2008年01月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落223

223 Here is an example of grouped cells. First we will use the ones associated with the mind. The mind is alerted to take on food due to past habits for the body needs fuel. But as stated before, the mind does not know what is to be done with the food when it enters the body. But there is a group that does know, and while the mind is entertaining itself with something else this group goes on with its work. I have used this example for years in lectures and class work, but it illustrates very well, so I will use it again. Once the food enters your body the intelligence independent of the mind goes to work on it. We will class these workers in four groups, each working in behalf of the other.
223 ここで群れになった諸細胞の例をお話しましょう。最初は心に関係した細胞群を取り上げたいと思います。心は過去の習慣の結果、食物を摂取するよう絶えず注意を払っています。肉体が燃料を必要とするからです。しかし、以前述べたように心は食物が肉体に入った後、その食物に何が起るかについては知っていないのです。それでも知る集団が居て、心が何か他のことで楽しんでいる間に、この集団がその仕事に従事します。私はこの例えを講演や教室での講義で何年も使って来ましたが、それでもこの一例は大変よく問題を表わしている為、再び用いることにします。ひとたび食物があなたの体内に入るや、心から独立した知性がその食物に対して働きます。私達はこれらの働き手を各々が他の為に働らく4つの集団に分類することにします。


【解説】
 私達の心の欲望の大きなものの一つに食欲があります。人間、肉体を維持するためにはもちろん適宜、その材料を摂取する必要があります。しかし、実際には私達の関心は、食物の味が良いか悪いかであり、身体に必要なものであるかどうかまでは考えておりません。またその欲望も胃袋が「もう入らない」という所まで詰め込みたいと思っておりますし、詰め込んだ後は身体の中の誰か別の者に託して、自らは眠りに就くか、他の関心事に興味を移します。食べることに関するこれら一連の私達の日常を見れば、本項で言う「心に関連した細胞群」」についての実像が分かると思います。
 一方、現代人の生活習慣病の大半がこの「食べる」ことに関連しています。体重管理は自分の食へのコントロールが基本です。カロリーの他、塩分や油分の摂取を抑えることが健全な食生活の基本ですが、それも心の構成要素とされる感覚器官の言うなりにならない姿勢が拠り所となります。食という最も身近な行為の中にも問題の本質が秘められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落222

222 In the first part of the lessons we mentioned group cells that are related to the mind and take orders from the mind. 90% of the other cells take orders from the consciousness. Yet they can all be made to take orders from the consciousness, which they must do eventually if the ego is to survive.
222 教科の最初の部分で私達は心と関係を持ち、心の指令を取り入れる細胞群について述べました。しかし、90%のその他の細胞は意識からの指令を取り入れています。それでも細胞にすべて意識からの指令を取り入れさせることは可能ですし、それはエゴが生きながらえる為に、最終的にしなければならないことです。


【解説】
 以前にも述べたところですが、スポーツ選手の華麗な演技には目を見張るものがあります。体操やフィギュアスケート等、目も追えないほど次から次ぎへの妙技は人間の身体の可能性を示す良い例です。これらは人間の身体細胞が高速度に通過する想念の指令に応えている結果です。心が意識に従えば、このように肉体を最高レベルの表現まで高めることが出来るということです。
 本文では人間の肉体の内、10%が心の言いなりになって日常を支配しているとしています。具体的な部位は不明ですが、各種の神経系統等、心の意志を伝達する細胞やそれに基づいて活動する範囲等も含まれているものと思われます。人体には依然として未知なことが山積しています。とりわけ心と肉体のつながり等、外側からの科学的手法では捉えきれない面も多い訳で、何より自分の心も研究対象として学習して行くことが本講座の本質だと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落221

221 But if the new thoughts are going to have the results that we desire they must be given top priority and not mixed with opposite thoughts. For this creates a conflict in the body and the results are anything but good. It is not going to be easy to maintain such thoughts at first, but determination will accomplish the desired results.
221 しかし、もし新しい想念が私達が望む結果を得るという為には、それらの新しい想念は最大限の優先順位を与えられ、対立する想念と混ぜられることがあってはなりません。何故なら、こうすることは体内に葛藤を造り出し、その結果は良いものとは決してならないからです。最初の内はこのように想念を保つことは簡単ではありませんが、決意は望ましい結果を達成することでしょう。


【解説】
 例え新しいアイデアが心に湧いたとしても、それから十分な成果を得るためには、そのアイデアに基づいた行動が必要なことは言う間でもありません。また、心の中でも旧来の想念の傾向と相容れないものがあれば、心の中でその浮かんだアイデアを保持することさえ難しいものです。
 ここで、アダムスキーはその新しいアイデアに最大限の優先権を与え、他の古びた想念との対立や心の中の争い(迷い)を消散させるよう強調しています。昔から「心ひとつに」という言葉がありますが、心の中に多くを溜め込まず、言い換えれば「心を貧しく」して、唯一、自分が取り入れるべき想念のみを大事に保持することが大切だと言っているのです。
 もちろん、雑念も同時に心に立入らせてはなりません。ある意味、その想念を中心に据えることではじめてその想念本来の力が発現するということでしょう。よく芸術家は制作途中では、作品を前に自我を没入させて、自分のアイデアを投影した作品に仕上げますが、これと同様に、若さとはこうした想念の集中力をも意味します。わずかの間でも精神の活発な活動は密度の高い時間を過ごさせますし、これらの体験も肉体の若返りに必要な要素なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落220

220 The masters of the ages taught one cosmic principle - As A Man Thinketh So Is He. We can now see how the people on planet Venus maintain a long and useful life. For they are constantly thinking in terms of newness. And a form 500 years old, of our time, looks youthful and in the prime of life. While here on earth we look older at 40 than they do at 700 years. But we are thinking in terms of age and are governed by habits that are thousands of years old. And you cannot feel young by wearing an old cloak for it will have an influence upon you. An old dress or suit, even though made of very good material, will make you feel old everytime you put it on. So will the old thoughts. We know that new clothing makes us feel younger, and so will new thoughts when we have them continuously.
220 各時代の指導者達は皆、一つの宇宙原理を教えました。人は思った通りの者になるのです。私達は今や金星の人々はどのようにして長く有意義な人生を保っているのかを知ることができます。何故なら彼らは常に新しさの視点で物事を考えているからです。その結果、私達の時間で言う500才の肉体も若々しく生命の全盛期にあるように見えます。一方、ここ地球では私達は40才ですら、彼らが700才で見せる以上に年老いて見えるのです。それでも私達は年令で物事を考え、何千年も古い習慣に支配されています。ですからあなたは古い外套を着ていては若さを感じることはできません。それがあなたに影響を与えるからです。とても良い材質で出来ていたとしても、古いドレスや服はそれを着る度にあなたに古い感じを起こさせることでしょう。ですから、古い想念も同様です。私達は新しい衣服があなたを若々しく感じさせることを知っていますし、新しい想念も私達が常に保つならばそれと同様となります。


【解説】
 身につける想念を常に新しいものに保つことの大切さを述べています。
 人はその取り入れている想念の通りになる訳で、新しい想念を保つことが若さを保つことにもなるのです。しかし、現在の私達の社会は個々の人間の状況に関わらず、「年令」で全てが規程されています。会社勤めの場合にはある年令に達したら退職となり、代わりに年金が支給され、老後の生活を始めるように指導されます。
 反省材料として、私達自身があまりにも年令に囚われて生きているということもその背景にあると思われます。常に新しさを求め、古くなった概念を捨て去ることも重要です。それには、まず、何が自分を支配している古い考えかを洗い出し、それらの有益/無益を判定し、不要なものを捨て去ることが必要となるかも知れません。いわゆる身辺整理を常に行って古い不要なものを捨てることで、心の中にもスペースが出来るものです。
 新しさを取り入れる為には、自身を身軽にすることも大切だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落219

219 Now let us observe how different types of thoughts manifest. If an angry thought enters the mind the facial expression changes to represent the anger. And if a happy thought is present it expresses, etc., etc. It is no different than a sculptor who molds out of clay a thought that he has in mind. So a thought whatever it may represent is like the sculptor for it molds the facial expression to represent itself. So we as intelligent beings desiring youthful, healthy, well proportioned bodies should always have that type of thought for it will mold the body according to its pattern. And a thought of newness especially along cosmic lines is important if the body is to maintain youthfulness.
219 それでは如何に様々な想念が体現するかを観察することにしましょう。もし怒りの想念が心に入り込むと、顔の表情は怒りを表わす為に変化します。また、楽しい想念が居合わせた場合にはそれはそれこれの表情を表わします。それは彫刻家が心の中で抱く想念を土からかたどるのと違いはありません。ですから想念がどのようなものを表わすにせよ、彫刻家のようなものです。それ自身を表現する顔の表情をかたどるからです。ですから若く、健康で良く調和した肉体を望む知性的存在である私達は常にその種の想念を持つ必要があります。何故なら想念はその想念パターンに従って肉体をかたどるからです。そして特に宇宙的分野に沿っての新規性ある想念は肉体が若さを保つ為には重要です。


【解説】
 このように想念が人間の表情をはじめとして大きな影響を与えることは自分自身の例からも良く分かります。しかし、一歩下がって、人以外の自然界にある者はどうでしょうか。いつも感じることは野生動物達は決して世をはかなんだり、自暴自棄になったりせず、淡々と自らの環境を受け入れ、その環境の中で楽しんでいるということです。
 池のコイは寒い季節はじっと池底で春の来る日を待っていますし、水が多少なりとも暖まれば餌を求めて動き回ります。彼らは自分達にあてがわれた池が狭いことや水が汚いと不平を訴えることはありません。また、網に捕獲され人の食用に切り裂かれる直前には、「まな板のコイ」として自らの運命を観念します。一方、昆虫の世界に目を置けば、多くの者が1年という短い生涯を過ごしますが、生きている時間が短いからといって、創造主に不平を言ったり前途を悲観して安易にクモの巣に身を投げ出したりはしません。例え最後は羽がボロボロになっても花の蜜を吸い、与えられた命を精一杯生きています。
 このように考えると彼らの中に流れている想念は常に明るく楽しいもの、感謝に満ちたものであるように思われます。実際には人間以外の全ての創造物はそのような明るい想念を維持しており、一人人間だけが迷いの世界にうろついているということでしょう。
 毎日昇る黄金色の太陽は、この太陽系の万物に等しく力強く生命を謳歌せよというメッセージを放っているように思います。ちなみにヨガの中には太陽礼拝のポーズというものがありますが、古代の人々が生命の象徴、命の再生の証しとして日の出の太陽を敬っていた気持がこの動作を行うことによってよく分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落218

218 Let me clear the point of man being a thought. To create a form like that of man or any other, whatever is responsible for creating the form had to have a thought pattern of the form before it could be created. Man is a thinking being, for if he did not think he would not be what he is as thought is the motivating force of his being. He has to think before he can walk or eat and no matter what he does he has to have a thought as a director. And these thoughts come to him either as a combination of past experiences, associations with others, or as cosmic impressions.
218 人が想念であるという要点について明確にして置きましょう。人あるいは他のどのような物でも形を造り出す為には何者がその責務を担っているにせよ、それが創造される前にその形についての想念パターンを持たねばなりません。人は考える存在です。何故なら想念がその存在の原動力である故に、もし考えることをしなければ、人は自分が自分であることがなくなることでしょう。人は歩くにせよ、食べるにせよ、その前に考えなければなりませんし、如何なることをするにしても想念を指揮者にしなければなりません。そしてこれらの諸想念は過去の体験や他との結合として、あるいは宇宙的印象類としてその者のところにやって来ます。


【解説】
 「人間は考える葦である」という言葉が伝えられている通り、何を考えるか、考えているかが本人を決めるということです。言い換えれば刻々、どのような想念を取り入れるか、どのような想念を発するかについては大変、重要な意味を持っていることを意味します。世間の常識では行動に移さなければどのような想念を抱こうと、罪に問われることはありません。どのような残虐なゲームでもそれが仮想の世界なら問題視されることはないのです。しかし、想念こそが自分自身であるということは、そのような想念を抱くことこそが大きな問題だと言わねばなりません。暴力が横行する社会、殺戮の争いが続く世界に現代の地球が進んでいるように思うのは私一人ばかりではないと思います。実は、その大きな背景の一つに映画やコンピューターゲーム等を通じて若者の心に野蛮な想念が吹き込まれていることがあると考えています。
 ですから、日々の生活の中で、自分がどのような想念を取り込んでいるかについては、よほど注意しておかなければなりません。毎日、心に取り入れる想念こそがその人の人格を造り上げるからです。
 同様なことは他の多くの賢人達も指摘しています。ウェイン・ダイヤーやジェームス・アレン等、人が抱く想念の重要性を繰り返し指摘しています。つまりは人間の価値はその肉体にあるのではなく、その抱く想念にあるということで、その想念を磨くことこそが大事だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落217

217 Newness is youth as well as progress. And there is some evidence today of the effect that newness has on society. For we can observe increasingly large numbers of people who do not show their age as they did in the past because in these days of scientific discovery something new is brought to their attention almost daily. Whether they understand or not the effects are there. Since man is nothing but a thought in action, any new thought, especially of cosmic nature, will have an effect upon his body.
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。


【解説】
 かつては人生50年と言われた時代もありますが、今日では平均寿命も80才を越えてやがては90に届こうという時代になりました。これも本項でいう文明の進歩、日々の発見の賜物であるということでしょう。
 私達がこの生命の科学を学ぶ主目的が健康維持とか若返りとするものではありませんが、少なくとも先輩である宇宙兄弟達が驚くほどの若さを保っていることを考えれば、進歩するにつれて身体の老化は防げることが良くわかります。
 自らが取り入れる想念によって肉体は大きな影響を受けます。自身を構成する60兆もの細胞の全てが主人である心が発する想念に否応無しに影響を受けることでしょう。マイナスの想念が発せられた場合には、大混乱を来しますし、本来の活動は抑制されます。一方、プラスの想念の場合には、各細胞は疲れを感じることなく喜んで驚くほど活発な活動を維持するものと思われます。しかし、何度もマイナスの想念で痛めつけられていてはさすがの細胞も遂には活動を継続できなくなる訳です。言い換えれば、私達の心を自身の細胞の活動の邪魔をしないようにしなければならないということです。
 新しさは一方では私達が陥りやすい惰性を排除することでもあります。身の回りを見渡して、常に課題を整理し、未着手の問題に取組むことも、本項でいる「新しさ」に属する取組の一つと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 昨年、日本の月探査衛星「かぐや」が月の周回飛行を達成し、月面上空を周回する際の鮮明な映像が公開されました。まさに、未知なる世界の探究心を掻き立てるのが宇宙探検です。本項でいる現状に甘んじることなく、常に探究心を持って新しいものに挑戦することが人々の意識に大きな効果をもたらすことは、この「かぐや」の飛行映像を見れば良く分かります。宇宙への進出は大きな意義がある訳で、今後もこの方向で進んで行って欲しいものです。
 さて、日常生活においては、各自、昨日とは異なる何かひとつでも新しいことに取組む必要性については、前回述べたところです。ここでは、かつて新聞で読んだ横尾忠則氏が「こころの玉手箱」(2006年8月25日、日本経済新聞)で書かれた画家デ・キリコに関する論評(「自由自在なスタイル 魂の解放」)を以下に紹介しましょう。
 「(中略) デ・キリコのいさぎよさというか捨て身の精神は評価の定まった自作を惜しげもなく捨てて、まるで画学生のように過去の巨匠の名作の模写などを始めるところだ。成功した人間のやるべき態度ではないが、ここんところがなんといっても凄いのである。一度評価されればその上にあぐらをかいて金太郎飴みたいに記号化された作品ばかり描き続けている画家に比べると、デ・キリコのスケールの大きさはピカソに匹敵するか、場合によってはそれ以上であろう。彼の自由自在さは思考や魂の解放度によるものと思う。小さい自我の世界に閉じこもっている以上、あれほどの仕事はできない。一度ローマのキリコの家を訪ねたことがある。その時アトリエに立て掛けてあったイーゼルの裏に『自分以外の力の助けを信じる』というような意味の言葉が書かれていた。どうやら、デ・キリコの秘密がここにあるように思えた。それ以来ぼくもできるだけ小さい『私』に固執せず見えざる助力者の存在を信じることにした。」
 偉大なる芸術家は皆、創造主に寄り添ってカンバスに向っているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落215

215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not.
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。


【解説】
 本課では「新しさ」の重要性を学ぶことになっています。ここでは「新しさ」に対峙するものとして「古来からの因習」や「日常習慣」の問題が指摘されています。通常、私達は安住の道を選びます。その方が楽であり、とりたてて苦労することは無いというのが私達の基本的傾向です。それが今日の問題の元凶であると本稿は指摘しているのです。
 逆に言うと「新技術」や「新製品」などの物質面の「新しさ」は大歓迎である一方で、各自の日常生活についてはある程度パターン化され、各自平日はどのような生活時間、土日はどのような過ごし方になるかはほとんど決まっているということもあるでしょう。特に年令を重ねるにつれて、この生活のルーチン化は定着して行き、遂には「10年ひと昔」というように毎日、何らの新鮮さを体験しないまま時を過ごすことが多くなるのが、地球の現実です。
 しかし、これらの習慣に流れる生活は、最も危険な状況であることに気付く必要があります。中高年の肥満、「生活習慣病」は言葉の印象としては、重病であるというイメージはありませんが、実は糖尿病や動脈硬化等の致命的な病に直結しています。一日の過ごし方、生活の仕方が翌日の自分自身に大きな影響を与える訳で、努めて習慣を排除する、分かりやすく言えば、毎日、何が昨日と違った生活内容となっているかを自分に問いかけ、一日一日を新鮮に生きる必要があります。私達の心の習慣病にも気付く必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落214

LESSON SIX Newness, The Rejuvenator Of The Mind
214 In lesson five we showed you how the mind can get lost in the jungle of opinions.
第6課 新しさ、すなわち心の若返りの推進役
214 第5課では私達は皆さんに心が意見というジャングルの中で如何にして道に迷ってしまうかを示しました。


【解説】
 私達は様々な思想や宗教、また多くの社会経済理論にさらされた環境の中で生きています。しかし、これらは所詮、人間が造り出した意見に過ぎません。また、次々に自らの心も勝手な理屈を並び立てますので、人の心の中は、これらの意見でいっぱいになり、静かに環境を見詰める余裕はありません。その中で私達のほとんどは思い通りにならない状況を悲しみ、別の生き方を模索はするのですが、それも惰性に流されてやがてその暗闇の世界に安住せざるを得なくなっています。
 しかし、この闇から抜け出る方法についても私達は前課で学んで来ました。特に意識からの指導を受け入れる際には徹底的に素直になり、印象の流れを中断させないことの重要性について何度も述べられて来ました。一方でこのような好ましくない環境の下では、心身共に老化が早まるのは仕方のないことです。本課は心と身体の関連性について明らかにし、新しさや新鮮さが若さの秘訣であることを解説します。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。


【解説】
 「同乗記」には宇宙人達が旅行中に暮らす宇宙船の中に若者の肖像画が掲げられており、彼等は若さを大切にしていることが伝えられています。ともすれば、難解な思想哲学は老人の学問とされがちですが、それは地球だけのことで、宇宙普遍の真理は各自の体内で日々細胞が更新されているように常に若さを保っており、若さを保っていることが真理を掴んでいるバロメーターでもあります。
 この講座で学ぶ事柄は訳知りの知識の蓄積ではなく、各自の日々の心の有り様に関する実務的な訓練であり、各自の生活(生命)に直結した内容です。究極の目的は私達が生きる惑星全体が他惑星と同様に進化の道を歩めるよう、伝えられた知識を自分なりに吸収し応用することです。元来、生命活動は生き生きしたもので、早春に木々の芽吹きが一斉に起るのを見ても分かるように常に更新、再生を繰り返します。宇宙を通じて流れる意識は天地創造の昔から老化することなく、変わらぬ働きを続けています。他方、形あるものには老化はつきものですが、少しでも意識、宇宙の活動を取り込むことで若さを維持したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 第5課のまとめです。私達は心の勝手な意見に振り回され、本来の宇宙からの印象が入り込む余地がない程に密生したジャングルの中で生きています。しかし、これでは暗闇の中を手探りで林立する意見という大木に触れ、またしばしそれに頼って生活しますが、一向に森を抜け出ることはできません。
 一方、よく「無心」で事を成すという表現がありますが、人を除く他の創造物においては心はそれほど増長していません。心に左右されない生き方こそ王道なのです。心の占める割合を小さくして、宇宙から直接やって来る印象(インスピレーション)に従う余地(ゆとり)を常に残しておく必要があります。「心貧しき者は幸いである」、「幼子のようにならなければ天国に入れない」という言葉も、このような素直な心の状態を指すものと思われます。何事も心で考えていたのではスピードも遅いし、雑念も入り込みます。そういう意味では、もっと心を小さく、言い換えれば心を謙虚に保って、心自らは創造主から常に指導を受ける身であることを自覚することが大切です。
 各自、日常生活においてこれを実行する上でどのようにした方がよいかは一概に言えませんが、毎日毎日その方向への少しずつの積み重ねが最終的には揺るぎない良い結果をもたらすことは確かです。感性の高まりや心の状態のレベルアップが日常生活の改善に及ぼす効果は絶大なものがあるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose.
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。


【解説】
 光に対する闇の意味合いは古くから迷いの象徴として言及されて来ました。確かに、あたりが暗い環境は私達の心に不安(恐怖)をもたらします。それほどに私達は目に頼った生活を送っている訳です。しかし、現実の物体は光にさらされていなくても(即ち目に見えなくても)、そこに存在します。事実、自分の体内の各器官は視覚を持たず、闇の中でも着実に所定の働きを続けています。丁度、無味無臭の空気を嗅いだ場合の感覚器官の反応と同様に、本来は視覚だけが「見えない」と指摘するだけの状況にも拘わらず、視覚への依存度が強い為に、主人公である本人全体を混乱に陥れているのです。
 この例え話はそもそも、個人の意見の乱立から生じているとしています。様々な主義主張によって本来の太陽の光は地面に届いていないと言っているのです。言い換えれば様々な主張が乱立している為、それらが繁茂し本来の真理の光を覆っていることを意味しています。現代、世界各地で起っている宗教対立等もその例です。それゆえ、各自は少なくても自分の周囲についてはこれらの思想の木々を整理し、要・不要を明確にさせて、単純化した生き方を進めるべきでしょう。そうすれば、遠からず宇宙本来の意識の印象(光)が暗い足下を照らすことになるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 求めているのは実は自分のもう一つの半身であるというのは、大変重要なポイントです。私達は失敗の原因を外、即ち環境のせいにし、生きる目的もまた、何か外に求めて様々に放蕩して来ました。その都度、街には勧誘の声があり、成功事例を伝える本も多数出回っています。私達はこれまで、それ程に外界に目を向けて来ましたが、これらのいずれもが結局は期待を裏切るものであった訳で、探し求めて来たものは最も近くにあったということです。
 従って、逆の言い方をすれば、外に答えを求めても目的は達せられず、己の内面の隅々を照らすことで真の生きる満足が得られるということでしょう。それにつけても動物達は見ていて、実に満足そうな生活振りです。どのような環境に置かれようとも、日々の生活は楽しさで満たされているように思えるのです。わずかな距離でも喜んで飼い主と散歩に出る時の犬の姿からも満足することの大切さを知ることが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 そもそも心に意識からの印象を受け入れる余地がなくてはなりません。元々、自己主張が強く、それなりに自分で頑張って世の中を渡って来た人達にとって、取りあえず順調に推移している間は、問題も顕在化しないのですが、ひとたび、状況が悪化すると己の限界を過度に考え込んでしまうことになるのではないでしょうか。
 個人的には本稿事例のような状況を明確にイメージすることが出来ませんが、そもそも他人の意見を喜んで受け入れる度量が無くては、エゴに支配される人間に早晩、陥ることでしょう。むしろ、それまでの自分を振り返り、不要なもの、未整理な状況を自ら明らかにして整理する作業が必要だと考えています。いわゆる心の「棚下ろし」作業です。自分の心の状況を左右している要素は何と何であるかを改めて整理すると、意外に悩みの本質的内容は小さいものであることが多いものです。心が勝手に騒いでいたという事例も私自身、数多く体験しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。

【解説】
 自らが長年求めていたものを見つけた場合でも更に迷う者も多いと言っています。その原因は私達の心の怠け癖であり、折角のチャンスもみすみす失ってしまうということは大変、残念なことです。”慣性の法則”に身を委ねていては、所詮、下るだけです。少しでも向上する為には、自ら自分の心を叱咤激励するしか方法は無いでしょう。自らの現状を損なうことを恐れるあまり、冒険したがらないのがエゴの自己保身の特徴です。
 その結果、本当は千載一遇のチャンスであった筈のものが、再び去ってしまうことは悔しいものです。多くの事例では本人は一歩を踏み出すことを躊躇していた為に、その後、何十年も改善の機会を失っているケースもあります。他人から見ると良い機会だと思うのですが、本人の自覚がそこまでに至っていないのです。
 その根本の原因、踏み出せない原因はやはり信頼感、創造主から愛されているという信仰心が十分、内面に育っているかどうかに架かっていると考えています。信頼を何処に置いているのか、移り気の他人に置くのか、万物を貫く宇宙の意識に置いているのかの違いです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 ここでは各自が求めているものの起源の中にはかつて自分が失ったものを穴埋めし、取り戻す為のものも含まれていると指摘しています。人によって求める分野は異なりますが、その本人の志向性には、場合によっては過去生にまで遡る理由がある場合もあると言っています。
 もちろん、求道という側面もあるでしょうし、隠れた才能に気付き育てたいと願う気持もあるでしょう。しかし、強い本人の志向性には過去の人生ともかかわりのある要素も強いということでしょう。一度、しくじった学習テーマに再び巡り会うことは容易ではないと本文では言っています。ですから、できる限りその場で修正への行動をとるべきなのです。
 また、「求めよ、さらば得られん」とされるように、求めていることはいつかは実現することでしょうが、本文に書かれている部分で特に大事なのは、”But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do.”(しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。)という感覚です。
 何もあせる必要は無いのです。それが実現することをひたすら確信し、あとは意識の仕事として意識を信頼するという姿勢が大切だと考えています。これは自然界、一般に言えることで、今どきの季節(冬)にあっては、土や枯葉の下でじっと春の到来を待っている虫達や草花の芽がそれに当るのでは無いでしょうか。
 一方、このような過ちについて最も心が痛む問題は人間同士の関係です。これまでにもUFO・アダムスキー問題には多くの人々が関与され、また去って行きました。私自身、当初熱心であった多くも方が、その後離れて行かれた事例を知っています。その原因の多くは、その時々の会の運営や人間関係、他人を利用した、しない等々、様々でした。原因はどうであれ、結果的にせっかく大切な知識に触れた方がもし、アダムスキーを離れてしまったとしたら、大変残念なことです。会の運営者としても大きな責任があると言えるでしょう。一度、離れた方を再び、引き戻すことは容易ではありません。ある種の拒絶反応から長期間にわたってこの問題への取組みを避けて通りやすいからです。そういう意味では、各グループ活動を主催されている方には、人並み以上の責任があり、常に誠実、柔和、オープンな姿勢が不可欠だと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 「過ち」、即ち「失敗」への対処が重要であるとこれまで述べられて来ました。しかし、実際に失敗した当座は、思うように行かなかった原因を他人のせいにして憤まんをぶつける、或いは自分の能力の不甲斐無さを悲嘆するものです。本文で言う「修正」という行動には容易に移れないのが実状です。また、いやな結果を忘れようと気晴らしに向かうことも多いものです。
 しかし、アダムスキーは厳しくも、その十分な記憶がある内に修正することが大事だと言っています。そうしないと再び、そのテーマを学びとることが難しいと言っているのです。
 一般に、自らの誤りを認めることには勇気が必要です。他人に対する自分のプライドがそれを阻むでしょう。また、私達が結果が全てだと思い込んでいることも、わずか1回の不成功で自分の努力や意志が無駄になったと感じてしまうことも背景にあります。また、特に他人に対する過ち(過失)については、再びその問題に直面することなく、むしろ避けて通りたいものですが、そうした場合、その関連は自分が通りたくない道として断絶(ギャップ)を自ら設定しているようなものとなり、今後の人生を狭くすることにもなるということです。
 私も数少ない経験ですが、何度かトライする内に難しいとされていたハードルも越えることができるようになったケースもあります。後から考えて、成功した時の自分の心の状況、印象への対処行動等、成功の背後には思い当たるポイントもある訳で、この成功体験を大事にして、次回に繋げられればと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 そもそも「過ち」に気付くこと自体が容易ではないと考えています。日常的には、「自分は特段、過ったことはしていない」と考えているのが普通です。もちろん、常識的には当人が暮らしている社会の許容範囲内であれば、どのような過った考え、過った行動を行っていても、自由な行動が許されます。また、ギャンブル等の社会経済の歯車に組み込まれてしまった人生も中にはあるかも知れません。
 しかし、ここでの「過ち」とは更に高度な内容を指すものと思われます。つまり、宇宙意識との関係で貴方は過ちを犯していないかということです。前項(203、204)において意識から来る印象を受けた際の心の在り方について述べられて来ました。その関連においての「過ち」が本稿の主題です。例え意識からの印象を受信できたからと言って、早合点して他人に言いふらしたりしてはならないことは前項で述べられました。意識からの印象は確かに迫力があり、受信した本人が喜びの余り全部の内容が伝えられない間に有らぬ方向に突っ走って、全体のイメージを掴み損ねる結果、かえって他人を傷つける結果もあることを本稿では意味しているものと思われます。
 また、結局は自分の心の有り様や行動について、正しかったかどうかは、常にその結果を良く観察することで判断すべきと言っています。精神レベルの内容については、評価は自分自身でしか出来ません。自分がそのように感じ、そのような行動を執った結果は、その後の様々な状況として顕在化すると考えるべきです。そういう意味では、自身が一番良く結果を評価することが出来る訳です。キリスト教でいう懺悔もこれと同類の意義を持つものと思われます。
 この自身とその環境についての観察と分析評価は、実は大変重要なテーマだと考えています。再三述べて来たように特定の教師を持たない私達が個人でこの講座を学ぶ場合にこの過程が不可欠だからです。「狭き門」と言われるように多くの脇道が眼前には広がっており、導き手の無い時代に生きる私達は過ちに陥ることはごく当然なことです。しかし、過った道に入ってしまったと思ったら、その原因を明確にし、修正すれば再び元の王道に戻れるということです。特に過ちの行動の結果が他人に影響を及ぼした場合には、その相手の立場に立っての修復が必要と述べられておりますが、これが一番難しい。どのように修復すべきかについては、一概に言えませんが、少なくてもある種の負い目は付いて廻ることになるかも知れません。
 いずれにせよ、意識からの印象のパイプを揺るぎないものとして行くことは学習の目的の一つですが、その応用、言い換えれば、行動への適用については、更に自我の制御が必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 余談ですが、このところ毎日、50件ほどのアクセスを戴くようになりました。どのような方がご覧かは存じませんが、ありがたいことです。また、一方ではこの解説文の内容についての真価がますます問われますし、責任も増していると考えています。ご覧戴く方になにがしかの得るところが無くてはなりません。筆者としては地に足の着いたコメントをと毎日パソコン画面と向き合っていますが、この画面を通じて、ご訪問戴いた方、アダムスキーの「生命の科学」を本格的に学びたいと思われる方と意気投合が出来ればと思っています。
 さて本論です。自分のことは良くわからなくても、他人の行動はよくわかります。中にはいろいろなことを教えて上げると言ってくれる方も多いものです。しかし、多くの場合、それは自慢話に終わるものです。つまり、相手の理解程度はどうか、相手の関心はどうかという配慮はすぐに失せて、いわゆる「知ったか振り」で終わってしまうということに注意する必要があるということです。
 特に自分が得た意識からの印象には取り扱いに十分な配慮が必要だと言っています。前項(203)で紹介したように、印象は光景としてもはっきりしたものですが、残念ながらそれが「いつ」現実になるのかについては不明でした。受けた本人はすぐにも現実のものになると思いがちですが、実現には時間が必要の場合もあるということです。意識の世界にはもともと「時間」は無い訳で、私達が思う以上に短時間で達成できてしまうことも多い反面、遠い未来を指し示すものも多いと思われます。従って、折角与えられた意識からの印象、つまり色彩も明瞭で具体的なイメージを受けた場合には、大事に取り扱い、不用意に喋らないことです。いつか自分が体験することになるようなことですので、心に暖めて置く方がよいと思われます。
 アダムスキーは何処かで「右手で知った内容を左手に漏らさない」という趣旨の話をしていたように記憶しています。それほど、多くの事柄を知っていましたが、秘密は守ったということです。とりわけUFO問題は地球の政治・経済の根幹にも関わる大きな問題です。おそらくは自分が地上から去った後の世界の行く末も見通していたものと思われます。今思えば、1952年11月20日アメリカのデザートセンターから始まったアダムスキーの公生涯は、折からの原水爆実験に明け暮れる最中に始まりました。言わば公然と外宇宙からの宇宙船の飛来が挙行され、お蔭で時代は例え、一時期であれ核戦争への道から大きく宇宙科学、宇宙哲学への道へと大きく転換したということです。
 しかし、一人の人間の生涯には限りがある訳で、代々継承される地上の既存勢力と異なり、アダムスキーが伝えた他惑星の生活指針は、各々授けられた者が引き継ぎ、発達させて行かねばなりません。一人で歩む以上、誤りはつきものです。その誤りから何を学び取るかが大事だと本文でも述べられています。出来れば、各自が「自分はかつて、こういう過ちをしたが、そこからこういうことも学んだ」ということも分かち合うべきでしょう。いわゆる「失敗事例」です。その根底には、宇宙には揺るぎなくあらゆる場所で働く絶対真理が貫いており、ある条件を設定すれば必ず同様な結果が発生するという原理と結果の関係があることを意味しています。私達の取り扱う宇宙意識との関係もそのようなものと理解して良いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。



【解説】
 個人的な体験として、わずかですが本文で言うような事例を経験したことがあります。いずれも昔のことなので寝ている間に見た夢であったのかは、詳しいことはよく覚えておりません。しかし、随分年月が経過した後に、「この光景は昔、夢で見たものそっくりだ」と思ったものです。
 いずれも夢の中の印象は色彩を伴ったもので、一つは自動車の色(赤)、一つは電車の色(青緑)でした。簡単に内容を紹介すれば、自動車の例では当時、自室は前に庭があるだけの家でしたし、自動車を持つことなど思いも寄りませんでした。赤い自動車が置いてある筈もないのに何故か自室の前に赤い自動車が置いてある光景が見えたのです。また電車の例については、当時(おそらく私が中学・高校の頃かと思います)はチョコレート色の電車が普通の時代でしたが、ある駅の光景が見え、何故か見たこともない青緑色の電車が高架ホームに止まっているという光景でした。それぞれの印象を得た当時は全く現実とは離れた光景でした。しかし、それから年月が10年、20年を経過した後、不思議なことに結局、かつて夢で見た環境が自分の周囲に実現したという訳です。
 以上の話はとるに足らない話ですが、個人的にはやって来る印象を大切に扱うという例にはなっています。いずれにせよ、やって来る印象を大切にし、その印象に従って、次々に行動できればしめたものかも知れません。よく調子の良い時には、次から次に仕事がはかどるものです。また、一方では悶々としていつまで経っても仕事が進まないという時もあります。その大きな違いは、「エゴの心で考えている」か「エゴを放棄して意識の指導に身を委ねているか」の違いにあるようです。各自がとことんエゴの心で取り組み、それでも一向に改善できないことを実体験した後、命までも喜捨する覚悟を持つようになれば、このような印象に従うことも容易になるということではないでしょうか。

ご挨拶

 新年あけましておめでとうございます。

 いつもこのブログをご覧戴きありがとうございます。
昨年3月から始めたこのブログも既に、第5課の半ば過ぎに至っています。
 「生命の科学」学習コースには、簡単そうに記述されていますが、その内容には進化した諸惑星の文明の英知が詰まっているとされています。
 皆様にとって、このシリーズがどれほどのお役に立てたかは自信がありませんが、これからも少しずつでも理解を深めて行ければと思っています。
 折しも、地球を巡る環境は社会経済的にも、自然環境的にも大きな変化•変動の時期を迎えているように思います。この日本においても人々の心の荒廃等、私達は大きな課題を抱えた新年になっております。その中にあって、走らず、丁度、ウォーキングで道端の花を愛でながら歩むような自我の訓練ができればと思いますし、このブログをご覧戴ける方も、そういう気持ちで私とおつきあい下されば幸いです。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 平成20年元旦

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