2010年06月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落286

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を自然の相関性の一連の流れ、即ち想念の連続性の中に放出することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。


【解説】
 本項からリラックスとは自由な想念の流れが行われている状態を指すことが分かります。人体の各細胞が緊張することなく自由な状況にあれば、内外からの想念を感受、発信することが出来ます。つまりは体内を自由に想念が通過することが出来るようになり、その結果、様々な体験や知識、ヒラメキを受けることが出来ます。その結果、例え短い時間であっても、数多くの体験をすることで従来の時間と比べて長期間暮らしていたような気分になるという訳です。
 そのような状態になる為には、本文最後にある「個人的な願望を自然の相関性の一連の流れに放出する」ことがポイントとして記述されています。ここで「個人的な願望」とは必ずしも「利己的」という悪い意味だけを指すのではありません。そもそも自分がこうしたいと思うこと、自分あるいは身近なものに関する願いは全て含まれます。その願いをいつまでも心に留め置くことなく、自然界の流れの中に委ねなさいと言っているのです。
 つまりは願いを持ったら、それを早々に自然の中に放ってやがてそれらが結果をもたらすのを待つ姿勢です。しかし、放出するだけではダメで、本文がその後に続くように「あらゆるものに先入観の無い関心を抱くこと」が大切で、放出したら、後は全てお任せということではありません。その結果の再来も含め、あらゆるものに関心を保つことで来るべき印象、自らの願いの回答が寄せられる場合も見逃さないようにする必要がある。本項はこうした内容を読者に示唆しているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落285

285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。


【解説】
 結局のところ、私達は自分の心に抱く想念が如何に様々な所に大きな影響を与えるのか理解出来ていないことに行き着くように思います。通常、私達は心の中に抱いている間は、それを具体的な行動に起こさない限り、非を問われることはありませんし、思い描く段階は思想信条の自由として認められています。しかし実際には私達が心配事や不安定な精神状態の下、混乱したあるいは不快に思う想念を放出すれば、それが自らの肉体細胞或いは身近なものの細胞に作用し、それらを身構えさせることになります。また、他方ではリラックスと称して、無関心な状況に自らを置くことで本項にあるような停滞状態を作り出します。同様なことは今日の精神科医においても精神面で不調を訴える患者に同様な作用をもたらす薬剤を処方されているように思います。
 実は本項の中で本来のリラクゼーションとはその中間地点にあると明確に解説されています。古来から中庸の大切さについては種々述べられているところです。うさぎと亀の童話を出すまでもなく、人間は強烈なる精神集中の次には、無気力に陥る極端なパターンを繰り返しがちですが、重い荷物を担う者のように、急がず、怠けず継続した歩みが必要だということでしょう。
 人間の短い時間軸では未だ結果が現われないことを理由に、志しをあきらめることは良くありません。自らの精神状態を結果に左右されず、望む方向に保つことで、結果(成果)は必ず芽を出してくるものと思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落284

284 The same holds true of the cell entities of the human body. Our minds are constantly "bumping" into the worries and anxieties around us in the crowded fish bowl of our own creation; and each contact-shock dissipates a certain amount of energy. So we can safely say that tension is the chief cause of non-activity of the cells, and non-receptivity of telepathic impressions. But due to a misunderstanding of the true meaning of relaxation, there exists another condition that is just as detrimental as tension.
284 これと同じことが人体の各細胞実体についても当てはまります。私達の心は私達自身の創造物である混み入った金魚鉢の中の私達に心配と不安を常に「ぶつけて」おり、一つ一つの接触の衝撃が何がしかのエネルギーを消耗させています。ですから私達は確かに緊張は細胞の非活発やテレパシー的印象の非感受性の主原因であると言うことが出来ます。しかし、真のリラクゼーションに対する誤解から、この緊張と同じくらい有害な状態も存在するのです。


【解説】
 訳文としては"of our own creation"(私達自身の創造物)の付く先がややあいまいな形になっています。文型としては「混み入った金魚鉢」に付くような位置にありますが、意味合いとしては「心配と不安」に付くと考える方が意味が通ります。
 即ち、人体にある60兆もの細胞は現に塊になって存在するのですが、心が自ら作り上げた心配や不安の想念は、真っ先に自らの肉体細胞を通過する訳で、その際、当然ながら各細胞は心の指令に常に従順な為、それらマイナスの想念を浴びると、おそらくは身震いする程のショックを受け、緊張することが想定されます。度重なるこうした状況の中で各細胞は疲弊し、老化が発生することになります。
 こうした事態を緩和する為にも、努めて不安やその他マイナスの想念を心から駆逐しなければならない訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落283

283 As an illustration; let us imagine we place a large number of goldfish in a small bowl. This crowded condition will not enable them to move about freely, and any motion on their part will cause them to bump into other fish. Each contact-shock will result in the expenditure of a certain amount of energy. If they try to force their normal activity in such congested surroundings, they will soon become fatigued. If they are wise, they will instinctively lessen their action; in which case they are reduced to a condition of lethargy. But as soon as these fish are placed in a larger receptacle they will again expand their activity to its natural state.
283 例示として小さな鉢に沢山の金魚を入れた場合を想像しましょう。この混み合った状況は金魚達に自由に動き回ることを出来なくさせており、少しでも動くと他の魚にぶつかってしまうことになります。この接触の衝撃は幾分かのエネルギーを消費します。もし、金魚達がこのような詰め込み状態の中で通常の動きを無理にしようとすれば、すぐにも疲れてしまうでしょう。彼らが賢ければ本能的に活動を低下させるでしょうし、その中で彼らは不活発状態に弱められて行きます。しかし、これらの魚達がより大きな容器に入れられるや否や、彼らは再び自然な状態まで活動を広げることでしょう。


【解説】
 このすし詰め状態における各金魚の置かれている状況については、私達も毎日の通勤電車の中で体験するところです。ひたすらじっと我慢して、目的地に着くのを待つという疲れる日常を多くの方が体験していることでしょう。本来は、もっと自由にゆったりとした朝夕の時間を過ごしたいものですが、この例示を学ぶには格好の材料でもあります。
 以前にも述べられて来たように、物質は気体-液体-固体の順に密度が高まっている訳で、当然、私達の身体も、この金魚鉢のように多数の細胞が集積し、人体を構成している訳です。本文では一見すると高密度に集積することが問題かのように読みがちですが、上述のことを考えれば、問題はその集積問題にあるのではないように思われます。細胞が集積されなければ、形あるものの現出はなく、より大きな創造の現れは実現できないからです。
 一方、魚の群集については、外敵に立ち向かう際、大群があたかも一つの生き物のように行動するイワシの群れの映像をテレビで見たことがあります。上下左右に一糸乱れぬ大群のうねりは、これら各細胞が協調できれば、より大きな活動を実現できることを示しているようです。本項に対する著者アダムスキー氏の言いたかったことは、次項(284)に述べられています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落282

282 Relaxation is generally misunderstood. In consequence, there few people who have ever experienced true relaxation. Contrary to popular belief, it is not a state of inertia. It is a condition of intensified activity . . . because it is free activity.
282 リラクゼーションは概して誤解されています。結局のところ、これまで真のリラクゼーションを体験した人は少ないのです。よく信じられているのとは反対に、リラクゼーションは何もしない惰性の状態ではありません。それは、自由な活動であるが故に、激化した活動の状態なのです。


【解説】
 通常、私達はリラックスすることを、何も考えず、何の行動もせず、のんびり過ごすこととして来ました。しかし、本文ではこうした自ら動きのない惰性的(inertia)状況は真のリラックスではないとしています。
 海の波も、生き物の心臓の鼓動も呼吸の動きも、一瞬として休むことはなく、活動的です。このような活発な生命活動に同調し、本流に乗ることが、却って抵抗を無くし、疲れを無くすことになるということでしょう。
 その状態をどうやって達成するかが問題となるところですが、その様子は同乗記にブラザーズが宇宙船の操作卓に就くや、一心不乱にデータを打ち込む情景として、良く表現されています。波動には同調や共鳴という現象がありますが、周波数が等しくなれば、わずかな力で大きな力を発揮することが知られています。それと同様に、宇宙源泉と同調できれば、自ら低レベルで強引な力を行使して疲労を溜めることなく、気分は爽快に力を発揮できるのではないかと思います。その状態を真のリラクゼーションと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落281

281 To some people, this may seem a very haphazard way of experiencing life. For has not the human ego, through hundreds of thousands of years, been trained to the idea of accomplishment by aggression and personal effort? Yet, there are the fortunate few who have discovered the universal way of life. Such persons include not only the seers and the philosophers (who, we pointed out earlier, understood that mastery of the body was essential), but those in all walks of life. Thomas Edison, one of the great scientists of our times, once remarked, "I have found that the answer to some of my most perplexing problems come to me after I have ceased trying to solve them." In other words, the thoughts started to flow freely when his interest was impersonal; when his intense concentration had been released.
281 人々によっては、これは人生を経験する上で行き当たりばったりのように思えるかも知れません。何故なら、人間のエゴは何十万年もの間、攻撃と個人的な努力による物事の達成という概念で訓練されて来たのではなかったでしょうか?それでも宇宙普遍の生き方を発見できた幸運な人達もいます。これらの人達の中には先見者や哲学者(彼らは古くから肉体の支配が不可欠であることを指摘し理解していました)ばかりでなく、あらゆる人生の歩みの中におりました。今日の偉大な科学者であるトーマス・エジソンはかつて、こう述べました。「私のいくつか悩んでいた問題の回答は、私がそれを解決したいとする努力を止めた後にやって来ました。」言い換えれば、彼の関心が非個人的になった時、即ち彼の強烈なる集中が開放された時に想念が自由に流れはじめたということです。


【解説】
 ここで言う「肉体の支配」とは自らの精神状態を含めて、自分をコントロールすることを意味し、とりわけ心の有り様を自ら制御することを意味していると考えます。つまりは、従来、自我(エゴ)の力任せの努力や健闘というものが目標達成には不可欠だとされて来ましたが、それでは自らの願望によって肉体細胞が緊張し、恵み多い宇宙からのインスピレーションに触れることは出来ません。如何にして英知から降り注がれている印象に接することが出来るよう、心身の状態を整えるかが重要となる訳です。
 日本の神社では身を清め、心を鎮めて、いわば印象感受の前準備を整えた後、社殿に上がり、神託を受ける等、一連の作法を行うようですが、その根本思想は本項で言う想念が自由に流れる状態を自ら作った上で神に向き合うことを意味しているように思います。
 また、自ら懸案に努力することは必要ではありますが、自分の努力だけで問題を解決することは出来ません。努力の中でもひたすら気分をゆるやかにしてこだわりのない生き方を貫くのが本来の生き方であろうと考えています。その場合、自分の努力と自らの精神状態のどちらを優先すべきかについては、本項を学んだ結果から、自分の精神状態こそが最優先の課題であることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落280

280 It is not easy to hold one's self always in a state of receptivity, because it demands a perfectly balanced consciousness. It is not a simple task to keep the body in a state of relaxation and still maintain a positive interest in all action around, and within us. Yet, this state is necessary to a good recipient. We must learn to look upon our mental reactions as though we were an impersonal bystander, and our thoughts were nothing more than actions taking place upon a stage.
280 自我を感受性のある状態に保つことは容易ではありません。完全なる調和した意識が必要だからです。肉体をリラクゼーションの状態に保ち、しかも周囲や自らの内面のあらゆる活動に対して積極的な関心を維持することは容易な任務ではないのです。しかし、良い感受者にはこの状態は無くてはならないものです。私達はあたかも自分が個人的に関係がない傍観者であるかのように、私達の精神的な反応を観ること、また、私達の想念がステージで起っている演技でしかないかのように観ることを学ばなければなりません。


【解説】
 想念観察については、様々な所でその有効性について説かれて来ましたが、その基礎となる自らの「立ち位置」について説明しているのが、本項です。つまりは、あらゆる場面において、あたかも自分(エゴ)がどのような想念を発し、対象物に接しているかを、もう一人の自分(意識)が観察するという構図です。
 よくチベット仏教の僧院に目が描かれている話を聞きますが、自分(エゴ)の行動を絶えず観察する訓練が重要だということでしょう。私達のエゴを訓練するのは容易なことではなく、絶えず両親(意識)の庇護の下、見守っている必要があります。こうすることで本項のテーマである心のバランスを保ちながら、感受性を持たせることが出来るとしています。
 また一方、日常生活における実用面としては、例えどのような困難な状況に逢おうとも、その状況に支配されることなく、冷静に余裕を持って状勢判断をする為に、自らをその場の舞台俳優と見なし、演じる中で、自分を外から観察する余裕と客観性を持つと良いことをも示唆しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落279

279 Thought-transference is much like a radio broadcast. In radio, a message or vibration is spoken into the microphone; passes through an amplifier and transformer; travels through space as an electric wave; is picked up by a receptive instrument; carried through the wires to the detector tube and transformer, where it again changes into the original sound waves. But if the power fails, or a tube goes dead in the middle of the message, the sound waves coming from the set will stop, and the speaker's voice may be interrupted in the middle of a word. When we tense our minds to an incoming thought, it produces the same effect on the brain that the power failure, or dead tube does in the radio set.
279 想念伝達は、ラジオ放送により近いものです。ラジオの場合、メッセージあるいは振動がマイクロホンの中に話され、アンプや変圧器を通り、電気的な波として空間を移動し、ある受信装置に拾い上げられると、電線の中を通って検波管や変圧器に運ばれ、そこで再び元の音声波に変換されます。しかし、メッセージの途中でも、電力が無くなれば、あるいは真空管が作動しなくなれば、ラジオから出る音声波は停止し、話し手の声は途中で中断させられることになるでしょう。私達が入って来る想念に対し、心を緊張させると、ラジオにおいて電力が落ちたり、真空管が切れるのと同じ影響を作り出すことになるのです。


【解説】
 未だ想念伝達について、あるいは人間の脳が如何にイメージを作り上げるかについて、詳しいことは分かっていません。しかし、ここではテレパシー現象をラジオに類似したものであると解説しています。メッセージの発信者から発せられた想念波動が如何にして空間を伝わり、相手に届き、再び発信者の意図と再現するかについて述べられているのです。
 これについては、私達は、そもそも想念が空間に拡がり、伝播することすら、理解出来ていません。まして、それら想念波動を感受した細胞が如何なる経路を経て、頭脳に伝わり、元のメッセージに復元されるか、よく分からないまま過ごしています。
 しかし、日々の生活の中から、時折、テレパシックな現象を体験している訳で、少なくても感受の際の心構えとして、これら一連の流れをスムーズに出来るよう、慌てず騒がずの姿勢を貫くことが重要なように思います。結局はこれら緊張の姿勢の背景には、過度の知識欲や不確かなものへの恐れがある訳で、何よりも宇宙を流れる意識を信頼して受け止めることが大切だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落278

278 Often, however, the loss of important telepathic communications - whether from animate or so-called inanimate sources - is not due to lack of interest, but due to a too intense interest; or a personal greed for knowledge. A thought, as we have explained, does not travel in a lump like a cannon ball, but in a series of waves. One complete thought may produce itself in fifty thousand individual undulations. Yet, nine times out of ten the instant a forerunner of a thought-message strikes the human brain the ego, if interested, will grab it and immediately tense the brain and body cells by concentrating upon the incoming thought. That sudden tensening of the cell activity is merely slamming the door in the face of the incoming thought. The five or six hundred impulses which found their way into our conscious brain cells before the door was closed, produced only a fleeting impression in our awareness; which, because we have received only a portion of the message, often results in a sense of confusion.
278 しかし、重要なテレパシックな意思疎通の喪失は生物からであれ、いわゆる無生物からであれ、関心の欠如に起因するのでなく、しばしば過剰な関心や知識に対する個人的な貪欲さにも起因しています。想念は私達が説明して来たように、大砲の弾丸のように塊で移動するものではありません。一つの完全な想念は5万個の個別なうねりによって自身を作り上げているかも知れません。しかし、10の内、9回は想念メッセージがエゴである頭脳を叩く瞬間、エゴが関心を示せばエゴはそれをつかみ取り、そのやって来る想念に集中することで、頭脳と肉体の細胞を即座に緊張させます。細胞活動をそのように急に緊張させることは、入って来つつある想念の目の前でドアをバタンと閉めていることに過ぎません。その扉が閉まる前に私達の頭脳細胞の中に入った500から600の衝動は私達の知覚の中に先頭の印象しか作り出すことが出来ませんし、私達はそのメッセージのわずかな部分しか受け取らなかったため、しばしば混乱の感じしか結果として残らないのです。


【解説】
 印象(インスピレーション)を受け入れる際の姿勢について、これほど明解に解説している例を他に知りません。一つの想念が5万個の微小想念波から成り立っているとすることは重要です。私達は想念をこれまで、「瞬時に」と表現して来ましたが、実際には伝わるのにある程度の時間を要する波動状のものであることが分かります。
 これに対して私達は時としてあまりにもせっかちであり、未だアイデアの全貌を受信していない間に騒ぎ立てて肉体細胞を興奮させてしまうという訳です。つまりは如何なる場合においても心身を穏やかにリラックスさせておくことが必要だということです。とりわけ、そのメッセージの送り主を信頼して、全体を受け入れることから始まります。この相手を受け入れること、話しを全て聞き入れようとする姿勢にはカウンセリングの対応が似ているかも知れません。やって来るアイデアの全貌が分った時点で、自分に適しているか、正しい内容であるかを判断すれば良いことです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落277

277 The wise man will learn to pay attention to all thoughts passing through his brain. He will heed not only those pertaining to self, but also those thoughts taking place outside his personal field of comprehension. For only in this way will he grow in knowledge and receptivity. It is indifference and lack of interest which causes man to lose the greatest jewels of wisdom . . . lose them through apathy when he actually holds them within his grasp.
277 賢明な者は自分の頭脳を通過する全ての想念に注意を払うことを学ぶでしょう。彼は自身に属するもののみでなく、自分自身の理解の分野以外で起る想念についても心に留めることでしょう。この方法を通じてのみ、知識や感受性において成長するからです。人に智恵の最大の宝石を失わせるのは無頓着と関心の薄さであり、実際、手に握っているにも拘わらず無感動のまま無くしてしまうのです。


【解説】
 もちろん人間が成長する上で、このような外部から来る印象から学ぶことが全てではありません。私達のこれまでの生涯を振り返っても、学校における系統的な知識の学習や家庭その他、身の周りの人々や書物、放送番組等、様々な経路を通じて学習し、今日に至っています。
 これらの各科目に向き合う態度が重要なことは言うまでもありません。とりわけ、理解するということの中には、自らの意識をその場面に移入させる中で、半ば自分の体験として理解し、記憶する過程があるような気がします。そういう意味ではこれらも実際には印象を取扱っているのと大差はないのかも知れません。
 とかく学生の時代は表面的な内容を記憶することに重点が置かれがちですが、大人になってからは(特段の試験がある訳ではないので)、様々な事物について自分の意識的な触覚を動員して、その本質を感じ取ることを行うべきでしょう。
 例え偶然、飛び込んで来た印象を手掛かりに、新しい世界が拡がる様子は、今日ではインターネットの検索作業を通じて出会ったサイトから自分が長年求めていた人物やテーマに巡り会うことと似ています。わずかな印象を大切に取扱うことが予想もしない宝物に出会う可能性を秘めているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落276

276 If he gives these thoughts any recognition, he generally releases them immediately as mere figments of his imagination. But, after all, what is imagination? Is it not the faculty to objectify, or imagine, that which is invisible to the senses? As one Eastern philosopher aptly phrased it, "Imagination is the bridge between the known and the unknown."
276 もしその者がこれらの想念に何らかの認知を与えたとしても、その者はそれらを単なる自分の想像の産物だとして通常は手放してしまいます。しかし、結局のところ想像とは何でしょうか。それは既存の諸感覚には見えないものを具体化し、考えてみる能力ではないでしょうか。あるアジアの哲学者はこれをうまく表現しました。「想像とは既知と未知との間の橋である。」


【解説】
 このimagination(想像)は、ある時には自らの心(エゴ)が、その創造力をたくましくして、自分の望むような世界を造り出すべく、勝手にイメージを作り出す場合と、本項のように宇宙その他の外部からの印象を感受した際に感じる場合とがあり、取扱いは難しいところです。
 しかし、一方でエゴの統制が出来ていれば感受する印象は外部から来ているものということが出来る訳で、私達は日々の印象に誠実に対応することが重要となります。従来からの延長上の内容でなく、例え奇異に思ったとしても注意深くその意味する所を理解しようとすることです。先日も実家の庭の手入れをし終わった時、「(古い家なので)もし地震があったらどうするか」という考えが湧き起り、その時は「やはり外に出て逃げた方が良いだろうか」などと思っておりました。すると5分もしない内に、電柱が揺れ出し、外に居た私達は地震であることに気付きました。恐らくは地震発生間近の大地からの何らかの異常を知らせるメッセージが放出されていたのかと改めて思った次第です。
 本項では想像をより積極的に捉えています。つまり、私達は現実に未だ存在しないものを、心の中でイメージとして先行して作り上げることが出来ます。やって来る未だ現象化していない印象の塊を受け止めて、その意味する所を学び取って具体的な形にして行く作業です。これは芸術家の制作活動に類似しています。作家の心の中で構築されたイメージを具体化したのが作品であり、重要なのはその作家に授けられた初期の印象、インスピレーションです。その感受した状況を再現出来れば、作家は再び同様の作品をものにすることが出来るからです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落275

275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。


【解説】
 本項から感受性を高めようとする努力は、何か未だ来ない印象をじっと待つようなものではないことが分かります。即ち、既に私達は日常的にある程度の印象を受けており、これらは通常、私達自身の関心分野の範囲外であるため、特に目立った注目をしないまま、通り過ぎるのに任せているという訳です。
 そうであれば、私達の姿勢として、私達自身の細胞に対して、感受した印象を要不要の判断をせず、素直に受け入れるよう指導することが重要だということになります。日常的にかすかな印象に対しても大切にする心構えです。私のわずかな経験からも、印象には誤りはありません。必ず、ご自身にとって有益な助言となるのが、この印象です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落274

274 Interest, unlike concentration, does not deplete the cells. Due to their state of curiosity regarding the new information, the cells are open to the incoming force. Being in a free state, instead of using their stored-up energy as they do with intense concentration, the cells are so normally balanced in action that they receive equally as they give out; so no fatigue is felt.
274 関心は集中とは異なり、細胞を枯渇させることはありません。その新しい情報に関する興味を持った状況の為、細胞は入って来る力に対し開放しています。激しい集中ではそれら貯えたエネルギーを使っていたのに対し、自由な状態においては細胞は正常にバランスされ、出すのと同量を受け入れることとなる為、疲労は感じられません。


【解説】
 いわゆる「疲れを知らない」とはどういう状況なのか、本項では明確に示されています。疲れとは全身の細胞レベルにおけるエネルギー収支として捉える必要があるということです。これら細胞が緊張し、外部からのエネルギー供給が滞れば個々の細胞が消耗することは良く分かります。詳しいことは知りませんが、細胞はひとつひとつが細胞膜で被われており、独立性を確保している訳です。その細胞膜の微細な穴を通して栄養素が取り込まれ、また代謝物が排出されることで各細胞が生きています。そこに心の精神集中や恐怖心による緊張状態が課せられれば、おそらく各細胞は細胞膜を収縮することが考えられます。その結果、外部との行き来が遮断され、細胞が疲労するのではないでしょうか。
 一方、関心については、単に心の好奇心について良しとしているのではないと考えます。各細胞が自由に活動でき、外部から情報を得ようと自身の細胞膜を開放しようとする状況こそが望ましい訳です。その点、多くの芸術家は作品を造り出す時、心で考えるよりは、ひたすらインスピレーションを待つ心境になるのではないでしょうか。その状態は実は60兆個の人体細胞が全てアンテナになって、宇宙からの信号を待っているとすれば、多くの芸術家が若々しさを保っている理由が理解できます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落273

273 We are living examples of this law in action. Our modern mechanical age with its labor-saving devices, which should give us more time to become acquainted with ourselves and the universe in which we live, has enslaved the average person by the fast pace they now expect. We work, eat, sleep and play in a state of high concentration; then wonder why we suffer from constipation, colds, high blood pressure, and drop dead with heart failure in the prime of life. All the medicine in the world cannot make the little cells of our bodies operate efficiently while our minds are under tension.
273 私達はこの法則の生ける実例です。私達の現代の機械化の時代には労働を軽減する装置があり、それらは私達に自分自身と私達が住んでいる宇宙をよく知るためにより多くの時間をもたらす筈なのですが、平均的な人間を自分達が思い込んでいるテンポの速いペースの虜にしています。私達は高い集中度の下、働き、食べ、眠りそして遊びます。そして何故、私達が便秘や風邪、高血圧に苦しみ、生涯の全盛期に心臓麻痺で倒れるのかを不思議に思うものです。この世の全ての薬は私達の心が緊張下に置かれている間は私達の肉体の微小な細胞を効果的に動かすことは出来ないのです。


【解説】
 文明が進むにつれて、本来、人間は肉体労働から解放され、自由な時間を享受できるようになる筈です。しかし、現代の私達は便利になればなる程、益々あくせく時間に追われる生活を送っているように思われます。確かに昔の生活に比べれば、生活自体のレベルは上がっていますが、心の余裕という面では、以前より貧しい生活を送っています。
 これに対し、誤解を恐れずに言うとすれば、実は私達は自ら進んで自分自身を忙しくしている傾向もあるのです。自分の自由になる時間があるよりも、仕事で日程が詰まっている方を好むとする傾向です。この背景には私達自身、何らかの組織に属し、その庇護の下、他の構成員と同様な働きをすることで保身を図りたいとする要素があるように思います。
 今から40年も前のこと。GAPの久保田代表が益田におられた頃、当時東京のGAPの有志だけで月例会が東京で開催されておりました。当時、大学生であった私もどういう経緯から忘れましたが、この会に参加するようになりました。会場は長年、映画関係の事業をされて来たN氏が成城の自宅を提供され、多い時には月2回の例会が催され、毎回5~10名程度の人々が集まっていたように記憶しています。その会の中で、既に高齢であったN氏から、晴耕雨読的な生活についてお話があり、決して忙しく働くだけの人生ではダメだという趣旨のお話を伺ったことがあります。神道にも造詣が深いN氏は哲学を勉強し、また映画を撮る等、会社勤めとは無縁の人生であったように思いますが、何よりも古典をはじめ哲学の研究、アダムスキー氏の著作を学ぶことがはるかに重要だと述べておられたことを思い出します。社会の歯車にならず、自ら歩む道こそが本来の道という訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落272

272 During experiments conducted in the field of intentional telepathy by researchers, it has been found that the rate of accuracy in reception in any group is higher for the first series of tests than it is later. They have attributed this to mental fatigue, but it might more logically be explained as concentration fatigue; for it is produced by the enforced focusing of the attention upon one point, or idea. Because it demands an increased expenditure of the potential body force, any form of concentration will produce fatigue. The energy of the cells is being dissipated at a very high rate, and due to their tenseness caused by this mental strain, they are not able to replenish their energy as fast as they are giving it out. This creates an unbalanced condition in the body.
272 研究者達による意図的テレパシーの分野で行われた実験の間、如何なる集団においても正確さの割合は最初のテストが後のものよりも高いことことが発見されています。彼らはこれを精神的疲労のせいとしていましたが、集中化による疲労と説明する方がもっと論理的と言えるかも知れません。何故なら、ある一点あるいは概念に注意を強制的に集中させることで疲労が作られるからです。その集中が潜在する肉体の力の消費量を増加させることになる為、どのような形であれ、集中は疲労を作り出します。細胞のエネルギーが非常に高速度で消失し、心の引き締めによって作り出された緊張の故に、細胞は自分達のエネルギーを補給することが出来ないまま、エネルギーを放出してしまいます。これは肉体にアンバランスな状態を作り上げます。


【解説】
 これまでの経験からも極度の緊張を強いられた後は、どっと疲れが出るものです。また大抵は最初のトライアルの方が、その後、一生懸命目標目がけて努力したケースより、良い成績を納めることが多いようです。
 ここではその原因を精神集中による肉体細胞の疲労であると解説しています。つまりは、目標一点に心を集中させることが通常言われているような良いものではないと言っているのです。
 実は野生動物のしぐさを観察すると、例え獲物を狙う時でも周囲の状況を見回したり、自分は関心が無いという風にリラックスした態度を示しているように思います。
 私達は自身の肉体細胞の状況に十分配慮して、細胞が本来の機能を発揮できる精神状態を維持することが自分の役目であり、責任です。その点だけ十分行えば、あとは細胞自身が伸び伸び本来の活動を行う筈です。どんな時でも自己の関心を一点に集中させず、広い視野の下、リラックス出来ることが物事の上手の決め手となることでしょう。昔、何かの本に書かれていましたが、武士の時代、ある剣豪が言った言葉の中に、相手と刀で対峙した時、その切先を自分の刀で触れて見て、相手がもし柔軟な動きを見せたら、余程相手は強いので、直ぐに逃げた方が良いという趣旨であったと記憶しています。どんな時でも柔軟性を保つことは達人の条件でもあるようです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落271

271 A very great difference exists between the two. Concentration is a fixed, or set condition, which allows only one idea to manifest at any given time. Interest is a state of curiosity which opens real consciousness to all ideas around it, and in this way actually creates an impersonal participation with them in a free state.
271 両者の間には非常に大きな違いがあります。集積とは固定化した固まった状況であり、如何なる時でも一つのアイデアしか現出を許さないものです。一方、関心は現実の意識をその周囲の全てのアイデアに開放する好奇心の状態であり、このようにして自由な状態の下、それらと非個人的なる参画を実際に造り出すのです。


【解説】
 物事に集中すると言うことは、他に耳を貸さず、ひたすらその対象のみに心を寄せることであり、その他の要素は一切受け付けない頑迷さを意味しています。これまで私達は物事の実行に当っては雑念を払う意味から「精神を集中させ」るよう言われて来ましたし、望んだ物事を実現させる為、強い想念を発する為に、精神を集中させることをして来たところです。しかし、本項ではその集中(集積)にはテレパシー能力の開発上、大きな問題があることを指摘しています。
 一方、望ましい心の持ち方として広い関心の姿勢が重要だとしています。私達の意識の範囲を広げ、より多くの想念波動、印象を感受するには、自由にこれら波動を受け入れる態勢を用意しておく必要がある訳です。先日、テレビで盲目のピアニスト、辻井伸行氏の紹介番組がありましたが、氏は実に楽しそうにピアノを弾き、音楽を楽しんでいる姿が印象的でした。物事を大成する人は、例外なくリラックスして自由な表現が出来ており、それら原動力は開放的な意識の発現にあるように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落270

270 Our aim in this study is to discover how far out we can work from any given point. We are not trying to draw the universe into the level of the human consciousness, but to turn the human consciousness away from the personal self, that it may become universal. So the development of the true sense-man, and the reception of telepathic communication, does not depend upon concentration . . . but upon interest.
270 この学習における私達のねらいは、どんな与えられた地点からも如何に遠くに私達が作用することが出来るかを発見することにあります。私達は宇宙を人間の意識のレベルにまで引き寄せようとするのではなく、人間の意識レベルを各自の個我から離して宇宙的にしようとしているのです。ですから、真の感覚人の発達やテレパシー的意思疎通は集積にではなく、関心に依存するのです。


【解説】
 私達はややもすると自分の手の中に全てを凝縮させ、それらを保持することで、自我(エゴ)の支配力を及ぼすことを志向して来たように思われます。もちろん、その中には箱庭や盆栽のように、その凝縮された中で広大な宇宙の片鱗を見ることもあったかも知れません。
 しかし、私達は私達を取り囲む圧倒的に広大な宇宙に向けて自らの意識感覚を拡げて行くことが求められています。本項では"how far out we can work"と述べられている所です。この"work"については一言でうまく訳出出来ませんでしたが、要は「自分の認識領域、影響を及ぼす範囲とする」という意味であろうと考えています。
 私達が自分の意識感覚をこのように宇宙空間へ拡大することで、今後、様々な印象も感知出来るようになる筈です。そのきっかけ、原動力になるのが、本文最後に書かれている"interest(関心)"です。つまりは宇宙的なものに関心を持つことが、この意識拡大の原動力となっており、若さを保つ秘訣でもある訳です。さり気なく書かれている言葉ですが、私達の視野を広げる上で、「関心」は進歩の原動力となることが大きなポイントなのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落269

269 It is true that all form is brought into being through a drawing together of free elements; that concentration is the father of manifestation. So if we are interested only in discovering how much space we can press into the smallest conceivable mass, concentration is a marvelous thing. But I sincerely hope that the goal for which we are striving is much higher.
269 全ての形あるものは自由な元素を互いに引き寄せることを通じてもたらされたこと、集積は創造の父であることは真実です。ですから私達が如何に考えうる極小な塊に空間を圧縮させることが出来るかを知ることだけに関心を抱くなら、その集積は驚くべきものになります。しかし、私としては私達が努力しているゴールはもっと高いものであって欲しいと心から思っています。


【解説】
 何気なく目の前の自分の手を見ても、この形あるものの由来はとなれば、その元素は宇宙空間のガス成分であったかも知れません。今日各々お原子が一つの形を作り上げる為、集積し、有機体を構成していることが分かります。即ち、本文で述べられているように、様々な元素がある目的の下、集約することで創造作用が実現することになります。
 また、人間自身も自分の意のままに動く集約物を作りたいと願って来ました。集約集積の度合いが技術レベル、文明の段階を示すものとされている筈です。
 その典型例が集積回路、ICチップです。髪の毛の太さの中に何本もの電気回路を組み込み、小型化高速化が計られた結果、今日では、携帯電話やパソコン等、かつて考えられなかった機能を現代の私達は日常、持ち歩くことが出来るようになりました。
 しかし、本項ではこうした集約化、集中化の志向には問題もあると指摘しているのです。つまりは人間の思うようにコンパクトに凝縮させる思考傾向では、元来、宇宙空間に満ちている創造的な気運、自由な思考とは離れているからでしょう。私達が自然を自分の思い通りにしようとしていることに警鐘を鳴らしているように思えます。先日、たまたまICタグの応用事例について伺う機会がありましたが、何と米国では飼い犬にはICタグの埋め込みが義務付けられているとのこと。わずか直径1mm、長さ10mmほどの微小カプセルを犬に埋め込んで、外からリーダーをかざすと、そのタグの番号が読み取れます。まさに個体を管理する時代になっているようです。アダムスキー氏が本書を執筆した当時、世間では想定もされていなかった事柄が、起りつつあります。そもそも何の為の技術であるかが問われる時代になって来ている訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落268

268 Let us look into past history, back to the great minds still influencing our thinking today. Here, we find the Master Teachers: Buddha, Jesus, Aristotle, Socrates, Plato, to name but a few, all sharing one common faculty. All were possessors of serene, balanced minds; which enabled them to pierce the veil of materiality and trace manifestation to its true Cosmic Source. Long after the big business tycoon has returned his body to the dust and been forgotten, their guiding words will continue to influence the destiny of the world throughout time.
268 今日の私達の思考に今なお影響を与えている偉大な心について過去の歴史を覗いて見ましょう。ここに偉大な師でありる仏陀、イエス、アリストテレス、ソクラテス、プラトン等、わずか数人を挙げましょう。これら全員は一つの共通した才能を共有しています。全員が穏やかでバランスがとれた心の持ち主であり、そのことが物質性のベールを貫くことを可能とし、真実の宇宙的源泉に繋がる創造作用をたどることを可能にしたのです。この大御所がその肉体を塵に返し、忘れ去られた後も長い間、彼らの導きの言葉は時間を越えて世界の運命に影響を与え続けることでしょう。


【解説】
 世の中には芸術作品を含め、後世に伝えるべき様々なものがありますが、その中で最も後世に残る可能性があるものは、文字、文章であるように思います。絵画や彫刻も作歌の意思を現象世界に表わしたものですが、歳月の経過とともに失われてしまうのが、世の常です。その点、偉人達が語った言葉は綿々と伝えられることがあります。本項で紹介されているかつて地上に生きた大師達もその足跡は今日残されている著作物を読むことで知ることが出来ます。
 信頼できる身近に居た人達の伝える大師達の日常の生き方も後世の人達には当時を知る良い助けになります。私もかつてアダムスキー氏に身近に接していた協力者の何人かにインタビューをして来ましたが、今となればその人達も亡くなっており、そのインタビューの記録テープだけが手元に残るのみです。なお、これについてはいつか何らかの形で公表できればと思っています。
 アダムスキー氏自身についても生前、数多くの著作活動を行っていたことが今日になって、大変重要であったことに気付きます。哲学3部作をはじめ、ほとんどが出版され、人々の前に提供されています。その足跡から何を学ぶかは各自に委ねられている訳ですが、本講座もこれから先、アダムスキー哲学を伝える一翼になればと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落267

CHAPTER Ⅱ Relaxation, Interest and Receptivity

267 We have been taught that intense concentration is the only means by which anything can be accomplished in this world. We are told that the happy-go-lucky individual never becomes an outstanding figure in any line of endeavor; so we should at all times keep our shoulder to the wheel, our eyes on the ball, and our nose to the grindstone (a most uncomfortable position). But here again, we will find that we have been unwisely informed.

第2章 リラクゼーション、関心及び感受性

267 私達はこれまで強烈な集中が、この世の中で何かが成し遂げられる為の唯一の方法であると教えられて来ました。私達は楽天的人間は決して如何なる努力の分野でも秀でた人物になることはないと教えられて来ました。ですから私達は常に車輪に肩を付け、ボールに目を置き、砥石に鼻先をつけ(最も不快な姿勢を)続けるべきとされて来ました。しかし、ここで再び私達は愚かなる情報を与えられ続けていることが分かるでしょう。


【解説】
 言わば願望を通す為、精神を集中することで強い想念を出し、我武者らになって努力することで物事を達成できるとしたいわゆる頑張りが不可欠だと、私達は長い間、教えられて来ました。しかし、本項はそれらの頑張りには誤解があることを諭しています。即ち、これら精神集中では肉体細胞が疲弊するだけで、感受性は低くなることが前項までに学習で分かります。
 一方、本項では楽観的な精神状態が良い結果をもたらす事実を示唆しています。その詳しい理由は本項以降で述べられる筈ですが、一つだけ言えることは、肉体細胞を本来の自由な状況に保てなければ、早晩、病気に陥る危険性も出ることが挙げられます。
 古来より、「他力本願」「野のユリ」「陽気暮らし」等、自らの力ではなく宇宙につながる壮大な法則に委ねること、自然と一体になることで、自分自身も含めて物事を本来の姿に戻すことの重要性が繰り返し述べられて来ました。多くの宗教の教祖はこうした宇宙を貫く力の存在を確信しています。その関心の下に各自の自我を抑制し、自由で宇宙的な生活を送ることが大事であるという訳です。努力はもっぱら自我(エゴ)の縮小と自ら発する想念の監視に使い、他の全ては宇宙の法則に任せることが秘訣のように思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落266

266 It is quite possible, nevertheless, to bring about a free state of cell activity. We speak of this state as relaxation. And the secret of being a good recipient of telepathic communication is the ability to keep the body in a state of active relaxation at all times.
266 それでも細胞活動の自由な状況を取り戻すことは全く可能です。私達はこの状態をリラクゼーション(訳注:本来は「緩和」或いは「弛緩」と訳すべきですが、原文の意味合いを込めてカナ表記にしました)と呼んでいます。そしてテレパシックな意思交流の良い受け手となる秘訣はいつの場合も活動的なリラックス状態に身体を保つ能力にあります。


【解説】
 細胞を束縛から解放する方法がリラクゼーションであるとしています。古来より厳しい修業で自我(エゴ)を縮小しようと努力して来ましたが、それでも容易には自我から離れることは出来ませんでした。しかし、本項ではリラックスすることで肉体細胞の集中化が解き放たれるとしています。活動的なリラックス(active relaxation)については次章で詳しく述べられる筈ですが、心が自身にこだわりを無くし、無我の状態になり、同時に肉体細胞が伸び伸び各々の任務を実行する時、そのリラックスは生まれるものと思われます。
 反対に緊張し、将来に不安を持つことは偽りの恐怖に集中し、各細胞は固まってしまうため、良い事は起る筈もなりません。一方、自然界を見ると、野のユリ、野の鳥を見ても分かるように、皆、各々の生活を謳歌しており、不安げな様子は少しもありません。彼らは実に生き生きと毎日を楽しんでいます。その姿は本項で言う活動的なリラックスと言えるのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落265

265 This is exactly what happens within our bodies. Since we are one with the Cosmos, our rightful condition is a free state so that we might be receptive to all vibrations. But, due to the exaltation of the personal ego within us, we are usually adhering to the false magnetism with which we have endowed it.
265 これが正しく私達の身体の中で起っていることです。私達は大宇宙と一つである以上は、私達にとってふさわしい状態は私達が全ての振動を感知できるような自由な状況です。しかし、私達内部の個人的なエゴの増長によって私達は自ら与えた偽りの磁力にいつも付き従っているのです。


【解説】
 私達は自ら、エゴへの忠誠を許して来たことが問題の本質であると言っているのです。そのエゴへの引力は実は真実のものでなく、偽りの力とも言っています。つまりは私達が日々勝手に造り上げた引力であり、習慣です。その解消は私達自身で行うことが出来ますし、そうする他に手立ては無いのです。
 前項(264)にあるように、散らばった鉄粉の中央に置いた磁石のようにエゴへの集中が作用している状況であるなら、鉄粉を磁力の呪縛から解放するには、中央の磁石の引力を弱めて行く他はありません。エゴを小さくすること、即ち自己統制は古くから言われている修業の一つでもあります。ごく最近、生前にアダムスキー氏と極秘会見したことで知られる法王ヨハネ二十三世の日記(「ヨハネ二十三世 魂の日記」ドンボスコ社、2000年発行)を入手しましたが、その中で法王がまだ若い頃に記述した部分に、自己愛を無くすることに懸命に努力していたことが書かれていました。エゴに対して自ら厳しく接することでその増長を抑えることが、人間の生長にとって如何に大切であるか、分野を問わず優れた人物に成長する為、時代を越えて取組まれていたことがこのことからも分かります。
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