2008年05月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落292

292 In other words, I became the part that I wished to understand consciously, by realizing that the part was made by consciousness. For molecules and cells in any form are endowed with consciousness which is the life of the thing. There is not a particle in existence that is not supported by life - or it would not be in existence.
292 言い換えれば、私は私が意識的に理解したいと思う物に対して、その物が意識によって作られていることを実感することで、その一部になったのです。何故なら、如何なる形有るものも分子や細胞にその物の生命である意識が授けられているからです。生命によって支えられていないものは、みじんも無いからです。そうでなければ、それは存在しないでしょう。


【解説】
 自身が対象物と一体化し、その一部になる感覚は、自分の意識が対象物の意識と融合するような状況を言うものと思われます。如何なる物にも意識が授けられており、それと親しむことは同時に様々な知識をも分かち合う関係になることでしょう。
 宇宙兄弟達(ブラザーズ)は精神感応の達人だとされています。このように様々な対象物と容易に一体化することが出来れば、対象物が発している想念や印象の把握等、容易なことと思われます。よく、動物は相手が好意的か危害を加えようとしている者か見分けるとされています。言い換えれば互いに相手が何を考えているかは、この一体化能力を身に付けた者にとって、極めて簡単なことだということでしょう。しかし、私達は決してこのような能力を得たいが為にこの学習を進めるべきではありません。この研究を自ら日々、実践することによって副次的に感受力が高まって行くのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落291

291 This is only one of the experiences I remember from the trip, for the association with all that were on the ship was also a feeling of oneness, never to be forgotten. And this union of sense mind and consciousness included the ship which was carrying us. For the molecules, the conscious entities of my form, became one with the conscious molecules of the ship's form. Yet the geometrical pattern of each form was different, and for a different purpose in the field of effects. But the cause was the same, for each form was serving a cosmic purpose.
291 これはその旅行から思い出す体験の一つに過ぎませんし、その船にいる全てとのつながりは、また、決して忘れることのない一体感でもあったからです。そして感覚心と意識との結合は私達を輸送するその船も含むものでした。何故なら、私の体の意識的実体である分子達は船体の意識ある分子達と一つになったからです。各々の体の幾何学上のパターンは異なり、結果の世界において異なる目的のものではあります。しかし、その因は同一です。各々の体は宇宙的目的に奉仕しているからです。


【解説】
 「一体感」、「一体化」の原理について、本項では良く説明されているように思います。つまり「一体化」とは各々の身体を構成している分子レベルの意識の融合であるということです。或る物との一体感は、実は自分を構成する細胞から更に精緻に深まった分子レベルの段階で、それらが意識的に融合することだとしているのです。
 これについて、最近思うことは、「一体感」なるものは触覚に近いものではないかということです。例えば、自分の身体の中であれば、自分の気持(あるいは意識と表現した方が良いのかも知れません)を、どの部分への移動させることができる筈です。例えば、足指にかゆみが生じたら、「どうしたのかな」と自分の気持をその部分に移動させ、どのような状況か知ろうとします。つまり、その部分の身体の部位からの訴えを聞こうとします。このように自分の身体の範囲内であれば、いつでも、どこでも自分の気持を移動させることが出来ます。これは、言う間でもないことですが、自分の身体がつながっているからに他なりません。これがその作用が触覚的な作用に思える由縁です。更に進めて、自と他の区別を無くすことが出来る程にこの感じを広げられれば、互いに共鳴しあうことも容易になるでしょう。その為には分子レベルでこのことを実現できるような安定した状況を自分の中に造り上げることが重要となる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落290

290 In that frame of mind I became fully aware of the intricate parts of the instruments and their purpose. And I had the feeling of being a part of each part, and felt my purpose of being in cooperation with others. This was so clear, but I cannot find words to illustrate my feeling. It was so definitely impressed upon me that I cannot forget the experience. Even as I speak of it I enjoy the feeling once again.
290 この心持ちの中で、私はその装置類の入り組んだ部品やそれらの目的を完全に分かるようになりました。そして私は個々の一部であるかの気持になり、他と協力するという私の目的を感じました。それはとても明瞭なものでしたが、その時の私の感じを表現する言葉が見当たりません。それは私にそれほどにはっきりと印象付けられましたので、私はその体験を忘れることはできません。そのことを話す時でさえ、再びその感じを味わうほどです。


【解説】
 この土星旅行が従来の「同乗記」で伝えられた宇宙母船とは異なる、より高いレベルの技術で動作するものであったことは、土星旅行記にも記述されている所です。その母船こそ、本課で学ぶべき宇宙の一体性を応用発展させた究極の成果物であった訳です。このような宇宙船が一般的なものであるかは知りませんが、宇宙兄弟達がアダムスキー氏に生命の科学の実践例を体験させる意味も大きかったものと思われます。
 また、ここで注目したいのは、その一体感なるものが鮮やかで、大変心地よいものであったということです。意識と一体化することは、そのような状態を附随させることになります。しかし、一方でこのような気持良さのみを求めることはその本意ではありません。現代化学は薬物を合成し、肉体や心を勝手に満足させる手法も一方では、蔓延しているからです。意識に従うこと、心を意識の中に溶け込ませることによって、自ずとそのような状況が生まれることに注意を払うべきなのです。
 意識との一体感が宇宙船を航行させるほどの潜在力があり、各自の肉体の細胞一つ一つを輝かせるほどのパワーがあることが大切な点です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落289

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.
289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。


【解説】
 土星会議に向かう宇宙船の中で、自分の心が当初、初めて見る船内の珍しい装置類に好奇心が湧いたものの、先ずはその会議への自分の心の準備を優先させる必要性を自覚し、自分の好奇心を抑制した話は、以前述べられました。
 それに対し、帰還の際にそれらの装置類に対し、今度はどのような心の変化があったかをここでは述べています。注目したいのは、その宇宙船内で誰かから詳しい説明を受けたとは言っていないことです。心が直接、意識から説明を受けたと言っている点です。つまり、心が興味本位の浮ついた姿勢を改め、真にその知識を得たいと願う時、心には必要な情報が与えられるということです。本課は意識との一体性について取扱う訳で、今後、より深い内容が語られるものと思われます。
 ちなみに、自然の中で動植物の写真を撮影する時、先ずはその環境、雰囲気と自分とを調和させ、一体化するように心掛けた後、改めて周囲を観察します。そうする中で、多くの人達が見過ごしてしまう、素晴らしい世界に気付くようになるものです。カメラのファインダーを覗きながら、あたかも人間のモデルに対するかのように。虫や花に話し掛けながら、良いポーズをとってもらって、撮るのが、私の撮影のやり方です。対象物に向き合う中で、自ずとそのものの意義や美しさが感じ取れますし、その過程に言葉は必要ありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落288

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON EIGHT
Cosmic Oneness
By GEORGE ADAMSKI

288 In lesson seven we spoke of my experience in the Saturn space ship. And as stated, when I first entered the big ship my mind was attracted to the instruments. But I had to quiet this interest in order to place myself in the realization of conscious awareness that I might be worthy of the primary purpose of this trip. The mind was like a child that wants to ask a lot of questions without listening to the answers. So the sense mind was quieted to listen and not be curious. This was of value for I was ready to listen through the sessions of the Council. But even then the sense mind had questions which I ignored, giving them no expression. So at the end of the Council my mind had no questions, all had been answered.

生命の科学-学習コース
第8課
宇宙的一体
ジョージ アダムスキー著
288 第7課では土星の宇宙船での私の体験についてお話しました。既に述べたように、私が初めてその大型宇宙船に乗り込んだ時、私の心はその装置群に興味を引き付けられてしまいました。しかし、私はこの旅行の大事な目的に値するよう、宇宙意識の実感に身を置く為、この興味を鎮めねばなりませんでした。心は答えに耳を貸さずに多くの質問をしたがる子供のようでした。ですから、感覚心を静め耳を傾けさせて、好奇心を持たせないようにしました。これは価値があり、私がその評議会の会議を通して聞く準備が出来ました。しかし、それでも感覚心は問い掛けて来ましたが、私は無視して、それらに何らの解説を与えませんでした。その為、評議会の終わりには、私の心は何らの質問を起こしませんでした。全ては回答されていたからです。


【解説】
 よく私達は重要な場面に向き合う際、”心を落ち着かせる”行動をとりますが、その意味と類似したことを本項では述べています。私達の表層的な感覚心は”直ぐに結果が欲しく”、その時点の自分の関心にだけ目を向けがちです。まして、これからどのような出来事が待っているか分からない時点では、心は浮ついた状況になりがちです。
 しかし、心を落ち着かせると言っても、「どのように」となると心が落ち着かせる方法が分からなければ、対処のしようはありません。ここで本項に言う”listen(耳を傾ける)”という行動が重要となります。つまり、私の側から、あれこれと疑問を発するのではなく、ひたすら与えられる回答を聞こう、受け入れようとする姿勢がカギとなることを意味します。無言の意識から与えられる指導を漏らさず受け取ろうとするオープンマインド(受容的な心)を保つことにより、自然と心は鎮まり、しかも鋭敏な状態を保つことが出来ると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落287

287 In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 第7課では、真の記憶は感覚心が単に覚えているというような類いのものではなく、実際には各自のもう一つの半身である意識の中に記録されて行くものであること、従って心は意識と融合しなければ真の永続する記憶は得られず、肉体の生死の境に至っては記憶は途絶えてしまうこと等を学びました。
 この記憶こそが各自の人格を構成するものである為、日々の暮らしの中で如何に望ましい体験を積み重ね、より良い記憶を培うかが大切であることは言う間でもありません。
 その意識との一体化について、本課では常日頃、生活を共にする2人の例や船と船長の例が示され、人や物に関わらず各々の内部にある意識同士を融合させることで、互いに結びつくことが出来ることを明らかにしています。つまり、このことは幼児がその持つ玩具で遊ぶ際に、その玩具と一体化し、没入できるように、私達大人も対象物とそれくらい親密になれれば意識レベルの交流ができることを意味しています。私と他人というように各々を区別する感覚がそもそもの誤りであり、全てを同じ創造主から生まれた兄弟達と思うことによって各自の視野が広がり、意識に本来の記憶が記録されるということです。次回からは第8課に入ります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 生物、無生物に関わらず、ある対象と一体感が得られるということは、意識レベルで両者がつながっているということだと思います。私達はある意味、自然界のあらゆる物、神の創造物と言われて来たものと、そのような心持ちを共有できることを願って来た訳で、これまでの学習を通じて、ようやくその一体感というものが、どのような原理で働き、何故私達人間だけが疎外されて来たかが分ったところです。
 また、現象の奥にカギとして存在する「意識」についても、何故、アダムスキー氏が「意識」と表現したのか、おぼろげながら、感じ取られるようになった方も多いのではないかと思います。いずれにしても各自の中には宇宙本源と、かくも容易に繋がる意識があり、それを覆い尽くす無知で、生意気な自我がある訳で、各々が何ら外部に求めなくても、必要なものは自分の中にいつも持っていることに気付く必要があります。
 各対象物との意識の融合はこれまでにない柔和で落ち着いた心の状態をもたらすことから、他の物(者)に与える好影響も無視出来ません。つまりは副次的にも周囲に穏やかさをもたらすことになるのです。このように毎日、調和した生活を送ることによって、これらの効果は皆様の周囲に広がって行くことは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 ここでは真の一体感とはどのようなものであるかを説明しています。この例にあるように船と船長の間には、それが物質との間であっても、融合、一体感が生まれるということです。これは、カメラや車等、各自が大切にしている物についても言えることでしょう。物を大切にするという奥には、その物とも互いに分かり合える、つまり印象を交流できる関係になれるということです。
 本当の意味での一体化とは、ここに述べられているように対象物と自分が何らの区別なく、互いに包み込まれ、自他の区別がない程の感覚になるということでしょう。この感覚は自然界の生物、無生物の間で、ごく普通に抱かれている感覚だとすれば、人間が気付かないだけで、あらゆるもの達が暗黙の内にも、穏やかで幸せな生命を享受していることが分かります。
 各自の自我(エゴ)の心を鎮め、自分自身の意識に耳を傾け、そのアドバイスに従えば、このような世界が広がって来るということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing, but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私が示すものは何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、それは必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 ここでの話はアダムスキー氏が土星の母船に乗船し、土星に向けて航行している時の氏の心境を述べたものと思われます。まだ私達には理解できない原理で航行する最新鋭の船内には、多くの珍しい機器があったものと思われます。これについては最近の日本の宇宙飛行士達も皆楽しげ、活発にスペースシャトルや宇宙ステーション内部を説明する様子がテレビで報道されています。それほどに実は宇宙空間に出ること、宇宙で活動することは心がわくわくする程、楽しいものなのです。
 しかし、今回の旅の目的を考えれば、アダムスキーはこれら目にする物事に気を取られる訳には行かなかったのです。「土星旅行記」に書かれているように、重大な惑星間会議が目的であったからです。その為にも、先ずは自分の精神状態を安定させ、重要な事項を確実に記憶し、自分のものとする必要があり、全ての関心をその一点に集中する必要があった訳です。
 なお、ちなみにこの場合、自我を落ち着かせる為に宇宙兄弟達から特別な注意を受けたとは述べられておりません。自ら進んで自分の半身である意識に融合させたと述べています。この「自分の半身」を信じて任せるということが大事なことで、他の宗教のように教祖や特別のリーダーのアドバイスに身を任せていないことに注意したいものです。生涯にわたって最も信頼できる存在は、各自の内部にある意識であることに気付く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。


【解説】
 アダムスキー氏が1962年3月27日から30日まで土星で開催された「土星会議」に出席したことは、「土星旅行記」(Special Report, My Trip To The Twelve Counsellors Meeting That Place On Saturn March 27-30th, 1962)として発行されています。会議の模様は「土星旅行記」として日本では既に紹介されている所ですが、当時、この太陽系の各惑星の代表者会議が土星で開かれ、これから起る太陽系内の変化や地球への支援内容について話し合われたとされています。
 本文では、この大変重要な会議に向かう途中のアダムスキー氏の内面について正直に語られています。もし、私達が間近に宇宙船に遭遇し宇宙人との会見の機会を得たとしたら、私達の関心はもっぱら宇宙人の乗り物や服装、道具といった事物に大部分の関心が向けられ、肝心の相手が伝えたい事柄や危険を犯して訪問してくれたことへの感謝など、思い浮かばないかも知れません。
 自分が様々な環境に置かれた時、どのような反応を示すのかを観察することは大切です。ある場合は有頂天に、また別の状況ではおどおどする等、自我(エゴ)には落ち着きはありません。このような自我の動きにまどわされることなく、丁度、犬の散歩と同様に前を行くエゴの手綱をゆったり握りながらも、本道を逸れないよう、目的地を見失わず、その動きをコントロールすることが大切だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 本文で言う土星旅行記について、かつて私がエマ・マーチネリ女史から伺った話では、当時、その宇宙船のスピードがあまりに速いことから、アダムスキー支持者の間から疑問の声が上がった際、アダムスキー氏がエマの質問に答えた言葉が伝わっています。アダムスキー氏はその旅行にヒゲそり用のカミソリを持参したと答えました。実際の肉体による宇宙旅行であったことがこれから分かります。
 さて本文のポイントは私達が誰かがその人の思いを書いた文章を読むことは、その人の気持、それを書いた本人の意識状態の跡を辿ることでもあるということでしょう。私を含めて多くの方が既に何度も「同乗記」を読み、あの宇宙船内で繰り広げられている宇宙兄弟の生活振りの素晴らしさを心に染み込ませたに違いありません。このように本を読むことは肉体の目としては活字を認識することではありますが、その一方では視覚を超えた意識のレベルまでその内容を深めて理解しよう、吸収し一体化しようと努めるなら、意識レベルでは著者本人が当時感じた思い等、宇宙の記録に残る内容と一体化し、著者と同じ体験が得られるということだと考えています。
 従って、自分がどのような書物を読むか、どのような映画を見るか、またどのような姿勢、態度でそれに向かうのかは大変大事なことなのです。私達は良くも悪くも影響を受け易いからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落281

281Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢は人にのってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。


【解説】
 良くも悪くも自分の一生は自分が決めているということでしょう。本文では「老い」というものは自分の心が生み出す概念であると断じています。生命の息吹きに鈍感になり、益々積み重なる頑迷自我の重荷やそれがもたらす苦悩に疲れ切った状態が続けば、当然、さすがの肉体細胞も元気を失い、衰弱してくるのは当然です。
 しかし、これは私達地球人が創造された目的とはかけ離れています。なにより生まれたばかりの子供は皆、生き生き活発であり、あらゆるものを受け入れる柔軟性を持っています。それこそが創造主の息吹きということでしょう。木々も四季を通じて実に大きな変化を遂げています。春の芽吹き、夏の繁茂、秋の紅葉、冬の落葉と季節に応じて装いを変え、その間に様々な生き物達とのつながりや相互依存関係を持っていることが分かります。人間の目には落葉は時に寂しい印象を与えますが、他の生き物や木々自身の成長にとって大事な出来事なのでしょう。時には厳しい風雪に耐えながら、季節に応じて木々は成長を続け、年輪として内部にその歩みを記録し続けているのです。
 私達自身がどのような人生を全うするかは、実に私達自身が責任を有しています。創造主の下に戻って永久へと続く進化発展の道を進むか、途中で自ら造り出した、言い訳、脱落の脇道を選ぶか、冷静に考えればどちらの道を選ぶべきかは明らかです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落280

280 So one could begin to practice on the flower first, but do not be disappointed on the first tries, just be more determined to master the art. Remember the old habits will be in your way until you absorb them into better ones. Wherever you go and whatever you see or do make sure that your mind is aware of the cosmic life and intelligence that is back of all creation. And nothing is free of that life and intelligence any more than you are. For the smallest molecule in the cosmos is just as intelligent and alive as any other form and it serves its purpose. Yet your physical sight does not see the molecule, but your conscious sight can. And once you have made this a part of your life, ills that you may have had, of any nature, will vanish when you correct your mental life.
280 そこで最初は花で練習を始めても良いでしょう。しかし、最初の試みでがっかりせず、只、その技能をマスターすることをより深く決心して下さい。古い習慣は貴方がそれらをより良いものに吸収するまでは進路に居続けることを憶えておいて下さい。貴方が何処に行こうとも、貴方が何を見て、何を為そうとも、貴方の心は全ての創造物の背後にある宇宙の生命と知性に気付いていることを確認することです。そして貴方がそうでないように、如何なるものもその生命と知性から離れていないのです。何故なら宇宙の最小の分子でさえ、他のどのような形有るものと同様に知性があり生きていて、その目的に奉仕しているからです。しかしそれでも貴方の肉体の視覚はその分子を見ることはありません。しかし、貴方の意識の視覚はそれが出来ます。そして一度、貴方が貴方の生活でこの部分を達成すれば、貴方が持っていたかも知れない病気というものは、どのような性質のものであれ、貴方の精神生活を修正する時、消滅することでしょう。


【解説】
 植物と意思を通じ合うということはどのようなことか、これまで一連のこの講座を学んで、その原理についてはよく理解できたことと思います。しかし、本文で言うように実際にその成果が出るまでには、幾度となく努力、練習が必要です。また、本文でアダムスキー氏は”master the art”という言葉を用いています。この場合、”art”には「こつ」や「わざ」「技能」という語感があります。つまり、「ある種の心の持ち方」を指しているものと思われます。これは技量(テクニック)に近い内容ですが、重要なのは、それらが第7課になった段階でわずかに述べられているということです。結果を得たいが為にテクニックを身につけようとするのは、実は大変危険だと考えます。
 よく世間では超能力者がもてはやされ、その能力に憧れて、自らその能力を身に付けたいとして努力する人も居るようですが、しかし、これは能力という一つの結果を目指している以上、例えその人が能力を身に付けても、肝心なエゴの改革は為されずに終わってしまい、かえって世の中や自分にとっての害になる可能性もあると考えます。
 私達はむしろ、ゆっくりでも王道を進むべきで、毎日少しずつの進歩であっても、積もり積もれば大きな成果が得られる筈です。何よりも宇宙に流れる意識の活動の一員になることが私達各自の喜びとすることだけは、誰にも譲れないところです。そうなれば自ずと身体の各部も調和して不調和な状況(病気)は消滅することは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落279

279 We know that animals do not talk our language, yet the one who trains them to do the things that they do must have full confidence in himself as well as the animal. The trainer knows that the animal will do what he commands and this is done through a feeling of his expression. In other words they feel each other. And what can be done by a trainer with an animal can be done by you with any form, providing you have the same feeling that the trainer has towards the animals. Once you develop this part of you, you can be sure that you are making the blend with cosmic consciousness, without limitations or divisions of any nature for you are dealing in the Cosmic Sea Of Life. Intelligently you are the master over the elements. This is your birthright for the Bible says that man was given dominion over all things including death, for then man is born into a new life. But you cannot have these things without practice, and practice means living them daily as much as you can.
279 私達は動物達が私達の言語を話さないことは知っていますが、それでも動物をすべきことをするように訓練する者はその動物にと同様に自分自身にも最大限の確信を持たねばなりません。訓練士は自分が命じる事柄をその動物が行うようになることを知っていますし、これは訓練士の表現する際の印象を通じて行われます。言い換えれば、彼らは互いに感じ合えるのです。そして動物に対する訓練士によって為され得ることは、貴方が訓練士が動物達に抱くのと同じ印象を持つならば、貴方は如何なる形在るものに対しても全く同じことができるのです。一度、貴方が貴方のこの部分を発達させれば、貴方は何らの制限や何らの仕切りも無く宇宙意識と融合し始めていることを確信できるでしょう。何故なら貴方は宇宙の生命の海の中を取扱っているからです。知性的に貴方は各元素に対する主人です。これは貴方の生まれながらの権利です。何故なら聖書は人は死をも含む全ての物事に対する支配権を与えられていると述べているからですし、そうなれば人は新しい人生に生まれることになります。しかし、貴方はこれらの事を練習無くしては得ることは出来ませんし、練習とは貴方が力の限りそれらを毎日の生活に活かすことを意味しています。


【解説】
 本文では動物の訓練士における心の在り方について述べています。訓練士自らが表明する声掛けや表情、態度等の表現を行う際の気持(印象)に、その対象動物が自分の意思を分って従ってくれると確信することが大切だと言っているのです。また、一方で注意したいのは、この「確信」は特段、大声を発する等、極端な行為をとるということではなく、静かな信頼関係とも言うべきものだと思います。相手の存在を尊重し、心からの話し掛けが必要だということでしょう。
 本項の良い例に盲導犬があります。目の不自由な方を危険から守り、日常生活を支え、人と犬が交流を深める様子はいつ見ても心打たれるものがあります。両者の間に音声による会話は無くても、十分、互いが信頼し切って生活を共にしているということです。
 同様に自然の中の数多くの動植物とこのような交流が出来るとすれば素晴らしい世界が広がることは間違いありません。サン・テグジュペリの「星の王子様」の中で王子は様々な動植物と会話をしています。また「大切なものは、目に見えない(キツネの言葉)」等、多くのことを教わっています。私達は自然の中の生き物から学ぶことは多いものと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落278

278 Your acts should be, regardless of the type of form, as definite as when you are dealing with man. And no doubt should be present in your feeling or act. Feeling in the form of revelations should be definite for feeling is a conscious state of alertness.
278 その際の貴方の行動は、対象の形有るものの類型に関わらず、貴方が他の人間に対する時と同様に明確なものである必要があります。そして如何なる疑いも貴方の印象感覚や行動に在ってはいけません。印象感覚は意識的な警戒状態であるが故に啓示における印象感覚は明確なものでなければならないのです。


【解説】
 森羅万象あらゆる物に神性が宿り、それを敬い大切にして来たのは、他でもない太古の日本人でした。古い本ですが、「日本文化史序説」西田直二郎著、改造社 昭和7年の「第四講 古代文化の概観その一 神人融合」につぎの記載があります。
 「....『草木咸能言語(ソウモクコトゴトクヨクモノイヒ)』。また天地割判(ワカル)の代、草木言語(モノカタリ)せし時ありとしたのは、古代の日本人が、わが住む世界について考えたこころである。われらの祖先はその四周の山川草木のことごとくから、よく生ける声を聞いたのである。このこころのうちには自然の事象と人間の生命との区分がなお明らかについていない。而してこれはまた神と人との境がいまだに大きく分けられていない状態であった。かかるこころの裡には神はつねに人とともにある。日本古代文化を考えて国家の組織を精神展開の事実として観るとき国家は人の住む国ながら、神の成せる御国であった。....以下略」。また世界の中ではまだ、原始的な暮らしをしている人々の間に自然崇拝の宗教(アミニズム)も、その本源には本書と共通するものがあると言えるでしょう。
 しかし、ここで再び、これら古代の信仰に戻るべきと言っているのではありません。全く逆で、科学的な基礎に立った上で、現代の宇宙時代において各自のインスピレーションに対する感受力を拡大する必要があると本書は言っているのです。
 その場合、各自の内面を拡大するには、その本人がその体験を経ねばならず、他人が自分の体験を述べても本人にその気が無ければ前に進みようはないのです。本文では印象を感じるということは意識的な警戒状態だと言っています。その状況を維持し、心を常に解放、拡大し、心の感知範囲を広げていることが、意識との交流を促進することでしょう。
 また、相手が誰であり、植物でも動物であっても、こちらの気持は相手にも伝わっています。問題は相手からの印象を如何にキャッチするかですが、その秘訣を本文では全く他の人間に対するのと同じように扱うとしています。丁度、幼児が片言の言葉で身の回りのものに話し掛けるのと同様です。イエスが言った「幼子のようにならなければ」という意味も、こうしたポイントを教えていたのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落277

277 Once you have accomplished this, you are not only blending your sense mind with consciousness, but also cultivating a memory. And from here you keep on expanding and include all forms of life by recognizing the cosmic consciousness in each. And you will experience the other half of life which you have not known until this time. As every act is recorded in the cosmic library you will have access to it at any time you will have need for it, the same as the Creator has. This awakened part of you has always been and always will be. The mysteries of life will be replaced by knowledge of life.
277 いったん貴方がこれを達成すれば、貴方は貴方の感覚心を意識に融合させているのみならず、記憶をも育んでいることになるのです。そしてここからは貴方は広がり続け、各々に宇宙意識を認識することによって全ての生き物をも包括するようになります。そしてこれまで知らなかったもう半分の生活を体験することでしょう。あらゆる行為が宇宙の図書館に記録されており、貴方は創造主がなさるのと同様に、必要な時に何時でもそれを利用することができることでしょう。貴方のこの覚醒した部分はこれまでいつも、そしてこれからも常にそうあることでしょう。生命の神秘はこうして生命の知識に置き換えられるのです。


【解説】
 ここで大切なのは身の回りの動植物と心を通わせるという、ある意味誰にでも出来うる行為を通じて、私達は宇宙の記憶を培い、自身を成長させることが出来るということです。敢えて難解な宗教書の古典や哲学者の著作を読む必要はないと本文は示唆しているのです。つまり、自然、宇宙が私達一人ひとりの家庭教師なのです。
 また、身近な動植物に接することを通じて、これまで見落とされていた自身の半身、意識を育成することが出来ると言っています。ここでのポイントは観察する相手が花や虫、何であれ、その相手を私達自身と同じ立場の知性ある存在として接することだと私は思っています。相手と交流するためには、先ずは相手を認め、心を開くことが何によらず重要だからです。身の回りのもの全てが皆、等しく同じ創造主を父とする兄弟達であることを認識し、互いに印象を交換できるようになれば、もはや私達には何らそれ以上、必要となるものはないことでしょう。
 かつてアッシジの聖フランチェスコは小鳥と会話をしたという話は、聖人の逸話として伝えられていますが、実は聖フランチェスコも本書で言う自身の心を意識に融合させ、自身を宇宙い広げて行く過程であったのかも知れません。このことを考える時、私達は身近にかくも豊かな環境が整えられ、本来はこの上ない恵まれた存在であると思うのは私だけではないと思います。それまでの持ち物全てを捨て去って、文字通り無一物を貫いた聖人が見ていた世界は実は本書でいう宇宙意識の大変豊かな世界であったのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落276

276 We have used the flower for everyone loves beautiful flowers. And if the love for it is equal to the love that one has for himself and he acknowledges its intelligence as firmly as he would of another person, with the same feeling, the flower will respond. And this can be observed if it is asked to turn its face from one side to the other. For it will follow your instructions as it follows the Sun. But you must remember at all times that you are consciously talking to an intelligent form.
276 私達は花を誰もが美しい花を愛することから用いて来ました。そしてもし、花に対する愛情が自分自身への愛情と等しければ、そして花の知性を他の人物に抱く感じと同じくらい確信し認めるなら、その花は応答することでしょう。そしてこのことは、片側からもう一方へ花の向きを変えるように求められば、そのように観察されるでしょう。その花はそれが太陽に従うように貴方の指図に従うようになるからです。しかし、常に憶えておかなければならないのは、貴方は何時も一つの知性ある形に話し掛けているということです。


【解説】
 花や虫達と気持の交流が出来れば、この世は素晴らしい世界になることでしょう。私達はこの地球の上にあって、数多くの創造物に囲まれて暮らしています。中でも花や昆虫達は誰の周囲にも存在し、多くの方が普段から接していることでしょう。
 しかし、私達はこれらを単にその形状や色彩、香りで判断し、評価しているだけで、その花が持つ生命力という本来の知性には気付いていません。花瓶に入れられた花のつぼみが、既にその根から切り離されているにも拘わらず、成長を続け、やがて大輪の花を咲かせることに驚いた方もあるのではと思います。それほど、花は例えその茎で切り離されてもその本来の使命を果たそうと精一杯の努力を続けるのです。おそらく同様の趣旨かと思いますが、坂村真民が次の詩を残しています。「何が一番いいか 花が一番いい 花のどこがいいか 信じて咲くのがいい。」 その花の知性と交流する手法が本文では述べられているのです。
 植物との会話ということでは、米国の植物育種家、ルーサー・バーバンクも同様な実践をした方だと思われます。私もかつて米国Santa Rosa市にある記念館を訪ねたことがあります。詳しいことは憶えておりませんが、そこでルーサー・バーバンクがかつて使用していた作業用の机やメモの類いを見せてもらった際、記念館の係員がルーサー・バーバンクはあまり系統的な作業記録を残さなかったと言っていたことを記憶しています。彼が何千という植物の芽から的確に目的の品種を選んでいたことは今日まで多くの逸話が残っている通りです。これらの手法は彼のやり方が直感的であったとされて来ましたが、その背景には彼が自在に植物と会話をしていたからに他なりません。特段、記録をつけて、その系統が優れているか自分の心で考えなくても、的確な応えを植物自身から彼は得ていたということでしょう。身近にある植物や虫達を自分と同じ知性体であることを認めれば、それらと心を通じ合えると本文では言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落275

275 Do not become too absorbed with labels as they may confuse you. Do not expect the same kind of reaction as you have been accustomed to from the mental side. For when you become aware of the life of a flower you will also be aware of the intelligence that produced the effect. The flower will not speak to you in sounds you are accustomed to but it will react to you as intelligence speaking to intelligence. And all forms can be addressed in the same manner, for you will not be recognizing the form alone, but the intelligence manifesting through the form.
275 レッテルにはあまり没頭しないようにして下さい。それらは貴方を混乱させるかも知れないからです。また、感覚心からの反応に馴れて来たのと同じ種類の反応を期待してはいけません。何故なら貴方が一つの花の生命に気付く時、貴方はまた、その結果(訳注:花)を造り出した知性について気付くようになるからです。その花は貴方に貴方が馴れ親しんだ音で話し掛けることはないでしょうが、知性が知性に話し掛けるように貴方に反応することでしょう。そしてすべての形有るものはこれと同様なやり方で呼び掛けることができます。何故なら貴方は形のみを認識しているのではなく、その形を通して具現している知性を認識しているからです。


【解説】
 これまで人間が自然界を見て行って来たことは、各々の特徴を観察し、似たもの同士をグループにし、共通する特徴を集約しながら、個々に固有の名前をつけて来ました。いわゆる分類学です。このため、未だに何処そこで新種が見つかった等のニュースが流れます。これら分類の起源は、人に名前をつける権限を神が与えた太古に遡りますが、本文ではこのような既存の分類にとらわれず、現物、そのものを良く観よと言っているのです。
 また、自然界にある植物その他の対象物に対して、話し掛ける場合に従来の感覚表現の形式で相手から返事が来る訳ではないとも言っています。全ては対象と私との内部の知性同士の会話、印象の交換であることを示唆しています。あらゆる創造物に対して、自己の内部の知性から働きかけることによって、互いに意思疎通、即ち会話が出来ると言っているのです。各自の感覚心で表層の形を見ると同時に、内面ではこのような印象のやり取りを行うことが大切だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落274

274 And how is this done? It is no different than memorizing things while in school or elsewhere, and is done with repetition until you are sure that it is well impressed upon the sense mind. When this is done you will never forget. But this should be done in the Cosmic Allness, and can be done by seeing with Cosmic Sight or God's eyes.
274 そしてこれはどのようにして成されるのでしょうか?それは物事を学校かその他で覚えるのと何ら変わるものではなく、貴方が感覚心に十分印象づけたと確信するまで繰り返すことで果たされます。これが実行された後、貴方は決して忘れることはないでしょう。しかし、これは宇宙的調和の中で成されるべきであり、宇宙の目、神の目で見ることによって成され得るのです。


【解説】
 宇宙的記憶を育むにはどうすれば良いかについて本文は述べています。即ち、記憶に残すには学校での学習と同様、繰り返し憶えようと努力することだと明言しています。
 私達は何か特別な行を積めば、ある瞬間に特別な目覚めが起きて、瞬時に事が進むと思いがちですが、本文からわかるように現実はそうではないように思います。毎日の繰り返しがその人の人格や能力を作り上げて行くということです。また、この場合、自分でこのことを憶えておこうと決心し、心に刻みつける努力を何度も行い、確かに記憶したと心に確信するという一連の行為(努力)をして初めて、心に記憶される訳で、まずは自らこの体験を憶えておこうとすることが重要だと言っています。
 今頃(5月のはじめ)は丁度、木々の若葉が美しい季節となりましたが、今朝も通勤途中の歩道のケヤキの若葉が朝日に輝き、木々がまさに生きているという実感が湧きました。一見では身動きしない大木ですが、季節の節目にはその活発な行動力を見ることができます。これら木々が吸収する有害ガスや放出する酸素、その他の恵み、夏には木陰を作り、冬には陽光を与えるケヤキの街路樹から、生命の姿の美しさを感じない訳には行きません。こうした印象に残る日常の風景もきちんと自分の心に留め、当時どのような印象を受け、どのような心境になったかを記憶に留めることも、本文で言う訓練の一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落273

273 You may say here, but I am conscious. That is partially true for if you were not you would not be alive. But are you conscious of cosmic consciousness as the Creator whom we call God is ? For this conscious intelligence is aware not only of the cosmos but all the created effects. In other words its records consist of cause and effects. And if we are to fulfill the purpose of our creation we must cultivate the other half of our life which is cosmic consciousness. For this in turn brings life eternal with all of its records.
273 貴方は自分には意識があると言うかも知れません。それは部分的には真実です。何故なら意識が無ければ生きてはいないからです。しかし、私達が神と呼ぶ創造主が意識している程に宇宙意識を意識していますか?何故ならこの意識の知性は宇宙のみならず全ての創造された結果物を知覚しているからです。別の言葉で言えば、その諸記録は因と結果物を含んでいるのです。そしてもし私達が創造された目的を満たそうとするなら、宇宙意識である私達のもう一方の半身を育まねばなりません。こうすることがひいてはそのすべての記録を携えた永遠の生命をもたらすことになるのです。


【解説】
 この生命の科学の一連の講座において最も大切な概念としてこの「意識(consciousness)」が揚げられます。著者アダムスキー氏が伝えたかったこの「意識」という概念について、私達はもっと深く考える必要があるように思います。
 あるものの存在を常に心の中に実感し、絶えず気にとめる状態を「○○を意識する」と表現しますし、救急隊が急病で倒れた者に対して「意識があるか」を確認する時は”目覚めているか”、或いは身体全体を統率する一連の頭脳活動は確保されているかといった意味で日本語では用いられています。そう考えると、本文にあるように、「私には意識がある(I am conscious)」という意味も、これと同様に”感覚反応を受け取れる識別能力や知覚能力がある”という意味合いであり、日本語の場合と同様な語感があることが分かります。
 しかし、私達が日常的に持っている意識は、創造主の持つ意識とは比べようもなく小さなものに留まっており、その意識を宇宙の意識まで養成することこそ、究極の精進の目的であると言っているのです。但し、本文では”どうすれば”とか”どのようにして”とあまり解説はしていません。各自の自我の状況は、これまでの生涯の違いから各自異なる背景があり、一口にこうすればとは言えないのです。ただ、私の経験から言えば、日常生活を送る中で、自分の心を動きをチェックし、暴走しないようコントロールする中で、自分の意識する範囲、関心の分野を拡大し、そこから得られる印象を大切にする過程で、自然と印象への感受性が高まるように思います。また、ひとたび自然を大きく包み込んでいる存在に気付いた後は、そのより大きな存在の意志に自分を従わせることが大切なことはこれまでも述べて来た通りです。
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