2008年04月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落272

272 Some may feel I use the word consciousness too often, yet it is this consciousness that is the real you. It is also back of all creation - the primal force - the most important part in a mental life. For the sense mind must remember its experiences if life is to continue, as consciousness is the recorder of all actions in life. If the sense mind does not associate itself with the consciousness its memory is short for it is not eternal. But as we have said before, it can become eternal by blending with consciousness.
272 中には私が意識という言葉をあまりに多く用いていると感じている人もあるかも知れませんが、真実の貴方はこの意識なのです。それはまた全ての創造の背後にあるもの、原動力であり、精神生活において最も重要な部分です。何故なら、感覚心は生命を継続するつもりならその体験を記憶して置かねばなりませんが、意識は生命の全ての行動の記録者なのです。もし、感覚心が意識と仲良くならなければ、その記憶は永続しない為、短いものとなるでしょう。しかし、私達がこれまで申し上げたように、心は意識と混じりあうことで永遠のものになり得るのです。



【解説】
 意識というものが捉えにくいことは良く分かります。また、通常、私達の生活ではもっぱら表層的な心が右往左往しており、私達自身や万物の奥に存在する意識に気が付かないこともあって、私達は容易には意識の存在に気が付かないのです。しかし、少なくても記憶ということについては長期に渡り保持されるのは心にではなく、この意識の中にあると本文で明言されていることに注意したいと思います。私達の価値は各自の人格、才能その他の特徴ですが、その価値の源はその人の記憶ということに行き着く筈です。どのようなことを大切に思って来たか、どのようなことに感動したか等々、丁度著名な画家も若い修業時代には多くの他の画家の作品を研究し、素描訓練も積み重ねたことでしょう。その上で初めて本人の画風を打ち出せるようになるものです。基本となるのは自らの技量の土台はこうした過去の記憶が意識の中に貯えられているからということになります。
 人生のあらゆる分野についても事は同様で、心が自己顕示欲を捨て、意識と仲良く生きられればその記憶の恩恵に浴することも出来ますし、無用な葛藤をせず、楽な生き方が出来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落271

271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness.
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。


【解説】
 目で見ているものがその対象の全てであるとすること、言い換えれば目で確認できればそのものを評価できるとするのは誤っていることを先ず、明らかにしなければなりません。なにしろ、私が見ていると思っているのは単なる自分のレンズを通して映った投影像であり、それは外面的な結果物でしかないからです。この点に対し、イエスはその人生は半分死んでいると称したのです。つまり、私達は目や耳等の感覚器官を窓として、そこから得られる情報で全てを判断し、裁いて来ているのです。そこには、形あるものの内部やその背後に息づく生命の本当の力は反映される筈もなく、ただ自分の見た、聞いた等の感覚器官の性能に依存した人生を送っている姿があります。
 そこでイエスは死者を担いでいる者達も、実は死者も同然だと言ったのです。自分の中の意識を対象のそれと一体化し、形有るものの内部に宿る生命力と同調しない限り、本来の人生を送っているとは言えないと言っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落270

270 Jesus made the statement, ye have eyes yet see not, and also, the blind lead the blind. Yes, we do have eyes, as your home has windows. And the windows would say if they could speak, through me the forest is pictured. And if I became a mirror I would reflect the forest, but not its life.
270 イエスは、汝は目を持っているが見ていない、また盲人が盲人を導くようなものだと発言(訳注:マタイ15:14)しています。確かに、私達は皆さんの家に窓があるように目を持っています。そして、その窓がもし話すことができたとしたら、私を通してその森が見えるのだと言うことでしょう。そして、もし、私が鏡になったとすれば、私はその森を映すでしょうが、その生命までは映すことはありません。


【解説】
 私達の目の機能は、良く知られているように水晶体レンズで網膜上に投影された画像を感光体が受信し、その「信号」を脳でイメージに構築するといった原理になっています。もちろんその為、レンズが曇ったり、感光体の細胞が可能な眼圧その他で損傷すればその機能は損なわれます。
 しかし、私達が実際、見ている、言い換えれば勝手に見ていると思っているのは、実は脳の中で再構成された感覚器官がつくり出したイメージから勝手に思っているのかも知れません。
 実際には目は人体が外界の光を受けるために設けられた窓に過ぎません。また、その家の中に結ぶ像は単なる投影した2次元の像でしかなく、私達の感覚器官の巧妙なカラクリにより、あたかも実態を把握しているかの錯覚に陥っているということでしょう。言わばバーチャル(仮想)の世界であり、当然、窓からの情報は例えどのような優れた素材を用いても限られたものになることは良く分かります。
 一歩、その家(自我)の限界を知り、家の外に出て、かつて家の中から見ていた景色を再度眺める時、私達はより広大な空と大地の下、もっと生き生きした姿、生命の活動がそこにあることが分かります。また、ひとたび、窓からは決して見えない物事が現にあり、生命を支えていることを知れば、再び家の中に戻った後に窓から見る景色は随分、変わったものになるものと考えています。
 なお、本文の中で「盲人が盲人を導くようなもの」の意味することはこのような解説を提供する者にとっては、大変重い言葉と受け止めています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落269

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS
We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.
269 神の目、即ち意識
 私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。


【解説】
 実際、本文で言う「神の目」で見るということは、従来の私達の目で見るという概念とは異なるものかも知れません。見える物の背景にある要因に気付く、或いは感じるようになるというのが正直なところかと思います。本文では神はacts(行動)を見ていると言っています。つまり、私達が日々、刻々どのような生活振りを送っているかをじっと見ているということであり、私達は常に神から見られていると思うべきです。
 同様な意味を持つと思われるものに、チベット仏教の寺院の高楼に描かれている巨大な目の絵はこうした神が私達をいつも見守っていることを示すシンボルだとされています。
 また、一方では人間の額に目を描く事例もありますが、これも本文で言う従来の肉体の2つの目の他に、意識と一体化した結果、見えるようになる人間の能力を象徴するものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落268

268 The marriage of the sense mind and consciousness has been referred to as The Lion and The Lamb lying down together. And when this takes place one is on the way to Eternity, and the Book of Remembrance will be opened unto you as promised in Revelations.
268 感覚心と意識の結婚は共に横たわるライオンと小羊の関係として引用されてきました。そしてこのことが起る時、人は永遠へと続く道の上にあり、ヨハネの黙示録に約束されているように記憶の書が貴方に明かされることでしょう。


【解説】
 本文では心と意識の融合を両者の結婚と表現しています。また、「ライオンと小羊」の絵もカトリックではよく引用される例えです。なお、この場合、ライオンはイエスを、小羊は迷える者を意味しているとされています。
 とかく私達は心が意識に吸収され、「無」になるような状態を想像しがちですが、そうではなく、両者はその絵のように各々両立するということに注意が必要です。もちろん、心は広大な能力を持つ意識に寄り添うことでより深い知識を得ますが、同時に意識もその意向を人間の諸活動を通じて現実世界に反映させることができることに注目しなければなりません。意識が例えどのような素晴らしいアイデアを持ち、それを表明したとしても、そのメッセージを受け止め、内容を理解し、実現に向けて行動する人間が存在しなければ意識の望む世界は実現しないからです。
 互いに相手を尊重し、信頼することが結婚生活の基本ですが、それと同様に、まずは心が以後、それこそ永遠に連れ添うことになる意識に対して、これまで以上の信頼を寄せることが大切です。また一方が片方に全てを依存するのではなく、自ら相手の助けになる事柄を進んで手助けすることも望まれます。私達の心も意識から常に何かをもらおうとするのではなく、意識の為に何が出来るのかを考えることも必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落267

267 To cultivate eternal memory and become the likeness of God or The Supreme Consciousness, one will have to live it and with it as he does with his life mate or partner. Not thinking of self alone but the other as well, thus blending the two to create a harmonious union. For this is what must be done to blend the sense mind with consciousness. And when it is done the individual will represent God as he was meant to do, in the first place. As a man and wife represent each other, and the memory of their first meeting and all acts from there on are quite permanent and they enjoy life together.
267 永遠の記憶を培い、そして神、即ち至上なる意識の似姿になる為には、人は生涯の友人やパートナーに対するようにそのことを生き、それと共に生きなければなりません。自分のことのみを考えるのではなく、もう一つの存在を考え、この2者を融合して調和的な融合体を造り上げることです。何故なら、これは感覚心を意識に融合させる為に成さねばならないことだからです。そしてこれが成された時には、各人ははじめに意図されたように、神を表現するようになるでしょう。男と妻が互いを表わすように、また彼らの最初の出会いとそれからの全ての行動の記憶が完全に永遠となり、二人が生活をいっしょに楽しむのです。


【解説】
 自分にとって大切な存在は絶えず自分の近くに置きたいものです。カトリックでは修道女を「神と結婚する」と表現し、以後の人生において常に神と生活を共にするという、本文と類似した表現をしています。
 結果の世界、古来から続く歪んだ社会の中で生きる私達は、たとえ本人が真の道に進もうと努力してもそれを妨げるような出来事も数多く起るのはある意味、仕方のないことです。その時、自分の内部に相談できる存在、意見を求められる存在を持っていることが大切だと考えます。
 その為にも、人生の航路の先に何が起ろうとも、絶大な信頼を置ける宇宙意識とのパイプを大切にし、その交流さえ確保していれば、他に何も必要なものはありません。ひとたび、この自分にとって大切な存在を自覚できれば、後は私達の心を常にその創造主と結果の世界に現れた諸々の創造物への関心を高めて、自分が一つの創造物として何を実現させたら良いのかと心を開くことだけで、答えはまもなくやって来ることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落266

266 One should not be in a hurry to cultivate cosmic memory, for impatience will cause a misapplication of the law. Always remember that consciousness is eternal. Therefore it is not going anywhere, so it is not in a hurry, for in itself it is all inclusive. And by remembering this one will avoid many mistakes.
266 人は宇宙的記憶を培うのに急いではいけません。何故なら、短気は法則の誤用をもたらすからです。常に意識は永遠であることを思い出して下さい。ですから、それは何処に行ってしまうことはなく、急いではいません。何故なら、それ自身の中に全てが含まれているからです。そしてこのことを覚えていることによって、人は多くの過ちを避けることが出来ます。


【解説】
 時には人生を振り返って見るのも良いものです。本文で言う宇宙的記憶はとにかくとして、遠い昔に体験した何がしかの事柄の断片は各自、思い出されることでしょう。とりわけ、雨や風等、特異な自然現象、旅先で見た印象的な風景等、私達の自我が記憶を保持出来ないと言っても、そのいくつかは残っているものです。
 これらの物事を体験した当時から、何十年と経過し、もはやその時点に戻ることはありません。それは結果の世界、移り往く世界の出来事だからです。しかし、それを見つめる私達の本性は、その時から継続しているのです。つまり、極端に言えば、物質的な結果の世界はとにかくとして、内面性のみが、時間を超えて受け継がれるということでしょう。
 このように記憶というものが各自の人格を構成して行く訳ですが、本文ではそれを獲得しようと急いではいけないと言っています。記憶の深い、浅いは如何にその体験に感動したかによって決まるでしょうし、歩み始めさえすれば、文字通り時間は永遠に続く訳で、バランス良く少しずつ自分の理解力を拡げながら過ごせと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落265

265 Consciousness is the father and the mother of all form creation which conceives and gives birth to the various forms. And within it is the blue print or memory which is ever present that can be reviewed for conformation at any time when the need may arise. But the sense mind cannot do this alone, there must be the combination of the two. For as we know, the sense mind learns from effects and now it must understand the cause producing the effect. The effect is the fulfillment of a cause and the sense mind might not execute it exactly as the cause mind intended it to be, so through misinterpretation a mistake could take place. And this is where the Law Of Grace enters and through this law the sense mind has a chance to realize and correct its mistake. And corrected it must be before progress can be made. And it must be made in behalf of consciousness and not the sense mind. In this way the sense mind is made to do what the better self wants it to do. If this is not done a slight memory might remain but it will be distorted.
265 意識は受胎し様々な形有るものに誕生を授ける全ての形有るものの創造の父であり母です。そしてその中には必要が生じた時に何時でも一致するか吟味できるよう常に出して置かれる青写真もしくは記憶が入っています。しかし、感覚心はこれを一人では出来ません。二者の組合せが必要なのです。何故なら、ご存知のように感覚心は結果から学ぶ者ですが、今や、その結果をつくり出している因を理解しなければならないからです。結果は一つの因の成就です。感覚心は因の心が意図したようには実行しないかも知れません。そこに誤った解釈を通じて間違いが生じるのです。そしてそこに恩寵の法則が入り、この法則を通じて感覚心はその誤りに気付いて改める機会を得るのです。そして進化を遂げるにはその修正を終えていなければなりません。また、その修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません。このようにして感覚心はより良い自己がそうしたいと思うことをするようにさせられます。これがなされなければ、わずかな記憶が残ったにしてもいずれは歪められて行くことでしょう。


【解説】
 ここで注目すべきポイントは、「修正は意識の為に行われなければならず、感覚心の為に成されるべきではありません」ということです。従来は、自分の過ちは自分自身の向上の為、正すことだと思って来ましたが、著者アダムスキーは「意識の為に」自分の過ちを修正せよと言っています。逆に言えば、それ程に自分の心を小さくして全てを意識の為に奉仕することを言っているのです。
 また、ここで「恩寵の法則」(the Law Of Grace)について触れられていますが、これに関連して、広く親しまれている賛美歌の一つ、Amazing graceが思い出されます。ご存知の方も多いかと思いますが、作詞者ジョン・ニュートンはイギリス人で18世紀に生きた人です。やがて当時盛んに行われていた奴隷貿易に携わるようになります。その後、彼が22才の時、自分が船長であった船が嵐に遭遇しました。転覆しそうになる船の中で彼は一心に神に祈りました。その後、船は奇跡的に危機を脱します。この体験の後、ジョン・ニュートンは船を降り、牧師になった後に生まれたのが、この賛美歌と言われています。

Amazing Grace! How sweet the sound 驚くべき恵みよ(なんと甘い響き)
That saved a wretch like me!     神は私のような罪深き者も救われた
I once was lost, but now I'm found,  私は見失われたが今見い出されたのだ
Was blind, but now I see.       私は何も見えていなかったが今は見える

なお、上記の訳語は下記を参照しました。
http://www.ffortune.net/calen/xmas/songs/amazinggrace.htm

 この歌詞には、自らの死を目前に自分がこれまで犯して来た誤りを悔いる中で、作者が神の恩寵の暖かさを痛感し改心した率直な感謝の気持が込められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落264

264 While we have used two individuals in close association with each other, this can take place where many are represented by one when using the same pattern. This shows that the consciousness whom we call God, is the all inclusive. And as two people are able to become as one through association and even resemble each other, just so, an individual can become one with, and resemble God, when he thinks in terms of God instead of the ego. Yet he retains his individuality, the difference is that his sense mind has blended with conscious consciousness that we call God. The sense mind is able to perform its normal duty as it did in the past but it is aware of the consciousness that gives it power and intelligence to act wisely in the world of effects. The mind will then feel as Jesus felt when He said, I of Myself do nothing, but the Father that worketh through Me does all of the work. This is cosmic consciousness.
264 私達は互いに親密な二人を例にしていましたが、このことは多人数が同じパターンを使用する場合についても一人に代表されるところに起り得ます。これは私達が神と呼ぶ意識は全てを包含することを意味しています。そして二人の人間が交際を通じて一体となり、互いに似て来るまでになるように、丁度そのように各自も自我への代わりに神について考えていれば神と一体になり、神に似て来るのです。しかしそれでもなお、自分の個性を保持しており、違いは自分の感覚心が私達が神と呼ぶ意識的な意識と融合しているということです。感覚心はこれまで同様、通常の任務を実行できますが、その者に結果の世界で賢く行動する為のパワーと知性を与える意識について気付いています。心はその後イエスがこう言った時のように感じることでしょう。私自身は何も成していない、父が私を通じて全ての仕事を成したもうのだ。これが意識的な意識です。


【解説】
 二人の人間の場合も、人と創造主との関係の場合も同じです。私達がこれまでして来たような自己への関心を創造主に向け直すことで、私達は創造主に似て来るということです。その究極が私達が創造主の意向を100%実現でき、イエスのように言えるまでになることです。ウェイン・ダイヤーも講演の中で私達はあまりにも自己に関心を集中しすぎていると述べており、賢者が指摘する真理は何時の時代も同じです。普段、どのような対象を気にかけているのかが重要だと言っているのです。
 しかし、これを大変難儀なこと、厳しい修業を経ることによることでしか到底実現しないと思うべきではありません。その証拠に、自然界にある人間を除く生き物は全てこの心境に達しているように見えますし、毎日毎日を必要な任務を全うし、例えどんな困難な結果世界の環境にあっても楽しげに自分の仕事を全うしている自然の生き物達は、本文で言うその者を通じた創造主が働く状況を作り出しているからです。四国巡礼で多くの人達が「同行二人」という言葉を記したものを身につけるとされていますが、「いつも弘法大師と一緒」というこの言葉も本文と近い内容を指す意味を持っていると考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落263

263 A good example of this can be found in two people who decide to join together for life. Each is an individual with habits in his or her way of life, yet after years of life together they not only take on each others habits but they start to look alike. All because they have become aware of one another as though they were one. Even pets, such as dogs and cats etc., oftimes take on the personality of the master. So we can see that a constant reminder or association becomes an automatic manifestation of the other, where effort is no longer required for the form operates on memory pattern. The most important thing to realize is that the pattern remodeled the personality of the form in likeness of itself. It could be said that the original person is no more as he was, but another has taken his place. For one has absorbed the other and the two become as one.
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。


【解説】
 私達の心がこれからの人生を意識と共に生きようとする時、どのようなことが起るかを示したのが本文です。
 即ち、夫婦の例えのように、相手を信頼し、生活を共にすれば次第にその性格も似て来ると言っています。つまり、私達が心の中で絶えず意識を信頼し、またコミュニケーションとも言うべき会話(印象の伝達と感受)が出来るようになれば、私達は創造主の似姿になれると言っているのです。
 また、一方で、このような心の変貌は各自の人格をも変えることをも指摘しています。悪い例で言えば「マインドコントロール」による人間の隷属化手法となりますが、良い方向に応用できれば人間本来の道に向けて各自の一大変革をもたらすことになります。日常的にどのような心境で刻々の時間を過ごすのか、何に自分を同調させているのかが問われていることに私達は早い段階で気付かなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落262

262 This particular phase of life is a major part to be learned and it should not be very hard when the sense mind begins to live with the consciousness instead of acting on its own as it has been doing. And results will be outstanding when the two live as one. This may seem to be a repetition of what has been said before, but repetition becomes a memory.
262 特にこの段階の生活は学習する上での主要な部分であり、感覚の心がこれまでして来たように自分自身が確保しているものを前提として行動する代わりに、意識と共に生き始める時には、過度に行うべきではありません。そしてその両者(訳注:意識と心)が一体となって生活する時、効果は傑出したものになるでしょう。このことはこれまで述べられたことの繰り返しのように見えるかも知れませんが、繰り返すことが記憶になるのです。


【解説】
 心がかつてのように自分自身の凝り固まった意見や自らが築いてきた拠り所と称する結果を頼みとせず、自身の奥に居る静かで暖かい意識とともに人生を生きて行くことが、学び本来の姿だと言っています。言い替えれば、これまで述べられて来たことのエッセンスがこの言葉に集約されているということです。
 私達はこれまで何の目的でこの講座を学んで来たのかについて、各自もう一度振り返る必要もあるように思います。自分の心を本来の位置に戻す為、矯正する為にこれまで学んで来た訳ですから、本項に記載された内容は極めて重要です。少しずつの実践を通して心をより低く、柔軟なものにし、意識のアドバイスを進んで受け入れること、心の中で考え出すのではなく、意識からの指導の声に従うことが最も的確であり、私達創造物のあるべき姿なのです。その結果として身体が健康になったり、事業が進展したりするということです。本末転倒というように、結果である御利益を求めるのは正反対の態度であると言うべきです。
 また、一時に過大に努力しても良い結果は得られない、即ち少しずつ、休まぬ取組が必要だと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落261

261 In order to obtain a cosmic concept of life all that is necessary is an expansion of the mental conscious awareness. And in this way you become more alert to your actions in both fields. It could be compared to being in a plane or on a high building, for then you become aware of things below as well as above you. You are using the same sense mind, only your field of awareness has expanded. When you are able to do this regardless of where you may be there is no limit to how far you can go in connecting with conscious memories that could reveal many past experiences. And in this way find your true self and live in the sea of eternity.
261 生命の宇宙的概念を得る為に必要となるもの全ては心による意識的な知覚の拡大です。そしてこの方法によって貴方は両者(訳注:因と結果)の分野における貴方の行動についてより多く気付くようになります。それは平原や高い建物の上に居る場合と対比することができます。何故ならその時、貴方は貴方の上空でのものと同時に眼下の物事をも気付くようになるからです。貴方は只、貴方の知覚範囲が広がっただけで、同じ感覚心を用いているのです。貴方がこのことをどこに居るかに関わらず出来るようになれば、多くの過去の体験を呼び起こすことができる意識的記憶に接続する為、如何に遠くに貴方が行こうとも制限はなくなります。そしてこのようにして、貴方の真の自己を見つけて、永遠の海の中で生きて欲しいのです。


【解説】
 「目に見えない意識に融合せよ」とか「意識の指導に従うことです」といくら言葉で唱えても、それを実現する為にどのようにすべきかを示さなければ、効果は上がりません。ここでは具体的にどのように心掛ければ宇宙的な生命感が得られるかを述べています。本文では比較的簡潔に私達の心の知覚範囲を広げることだと言っていますが、私はこのことは大変重要な意味を示唆していると思っています。
 つまり、心の知覚できる範囲とはレーダーと相似させて考えて良いと思います。自分の心がレーダーが周囲を探知すべく、パラボラが回転している状況が本文の「alert」(警戒)の持つ語感です。そしてそのレーダー画面に見える範囲が本人の心の知覚範囲です。感度が鈍く性能が劣るレーダーはごく近くの大きなものしか把握できませんが、性能を高めて行けば、より遠くの、即ち未だ実現していないが現実化に向けて進行中の物事等のより繊細な存在に気づけるのと同様です。優れたレーダーがあれば暗闇の中でも不安もなく人生航路を進むことが出来る訳です。
 このように心の知覚範囲を拡大することは各自の心の持ち様で少しずつであっても実行できると思います。日常歩いている時も、机に向かっている時も自分の心を文字通り広げ、印象に対する感受性を高めようとすることは、十分個人の努力でできる範囲だと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落260

260 We must train the mind to daily recognize a certain amount of cosmic life and this can be done through two phases. One, by someone who is very good at reading Cosmic Records. And the other, by allowing your consciousness to give the revelation to your own sense mind. But to do this your mind must have trust in consciousness. You will know when you have blended the two, for then you will be living in full awareness of cosmic cause and the related effects. i.e. Since I have had the experiences with the Brothers I have been living in two phases of life. One, as I used to live performing my daily duties in a normal manner, but enjoying life more than I did before. While at the same time consciously aware of my experiences and of the individuals that I have met from other worlds. The experiences are as indelible upon my memory as my daily activities.
260 私達は毎日、心を宇宙的生活を幾分でも知覚するように訓練しなければなりませんし、これは2つの面から成すことができます。一つは宇宙的記録を読み取ることがとても上手い人物による方法。他は貴方の意識に貴方自身の感覚の心に啓示を与えることを許すことです。しかし、これを行うには貴方の心が意識を信頼しなければなりません。貴方はその2者が何時融合したかは分かるでしょう。何故ならその時、貴方は宇宙の因とそれに関連した結果の完全な知覚の元に生きているからです。即ち、宇宙の兄弟達との体験を持ってからは、私は二つの生命の面で生きています。一つは私がこれまで生きて来たもので普段通りに私の日常の義務を行い、しかも以前より以上に生活を楽しんでいます。一方、同時に、私自身の体験や私が会った他の世界から来た人物達について意識的に気付いているというものです。その体験は私の日常活動と同様、私の記憶に消えることはありません。


【解説】
 ここでのポイントの一つは「毎日少しずつでも宇宙的な生活を自分の心で感じられるよう訓練すること」であるように思います。私達地球人は太古からの歪んだ生き方がこびりついており、一つ一つ洗い流して行かなければなりません。一挙に飛躍することを望むよりは、一歩一歩階段を昇る方がかえって早道だということです。
 もう一つは、本文ではいわゆる能力者(霊能者)とも言うべき教師の下で体験を積むことについてもその一方法であると述べていることです。そこで注意したいのは、原文で「someone who is very good at reading」とある中に、世に言う霊能者は確かに過去の記録を読み取る能力においては優れているものの、そのことと霊能者本人の人格性とは別のものであるという語意が感ぜられることです。これまで、多くの能力者が尊敬され、ある時には教祖として奉られて来ましたが、能力者は単に宇宙にある記録の書を読み取る能力に優れているだけのことだと言っているように思われます。
 こうした宇宙生活に目覚めると私達の生活にどのような変化が起るのか、本文で言う宇宙的なものと現実の生活が混然一体となった新しい充実した毎日になることだけは確かなようです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本文では意識を信頼することと「faith」と表現していることに先ずは注意していただきたいと思います。従来、とかく「faith」を「信念」と翻訳されるケースが多かったのですが、その持つ語感は原文とは異なっています。何故なら「信念」とはどちらかと言うと「自己の内面に抱く自らの考え、自分の信じている事柄を外部から如何なる妨害があっても守り通す」といった意味合いで用いられているからです。一方、本文で言う「faith」は違います。それは「窓枠である心がその部屋の奥深く窓越しに見ている自己の本体(意識)を信頼して無抵抗の態度をとり、そことの融合(一体感)を保つよう努力すること」を語感として持っています。意識への信頼を「faith」としているのです。
 こうなると具体的に私達は感覚ごとに、このような訓練が必要になるように思います。視覚、聴覚、味覚、嗅覚。これらの間には美しい、醜い、美味しい、まずい、心地よい、気味悪い等々、様々な感覚による表層的な判断があり、各々のランク付けも行っています。これらは感覚の差別行為(裁き)でしかありません。各々を落ち着かせて、自身の内部にある意識にありのままを伝えるだけの存在に徹することが必要だとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去の関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 仏陀と並んでイエスほど、この地球の精神性に影響を与えた人物はおりません。そのイエスの秘密が本節で述べられています。即ち、感覚の心を意識に融合させることが出来ていたイエスは多くの真理を人々に教えることが出来たのです。また、それほどに時代の潮流を把握し、人々がこれから生きるに当って必要な概念を平易な言葉で人々に伝えて行ったということでしょう。
 誰でも自らの心を意識に融合させれば、その人、本来の生き方が始まり、必要な知識は意識に収蔵された記憶から容易に取り出されることになります。「みどり子のようにならなければ」とイエスは言っていますが、それも自らの心を素直にし、意識に従わせたイエス自身の体験を述べていることが分かります。
 誰でも最初から聖人になる訳ではありません。一つ一つの訓練、学習を通じて未熟な自己の心を育成し、自らの意志でその両親である意識の下に立ち戻り、再び一家が融合することによってのみ、達成されます。その為には、一歩一歩、家に帰る道程を進むことが必要です。「精進」とはこのような事例を指すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落257

257 Let us consider the meaning of this. Man has two souls, the soul of the sense mind, and the soul of consciousness. It is the sense mind that can be slain by lack of memory caused by adhering only to the so-called concrete effects. We can now see that memory is essential in order to have life eternal.
257 この持つ意味を考えて見ましょう。人には二つの魂があります。感覚の心の魂と意識のそれです。いわゆる具体的な結果にのみ追従することで記憶の喪失により滅ぼされ得るのはその感覚の心です。私達は今や記憶が生活を永遠に保つ為に不可欠であることは分っています。


【解説】
 ここでは人間の魂(Soul)、即ち精神的な活動主体は意識と心、2つあると言っています。この内、最も手近にあり、未熟なまま各自の行動を支配しているのが心ということになります。しかし、その心もそれ自身のこれまで歩んで来た道程等、その背景を覚えていなければ、常にゼロからの出発となることは容易に分かります。心が自らの体験を記憶できない、あるいは忘れやすいことが進歩を妨げる要因になっていることは明らかです。極端な場合、本人にはそれまでの記憶は残っていませんので、別人、別人格として再出発するということになり、かつての自分は取り戻せない残念な結果になります。
 そこで重要なのは、自分自身の培って来た知識や経験を生かせる様、記憶しておくことになりますが、特に記憶すべき事柄は意識とのつながりに関するものです。本人の意識に関する体験はその人のその後に大きな影響を与える重要なものです。また、UFOの目撃体験も印象深いものになる筈です。
 私達は単調な日常生活よりは旅行に出かけた際に見聞きした事柄の方が記憶に残るようです。これは旅行中は見るもの聞くもの心にとっては物珍しいことが多く、心が興味を持ってあたりを見回している為に、敏感になっていることが原因と思われます。心が関心をもって周囲を観察し、印象を得ようとアンテナの感度を高めていることが記憶の定着を促すものとなっているのです。漫然と日常を過ごすのではなく、目に見えない尊い存在に絶えず敬意を払いそこから与えられ続けている価値ある印象を数多く受ければ、それだけ本人の心の記憶も深まります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落256

256 So you can see that if the mind does not blend with the consciousness it can be lost in the sea of life. That is why great teachers such as Jesus have stressed, fear not that man that slays the body but the man who slays the soul.
256 ですから貴方には、心が意識と融合しなければ心は人生の海の中で迷子になり得ることが分かるでしょう。それがイエスのような偉大な教師が強調したこと、肉を切る者を恐れるな魂を切る者を恐れよの理由です。


【解説】
 意識の中に記憶が残り、自然が持つ膨大な知識が意識の中に備わっています。その意識に溶け込み、一体にならなければその知識に触れることは出来ません。人生の中で自分を見失っている多くの私達は、言わば迷子の状態で、意識(両親)の元を探してはいるものの未だ自分の居る場所も本来の家の在り処も分からない状況にあります。
 そこに関心を惹く情報を見せびらかしながら近付き、誤った方角に誘い出す者にこそ、注意しなければなりません。本文ではイエスの「魂を切る者」を引用しています。即ち、人々の迷いを深くしたり、道をはずさせる行為は、最も戒められなければなりません。
 一方で、私達が迷いの途上にあることは各宗教の教義で指摘される通りなのですが、そこから救われる為に最も大事なことは、宇宙にあまねく遍在する意識という無言で目に見えない存在に私達は常に囲まれている一方で、その意識を既存の感覚では知覚できないばかりに、その存在に気付かず、創造物の中で唯一、孤独な生活を送り続けているのが私達の現状だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落255

255 I have had a number of such experiences with others. But it is sometimes difficult to convey to the present individual ego, mind its past experiences and relationships. That is unless the mind of the individual blends with the consciousness of his own being, the all inclusive. This is not easy to do for most people dwell in the field of effects which they call concrete facts. Yet we know that behind each effect is the cause which is not as apparent as the effect.
255 私は他の人々についての数多くの同様な体験事例を持っています。しかし時として現状の各自のエゴの心にその過去の体験やつながりを伝えることは難しいものです。それは各自の心が全ての内包者である自分自身の意識と融合しなければ為し得ないからです。これは確固たる事実と称する結果の分野に居住する大多数の人々にとっては容易なことではありません。しかし、それでも私達は個々の結果の背景にはその結果物のようには明らかとなっていない因なるものがあることを知っています。


【解説】
 この分野の学習は通常の知識の蓄積と同様の手法ではうまく進みません。何分つかみ所の無い心や意識というものを研究の対象としているからです。特に自分が納得しない段階で先に読み進むことはお勧めできません。各章各節で本当は何が重要なのかを一日、少しずつ考えて行くことが望ましいと考えています。
 特に過去生の話になると受け入れられる人も少ないのかも知れません。しかし、単純に証拠が無いからというだけで何事をも拒絶することは心が既に末期症状になっている証しなのです。私達は基本的にあらゆる可能性を察知するオープンマインドが要求されています。
 もちろん、基本は現在を生きることであり、仮に過去生で業績があったとしても、それらは過去にそっと置いておくべきでしょう。問題は各自がそうした過去で学んだ事柄について何らの記憶が無く、現在の生活にそれを生かせないでいるということです。意識と融合することは、膨大な知識、技能、能力が各自に流れ込んで来ることを意味しますが、それと同時に、自分というものがどのような人生を送って来た者であるかを知り、自分本来の役割というものにも気付かせてくれるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落254

254 Yet another person who has alined himself with cosmic consciousness can locate the identity of an individual whose identity is lost to his present ego mind.
254 しかし自身を宇宙意識に従わせた別の人物はそのエゴの心には見失われている自己の正体を指し示すことができます。


【解説】
 自分が何たるかを知らず、自分がこれまで何を行って来たかを覚えていない大多数の私達は、言わば自分を見失っているということです。見失っている状態の対極を示す言葉が、本文で示されている「locate」という言葉です。意味は「自分の位置を指し示す」或いは積極的に「位置を占める」「場所を設定する」という語感を持っています。
 根無し草のように時々の風に吹き流されて水面を移動するような、結果に翻弄される人生であってはなりません。しっかり基盤に根拠を置いた上で、成長することが、自分の位置を占める存在になる訳です。その為にも、自身を意識に従わせることが必要なのです。本文の「alined」は丁度、学校の生徒達が整列するように、自身が自分の前にいる意識に従って(つまり、意識が右に動けば自分も右に、前に進めば自分も前に進むように)絶えず自分を前に居る意識に従わせることを意味しています。
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