2009年12月

ご挨拶

いつも、当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
来年も、このテレパシーの原文紹介と対訳、解説を続けて参りますので、引き続きご覧戴ければ幸いです。まずは、この1年間、ご支援戴きましてありがとうございました。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落173

173 This unnatural condition in the digestive system is the direct consequence of the strong thought vibrations of anger or anxiety impinging upon the body cells, and if continued long enough can cause serious and lasting bodily damage. Science has definitely proved that anxiety and tension can terminate in neurosis, ulcers, etc. So here is evidence that the sense-mind can bring suffering upon itself, the physical man. There is great truth in the saying, "As ye sow, so shall ye reap." for it is applicable not only to our morals, as most people interpret it, but to every facet of our lives.
173 消化システムにおけるこの不自然な状況は、肉体細胞に衝突して来る怒りや不安の強い想念の直接的な結果であり、もし長く続く場合は、深刻で続く肉体の損傷を引き起こす可能性があります。科学ははっきりと、不安や緊張はノイローゼや潰瘍を起こして終結することを証明しています。ですからここに、感覚心が自分自身、即ち肉体としての人間に苦痛をもたらし得ることの証拠があるのです。「播く種は刈り取らねばならない」ということわざには、偉大な真実があるのです。何故なら、それはほとんどの人が解釈するような道徳ばかりでなく、私達の生活のあらゆる側面に適用できるものだからです。


【解説】
 恐らくほとんどの方が、何らかの問題に直面して胃が痛んだり、緊張して下痢したりした経験があろうかと思います。これらは、本項で言う自身の肉体に及ぼす心の影響です。実際には心の持ちようによって、問題の深刻さは変わりますし、問題自体の大きさは相対的なものです。これら問題を解決するのが人生でありますが、その際、心の動揺に振り回されると、問題は巨大化して見え、同時に自身の肉体も不調にさらされるということになります。
 一方、見方を変えれば、心は依然として絶大な影響力を自身について持っていることが分かります。本来であれば、宇宙の法則によって完璧に行われる筈の体内の維持活動に対し、それを阻止する程の力を持っている訳です。その心を各自どのようにして正常な姿に戻すかが、大きな仕事になります。
 長い人生の中で、日々自らの心を律し続け、より高次な存在へと努力するなら、身体の各細胞も当然、それに呼応するものと思われます。いつまでも若々しく、柔軟で活発な心を保つことは、やがてその人の顔つきや肉体にも映し出される筈です。心を浄化し、新鮮さを保つことは真の健康美の表現につながります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落172

172 While our minds cannot consciously direct each detail of the complicated workings of the body - we must depend upon nature for this - through our mental attitudes we do wield a tremendous influence over these operations. If we are serene when we eat, the digestive processes are orderly; but if the mind is agitated by thoughts of anxiety or anger, the little cell chemists of the stomach and intestines will be thrown into confusion. This will result in an unbalance in the glands producing the gastric juices, and indigestion will follow. Because the digestive processes were unbalanced, the second group of little chemists, those responsible for controlling the gas, cannot perform their duties properly; and excessive gas will form, often settling around the heart. Since the waste matter was not fully digested, the third group, those responsible for elimination, will be unable to function properly.
172 私達の心は、このことを自然に対して依存しなければならず、意識的に肉体の複雑な作用の個々の詳細を指示することは出来ない一方で、私達の心の態度を通じてこれらの作用に対しては途方も無い程の影響を行使しています。もし、私達が食事する時、穏やかであれば、消化の過程は整然と行われます。しかし、もし心が不安や怒りの想念によって掻き乱されていると、胃や腸のそれら小さな化学者達は混乱の淵に投げ込まれてしまいます。これにより、胃液を作り出す分泌腺にアンバランスをもたらし、消化不良となります。消化の過程がアンバランスになった為に、ガスの制御を担う二番目の小さな化学者達は自分達の任務を適切に実行出来ず、余分なガスが生成し、しばしば心臓の周囲に溜まります。老廃物が完全には消化されない為、排泄を担う第3のグループは機能を適切に果たせなくなります。


【解説】
 主人である私達の心は、一方でこれら肉体の正常な諸活動に大きな悪影響を及ぼします。一般にストレスや心配事で胃が痛い、あるいは食欲が無くなったといったことが起りますが、これらは心の影響が具体的な症状として顕在化するまでの段階に達した事態を意味します。
 肉体の本来の機能を心が妨げ、自らの寿命を縮めるという構図です。心の平安を保つことが肉体の維持に大変大事なことであることは、言う間でも無く、長命の方は皆、穏やかさを保っています。ちなみに「怒りは敵と思え」とは徳川家康の言葉とされています。
 しかし、一方で、ただ、長生きであることだけを目的とするのでは情けない限りです。各自が生きる目的を果たす活動の中で、長生きを考えねばなりません。同乗記の中で千年を生きる長老の講話が紹介されていますが、彼ら宇宙兄妹達は改めて、人間の可能性の高さを私達に示しているのです。
 なお、文中に「心臓の周囲にガスが溜まる」とありますが、これは胃の中で過剰に発生するガスにより胃の上部にガスが溜まり、心臓の周囲まで胃が拡張し、胸の痛み(いわゆる「胸焼け」)等を引き起こすことを指しているものと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落171

171 Every moment of our lives provides us with ample evidence of the intelligence of the body cells. While we go about our daily routine, these busy cells oversee the intricate functionings of our bodies. With no assistance from our conscious mind, they extract the essence of the foods we eat, parcel it out to the various parts of the body in proper proportions, and discard the waste. Admittedly, this is only what we have come to accept as a natural functioning of the body; yet when analyzed, it represents a miracle that man cannot duplicate. Does it not give us a wonderful insight into the workings of nature? And what is Nature but Cosmic Cause expressing Cosmic Intelligence? (訳注:原文では"provdes"となっていましたが、"provides"の誤植と判断し原文も修正しました)
171 私達の命の一瞬一瞬が私達にこの肉体細胞が持つ知性について有り余る程の証拠を提供しています。私達が日々の日課に出掛ける間にも、これら多忙な細胞達は私達の肉体の複雑な諸機能を見渡します。私達の意識ある心からは一つも援助を受けることなく、細胞達は私達が食べる食物のエッセンスを抽出し、それを身体の様々な部分に送り届け、老廃物を排泄します。明らかなところ、これは肉体の自然の機能として私達が認めるところです。しかし、分析すると、それは人間が真似することが出来ないような奇跡的なことであることを表わしています。それは私達に自然の諸作用に対し、素晴らしい洞察を与えているのではないでしょうか。また、宇宙的英知を表現する宇宙的因以外の何者でもない、自然とは何であるかについてです。


【解説】
 私達の肉体内の諸活動は、私達の心に影響をほとんど受けることなく、行われていることは確かです。毎日の食事を通じて、私達は自分の肉体の維持に必要な栄養素を摂取しますが、食物を口で味わい、飲み込んだ後、それらがどのようにして消化吸収されるのか、私達は全く自覚しません。
 肉体の主人である各自の心が、身体の維持とかかわりのない問題で悩んでいる間も、悲しみあるいは怒っている時も、肉体の細胞達は懸命にその時々の自らの責務を成し遂げようと努力しています。
 これらは、肉体細胞が自ら自分の役割と責任を理解し、主人(心)によって認められなくても、ひたすら自分の使命に忠実に取組んでいることを意味します。実は当たり前のこととして見なされていることの中に、多くの奇跡があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落170

170 For instance, living tissue taken from the body of a chicken has been kept alive for years without the aid of brain, spinal cord, or sense organs; not merely preserved but actively growing, or multiplying in cell composition. It is true that this tissue could not continue to live if it were not supplied with proper heat, moisture, and the necessary food; but if the cells of this living tissue were not conscious entities, how could they know how to assimilate the elements provided for their maintenance?
170 例えば、ひな鳥の身体から取り出した生きた細胞組織は、頭脳や脊髄あるいは感覚器官の助けがなくても、何年も生き続けられました。単に保存されたということではなく、活発に生育し、即ち、細胞分裂をし続けたのです。この細胞組織が適切な温度や水分、そして必要となる食物が提供されなかったとしたら、生き続けることは出来なかったのは確かです。しかし、この生ける細胞も組織が意識ある実体でなかったとしたら、どのようにして、それらは自分達の維持の為、提供された元素を取り込むことを知り得たのでしょうか。


【解説】
 各自の肉体の細胞自体が「こうしたい」、「こうありたい」という意思があり、それに必要な元素を自ら摂取して、その実現を果たすという訳です。これら細胞の活動には本来、誤りはありません。宇宙意識と同調しており、到底、人智が及ばない奇跡的とも言える肉体の維持を成し遂げていることから、それが分かります。
 問題は、これら各自の細胞とその肉体の主人公であるべき私達がどのように対するかです。単に全てをこれら細胞達にお任せしますというだけでは、進歩は望めません。そこで考えたいのは、私達を何万年も先行する宇宙人社会の中でどのような学習が行われているかです。アダムスキー氏を通じてわずかに伝えられていることは、彼ら宇宙の兄妹達は年齢に関わらず学習を継続しており、ある分野の理解者が他を教え合う、一週間の内、社会の為に働くことと自ら学ぶこと、生活を楽しむこと等をバランスのとれた生活を送っているということです。また、驚く程、大勢の人々が宇宙旅行に出て、違った世界を自ら体験するとのことです。
 これらは宇宙の広大さを自覚し、自らに与えられた命が如何に宇宙に調和し、関連しているかを学ぶためでもあるのです。何処に行っても、同様なパターンの生命体が存在することを理解することで、改めて自らの細胞達の宇宙的価値が分かるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落169

169 Each atom making up the cells of the body possesses within itself the element of feeling-which is consciousness. Consequently, it is quite possible for the cells of one form, to convey the state of their activity to the cells of another form. When the cells of one body are impressed with vibrations from the cells of another body, the impulse is created in the nerve plasm and immediately carried through the afferent nerves to the brain, where it is decoded into a conscious thought. It may be difficult to accept the idea of cells as little conscious entities, capable of receiving and passing on vibratory impressions, or of forming their own messages; but experiments which have taken place in our laboratories have proved conclusively that all substance is possessed of consciousness.
169 肉体の細胞を構成する各原子はそれ自身の内部に意識であるフィーリングの要素を所有しています。したがって一つの形あるもの(訳注:肉体)の細胞群が他の形あるものに自らの活動の状況を伝えるというのは全くのところ、起こり得るのです。ある肉体の細胞群が他の肉体の細胞から来る振動を感受すると、神経の原形質に衝動が発生し、直ちに中枢神経を通じて脳に伝わり、そこで意識できる想念に解読されます。細胞が小さな意識ある実体で、振動による印象を受信し、転送する、あるいは自身のメッセージを作り出すとする概念は受け入れることが難しいかも知れません。しかし、私達の実験室で行われた実験では、あらゆる物質は意識を持つことを決定的に明らかにしているのです。


【解説】
 各細胞が同じ身体の他の細胞と情報を交換しながら、互いに連携して生きていることは理解できると思います。ここでは更に進んで、他の身体の細胞とも意思を伝えあっていることが示されています。相手の気持が分かる、或いは親近感を持てるという感情は、こうした自身の細胞と相手の細胞との友好的な間柄が最終的には互いの頭脳に伝わって湧いて来るものと思われます。
 細胞が振動によって意思を伝えることは、顕微鏡下で細胞の活動をつぶさに観察することが出来れば実感が持てるものです。これに関して、私が紹介できるのは、原生動物と称されるやや大型の単細胞生物についてです。これらは単独に暮らすもの、群体を構成するもの等、さまざまですが、主に、汚水を浄化する過程で発生します。大きさは100ミクロン程度はありますので、容易に観察できます。水の中で、彼らは実に活発に動き、水中の細菌を捕食し、水の濁りを取り除く等、汚水処理にはなくてはならない存在です。それらを顕微鏡で観察すると、細胞ひとつの生物ですが、実に個性的であり、当然、意思を持って行動している様子が分かります。
 細胞ひとつひとつが意思を持ち、意識を持った存在であるということは、古(いにしえ)より森羅万象に神宿るとする教えにも近いものがあります。従来、アミニズムとして迷信というレッテルが貼られて来たものですが、ここに来て、再度、その本来の意義が解説されているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落168

168 This proves that thought can be transmitted from the body cells within a form, without the necessity of passing through the brain of the form as a conscious thought. If thought could only be produced through action of the brain cells, this knowledge could never have been revealed to me; for the woman's brain was broadcasting strong, frantic, thought-vibrations of serious disorder in the body.
168 これは想念は一つの意識出来る想念として形あるもの(訳注:肉体)の頭脳を通過する必要はなく、身体の中の肉体細胞から発せられ得ることを証明しています。もし想念が頭脳細胞の活動を通じてのみ作られるとしたら、この知識は私には明らかにされなかったからです。何故なら、その女性の頭脳は、身体の中の深刻な疾患状態についての強烈で気も狂わんばかりの想念波動を発していたからです。


【解説】
 通常、私達は頭で物事を考えます。頭脳こそが人の中心であり、司令塔だとされて来ました。目や耳、鼻等の感覚器官は頭部に集中していますし、それらの反応を伝える神経は直接、脳と接続されているようです。
 しかし、本項の事例にあるように、それらが発する想念(情報)は、必ずしも真実であるものばかりではないのです。本来、宇宙の本源から来る印象は正しいもの、真実なものですが、この頭脳から発せられる想念は、感覚器官の意見により解釈を加えられたり、他の者の頭脳から受けた誤った情報も混在する等、その多くは混乱した(迷いのある)ものとなっています。
 これに対して、肉体細胞が直接訴える情報は、頭脳から発せられる場合と比べて出力は大幅に小さいものではあるものの、そのメッセージの内容は真実から外れることはないのです。これら妙(たえ)なる想念波動に自らの受信器・増幅器である頭脳を同調させられれば、莫大な情報が本人に流れて来ることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落167

167 This lady, still doubtful, went to a heart specialist who confirmed the impression of normal cardiac action I had received from the heart cells. She then visited a dentist, and the information I had received from the cells of her gums was substantiated, for, after taking X-ray pictures, he assured her the infectious condition could easily be cured by a few weeks' treatment.
167 この婦人はそれでも疑って、心臓の専門医の所に行ったところ、その専門医は私が得た正常な心臓の動きの印象を確証しました。彼女は次に歯科医を訪れ、私が彼女の歯茎から得た情報が実証されたのです。何故なら、レントゲン写真を何枚か撮った後、その歯科医が彼女に感染状態は数週間の治療で容易に治ると彼女に保証したからです。

【解説】
 恐らく、この婦人はアダムスキー氏の指摘に半信半疑であったのでしょう。念のため、別の医者の所に受信に行った訳です。しかし、この場合、最初の医師よりはアダムスキー氏の細胞が訴える印象を捉えた診断の方が正しかったのです。 とかく人の判断は誤るものです。この事例では最初の医師は明らかに誤った診断をしてしまいました。これら医師の診察については、生命の科学にも例示されているように、単なる表現上の症状のみでなく、自らの意識を用いて、体内奥深く起っている状況を意識を用いて把握するという、「原因」と「結果」の両方を同時に見ることの重要性が指摘されています。病の原因と身体の状況把握は最新の検査技術が発達した今日でも医師にとっては重要な能力の一つです。
 各自が健康で過ごすことは基本的要件です。その為には、先ずは自らの肉体で日々生じている活動を維持し、それらの健全性を高める為、各自の細胞達、原子群と交流を図ることが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落166

166 The woman's mind had been deeply impressed with the idea that her heart might falter and stop at any minute, and that her teeth were ulcerated beyond medical help. Remember, these were the thoughts she was holding uppermost in her mind when she consulted me. Yet, I received a definite impression from the heart that the action of that organ was normal; and I could detect the presence of only a slight infection in the cells of the mouth. Therefore, I informed her that her heart was perfectly normal, and there was nothing wrong with her teeth except for a slight infection of the gums, which could be eliminated with proper treatment. I did not acquire this information by visible means, for I am not a doctor and I made absolutely no physical examination. The diagnosis-if you wish to call it that-was the result of thought-transference from her body cells to my mind.
166 その女性の心は自分の心臓はいつ何時、弱って止まるかも知れないことや、自分の歯が医療の手当てが及ばない程、潰瘍が生じているという思いに深く印象づけられていました。これらは彼女が私に相談した際に心の中で真っ先に抱いていた想念でありました。しかしそれでも、私は彼女の心臓からは、その器官の働きは正常であるという確固たる印象を受けました。口の細胞に若干の感染があることを感知しただけでした。それ故、私は彼女に彼女の心臓は完璧に正常であり、歯茎にわずかの感染箇所がある他は、彼女の歯には何も悪い所は無く、感染箇所も適切な処置によって取り除けることを伝えました。私はこの情報を視覚的手段で得たのではありませんでした。何故なら私は医者ではなく、どのような物理的な診察を行ったのでは決してありません。それを診察と皆さんが呼ぶというのであれば、その診察は彼女の肉体の細胞から私の心への想念転移の結果であったのです。


【解説】
 この場合、アダムスキー氏はその婦人の身体の状況をどのようにして知ったのかが重要な所です。従来は「透視」その他の言葉で表現されて来ましたが、本文に書かれているように、その実態は婦人の身体の細胞とアダムスキー氏の心が交流したということなのです。
 本来であれば、自分に最も近い自身の肉体の細胞ともっと交流できるべきなのですが、本人の心がその声を聞く耳を持たず、勝手なイメージを追い求めている為に、実際の身体の細胞との意思疎通もない訳です。この場合、他人の能力者の方が身体の状況を正しく把握出来たことになります。
 本当は私達の身体はもっと活発に活動が出来、若さを保つことが出来るように思います。これら活発に動く細胞も、長年その声を無視され、不要なストレスを受け続ける中で、次第に老化し、遂には生命活動が存続出来なくなって死を迎えます。私達が本来、耳を傾けなければならないのは、自身を支えるこれら細胞の声であり、彼らと対話しながら、最高の創造物としての役割を果たすことが望まれています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落165

165 A number of years ago an acquaintance who had been feeling unwell, consulted a doctor. The doctor's diagnosis was that she was suffering from a serious heart condition, and that her teeth were so badly infected they would all have to be extracted. Naturally, she was very distressed by the diagnosis; and came to discuss it with me, asking for advise.
165 何年も前のことですが、長く気分が良くないと感じていた一人の知人が、医者にかかりました。その医者の診断は彼女が深刻な心臓の病を患っていること、また歯は細菌によりひどく感染している為、全て抜かなければならないだろうというものでした。当然のことながら、彼女はその診断によって大変心を痛め、助言を求めて私の所に相談に見えたのです。


【解説】
 同乗記の最初の部分、アダムスキー氏が宇宙からの訪問者と最初にあった日も、アダムスキー氏を頼っていた一人の婦人とアダムスキー氏が面談し、助言を授けたことが記されています。アダムスキー氏の周囲には、その人となりや宇宙哲学的な教えに魅力を感じた人々がアメリカ西海岸を中心に集まっていたようです。そんな人々から諸々の相談事を受けていたのがアダムスキー氏であったのです。
 さて、その中の事例を元に記述されているのが、本項です。自分の健康状態は、本来、身体の主人(あるじ)である本人が最も良く知る筈ですが、実際にはよく分からないでいることが多いものです。それ程に、普段、私達は身体の各細胞から寄せられる報告(メッセージ)に気付かずに暮らしているということでしょう。
 また、一方的な思い込みや信頼する相手からの指摘に従って、自ら病気を誘引したり、悩んだりしてしまいます。人には本来、自分の身体を維持する様々な機能が備えられていますが、その機能を発揮できないようにしている思考習慣が問題なのです。その習慣を改めることが出来れば病も改善に向かう訳で、おそらくはアダムスキー氏も求めに応じて相談に乗っていたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落164

164 What has this to do with telepathy? It is a very good illustration explaining one phase of telepathic communion between man and the body cells, or man and nature. Following is another in which I was a participant.
164 このことはテレパシーとどう結びつくのでしょうか。それは人とその肉体の細胞との間や人と自然との間のテレパシー的な意思疎通の一側面をとても良く表わしている例証と言えます。以下は私が当事者となったもう一つの事例です。


【解説】
 従来のように、頭の一部にある目や耳のみに頼ることなく、足の先から頭の先まで、全身を自らの感覚器官、即ち外部からの印象の受容器として認めることです。印象は正直であり、真偽を見極める時や事態の予想をする上で欠くことが出来ません。しかし、心が落ち着いていなければ、その判断の源となる情報が届かないことになり、判断を誤ります。
 テレパシーは実生活に活用してこそ意味がある訳で、私達はこれら体内の60兆個とも言われる細胞を自分のエージェントとして活動してもらうのと同時に、彼らの諸々の働きに対して常に感謝しなければなりません。
 そこには欺まんや横暴といった姿勢は無く、もたらされる情報を率直に受け入れられる信頼関係が必要になります。そうする中で、やがて人は創造主の意思を自発的に実行できる体制になれるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落163

163 Atoms are endowed with alertness or awareness, and through feeling, can impress their messages upon man's mind. For instance, we may be strolling down a lonely road, or hurrying along a busy street; the mind occupied with its own thoughts when, through feeling, we become aware of someone staring at us. As yet the eyes have not seen this person, nor was the preoccupied mind aware of his presence until feeling alerted the brain. It was the cells of our body, responding to the directed thought from the other person, that alerted our mind to his fixed attention upon us. This same alertness can be awakened in us by the gaze of any living form.
163 原子達には警戒即ち、知覚力が授けられていますし、フィーリングを通じて自らの伝言を人間の心に印象付けることが出来ます。例えば、私達が人気(ひとけ)のない道を歩いている、あるいは賑やかな街路を急いでいるとします。心はそれ自体の想念によって占められていますが、フィーリングを通じて誰かが自分達を見詰めていることに気付きます。目はこの人物を見ていませんし、印象が頭脳に警告するまで、その存在に気付きませんでした。私達の心にその人物から私達へ動かない注目について警告したのは、その者から放射された想念に呼応した私達の肉体の細胞なのです。これと同じ警報は他の生き物の凝視によっても私達に知覚され得るのです。


【解説】
 これまで「印象を受ける」と漠然と表現されて来ましたが、本項ではそれが自身の身体を構成する細胞やその先の原子群が感知した結果を、脳に伝達することによって生じることが説明されています。つまりは全身で感じるということです。既存の四つの感覚器官以上に全身の各細胞各原子がもたらす情報を謙虚に受け入れることが大切だということ、まさに全身全霊の体制が必要だということです。
 これら細胞が他の存在の動向や意思を感じ取る能力は、夜行性の野生動物において優れているものと思われます。真っ暗な中で、相手の動向を探り、安全を確保する為には、こうした目や耳に頼らない感受性が必要なのです。
 一方、私達は普段から、既存の感覚器官に頼り切っている為、暗黒の世界や物音一つしない静寂の世界を恐れがちですが、既存の感覚器官を超える範囲にも感受力を伸ばす為には、自らの肉体細胞も既存の感覚器官と同等なネットワークに加えることが必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落162

162 In man, as in the flower bed, the same atoms merely form new cells. Remember the law of affinity, the action of attracting and repelling, is the foundation of the universe. And these tiny atoms, so complete in themselves, obey unquestioningly the Cosmic Intelligence which, through the Mother principle, Matter, has brought them into being. They do not lose their individual identity, but rather, add one more experience through the new manifestation.
162 人においても花壇におけるのと同様に、同じ原子群が新しい細胞群を形成するだけです。親和の法則、即ち吸引と反発の作用が宇宙の基礎であることを忘れないで下さい。そしてこれら微細な原子達は、それら自身が完璧である為、宇宙英知に疑問を挟むことなく、従い、母性原理である物質を通じて生を受けています。それらは自らのアイデンティティを失わず、むしろ新たな創造を通してもう一つの体験を加えるのです。


【解説】
 宇宙創世の昔から、ここにある原子は創造主の用いる材料として、絶えず創造の過程に関わって来ました。場合によっては、惑星の範囲を超えて遠い宇宙を旅することもありました。しかし、文中の「花壇」の例のように大部分は惑星の範囲内で輪廻を繰り返して来ていることは明らかです。
 当然に、その生い立ちや過去に記憶した感情の多くが、今日まで個々の原子に蓄積されているということになります。その結果、あまりに急速に印象類を感じたいと思うことは、逆に危険でもあるのです。感受性が高まることは、これら古くからの辛い印象も拾い易くなるからです。
 私達がテレパシーを身につけようとするのは、こうした過去の辛い体験を味わう為ではありません。もっと創造主の近くで、明るく楽しい充実した生涯を送ることにある筈です。即ち、創造主の指導に声にこそ、耳を傾け、目を凝らす必要があります。取りあえずは、やって来る全ての印象類を受け入れはしても、自分の生き方に取り入れる際には慎重さも必要になります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第2章-段落161

CHAPTER II
Impressions From the Body Cells
161 Some may point to the fact that the cells of the body are constantly changing. How, therefore, is it possible for them to retain their memory?
第2章
肉体細胞からの印象
161 肉体の細胞は常に改まっているという事実を指摘する人もいるでしょう。それ故、細胞達にとって記憶を保持することは可能なのかと。

【解説】
 本項から第2章に入りました。
 人の身体は内部の細胞の活発な新陳代謝によっておよそ6年周期で新しい細胞に入れ替わるとされています。(http://www.ne.jp/asahi/happy/jolyboy/kisetu01.htm)。日々起る細胞分裂と古い細胞の死により、人間の身体は若さを保っています。元はと言えば、わずかな大きさの受精卵から始まった身体の細胞は、その由来全てを地上の原子に委ねています。身体を構成する原子はある時間、その身体にとどまるものと言うことが出来ます。
 「私」自身はもちろん、これら肉体部分だけではなく、肉体を取り去ってもなお残る精神活動体の方がウエイトが高い訳で、仮に肉体が数年で入れ替わるとしても大きな影響はないものと思われます。
 原子達は、それらが構成する肉体の主人公が抱く感情に対して顕著に反応するものと思われますし、この世界の創造の昔から原子達は記憶を何らかの形で保持していると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第1章-段落160

160 The Living Soul, given to man when the Creator breathed the breath of Life into his nostrils, does carry the True Book of Remembrance; but few who have lived, or are now living on earth, have as yet evolved in understanding to the place where they may read. True, on rare occasions we may be given a glimpse of a word here and there, and with understanding can interpret these correctly. But since most Earthlings have not yet learned sufficient control over the sense-mind, more than a brief glance cannot be vouchsafed them.
160 創造主が人の鼻の孔の中に生命の息を吹き込んだ時、人に与えられた生ける魂こそが真実の記憶の書を運んでいます。しかし、地球にこれまで生きて来た、あるいは現在生きている者で、その者達がそれを読み取る場所まで理解力を発展させた者は極くわずかです。真実の所は私達はまれにそこここで記載されている言葉の一瞥を与えられ、理解力により、これらを正しく解釈することが出来るかも知れません。しかし、ほとんどの地球人が感覚心に対する十分な支配を学び取っていない為に、わずかの一瞥以上のことを与えられることはないのです。


【解説】
 最も大事なものは何かということになると、それは各自の記憶ではないかと思います。各々の人生は毎回、限りあるものということになりますが、その中でそもそも「私とは何者か、何処から来て、今日ここに居るのはどのような目的があるか」を私達は知りたいと思っています。
 本項では、私達が創造主から与えられた生ける魂の中に全てが記憶されると述べられており、自らの中に既に莫大な記憶が収蔵されていると言っているのです。そしてその解決策として感覚心を抑制することを条件として挙げていることが分かります。即ち、感覚心を制御すれば自ずと自然に記憶が開示される状況になると述べている訳です。
 後年、アダムスキー氏は「生命の科学」を一課ずつの通信教育として執筆しています。その中で私達が日常、振り回されている感覚心とはどのようなものかを繰り返し述べられています。古来より、様々な導師が地球に現れ、語った事柄も同様なものであったことが推定されます。最も重要な自分自身を理解する為にも、各自の内部にある記憶の本源に近づく努力が必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第1章-段落159

159 But to return to the true cell memory; because all manifestation consists of atoms, which, through creation and recreation are used and reused to make forms, the interrelationship between all things is self-evident. The atoms which now make up your physical body, previously contributed to the construction of innumerable other bodies and forms. And like the cells of the dwellings mentioned earlier which were impregnated with the vibrations received from the occupants, the cells of the body will carry memories received from each manifestation.
159 しかし、真実の細胞の記憶に戻れば、全ての創造物は原子から構成されており、それら原子は創造につぐ創造に何度も再活用されている為、万物の間に相互関係があるのは自明のことです。今や貴方の肉体を作り上げている原子達はかつては無数の他の肉体や形有るものの建造に貢献して来ました。そして以前述べた住居の細胞のように、占有者から受け取った振動を染み込ませており、肉体の細胞も個々の創造物から受け取った記憶を運ぶのです。


【解説】
 期せずして、本文の内容は以前の解説と同じものとなっていました。本講座を続ける中で一つ一つの段落については丁寧に読み解いているつもりですが、先の段落までは十分、目を通してはいません。それでもほぼ似た記述に当るというこおてゃ、アダムスキー哲学の平易さを表わすものと言えるでしょう。
 しかし、これは本講座が宇宙を貫く大きな真理や法則を掴んでいるからに他なりません。法則や皆、簡素なもので、誰もが理解できるものです。この各原子が天地創造の昔から様々な創造物に使われて来たことは誰もが知識としては持っている訳です。その中で、原子は一つ一つに記憶があるということになると、私達の認識は一変して拡がることになります。
 また、万物の一体感という修行者のいわゆる悟りの感想もありますが、これも自分の肉体の各原子とのコミュニケーションが確保出来れば、様々なものに分散、共有されている自らの分身を認識することで、親近感が湧くという解説も可能です。まさに万物に神宿るの心境です。
 いずれにせよ、原子が記憶を運ぶということになれば、各自が自分の中に莫大な図書館を携帯しているとも言えるでしょう。利用しないことは「もったいない」の極みです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第1章-段落158

158 Over the years I have made an interesting observation regarding these "memories." It is indeed rare to find an individual who claims to remember being just plain Mr. Average Citizen. These memories-which in many instances can seem very real-usually involve illustrious persons; everyone from the high priests who officiated at the initiation ceremonies in the Great Pyramid, to more recent characters of history familiar to us all. The vast majority of these are not even cell memories . . . they are simply man exalting his ego.
158 何年にもわたって、私はこれら「前世の記憶」に関して興味深い観察を続けて来ました。全くのところ、自分が只普通の一般市民であったことを覚えていると言う個人は珍しいのです。多くの場合に大変リアルに見え得るこれらの記憶には、通常著明な人物が含まれており、偉大なピラミッドの開始儀式を司祭した高位の僧侶から、新しくは私達全員が良く知っている歴史上の人物までが含まれています。これらの大多数は細胞の記憶どころではありません。それらは人を増長させる自分のエゴの為せるものです。


【解説】
 しかし、一方ではこの「前世の記憶」ほど、不確かなものはないのです。本文で言うように私達は他人に自慢し、優位に立ちたいと思うものです。その結果、往々にしてエゴが勝手なイメージを作り上げてしまうものだと本文は述べているのです。
 従って、この自分探究はその結果を他人に話すような事柄ではないこと、またありのままの過去の自分を受け入れる気構えが必要となります。しかし、より重要なのは過去の蓄積物よりは現在の学習内容にあるように思います。過去、十分に学んでいたら、今期は別の展開があったかも知れませんし、現在、自分がある状況こそが大切だと思うからです。
 いずれにせよ、うわべを繕うエゴをより小さくして、各自目の前の課題に素直に取組むことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第1章-段落157

157 This accounts for most of the so-called memories of previous lives. A person may receive an impression that he once lived on earth as Julius Caesar, and his ego will be inflated. But in reality, a few cells of his body may be composed of atoms which were once present in the body of Caesar.
157 このことはいわゆる前世の記憶と呼ばれるものほとんどに当てはまります。ある人は自分がかつてジュリアス・シーザーとして地球に生きていたという印象を受けるかも知れませんし、そのことでその者のエゴは増長することでしょう。しかし、実体はその者の身体の細胞のわずかがかつてシーザーの肉体に有った原子から構成されていたに過ぎないのかも知れないのです。


【解説】
 本文の延長上の論議として、私達の得た「体験」は良くも悪くも自分自身の60兆個もの細胞、更にはその先の原子一つ一つに同様な記憶を与えるということに繋がります。これはある意味、恐るべきことで、私達の毎日の一つ一つの感情が自分の肉体を構成する原子に等しく記憶されるという大変大きな責任があることを意味しています。
 もし、私達が身体に摂取する原子が良質の記憶を保持しているなら、私達はその影響を受けて落ち着いた喜びに満ちた生活を送りやすくなるとも言えるでしょう。よく言葉として「奉仕」という表現がありますが、人生において自身にこのような平穏で快活、宇宙的な想念体験を増やそうとすることは、後世に残るこれら原子達にその優れた経験を積ませるという体験活動であり、奉仕活動であると言うことも出来ます。これら一人一人の密やかな努力は、もちろん本人にとってのプラスになることはもちろんですが、真の意味で誰もが出来る後世へ残す遺産でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部第1章-段落156

156 So it is with Man. The atoms of his physical body-made from the "dust," or atoms of matter-have been used and reused throughout eternity. Thus, these miniature universes carry an indelible memory of the experiences they have participated in during each manifestation.
156 ですから、それは人間についても同じです。「チリ」、即ち物質の原子から作られた人間の身体の原子達は永遠の時を通じて、利用され、再利用され続けます。こうしてこれらミニチュアの宇宙(訳注:原子を指す)はそれらが各々の創造物での間、参画した諸体験について消し去ることのできない記憶を運ぶのです。


【解説】
 各自が本来備えている記憶は本文から、本来、膨大で幅広いものであることが分かります。水中で活動する微小原生動物から草木や動物に至るまで、細胞の元となる原子は様々、体験している訳です。これら体験の記憶をわずかでも引き出すことが出来れば、目前に活発な生命活動のイメージが拡がって行くことでしょう。
 また人が自然に親近感を覚え、美しさを感じるのは各自の構成原子がそれを懐かしく感じることによるのかも知れません。よく「国民性」という表現がありますが、それはその国土に脈々と連なるこうした原子達の歴史が作り上げるのかも知れません。まさに原子を通じて経験や文化が伝播されて行くと言える訳です。
 一方、人間は地上の「チリ」からなる肉体の他に意識や心といった霊的な実体を有しています。これらは各人生を歩む主人公であり、前述の原子は身体という環境に過ぎません。各主人公が学ぶ上で様々な環境が与えられる訳で、その都度、与えられた環境条件を十二分に生かし、自らを生長させることが望まれているということです。
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