2010年05月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落264

264 Now let us take the steel dust, sprinkle it lightly over the tin once more, and place a magnet in the center of the vessel. What happens? The particles immediately respond to the magnet, and gather around it in a concentrated form. It makes no difference what note we play on the violin now, nor how long we hold it. The particles will not be moved by the lesser vibration, because they are so intensely interested in another and stranger force . . . the force of magnetism.
264 今度はその鉄粉を取り出し、再びブリキ鍋の上に薄く散らばせ、その容器の中央に磁石を一つ置きます。どうなるでしょう。粒子は直ちに磁石に呼応し、それに向かって集まるように取り囲みます。今度も何ら変わることなく私達がバイオリンでどのような音曲を弾こうとも、あるいは如何に長く音を鳴らそうとも何の変化も生じません。粒子は別のもの、磁石と言う見知らぬ力に対し強烈に関心を持っている為、弱い振動では動かされなくなっているのです。


【解説】
 私達は身体の一つ一つの細胞を含め全てがエゴ(自我)へ絶えず関心を持ち、他のものには目もくれない生涯を送っていること、また、エゴは全てを自分の方に引き寄せている訳です。その結果、例え外から有益な振動が流れて来ていても肉体細胞は気付くことなく、エゴに束縛された人生を送っていることになります。
 こうした傾向は各自の所有欲にも現れており、磁石はありとあらゆるものを手に入れようとしますし、その結果として磁石は身の回りにガラクタを集め、その中に埋もれたまま生活しているということでしょう。
 エゴを小さくすることで、身体の細胞を解放し、自由にすることが出来、地上では表現できない優れた波動をも各細胞が表現できることになります。よく、オープンな姿勢が好ましいと言われますが、何ものにも捕われず、隠し事のない素直な性格はひいては、この外部からの印象にも鋭敏になれる要素を持っているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落263

263 Let us use an illustration such as this: We will take an ordinary pie tin, sprinkle a very light layer of fine steel dust over the bottom, then place it at one end of the room. Standing at the opposite end of the room, we will play a note on a violin. Since it is a recognized fact that a musical note creates a certain vibratory wave in the atmosphere relative to itself, if the note is held steadily we will find that the steel particles have moved about to form a picture of the note played. Because these particles are in a state of non-resistance, therefore easily moved, waves will appear in the layer of steel dust. This non-resistant state is comparable to the atoms when they are free in space, vibrating in harmony as they express Cosmic Cause. In this state they recognize their oneness with, and dependency upon, Cosmic Force.
263 このような事例を用いましょう。一般的なパイ焼き用ブリキ鍋を用意し、底に細かい鉄粉を極く薄く散らばせ、それを部屋の隅に置きます。部屋の反対側に立ってバイオリンで曲を弾くことにしましょう。音楽の音曲はそれ自体に相関して大気中にある振動波を造り上げることはよく知られている事実ですので、もしその音曲が一定に保たれれば、私達はその鉄粉が演奏された音曲の絵を形づくろうと動き回る様子を見ることでしょう。これらの粒子は非抵抗の状態にある為に、容易に動いて鉄粉の層の中に波紋が現れることでしょう。この非抵抗の状態は宇宙空間の中で自由に存在する原子達になぞらえることが出来、それらは宇宙の因を表現しながら調和した振動を起こしています。この状態の中で原子達は宇宙の力と一体化していることと、それに依存していることを悟っているのです。


【解説】
 一つには宇宙を貫いている生命力のパワーに気付くことが大切です。都会では季節を味わうことも少なくなりましたが、少し足を伸ばして田園地帯や山に出掛ければ、そこでの生活は人間から小動物まで全く自然に依存している姿が見えて来ます。長い冬が終わり、春が巡って来れば、田んぼの代掻きや田植えにいそしむ等、農業は季節と調和して行われていることを見ることが出来ます。
 一方、水が張られた田んぼでは、夜はカエルの大合唱がこだまし、明るくなるとサギが獲物を狙って白い姿を見せます。植えられたばかりの稲の葉も伴侶を求めて鳴くカエルもヒナの餌運びに余念のないサギも、これら全ては同じ生命の息吹きを感じ取っているように思います。これらのことが全国同時に行われており、生命の大合唱となっていることに驚くばかりです。
 これら地表の隅々にまで統一的に起っている営みは、宇宙から降り注ぐある種の指令を自然界の各構成要素各々が受け止め、本項で示される鉄粉粒子のように、その波動に従い、身を任せていることを意味しているようです。季節の変化と簡単に片付けずにもっと生き物の各部を注意深く観て、彼らがどのようにして季節の変化を感じ、適切なタイミングに沿った生活が出来ているかを感じ取りたいと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落262

262 As I have said, all manner of vibrations are constantly beating upon the cell portals of our bodies. Inasmuch as every cell is a conscious entity, the mass as a whole is perfectly capable of intercepting any one of these vibrations. When the cell-minds do not receive them, it is because they have become too interested in the central ego of the form. This means that they have concentrated their actions about the ego to such an extent that they are not aware of the existing outer force.
262 これまで述べましたようにあらゆる形態の振動が常に私達の肉体の正面入口部分の細胞を叩いています。一つ一つの細胞は意識を持つ存在でありますので、全体の質量としての塊は、これら振動の如何なるものも捉える能力があります。細胞の心がそれらを受信出来ない場合は、それらが形あるものの中心のエゴに対し、あまりにも強い関心を持っている為です。このことはそれがエゴに自分達の行動をそれ程に集中化させて来た為に、それらが外部の力の存在に気付かなくなっていることを意味します。


【解説】
 これまで私達はエゴにあまりに忠誠を尽くして来たということです。全てはエゴの世話をする為であり、そのエゴは常に不安げな殿様であった訳です。しかし、本講座で再三出ているように、私達は私達の肉体の中心にばかり目を奪われていないで、もっと大宇宙からもたらされる印象に気付く必要があることを先ずは自覚する必要があります。
 宇宙からもたらされる印象の中には、もちろん低次元のものもあるでしょが、私達の進歩に役立つものも多い筈です。この宇宙からの情報は物理学上は地球に降り注ぐ宇宙線と同じものを示していると思われます。実態についてはよく知りませんが、ラジオの雑音のように無数の粒子が地球に降り注いでいることは、皆様のご存知の通りです。
 よく年を取ると感覚が鈍くなると指摘される所ですが、私達は進化した宇宙人達から見ると何と無感覚で無感動な人達だろうと嘆かれる存在なのかも知れません。エゴへの集中を仏教では「執着」等の表現で表わしたとすれば、このエゴへの集中問題は、古来から繰り返し説かれているテーマであることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落261

261 The human must have a definite reason for acting; first, as a duty of self-perpetuation; second, because the act brings pleasure. Either of these is pure selfishness; and creates this barrier of resistance against universal knowledge. This self-interest created by the concentration of cell consciousness, we call the ego. And because of our lack of understanding, it is this human ego which we seek to perpetuate.
261 人間は行動する際には明確な理由を持たねばなりません。第一は自己を永続させる為の義務として、第二はその行動が快楽をもたらす故です。これらのいずれもが純粋に利己的なものであり、宇宙普遍の知識に対して抵抗の障壁を作り上げています。この自己への関心は、私達がエゴと呼ぶ細胞意識の集中化によって造り上げられました。そして私達の理解の不足の故に、私達が永続させようと求めているのは、この人間のエゴなのです。


【解説】
 私達が日頃、必死に守りたいと思っているもの、大切に感じているものは実はエゴという表面的でうつろい易いものであるという訳です。このエゴなるものは常に失敗を恐れ、面目を失うことを懸念して様々な本来不要な仕事を各自に課しています。一方では物事の最終段階に来るとどうすべきかの決断が出来ず、先延ばしするか、放り出すかのいずれかで、事態に直面しようとしない等、私達のそれまでの労苦に報いることはありません。また、大した用も無いのに持ちたがる所有欲は、逆に商品を売りたい他の者にとっては格好の相手となっています。
 さて、この問題のエゴですが、言い訳は大変上手で、表面的な繕いで世間を渡って行こうとします。しかし私達はこのエゴの支配から自ら抜け出なければ展望は開けません。そのヒントは本文後半にある「理解」という言葉の中にあるものと思われます。
 つまり、前項(260)にあるように重要なことを学ぶ時間も無く(1日10秒程)、周囲の他の者も教えるだけの進歩に達していない以上、目に見える結果の世界だけに導かれるのは当然です。この点、現象の奥にある因を感知し、宇宙からやって来る印象類に対して心を開く時、真実の姿が自ずと見え始めることになって、やがてはエゴが縮小し、真の守護者が見えて来るものと思っております。

お知らせ

明日から写真撮影の為、尾瀬に入ります。
次回の更新は5月26日になる予定ですが、皆様ご了承下さい。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落260

260 We are an intensely selfish lot. If you were to make an impersonal analysis of your mental reactions, you would find that ninety-nine and ninety-nine-one-hundredths percent of your thoughts pertain to yourself, your home, your business, your mate, children and possessions. To break this down, eighty-five percent of your thoughts are dedicated to the idea of self-preservation; the other fourteen-and-ninety-nine hundredths percent, to self-pleasure. That leaves a mere one-one-hundredth percent to be devoted to a searching for universal knowledge.
260 私達は強烈なる利己的な奴です。もし貴方が自分の心の諸反応を客観的に分析するなら、貴方は貴方の想念の内、99.99%が自分自身や自分の家族、自分の仕事、自分の仲間や子供達、持ち物に関連していることが分かるでしょう。更に分解すれば貴方の想念の85%が自己保存の想いに、他の14.99%が自己快楽に捧げられています。つまりはわずか0.01%が宇宙的知識の探究に捧げられているに過ぎないのです。


【解説】
 私達の過ごす日常において、本文で言われている内容を「時間」で解釈すれは、次のようになります。1日24時間の内、「0.01%」は24×60×60×0.0001=8.6秒となり、私達が宇宙的知識の探究に費やす時間は1日、わずか10秒足らずということになります。この10秒をどのように解釈するかは人によって異なるでしょうが、私の実感としては、十分に有り得る数値だと思っています。
 自宅でテレビを見て過ごす時間や通勤時間、職場で過ごす時間等、その他文字通りの大部分の時間を私達は自己の保全や快楽の追求に充てているのです。残り10秒を時として宇宙的な関心に振り向けているという訳です。
 しかし、これら自己中心の生活の中でも咲く花の鮮やかさに驚いたり、先人の言葉に感動する等、宇宙的知識の志向性が目覚めるチャンスも多いのではないでしょうか。少しずつですが、無駄な時間をこれら宇宙的志向の時間に振り向けて行くことにより、私達は少しずつ進化するのだと思います。おそらくはその少しずつの歩みがある一定水準に達した時、私達は後戻りしない本当の進化の道を歩むことになることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落259

259 The intense concentration of the particles composing the body has set up such a definite barrier of resistance to the free-flying atoms of space, that the form appears to be acting under a self-made law; or to have a separate will of its own. The law of evolution which has brought the cells of the body to such a fine degree of organization, or concentration, does in time lead them into a field of universal expansion so that this barrier of resistance is lessened; and the human consciousness becomes more receptive to the vibrations about it.
259 人体を構成する粒子の強固な集中状態は宇宙空間を自由に飛翔する諸原子に対し、断固とした防御壁を作り上げており、人体は自ら作った法則の下で行動している、あるいはそれ自身の分離した意思を持っているように見えます。人体の諸細胞にこのような緻密な組織、あるいは濃度をもたらした進化の法則はやがて、この抵抗の防御壁を宇宙拡張の領域に導き、その結果、この障壁は小さくなり、そして人間の意識はそれに関わる諸振動をより多く感受するようになります。


【解説】
 毎朝10分程、ケヤキの並木道を歩いて通勤していますが、今の時期、植物達の活動の旺盛さには目を見張ります。少し前までは若葉が出た段階であったのに、見る見る内に葉の量と緑を増して今では通り一杯にケヤキの緑の葉が覆っています。
 植物と動物とでは事情は違う訳ですが、植物に関する限り、宇宙への指向性ははっきりしています。木々の枝先は皆、大空から光を受けようと葉を伸ばしますし、中にはヒマワリのように身体全体を太陽に向けて動くものもいます。本項との関連で言えば、植物は宇宙からの光、即ちエネルギーを受けようと関心を常に光に向けていることになります。
 しかし、動物は自己防衛の指向性が強い為、植物ほどの感受性は無いかも知れませんが、野生動物達は迫りくる危機を直感的に回避したりする能力に秀でていますし、全身を通じて絶えず警戒を怠りません。そういう意味では人間だけがこうした外部からの微小粒子の衝突に対して鈍感なのかも知れません。あまりにも自分自身に捕われている為、取り巻く環境から必要な印象を得ることが少なくなっているということでしょう。本講座を読み進まれている皆様は少しずつ諸々の感受性が拡がっているのではないでしょうか。美しいもの、大切なものに敏感になること等は、その典型かと思います。宇宙には受け入れるべき多くのエッセンスがあることが分かれば、これまで自分が作り上げた自己防衛の壁は自ずと低くなるのではないかと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落258

258 Because of its higher state of concentration, the same thing is taking place in our bodies to a much greater degree. The human consciousness, or personality, has come to the place where it is almost wholly interested in itself. That is, the chemicals composing the form are so highly organized that they do not feel the need of outside forces; although they must draw upon those sources for their support. Each human form is interested only in perpetuating itself; and through thousands of years it has created the habit of accepting only those impulses, or vibrations, that pertain to its own well-being.
258 そのより高密度の状況の為、同様の事柄は私達の身体の中では更に大きく起っています。人間的な意識、あるいは個性というものは、ほとんど全く自分自身にしか関心がない状態の所までに至っています。それは即ち、形を構成している化学物質は余りに高く組織化されている為、それらはそれらの維持の上から原材料を引き込む必要はあるものの、人体の外側の諸々の力を必要だとは感じていません。一つ一つの人体はそれ自身を永続させることのみに関心があり、何千年もの間、そのような衝動もしくは振動のみを受け入れる習慣を作り上げてしまい、それらは自身の満足の一部になっています。


【解説】
 本文で言う人体維持への執心は、食物に対する関心によく表れています。一般的に見られる空腹時の食事の貪欲さは傍から見るとまさに、鬼のような様相をしているのではないでしょうか。また、食物については視覚から嗅覚までの感覚を総動員しており、各自が生き続けようとする意欲にはある意味、感心する程です。
 しかし、その結果は自我は益々増長する一方、他人には考えが及ばない等の問題が発生します。各自が自己中心の生き方をしていれば、他人との衝突や環境の破壊は避けられません。何より他者を思いやるには、関心を他者にも向けることが必要であり、唯我独尊では外部から情報も入って来ない訳です。
 その解決策は現実の世界である惑星を含めた自然環境が互いに切っても切れない相互関係で結ばれていることを学ぶことでしかありません。渡り鳥は誰がリーダーに選ばれるのかは知りませんが、整然と編隊を組むことが合理的な飛行方法であり、群れを成すことで外敵から身を守れることを知っています。また、その一羽一羽は全体と調和した飛行を続けることで遠距離を渡れるのです。各自の自主性、独創性を保ちながら、必要な時には一糸乱れぬ編隊を組む鳥達は、とうの昔にこの問題を解決している訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落257

257 For instance, let us mentally picture our own solar system-which resembles in every detail the tiny, invisible atom described earlier-with its twelve planets and countless planetoids revolving around a central sun. This solar system is traveling through space-force, which is composed of an infinite number of particles and innumerable other planets and suns, yet our own little system is so interested in itself that not one of the planets will wander off. They cannot help being affected to some extent by every other concentrated force in the universe, because no atom, or unit, can separate itself from the Cosmic Whole. But the planets do not allow any force to influence them sufficiently to draw them out of their chosen orbits around the sun.
257 例えば心で私達の太陽系を思い描いて見ましょう。それは以前お話したように、小さく目に見えない原子に細かい所まで似ており、中央の太陽の周りに12の惑星と無数の小惑星を伴っています。この太陽系は力の空間の中を移動しており、その空間は無数の粒子と他の無数の惑星と諸太陽から成り立っていますが、私達自身の小さな太陽系ではそれ自身の指向性が高い為、惑星のどれ一つとしてさまよい出るものはありません。諸惑星は如何なる原子や他の単位もそれ自身を宇宙全体から分離することが出来ない以上、宇宙空間の一つ一つの他の集約された力により幾分かは影響を受けざるをえません。しかし、諸惑星はそれらが選択した太陽の周囲の軌道から引き落とす程の影響を与えるような如何なる力も許すことはありません。


【解説】
 この太陽系が太陽を両親とする一つの家族であることは本文からも良く分かります。私達が何気なく用いている「宇宙兄妹達(ブラザーズ)」も、その持つ意味はこうした真理に基づいた概念なのです。これら原子から太陽系に至るまで物質界はポイントとなる要素に相関性(相似性)があることは、それらは共に同一の根源に由来していることを示唆しています。
 結局、私達は宇宙の中で生きており、これら天空の中で調和ある構成員となる為に、努力すべき分野が多数残っています。目下、世界的な混乱が進んでいるように思います。これらは全て惑星に住む人間に起因する問題です。しかし、人々の想念がこれらの問題の影響で混乱したものとなれば、惑星を含む近隣の宇宙にも大きな影響を及ぼす筈です。人の想念が惑星自体や宇宙にも大きな影響を与えることは十分考えるべきことです。
 基本的に私達の惑星は過去のひどい人間達の状況にも拘わらず、その役目を果たして来ましたが、それがいつまで持ちこたえられるかは不明です。アダムスキー氏が生きていた当時も、太陽の変化についてブラザーズが注視していると伝えられていました。果たしてこの地がほろんでも語られた真理は変わらないということにならないように注意したいところです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落256

256 Professor Einstein spoke of substance, or any mass, as a knot in time-space - a very logical definition. For any material form is simply a section of space tied, or bound, together. This concentration, or binding together of particles, creates a sense of individuality (which is almost totally interested in itself).
256 アインシュタイン教授は物質、あるいは質量を時空における一つの結び目のように表現しており、それは大変、論理的な定義です。何故なら、どのような物質についても形は縛り付けられ、あるいはくくられた一部の空間のまとまりでしかないからです。この集中、即ち、諸々の粒子群を一緒に束ねていることが、個体性(全ての関心をほとんど自身に向けていること)を造り出しています。


【解説】
 先ずは物質を時空の結び目と見ることについてです。以前、原子の構造(原子の占める空間のほとんどが中心の原子核の周囲を回る電子の軌道になる)から言って、物質はシャボン玉の泡のような存在であるとお話したかと思います。つまりは、私達の感覚では「固い」と感じる物体も、その実質は空間であり、それらが形を留めているということは、特定の空間を縛り付けていることになり、本文の時空における結び目を示すものになっています。
 次に物質にはそれ自身を保持する為に自分の構成物を保持する傾向(結合力)があり、各々その傾向があることについてです。これは各々の物体がそれ自身を保持しようとする力が本来、生まれ、それがエゴにも繋がることだと本文は明解に述べているのです。もちろん、宇宙の中には形あるものの存在は不可欠であり、各天体もこうした固体から成り立っています。そういう意味でも、エゴの問題は排除すべき要素ではなく、本来の姿が用意されていることになります。私達自身の身体も小さいながらも宇宙における時空の結び目であり、今、この時に必要とされてこの場に存在します。この結び目で括られた空間を本来の望まれている活動の場への導くことが必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落255

255 To answer these questions, let us imagine the creation of a human consciousness through a concentration of forces, or rather, particles of force. Let us visualize a vast sea of force, composed of invisible units. By a means inconceivable to the human intellect one of these units is project forward through this force-space in a whirling motion, creating a form of magnetism within itself which draws other particles to it. Because of the magnetic force within them, which we have called the law of affinity, these particles cling together and gradually become more and more concentrated, or bound to each other, by a mutual form of activity.
255 これらの疑問に答える為、人間の意識が力の集中、あるいはむしろ力の粒子群を介して創造される過程を心に描いて見ましょう。目に見えない単位から構成された広大な力の海を目に浮かべましょう。人間の知性では認知できないある方法によって、これらの単位の一つがこの力の空間の中に回転しながら打ち出され、それ自身の中に磁力を造り出す結果、他の粒子をそれに引き寄せます。私達が親和の法則と呼ぶこの内部の磁力の影響から、これら粒子は互いにくっつき合い、やがてより密度が高まり、相互の活動形態を通じて互いに結合します。


【解説】
 ここでは人体の源となる意識自体の誕生の仕組みを解説しています。物質誕生以前の意識の段階がどのようにして生まれるのか、精妙な世界の話と言えるでしょう。思い出すのは創世記の記述と雰囲気が似ていることです。中でもポイントは「回転しながら(whirling motion)」という記述です。原子レベルの物理学の世界、或いは化学分野では、電子のスピン(回転)が重要な要素になっています。電子が安定化する為には各軌道上の電子の回転が調和していることが必要で、調和していればその物質は安定ですが、不調和の場合には著しい反応性を示します。つまり電子は安定化しようとする為といった具合です。
 また、私達の惑星の自転や公転も大きな意味で粒子の回転であり、小は電子雲から大は銀河の渦まで、物質全てに「回転」という共通の要素があることが分かります。
 この意識についても、同様にその構成要素が何らかの回転運動を続けながら成長して行くことを本項では示唆するものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落254

254 When we consider that consciousness is activity, and that thought is energy produced by that activity, and that thought cannot be destroyed but can be transmuted or transformed, we must stand in awe before the realization of the prodigious bombardment to which our bodies are subjected by billions upon billions of charged particles flying through space in never ceasing activity. Since these countless variations of vibrations surrounding us at all times, and the human body is capable of receiving all of them through the feeling channel, why is that the average person receives so few? Why are some more receptive? What determines the type of vibration to which each individual is receptive?
254 私達が意識は活動であり、想念はその活動によって作り出されたエネルギーであり、想念は破壊されず変質あるいは変容するだけだと考える時、私達の肉体が止むことなく宇宙空間を飛来して来た何十億もの荷電粒子による桁はずれの数の衝突にさらされているという自覚を前にして私達は驚きの中、立ち尽くす筈です。私達を常々取り囲むこれら無数の諸振動はフィーリングの経路を通じてそれら全てを受信することが出来ますが、一方で何故平均的な人間は感受がそんなに少ないのでしょうか。他の者がより多く感受できるのは何故か。各々が感受する振動の形式はどのようにして決まるのでしょうか。


【解説】
 これまでの講義から、私達には宇宙空間から莫大な数の微小な荷電粒子が衝突しており、それらは私達の身体を貫いていることを学んでいます。それら粒子が各々想念を保持している訳ですから、私達は居ながらにして様々な印象を宇宙から受け取ることが出来る訳です。
 この例から分かるように、想念を帯びた粒子(原子や素粒子)が肉体を通過する際、私達はその極く短い時間ではありますが、想念を感じることが出来るのです。即ち、このように想念は私達にとって一瞬のヒラメキである理由がこの現象に表わされています。高速で肉体を通過する微細粒子が肉体に残す航跡を私達のフィーリンングが感受するという訳です。
 もちろん、荷電粒子は満遍なく降り注ぐ訳で、感度の鈍い人間は何一つ感じることのないまま、無為に時を過ごしていることになりますが、感度を高めて行ければ、それら宇宙からの様々なアイデアを受け取ることが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落253

253 Nothing in the universe is at rest; so all things must be conscious. The only difference between consciousness and intelligence is that intelligence, or the perception of thought, is the result of consciousness, or activity, acting upon itself. In other words, thought is produced by one unit of consciousness contacting another unit of consciousness; and the recognition of thought is intelligence, or knowledge. Consciousness is abstract awareness.... intelligence is concrete awareness. Thus, all concrete facts, or phenomena, are merely manifestation of the abstract; and are dependent upon it for their existence.
253 宇宙には休止しているものは何一つなく、それ故に全てのものには意識的でなければなりません。意識と知性の間にある唯一の違いは知性ないし想念の知覚は、それ自身に作用する意識あるいは活動の結果であるということです。言い替えれば、想念は一つの意識単位からもう一つの意識単位と接触することで作り出されます。そして想念の認識は知性あるいは知識なのです。意識は抽象的な気付きであり、知性は具体的な気付きであるのです。このように全ての具体的な事実あるいは現象は、単にその抽象物の現れに過ぎず、その存在をその抽象物に依存しているのです。


【解説】
 本項は意識や想念について従来に無い角度から説明されています。
 私達は「意識」について、アダムスキー氏のこれまでの著作から各々のイメージで捉えた理解をして来たものと思います。ある人にとっては具体的なイメージを伴った理解かも知れませんが、別の人にとっては単に「意識」というお題目に留まっているかも知れません。私自身も確かな理解という訳ではないので、誤っている面もあろうかと思いますが、敢えて述べれば、本項から以下のことが分かるのではないでしょうか。何故、アダムスキー氏はこの問題となる生命力を「意識consciousness」と表現したかが大きなテーマでもあります。
 先ずは本項で述べているように動いているものには生命があることは誰もが認めることです。そういう意味では岩のように何万年もその場所に立つものも、少し考えを巡らせれば、鉱物内部の原子の振動や惑星自体の運動等、絶対的な「静止」状態はなく、全てが生きていることは理解できます。その生き物たらしめているのが、生命力であることも理解できます。そしてこの場合、これを「意識」と表現している訳ですが、敢えて「意識」とした背景には言葉でなく感覚的な把握ができる領域として表現されているように思います。
 よく大怪我をした人の状況判断の一つに意識があるかという項目があります。それは意識があることが、生命の源が残っていることで命が保てることを意味しており、逆に意識が薄れることは全ての生命力が失われつつあることを意味します。このように私達は日常的に「意識」という言葉を使っていますが、アダムスキー氏もそのことを踏まえて、もっともイメージが近い表現として「意識」を使ったものと思います。つまり、日常的な意識とアダムスキー氏の言う「意識」とはほとんど同じものだと思った方が理解が進むように思います。
 さて、その「意識」ですが、本文に書かれているように、全てを知る者であり、その知っている内容を一つ一つ言葉に出して明かすことはありません。私自身、それは言葉や知識として具体的に表現される前の混沌(表現が不適切ではありますが、全ての知識や知性が詰まっているという意味です)とした状況のように感じています。本文にあるようにその意識が互いに接触することで「想念」が生まれるとしている点は興味深いものがあります。つまりは想念以前に存在するものが「意識」ということになります。
 茫漠とした表現ですが、全ての答えを知っているもの、そのような見えない存在が私達を生かしており、私達自身もその暗黙の指導に従うことで、自然界の他の生き物と同様、生命を謳歌できる存在になれるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落252

252 Telepathy is an expression of the Law; which is as ageless as the Cosmos. If man hopes to use it with understanding, he must recognize how imperative it is for him to practice self-discipline. As long as he allows dissension to continue within himself, his receptivity will be confined to the level upon which his mind works. The Laws of the Cosmos are immutable, and in time man will awaken to his potential; for the only limitations placed upon man, are those his unawareness imposes.
252 テレパシーは偉大なる法則の内の一つの現れであり、それは大宇宙と同様、永遠に不老です。もし人がテレパシーを理解して用いたいと望むなら、自身にとって自己訓練を実践することが如何に必須なことであるかを認識しなければなりません。その者が自身の内側で意見の不一致を許す限り、その者の感受性は心が働くレベルに限定されるのです。大宇宙の諸法則は不変であり、やがては人は自身の潜在能力に目覚めることでしょう。何故なら、人の上に置かれた唯一の限界は自身の無知が押し付けたものだからです。


【解説】
 結局、問題は各自の心の有り様ということに帰着します。環境その他の条件は大きな問題ではなく、各自の心を訓練することが唯一の方策であるということです。また、本文中に「自身の内側の意見の不一致(dissension)」が問題とされていますが、これは「迷い」や「葛藤」も含めて、心が一つの誠実な一体物になっていない状況を意味しています。
 最近見た映画に「禅ZEN」(DVD)という作品があります。道元の生涯を描いた映画です。私自身、「禅」についての知識はありませんが、ひたすら座禅により、心を正しく落ち着かせようとする修業の中には、本項で言う自身の内側の不一致を修め、自己訓練を実践する一つの形があるように思えます。この作品が感動的なのは、道元がやがて入滅の時を迎える時です。死期を迎える中にあっても道元は最後の力を振り絞って弟子達が参禅する修業堂に入り、その座禅のまま、息を引き取る場面です。教師たる者、そこまで弟子達に自らの信じる姿を見せることで、はじめて時代を越えて受け継がれるものが生まれるということでしょう。このテレパシーの奥義を伝える場合も同様な心構えが必要だと言うことではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落251

251 So the great teachers of the past, comprehending that real development cannot come until man has disciplined himself, refused to waste either their time, or that of the pupil, where growth would be doubtful. They understood that the Cosmic Law of Progression would in time inspire the person to realize the necessity of an honest evaluation of himself, and of his relationship to all creation. He would then know that self-control was a prime requisite.
251 その為、昔の教師達はその者が自身を訓練し終わるまでは真の発達がやって来ないことを理解していた為、成長が疑わしい間は、自分達やその生徒の時間を無駄に過ごすことを拒絶したのです。彼らは進化の宇宙法則はやがてはその者に自身について正直な評価を行う必要性を認識させることを理解していました。その者は次に自己統制が主要な必要条件であることを知ることになるのです。


【解説】
 真理は表面的な鵜のみでは得られず、受け入れる側に十分な態勢が出来上がっていなければなりません。例え各自の意思として真理を悟りたい、道を極めたいという願望があっても、それだけでは不十分だということでしょう。先ずは自らの自我の正体を見据えて、必要な訓練を行わなければなりません。それは誰れの力を借りることは出来る訳でもなく、自ら自我と対峙して少しずつ実行する他はないのです。
 その上ではじめて真理を学ぶ態勢が出来る訳です。
 それでは、こう述べたアダムスキー氏は真理を求める人々に対し、実際、どのように応じていたのでしょうら。手元に残る小グループにおけるアダムスキー氏の質疑応答を記録したテープがありますが、様々な質問に氏は一つ一つ丁寧に答えています。当時、その回答を受けた当人がどれほどの自覚を持って聞いたかは分かりませんが、アダムスキー氏は各々の質問に対し、何らおっくうがることもなく、誠実に回答しています。むしろ、(自分が生きている時間が短いので)もっと、質問せよと言っている程です。原理は本項記載の通りであっても、実際には各自の求めに誠実に応じていたこと訳です。
 これは宇宙哲学を学ぶ人達の中にあっても言えることで、私の経験からも、多くの方々に説いても結局はごく少数の方が残るのがこの分野の宿命です。しかし、広く道を説き続けなければ、それらの人々とも巡り会えないことも確かです。本項の原理を踏まえつつも、時には興味深い事象を取り上げて、燃えている家からまだ気付いていない人々を呼び寄せることも必要なのだと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落250

250 We would do well to ponder this ancient requirement, and incorporate a little of it into our lives today. Most of us are so busy imposing our opinions upon others, that we really do not listen to what they have to say. While others are presenting their side of the subject, our minds are so busy marshalling our own arguments to prove them wrong, that we do not hear more than a fraction of what is being said.
250 私達は古代のこの要件についてじっくり考え、今日の私達の生活にその少しを組み入れた方が良いでしょう。私達のほとんどは他の者達への自分達の意見を押し付けることに躍起になっており、私達は実際には他の者達が何を言おうとしているのかに耳を傾けてはいません。他の者達が課題に対する自分達の側面を提示している間に、私達の心はそれらの提示が誤りであることを示すべく、自分達の議論を組織立てており、私達は話されている事柄の一部しか聞いていないのです。


【解説】
 いわゆるディベートと称せられる討論等はこの典型です。現代の私達には相手を言い負かすことに汲々とする風潮があります。相手の優位に立ち、他人を支配しようとする動きはエゴの増長でしかありません。
 その点、植物は違います。終始無言の生涯を送っています。また音声を発しない動物も多いものです。しかし、彼らは何ら支障なく生活を送っており、印象への感受性も高いものと思われます。この連休中、実家の雑草取りをしましたが、わずか1~2ヶ月で背丈が50cm、茎の径は2cm以上にも伸びる野草があることに驚きました。彼らは他の草よりもいち早く成長を遂げ、光を享受することで繁栄がもたらされることを知っているのです。また、その野草の下には様々な昆虫達が住処を構えていました。野草が日影と湿気を作り、虫達に快適な環境をもたらしていました。これら全ては無言で互いに何の議論もなく行われたことは明らかです。自然界はこのようにほとんどのことが無言で進行しています。もちろん、私達の肉体各部も余程のことが無い限り、神経を通じて騒ぎ出すこともありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第1章-段落249

Part  Ⅲ
CHAPTER I Control of the Ego
249 In olden times, teachers of philosophy demanded strict adherence to certain disciplines of body and mind before they would accept a pupil. They did this because they knew that if a man could not control his sense mind and body-habits, he was not yet ready to receive higher instruction. Some great teachers demanded a five-year period of absolute silence from the pupil before they would even consider the possibility of instructing him. This may seem drastic to us today, yet it served a two-fold purpose. The student learned self-control through not being able to participate in conversation around him; and the enforced role of an impartial listener made it possible for him to study and evaluate both sides of every question.
第3部
第1章 エゴを統制すること
249 古くは哲学の教師達は弟子を受け入れる前に肉体と心についてある種の訓練に厳密に従うことを要求したものです。教師達は、もしその者が感覚心や肉体の習慣を統制できなければ、より高次な教えを受ける準備が出来ていないことを知っている為、そうしたのです。偉大な教師の中には、その弟子を教えられるかを考える前に、その弟子から5年間の間、全くの沈黙を課した教師もいました。これは今日、私達にとっては過激に見えるかも知れませんが、それには二重の目的があったのです。弟子は自分の周囲の会話に参加出来ない為に、自己統制を学びましたし、また隔てない聞き役としての強いられた役割によって、すべての問いに対する両方の側について学び、評価することが可能となったのです。


【解説】
 「テレパシー」が3部作になっている理由は、今となっては知る由もありません。原書では3册の冊子に分かれたものとして自費出版されています。勝手な想像では、後年の「生命の科学」のような講座をイメージして執筆された可能性もあるのではと考えています。つまり、本書は単なる読み物として取扱うべきではなく、各部各章を各学年の教科書のように取扱うべきことを意味しています。
 また、一方で、第3部に入ってエゴのコントロール(統制、制御、支配)について章を設けている点に、この問題の重要度が表れている気がします。本来は、講座のはじめの心構えとして述べられても良い内容ですが、ある程度の知識を授けた後、再びこの問題を取り上げること自体に、このテーマの難しさがある訳です。そして、ジグゾーパズルと同様に、全て一から整然と理解して行くことは、一見にして心にとっては分かりやすいのですが、現実には理解した部分毎にイメージが出来上がる訳で、その要点毎に基本に立ち返る必要があるということでしょう。
 本項について、著者アダムスキー氏は具体的にその教師として誰をイメージしていたのかは知られていません。内容からは仏教の「無言の行」のイメージかと思います。伝えられる所では、アダムスキー氏は幼年期にチベットで学んだとありますが、その内容も氏が体験したことをここに記述している可能性もあります。いずれにせよ、私達は再度、自分自身のエゴをコントロールすることが求められているのです。
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