2008年10月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落384

384 So now let us proceed with the first step: First your mind must relax, and this can only be done when the mind loses interest in itself in its own behalf. Like a boy who is interested in baseball, but if he wants to learn and see something else he has to put his first interest completely out of his mind and give full attention to that which he is about to learn or see.
384 それでは今から、その第一段階に進みましょう。最初は貴方の心はリラックスしなければなりませんし、これは心が自分自身の利益に関して自分自身への関心を失う時にのみ起こり得るのです。野球に興味を持っている少年に例えれば、もし彼が何か他のことを学び、理解しようとするならには、その最初の興味(訳注:野球)を完全に心の外に追いやって、全ての注目を自分がこれから学ぼう、あるいは理解しようとすることに集中する必要があります。


【解説】
 以前にも述べたかと思いますが、この「生命の科学」における実践的な訓練についての記述は、実に当課等、シリーズの後半以降に現れます。その意味は学習者が十分に基礎的な原理や状況を学び取った上で、初めて具体的な実技に入ることを意味します。いわゆるテクニックだけをみがいても、その者の内面が未発達の場合、却って害をもたらすことが多いからです。
 さて、著者は学習者に自分自身の損得について関心を捨てなければ、最初の段階であるリラックスも出来ないと注意しています。その少年にとっては野球こそが自分自身の関心事であっても、本来、少年にとって学ぶべき事柄は更に広く大きいものがある筈です。これらを少年期に身につける為には、少なくも一つ一つの課題に対しては言わば、自我の趣味嗜好を一時、心の外に追い出して、各々の課題に全力で立ち向かうことが必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落383

383 At this point your reasoning facilities may enter for one phase of impressions follows the freakish imagination and is destructive, while the other is exhilarating and constructive. So then constructive logic must be employed in order to reach a true evaluation. And this must be independent of personal opinions if you are to know the truth about anything. This is a good policy to follow in living and working with others in every day life.
383 この点において、貴方の推論能力が登場することになるかも知れません。何故なら、印象類のある段階では尋常で無い空想が後に続き、それは破壊的ですが、一方で他のものは気分を浮き立たせ建設的であるものが続くからです。ですから、そこでは建設的な論理を真実の評価に達する為に用いなければなりません。そしてもし貴方が何にせよ真実を知ろうとするなら、このことを個人的な意見の影響を受けずに行わなければなりません。これは日常生活の中で他人と生活し働く上で従うべき良い方針でもあります。


【解説】
 ここでのポイントはreasoning(論理的にその本質を見極めようとする推論)にあるように思います。一つの印象が心に入ると、それに呼応して心の中で貯えられた様々な類似印象が湧き上がります。いわゆる「連想」ということです。しかし、その際の問題はこれら集まってくるものの中には、心の空想が勝手に作り上げた役にも立たないものが混じっているということです。それらを排除し、自分が取り入れるのを選別する為、論理的な推論が必要になるのです。
 ある時は意識の印象を心に勝手に判断させない内に取り入れるようにと述べる等、私自身も様々な言い方をして来ましたが、心に思い浮んだ事の全てを実行に移すことは、必ずしも良いことではありません。それ程に長年人間を蝕んで来た感覚心は巧みに私達に入り込んでいるということです。
 しかし、心に湧く印象が建設的なものか、破壊的であるかは識別することは容易ですし、その指し示す方向が果たして労苦はあっても進歩に役立つのか、快楽があっても退化の道に繋がるのかを知ることは出来ます。そのどちらの道を歩むべきか、日常生活において常に応用しなさいと本文は言っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落382

382 Even though the space people had not come our way, showing that man can travel space, we would have succeeded in doing this sooner or later, accomplished by following the impressions given by consciousness. For man's goal is to blend his mind with consciousness.
382 例え宇宙人が我々の方に来て人間が宇宙を旅行できることを示すことが無かったとしても、私達は意識から与えられる印象類に従うことによって遅かれ早かれこれを為すことが出来たと思われます。人間のゴールはその心を意識に融合させることだからです。


【解説】
 その後の宇宙開発の進展経過を見れば1952年11月20日、デザートセンターでの言わば宇宙兄弟達の正式会見以後、今日の宇宙開発時代の幕が開いたことが分かります。当時はビキニ環礁等で核実験が盛んに行われており、中でも1954年の「ブラボー」水爆実験(直径2キロ、深さ73メートルの海底クレーターが出来る程の大爆発を発生させた最大級の水爆実験)に代表される無謀な行為が行われていた時代背景がありました。それに対して、大挙した宇宙船の飛来やデモンストレーション等を行うことによって、宇宙への関心を促進した意義は大きいと思っています。
 しかし、支援を受けたにせよ、宇宙ロケットを打ち上げ、小さいながらも宇宙船を軌道に乗せられるようになったのは、人間が積み重ねた技術の成果であり、人間が絶え間なく考え続け、試行錯誤を経ながらも、諦めなかった故に成し遂げられたのです。
 これら進化の原動力は時々の人間にヒントを与え、進歩の方向に向けて惜しみ無い援助を与える意識の力でもあります。人間がその関心を意識に向けてそのヒントとなる印象に耳を傾ければ、驚くほど短時間に進歩の歩みを達成されるということです。宇宙の源泉である意識は当然のこと、意識自身が住む宇宙への人類をいざなっているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落381

381 There are not too many people who know the difference between that which is real and the copy. Inventors and artists use this method, and that is how some new inventions that man's imagination thought impossible have come about, for the real is always possible.
381 どちらが本物でどちらが複製物であるかの違いを知る人は多くはありません。発明家や芸術家はこの方法を用いており、それが人間の空想が不可能だと思って来たような新しい発明品が生まれることの次第です。何故なら真実なるものは常に可能なものだからです。


【解説】
 心にやって来る印象の内、どれが意識本体から来る真実なもので、どれが自らの心が真似て作り出した複製品かを見分けなければなりません。当然、そこには少なくもそのかすかな違いを嗅ぎ分ける鋭敏さが我々になければならないのです。
 品物の真贋を見分け、その値打ちを示す鑑定人は常日頃から本物を良く学び、機会を捉えて本物に親しんでいるものと思われます。そういう意味で言えば、意識からやって来る印象を見分ける為に、まず自らその根源である意識に普段から関心を持ち、その働きや自分とのつながりについて学ぶことが大切です。また宇宙や惑星上の自然の諸活動の紛れも無い真実さを実感し、意識への信頼を高めることも必要です。
 こうした信頼(信仰)を通じて、意識本来が持つ感じを掴められるようになれば、心にやって来る印象の内、どれが本物でどれが心による複製品かが分かるようになるものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落380

380 One must be very careful to avoid wishful thinking which the mind usually likes to promote. Or imagination which the mind likes to promote in its own favor. For the imagination does promote pictures as there are two phases of impressions. The imaginative mind likes to create freaks such as constructing a man's head with two faces. One in the back and one in the front, but nature does not construct a head like this. I mention this for the impressions and pictures that will come through consciousness will be closely related to imagination. And the mind is quite an expert at this for it has copied its action from consciousness. There must be something genuine before there can be a counterfeit and this is the case with the imagination, so one must be careful.
380 人は心がいつも奨励しようとする希望的観測を避けるよう注意深くあらねばなりません。或いはまた心が自身への味方を促進する空想についてもです。何故なら、印象には二つの局面があり、空想は映像を促進するからです。空想性を持つ心は顔が二つあるような人間の頭を作り出す等、倒錯物を造り出したがります。顔の一つが裏側にもう一つが表側にあるようなものです。しかし、自然はこのような頭を造り出しません。私はこのことを、意識から来る印象類と映像類は空想にとても近い関係にある為、述べているのです。また、心は意識からその行動を写し取って来ている為、この点において全くの熟達者なのです。偽者が存在する以前に何か本物があるにはちがいありませんし、これが空想についての実状です。ですから人は注意深くあらねばならないのです。


【解説】
 真に印象が心を通過するや否や前項(378)で述べられているように、心の中に留まっていた心の産物である様々な思いがそれらを取り巻き、その印象の持つ本来の意味をはぐらかして、心が独自に造り上げた勝手な妄想に置き換え、主人であるその人間を自分(心)の都合の良いように仕向けることを本項は警告しています。
 人真似を得意とする心は、意識の力さえも真似てその印象に近付き、その意味をねじ曲げようとするのです。その為、これを防ぐには各自は自らの心の働きに警戒しながら、ひたすら誠意を持って、意識の伝えようとしているメッセージを受け取ろうとする必要があります。まさに、この点は自分自身との絶え間ない戦いでもあるのです。
 個人的な感想としては、一つの印象から長々とストーリーが繰り広げられるように見える場合は、心の創作である場合が多く、逆に何か分からない、或いはかすかで掴み所の無い印象の場合は、真の意識からの印象であることが多いように思います。その判別は、もちろん、その結果からその印象が正しかったかどうか、後日判明することによります。少しずつ各自、こうした経験を積む中で、これは本物の印象、これは偽者というように次第に判別できるようになるものと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落379

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.
379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は誰かが貴方に話し掛けていると誓うことでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これはこれを人々が第三の目或いは全てを見る目として引用することを理解できない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。


【解説】
 私達の心が意識を受け入れる体制を整えておけば、意識は私達に単なる印象だけでなく、言葉で語りかけ、またある場合には映像まで見せてくれるということです。それら意識との一体化、融合が達成した人物には3つ目の眼が開くとされて来ました。このような第3の眼に象徴されるデザインは遠くチベット仏教にも数多く表わされている所です。
 問題はこれら意識による加護を受けるには日頃から意識に親しみ、言わば「仲良く」しておく必要があります。しかし、この場合、注意したいのは、常人より優れた能力を持ちたいというような欲望からではなく、自分が生きて行く上で真に指導を仰ぎたいとする謙虚な気持から意識に親しむことが重要です。よく私達に「幼子のようになれ」と言われますが、実はその幼子は目の前の母親に全ての信頼を寄せ、全てを委ねていることが、あのように純粋無垢の表情を生み出していることに気付く必要があります。私達が本来、宇宙意識に包まれ、それらの加護を受けていることを確信できるかどうかにもかかっているということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落378

378 You must remember at all times that only a little of the entire picture will be revealed at a time. Again like the jigsaw puzzle, you cannot look at all of the pieces and know where they fit. For the picture must be put together piece by piece and this takes time. Never try to fill in with some of your mental ideas accumulated in this world for they are of personal nature. Do not question for one minute what you receive for that would be like questioning God. And you should know by now which is accumulated knowledge from this world and which are cosmic impressions. Do not be confused for earthly impressions may come also, as many of these to which the mind is accustomed are of Cosmic Nature and may fit into the picture at a given point but perhaps not at present. Due to earthly experiences these ideas sometimes try to crowd into positions before there is a place for them. It is like an artist who gets an impression of red shading, when yellow should be used, with the red to follow.
378 いつも覚えておいて欲しいことは、一度には全体像のほんの一部しか明かされないということです。再度、ジグゾーパズルのように、貴方は断片の全てを見ても何処にそれらが当てはまるのか知るという訳には行きません。何故なら絵は小片を一つずつ繋ぎあわせられなければなりませんし、これには時間がかかるのです。決してこの世界で貯えられた貴方の精神的なアイデアを当てはめようとしてはなりません。何故ならそれらは個人的な性質のものだからです。一瞬たりとも貴方が感受したものに疑問を投げかけてはなりません。神を問いただすようなものだからです。また、貴方は今では、どれがこの世からの蓄積された知識で、どれが宇宙的印象かを識別できる筈です。地球的印象も来るでしょうから、混乱しないようにして下さい。何故なら心が慣れているものの多くが宇宙的性質を帯びており、それらもいつか適当な時期にその全体像に当てはまるかも知れませんが、おそらくその時点ではないと思われるからです。地球上の経験から、これらのアイデア達はそれら本来の場所以外に群がろうとします。それは黄色を用いるべき所に赤い陰を付ける印象を受けた画家のようなもので、黄色の後に赤を用いるのに似ています。


【解説】
 (本項の翻訳については、少々悩む部分もありましたが、当面は、提示した訳文で行こうと考えています。)
 一度に私達に与えられる意識からの印象は断片的なものになると述べられています。それ故、与えられたイメージはそれ自体で完成されたようなイメージではなく、例えばその全体像が現実のものになった状況の中で、貴方が感じるであろう感情の一部や垣間見ることになる光景の一部等になると思われます。
 その為、場合によってはそれら出来事が発生する何十年も前に見ることもあり、印象を感受した時点では、例えその印象が鮮明であったにせよ、何時現実化するかは分からないのが実際です。
 しかし、思いのほか、早くその印象が現実化する事例も多いように思われます。その場合、その印象から利益を得る(即ち、印象のアドバイスに従って、自らのより良い生き方に活用する)為に、その印象に忠実である必要があります。
 また、一方、感受した印象がどのような意図を指し示してくれているのか分からない、即ち本項でいるジグソーパズルの一片のようなもので、どのようなイメージを伝えているのか全体像が分からない場合も多いということです。その場合、注意したいのは、本文にあるように自分の心の中にも実は様々な印象類が滞留していて、その行き場を求めているということです。その中で宇宙からの印象が入って来る訳で、自身の中のものも付和雷同して心に受け入れられるようとして混乱するということです。いずれにせよ、私達は宇宙から直接やって来る印象について、例え断片的なものであっても丁寧な受け入れを行い、それが示唆するイメージを持ち合わせた既存知識で早合点することなく、落ち着いた態度で一つ一つの断片を繋げる作業が必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落377

377 Remember that consciousness will convey impression to the mind that will seem foreign, like all new things do at first. But let your mind become as a little child listening and observing impressions and pictures that may come without questioning or trying to make a better picture out of the revelations.
377 意識は最初、あらゆる新しいものがそうであるように、心にとってよそものに思えるような印象を運んで来るでしょう。しかし、貴方は疑問を挟んだり、その啓示からより良い全体像を作り出そうすること無く、心を幼子のようにして、そのやって来る印象と映像に耳を傾け観察させることです。


【解説】
 何事についても率直、誠実が一番なのですが、事、印象への態度は必須な条件です。先日も長らく墨絵を描いている人から墨絵の描く上での留意点について聞く機会がありました。それによると筆使いのスピードが重要だと言うのです。初心者はお手本を横に見ながら、描く為、形に捕われ、どうしても筆の動きが遅くなり、筆先がギクシャクしがちです。それでは生き生きした絵は描けないとのこと。自分の中に描くものを決めたら一気に描くことだと聞きました。
 印象に従い、あれこれ考え巡らすことなく、率直に素早く筆を進めることが生き生きした表現を紙に残すことになるのだと思います。そう考えれば、運動選手の演技も決して一つ一つの動作を考えながら行っているのではないことに気付きます。来る印象に身体が直接反応することで、あのような美技が生まれるということでしょう。
 私達は印象の海の中で生きていると言われています。無数無尽蔵な印象が私達を毎秒、貫いているのであり、それらに少しでも鋭敏になるために、私達は自分の心というその道路に不要な障害を置いてはなりません。本人(心)が当面理解しがたいものでも積極的に心を通過させ、後日になってその価値を発見してもよい筈です。自然から毎日、無償で贈られて来る印象にもっと気付き、活用するよう贈り主は願っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落376

376 Do not try to see too much at one time. Use the same method as with the instrument by extending your mind into consciousness little by little. Do not force it, let it be natural. For if we get into the eternal sea of life there is plenty of time. It is much better to have a slow growth than to try and grow fast and miss something that could cause confusion later. Let patience be your foundation and the extension of our mind into consciousness gradual.
376 一度に多くを見ようとしないで下さい。貴方の心を意識の中に広げるに当っては装置を用いる時のように少しずつ行うのと同様な方法を用いて下さい。それを強制してはならず、自然にさせておきなさい。もし私達が生命の永遠なる海に入るなら、そこには豊富な時間があるからです。努力して急いで成長しようとして後になって混乱を生じるような何かを見落とすよりは、ゆっくりした成長を遂げた方がはるかに良いのです。忍耐を貴方の基礎とし、私達の心を意識の中に拡張させることをゆるやかなものとすることです。


【解説】
 この種の哲学修業は、只、我武者らに行うばかりでは成果が上がりません。私も過去には熱心に学習を進めていた人が最後は脇道に入られて、そのままになってしまった事例を多く知っています。その方々に共通な事項として、ある意味、余裕が無かったという印象があります。おそらくは、いくら集中して心を訓練しても成果が出ないと、その隙間に入り込もうとする低次元の要素も出て来る場合もあるのでしょう。その点、本文では「自然に」というキーワードが明記されています。
 自然観察と印象の感受、自らの心の観察、印象に基づく行動、更にはその行動に伴う心の観察等、階段を一歩一歩登って行く各自自身の問題として、人生の最後にその永遠の海(意識)に到達出来れば良く、慌ただしく登って、途中脱落するよりは、一歩一歩を確実にし、楽しみながら進むことが望ましいということでしょう。特に目先の成果は期待せず、最後には創造主のお導きやお助けがあることを前提に、一歩一歩進む中で、自分の中の何が変わって行くかをむしろ楽しみながら観察する余裕を持つことが大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落375

375 Let us now do with our sense mind what we did with the instrument thus allowing it to see that which has heretofore been invisible, replacing the instrument with consciousness. And as we believed that which we saw through the telescope let us do the same just as firmly with consciousness.
375 私達がこれまで見えなかったものがその装置を用いて感覚心が見えるようにしたように、今度は感覚心に対してその装置を意識に置き換えましょう。そして私達が望遠鏡を通して見たものを信じたように、意識によって見たものについてしっかり同じようにすることです。


【解説】
 私事ながら、このところの心配事から、朝何気なく玄関を出て早朝北側の空を眺めました。すっかり明るくなっている大空を見渡すと、西の空に白いまあるい月が静かに私を見守っていました。その何と優しいこと。目のせいで普段はぼやけて見える筈が、くっきり月の模様まで見えていました。人を見守るということはこういうことだと改めて思った次第です。
 さて、先日もお話したかと思いますが、先々週、尾瀬を訪ねた際、夜明け前の朝4時頃、山小屋の外に出て見ると、空は満天の星でした。各々の星座がはっきり見えるほど、一つ一つの星が大きく輝いています。まるでダイヤモンドの粒のよう。これら豪華な天体が私達の真上にいつも飾られていることに、私達は気がつくべきなのです。気付かず、過ごしてしまうのはもったいないことです。
 本項では各自に無償で与えられ、無尽蔵の力を有している意識を日常的に活用するよう努力し始めなさいと言っています。創造主から各自に与えられた贈り物(意識)を大事にし、日常的に活用することで世界(宇宙)が広まって行くことを示しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落374

374 But there will never be an instrument made that will reveal all of the Cosmos to man. Consciousness coupled with man's mind is the only way that man will learn about the cosmic whole. For now the instruments that have been used should cause the mind to have confidence, faith and trust in conscious guidance. The mind should have learned through past observations and experiences that that which at one time seemed nonexistent became a reality. For anything that is revealed by conscious impressions is in existence some where. So now the mind should be willing to be guided by consciousness instead of itself as in the past. And accept the things given by Cosmic Consciousness as a reality. For this is the only way that the sense mind can find its other half and become a part of the whole of the Cosmos. Jesus said, blessed are those who do not see yet believe. For the physical eyes cannot see the distances of the Cosmos, but the conscious eyes can.
374 しかし、大宇宙の全てを人間に明らかにする装置は作られることはないでしょう。人間の心と対になった意識だけが唯一、人間が宇宙全体を学ぶ方法なのです。今やこれまで用いられて来た諸装置は心に自信や意識の導きに対する信仰や信頼を持たせている筈です。心は過去の観察や体験を通じて一時期存在しないように見えたものが、現実のものとなることを学んで来た筈です。何故なら意識の印象によって明かされるものは何処かに存在するからです。ですから、今や心はこれまでの自分自信による代わりに意識に喜んで導かれるべきなのです。そして宇宙意識から与えられた物事を現実のものとして受け入れることです。何故ならこれが感覚心がもう一つの自分を見つけ、宇宙全体の一部になる唯一の方法だからです。イエスは言いました、見ないで信じる者は幸いであると。肉体の目は大宇宙の膨大は広がりを見ることは出来ませんが、意識の目はそれが出来るからです。


【解説】
 本文から分かることは真の印象とは宇宙の何処かに存在するものに繋がっているということです。以前からも祈る場合にあたかも既に実現しているかのように思えと言われて来ましたが、それには、その印象が繋がっている相手が例え、莫大な距離離れているかも知れないにせよ、その存在を意識せよと言っていたのだと思います。また、各自の発する想念についても、発する間もなく何処かで現実化し始めるということもあり得るということでしょう。
 以前どこかで、世紀の大発見というものは実は同時に世界の複数箇所で起っているという話を聞いたことがあります。これは様々な社会情勢や科学の発達状況も背景にはあるかと思いますが、重要な印象は実は多くの人が同時期に感受しているということだと考えています。なお、詳細は不明ですが、ジェルドレイクの形態形成場の仮説(生物の同一種が同じ形態になるのは、形態形成場に時空を超えた共鳴現象が起きるとする説)というものもあるようです。(http://www.kousakusha.co.jp/DTL/newscience.html)
 また、やって来る印象の出所は高尚なものから低俗なものまで様々でしょうから、ややもすると私達は自分の心のレベルに合ったものだけを、わざわざ選局して同調している可能性もあります。自己の受信器の周波数レベルを上げなければ、到底高次な印象は感受できないということでしょう。
 宇宙に遍満する創造主の導きを信頼し、自分をそれら不可視の印象に門戸を開き、少しずつ美しい体験を経る中で、真の宇宙の美しさとその中に祝福された創造物の一つとしての自身を発見することが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落373

373 This shows that consciousness does not misguide the human mind if it is allowed to guide it, and impressions are received and accepted without modification to suit itself. For this is the only way that consciousness can prove to the mind that its impressions are correct.
373 このことは意識はそれが人間の心を導くことを是認され、印象が人間の心に合うように修正されずに受信され、受け入れられるならば、人間の心を誤った道に導くことがないことを示しています。何故なら、これは意識が心にその印象が正しいことを証明する唯一の道だからです。


【解説】
 常に救いの手、導きの声は私達各自に向けられています。この慈悲深い神の御手、御声にこそ私達は絶大なる信頼を置き、各自の導き手として頼りにする必要があります。
 一方、おごり高ぶる私達のエゴは時々にこれら救いの手さえも騙そうとしています。自分の都合の良い方向に印象をねじ曲げますが、その結果は当然ながら成就せず、後から悔やむケースも多いものです。
 意識からやって来る印象を素直に受け入れ、それに基づいて行動することが大事であり、そういう意味からも「みどり子」のごとく、やって来る印象に対して素直に対処したいものです。その為には、私達の日常生活も静かなもの、素直なものでなければなりません。様々な場面で、目に見えない存在から与えられる印象類に鋭敏であらねばなりません。疑いを挟むことなく、誠実に生きることが基本です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落372

372 Could this have all taken place had it not have been for the consciousness of man as his senses were concerned only with themselves? But this consciousness, the invisible part of man, urges the factual man to explore more and more into the cause of form life. As the factual or sense man had disassociated himself from his Cause counterpart the instruments were necessary to bring the invisible back into focus that he might realize that he is only a speck in the Cosmos, but an important one. That his duty is to know about that which is in the Cosmos. And since the consciousness urged the mind to venture into space with instruments man continues to got more and more knowledge about space which has never been known before in this civilization.
372 自分の感覚が自分自身のみに向けられている等、もし人間の意識が作用していなかったとしたら、これらはすべて起っていたでしょうか?ところがこの意識という存在、人間の内の目に見えない部分が現実主義者を形有る生命の因の中、奥深くに探検せよと促しているのです。現実主義者、あるいは感覚人は自分自身を自らの因の相手役から切り離してしまった為、自分が大宇宙の中のしみでしか無く、しかし重要な一つであることを理解するよう目に見えない背景を鮮明にする為に装置が必要になったのです。人間の義務は大宇宙の中に何があるかを知ることです。また意識は装置を携えて心に宇宙を冒険しに出ていくよう促した為、人は宇宙についてより多くの知識を得続けていますが、このことはこの文明以前には無かったことです。


【解説】
 感覚心の特徴は、自分自身の表面的な姿を最重要課題としています。それが証拠に、男女や年齢と問わず、鏡の前で髪の毛を整える等の動作は、皆真剣な面持ちで、端から見ると、その異常さにおかしくなる程です。その為、私は以前、敢えて努めて鏡で自分の顔を見ようとはしないようにした時もありました。これは、仏教で丸坊主にするのも、それらの執着を取り除く意味があるものと思われます。それ程に、各自の感覚心は自分の内面の精神レベルよりは、外見を重要視しているのです。
 しかし、ひとたび、自分の周囲を見渡して見れば、私達は本来、実に美しい環境の下に生きていることが分かります。先日、写真を撮りに尾瀬を旅する機会を得ましたが、尾瀬ケ原や尾瀬沼等、自然環境がそのまま守られている地域には、驚くべき程の清純な水と空気、緑があり、多くの生き物を見ることが出来ました。おそらく、人間による汚染や収奪が行われなくなれば、自然は驚く程の美しさでこの地球を復元することでしょう。更に優れたことは、人間の活動から隔離された自然では全てが美しい姿を見せるということです。言い換えれば、宇宙の意識そのままの力が発揮できている場所は光景も美しいということです。
 与えられたありのままの姿は、植物や動物、また各々の種によって異なりますし、その時期(ライフステージ)によって、つぼみの時期も枯れる時期もありますが、それぞれに趣きがあることも確かです。また、自然の中では季節に応じて目まぐるしい程の変化が起っており、同じ場所でも一ヵ月でその内容は大きく異なります。これら生命の息吹きを如何に感じるか、それらが遠い宇宙と実は密接に繋がっているということを如何に理解するかが大事だと思っています。自宅に帰って尾瀬で撮影した写真を見ながら、その時、見た光景を固定し再現できるデジタルカメラの威力を改めて評価した次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落371

371 And what would be the extension of our mind? A desire for knowledge must be the foundation. I will use a mechanical device as an example. In the early days of astronomy a small optical instrument was constructed to look into space towards the stars. It was a sort of extension of sight through a mechanical device to see and learn more about what was seen as a light. And to try and tell if it was solid, and if so what was on it. As the Moon was the closest large object, it was the first to be observed and mountains and craters were seen on it. The physical sight could not see these, so we could say that this was a mechanical eye which helped to extend knowledge, all because there was a desire to know. For something within man has always told him that there was more to life than this earth. As time passed. progress has been made in an extended view through the instruments. And today the 200 inch telescope on Palomar Mountain is bringing knowledge to man of bodies previously unknown, existing in invisible space. And this is just a beginning for electronic instruments will reveal much more. This is also true through a microscope.
371 そして私達の心の拡張とはどのようなことでしょう? 知識に対する願望がその基礎であるに違いありません。一例として機械装置を取り上げようと思います。天文学の初期の頃は、小さな光学装置が星々に向けて宇宙を覗き込む為に組立られました。それは光体として見られたものについてより大きく見て学ぶ為の機械装置を通じてのある種の視覚の拡張であったのです。また、それが固体であるかどうか、またそうであればその上に何があるのかについて調べて知らせる為でありました。月は最も近い天体であった為、最初に観測され、月面に山脈やクレーターが観測されました。肉体の視覚はこれらを見ることは出来ませんので、私達はこれを知識を広げるのに役立つ機械的な目と表現することが出来ますし、これら全ては知りたいとする願望があったから出来たことなのです。何故なら人間の内部の何かが常にこの地球以外に生命について更に何かがあると語りかけて来たからです。時が経つにつれ、装置により視界を拡張する為の進歩が為されました。そして今日では、パロマー山の200インチ天体望遠鏡は目に見えない宇宙空間に存在する以前に知られていなかった天体を人類にもたらしています。これは単なる始まりでしかありません。電子装置は更に多くのものをもたらすことになるからです。これはまた、顕微鏡についても同様に真実です。


【解説】
 本課の主題である意識による旅行を実現させるには、私達は心を拡張させる必要があるということです。即ち、肉眼では見えない世界があることは、天体望遠鏡で夜空を観察すれば実感できますし、高倍率の顕微鏡下ではミクロの世界の動きを眺めることが出来ます。これらは、そうした世界を覗きたい、その世界を知りたいとする人間本来の願望が元となって各々の装置が開発されたことに他なりません。これらは本文に明記されているように機械的な装置によって得た私達の視覚の拡張と言えるものです。
 しかし、それ以上にパワフルで宇宙の隅々にまで移動できるのが宇宙意識に乗るということでしょう。これらは極く自然の機能として、人間以外の他の生物達は常時、行っているのかも知れません。季節の訪れを知り、何千キロも離れた土地を目指して群れが移動する渡り鳥等、身の回りには生き物達の超能力が多く見られます。まして最高位の創造物である人間としては、更に宇宙空間を把握する能力を備えているに違いありません。その原動力として、本文のはじめに書かれている生命に関する知識への願望が重要だと言っているのです。
 なお、本文最後に電子装置によって更に高倍率の望遠鏡や顕微鏡が出来ることをアダムスキー氏は指摘していますが、それは現在、ハッブル宇宙望遠鏡や偵察衛星に応用されているデジタルカメラのシステムや電子顕微鏡等の実用化を1960年代に指摘していたことに注意したいところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落370

370 Before we proceed with the lesson promised I want everyone to recall that the so-called material world is an effect of the so-called spiritual or invisible side of life. Like an idea that is invisible to those around you until you explain it in words or create the idea into a form for them to see. So it is with all that we know - the invisible supporter of that which is visible. Just recently scientists have learned the process of how to draw upon invisible space for certain materials, as today there are more elements known than there were a few years back. And there are now several precious metals that are too costly to produce on a large scale at this time. But the substance for them was taken out of space, which is invisible. This is a proof that out of the invisible comes the visible and back to invisible. And over and over the process goes on. This should give us support for our next step in viewing and traveling in the Cosmos without the mystical application. But with an extension of our sense mind into the conscious sea of life.

370 お約束した教科に進む前に、私は皆さんにいわゆる物質世界は生命の内、いわゆる精神的ないし目に見えない側の結果の一つであることを思い出して欲しいのです。それは貴方がそれを言葉で説明したり、見える形に造り上げない限り、貴方の回りの人々にとって貴方のアイデアが見えないのと同様です。それは私達が知っている全てについても同様です。目に見えるものに対する目に見えない支持者の存在です。丁度最近、科学者達はある物質について目に見えない空間から引き寄せる手法を学び取りました。数年前より、多くの元素が発見されているからです。そして今や、現時点では大きな規模では造り出すのにあまりにも費用がかかる数種の貴重金属が存在します。しかし、それらの物質は目に見えない宇宙から取り出されました。これは目に見えない所から目に見えるものが出現し、再び目に見えない世界に帰って行く証でもあります。そして何度も何度もその過程は継続します。このことは私達に、次の段階として神秘的な応用でなく、宇宙を眺め、旅する際の支持を与えるものです。しかし、それは私達の感覚心を生命の意識の海にまで広げることが前提です。


【解説】
 目に見えない空間から、具体的な物質が出現することは、常識的には理解できないとするのはある意味当然ではあります。しかし、一歩進めて、素粒子の世界になると、分からないことも多くあるようです。即ち10のマイナス8剰センチの大きさの原子を構成する10のマイナス13剰センチの原子核、更にその原子核を構成する10のマイナス16剰センチの素粒子(クォーク)等、物質の究極の素性になると、正体はあいまいになるように思います。
 本項で言う、「目に見えない空間から物質が出て来る」という表現も、実は素粒子物理学の観点から見ると、納得できる要素を含んでいるものと思っています。
 問題なのは、その素粒子を含む物質の挙動が、精神的(spiritual )なものに関係しているということでしょう。精神の作用がこれら目に見えない微細は世界に対しては、より直接的に影響を及ぼし、やがては目に見える形となって私達の目の前に出現するということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落369

369 There are very few people in the world that are individualists. And those who are oftimes have a hard time because they do not go along with society and are considered non-conformists. History shows that all great souls in this world were non-conformists for they were individual and endowed with the deeper meaning of life.
369 世の中には自立主義者は極めて少数しか居りません。そして彼らは社会とうまくやっていない為にしばしば困難に直面し、非協力者と見なされて来ました。歴史はこの世の中の全ての偉大な魂は非協力者でした。彼らは独立した個人であり、彼らには生命のより深い意味が授けられていたからです。


【解説】
 最古の仏教経典とされる「スッタニバータ」の中に「犀(サイ)の角(ツノ)」という表現が多数記述されています。「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」。「究極の真理への到達するために精励努力し、心ひるむことなく、行い、怠ることなく、足取り堅固に、体力、智力を身につけて、犀の角の如く、ただ独り歩め」等々の記述があります。
 その意味するところは、周囲からどのようなことを言われようと、また社会の支持が得られなくても、独り誰にも頼らずに自分の目指した精進の道をまっすぐ進む覚悟を示しています。多くの芸術家や科学者も、その取組みがこれまでに無い新しいレベルの場合、他人の評価は低いものです。本人が地上を去った後に、その成果が発掘されるケースが多いのが多いようです。
 本文では、同様な趣旨で社会や環境への順応者(conformists)に対して individualists(自立主義者)が果たす役割が大きいことを述べています。創造主や意識、想念等、目に見えない対象を扱う生命の科学の学習分野では、結果物を示す訳にはいかない為、一般の人に理解してもらうことは容易ではありません。また、その他、神秘主義者と誤解されてしまうかも知れません。しかし、そのような他人の評価等、意味のないことです。とにかく、真理に到達し成果を見せられる段階に至るまでは、ひたすら自らの道をまっすぐ進む必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落368

368 The effect mind which is the personality, usually follows the law of least resistance and allows itself to be molded into the environment of the word's society. This is why man feels strange to man, even though he is molded into the same type of society. And it is because the ego or sense mind is a stranger to the Cosmic Principle and itself caused through the divisions between individual identity and the ego. The individual acknowledges everything in unison whether visible or invisible to the sense mind, while the sense mind acknowledges only that which it calls concrete form. Yet when questioned the mind admits that there is something behind the concrete manifestations. But it does not like to go on record that there is for fear of what a neighbor or society might think of him. This shows that the individual's identity tried to alert the mind but the mind fears not to go along with society's pattern.
368 結果である心は人格でもありますが、いつもは最小の抵抗の法則に従い、自身を世の中の環境の中に鋳込まれることをやむなしとしています。これが人が自分が同じタイプの社会に鋳込まれているにも関わらず、人に対して見慣れない感じを受ける理由です。そしてそれが、エゴ、即ち感覚心が宇宙原理に対してよそものであり、そのことが個人の正体とエゴの間の諸分裂をもたらしたのです。個人は感覚心に見えているか見えていないかに関わらず全てを調和していることを認知しますが、感覚心は具体的な形有るものを要求するもののみを認知します。しかも尋ねられると、心は有形の創造の現れの背後に何かがあることを認めます。しかし、心は存在する記録には進んで行きたがりません。何故なら隣人或いは社会が彼をどのように考えるかを心配するからです。これは個人の正体は心に注意を喚起しようとしますが、心は社会のパターンを手に進むことを恐れていることを示しています。


【解説】
 多少余談になりますが、先日、紅葉を見に山に出かけました。山に行くといつも思うことは、山道を行き交う人は皆、自然と挨拶をすることです。また、山小屋や途中の休憩所では不思議と見ず知らずの相手でも会話が弾むものです。もちろん、この背景には自分が先程、体験したことを相手に伝え、危険を避ける場合もあるでしょうし、相手に教えてもらいたいこともあるでしょう。今回の山行きも互いに名前は知りませんでしたが、双方の経験談を披露する等、楽しい一時を過ごしました。
 しかし、このような状況は大自然の中の話で、都会ではまずはあり得ないことでしょう。その理由の一つに山の場合は、自然環境の雄大さの前に各自の自我が小さくなり、互いに心の垣根が消えることがあるように思います。本文にある「見慣れない感じ」(strange)と対極を為すのが、この親密感であり、どのような存在に対しても相手を心底、尊重し信頼する感じが大切だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落367

367 You as an individual are a unit of many experiences, even in this life. As an individual you have gone through billions of chemical changes with each absorbing the previous one. So the cosmic identity of you, the individual, has been constant with no divisions. Each succeeding stage of your life was the embodiment of previous stages from the time of your birth to the present day. Every pulse of your being from the day of your conception on into a form have been recorded in the Cosmic Records. No pulse or act was left out. Your form may have a record of from 20 to 90 years in your present earthly life, but in eternity it is less than a thousandth part of a second. Yet you figure the seconds in the earthly time of age and every second some form of newness has taken place. And every second absorbing the previous second by the individual that brought you to this stage of life. But the sense mind docs not figure this way. But when it does become one with the consciousness it will be able to review all of the changes that have taken place during its years of life. Yet not for one moment did the individual lose his identity. But the sense mind or personality has been lost many times through its lack of awareness of what it is. The personality changes many times during a life time even to the degree that pictures taken at different ages show very little resemblance to the way one looks now. While the individual consciousness remains the same.
367 一個人としての貴方は、この生涯にあっても多くの経験からなる一単位です。一個人としては貴方は各々がそれ以前のものを吸収し、何十億回もの化学変化を遂げています。ですから、貴方の宇宙的正体には分断はありません。貴方の生涯の各々の継続するステージは貴方の誕生から今日に至るまで以前のステージの具体化であったのです。貴方が形有るものとなった受胎の日から一つ一つの鼓動は全て宇宙の記録の中に記載されています。いかなる鼓動或いは行為も漏れることはありません。貴方の形は現在の地球上の生涯の中で20から90年の記録を持っているでしょうが、永遠の中にあっては1秒の1000分の1よりも短いものです。それでも貴方は地球上の時間である秒数を数えており、その秒毎に何らかの新しいことが起っています。また秒毎にそれ以前の秒間がその個人により吸収され、貴方を今日のステージにもたらすのです。しかし、感覚心はこのようには描きません。それでも感覚心が意識と一つになる時、それは生涯の間に起ったすべての変化を読み返すことが出来るようになります。それでも一瞬たりとも個人が自分の正体を見失うことはありません。自分が何であるかの知覚が不足している為に、感覚心、或いは人格(訳注:パーソナリティ)は何度も失われるのです。異なる年代で撮られた写真が、今見るのと少しも似ていないように見えるほど、生涯の間には何度となく変化します。一方、個人の意識は同じまま留まります。


【解説】
 人間は様々な体験を経て生長すると言えます。その体験の記憶はやがて本人の潜在能力を醸造するものと思われて来ましたが、本項ではその体験は体内に化学変化を起こしていると解説しています。次々に体験によって人体は変化し造り変えられていると言った方が良いでしょう。そうする中で私達のエゴは拠り所を持たないが故に、浮遊し時々の結果に振り回されて変化すると本文に明記されています。その結果、私達はこの生涯の中でも人格は大きく変わり得ると忠告しているのです。
 人間、生まれた以降、充実した人生を送るか、そうでないかは本人が決めるということです。日々、精進の末には活気ある人生が待っているでしょうし、感覚心に振り回される毎日を送っていれば、早晩、老化衰弱の一途を辿るばかりです。また年月の内には自分で自分を改造することも出来るということです。各自、この生涯を終える時、命を与えてくれた創造主に感謝して、この世を去ることが出来るよう、毎日を充実させることが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落366

366 As you have already learned in previous lessons, there is a constant chemical change going on, and the identity of one stage is absorbed by the identity of the next stage. So if one is to retain his individual identity through eternity he must lend himself constantly to the changes that are taking place. For personal ego has no place in the cosmic plan but individual identity has. For the individuals make up the cosmos. And by the personal ego allowing itself to be absorbed by the individual, which is sometimes referred to as saving oneself and earning eternal life, it becomes like the drop of water that allowed itself to be absorbed by the ocean of water. It becomes the ocean of water yet it retains its individual identity through its molecular structure. Referring again to the jigsaw puzzle, the piece that could be called personal has now been placed among others that eventually will make the picture. Thereby it loses its personal feeling of separation and takes on the feeling of the whole picture yet an individual part of it.
366 以前の教課で既に学んで来たように、絶えまない化学変化が起っており、一つの段階の正体は次の段階の正体に吸収されて行きます。ですからもし自分の個としての正体を永遠の中で保持したいとするなら、自らを生じている諸変化に委ねなければなりません。何故なら各自のエゴは宇宙の計画の中に占める場所は無く、各自の正体だけが場所を有しています。個々が宇宙を造り上げているからです。そして個人のエゴ自身をその個体に吸収させることを許すこと、時に自分を助けだして永遠の命を得ると呼ばれることを行うことで、自身を大洋に吸収させることを許した一滴の水のようになります。それは大洋になりますが、引き続きその分子構造からその個人の正体を保持しています。再びジグソーパズルを引用すれば、個人と呼ばれる一片は今や最終的に絵画を作り上げる他のものの中に配置されています。こうして個人の疎外感を失う代わりに個人はその一部を保持したまま全体の絵画の感じを抱くようになります。


【解説】
 昨今の世の中の急激な動きに言及するまでもなく、私達は目まぐるしい変化の中に生きています。この流れは想念の流れに似て、留まる所を知りません。その流れ、時代の奔流に乗らなければ年老いて行くことに間違いはありません。宇宙自体は、地球が毎秒約30キロメートルの速さで天空を航行しているように、全てが流転しているということです。
 その中で、孤立し変化に対応できないのが人間のエゴだということでしょう。私達はエゴという狭い殻をいち早く脱ぎ去って大きく変化と遂げている宇宙の流れに従うことが大切です。その為には損得や身の安全ばかりに気を取られるエゴを捨てて、目の前の目に見えない大きな潮流に飛び込む勇気が必要です。宇宙の本質の為にはどのようなものも捨て去る覚悟が求められているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落365

365 The Great Book states, "Have no false gods before Me." For the likeness and image is pure consciousness which is identical with the Cosmic One. It is the One that created the body and the sense mind. And the sense mind must make an effort to find its parent if it is going to fulfill the purpose for which it was created, or have life eternal as the parent does. For this is the only way that man can get back to the household of the eternal state and become one with it. Then and then only will he feel unity with all life and not the separation that he does today. The feeling of distance between himself and that which is eternal will vanish.
 聖書は「わたくしをおいて偽りの神があってはならない」と述べています。何故なら似姿や像というものは宇宙的存在と同一の純粋な意識であるからです。それは、この肉体や感覚心を造り上げた存在なのです。ですから感覚心は創造された目的、あるいはその両親と同様に永遠の生命を得る目的を成就する為にはその両親を探そうとする努力をしなければなりません。何故なら、このことが人が永遠に続く家庭に戻り、それと一体になる為に戻れる唯一の道だからです。そうすれば時として、人は全生命との一体感を感じ、今日までの疎外感は感じなくなるでしょう。自分と永遠なるものとの間の距離感は消え去るのです。


【解説】
 旧約聖書の出エジプト記20章3節にある「あなたは、わたくしをおいてほかに神があってはならない」とはエジプト出発の後、モーセがシナイ山中で神から授かった十戒の最初の項目です。「主」と呼ぶ神から直接申し渡され、10の戒律が石板に刻み込まれる様子は、映画の有名なシーンです。当時のエジプトには多くの神が設定されており、ユダヤの民に対しては、唯一、このように命令する私だけを神とするよう命じたものと思われます。ちなみに続く第2の戒律は「あなたは自分の為に刻んだ像を造ってはならない」となっています。
 これに対して、本文では似姿は本来、宇宙的意識そのものに等しいものであるべきで、両親の元に帰るきっかけに繋がる大事なものであるとしています。つまり、人間本来の源泉への帰還を目指す意味合いから、優れた像を見るのは、効果があるものと考えます。多くの仏像やマリア像に惹かれるのは、その人がそのような高貴な存在を願い求めているからであり、その思いを強くすれば、やがてはその存在に気付ける時も来ると思われます。自然界に普遍に存在する宇宙的意識に日常的に気付くことが出来れば、進化の王道を歩んでいることになります。
 同乗記には若い創造主を描いた絵が掲げられていたと記されています。「像を造ってはならない」とは旧約聖書の言葉ではありますが、それは当時の状況においてのことで、優れた人物像を拝することは、むしろ大切なことだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落364

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE LESSON TEN
Conscious Traveling
By GEORGE ADAMSKI

364 In lesson Nine I told you that I was going to illustrate how one can travel consciously to any part of Cosmic Space and learn what is there. And yet not employ any mysticism that is so well known in this world, or give oneself over to some mystical guide that we hear of people doing in the mystic circles. No person dead or alive has a right to enslave you for his or her purpose. The only one you have a right to acknowledge and will yourself to work with is the other half of yourself which is the image and likeness of the Creator or God.

生命の科学-学習コース
第10課
意識による旅行
ジョージ アダムスキー著

364 第9課では私はどのようにして宇宙の如何なる部分にも意識的に旅行出来るようになれるか、そしてそこにある物を学ぶことが出来るようになるかを解説しましょうと述べました。しかし、それはこの分野で良く知られているような如何なる神秘主義も導入するものでなく、人々が神秘主義グループで行われるような心霊ガイドに自分自身を委ねることも行いません。如何なる者も、それが死者であれ生者であれ、その者の目的に貴方を奴隷にする権利など無いのです。只一つ、貴方は悟りを得て創造主、言い替えれば神の似姿である貴方自身のもう一つの半身とともに自分自身を精進させる権利があるのです。

【解説】
 今課の題名は「意識による旅行」となっており、言わば居ながらにして、宇宙空間を旅する為の具体的訓練が教示されるものと思われます。その教科の開始に当って、著者アダムスキー氏は本項を記しているのです。
 即ち、私達が従来、超能力をあがめて行っていた降霊会や、通常レベル以上に能力を備えた人物を祭り上げた上で、その指導に従うようなことは、完全な誤りであり、そのような方法では自らの本来の能力を高めることは出来ないことを明言しています。
 それに代わって、自身の中にある創造主の似姿である半身こそ頼りにせよと言っているのです。言い替えれば、何も外に教師やアドバイスを求める必要はなく、自らの内側に宿る自身の半身と対話し、協働すれば、その道を自ずと歩むことになると言うことです。外はどのような環境になろうとも、自分自身の内側は常に暖かく、平穏が続いている。そのような状態を造り上げることから、始まるということです。
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