2009年06月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落057

057 My earthly parents had merely served as a channel for the birth of my physical form. But this Force in Cosmic Intelligence had formulated the plan and directed the building of my body. So it is with all expectant parents. The mother's body furnishes the necessary materials for this Master Builder, yet at no time does she control the miracle of creation taking place within her.
057 私の地上の両親は単に私の肉体の誕生の為の経路を務めたに過ぎませんでした。この宇宙的英知の中の力がそのプランを組み立て、私の肉体を作り上げることを指揮したのです。それはこれから両親となる全ての者についても同様です。母親の肉体はこの棟梁の為に必要な材料を供給しますが、彼女が自身の中で起っている創造の奇跡を統制することは決してありません。


【解説】
 もちろん、ここでは父母への孝養、家族への愛情を否定しているものではありません。アダムスキー氏自身も清貧なカトリック教徒の家に生まれたと伝えられています。そのアダムスキー氏が宇宙兄妹達と交流する中で得た、人間の本質的な視点として各個人の生きる目的を突き詰めた結果、得た結論が、各自と宇宙英知との関係が最重要であり、両親は各自の誕生の経路というその大きな任務を果たしたに過ぎないと言うことなのです。
 また、妊娠中の女性の体内で起る胎児の成長のドラマは母体の協力があってのことですが、肝心の母親の心はそれについて知識は皆無だと指摘しています。体内で起っている大きな変化、次世代を産み出す重要な役割を果たそうとしているにもかかわらず、心は理解力の無い為に知覚するものが少ないということです。他方、肉体は必要なことを全て知っていることになりますが、それこそが各細胞や器官が宇宙英知から絶えず指導を受けていることに他なりません。
 自然界の動植物を見れば、皆同様に次世代をこの世界に残すべく、ある意味、必死で各々の生涯を送っています。産卵の為に故郷の川に還って来る鮭、子育ての為、遠く南半球から渡って来る渡り鳥、果ては草むらで鳴くコオロギや狩りをするハチ等、皆各々が次世代の生長にとって必要な環境や食料の確保に生涯を捧げています。
 こう考える時、冒頭の父母は生まれて来る為の経路に過ぎないといる本来の意味は、父母にとっては創造主のお働きになる場所を提供し、子供の誕生に奉仕するという意味が含まれていることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落056

056 The task confronting me now was the shedding of this false conception, and a recognition of the existence of the underlying Cosmic Cause. So I sought a better understanding of my mind and my body; how they operate and their purpose for being. This line of investigation led me to the realization that it was Cosmic Intelligence coupled with a force, that was the creator of my being.
056 今や私に立ち向かう任務は内在する宇宙的因の存在に対する誤った観念と認識を取り去ることでした。そこで私は自分の心と身体についてのより良い理解、即ち、どのようにしてそれらが働くかやそれらの存在目的について探し求めました。この探究の筋道は私を私の存在の創造主は力を伴った宇宙的英知であるとの実感に導いたのです。


【解説】
 大変もったいない話ではありますが、誤解や勘違いによって一生を棒に振るようなこともあり得るのです。私達は心に支配されて生活していますので、その心がかたくなになってしまうと、その思い込んだ世界から容易に抜け出ることが出来ません。これに対し、本来の各自は各々何らかの目的を委ねられてこの世に生まれて来ました。その目的を十分に果たせれば良いのですが、未だ果たせないでいる場合は、再度、この生まれた原点に立ち返って課題を整理することをお勧めします。
 私達が毎日生きていることについては、無数の体内の細胞や器官が昼夜を分たず働き続け、身体を維持する活発な活動が続けられています。その努力に対して、その身体を預かる人間が果たすべき仕事を為すことは当たり前ということでしょう。しかし、このような自らの本源に立ち返って人生を見詰め直すことは習慣の中に埋もれていては容易ではありません。外界への関心に振り回されている心を落ち着かせる必要があるからです。
 毎日の心掛けがその人の人生を作り上げて行くことは間違いありません。私見ですが、人間の老化は急激に進行するように思います。つまり、人体のこのような維持活動の働きが、身体に加わるストレス等のマイナス影響に対していくら抵抗して体内を維持して行こうとしても、やがて細胞達も力つきて行き、最後はどうしようもなくなって生命活動が急速に終焉を迎えるように思います。そういう意味では心が身体の支配者となっている訳ですが、限られた一生の間に、その心のあり方を本来の姿に戻すことは、各自にとって大きな課題でもあります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落055

055 I knew that scientifically the human body was a marvel of construction beyond the duplication of man. Just one small function of the body, which scientists do not fully understand, is the working of the "chemical laboratories" within us which daily extract and distribute the essence of the foods we eat. This alone is proof that the natural actions of the body obey the laws of Cosmic Intelligence. It must then follow that the reasoning mind has become so immersed in the material world of effect, it has temporarily lost sight of its origin. Man did indeed "hide his light under a bushel."

055 私は科学的に人体は人間というものの複製以上の驚異の建造物だということを知っています。人体のわずか些細な機能であり、科学者達が完全には理解していないこととして、私達の中にあって私達が食べる食物のエッセンスを毎日抽出し、分配している「化学試験室」があります。この一つをとっても人体の自然な行動は宇宙英知の法則に従っている証拠になります。そのことはまた、論じがちな心が結果の物質的な世界に余りにも夢中になっている為、心は一時的にその元の由来についての視野を失っていることに繋がっているに違いありません。人はまさしく「ともした明かりを升の下に置いてしまった」のです。


【解説】
 身体の諸活動は明らかに宇宙の法則に従って、日々刻々の身体維持に必要な働きを行っています。一方では、私達の心はそのことを理解できず、見失っているという状況が続いています。
 本文ではその心をreasoning mindと表現しています。この場合reasoningとは辞書に「論議しがち」「推理しがち」等の訳語があるように、ここでは「目の前の様々な現象(結果)の一つ一つに目を奪われ、振り回されて、背後にある肝心な法則の理解には到達できない論議好きな状態」を指すものと考えます。
 もちろん、自分の身体は誰のものでもなく、各自の責任において維持されなければなりません。そしてその身体は誰の為に維持されているかを考えれば、私達は大変恵まれた環境に生まれていることが分かります。その創造主からの恵みを心(自我)はまずは感謝し、できれば返礼することが望まれます。他者に対する奉仕がそれです。
 結果の世界である外部や外面よりは内部、内面への関心こそ私達には必要だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落054

054 My analysis continued. Since my human form had been brought into being by this Cosmic Intelligence, I, along with other forms of nature, must have inherited its laws and benefits, as well as its intelligence. Then why did I not have ready access to these birthrights?
054 私の分析は続きました。私の人間としての身体は宇宙英知によってもたらされたものであるからには、私も他の自然界の形有るもの達と同様、その知性と共にその諸法則や恩恵を受け継いでいる筈です。それでは何故、私はこれらの生来の権利を直ぐに入手出来なかったのでしょうか?


【解説】
 全て必要なものが与えられているにもかかわらず、私達は未だ十分な恩恵を享受してはいません。その結果、本来備わっている自らの幸せに気付こうとしないまま、何処か遠くに理想郷を求めてさまよい歩く方を選びがちです。家を飛び出した放蕩息子の例です。しかし、多くの場合、外部に理想を求めても結局はその本人の問題に帰着する例も多いものと思われます。つまり、同じ光景、同じ環境を経験してもその受け止め方は人によって異なるからです。かつて、どれ程多くの人がイエスに直接会ったことでしょう。本来であれば、12使徒達以外にも多くの従者が出るべきですが、実際にイエスが生きていた当時、その人物の価値に気付いた人は少なかったものと思われます。(これはアダムスキー氏についても言えることで、晩年、身近に居て氏を支えていた人物は限られた人々であり、最後まで氏はひとりで自分の任務を果たしていました。)
 問題は、与えられた恩恵に気付かないことにありますが、気付く為にはどのような手法があるか、つくづく考えていたところ、ウェイン・ダイヤー(Wayne Dyer)は、著書"The Power of Intention"の中で以下の説明をしていることに気付きました。"The way to establish a relation with Spirit and access the power of this creating principle is to continuously contemplate yourself as being surrounded by the conditions you wish to produce." (聖霊との関係を確保し、この創造的原理の力を入手する方法は、貴方自身を貴方が作り出したいと望む状況に既に囲まれているように絶えず思うことです。)
 前項(053)で述べられていたbecoming better acquainted with himself(自分自身を熟知するようになること)と類似した気持の持ち方だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落053

053 This revelation made it apparent that all was contained within man, and the answer lay in his becoming better acquainted with himself. I recalled the well-known adage, "Man know thyself, and all things shall be revealed unto you." Until then I, too, had parroted this profound truth, unaware of the immensity of its depths. But now I realized that Nature held the key to the Cosmic universal language; silent, yet everywhere present; and it was here in the manifested world that I could find the understanding for which I searched.
053 この啓示は全てが人間の内側に含まれていること、そして答えは自分自身を熟知するようになることにあることを明らかにしました。私は良く知られている格言、「汝自身を知れば全ては明らかにされるだろう」を思い出しました。その時までは私もまた、この深みのある真理をオウム返しに繰り返すだけで、その深遠さに気付かなかったのです。しかし、今や私は自然が大宇宙普遍の言語の鍵を持っていることが分かりました。無言でかつ何処にでも存在します。そして、私が探し求めて来た理解を見出せたのはこの創造された世界の中のこの場所であったのです。


【解説】
 「自然の中に真理が、自分の中に宇宙がある」ということです。前項(052)で述べられているように対象物を観察する際、それを全体との関連で把握しようとする姿勢が重要です。いわゆる木を見て森を見ずではなく、宇宙にまで続く全体との関連において、その意義を理解するということです。こうした相関性、相対性の理解が私達には不足しているということです。
 また、私達自身の中に全ての答えがあるということは、各自がもはや何処か外部に目標を追い求める必要は無いことを意味します。自らの中に自我が見出せていない多くの宝物(才能や知識)も埋もれているということでもあり、本項にあるようにbecoming better acquainted with himself(自分自身を熟知するようになること)で、より深い真理が体得できるということです。自分を良く知るには、湧き起る自らの想念を観察することから、生命の源である各細胞との会話を試みる等、様々な応用が考えられます。
 自分の中に真理を見い出す事例は数多くありますが、自分の中に全てがあると言っても、自我(エゴ)を増長させるのでは意義が正反対になってしまいます。「おのれが尊いのではない。おのれをおのれたらしめるものが、おのれのなかにあるから尊いのである。だからこのおのれたらしめるものを見い出さなくてはならぬ。自覚しなくてはならぬ。そのことなくして人は人としてのねうちがあるとは言えない。花を花たらしめるもの、光を光たらしめるもの、香りを香りたらしめるもの、その存在をはっきり知ることが大切である。」とは坂村真民の言葉です。(「坂村真民一日一言 -人生の詩、一念の言葉-」 致知出版社 平成18年12月)

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落052

052 I continued to study things close at hand; at the same time letting my thoughts encompass the solar system of which we are only a small part. From there, it was but another step into the infinite vastness of Cosmic Whole. Throughout all creation I found a constant blending, with never a dividing break. Therefore, I could not stand apart, but was one with creation.
052 私は身近な物事の研究を続けましたが、それと同時に私の想念を私達がその一部でしかない太陽系を取り巻くようにしました。そこからは、宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階となったのです。全ての創造作用を通じて私は一時の切れ目も無く絶え間なく続く融合を見い出しました。ですから、私は創造作用から離れて存立することは出来ず、創造作用と一つになったのです。


【解説】
 何事につけ、秘訣というようなものを求め、目的を達成したいと思うのは人情です。ここではアダムスキー氏がさり気なく、「宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階」(another step into the infinite vastness of Cosmic Whole)と述べた中の、another stepに着目したいと思います。つまりは、それまでの段階から一歩進んだ段階に立っていると言っているように私には思われるからです。
 その具体的手法とは、その前に記述されている、「身近な物事の研究」を「太陽系を取り巻くような」概念の下で行うことと記されています。個別な物事を詳細に観察することと、その観察を宇宙的視点から理解するように心掛けることで、全宇宙で絶え間なく続けられている創造作用の中に、私達が存在していることを自覚することが、次の段階に進める鍵であると示唆しているものと私には思われます。これは、「生命の科学」において自動車の運転をエンジン内部の状況を十分理解しながら行うこと、目に見えない原因とされる要素を十分知覚しながら、現象に対処すると述べられているのと同様です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落051

051 My problem then was, how could I open my mind to became aware of this Supreme Intelligence?
051 私にとっての次なる問題は、どうしたら私は自分の心を開いてこの至上なる英知に気付くようになれるかという事でした。


【解説】
 私事ながら、最近相次いで父母が亡くなった関係で、このところ休日はもっぱら遺品整理に充てています。最近もある会合でお話しましたが、その中でも写真の整理や処分をする中で、改めて人間の一生について学んだような気がしています。
 もとより写真はその時々の人間の表情を記録します。それら写真を年月を追って見るとその人の内面の変遷が良く分かります。子供としてはこうすれば良かった等、反省することも多いのですが、整理する作業の中では、その人の生涯を受け止め、理解することがメインになっています。
 さて、地上における形あるものの宿命として、命は有限であることは言を待ちません。その生涯の中で何を学び身に付けたかが、次なる段階の人生に直結する訳で、そのバトンタッチで引き継がれるものは、いわゆる知識ではなく、その人が心底理解し体得した、いわば身に付けた理解力だと考えています。本項で言う、至上英知を知覚する感性等は、この最も大事なところです。その理解力を身に付けられるかどうかは、やがて各自に迫って来る生涯終焉の時、本人に大きな影響を及ぼすようになります。つまり、その時までに多少なりとも身に付けられれば、老いても生き生き暮らせるでしょうが、学習の機会を失ったままの場合には、その逆の状況となり得ます。
 そもそも私達がUFO問題やアダムスキー哲学を何の目的で学んで来たのかを振り返る時、進化した他惑星人の文明を修得したいという強い思いがあった筈です。その他惑星人の具体的な指導の言葉が、この至上英知に気付くことの重要性を指摘しているのです。「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」とは孔子の言葉とされています。「人として真の生き方を悟ることができたら、たとえその日の内に死ぬようなことになっても悔いはない」という意味とされ、解説(http://www.nihonjiten.com/data/43.html)によれば、真理や道徳の尊さ、それを学ぶことの困難さを説いた言葉とされています。本項の課題を言い得た言葉であり、孔子(BC552~BC479)はこのことを十分理解されていたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落050

050 The answer came silently, yet with unmistakable knowing. "Those who do not receive have closed their minds to the Cosmic Intelligence."
050 その答は静かに、しかも揺るぎない知識を伴ってやって来ました。「感受しない者は宇宙の英知に自らの心を閉ざして来たのです。」


【解説】
 宇宙英知の海の中にあって、心を閉ざして来た私達は、丁度、自ら目を閉じた状態で、「見えない」と叫んでいるような幼児のようなものです。その目を開こうと思うかどうかは本人次第なのですが、本人自ら目を開けようとしない限り、光は射し込んでは来ません。しかし、多くの場合、永らく生命の源泉である意識に目を背けていた私達には、それは意外に難しいことであるかも知れません。習慣の奴隷になって来たからです。
 しかし、本来は、草むらの虫達や野の花達等、人間に比べて小さな創造物が、意識に対しては、しっかり目を向け、耳を傾けて、その恩恵を享受し、各自の本来の役割を果たしている事実を知れば、私達人間(地球人)は更に高いレベルまで向上する潜在力を有していることが分かります。それまでの間は、ひたすら自然観察を通じて、自然界の創造物がどのように生き、意識を感じているのかについて学ぶ他はありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落049

049 As I continued to watch the birds, insects and animals, I noticed they were alert to climatic changes before these took place. Heretofore, I had been content, as were others, to say, instinct; and relegate it to the realm of the mysterious extrasensory perceptions. But now this answer no longer satisfied me. I wanted an understanding of the awareness that had alerted the seedling oak to the topography of the terrain, then guided its roots in the proper direction; for I could now see that in the animal kingdom, this same instinct, or awareness, alerted the squirrel to the coming of a severe winter, warning him to store extra food to carry him through until spring. Why did not man, the highest expression of the Creator of forms, participate in this alertness?
049 私が鳥や虫、動物達をじっと見守るにつれ、彼らが気候変化が起る前にそれらに十分気付いていることに気が付きました。これまででしたら、私は他の者達と同様、本能と称して満足し、それを神秘的な超感覚的な知覚力の領域に追いやっていたことでしょう。しかし、今はこの答えでは私を満足させません。私は樫の木の苗木に土地の地形を知らせ、その根を適切なる方向に導いた覚醒状態に関する理解が欲しかったのです。何故なら、今では、動物界の中でもこれと同じ本能、ないしは覚醒状態がリスに厳しい冬の到来を知らせ、春までの余分な食料を保持するように警告しているのを見ることが出来るからです。形有るものの最高位の表現である人間がこの覚醒状態に参加していないのは何故なのでしょう。


【解説】
 日本では木の枝に産みつけられたカマキリの卵の位置が、その年の積雪の最大値を示すとする新聞記事を以前、読んだ事があります。雪の季節より、はるか前の秋にカマキリは卵が雪に埋もれることのないよう、適切な高さをどうやって知るのか、まさに本項の問いでもあります。もちろん、動物達が持つとされる地震予知もその能力の一つです。
 本文中にあるalert(警戒)に関連して、意識もそれと近い状況だとどこかで述べられていたと思います。生命の根源から提供されている印象に呼応できる能力が重要な訳です。こうした目に見えない、耳に聞こえない、印象と呼ばれる想念を理解することは、私達地球人の最も遅れた分野の一つです。他惑星人ははるかに、この分野でも進化しており、私達だけが極めて鈍感なレベルにとどまっているということでしょう。
 本来、万物の最高位にある人間が、その本来備わっている能力を発揮できずに長年月を送っていることは、同じ創造主を父とする他の文明や他の生き物の日々の楽しげな生き方に比べて大きな違いがあり、創造主も心を痛めていらっしゃることは想像に難くありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落048

048 The longer I contemplated the wonders of nature, the more I realized my oneness with all I beheld. All forms breathed the same air; all enjoyed the blessings of the same sun and wind; all obtained their sustenance from the one source. In fact, no division existed; all were created under the same law of Nature.
048 自然の不思議について考えれば考えるほど、私が見る全てのものと自分との一体性についてより深く認識するようになりました。全てのものが同じ空気を吸い、全てが同じ太陽や風の祝福を享受しており、全ては一つの源泉からそれぞれの支えを得ていました。事実、如何なる区分も存在していませんでした。全ては同じ大自然の法則の下で創造されていたのです。

【解説】
 生とし生けるもの全てが同じ環境の下に共存していること、更には共通の源泉から生命を与えられていることが実感できれば、とりあえずの目標レベルは達成されたということでしょう。
 また、この「共通の」という概念には、自と他の各々の生命が同期したり、共通の性質があり、互いに他を感じあえるまでの感受性(すなわち意識)を高めることにつながっています。
 日常的な自然観察の大切さについては、これまで数多くの優れた哲学者や作家も同様な歩みがあることに気付きます。その一例として、ジェームズ・アレン James Allen(1864-1912)の場合について、その著書"As a Man Thinketh", in "The Wisdom of James Allen Five Classic Works" (Laurel Creek Press, San Diego, California 2004)の序文に書かれている、思索の日々を以下に紹介します。

James Allen has been called the "literary mystery man" of the twentieth century. Although his bestselling classic As A Man Thinketh has inspired million around the world, little is known about the author himself.(中略)
At the age of 38 he reached what can be called a crossroads in his life. Influenced by the writings of Tolstoy, Allen came to the realization that a life devoted to making money and spending it on frivolous activities was a meaningless way to live. He retired from his employment and moved with his wife to a small cottage on the southwest shore of England to pursue a life of contemplation. (中略)
A typical Allen day would be to rise very early in the morning and walk to a bluff overlooking the ocean, where he would remain in meditation for an hour or so. And as the cobwebs which had obscured his spiritual vision lifted, the secrets of the universe would unfold before him. Quietly these impressions would be recorded within. Afterwards, he would return home and pen his insights on paper. Afternoons were committed to tending his garden; evenings to communion with townsfolk who wished to discuss loftier philosophical issues.
For ten years Allen led this quiet, pensive life, earning a small stipend from royalties paid on his writing. Then suddenly, at the age of 48, Allen passed away. He died the way he lived, a virtual unknown, untouched by fame, unrewarded by fortune. It would only be afterwards that the literary world would come to recognize the genius and inspiration of his work. But this is the way the anonymous English mystic would have wanted it-to posthumously share his spiritual insights with the world.
 「ジェームズ・アレンは20世紀の「文学上の神秘的人物」と呼ばれて来ました。氏のベストセラー的古典であるAs A Man Thinkethは世界中で何百万人もに霊感を与えて来ましたが、著者自身についてはほとんど知られておりません。(中略)
 38才の時、氏は人生における分岐点とも呼ばれる所に到達しました。トルストイの著作に影響を受け、アレンは金を稼ぎ、それを軽薄な活動に使うことに費やされる人生は生きるに無意味であることを悟るに至ります。彼は勤めをやめ、妻と共に思索の生活を求めて英国の南西海岸の小さな小屋に移り住みます。(中略)
 アレンの典型的な1日は、朝とても早く起きて、海を見渡す断崖に向かって歩き、そこで1時間ほど瞑想しとどまります。そして氏の霊的展望を不明確にしていた蜘蛛の巣が取り除かれるとともに、宇宙の神秘が氏の前に明らかにされることになる。その後、氏は家に戻り、自分の洞察を紙に書き留めます。午後は自分の庭の手入れをし、夜は哲学的問題をこの小屋の住人と議論したいと願う町の人達と親交を深めることに委ねられました。
 10年間、アレンはこの静かで思索的な生活を送り、自身の著作に払われた著作権料からの手当を得ていた。そして突然、48才の時、アレンは亡くなりました。彼は自分が生きたやり方で、事実上知られることなく、名声とは無縁、未来から報われることなく亡くなりました。文学界がこの天才とその業績の素晴らしさを認識したのは、その後のことに過ぎません。しかし、これは世に自身の霊的洞察を死後分かち合うという、その無名の英国の神秘的人物が望んだことでもあるのでしょう。」(訳:竹島)

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落047

047 Volumes could be written on this, yet never cover the subject completely. But I believe from the simple illustrations given that the sincere student will find much to intrigue his thoughts. Understanding the interdependency of life-forms is essential before man can grasp the universal truth that, in reality, all life is an expression of the one Cosmic Intelligence.
047 これについては何冊も本が書けるでしょうが、そのテーマを完全に覆い尽くすことは出来ません。しかし、私はこれまでに示された単純な諸実例から、誠実な学習者は自らの思いをめぐらすのに十分なものを見つけられるものと信じています。生命体の相互依存関係を理解することが、人が宇宙普遍の真理を把握する為には必須であり、その真理とは、実際に、全ての生命は宇宙的知性の表現の一つであるということです。


【解説】
 これまで、「テレパシー」講座にもかかわらず、著者アダムスキー氏は、もっぱら自然界の様々な営みを説明するのみで具体的な想念伝達については、一切触れて来ませんでした。それは何故でしょうか。
 私には、それが各読者が最低限、身に付けなければならない基礎的概念であり、その理解無しに、今後踏み込む深層域の分野を取扱うことが出来ないように思われます。万物、各構成員が相互に一つの生命力と結ばれている共通点に気付ことが求められています。
 テレパシー学習は決して、特定の技術・技能の修得で終わっては意味がないどころか、危険でさえあります。テレパシーは人が本来の生き方に戻る為の手助けとなる必要があります。その為には、その人が同調すべき対象は低次元な想念波動ではなく、万物の起源から続いている創造主の想いに応えるレベルまで高める必要があります。そういう意味から、具体的な創造の現れである自然界の諸活動の様子をよく観察し、自らとのつながりを実感せよと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落046

046 With the dying of the vegetation the herbivorous animals would starve; the carnivorous ones, their natural prey extinct, would follow suit. And Man, relying upon both the animate and inanimate phases of manifestation for food, could not survive.
046 植物が死に絶えると共に、草食動物達は飢え、自然界の餌となるものが消滅する肉食動物達も同じ後に従うことになります。そして食物を創造の生物、無生物の両面に依存している人間も生き延びることは出来ません。


【解説】
 地上において支配生物である人間は植物から動物に続く食物連鎖の輪の中にいます。その存在はこれら下位の生き物達に全てを依存しています。このことを自覚していないと、その文明は滅びることになります。かつて地球には数多くの古代文明があったとされています。しかし、ムーやアトランティス等、辛うじて名前が伝わっているだけで、記録のほとんどは失われています。
 人間が生きて行く上での基本は環境であり、その環境がもたらす良質な食料供給です。より多くの富を得る目的から過度に食料を増産する為に農薬を使用し、植物から搾取するのではなく、自然の恵みを感謝して受け取り、他の生き物達と調和した暮らしはかつての日本ではごく普通にありました。いわゆる里山の自然、カエルやドジョウと共生する水田での米栽培です。
 私達日本人は、稲作を基本とする農耕の民でした。季節の変化を肌で感じ、田に鳴くカエルの声を聞きながら、青々として風にそよぐ稲の葉を愛でて、米を育む自然に感謝する。神社における夏祭りや秋の祭礼は、いずれも自然に感謝する古来からの人々の気持を表現する場でした。
 宇宙時代に入った今日、私達は宇宙空間から改めて自分達の住む球体の全貌を見詰め、その球体表面で繰り広げられている植物から動物にいたる様々な活動の姿を頭に描いて、各自、新しい展望を開く必要があります。また、一方、現実の世界では各国による漁業資源や穀物の奪い合い等、食を巡る争いと金儲け主義がはびこる時代にもなっています。食料自給率40%(2003年農林水産省「食料需給表」)は主要12ヶ国の中で最低であり、とりわけ日本においては農業政策の在り方についても見直しが必要な状況になっていることは皆様、ご存知の通りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落045

045 The bird would no longer have the high, sheltering branches of the tree in which to build a nest to protect her young from prowling animals. Her food supply of insects, grubs and worms would be gone; and the wild berry bush on the hillside, no longer pollinated, would not bear.
045 鳥はもはや幼鳥をうろつく動物達から守る為の巣を作る高く、身を隠す木の枝を手に入れることは出来ません。鳥の餌となる昆虫や地虫、ミミズ達は姿を消すでしょうし、丘の斜面の木イチゴの茂みはもはや受粉することはなく、実を付けることもないでしょう。


【解説】
 自宅から車で20分程の所に自然公園があります。丘陵地の間の谷間を地主が市に提供し、市が自然公園として整備したものです。中央には小川が流れ、湿地が広がっています。その湿地を巡るように木道が整備されていて、季節の野草や湿地に生きる水生植物が観察できます。小川の行き着く先は池になっていて、隣接するバラ園も合わせて見られる等、自然観察には適した場所となっています。
 自然公園の池には、よくカワセミがやって来ます。その写真を撮るべく、毎日のように朝早くから多くの人々が巨大な望遠レンズを構えてカワセミの来るのを待っています。鳥はどの鳥も美しいものですが、とりわけカワセミはその瑠璃色の美しさから、飛ぶ宝石とも言われる程です。
 しかし、これらの鳥達も、池に住む小魚や辺りに住む昆虫達が居なければ、生きながらえることはありません。事実、かつては日本に数多く生息していたトキも、農薬の使用によって田圃からドジョウが消えてからは絶滅したことはよく知られています。
 私達生物は実は他の生物あるいは無生物に依存していることに気付かなければなりません。もし、それら他のものに何らかの変化があれば、やがて私達にも影響が及んで来ます。もちろん、関連する相手は地上ばかりではありません。太陽の活動の変化も地球全体に影響を及ぼしています。先日、友人からアラスカで撮影したオーロラの写真を見せてもらいましたが、刻々大空に揺らめくオーロラの神秘な光は、大気もそれら影響を直接的に受けていることを我々に示しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落044

044 Have you ever stopped to consider what would happen to our planet if insects were to be suddenly withdrawn? Life, both animate and inanimate, would cease. Mother Nature depends largely upon these tiny life-forms for pollination. Remember, it is the bees and others of the insect world, laboriously traveling from blossom to blossom that propagates for her. So without the vital part they play, all vegetation would eventually die out.
044 貴方はもし、昆虫達が突如として引き上げたらこの惑星にどのようなことが起るかを考えたことがありますか?生物も無生物もともに生命は途絶えてしまうことでしょう。母なる自然はこれら小さな生命体に受粉の多くを依存しています。花から花に精一杯移動し自然の為に繁殖しているのは、昆虫の世界のミツバチやその他のもの達であることを忘れないで下さい。ですから、彼らが果たすその極めて重要な役割無くしては、全ての植物はついには死に絶えてしまうことでしょう。


【解説】
 最近、ミツバチの減少がニュースで度々報じられるようになっています。現象は世界的傾向のようですが、原因は明確になっていないとのことです。実はその影響は私達の日常生活にも影響を及ぼすだろうとされています。例えば、ビニールハウスでの果物の栽培にミツバチは欠かせません。イチゴの一つ一つの花の受粉はミツバチに依存しているからで、彼らの働き無しには、十分な収穫量は望めないと報道されています。
 一方、私達は古来より、蜂蜜を好む等、この小さな生き物を利用して来ました。春先、ようやく野原に花が咲き始めた頃からハチ達は労を惜しまず働き続け、各々が約一ヵ月の短い生涯を終え、また次代のもの達へとこの重要な役目を引き継いで行きます。こうした働きバチの一つ一つの労働は、マクロレンズを通して見る限り、彼らは息盛んに活動しており、疲れや不平の表情は一切ありません。各々の短い一生を十二分に生き、結果として植物の受粉を助けるという大事な役割を果たしています。
 重要なことは、これらの仕組み、動植物界を通じて幅広く相互関連・相互依存の輪が築き上げられていることであり、創造主の英知の奥深さがそこにあるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落043

043 Tracing the intricate blendings of nature makes a fascinating study. Every level is interlaced with all others. For example, the little insects and burrowing creatures contribute their important share to the common welfare; for their subterranean activity aerates the soil to promote lush growth. Now, let us take this thought a step further, and look at the indispensible part insects actually play in the perpetuation of life-forms on earth.
043 複雑に融合している自然を探究することは魅力ある研究になります。あらゆる段階が他の全てと織り込まれています。例えば小さな昆虫や穿孔動物は共通の福利に対する自分達の重要な役割で貢献しています。何故なら、彼らの地下の活動は土壌に空気を与え、青々と繁茂する植物の生長を促進しているからです。今度は更にこの考えを一歩先に進めて虫達が実際に果している地上における生命体の永続にとってかけがえのない役割を見ることにしましょう。


【解説】
 複雑に融合する自然を探究することが大切だと述べられています。本文では地中に暮らす昆虫やミミズ等の動物の果している役割が述べられていますが、このことは陸地の他、海や川でも起っています。
 水辺に集まる渡り鳥や空を映した水面は芸術家ならずとも、それを見る者に安らぎを与えます。浅瀬は一方で、水質の浄化や稚魚の生育、更には多様な生き物の棲息場所として貴重な環境であることは広く認識されるようになりました。遠く長い距離を毎年飛行しやって来る鳥達が、このような水辺を目指すのも、それほど価値のある場所だということでしょう。
 このように鳥達が飛来するのは、餌が豊富であったり、幼鳥を育てるのに適した環境である訳ですが、その環境をもたらしているのは、小魚やゴカイ等の餌となる生物が豊富であること、更には砂や泥の中に多様な微生物が暮らし、それらが水中の有機物を処理し増殖するとともに、自らはそれらを餌とするもの達の食料となるべく増殖を繰り返す絶妙なバランスへと生態系が構成されているからです。結果として、その環境には多様な生物種が生存でき、安定した社会を構成している訳です。
 私達、個人個人は果して、本来、自分に与えられた役割を果しているかどうか、この折に考えることも必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落042

042 On every level (such as insect, bird, and animal), the Life Force animates all forms, which also have a certain reasoning power; yet there is an eternal blending between this animate and inanimate phase. And Man, the highest form of creation on earth, is dependent upon all.
042 一つ一つの段階において、(例えば昆虫や鳥、そして動物等)、生命力は全ての形あるもの達を動かしますし、その生命力はある論理的に説得力ある力を有していますが、また同時にこの生物と無生物の間を永続的に融合させています。そして地上における最高位の創造の形を持つ存在としての人間は、全てに依存しているのです。


【解説】
 人間の構成要素は究極にはいわゆる無生物からなる要素の集まりですが、それを活発化させている力を生命力だとすれば、その潜在力はとてつもないものであることが分かります。人間を毎秒生かして行くために、呼吸や食物代謝、循環、排せつ、更には筋肉運動を指揮するのみならず、絶えず新しく組織を増強し、老廃物を除去する必要があります。これらを統合的に指揮監督し、地球では通常80年程度も維持するのは驚異的だと言うことが出来ます。
 このように素晴らしい機能を持つ生物ですが、実は無生物との間にも密接な相互関係があります。例えば人間もその拠って立つ所は外界からの食物を得ることにありますが、その食物は直接、水のように無生物を取り込む例もありますが、多くは他の生物(動植物)からもたらされます。しかし、更にそれらは植物に生存を依存しており、その植物は大気や地中から無生物である種々の物質を摂取して成長する訳です。
 また、生物体も生を終われば、直ちに分解し、元の無生物の世界に戻る訳で、結局は生物と無生物は相互に入り組んでおり、一体化しています。ウェイン・ダイヤー(Wayne Dyer)は講演の中で、「貴方の持つ鉄は貴方が亡くなった後、何処に行くのか考えたことがありますか?」と述べて、赤血球中のヘモグロビンを例に私達の肉体の構成要素が地球自身からやって来ることを指摘しています。多くの洞察力がある人々が生物と無生物の間の相互関係について理解されています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落041

041 (In my references to the animate and inanimate phases of manifestation, I am using the words as we understand them. In reality, these divisions do not exist; for all expressions of life are active. )
041 (私の前述の創造における生物と無生物の各状態に関連して申し上げれば、私はそれらの言葉を私達が理解している通りの意味合いで用いております。しかし、実際にはこれらの区別は存在しません。何故なら全ての生命の表現は活動的であるからです。)


【解説】
 もちろん、生物・無生物の区別は私達は日常行っているところです。しかし、自然界には無生物であっても本項で記述されているように活発に活動しているものが多いのです。その代表例が雲の動きです。青空を背景にくっきりした形を作る積乱雲は見る間に形を変えますし、まるで生きているようです。また、私達の日常生活は天道を動く太陽に依存していることも事実です。
 このように無生物であっても動くものも多いのですが、分子・原子等のミクロの目で見ると、外見上、静止しているように見える鉱物でも、その内部は原子核を中心として広大な空間の中を電子の雲が取り囲み、その雲の中を猛烈なスピードで電子がスピンしていることが分っています。
 万物は流転すると直感した人物には、長い時間のスパンを見つめる視点とともに、そのミクロの部分、本質的な所にこうした活発に活動する世界があることを感じ取っていたのかも知れません。そう考えると、もはや生物・無生物の区別は無く、皆同じ場に生きていることが実感できるようになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落040

040 Yet they do not use mathematical calculations to estimate the stress the rushing water will exert upon the finished dam, nor do they need mechanical tools to anchor it securely or build it to the prescribed height. Here, as in the inanimate kingdom, we find nature's unerring, guiding hand.
040 しかし、彼らはその完成したダムに激流が加えることになる力を予測する為、算術的な計算を行ってはいませんし、彼らにはダムを固定し、或いは所定の高さまで建設する為の機械的な道具類を必要とはしていません。ここでも、無生物の王国と同様、私達は自然の的確な導きの手を見い出します。


【解説】
 他惑星文明の「技術」は地球文明のものとは本質的に異なるものかも知れません。あらゆる分野に宇宙に流れるインスピレーションが応用され、ユニークであるが、自然と調和した物が数多く生まれているものと想像されます。地球でも昆虫の世界には様々な形を持つ者がいます。落ち葉や葉、枝に似せた体型を持ち、敵の目をくらます工夫や、住処を土中として何年も暮らした後、日々を地上に出てからは生涯最終段階の日々を過ごすセミ達まで、様々です。
 その者達は、生涯何一つ道具は無いまま、身一つで全てのものを済ませなければなりません。そこには創造主が必要な機能を身に付けさせ、驚く程の力を発揮できる優れた体格を与えているのです。一方の私達人間は、本来、生誕の時は、生まれながらにしてこれら創造主に導きに対して十分な感受力があったものと思われますが、単に音声言語が未発達であることを理由に、何も知識が無い段階から一歩一歩、この文明が築き上げた知識を教えなければならないとされて来たのです。
 しかし、本来子供達ほど、感受力が高い者はいないということは、ルーサー・バーバンクも述べているところです。
 Luther Burbank, "The Training of the Human Plant" (1907)
 "A child absorbs environment. It is the most susceptible thing in the world to influence, and if that force be applied rightly and constantly when the child is in its most receptive conditions, the effect will be pronounced, immediate, and permanent." (子供は環境を吸収します。それは世の中のもので最も周囲の影響に対して敏感な存在ですし、その子供が受容的な状況にある時、正しくまた一定して力を注げば、その結果は顕著で迅速、そして永続的なものとなるでしょう。)
 自然の導きの声に耳を傾ければ、私達一人一人に合った指導が与えられることは大変不思議なことです。もっとも、一人一人の生命を日々支えてくれる存在からすれば、その程度のアドバイスは当然戴ける範囲なのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落039

039 I then turned to a closer observation of the birds, insects and animals. In all three I found the same marvels of engineering. It is interesting to note that much of our present architectural knowledge has been acquired from studying the principles employed by nature. In fact, man thinks so highly of the engineering ability of the industrious beaver, that he now parachutes them in pairs into inaccessible territory so they will build dams to help control the disastrous floods which rush down to the 1ower valleys each spring. In this way, the little animals render man and nature an invaluable service; for where their dams dot the mountain streams, floods and soil erosion are cut to a minimum.
039 私は次に鳥や昆虫、そして動物達を綿密に観察することにしました。その全てで私は植物の場合と同じ工学の驚異を見い出したのです。私達の現代の建築の知識が自然によって採用された諸原理を研究することから得られたことに気付くのは興味深いことです。事実、人は勤勉なビーバーの持つ工学上の力量を高く評価していますので、つがいのビーバーを未踏の地域に落下傘降下させ、彼らが毎年春に低地の谷間に破壊的な洪水を引き起こすのを阻止する為に役立つダムを作らせています。このように、小さな動物達は人間と自然に計り知れない奉仕を尽くしてくれているのです。何故なら、ビーバーのダムは山麓の水の流れを点在させ、洪水や土壌の侵食を最小限に削減するからです。


【解説】
 参考までに調べた結果、日本でもビーバーの話しは広く理科教材として普及しているようです。「生物と神秘の科学技術 ビーバーから学ぶ/水害の防止」と題するDVD(26分間)が学習教材として販売されています。「ビーバーの驚くべき技術と自然環境の中でのビーバーダムや運河の影響を学びます」と解説コメントが付いていました。各地の図書館にも収蔵されている例もありますので、機会があれば問い合わせて見て下さい。
 一方、本文後半にアダムスキー氏が述べている建築技術に関する記述ですが、その趣旨に沿う論文として、以下に建築家三上祐三氏(シドニーのオペラハウスの設計に携わった建築家としても有名)の論文を紹介しましょう。題名は「自然から学ぶ構造形態」、建築雑誌のvol.106, No.1315,1991年,7月号に掲載されています。
 その記事の中から以下に、ポイントとなる部分を紹介します。
 「美しいスペース、エンクロージャー、そして安全なシェルターの見本を自然界に求めるとすれば、まず思いつくのはシェル、貝殻だ。」「完成した建物が示している高度な秩序の美しさには、たしかに自然界に特有の有機的な合理性にもとづく美しさと共通した要素が認められる。バックミンスター・フラーのドームもまたその一例であろう。」「シドニーオペラハウスは多くの人に白く輝く貝殻の群れを連想させる。」「ネルヴィの設計したローマの小スポーツパレスの天上伏のパターンと、ヒマワリの花の中心の筒状花の半分のパターンも、おどろくほど似ている。」
 「だが、もっと自由な態度で、オープン・マインドで自然界の造形を観察するとき、そこには無限の、無尽蔵のデザインのためのヒントを見い出すことができるのではないだろうか。換言すれば、設計者が自然から学ぶということは、決して狭い技術のレベルではなく、もっと広くそして自由なデザイン、コンセプトのレベルで行われるべきで、そこにはたとえ論理の飛躍や、技術的な不整合があってもよい、自然に触発されることこそ大切だと思う。」
 「『自然から学ぶ』の手始めとして、まず自分自身の骨格をよく観察してみたら、というのが筆者の提案である。そうすればあるいは、設計者としての神様の苦労がわかって思わずニヤリとしたり、意外な親近感を覚えたりするかも知れない」
 三上氏は、おそらくアダムスキーをご存知ではないと思いますが、創造的な仕事をされる多くの方々は、共通して、本書で述べられているような自然から学ぶ姿勢を貫いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落038

038 Surely, all I beheld around me was orderly, directed, and controlled intelligence in operation. There was no haphazard growth. Each minute detail had been carefully worked out. The orange tree in its native clime, the oak tree clinging to the precipitous slope, and the blade of grass at my feet were all guided and given being by the one Cosmic Intelligence.
038 確かに私が自分の周囲で見守ったもの全ては、秩序があり、指導を受け、制御された知性が働いていました。偶然の成長というようなものはありませんでした。一つ一つの微小な細部が注意深く働き遂げられていました。原産地の気候におけるオレンジの木や急峻な斜面にしがみついている樫の木、そして足下の草の葉、全てが一つの宇宙の知性によって導かれ、与えられていたのです。


【解説】
 植物の世界については、日本で翻訳出版された本を1册ご紹介しましょう。タイトルは「植物の神秘生活」(原題は"The Secret Life Of Plants")、著者はピータ・トムプキンズ(Peter Tompkins)とクリストファー・バード(Christopher Bird)、訳者は新井昭廣、工作舎から1987年に出版されました。
 全600頁を超える本書は、植物の持つ驚異的な能力を示す21の事例を紹介しています。ここではその内容については言及出来ませんが、その冒頭にはルーサー・バーバンクの以下の言葉が掲載されています。
 「普遍的で永遠なる自然法則のどれを研究するにせよ、巨大な星あるいはもっとも小さい植物の、生命、生長、構造、運動に関してであろうとも、われわれが自然の解釈者の一人になったり、世の中のために価値ある仕事を創造するものの一人になることができるには、諸々の偏見、定説、それに一切の個人的な偏見と先入観を取り除いておかなくてはなりません。そして忍耐強く、静かに、敬虔に、自然が教えてくれるはずの授業に、一つ一つ耳を傾けて従っていくことです。そうすれば、自然は以前謎であったものに光を注いでくれます。自然の真理を、それがわれわれをどこへ導いて行こうと、示唆された通りに受け入れるとき、われわれは全宇宙が協調してくれているのを経験するのです。」ルーサー・バーバンク。
 アダムスキー氏もかつて述べていたように、ルーサー・バーバンクは植物と対話していた人物ですが、そのバーバンクのこの言葉は、これからテレパシーを学ぼうとする私達に対するメッセージでもあるようです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落037

037 My gaze slowly traveled from wonder to wonder until it rested on the grass at my feet. Here, too, was the miracle of creation. As I stooped to study the slender, green blade, I realized humbly that no man on earth could create it. Nature alone had germinated the seed, guided the spear through the hard crust of the soil to the light of the sun, and brought it to full maturity.
037 私の注目は驚きから驚きへと移り、遂には足下の草に止まりました。ここにもまた、創造の奇跡がありました。私は屈んで細めの緑の葉を調べた結果、地球の誰一人としてこれを造り出すことは出来ないことを率直に自覚した次第です。自然が只独り、その種を発芽させ、幼芽を硬い土の塊の中で、太陽の光に導き、完全な成熟まで育てたのです。


【解説】
 優れた芸術品は確かに見る者を引き付けます。古来から伝わる仏像や絵画は変わることのない感動を各時代の人々に与え続けています。確かにこれらの芸術作品は人が造り上げたもので、創造主の子供としての人間の素養を示すものと言えます。また、バードカービング等の例を見ても分かるように、努力すれば創造物の外観を写し取ることは可能です。
 しかし、これらは対象物の外観を似せたものに他なりません。創造物そのものは人は造り上げることは出来ないのです。生命そのものを人は造り上げることは出来ません。一方、昨今、地球人は遺伝子操作の技術を利用し始めました。それは創造の摂理を利用する手法であり、意のままに神をもあやつろうとする人間の傲慢さの現れでもあります。
 そのようなこと手を染める前に、私達がまずしなければならないことは、自分達の命、日々の生活を支えている自然の産物に気付くことです。毎朝食べるサラダや御飯、味噌汁等、食品の全てはこうした各生命体からもたらされたものであり、それらの存在無くしては、私達は生きて行くことは出来ません。一つ一つの生命が単独で生きているのではなく、相互に助け合い、互いに奉仕しながら、はじめて全体としての生命が成立するということです。その最も基本的な部分を支えているのが、本項で言う植物の世界です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落036

036 Lifting my eyes to the hillside, I discovered feats of engineering that would have been impossible for man to duplicate not too many centuries ago. Growing straight and strong, a sturdy oak clung to the precipitous slope. Nature had not used a slide rule to calculate at which angle the roots should imbed themselves to stabilize the tree's weight; they had instinctively grown in the right direction and to the proper depth. And I knew that if I were to take a saw and cut a large limb from that tree, nature would immediately compensate for the shift in weight by sending out new roots to bring the tree once more into perfect balance. The wild poppy growing at its feet, and the clumps of sagebrush dotting the slope, all bore witness to this same engineering principle.
036 丘の斜面に目を上げると、何世紀か前までは人間が真似出来なかった工学の偉業を発見しました。真直ぐに逞しく成長する1本の樫の木が急峻な斜面にしがみついていました。自然は木の重量を安定化させるには、それらの根がどの角度で潜り込んだら良いかを計算する為、計算尺を用いたのではありませんでした。木の根は本能的に正しい方向、適切な深さまで成長したのです。また、もし私がノコギリを手にとって大きな枝をその木から切り落としたら、自然は直ちに新たな根を伸ばして再び完全なバランスがとれるようにして、重量変化を補償するだろうことは私には分かります。野生のケシがその樫の根元に生え、ヤマヨモギの茂みが斜面に点在していますが、それら全てがこれと同じ工学の原理を目撃者に抱かせました。


【解説】
 崖に絶妙な枝振りで伸びる木は、その重心バランスを難しい計算を行って各部位の成長を調整している訳ではありません。植物がいとも簡単にそのような能力を発揮する背景には、もちろん、植物自体の感受能力の存在が前提になりますが、宇宙の本源から適時適切に来る指導に対し、100%信頼して受け入れ、行動を起こす素直な自己があることが大事なところです。
 また、一見、人の手に対して何ら抵抗を示さない植物ですが、かつて植物にうそ発見器をセットして人間の想念に反応する実験(実験者の名前から「バクスター効果」と当時は呼ばれていた)が盛んに行われたように、実際には植物は感受性が高く、人の想念にも反応することが知られています。ましてや宇宙本源から来るより高次な想念については更に鋭敏な感受能力を持っているものと思われます。
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