くことがあるようです。また、その時、受信した者がそのまま受けた言葉を同時に声に出すことで、いわゆる神託を周囲の者に伝える構図も生じる訳です。
 しかし、これらメッセージの多くは個人的なもので、送り手が受け手に伝えたい事柄であり、周囲の者に興味本位で伝えることは送り手の本意ではないと思われます。
 さて、テレパシー学習を進める内に早晩、私達も本項のような体験をする、あるいはその実例を見聞することになるかも知れませんが、その際、注意したいのは、メッセージの内容であり、世の中には千差万別様々な波動要素が渦巻いており、どのような源泉から来るものなのか、十分に内容を見定める必要があります。例え自分自身が受信したものであっても、その内容が本来、私達が目指すべき方向に導くものなのか、あるいは脇道に誘い込むものか、慎重に判断し、不明な場合には良否を即断せず留保して、時間経過の中で選択の可否を判断すれば良いものと思う訳です。
 いずれにせよ、やって来る印象があったら、それに対し丁寧な対応、時間を掛けた見極めを行うことになりそうです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落300

300 The secret of what is termed "direct transference" from one individual to another, is simply that with the thought projected the sender incorporates the image of the person he has chosen as recipient. A million people might receive the thought, but because it does not pertain to their personal affairs, they will let it pass through their minds unnoticed. But the chosen recipient will recognize his image in the thought, and direct his attention toward its perfect reception.
300 一人の個人からもう一人の個人への「感情の直接転移」と名付けられることの隠れた実体は、単純に放出される想念に送り手が受け手として選んだ人物のイメージを組み入れているのです。百万人の人々がその想念を受信するかも知れませんが、それらの人々の個人的な事柄にそれが関係しない為、それらの人達は自分達の心の中を何ら気付かれずにそれを通過させるのです。しかし、その選ばれた受信者はその想念の中に自分のイメージを認め、自らの関心をその完全な受信に向けて導くのです。


【解説】
 詳しいことは知りませんが、今日、世界中に電子メールのネットワークが出来上がっており、毎秒膨大な数のメールが飛び交っていますが、それらメールが誤り無く目的のメールサーバーに到着するには、各々の発信するメールにアドレスが組み込まれており、中継する各サーバーは、そのアドレスを頼りに目的地まで伝送し続ける仕組みが出来上がっていることに由来します。
 想念伝達の場合、思いを伝えたい相手の顔を思い浮かべながら、思念を伝えようとするのが普通です。アダムスキー氏が出会った宇宙人達が顔写真を撮られないようにしていたようですが、これも彼らのテレパシー能力が極めて強く、地球人の悪意や強欲から来る想念に関わりたくないとしていたことがあったのかも知れません。
 一方で、仏像をはじめ、マリア像、イエス像等、人々の祈りの対象として多くの彫像や絵画が描かれ、人々の思念を受け止めて来たことも確かです。遠く宇宙の別世界(惑星)に居る聖人に願いや相談事を聞いて欲しいのは、いつの時代も同じ地球の状況です。それら人々の声をお聞き下さり、何らかの救いの道を授けようとするのは自然の姿であり、他の世界(惑星)の聖人も多くの民の切実な声に応えて祝福を与え、時には地上(地球)に来訪し、直接、人々に話すこともあったのではないかと思います。
 祈りを届けるのもテレパシーの機能です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落299

299 We find that in the case of thought, like the spark of light, vibrations proceed outwardly from it in all directions. We can tune in on any radiation of that impression, and receive the full thought. Therefore, contrary to current belief it is not possible to transmit a thought directly to any one individual, to the exclusion of everyone else! For inasmuch as mind, the medium of thought transmission, permeates the whole of space and form, there is no place where a thought vibration is excluded.
299 私達は想念は光の閃光のようにそこからあらゆる方向に外に向って進行する振動であることに気付いています。私達はその印象のどんな放射線にも同調させ、その完全な想念を受信することが出来ます。従って最近、信じられていることとは逆に、他の者を除き、何か一人の個人に直接想念を伝達することは出来ないのです。何故なら心、即ち想念伝達の媒体は全宇宙と形あるものに浸透している為に、想念振動が排除される場所はないからです。


【解説】
 ここで想念を「光の閃光」と表現されていることにも注目したいものです。つまり想念は瞬間的なヒラメキとして短時間輝くようなエネルギーを持つ光のような存在であるということです。丁度、宇宙空間における太陽のようにその影響は万遍なくあらゆる方向に伝播されて行くということです。また、それは静かな水面に雨滴が落ちた後のように発生した波が周辺に広がって行くことにも似ているものと思われます。
 従って、誰でも、動植物に関わらず、あらゆるものが何処に居てもその波をキャッチ出来る訳です。各々が日常、何らかの想念を放ちながら暮らしている訳ですから、梅雨時の水面のように私達の住む地表空間には様々な想念の波が行き交い、他の人々や物体に影響を及ぼしていることが良く分かります。もちろん、地球では低次元のものが圧倒的に多い訳ですから、その中にあって気分良く、毎日を宇宙由来の優れた想念波動を取り入れて生きる為には、余程、注意深く暮らす必要がありそうです。

お知らせ

 来週はJICA関係の仕事で中東からお見えになる方々への研修や施設見学への同行の為、10日以上(7月28日頃まで)不規則な勤務状況となります。その為、本講座の更新が出来ない日も多くなるかと思いますが、ご了承戴下さい。
 なお、蒸し暑い時期ですので、皆様、お身体御自愛下さい。 (竹島 正)

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落298

298 The human instrument, or mind, may receive thought vibrations corresponding to its own thought-habit; but may be totally oblivious of vibrations of another nature. Thus, we perceive, it is necessary to develop a universal interest if we are to become unlimited telepathic recipients.
298 人体の計器である心は自らの想念習慣に対応した想念振動は感受するかも知れません。しかし、他の性質の振動に関しては全く気に止めないのかも知れません。こうして私達は感知する訳で、もし私達が無限のテレパシー受信者になろうとするなら、宇宙普遍の関心を発達させる必要があります。


【解説】
 よく「打てば響く」「一を聞いて十を知る」等の表現がありますが、物事をいち早く想念レベルまで同調し、理解できる状況を指すものと思われます。これに対し「能天気」と称されるように周囲の動向に一切関心無く、もっぱら自分の固有の関心事のみの精神世界に生きる者もいます。過去の地球の荒廃の歴史から見て、他の物事に一切関心を持たず、自分のみの世界に生きることは、地球で生きる者のある種、培って来た生きる術かも知れません。
 しかし、これでは進歩はなく、私達はあらゆる生命活動に対し、低レベルから最高レベルまで幅広い感受能力を開発する必要があります。鈍い自分自身をどのようにして開花させて行くのかについて、本項をはじめ様々な箇所で宇宙全体、あらゆるものに関心を持てと言っています。
 身の回りの自然、動植物への興味も周囲の人達へのお世話もこの一環の訓練となる筈です。また、心の有り様として身体に入って来る漠然とした印象を何ら解釈を加えることなく、即ち、自分が言語的に理解するしないに関わらず、何かかすかなインスピレーションが来たら、それを大切に取扱い、後になってそれが何を示唆しているのか明かされるのを待つことも大切な気がしています。やって来る印象を大切に取扱うことで感受性も高まるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落297

297 Some individuals find they receive only telepathic communications of a dire nature; while others receive beautiful visions of a more universal expression. This difference in quality of receptivity can be explained by the fact that the relative vibrations of each person is different. (In speaking of relative vibrations here, I mean to denote the thought-habit of the individual.) And since it is not possible to receive a vibration to which we are not attuned, we will attract those sympathetic to our habitual thought pattern. Remember, when the violin is not properly tuned it will not respond to the sound frequency of the other instrument.
297 ある個人は自分達が不吉な性質のテレパシー的意思疎通しか受け取らないことに気付きますが、他方ではより宇宙的な表現の美しい幻影しか受信しません。この感受性の性質の違いは、各個人における相対的な振動が異なるという事実によって説明出来ます。(ここで言う相対的な振動とは、私としては各個人の想念習慣を印す意図で用いています。)そして私達が調律を受けていない振動を受信することは不可能である以上、私達は私達の習慣的想念パターンにそれら同情的なものを引き寄せるのです。バイオリンが適切に調律されていなければ、もう一つの楽器の音声周波数に呼応することはないことを思い出して下さい。


【解説】
 以前にも「類は類を呼ぶ」という記述があったと思います。結局は想念受信においても各自の持つ志向性に対応したものに同調し易いということでしょう。しかし、ここで大事だと思うことは、そもそも何の為にテレパシー学習を私達が行っているのかということです。低次元の想念を身体に取り入れているのでは、心身ともに健康に良くありません。もちろん、広大な宇宙の中には高レベルから低レベルまでの様々な段階の想念が存在しています。とりわけ、この地球は過去から相当ひどい状況も刻み込まれている訳ですから、テレパシー開発に当っては、まずその認識をしっかり身に付けて取りかかる必要があります。
 その為には私達が日常的にどのような想念振動に身を置いているか自らよく監視し、常に正常な状態に保つ努力をしておく必要があります。イエスは牢獄の中に捕えられても、何ら影響を受けなかったとされています。まして、私達は恐怖や誘惑等、様々な脇道が仕組まれている世の中にあって、宇宙普遍の真理に従った希有な生き方をしようとしている訳です。私自身、ある友人の例を見ても、本当に必要とされている時は真面目な探究者には宇宙の兄妹達も支援の手を差し伸べてくれることを知っています。この講座を学習される方は、この点については安心して次に進まれると良いでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落296

296 The human form, in a natural state of impersonal relaxation, is receptive to all vibrations. Of course, it must be freed from habit action, the sense-man must be controlled, and the ego, or intense concentration upon its basic vibrations, must be relaxed. Telepathy comes as an impression through the feeling channel; and when we control our reasoning mind (or the ego), we can receive impressions from all phases of manifestation: for we are a unit with them.
296 個人としての感情を持たないリラクゼーション状態にある人体は、全ての振動に対して受容的です。もちろん、それは習慣的行動からは解放されなければなりませんし、感覚人は統制され、また、エゴあるいはその基本振動への強烈なる集中は緩められなければなりません。テレパシーはフィーリングの経路を通じて一つの印象としてやって来ます。そして私達が論理する心(あるいはエゴ)を統制すれば、私達はあらゆる創造の側面からの印象を受信することが出来ます。


【解説】
 ここでのポイントはreasoning mindではないかと思います。私自身、用いられているこの言葉の意味合いを正確に掴みきれてはいませんが、訳語としてはここでは「論理する心」としました。本文中ではこの「論理する心」をエゴとして説明しています。つまり、物事を論理的に考え抜くこと、推論することをreasoningと言っていることから、私達の心のこの傾向に対して注意している訳です。
 もう少し詳しく述べてみましょう。ある印象が突然、飛び込んで来たとします。その際、私達の心は未だその正体がはっきりしない印象類に対し、とかく詮索好きで、あれこれ思い巡らしてしまい、その印象全体を受容するという態度をとれません。これが最初の課題であると言う訳です。
 印象自体、その意味する全貌は最初は分からないものではないかと思っています。逆に言えば、初期段階では私達の感性が鈍い為、容易にはその内容を理解出来ないと言っても良いでしょう。しかし、その塊としての印象をとにかく受け取ってしまうことが大事なように思います。その上でこの印象が示唆する事柄を丁寧に学び取れば良いのです。つまり、その印象に対して心を謙虚にして次第に明らかになる事柄について、指示に従うということでしょう。
 受容的な状態とは、やって来るインスピレーションを喜んで出迎えることに似ています。当初はどのような種類のお客さまかは分かりませんが、訪ねてくれたことに感謝し、心を落ち着けて対応する中で、いろいろな事が語られるように思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落295

295 The basic vibration of any form is a constant thing; otherwise, the cell would not always reproduce its kind. But so far as the cell's activity and capability of transmitting impressions is concerned, it is unlimited in a relative, or natural state. It is this relative activity with which we are dealing in the study of telepathy; and it may be referred to as the sympathetic vibration. This sympathetic vibration can be demonstrated by using two violins exactly attuned. When we pluck the string of one, the other violin will respond in the same key. A similar experiment may be performed with ordinary drinking glasses, but these are limited in their vibratory range.
295 如何なるものもその基本的振動は不変のものです。さもなければ細胞はいつもその種を再生産できなくなるだろうからです。しかし、細胞の活動に関する限り、また印象を伝達する能力に関する限り、それは相対的あるいは自然の状態としては制限がありません。私達がテレパシー学習で取扱っているのは、この相対的な活動なのです。また、それは同情的振動と表現されるかも知れません。この同情的振動は正確に調律された二つのバイオリンを使って実証することが出来ます。私達が弦の一つを弾くと、もう一つのバイオリンが同じ音で呼応します。同様な実験が普通のコップについて行われるかも知れません。しかしこれらはその振動範囲に限られているのです。


【解説】
 私達の細胞一つ一つにはDNAと呼ばれる遺伝情報が確固なる形で埋め込まれており、その情報に基づいて日夜細胞分裂が行われ、肉体が維持されています。また、いわゆるガン細胞はこれら遺伝情報の損傷によって引き起こされることは、私達が知るところです。これから分かるように各細胞はそのものの増殖を確保する為には、ある種の確固たる情報を維持している必要があり、これを著者は「基本的振動」と表現しています。その意味合いには私達が未だ気付いていない電磁気的な要素も含めて、より深遠な内容を指しているものと思います。
 一方で、他者の想念を感知する能力として、ここでは「相対的な活動(relative activity)」という表現が用いられています。他人の想念に同調するのは、同情的な振動であるとしていることから、その想念を感知するということは、やって来る想念に自ら同調(同情)して自らの中にその想念と同じ振動を起こすことだと解説しているのです。
 その例として本文では二つのバイオリンの弦の例が出ていますが、同様なことは音叉を用いても実験することが出来ます。物理ではこれを共鳴・共振と呼んでいますが、様々な想念に自らの周波数を合わせて受信した電波を音声波に変換するような作用は、ラジオそのものであり、私達自身、想念を受信して言語として表現する等、そのラジオの機能を備えていると言えます。ちなみにこの受信作用は細胞のアイデンティティを示す基本的な振動とは別に、「相対的な活動(relative activity)」と表現されており、そのrelativeの意味合いとしては、左右いずれにもある程度、振れることが出来る範囲を言い、本人が受け止められる範囲、同調できる範囲を指すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落294

294 It became quite a game with my friends to place a tasty titbit in the center of the table, well out of reach of the little dog. The family would then pretend complete indifference to the action of the animal, who would circle the table, sampling the air. When he was assured his nose was not deceiving him, he would trot off to find the cat. Upon locating her sleeping curled up in a chair, he would nudge her awake and silently obviously converse with her. She would rise, stretch, and stalk across the room. One nimble leap would carry her to the center of the table, where she would pick up the morsel in her mouth and drop it to the waiting dog. Her task performed, the cat would resume her interrupted nap, while the dog chewed contentedly on the stolen food. This was no coincidence, for it so delighted the owners that they had the animals repeat it frequently for interested friends. In this case the dog and cat, different species of the animal kingdom, were merely using the universal language which is natural to all forms of manifestation.
294 私の友人達にとって、その小型犬が届かないテーブルの中央に、一口大のうまい食べ物を置くことは、楽しい遊びになりました。家族達はその犬の行動には全くの無関心を装うこととし、犬はテーブルの周囲を回って空気を嗅ぎます。自分の鼻が偽っていないことを確認するや、犬は猫を見つけようと小走りになります。椅子の上で丸まって寝ている猫を見つけるや、犬は猫を軽く突いて起こし、無言のまま、明らかに猫と会話します。猫は起き上がり、伸びをしてゆっくり大またで部屋を横切ります。敏しょうな一飛びで猫はテーブルの中央に乗り、そこで食べ物の一片をくわえて、下で待つ犬にそれを落としてやります。猫は任務を果たした後、邪魔されたうたた寝を再開し、犬は奪った食べ物を満足気に噛みしめていました。これは偶然の一致などではなく、飼い主は大変喜び、興味を持った友人達の為、その動物達に度々繰返えしやらせました。この場合、動物界の異なる種である犬と猫は創造の全ての形有るものにとって自然である宇宙普遍の言語を用いているに過ぎなかったのです。


【解説】
 思い出すのは、昔、生物の授業にあった「共生」についてです。蟻とアブラ虫、ヤドカリとイソギンチャク等、子供にもよく知られている事例です。このような場合、授業では互いのメリットがある関係として整理されているだけですが、その共生を支えるのは、異なる種属間の意思疎通であり、それこそ本講座で学ぶテレパシーということになります。
 互いに苦手な側面を補い合い、両者のプラスになる、今日的な表現で"Win-Win"の関係になる仕組み、「ビジネスモデル」という訳でしょう。
 しかし、その基本は互いに他者を信頼できることが前提であり、双方ともに大自然の創造主を信頼していることが、共通の信頼感を持つ源となります。この事例における猫と犬の場合も、日常を過ごすその家庭が構成員に安らぎを与え、信頼感を育む素晴らしいものであったことにも、留意する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落293

293 For example: We know that different species of the animal kingdom are able to communicate with one another. They do not use a spoken language as we do, but they convey their meaning to each other very clearly. I well remember a little fox terrier and a deaf white cat that belonged to friends of mine. These animals were inseparable companions, and although the cat was as deaf as a post, they often gave positive proof of their ability to commune with each other.
293 こういう例があります。私達は動物界の中の異なる種が互いに意思疎通を行えることを知っています。彼らは私達のように話す言語は用いませんが、互いに大変明確に自分達の意図を伝えます。私の友人が飼っていた小さなフォックステリア(訳注:犬の種名)と耳の聞こえない白い猫のことをよく思い出します。これら動物達は、離れがたい間柄であり、その猫は耳がまったく聞こえないのですが、彼らはしばしば互いに心を通じ合う明確な証拠を示してくれました。


【解説】
 家でペットを飼っている人も多いかも知れません。しかし、私達はそのペット達がどのような手段で互いの意思を伝え合っているか、普段あまり考えることはありません。呼び掛けの通常の音声によって、飼い主の所に寄ってくるペット達ですが、私達はそれらペット達がどのような気持で一日を過ごしているのか、関心を持たず、多くは自分の都合でペットを取扱いがちです。
 しかし、動物達は本事例に紹介があるように、何ら不自由無く他の存在と意思疎通を行い、暮らしているように見えます。ました野生動物は食料の確保や外敵から身を守る等、様々な注意を払いながらも、自然を楽しんでいると言えるでしょう。ちなみに人間の場合、そのような大自然の中に一人放り出された場合には、前途を悲観してとても満足に生きられないかも知れません。実は、それ程に野生動物のテレパシー能力は優れており、間近に起ることを察知したり、無言のまま印象をやり取りすることが出来るのではないかと思っています。
 さて、こう考えると実は身近な生き物達はテレパシー応用事例としても良い教材であることが分かります。私達も動植物を含め、あらゆる生き物を観察することで、テレパシーの生きた事例を学ぶことが出来る訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落292

292 We must understand that the human cell has a basic vibratory rate, that naturally responds more easily to other human vibrations than it will to those of animal, plant, or mineral life. But the human cells are just as capable of receiving impressions from all of these phases of nature, as they are from human beings. The same atoms, vibrating at different rates, make up the forms of human, animal, plant and mineral and they all speak the one universal language.
292 私達は人体の細胞は基本的な振動率を持っていて、動物や植物あるいは鉱物の生命に対するよりも、他の人間の振動により容易に自然と反応することを理解しておかなければなりません。しかし、人体細胞は丁度、それらが人間からであるのと同様に、自然のあらゆるこれら側面から来る印象を受信することが出来ます。同じ原子群が異なる振動率で振動し、人間や動物、植物や鉱物の形状をつくり上げており、それら全ては一つの宇宙普遍言語を話しています。


【解説】
 人間が一番影響を受け易いのは、やはり人間だという訳です。他人に同調し、やがて思考傾向が似かよることは広くは民族についても言えることであり、選挙をはじめ多くの政治の舞台で起っていることでもあります。演説が上手で、人を引き付ける話振り等、いわゆるカリスマと呼ばれる人達は、こうした人心掌握の技術を身に付けているという訳です。しかし、悲しいかな、多くの人達はこれら中身の乏しい言葉に何度も騙され続けているのではないかと思います。「空飛ぶ円盤の真相」の中に、「サタン、時の人」と表現されている箇所があったかと記憶しています。時代の寵児とされる人物にこそ、注意すべきなのでしょう。
 よく「気が合う」等の表現がありますが、これは互いが発する想念が相互に受け入れられている状態かと思われます。人とペットとの間もまた、互いに音声の言葉のやりとりはしていなくても、気持が通じるというものでしょう。
 本来、テレパシー開発の目的は、宇宙に暮らすありとあらゆる生き物、これまで無生物とされて来たものまでも含め、すべての「生き物」と意思の交流をすること、相手を理解することにあります。その過程では宇宙の創造的想念とも混然一体化する道程であろうと考えます。実はそのような心境に至れば、何ら所有物を持たなくても豊かな気分になります。周囲のあらゆるものが、貴方を支える味方になるからです。また、こうした中で、貴方ご自身もより良い想念の発信体になることが出来る訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落291

291 On the other hand, the optimist will see the beauty in the drifting snowflakes. He will call your attention to the majesty of the towering clouds, and point out the gratitude of the thirsty ground. These two minds are using the same universal law of action. But one has set his mind in motion along a destructive, vibratory thought-habit pattern; while the other follows a constructive vibratory thought-habit pattern; recognizing all creation as a manifesting expression of the Supreme Intelligence.
291 他方、楽観論者は漂う雪片に美しさを観ることでしょう。その者はそびえ立つ雲の偉容と渇いた大地の感謝の気持に貴方の注目を呼び起こすことでしょう。これら二つの心は同じ宇宙普遍の運動法則を用いているのです。しかし、一方は自分の心を破壊的な振動の想念習慣に沿って動かしていますが、もう一方は全てお創造は至上なる英知の現出された表現として認め、建設的な振動の想念パターンに沿って自らの心を動かしているのです。


【解説】
 確かに個人の特性として楽観的な人と悲観的な者がいる訳ですが、本項まで続く両者の分析をこれほど、著者が詳しく述べるには理由があると思っています。それは各自にとって日常、向き合う問題や事物、目標に対して、どちらの姿勢をとるのかという点で、この例示が生かされる為だと考えます。
 私達はとかく、これまでの自分の思考習慣に基づいて、物事を処理しがちです。その際、これまでの失敗の経験から、多くの場合、チャンスに尻込みしたり、また一方では過度の楽観視から将来の事態を正確に予測することが出来ていません。
 この時、物事を宇宙普遍の法則が働くダイナミックな創造活動の一環として観ることで、未来の姿が見えて来るものだと考えています。あらゆるものを、例え自分には不利な条件と思えたとしても、より大きな視点で観ることで、これから進むべき方向性が明らかになるものです。
 楽観視はただ、自分の願望の実現を願うだけで、その持つ本質的な意義と原理を理解しなければ、価値の無い単なる盲信に留まるだけです。各自が宇宙・自然の中にその真理を発見出来れば、後は揺るぎない信念に育て上げることが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落290

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.
290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。


【解説】
 これまで述べられて来たように想念は肉体細胞に大きな残留影響をもたらし、細胞はその振動を継続し続けることが分かりました。その結果、長年の思考習慣はその個人の性質(個性)を形づくり、最後は「石頭」と称せられる程の頑迷さを示すまでになる訳です。
 もちろん、老子の言うように柔軟性を得なければならないことは言うまでもありません。しかし、その為には幅広い想念・印象に対して感受できる許容幅が必要だということでしょう。とりあえずは多くの本を読み、先人の歩みを学ぶ中でそれら貴重な想念に接することも出来る筈です。また、自然の中に出て、そこで生きる生物達の生きざまを学ぶことも大切です。
 私達は各々自分の生き方をどのように設定するかは各自に委ねられています。楽観的な見方で生きようと、悲観的な目で人生の大半を過ごそうと、それはその人の自由ではあります。しかし、本人はとにかく、他人への影響としてどのような生き方が望ましいかは自ずと明らかな筈です。他の者の生きる上で参考となるような生き方です。
 本文最後に述べられている「創造を疑問の念をもって観ている」のが悲観論者であるとしている点は大変重要です。私達は少なくても、宇宙の創造主を信じ、自らの肉体が与えられていることに感謝すれば、世の中、悲観論は誤りであることに気付く筈です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落289

289 Psychologically, we express this law by the statement that "a habit is difficult to break." In other words, any thought that is allowed to impress itself upon the body, sets the cells of the body into a state of motion corresponding to the thought-vibration. The body then has a tendency to continue in that particular motion until acted upon by another force which is strong enough, or positive enough, to change that vibration. The highly organized, concentrated, personal ego, in its aggressive manner, is so prone to force-frequencies that it intensifies the natural tendency of matter to continue in any motion, once that motion is created. When we allow habit-motions to become set, it necessitates contact with a very positive vibration to change them.
289 心理学的には私達は「習慣は打破するのが難しい」と表現します。言い換えれば肉体い対して印象付けることを許された想念は皆、その想念波動に対応した運動状態に肉体細胞を整えます。肉体はそれ故、次にその振動を変化させるに十分な強さや大きさを持った別の力によって作用されるまで、その特定の運動を継続する傾向があります。その攻撃的な振る舞いにおいて高度に組織化され、集約化された各個人のエゴは、力のある振動から大きな影響を受け易いため、一度運動が創り出されると継続するよう物質の自然の傾向を強めてしまいます。私達は習慣的な運動をセットすることを認めた後は、それらを変える為には別の強力な振動と出会う必要があるのです。

【解説】
 具体的に私達が想念に影響を受けるということはどういうことかについて、明解に示されているのが本項です。度々想念波の受信をラジオに例えられて来ましたが、各細胞が受け入れた想念に共鳴し、梵鐘の余韻のように以後継続的に振動し続けることで、その後の心身に大きな影響を及ぼす訳です。
 一方、心の作用として、ここでは本来微小な力しか持たない想念が、実は心という受信器を介することによって、より大きなパワーに増幅される様子についても触れられています。つまり、私達の心はアンプ(増幅器)だということでしょう。その増幅器、本来の妙なる調べを増幅する分には良いのですが、そもそも同調する想念レベルが低次なものであれば、その悪影響も大きなものとなってしまいます。まして私達の肉体細胞は心の支配下にある訳で、それら増幅された想念振動を継続的に保持することになります。
 もう一点、本項で大事なことは、既存の心の信奉想念を入れ替える為には、別のより強力な想念と接することだとしている点です。日々の生活の中でも、より優れたもの、学ぶべきものに鋭敏であり続けて、それらに巡り会うことで、新たな心情を得ることが出来るという訳です。こうした師と呼ぶべき存在に出会う上からも、心は常にオープンな姿勢を保つべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落288

288 To answer these questions, we must again refer to the universal law of action. The scientific definition of this law is, "Any object set in motion has a tendency to continue in motion in the same line, or direction, until acted upon by some external force."
288 これらの疑問に答える為、私達はもう一度、運動の普遍的法則を引用しなくてはなりません。この法則の科学的定義は「如何なる物体も動かしはじめると、何らかの外力が作用しない限り、それと同一の直線、同じ方向に運動を続けようとする傾向を持つ」としています。


【解説】
 個性や性質というものは容易に変わるものではありません。変わった場合には、「人が変わったみたい」と称せられる程、驚かれるものです。実はその個性の形成は本項に描かれているような氷の上を滑るのに似た動きという訳です。まして毎日、その人が取り入れている似かよった想念パターンが動く方向を益々固定化したものとして行く様子は良く分かります。
 こうして個性が形成されてしまう訳ですが、それでは誤った方向に向いている場合、問題は深刻化します。この言わば習慣的な想念パターンからいち早く抜け出して、もっと自由にあらゆる角度からの印象を求めることで様々な方面からの印象も来るようになり、更に関心が拡がるということでしょう。
 仏教では阿弥陀仏は西方浄土にあって、現世のすべての衆生を救おうとしているとしていますが、その阿弥陀仏が衆生すべてが発する悲喜こもごもの想念にもじっと耳を傾ける優しさを人々は感じ入っている訳で、テレパシー学習の目指す方向もこうした関心を自然や社会のあらゆるものに向けることにあるように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落287

287 I have said that in general, lack of receptivity is due to lack of interest on the part of the individual. We know that some persons are intensely interested in all that goes on around them, whereas others have limited interests. Why should this be? What causes the psychological difference?
287 私は一般論として、感受性の不足はその個人の側における関心の不足に起因すると言って来ました。私達はある人々は身の回りで起る全てに強烈に関心を持つ一方で、他の者達は限られた関心しか示さないことを知っています。これは何故でしょうか。その心理面の違いは何によるのでしょうか。

【解説】
 私達はこれまでこのテレパシー講座を通じて、自分もその能力を高めたいと思って学んで来ました。もちろんそれは単に表面的な技能を高めるテクニックだけの学びではなかった筈です。そうした一連の学習の流れの中で、本項は改めてテレパシー能力の大きな側面と言える印象を感受する能力は各自の関心の程度にも大きく影響していることを明言しています。
 従って、私達は自分の関心の範囲や深さについて再点検する必要がありそうです。
 十人十色と言うように、人の個性は様々であり、同じ時刻、同じ場所に居ても各自が示す興味は様々です。ある人は旅先で細かい部分にも感動しますが、他の人はそれらに気付くこともありません。人に促されたとしても大した関心も示さないことも多いものです。このような関心の程度や範囲の差異については、もちろん、その人が前世も含めて歩んで来た道程にも大きく影響を受けている筈です。その為にも各自、今一度、ここに少しの間留まって、自分自身の志向性の背景について考えて見る必要があるでしょう。
 その結果、努めて自分の関心の幅を広げ、探究心を深めること、同朋である生き物の生きる姿を学ぶ姿勢が重要となります。テレパシー能力は得に奇異な修業を行うことはなく、ごく普通の哀れみ深い心情と万物に対する庇護の気持を育成することで育て上げることが出来ます。
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