2008年06月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落307

307 One should not question what the consciousness has to reveal before the full revelation comes. And you should fear nothing - for that could cause you to lose the sequence of the lesson. For as we know the mind has been accustomed to fear that which it does not understand, and reject that which is unpleasant, due to the wrong teachings it has been subjected to. But we know that every manifestation fits into every other one, it must be so in order for the Cosmos to be complete. And when this is understood by the mind a beautiful unfoldment will come, each part of the puzzle falling into place to make a complete picture. And it will not reject anything.
307 完全な啓示が来る前に意識が明らかにしようとしていることに疑問を差し挟まないようにしなければなりません。また何物も恐れてはなりません。レッスンの一連の流れを失うことになるからです。私達がよく知っているように、心はこれまで服従させられて来た過った教えのせいで、理解しないものを恐れ、不愉快なものを拒絶することに馴れさせられて来ました。しかし、私達はあらゆる現れが他のもの一つ一つと調和することを知っていますので、それもまた宇宙にとって完全なものになる為には必要であるに違いないのです。そしてこのことを心が理解するや、美しい展開が明らかにされ、ジグソーパズルの各々の一片は完全な絵を作り上げる為の場所に収まることでしょう。そしてそれは何物をも拒絶することはないのです。


【解説】
 「ジグソーパズル」の一片が一見したところ、どんなに奇妙で判断つかないように思えても、実際にあたはまると全体としての完璧な絵が出来上がります。それと同様に一つ一つの印象の欠片を感受したからと言って、直ちに判断せず、忍耐強く全体像が見えるようになるまで大切に記憶しておくことだと言っています。
 とかく私達はその場その場で受けた印象を判断し裁き、綺麗・汚い、善・悪、良・不良とに区分し、各々の片方を自分に取り込み、他を排除しようとします。これは光景(視覚)や音(聴覚)、味(味覚)、香り(嗅覚)についても同様であり、各々対応する感覚の即断的な反応に由来しています。
 そのような状況では、反応の結果、受け入れられないとしたものは、捨て去られ、全体像にはいつまで経っても至ることはできません。私達はやって来る印象のすべてをありのまま受け入れて、後日、どのようなものが与えられようとしているのか分かるまで、大切に保持している必要があると言っているのです。思慮深き神を信じることがその一歩です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落306

306 And speaking of the by-ways - as consciousness is the sea of life everything is living within it. And as the Cosmos knows no beginning or ending, we are living in the embrace of a vast structure which has many interesting things in it, and our attention of interest will shift from one thing to another. This could be likened to standing on the top of a very high tower. While facing east things will be seen that are in that direction, and to the west, the same, etc., etc. So when the sense mind is interested in conscious perception it will want to see everything within the household of consciousness. This could become a hazard, for this hunger for knowledge could promote impatience, and confusion would be the result. So the mind must learn self control. And remember it has eternity in which to learn. With this awareness it will gain knowledge step by step in the sequence of events. And there will be no gaps or divisions that cause divisions and mysteries. The interest of the mind should be of such a nature that time is not involved, only learning what each step has to offer. Then when it is time for the next step to be taken the blend will be there without any foreign element that could come from the mind.
306 脇道については、意識は生命の海であり、あらゆるものがその内側にあるということについて述べましょう。宇宙には始まりも終わりもありませんので、私達はその内側に多くの興味深い物事を持つ広大な構造物に抱かれて生きておりますが、私達の興味は一つのことから他のものに移り変わるものです。これは一つのとても高い塔の頂上に立っていることになぞらえるでしょう。東を向けばその方向にあるものが見えますし、西を向けば、また同様等々です。そのように感覚心が意識的知覚力に関心を持つようになると、心は意識の家庭の中にあるすべてを見たがることでしょう。しかし、これは危険要素に成り得るのです。何故ならこの知識への渇望は性急さを助長し、結果として混乱が生じるだろうからです。ですから心は自制を学ばなければなりません。そして学ぶべきものには永遠があるということを覚えていて下さい。この自覚を持てば、出来事の一連の流れの中で一歩一歩知識を得て行くことでしょう。そしてそこには分裂や神秘を引き起こす如何なる割れ目や仕切りはないことでしょう。心の興味は時間には巻き込まれず、只一つ一つの段階が授けるべきものを学ぶという性質のものであるべきなのです。そうすれば、次なる段階の時期になった時、心から来る無関係の要素が入り込むことなく、融合が起ることでしょう。


【解説】
 ここでは意識への知覚力が増して来る際の注意事項について述べています。つまり、物事に対する感性が高まるにつれて、今まで気付かなかった様々な事柄に私達は気付くようになりますが、そこにも注意すべき課題があると言っているのです。
 それは丁度、今までの旧式のテレビが数チャンネルしか映らない一方、新しいデジタル放送では数十もの番組を受像できるのと同様です。そのいずれのチャンネルも私達にとっては興味があり、有意義なコンテンツを放送しているとします。こうした環境の中で、とかく私達はやたらとチャンネルを変えて、より興味のある番組を探そうとします。しかし、それでは各々が放送する内容を把握できる筈もなく、結局は何も記憶に残らないということです。
 これと同様に意識との一体化が進むにつれて私達は興味本位で知識を追い求めてはならず、それは逆に混乱を招くことを忠告しているのです。私達は決して進歩の道を進むべきでないというのではありません。現時点における自分の理解力以上の知識を取り入れようとはすべきでなく、一つ一つの体験から何も学んだかを整理した後、初めて次の一歩を進めるべきだ、或いはその整理が終わった時、宇宙が貴方に次の段階を用意してくれると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落305

305 The space people live this understanding of life, but they also have a long way to go to attain it. However they have set their foot upon the right path and eventually will accomplish what they have set out to do. While we have promoted various highways and by-ways that have proven to lead everywhere except to the household of the Creator. We can be thankful to the Brothers for giving us the key of consciousness that unites all creation as one with the Creator.
305 宇宙人達は生命に関するこの理解を生活の中で実行していますが、彼らにもまたそれを達成する為の長い道があるのです。しかしながら、彼らは既に正しい道筋に足を乗せており、やがてはその提示したなすべきものを達成することでしょう。一方の私達は(戻るべき)創造主の家庭以外のあらゆる場所に導くものであることが明らかとなった様々な大道や脇道を奨励して来てしまっています。私達は宇宙兄弟達にすべての創造物を創造主と一体化する意識のカギを与えてくれたことに感謝してもよいでしょう。


【解説】
 この分野の学習については如何にして正しい道を歩むかが、大きな課題です。世の中には道を求める者に対して、あまりに多くの門戸があり、それぞれ自分達が真の安らぎを授けられると主張しています。しかし、残念ながら、それらの多くは「真理」の一部を削り取って自らの教義に入れただけで、その道を進んだからといって、その人本来の求める道とは遠いままに捨て置かれ、代わりに時間とお金が搾取されているのです。
 また、他方、独学により自然を探究してと思っても、多くの場合は巧みなエゴの裏切りから、途中で挫折することも多いのではと懸念しています。
 この「生命の科学」の優れている点は、現に進化した宇宙人達がこれを基調として生活しており、十分な成果を挙げているということです。私達より数万年も進んだ人類が過去に歩んだ道程がここに簡潔に述べられています。人生の生き方という最も大事な課題は、私達自身が自ら求め、探して掴まなければなりません。その困難な薄暗い森の中でも、先人達が残してくれた明るく輝く道程がこの講座だと言っているのです。
 かつてアリス・ポマロイさんにお会いした時、盛んに”Share(分かち合う)”という言葉をおっしゃっていました。私達も各自の歩みの中で掴んだ真理については積極的に後に続く方々に残し、また互いに体験を交流することが重要だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落304

304 We are all conscious beings and the still small voice which is consciousness keeps impressing us that there is a better way than the mind has promoted. It is not some teacher or preacher, here and there, that can tell us how, but the consciousness that is within each, as it is within him. For it is THIS that has made man aware of a better life for centuries, and it will continue to do so until man's sense mind gives its dominion over to consciousness. And when this happens man will know, for he will never again sense any divisions or feel himself separated from the Creator.
304 私達は皆意識的な存在ですし、意識である小さくかすかな声が私達に心が押し進めているよりも良い方法があると印象づけ続けています。私達にそれがどのようにしてと教えられるのはここそこの教師や説教者ではありません。それは各自の内側にある意識であり、意識が人の内側にあるからです。何故なら、何世紀にわたって人により良い生活について気付かせて来たのはまさにこれなのです。そして意識は人間の感覚心が意識にその支配権を譲り渡すまで、その援助を続けることでしょう。そしてこのことが起る時、人は理解するのです。何故なら人はそれ以降、決して如何なる分け隔てを感じることは無く、創造主から自身を分離した存在として感じることもないからです。


【解説】
 私の中に宇宙を貫く生命の根源である意識が存在することは身体の中の日々刻々の生命維持活動を見れば良く分かります。毎日の食事が肉体を養い、老廃物を排せつし、毎回の呼吸が体内細胞の働きに不可欠な酸素を取り入れる等、自我が寝入っている時もひたすら肉体はその存続の為、働いています。この作用を差配する大生命力は自我をはるかに超えた英知であることは、誰でも分かるはずです。
 このように大多数の部分は意識と融合した存在なのですが、独りその肉体を差配すべき肝心の自我だけが、言わば迷いの中にあります。また、道を求める者も、既存の宗教に救いを求めますが多くの場合、そのグループの指導者の理解程度や組織維持の為に、やがて当初の輝きを失う事例も数多いものです。そうとすれば、所詮、頼れるのは自分の中で毎日のように実証して見せてくれるこの意識の存在に只只おすがりする他に方法はありません。
 しかし、よく考えれば、心の反応も意識のささやきも、どちらも言葉で私達にメッセージを伝えることはありません。心にしてもとっさの判断(裁き)の積み重ねですし、単に「印象に従え」ということだけでは不十分かと思っています。受ける印象の質や内容を即座に判断することは難しいのですが、取りあえずは門戸を広げ、あらゆる印象を受け入れて、その内容に「好き嫌い」等の裁きや、「恥ずかしさ」等の自己保身等から来る要素の有無を見て、無ければ積極的に受け入れるということでは無いかと考えています。また、一方ではやって来る印象を自ら拒否している理由の中にそのような要素がある為に踏み込めないでいるかをチェックする必要があります。多くの場合、その対応が良かったか、過っていたかは直ぐに分かることでもあります。試行錯誤でも続けさえすれば、意外に早く本来の道には到達することはアダムスキー氏も言っているところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落303

303 Man cannot forever serve his mind - for himself. Or other minds for other men and expect to realize and enjoy a heavenly state of life.
303 人は自分自身の為にも、自分の心に永遠に仕えることはできません。他の人間の為、他の心に対しても同様であり、そうすることで悟りを得たり、天国のような生活を享受することはできないのです。


【解説】
 ある程度の年齢になると、これまでよく犯罪を犯したり、避けることができる事故を引き起こすことなく、よく自分の心に付き合って来たものだと思うものです。もっともそれ以外の相棒が居ない訳ですし、ある時は怒りが沸き上がるのを抑え、また有頂天で舞い上がりそうになる心を落ち着かせ、ある時は恐怖心で身の毛がよだつ中で冷静さを取り戻す等、未熟な自分自身によく付き合い、今日まで永らえて来たものと思います。
 本文では所詮、このような不安定な心に一生涯仕えることは出来ないと言っています。その意味は自らの愚かしい感覚心を至上なる主人として仕えてはならず、むしろ訓練すべき対象だとしているのです。おそらくは生まれたばかりの子供は、かつてルーサー・バーバンクが世の中で最も感受性が高い生き物だと言ったように、実は大変鋭敏な状態にあるとされています。最近、NHKテレビのアーカイブス「あの人に会いたい」で童話作家の石井桃子さんのインタビューが放映されていました。その中で石井さんは自分の幼少の頃、姉から絵本を読んでもらった時のその絵本のページから受けた強い印象、絵本の中に自分が一体化した体験を後年になっても覚えているとお話になっていました。
 誰でも、幼年の頃、つまりは感覚心が未発達の頃には実はこのシリーズで私達が学ぼうとしている感受性は最も高い状況にあるのではないかと考えています。再び、この感受性を高め、これまで増長してきた感覚心を再訓練して調和ある形に組み直すことが大切なのです。自ら、自我を小さくし、奉仕する側に導けば、代わりに生命の根源である意識の作用が次第に大きく、各自に現れて来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落302

302 Reading these lessons will not do it, but living them will. And when you have done this you will have mastered yourself. And the elements that are here will serve you. For man is the only form that has the potentials of the Father. But he must first recognize consciousness as the Father, and return back from whence he came if he is to fulfill the purpose for which he was created.
302 これらの教科を読むことではそれを達成しません。それらを生きることが達成させるおです。そして貴方がこのことを達成する時、貴方はご自身を支配したことになるのです。そしてここに存在する元素類は貴方に仕えることでしょう。人間が父の可能性を持つ唯一の形有るものだからです。しかし、人は最初に父として意識を認めなければなりませんし、もし自分が創造された目的を成就するのなら、自分が来た所に戻らなければなりません。


【解説】
 この講座をこれまで進めて来て、お分かりになるように、これまでの世の中の哲学書にあるような難解な論議は何一つありません。全ては平易な言葉で表現されています。このことは、宇宙兄弟達の生き方は大変シンプルなものであることを示しています。
 問題はいくら、「知識」として頭に詰め込んでもダメで、自ら実践実行する中で真理を体得することがはるかに大切だということです。例えば目に見えない「意識」を自ら感じとれるかどうか、絶え間なく降り注ぐと思われる印象にどうしたら気付くか等、自ら実践する中で体得する他はありません。丁度、子供がはじめて自転車に乗るようなもので、いくら事前にペダルを踏んでと教えたところで、実際に自ら自転車に乗って見る他、ないというのと同様です。
 私達がその実践に踏み出す時、感覚心(センスマインド)にとっては暗闇の中を進むようなもので躊躇しがちですが、踏み出した途端、意識からの支援の手が差し伸ばされることが多いものです。以前、小田秀人さん(故人)から「若い頃、人生の意味に疑問になり、いっそ死んでしまおうと思い、沖に泳いで行ったが、力尽きた頃、未知なる力によって助けられ、生き延びてしまった。以来、その不思議な宇宙生命の力の研究の道に入った。」という主旨のお話を伺ったことがあります。
 私達は決して、この「生命の科学」にこだわる必要はありませんが、各自が”意識”というべき存在に気付き、それに従った生き方を続けることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落301

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.
301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。


【解説】
 自然に対する姿勢には基本的に自然の中に人間を超えた英知の存在を感じる東洋的な見方と、自然を克服、征服する人間の価値に重きを置く西洋の考え方があるように思います。その典型例が庭園づくりに現れています。例えば樹木を幾何学的デザインに刈り込み、人間が造り出した造形美として見せるヨーロッパの庭園に対して、日本の著名な庭園は、いずれも自然の山なみや泉を配した中で、各々の木々が自ら造り出す自然の枝ぶりの中に、その場所が例え都会の真ん中にあっても、静かな大自然の中に憩う雰囲気を良しとしています。
 もともと、この生命の科学は目に見えない要素に気付くことから始まっており、西洋の論理主義、実証主義とは相容れない側面も多いのかも知れません。むしろ、私達、日本人には理解しやすい内容ではないかと思っています。
 さて、本文では著者は自然観察に没入することが出来にくい場合の別の方法として、これまで地球に来た偉大な教師の教えを自ら実践し、その過程に意識の助けを求めよと言っています。つまり、各自の心であれこれ悩むのではなく、インスピレーションに従って、教えを自分で実践検証しろと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落300

300 So if we are to be a perfect manifestation of the Creator we should study nature more than we have, as it is the conscious expression of God. And we should observe and adopt its laws of oneness in the same manner that we adopt each other's habits and even look alike.
300 ですから、私達が創造主の完全なる現れとなるには、これまで以上に自然を研究することです。何故ならそれは神の意識の表現であるからです。そして私達は互いの習慣を取り入れ、姿も似て来るのと同様に、観察し、その一体化の諸法則を取り入れることです。


【解説】
 本文ではこれまでも繰り返し述べられて来たように、自然観察が如何に大事かを指摘しています。自然を創造主の意図の完璧な現れとして受け入れ、その中から学び取ることが求められています。山や森、野原や川原に出て、植物や虫達の営みから創造主の意思を掴み取ることを求めています。具体的には丁度、絵画を鑑賞するように、静かに雰囲気を味わい、細部のタッチから画家の息吹きを見ることも必要でしょう。また、自ら絵に描いたり、写真に収めたりして、その調和の詳細を確かめることも有効でしょう。
 最近は、植物画や絵手紙が中高年の趣味として流行っているようですが、身近な自然を鑑賞し、その中に美を見い出すのは日本人の受け継いだ特質なのかも知れません。また人生も後半に近付くにつれ、幼年期と同様、身近な自然に再び関心を持つのも、創造主への回帰なのかも知れません。
 本課は「宇宙の一体性」が課題となっています。各自が日頃から関心を寄せ、意識する対象に、やがて似て来ること、また両者が次第に一体化するようになることがポイントです。私達の周囲にある自然の営みから全てを学ぶことが出来ることを本文では述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落299

299 Man's law of discrimination and judgment is non-existent in creation. We are told that the sun shines on the just and unjust alike. And while differences are many in the human mind - in the Creator's consciousness all are necessary parts that make up the Cosmos. And without each part the Cosmos would not be complete. The principle difference between man and his creator is that the Creator understands the purpose of creation and finds no fault with it, while the sense man not understanding consciousness, the real part of himself, lives the mental side of life. Thus he finds fault with the Creator's creation and brings about unpleasant conditions for himself. But when man makes the blend and lives the whole life he will know the purpose of creation, no longer using the law of discrimination which caused the unpleasant conditions.
299 人間の差別と裁きのならわしは創造の中には非存在のものです。私達は太陽は正しい者にも不正な者にも等しく輝くと教えられて来ました。また、人間の心にとっては多くの相違が見えるのですが、創造主の意識の中では全てが宇宙を造り上げる上で必要な部品なのです。そして、これらの部品無しには、宇宙は完全なものとはならないでしょう。人と創造主の間の最も重要な違いは創造主は創造の目的を理解し、それに何らの誤りを見い出さない一方、感覚人は自分自身の真の部分である意識を理解せず、生命の内の心の側を生きているのです。こうして彼は創造主の創造作用にけちを見つけ出し、自分自身に不愉快な状態をもたらしています。しかし、人が融合を達成し全ての生命を生きるようになる時、彼はもはやその不愉快な状況をもたらした差別のならわしを用いることをせず、創造の目的を知るようになるでしょう。


【解説】
 差別や裁きは心の働きであると、本文では改めて述べています。多くの場合、各自の心が自分自身を基準として、劣っている者、醜い者、つまりは自分の感覚にとって見下すべき者に対して、断罪すると同時に、自分自身の優越性を確認する傾向があるということです。しかし、少し考えれば、それらには個別の事情があり、その状況に至っていることが分かります。その根本的な事情を一新出来れば、その結果は全く異なるものになる筈です。また、一方では美しいと感じるものに余りの憧憬を捧げるのも、どうかと思います。「星の王子さま」のバラの花の話では、わがままなバラに王子さまは翻弄される様子が書かれておりますように、美しいものを崇拝することにも問題があるということです。
 私達は、まず身の回りに広がる世界を、自分の所有物でなく、全ては創造主からの借り物、一時的に授けられたものと見るべきでしょう。自分自身も含めて、この世に自分のものなど、存在しないとしたら、そもそも良い悪いの批評すらすべきではないことが分かります。全ては創造主が用意してくれたものということになれば、私達はただ、有り難く活用させて戴くだけです。
 自分の身体自体も私達感覚心の思うようにはならないものです。その中で父の意志を継いで、身の回りの万物をその本来の輝きを助け、この世界の調和を図ることが、このような環境を授けられた人間の義務だと言えるでしょう。その際にその調和の妨げになっているのが、こうした人間の差別や裁きの感情なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 言い換えれば、物事の原因、物質を寄せ集める非物質的なパワーは常に生き生きし、若さのままですが、それが物質に表現され形有るものになった後、その形有るものには老化が避けられません。つまり、一定程度の寿命があるということです。もちろん、その役目を終えた個体は再び、何らかの形で生まれ変わって、再び新しい生命が吹き込まれることになることでしょう。
 ここでその形あるものは進化を遂げることに注意したいものです。ダーウィンの進化論にあるようにそこには環境に適応する等の進化が生じるということです。
 一方、これら生命体の生みの親である意識は常に最高の状態を維持しており、老いることは無いと本文は言っています。毎日のように生まれでる生命体の躍動感を見れば、その源泉は常に活発で、魅力に満ちていることが伺えます。私達はいつもこの生命の源泉である意識に関心を向け、そこからの輝きを自ら表現するよう心掛けるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 偽って伝えられていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。


【解説】
 少し考えれば、「老い」はストレスや悲しみ、苦しみの結果の産物であり、元来、万物に生き生きした躍動の発信者である創造主に老いがある筈もありません。私達はこの永遠に続く生命の息吹きを授け続けている創造主をもっと知ろうとする必要があります。
 同乗記にこの創造主を描いた絵画が宇宙船内にあり、宇宙兄弟達は日頃から、これら創造主の肖像画に親しんでいるという記述があります。若々しい青年のようであったと表現されていますが、まさにそのような存在が創造主であるということでしょう。特に私達人間は創造主の似姿であるとされています。そういう意味では古来より、仏像を刻み、お堂に安置して日々、祈りを捧げるのも、その人間の形をした像を、あたかも仏(創造主)として身を処し、お守りしていることに他なりません。
 大切なことは自然を流れるこれら創造主の意思とも言えるメッセージ(印象)を感受し、それに自分の感性を同調させることによって、もっと身近に創造主を感じるということでしょう。慈愛に満ちた若々しい青年像こそ、創造主の真のイメージだと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。


【解説】
 ここからは神とはどのようなものかについて述べています。私達一人ひとりが被創造物であり、その由来、また日々の生命活動を支えている存在が神、創造主であることは、心の段階では整理されていることでしょう。
 しかし、何故、この一連の講義の流れの中で、改めて創造主をどのように感じるかという問い掛けをしていることに着目しなければならないと私は考えています。つまり、前項で二人の人間が長年一緒に暮らす中で、互いに似て来る話が出ていました。実は、それと同様に、私達は日常的に神、創造主に親しむこと、創造主に関心を向け、可能ならば互いに印象を交流させることで、両者は似て来ることを著者は示唆していると思っています。
 神の似姿が本来の人間の創造目的とされています。それを各自が実現する上でも、神と親しくなる(associateする)ことは、大事なポイントだと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 「花祭り」という仏教由来の春のお祭りがあります。そもそも仏陀が歩いた一歩一歩ごとに花が咲き、蝶が舞ったとされる伝承を起源とするもので多くは、仏陀の誕生日とされる4月に行われる子供達のお祭りです。この場合、仏陀は生きとし生けるもの全てに、慈しみを与え、それらが仏陀に応えたということ、また自然界のこれらのもの達が仏陀をお守りしたということです。
 「リトルブッダ」という映画があります。その中で仏陀が瞑想していると、やがて大雨が降って来ます。すると一匹の大蛇が瞑想する仏陀に近付き、あたかも飲み込もうとするのですが、仏陀は身じろぎもしません。やがてその大蛇は仏陀の頭の上に鎌首を差し出して、仏陀の雨よけになって喜んでいるというシーンがあります。仏陀には自然界の生き物達と融和し、共感共鳴できる能力があったことを示す場面です。
 しかし、このような間柄は直ちにできる訳ではなく、少しずつ養うことだと本文は言っています。自然界の生き物達を同胞と見なし、親しく印象を交流させることで、少しずつではありますが、自然は貴方に応えてくれるようになるのです。近頃、私はこの種の学習教材としてベランダで小規模ながら野菜の栽培を行っています。それらの植物が日々、生長する姿には、本当に圧倒される思いです。毎朝、食卓に上る野菜達も一つ一つがこうした活発な生命活動の賜物であることに改めて気付かされ、「結果」を支えている生き生きした背景があることに驚いた次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%には人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しており、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心がこの段階を認知すれば、他の感覚心との交流、融合が成されます。

【解説】
 生物、無生物によらず自然界の形あるものは心というものの存在割合は1割だと言っています。私達人間のような心はわずかにしかなく、圧倒的に意識が前面に出た活動を行っている訳です。つまりは自分を防御しようとするような心の活動はなく、意識に全面的に従った生活を送っているということです。まさに「心貧しき者は幸いなり」です。
 自然界には目に見えない細菌の類いから巨大動物に至るまで、様々な生命形態があり、相互に依存し合いながら、生き生きとした生態系を構成しています。独り人間だけが、その王国の支配者としてそれら自然を搾取して来ましたが、そろそろそれも立ち行かなくなっているようです。地球規模の気候変動や環境汚染、荒んだ人々の精神状態等にそれが現れています。
 その解決には、先ずは自然界の事物を観察し、それらの生命力を各自で感じることによって、本来は必要な解決策のヒントを授かることができると考えています。その為にも、足下にある各々の生物と交流するすべを身につける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものはその海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。


【解説】
 意識を通して一体化出来ないものは何も無いと言っています。例えば、目を閉じて心を落ち着かせれば、自分の意識が移動する様子がわかります。その意識を距離に関わらず、あらゆる物と一緒になり、寄り添うことで、その対象物のことを理解することが出来ると言っているのです。日本語には「心を寄せる」という表現がありますが、これはそのようなことを指すものと考えられます。
 もちろん、心がその恩恵を授かる為には、意識から与えられる印象を感受し理解しなければなりません。そうなれば身の回りの世界は素晴らしいものに一変するでしょう。このように自在に各自の意識の力を借りて、各自が理解しよう、宇宙の真の姿、自然界の生命の息吹を学ぼうとする時、その人には意識を通じて創造主の支援があることは間違いないことです。
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