2009年05月

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落035

035 The orange tree, wafting its perfume on the southern breeze, need not delve into a laboratory analysis of atmospheric conditions to know that only in the milder climes will it survive. This tender species depends upon natural law to insure its continuation; so nature does not capriciously broadcast its seed in frigid zones, she sows them. where the sun is warm.
035 南からのそよ風に芳香を漂わせるオレンジの木は、温暖な気候においてのみそれが生き延びられることを知る為、大気の諸状態を研究室での徹底した分析に出す必要はありません。この繊細な種はその継続を保証するのに自然の法則に依存していますので、自然は気紛れにその種を寒冷地に播くことはなく、太陽が暖かな場所にそれらの種を播くのです。


【解説】
 人間の手でなく自然自体がオレンジの木を育てることに関しては、最近、ある方から借りた「奇跡のリンゴ-絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録」(幻冬舎刊、2008年)という、日本のリンゴ農家の話を紹介しましょう。
 青森県のリンゴ農家である主人公は、ふとしたことから福岡正信の著書(「自然農法-わら1本の革命」春秋社刊 1975年)に巡り会います。福岡正信(1913-2008)は不耕作、無肥料、無除草を特徴とする自然農法の提唱者として有名な方です。その著書の影響を受けて主人公は自分のリンゴ畑で完全無農薬のリンゴ作りを始めることになります。
 しかし、リンゴ作りは多くの農薬が必要とされる難しい農業であり、農薬を使わない主人公のリンゴ畑はたちどころに虫に食われ、葉を落とし、花も咲かない状況に陥ります。もちろん津軽のリンゴ農家ですから、リンゴが成らなければその家の収入は途絶えます。一家は数年で極貧の生活に陥って行きます。その間も研究熱心な主人公は朝となく夜となくリンゴの木と対話し、また悩み貫きます。
 その悩みの末、行き詰まった主人公は自らの死に場所を求めて岩木山に登り、まさに木に自殺用のロープを掛けようとした時、あおあおと繁るドングリの木と出会います。肥料も農薬も与えられないドングリの木は健康そのものであり、その木に近付いた時、その周囲の土が柔らかく、豊かなことに気付かされました。それまで目に見える幹や葉の部分だけを見ていましたが、実際には目に見えない根や土の中の状態が重要であることを知ったのです。
 しかし、その後も試行錯誤が続き、リンゴ畑を人工の肥料を使わず、大豆を播くことで根粒菌を活用した肥効化を進めたり、様々な試みを行い、遂にはリンゴ畑は一面に花が咲き、完全無農薬のリンゴ作りが実現したというお話です。
 この本の中でとりわけ興味深いのは、リンゴの木々や様々な害虫達に主人公が度々話し掛けたということです。例え害虫でも敵視することなく、暖かく接しているのです。これについては、かつてルーサー・バーバンクが棘無しサボテンを開発した時、一つ一つの棘をピンセットで抜きながら、バーバンクはサボテンに「これからは棘は必要ないよ。私が守って上げるから。」と語りかけたことと類似しています。
 また、土壌が豊かになるにつれて、リンゴ畑に棲む生物種が多様になってからは、かつてのような害虫の大量発生は無くなったとされていることも興味深いことでした。即ち、多様な生物が棲息することが安定した生物相、調和した世界を構成するとも言えるものです。なお、本書中には何と主人公のコンタクト体験も紹介されていることにも驚きましたが、リンゴの木を含め、自然に対する本書に記述されている主人公の取組姿勢は、アダムスキー哲学の実践例としても優れた内容だと思っています。
 以上は日本のリンゴ畑の例ですが、アダムスキー氏が長年暮らしていたパロマー山麓周辺はオレンジ畑が数多く点在しています。そのオレンジの木を眺めながら、この一節が書かれたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落034

034 My early studies, based on the antiquated theory of telepathy being a sixth sense, led nowhere. After careful observation, I found that others using this same trend of reasoning were not attaining the desired result, either. Innately I felt something was being injected which did not align itself with natural, or universal law. So I turned to nature and studied her actions. Here, where the reasoning mind of man did not interfere, I found all things working in harmony. As I thoughtfully observed life expressing in its many forms of manifestation, I realized there must be an intelligence, or a law, that operated according to an exact pattern.
034 テレパシーが第6感であるとする古代の理論に基づいた初期の私の諸研究は何処にも導くものではありませんでした。注意深い観察の後、私はこれと同じ推論傾向を採る他の者達も、目的の結果を得ていないことを発見しました。生まれつき、私は何か自然或いは宇宙普遍の法則と揃わないものが注入されているように感じておりました。そこで、私は自然に目を向けて、その諸活動を観察したのです。人の推論する心が邪魔をしないそこで、私は全てのものが調和をもって働いていることを見い出しました。生命が様々な創造の形態に現れていることを注意深く観察するにつれ、私はある正確なパターンに沿って作用する一つの知性、或いは法則が存在するに違いないことに気付いたのです。


【解説】
 本文中に述べられている、「何か自然或いは宇宙普遍の法則と揃わないものが注入されているように感じておりました」という部分の真意は何処にあるのでしょうか。直接的に解釈すれば、アダムスキー氏自身が何らかの違和感を自身に感じていたということになります。この違和感は、後続の本文を読み進まれると解消されて行くことが分かりますが、少なくともアダムスキー氏自身の中で、これまでの自身の生き方が自然に沿ったものではないのではないかという気持があったということでしょう。
 また、本文ではさり気なく「ある正確なパターンに沿って作用する一つの知性、或いは法則が存在する」と述べられておりますが、21世紀の地球の科学レベルでの表現をすれば、DNAその他の遺伝物質に従っての生命の増殖活動を指す記述であることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落033

033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense! He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.
033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。


【解説】
 そもそも私達の周囲の世界を5感が把握する創造事物(five-sense manifestation)と私達が永年見なして来たこと自体、気付くことは難しいと言えるでしょう。私達は日常、意識することなく感覚の判断結果に基づいて生活しており、対象物を積極的に理解しようとは思いません。自分のエゴの興味あることは、とことん調べ上げますが、大抵の場合、感覚の即断結果より、考察を深めることはありません。
 しかし、目を閉じれば「美しい」「醜い」の区別は無くなりますし、耳を塞げば快い音色もやかましい騒音も消え去ります。このように私達の感覚を一つ一つ減じて行く試みによって、それらが私達の日常に極めて大きな役割を果たしているか、言い替えれば、私達が如何にそれらに依存しているかが分かります。
 一方、本文中にさり気なく"transcend these powers of outer perception"(このような外側の知覚力を超える)と明記されている"outer perception"(外側の知覚力)に留意したいと思います。つまり、従来の感覚は外側の知覚であり、これに対し、内側の知覚 "inner perception"がテレパシー能力の本質だということを示唆しているからです。つまり、アダムスキー氏が様々な所で述べて来たように、外見や外側、物質等のいわゆる結果物に対応するのが私達の従来の感覚であり、その奥、内側にある意識レベルの活動がテレパシーだということを示しているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落032

032 Many years ago when, as a youth, I first became interested in the subject, I knew some people could communicate telepathically. I wanted earnestly to know how this was done, so I began to study. At that time, I accepted the idea that man is a five-sensed being; with the potential of developing a sixth sense, etc. This was the commonly accepted theory then, the premise of which had been laid in antiquity.
032 私が青年であった昔、このテーマに初めて興味を持った時、私はある人々がテレパシックに意思疎通を行えることを知っていました。私はこれがどのようにして行われるのか、真面目に知りたいと思った為、研究を始めました。当時、私は人間は5感を持つ存在であり、6番目の感覚も発達させる可能性を持っている等の考えを受け入れておりました。これは当時は広く受け入れられていた理論であり、その前提は古代においても置かれていたのです。

【解説】
 (注):まず最初に原文中「premist」は解釈上、「premise」の綴り誤りと判断し訂正してありますのでお断りしておきます。
 本文ではアダムスキー氏の青年期(通常は10代を指す)に、氏の周りにはテレパシー能力を有する人々が数多く居たということに注目したいと思います。一説には幼年期をチベットで過ごしたとされ、そのことが先(030)に紹介した「ロイヤル・オーダー・オブ・チベット」の名称にも関係していることは皆様、御存知の通りです。その後の青年期には氏の周囲、例えば家族の中に能力者が居たと考えるのが自然かも知れません。
 アダムスキー氏がどのような青年期を送ったかは知られておりませんが、ある人々の間で行われているテレパシーが実際、どのようにして行われるかを真摯に探究しようとする気持は、現在、この講座を学ぶ私達も全く同じであらねばなりません。私達はこの講座を通じて、アダムスキー氏が自ら会得したテレパシー能力を追体験し、自ら確認する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落031

031 I do not know by what method others attained their understanding. I can only tell you how I achieved mine.
031 私は他の者達がどのような方法によって、理解を得たのかは知りません。私は私が如何にして自分の理解を達成したかを述べることが出来るに過ぎません。

【解説】
 アダムスキー氏自身は様々な「超能力」を有していたと伝えられています。具体的な事柄は伝わってはおりませんが、1975年にかつてのアダムスキー氏の秘書であったルーシー・マクギニス女史がエマ・マーチネリ女史に宛てた手紙の中にもアダムスキー氏自身が相当の能力者であったと述べられています。
 本項ではそのアダムスキー氏が自らの体験を通じてテレパシーとはどのようなものかを解説しています。そういう意味では、私達は注意深く本講座の内容を吟味しながら進めて行くことが大切で、一度に能力を高めようとすることは慎んだ方が良いように思われます。時間は十分に与えられている訳ですから。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落030

CHAPTER II
The Four Senses of Man
030 I have been deluged with letters from all parts of the world requesting information about thought-transference. The vast majority of these have contained questions such as, "What is telepathy? How does it work? Could I learn to use this means ol communication?"
第2章
人間の4つの感覚
030 私はこれまで世界各地からの想念の交流についての情報を求める手紙で溢れかえっていました。これらの大半は、「テレパシーとは何か? それはどのようにして働くのか? 私もこのコミュニケーション手法を用いることが出来るでしょうか?」というような質問を含んでいました。

【解説】
 アダムスキー氏がどのような経緯で「テレパシー」を執筆するようになったかについては、よく知られていません。出版は1958年となっており、第1章の金星人オーソンとの会見時の記述(019)もあることから、1952年のコンタクト以後であることは間違いありません。しかし、「ロイヤル・オーダー・オブ・チベット」と称された啓蒙活動をアダムスキー氏が戦前から行っていたことは既に知られている所です。当時(1936年)出版された質疑応答集(日本では「ロイヤル・オーダー(宇宙宝典)」として1984年に出版)を見ると、テレパシーを含め、様々な事柄について明解な回答が為されていることが分かります。
 そういう意味ではアダムスキー氏はUFO問題に関わる以前から生涯を通じて新しい哲学理念の教えを行っていた訳で、ブラザーズ(宇宙兄妹達)との接触(コンタクト)は氏の確信を高めることになったに過ぎません。
 テレパシーの学習に入る前の基本的な認識については、前回までの第1章で述べられた後、本章からはより具体的な心の構成要素やその実態について解説が為されることになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落029

029 When we are able to employ this same joyful, relaxed state of mind in our daily living, our consciousness will be raised to the place where impressions of a universal value will come to us naturally. This does not mean that man will then ignore the world around him, for he was born on this earth to live as a participating unit with the whole of humanity, and he has not the right to withdraw. True understanding, or evolvement, will enliven his interest in his fellowman, for he will then recognize a kinship with all he beholds.
029 私達がこれと同じ楽しく、リラックスした心の状態を日常生活に適用するなら、私達の意識は宇宙普遍の価値がある印象類が自然と私達にやって来る位置に押し上げられることでしょう。このことは人が自分の周囲の世界を無視するようになることを意味するものではありません。何故なら人はこの地上に人類の全てと共に一つの構成単位として生きる為に生まれて来たからです。そして人には脱退する権利は無いのです。真実の理解、或いは進化というものは同胞への関心を活気づけます。何故なら人はその後自分の見る全てのものに親近感を認めるようになるからです。


【解説】
 私達の当面の課題は不安定になりがちな自らの心を、自然界の他の生物を手本として、より安定的に、明るくゆったりした状況に保つことです。それは私達が回帰する創造主の下では全てが活発、活動的で、歓びに満ちていることに他なりません。初夏の野原にほんのわずかでもしゃがんで野の花の咲く茂みを覗けば、明るく輝く野草のジャングルの中をテントウ虫他の昆虫達が忙しく働いている調和した別世界を垣間見ることが出来ます。
 日常、これと同じ気分に何故なれないかは私達自身の問題なのです。以前、ある方から「明るくなければ本物ではない」という主旨のお話を伺ったことがあります。つまり、従来インテリは世をはかなみ厭世的になることが当然だとする風潮がありましたが、それは誤りだということです。それは心が勝手に造り出した産物に過ぎず、真実は明るくゆったりとした流れの中にあるということです。
 日本にも昔から「陽気暮し」や「他力本願」という言葉があるように、心を穏やかに保ち、宇宙に流れる創造の力の中に自らの活路を見出せとする主旨の教えがありました。それと同様、まずは自然を観察し良く知ることから心を平安に保つ第一歩が始まるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落028

028 The more highly-developed space people have learned that, in its natural state, all life expresses as a joyous, free execution of each action. They do not consider the performance of their daily chores burdensome, but rather, view them as a privilege whereby they can render further service to Cosmic Cause by enabling it to express unhampered through them. They are trained from infancy in the proper care of their bodies and use of their minds. They will not harbor a discordant thought, for they know what it does to the chemicals of the body. Their sense-mind is coordinated with the Feeling, or Cause Mind; so each individual cell of their body responds to the commands given by the sense-mind. By use of this law, their bodies remain firm and youthful regardless of age. They know that all life is constantly active, and that each particle of creation performs its duty in a free, unimpeded expression of Cause.
028 より進化を遂げた宇宙人達は自然状態では全ての生命は、その一つ一つの行為の楽しく自由な遂行として表わされていることを学んで来ました。彼らは自分達の日々の雑用を負担とは思わず、むしろ自らを通じて邪魔されることなく表現することを可能とすることによって宇宙の因にたいして更なる奉仕に尽くすことが出来る特権だと、それら雑用を見なすのです。彼らは幼少時から身体の適切な保護と心の用い方について訓練を受けます。彼らは不調和な想念に留まる場所を与えません。何故なら彼らはそれが肉体の化学物質に作用することを知っているからです。彼らの感覚心はフィーリング、即ち因なる心と調和しています。ですから彼らの個々の細胞はその感覚心によって与えられる指令に反応するのです。この法則を用いることによって、彼らの肉体は年齢に関わり無く引き締まっており、若々しさを保ちます。かれらは全ての生命は常に活動的であり、各々の創造の小片は自由で妨げられることのない因の表現の中でその義務を演じていることを知っているのです。


【解説】
 自然の法則がどのようなものであって、それに日々従って生きることがどのようなことを指すのか、本項はその内容を良く説明しています。また、地球でも自然界の人間以外の動植物は皆、本項で述べられているような活発かつ、明朗な生活を送っています。その内面の状況についてはよく分かりませんが、自然界の生き物の日常を見ると、皆、実に活発、精力的に活動しています。その代表例がミツバチの類いでしょう。彼らは花を求めて遠くまで飛行し、花びらから花びらへ労を惜しむことなく動き回り、花粉や蜜を収集します。それらは巣に持ち帰り、彼らの食料となる一方、花の元となる果実の受粉を助けたり、人間に蜜を提供したり、様々な他の生き物の役に立っています。
 このように自然の法則はそれに従う時、様々な複合的な作用をもたらし、自然界の相互関係を強化して全体としてより高度高次な内容に押し上げるという性質があります。その為には、もちろん、無我になって心を謙虚にし、因から来る指令(印象)に素直に従うことが必要となります。
 どれ程、自然の中に秘められた法則に気づけるかは難しいところですが、少なくとも私達は自然を観察することは出来る筈です。日本のプチファーブルと称せられている細密画家、熊田千佳慕(1911~)が描いた絵本を見たことがあります。精緻な昆虫や植物の絵で、絵本の画面いっぱいに昆虫達の毎日が生き生きと描かれています。この他、熊谷守一(1880~1977)の絵も私の好きな絵の一つです。自然を深く観察する中で、両画家の得た体験も本項で述べられている内容に近いものではなかったかと思っています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落027

027 The study of telepathy will in no way interfere with, or contradict, any religious belief you may have. For telepathy is not a religion, but a Universal Law. Knowledge of this law will give you a greater understanding of yourself and of your relationship to the Cosmos in which you live.
027 テレパシーの学習は貴方が持っている如何なる宗教上の信念を干渉したり、否定したりすることは一切ありません。何故ならテレパシーは宗教ではなく、宇宙普遍の法則の一つであるからです。この法則の知識は貴方に貴方自身と貴方が生きている大宇宙と貴方の関連性についてより大きな理解を授けることでしょう。


【解説】
 後年の著作「生命の科学」においても本項と同様なことが述べられています。日本では宗教問題はあまり大きな影響を持ちませんが、欧米の社会では大きな意味を持っているようです。カトリックとプロテスタント、その他との争いもありましたし、イスラムとキリスト教の戦いは中東やアジアにおいて現在も深刻な問題を投げかけています。これにはもちろん、信仰上の相違の他に、政治経済まで浸透した宗教上の差別が根底にあることは言うまでもありません。
 さて、もう一方の側面として、テレパシー学習を単なる技術の修得と捉えることも誤りです。それはあくまで本項でアダムスキー氏が強調しているように、宇宙を貫く法則や原理を理解することにある点に注目したいと思います。まずは、法則の理解が重要であり、正しく理解して初めて応用を始められます。まずは自らの心を通過する想念類に気付くこと、それらを正しい場所に納め、その持つ創造の力を信じて熟成を待つこと、万一過った要素を含む想念が入り込んだら、直ちにそれらを排除すること、そして自然の事物が何を感じているのかを知りたいと思って心を拡げること等々、各自本書を通じて、紹介される事例について自分自身に当てはめて研究することが必要なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落026

026 We will endeavor to explain the necessity of blending Cosmic Man with Earthly man. Telepathic reception will come from both; but when receiving impressions, we must always keep in mind the difference between the man of little understanding, and the Cosmic Man. The thoughts coming from the man of little understanding will contain discriminations, divisions, judgments, and personal feelings; while the Cosmic Man's impressions, coming from Cosmic Cause to all effect, will convey understanding and compassion, without judgment. This is Truth expressing; and in the presence of Truth there is an absence of doubt.
026 私達は何とかして宇宙的人間と地球的人の融合の必要性を説明することとしましょう。テレパシー的な感受はどちらからも来ますが、印象を受ける場合、私達は常に少ししか理解していない人と宇宙的人間の間の違いについて心に留めて置かねばなりません。少ししか理解していない人から来る想念類は差別や分裂、裁きや個人的なフィーリング類を含みますが、宇宙的人間の印象類は宇宙的因から全ての結果にもたらされるものであり、裁きを持たず、理解と思いやりを運んでいます。これは真理を表わしていますし、真理の前では疑いというものはありません。


【解説】
 書物を通じて学ぶよりも直接、師となる人物に付いて学ぶ方がはるかに優れていることはご存知の通りです。イエスとその弟子達、仏陀とその従者達は直接、師から多くを学ぶことが出来た故に、師が亡くなった後、師が発した言葉や師が示した態度を後世に伝える業績を残せたということです。同様にアダムスキー氏のコーワーカー達も氏との交流の経験がその後の人生に大きな影響を与えました。私自身、1982年にお会いしたエマ・マーチネリ女史、シャーウッド夫妻、アリス・ポマロイ夫人、マデリン・ロドファー夫人等々、アダムスキー氏と身近に過ごした日々は各自にとってその後の人生に大きな影響を与える貴重な体験であったことを直接伺っています。
 宇宙的人物については、もちろん、宇宙兄妹達と直接交流することは最も望んでいる訳ですが、おそらく交流後のその者への影響を考慮し、一定レベルに達するまで、接触しない方が賢明である事例も多くあるものと思われます。そういう意味では宇宙兄妹達との交流が望ましいと言っても、その実現はあくまで宇宙兄妹達の側の判断に委ねる他は無く、同様なことはアダムスキー氏も述べているところです。
 一方、人との交流によって相手に甚大な影響を与え得るということは、私達の日常生活においても大変重要なことです。自分が発する想念が相手に大きな影響を与えていることに留意しなければなりません。どのような事態においても明るく相手を思いやる心の余裕が必要ですし、その為には自らの内側に宇宙本源の創造主の愛情が沸き起っている必要があると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落025

025 Man was created to be the perfect expression of all expressions; and he was endowed with the ability to reason that he might understand each effect in the scheme of life. He is innately capable of comprehending all states of Cosmic expression; from the very lowest, to the highest. But through ignorance he has prostituted this Divine gift; and now judges and condemns that which he sees about him. Whether he realizes it or not, by his judgments he exalts himself above the Creator; thereby causing a feeling of separation between himself and the Giver of all Life. But when he casts off the fetters forged by his carnal mind, he becomes the Knower; and is then one with the Cosmic Cause of all creation. All nature works in harmony with the Supreme Intelligence which gave it birth. Man stands alone; the sole distorter of the Law.

025 人は全ての現れの完全なる表現者として創造されました。そして人は生命の体系における一つ一つの結果を理解するかも知れないという推論の元にその能力を授かりました。人は生まれながらにして全ての宇宙的表現の状態を把握することが出来ます。最も低次なものから最高位のものまでです。しかし、無知の故に人はこの神聖な贈り物を売り渡して来ました。そして今や自分の回りに見るものを裁き、非難しているのです。人がそのことを理解しているいないに関わらず、その裁きによって人は自分を創造主の上に高ぶらせているのです。その結果、自分自身と全生命の贈与者との間に分離感をもたらす原因を造っています。しかし、人が自分の肉欲の心によって造られた足かせを投げ出すなら、人は知る者となります。そして全創造物の宇宙的因と一体になるのです。全ての自然はそれを誕生させた至上なる英知と調和して働いています。人のみが独り立っているのです。唯一の法則の曲解者として。


【解説】
 自らの能力が相手より勝っていると考えるから相手を見下す訳であり、自分の生き方だけが正しいとする故に物事を批判するようになる訳です。これらは共に人間の進歩を妨げている重要な要因です。
 しかし、裁きを行っているのは人間のみであり、圧倒的な他の創造物はそのような状況には陥らず、各自の創造された目的に沿って生命を全うしています。
 私達は日常生活において、とにかくもそのような要素を持つ想念が出現したら、それらを瞬時に投げ出し、自分の心から排除するよう、常に自らを見張っておかねばなりません。そうする過程で、それらに代わって宇宙に調和する想念の宿となることが出来るものと思われます。具体的には模範となる例は自然の中の草木や動物達の営みの中に容易に見い出すことが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落024

024 There is one vitally important truth we must always bear in mind. The Cosmos has no beginning-and it has no ending. It is all that ever was-is-or ever will be... eternal activity.
024 私達が常に心に留めておかなければならない、命にかかわる程重要な一つの真実が存在します。宇宙には始まりもなく、終わりもないということです。それはかつて存在した、現在存在する、未来に存在するだろう全て、永遠に続く活動であるからです。


【解説】
 大事なことはそう多くあるものではありません。宇宙兄妹達(ブラザーズ)が、あれほどゆったりした生活を楽しみ、創造物として最高の人生を送っている背景には、宇宙が不変であり、永劫の活動を続けて行く中で各自の存在を自覚していることが挙げられます。即ち、各自の命が永続するとなれば、きのう今日の短い時間に焦ったとしても何の意味もなし得ないことが分かります。
 代わって、より長い視点で落ち着いた展望の中でその日その日のやるべき事を着実に実行する一方、適切な間隔でゆとりを持って休息を取る等、余裕のある取組姿勢が生まれることになります。傍から見て、劣悪な環境の中でも多くの生き物は与えられた環境に精一杯順応し、自らの表現に向けて努力しています。
 私達を含む大宇宙がこのように永続しているということは、私達一人ひとりの保護の手は途切れることなく続いて行くということですので、まさに未来は明るいということになります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落023

023 If this lesson is to be of any value to you, you must begin with yourself. You must learn your component parts, why each part works as it does; what controls your thinking, and why there is such an apparent conflict between your inner self and the world about you. You must understand your emotional reactions before you can be the expressor of the fullness of life.
023 このレッスンが貴方にとって何らかの役に立つようにするには、貴方はご自身で始めなければなりません。貴方は貴方を構成する各部を学び、何故個々の部分がそのように働くのか、貴方の考えを支配しているのは何か、また、貴方の内側の自分と貴方の周囲の世界との間にかくも明らかな諍いがあるのかについて学ばなければなりません。貴方が生命の完全さの表現者になるには、貴方の感情による諸反応を理解しなければならないのです。

【解説】
 何度となく言われているように、読むだけでは価値が出ないということです。何よりも自分自身に応用し、実感、体得してはじめて身に付くと言えるでしょう。中でも自分自身を造り上げているもの、例えば肉体の各部や臓器等を学ぶことは、ある意味届けられた贈り物をよく味わい、贈り主の配慮に感謝することが最低限のマナーであることにも似ています。
 また、現実の日々の生活の中では思い通りに行かないことに腹を立てたり、不必要なくらいに悲しんだりと私達の心は揺れ動き、不安定となりますが、その原因は何処にあるかを見極めよとも言っています。つまりは時々の感情に流されることには問題があるのです。一時的な感情の激高から破壊的な行為に及んで、罪を犯す例をはじめとして、感情のコントロール手法を身につけることは大事です。
 これら主として私達自身の内側部分の心身共の機能や問題点を理解することが出来れば、私達は本項で言う生命の完全なる体現者となることが出来るということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落022

022 We cannot lay down a definite pattern for everyone to follow, as there are no two humans alike; we can only present the Law to you. It will work according to each individual understanding and application, and these will differ from person to person. The principle we give here applies equally to all.
022 私達は誰もが後を従うような確定したパターンを敷設することは出来ません。二人同じ人間はいないからです。私達は唯一、その法則を貴方に示すことが出来るだけです。その法則は各個人の理解と応用に応じて作用する筈ですし、これらの事柄は人によって異なることでしょう。しかし、私達がここで授ける原理は全てに等しく適用されます。


【解説】
 一人ひとりに合った精進の方法を各自が探し求め、試行錯誤を経て確立することは重要です。この日々の過ごし方を探り、試すことも私達の発達にとって大きな意義を持つものです。
 ある程度の年齢になれば、人生を振り返る場面も増えて来ます。これまでの人生であまり進歩が無かったかと思うことも多いように思われます。その遅い進歩の歩みですが、それを明確に確かめる方法があると思っています。先日、ある会合でもお話したのですが、各自の昔の写真を見る機会があれば、是非見て欲しいということです。写真は撮られた当時の各自の顔つきを残しております。私の場合、振り返って昔の写真を見ると、そこには現在では、恥ずかしい程に余裕の無い、また人格的にも問題がありそうな人物が写っていることに先日、気付いた次第です。ゆっくりですが人間は変化を遂げているということです。それを自分が証明しているのです。
 各自の魂は長い年月を経て、ある時はさまよい、またある時は進歩の道を勢い良く進んでいます。時には歩みが遅くなる日々をあるでしょうが、創造主の元に戻るとする意志さえあれば、遂には目標に到達できる筈です。それに至る時間は永遠の中では大差はありません。本項で言う、毎日をどのように過ごすかについては、まさに各自のオリジナリティーが発揮される分野と言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落021

021 It has been said, "A natural man knows the way of the Spirit, while the unnatural man knows not the way of the Spirit." This means, that once man recognizes his oneness with Cosmic Cause and begins to use its laws, he will have no further need of a teacher; for the Law gave him life....and the Law will be his teacher. The great universal language, which we use daily and know not, speaks to us in the deep reverberations of the thunder; and communes with us in the silence of Creation's deepest repose.
021 「自然人は聖霊の道が分かる一方、不自然な人には聖霊の道が分からない」と言われて来ました。この意味は、ひとたび人が宇宙の因との自らの一体性を自覚し、その法則を活用し始めるなら、その者には今後、教師は必要で無くなるだろうということです。何故なら、その法則が彼に生命を与え、、、そしてその法則はその者の教師になるであろうからです。私達が毎日用いており、知らずにいるその偉大なる宇宙普遍の言語は、雷鳴の深い響きの中でも私達に話し掛け、創造主の最も深い休息の沈黙の中でも私達と心通わせて来るのです。


【解説】
 物事の対処の姿勢として「自然体で」という表現があります。通常はこだわりや先入観を捨ててありのままを受け止め、その時々に自ら湧き出て来るアイデアを元に、その問題を解決して行こうとする意味合いで用いられています。しかし、その奥には、本人には宇宙普遍の知性からの働きを感知できる能力があり、適時適切にその知性からの指示を受けられるという信頼感があることが含まれています。
 かつて「野のユリ」を例にイエスは弟子達に宇宙にくまなく行き渡っている創造物達を育む英知を語りました。それが本文でいう自然(Natural)の意味を指すものと思われます。
 ひとたび、その知性の存在に気付くことができれば、もはや教師は不要であり、野の草花達と同様に自然に沿った歓びに満ちた生活が送れることになるでしょう。これら自然に従った生き方は、老子も同様な要点を述べていたように思います。
 なお、本文で述べられている「自然人」の話は通常のキリスト教教義では"The natural man receiveth not the things of the Spirit"とし、肉体の欲望に従属する者を「自然人」として取扱っており、逆の見方をしておりますので注意が必要です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落020

020 There is nothing mysterious or unknowable about this means of thought-transference, for man lives by it daily. A thought cannot be given audible expression without first being formulated in the mind. This is automatic with the average person, and he is usually quite unconscious of the fact that his mind is (1) directing every outward movement of his body; (2) composing and arranging his thoughts before giving them audible expression; (3) receiving a continuous flow of thought-impressions from the outside. From this continuous flow of impressions the undeveloped mind rejects all that is not familiar, and retains only those thoughts which confirm the opinions his mind has already formed. That is why, until man understands himself, he is guided only by the world of effect.
020 この想念移動の手段について何も神秘なものも未知なることもありません。何故なら人は毎日それによって生きているからです。想念は心の中で最初に組み立てられることなく、聞き取れる表現を与えられることはありません。これは普通の人間では自動的に行われており、人は普通は自分の心が、・肉体の外向きのあらゆる運動を指揮し、・自らの想念を聞き取れる表現にする前に組み立て整理し、・外界から絶えず流れ込んで来る想念-印象類を受信しているという事実について全く意識しておりません。この連続した印象の流れの中から、未発達の心は馴染みのないものは全て拒絶し、代わって自分の心や既に作り上げた意見類を確証する想念類のみを保持します。それが人が自分自身を理解するまでは結果の世界によってのみ導かれる理由です。


【解説】
 人間を支配する心の機能と問題点についてここで明確に解説しています。本文に記されているように、特に心が人間の行動を指揮していることと、想念を言葉に変換する作用、更には源となる想念の流れを例え不十分ながらも常に受信していることは重要なポイントになります。私達が目指すのはこれら自らの心の作用を更に純化し、本来の姿に戻し、発達させることです。
 その為には、私達自身、日頃からその作用の実態について良く観察する必要があります。一方で、心は長年の支配経験からその処世の方法は巧みであり、容易に真実の姿をさらけ出すことはしません。自らの心に本来の素直さを取り戻し、その想念の源である宇宙意識を自らの指導者として認めさせることが必要です。
 また、普段、何気ない行動の背後に自らの肉体を通じて心が各行動を差配している実態を知る等、心自体の有用な働きについて認め、評価することも大切です。自らの心を良く知ることが大事だということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落019

019 Telepathy was the means of communication I used during my first meeting with a visitor from another planet, when I conversed with the occupant of the scout ship from Venus. It was partially explained in my second book, INSIDE THE SPACE SHIPS, as a Law of Nature, cr one of the Universal Laws.
019 テレパシーは私が金星から来たスカウトシップの乗組員と会話した際、他の惑星からの訪問者との私の最初の会見の間、私が用いたコミュニケーション方法でした。その一部は私の第二の本、INSIDE THE SPACE SHIP(訳注:「空飛ぶ円盤同乗記」)の中で、自然の一つの法則や宇宙普遍法則の一つとして説明されています。


【解説】
 アダムスキー氏がそもそも、デザートセンターにその後の目撃者や証言者になる者を連れてパロマーガーデンスから出掛けたこと自体、その日に金星のスカウトシップがデザートセンターに着陸し、アダムスキー氏に会見させることになっていることを事前に察知していたと考えるのが自然でしょう。また、同様に「同乗記」に記されているようにブラザーズ(宇宙兄妹達)との会見を目的に単独、バスに乗り込み移動を行っています。これらはいずれもアダムスキー氏がテレパシーによってブラザーズの意図を察知し、自ら行動を起こしたことに外なりません。
 デザートセンターでの金星人オーソンとの会話は「実見記」の中では互いに身ぶりで会話したとされていますが、実際にはテレパシーによる互いの理解があったものと思われます。
 後日、「同乗記」の中でブラザーズ達が新たに言語を学ぶ際の手法が紹介され、言語を発する際に放出されると思われる感覚イメージを同時に感知することが有用とされていますが、私達も語学を学ぶ際には、同様のテレパシー能力をわずかながら、用いているのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第1章-段落018

018 Conscious thought is known on all planes of consciousness. Its character cannot be hidden either by soft whispers, or dramatic inflections; nor can its meaning be concealed by the clever manipulation of chirographic symbols. Cosmic thought is stark truth; it cannot be distorted. It is the law of activity which must, and does, indiscriminately produce action and reaction in whatsoever form becomes its point of contact.
018 意識的な想念は意識の全ての局面において知られます。その性質は穏やかなささやき、或いは劇的な抑揚によって隠されることは出来ませんし、その持つ意図は書道の文字の賢い操作によって隠すことも出来ません。宇宙的な想念とは厳格なる真実であり、ねじ曲げることは出来ないのです。それは何物であれそれが接触する形有るものにおいて区別なく活動を造り出さねばなりませんし、造り出している活動の法則なのです。


【解説】
 ここでは、想念(thought)を意識的な性質を持つものと宇宙的性質を持つものという2つの側面から説明しています。
 つまり「意識的」であるということは、その本質は音声や文字でなく、誰にでも感じ取られ掌握されるもので、見掛けのごまかしは通用しないということを意味しています。
 一方、「宇宙的」ということは、想念が出会った対象物には平等に作用し、宇宙空間に拡がって行く作用力、即ち創造力のある存在ということになります。
 この両者の性質を備えた想念が、如何に重要かが分かれば、私達は心を通過する想念により鋭敏になると同時に、自ら発する想念には絶えず気を配る必要があることが分かります。
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