2007年12月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。

【解説】
 本文で記述されていることは、一見当たり前のように通り過ぎてしまうかも知れません。しかし、物事は連続的に進化の段階を辿るとすれば、特定の段階を区別し、固定視すべきではありません。例え相手から不快な行為を受けたとしても、その原因や過程を観察し、貴重な学習材料として研究することはあっても、自ら当事者としてエゴの怒りに身を任せるべきではありません。そのようなことをすれば、自分のエゴを増長させ、自らの肉体を痛めつける等、悪循環に身を委ねることになりかねません。
 ヒトという創造物は宇宙くまなく同様な形態を持っていると本文では述べられています。それに関して思うのは仏像に対する人々の思いです。人には寿命があり、やがては一生を終える時が来る等、限りがあります。各時代においてかつて地上に存在した祖師や別の惑星にいる尊敬すべき人物に思いを伝え、あるいはその方達から教えを受けたい気持から、人々は人間の理想の姿として仏像を造って来たものと思います。本来は目に見えない存在こそ大事なのですが、先ずは目をそのような美しい存在から感化されるよう、理想とする容姿やかつて教えを受けた尊敬すべき祖師の似姿を見て、心を整える意義もあるものと思われます。「同乗記」の中にも宇宙船内に創造主を描いた絵が掲げられ、宇宙兄弟達はその絵を見ることで若さを保っていることが伝えられています。私達より遥かに進歩した彼等でさえ、日々の訓練を積み重ねているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。


【解説】
 実際問題、ここでの内容は筆者にとってはかなり先の問題に思えます。日常的には心が「印象」を受信することは稀であり、通常、心は目や耳に入って来る外の世界の情報に対して、瞬時に好き嫌いの反応を起こしている段階に過ぎません。ちなみに、この反応は極めて速く、逆に言えば、ろくに観察もしないで、瞬時に判断していることがわかります。何ら根拠もないまま、心が全くの自己本位、好き嫌いからその対象の人(或いは物)を一瞬で評価しています。丁度、果物の集荷場で次々にベルトコンベアで流れて来るミカンを「要る」「要らない」の仕分けをするようにです。
 一方、本文で記述されている印象への対応は、どのようなものなのでしょうか。一つの例としては、眠っている間に見る夢がこれに該当するかと思います。眠っている(即ち感覚器官の働きが鈍っている)時、心に印象がやって来たものはが、夢として記憶されているものと思われます。夢においては、本文の記述のようにやって来た印象を心が勝手にねじ曲げて、混乱したストーリーに仕立ててしまうケースも多いものです。これからは夢の中でも自分の心の反応を観察し、勝手な想像を行っていないかも注意したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。


【解説】
 人の一生はそもそも何の為にあるのでしょうか。とりわけ古来から、人間の真のあるべき生き方を求めて多くの人がその道を模索して来ました。時々の悲惨な社会を見て、その人生の全てを賭けてその修業の道を実践された多くの方もいます。その求道者が得ようとしていたものの一つが、この印象を自由に感受できるよう心を訓練することでは無かったでしょうか。肉体的には何一つ変わった所がないのに、かくも精神面で大きく異なっている種族が人間だと言えます。
 また、一方で、日常生活ではこれらのインスピレーションは稀にしか起らない不思議なこととして位置付けられ、三次元世界での物証が無ければ、信用する訳には行かないとしています。
 しかし、私達自身の肉体各部が平穏に生きているように、人体の各細胞は互いに印象のやりとりを行っている筈で、私達はそれに気付かないだけなのです。既に、何度か本講座で出て来ているように、人は自身で日々表現されている生活活動から直接学べること自体を大切にしなければなりません。遠くに求めるばかりでなく、最も近い存在、自分自身から多くの印象を受信することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。


【解説】
 映画「未知との遭遇」(Close Encounters of the Third Kind, 1977年 アメリカ)については、ご覧になった方も多いと思います。発電所職員である主人公はUFOと接近遭遇後、自宅に奇妙な山の模型を作り出します。傍から見れば、理解しがたい行動ですが、その山は宇宙人達が選定したコンタクトポイントであった訳です。本人はそれと知らずに、印象に従って実物そっくりな模型を造り上げ、最後は実際の山に登り、宇宙船に迎えられるというストーリーです。
 映画の中では、誇張して描かれていますが、このような事柄は、「印象」を感受した際の、ある意味、理想的な行動でもあります。しかし、通常は、私達が感受する印象は大変、微妙であり、また例え感受できても心が即座に判断して疑問を投げかけ流入を遮ってしまいます。本稿では心に疑問を挟ませないよう、宇宙から来る印象類を大切に取扱い、言語によらないコミュニケーション能力を高めよと言っているのです。
 以前、ある人からUFOを目撃した時、どのような心の状態であったか、どのような印象を持ったかと熱心に聞かれたことを思い出します。もちろん、偶然に目撃ということもあるでしょうが、中には宇宙船から印象を送っている場合やこちらから発した印象に応えての出現もあるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落198

198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。


【解説】
 印象の伝播に距離は関係ありません。人の想いはそのまま広い宇宙に伝わるということです。まして創造主のご意志にあっては、宇宙の広大さは何ら障害とはなりません。
 遠くの場所での出来事を知るということは、先に述べられた岸辺から海中深く生息する海洋生物の存在を実感しようとする場合も、宇宙空間に浮かぶ遠く離れた惑星の状況を知ろうとする場合も同じです。いずれも肉体の目でない別のルートで私達はそれを観ることになります。内容を知るのは一瞬の映像イメージであったり、またイメージにもならない漠然とした「感じ」かもしれません。いずれにせよ、先ずはやって来る印象を率直に心が受け入れることです。
 私達の生活の中でも太陽があり、月が居る等、目に見える具体的な天体は数多くあり、それらが私達に毎日のように見せてくる美しい光景は、私達を豊かにしてくれています。朝日は惜しげ無く水辺に黄金に輝く光の太い帯を見せてくれますし、月の出は静かで落ち着いた宵の始まりを私達に告げています。
 これらの天体は実際には遠く離れており、肉体としての私達には行ける所ではありませんが、これら天体に対する私達の気持に距離は障害になりません。それらから印象を受ける為には、先ずはそれらを愛おしむ心が有ってはじめて、心通う関係になるものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落197

197 If the planet earth has produced out of its own body all that is upon it, and itself was born from the elements of space, then this should be a good proof that all planets are humming with life in varing degrees of development.
197 もし地球という惑星がそれ自身の体内から地上にある全てを作り出す一方、それ自身は宇宙にある諸元素から生まれたとすれば、すべての惑星は様々な発達程度の生命で活気溢れているという良い証拠になるはずです。


【解説】
 拙宅のトイレの壁には以前、パロマー天文台を訪れた時に買い求めた太陽系を解説した大型のポスターが貼ってあります。惑星の大きさや太陽の周囲を回る各軌道、各惑星が持つ衛星の数や大きさ等が分かりやすくイラストで描かれています。この絵を見る度に、各惑星が母なる太陽の周囲を巡る一大家族を形成していることを思います。しかし、このような絵が無くても私達の日常的生活の中に、この大地(地球)と空間(宇宙)の繋がりを実感して過ごすことが必要です。毎秒、呼吸する空気がこの広大な宇宙に繋がっていることを理解する必要があるのです。
 宇宙は別に天体望遠鏡で覗かなければ見えないものではありません。太陽や月、星や惑星等、少し空を見上げれば、頭上にありますし、いつでも眺めることができます。長らく私達は地表での生活に目を奪われて来ましたが、そろそろ本来の宇宙的な感覚を取り戻さなければならない時代になりました。
 地球環境は地球規模の気候変動問題等、最近の課題はいずれも、この宇宙に広がる概念を必要としています。哲学や宗教においてはなおのこと、自身と宇宙との密接な関連について自覚する時代を迎えているということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落196

196 Scientists know of various kinds of gases that proceed into space. The word gas does not mean much but the component parts of which gases are made, does. For in these is the food that the three dimensional world must have in order to live. As an illustration we will use this manifestation that has been used elsewhere in the lessons. When we gaze into a clear blue sky we see nothing, yet under proper conditions a lightning bolt is created in that space, which is made of minerals well known on earth. This shows that the component parts of what we call gas has substance that can produce solids. This is not the only proof for we have others. Many meteorites have landed on earth in various sizes, and when examined they contained the minerals known on earth. I am sure that these meteorites have not been thrown off of the earth and then returned. For they have dropped on the moon and other planets, so they must have been made in space as the lightning bolt is. This tends to prove that all elements known on earth in a coarser form have had their origin in a refined state in space. And as stated before, space is an incubator of forms in which planets and all forms are born and have their being.
196 科学者達は宇宙に向かって進む様々な種類のガスについて知っています。ここでガスという言葉はあまり意味はなく、ガスを構成している成分が重要なのです。何故なら、これらの中に三次元世界が生きて行く上で必要な食物があるからです。実例としてこれまでこの講座の何処かで用いられて来た創造作用を示しましょう。私達が晴れ上がった青空を見詰めても何も見えませんが、ある適した条件のもとでは稲妻がその空間に形成されますし、その稲妻は地球でよく知られている鉱物群から造られています。このことは私達がガスと呼ぶ成分には固体を作り出すことができる物質があることを示しています。これは唯一の証拠ではありません、私達には他にも証拠があるからです。多くの隕石は様々な大きさで地上に着地しますが、調査するとそれらは地上で知られている鉱物を含んでいることが分かります。私はこれらの隕石が地球から投げられて再び戻って来たものではないことを確信しています。何故なら、それらは月や他の惑星にも落下していますし、それゆえ、それらは稲妻のように宇宙で造られたに違いないのです。このことは、地上で知られている粗い形態にある全ての元素は、宇宙空間に精化された起源を持っていたことを示すものと言えるでしょう。そして、先に述べたように、宇宙は惑星やすべての形有るものが生まれ、そして存在する孵卵器なのです。


【解説】
 地平線に続く大空の先には宇宙空間が広がっていることは私達は知識として知っていますが、なかなか実感するに至ってはいません。しかし、この宇宙空間と私達の身の回りの空気、ガス状物質とは相互に交流が行われています。つまり、何処からが大気で何処からが宇宙という境は無く、連続的であるということです。その宇宙空間の海の中を私達の惑星、即ち私達は高速で移動している訳です。今までは、それだけの理解でしたが、本稿では宇宙空間の新たな側面を指摘しています。それは物質誕生の揺りかごとしての宇宙空間です。
 本稿前段で地球から宇宙に放出されるガス成分分子についての記述があります。逆に言えば、各成分が宇宙空間へ向けて素材が供給されることを意味します。そして後段には隕石の話しから宇宙空間では物質が精化されることを述べています。そこで一例をご紹介しましょう。今でもあると思いますが、昔、東京上野の国立科学博物館で大きな隕石が展示されていました。隕石の内部はほとんど純粋の鉄の塊で、切断面からは丁度、雪の顕微鏡写真のように鉄が綺麗に結晶化しているのを見たことがあります。一体、どのような条件でこのような純化が起るのか分かりませんが、宇宙空間ではこのような様々な物質が精化されているのです。そういう意味では、地球から発せられた汚れた物質、様々な成分がごっちゃになったガス状物質が広大な揺りかごの中で再び純化され、次なる生物の誕生や惑星の創成に用いられることになります。これは、人体も同じこと。人生の最後に荼毘にふされた肉体はガスに形態を変化させ、再び、採用される時まで、宇宙空間に融合するということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落195

195 That we may understand more clearly let us become aware of the rim of the earth, as we did the shore of the ocean. And let the conscious messenger reveal to the mind the things in space, beginning with the fourth dimension. First, we will give you some idea of what is there in this invisible state. And as stated before it begins with the crust of the earth.
195 よりはっきり理解できるよう、以前大洋の岸辺で私達が行ったように、地球のふちに気付くようになりましょう。そして意識の配達人に四次元が始まる宇宙での物事を明かさせましょう。先ず最初に私達は皆さんにこの目に見えない状態の中に何が存在するのかについていくらかの概念を授けましょう。そしてそれは以前述べたようにまず地殻から始まります。


【解説】
 以前(No.185)で、海を見てその奥深く生存する様々な海洋生物をイメージさせよと述べられて来ました。ここでは地平線を見て、大地から始まる宇宙空間についてどのような印象を受けるかに関心を持てと言っています。
 このように目に見えない所からやって来る印象を私達は大切にしなければなりません。それは自己の心が作り出す勝手な意見とは、別の源泉から来ている可能性が高いからです。
 しかし、これらの印象は当面、心にとっては微小であり、また瞬時に通り過ぎてしまうので、到底、言葉に直す時間的余裕はありません。受信させるためには、一つ一つ詮索するような態度でなく、そのままを受け入れ、行動する姿勢が必要になります。よく運動選手が見せる体操競技で瞬時に鉄棒から宙返りし、安全に着地する際の印象の受信と身体動作の間にはおそらく、何らの迷いはない筈です。身体は言わば自動的に各動作に反応しているものと思われます。これと同様に私達は刻々体内を通過するこれら宇宙意識の妙なる印象を歓迎し、積極的に受け入れる用意をしておくことが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落194

194 So in order to unite that which is now divided in man, the mind must be willing to be taught by consciousness. And remember, consciousness is the soul of any form which makes life possible.
194 ですから人の中で分断されているものを統合する為に、心は喜んで意識によって教わるようにならなければなりません。そして覚えておいて欲しいのは、意識はあらゆる形あるものを生命たらしめている魂であることです。


【解説】
 人の中には確かに、心とは別に四六時中活動している生命本体があり、その活動の恩恵を受けながら、人本体の行動を支配する心があることは、既に御承知のことです。このように私達は自身の王国の中に二つの要素を持つ訳ですが、通常、表に現れて人間の思考や行動を支配する心が人体そのものの意義や生命活動について何ら知ることなく、自我存続の為、ひたすら外部との関係に悩み、社会の動向に翻弄されています。
 これらすべての問題は、人間世界だけの問題であり、他の王国では外見上、多少の争いはあるにせよ、圧倒的な調和が保たれています。また、そのお蔭で地球全体が辛うじて保持されているのです。
 ここでは、人の中にあって、日々の人の抱く感情を支配する心が、もう一人の自分、即ち意識から物事を常に教わるよう、心を向け教えを請う姿勢が大切だと改めて述べています。仏教で言う”他力本願”の”他力”とはここでいう自分の中を貫く宇宙意識を意味していますし、”南無阿弥陀仏”や”南無妙法連華経”等の念仏やお題目も、これら意識を述べた真言(仏の言葉)に帰依し、日々精進しますと自ら宣言する行為に他なりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落193

193 The three dimensional effects are the coarser part of its expression, like sound which is produced through a low state of friction or conflict among the elements. But consciousness in its fourth dimension does not produce sound as we know it. Its method of communication is through the feeling awareness given in the form of impressions.
193 三次元世界の結果物は丁度、粗いレベルの摩擦や各要素類の間における争いを通じて造り出される音のように表現の内でもより粗雑な部分でしかありません。しかし、意識は四次元世界にあって私達が知っている音を造り出すことはしません。その意思疎通の方法は印象の形態における感じによる気付きを通じて行われます。


【解説】
 本節では、身の回りの四次元世界に気付く方法として、印象への感受性の重要性を述べています。
 通常の日常生活では、私達は、文章を書くにしても基本的には「声」を発することによって自分の意志を表現しますし、相手の声を聞くことによってその意向を知ります。しかし、意識は声でなく、印象によってその創造物に話し掛けると言っているのです。印象は鈍感な者や他の対象に関心を取られている者にとっては、どのような重要な内容でも、意識が精一杯伝えようとしていても、気付かず通りすぎ、捨て置かれます。しかし、人を除く大自然に生きるありとあらゆる生物は、皆この意識の指導、印象を察知して日々の生活を送っているということです。
 何故、本来、最高位の創造物である人間だけが、かくも混乱した生涯を送らなければならないのかは一大問題です。一方で、人間は人類発祥の時代から、自分の目、耳に聞こえる結果の世界についてたゆまぬ研究を続け、今日のような文明を発達させて来ました。その結果、人間にとっては大変住み良い世界システムが出来上がった訳です。しかし、その反面、今まで捨て置かれた課題、意識についての感受性向上については、これからの段階です。既存の宗教や哲学に頼ることなく、自分自身の心の動きを観察しながら、また、自然界の生き物達の動きを見つめながら、意識からの印象を受け入れやすくする体制づくりが必要になるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落192

192 Man has learned much about the three dimensional world and now it is time for him to blend his knowledge with the four dimensional invisible world around him. That is if he is to do away with the mysteries that he has been governed by all of this time. And this can only be done by the mind, the effect, humbling itself to the consciousness - the cause, and thus allow it to explain the relationship of the two. Only consciousness can do this as it is the fourth dimension that knows no limitations.
192 人は三次元世界については既に多くを学んでおり、今はその知識を自分の周囲にある目に見えない四次元世界と融合させる時です。それは人が常日頃、支配されている諸神秘を取り去ろうとするならばです。そしてそれは、結果である心が自身を因である意識に謙虚にすることによってのみ可能となりますし、そうすることで意識に両者の関係を説かせることが出来るようになります。限界を知らない四次元である故に意識のみがこのことを為し得るのです。


【解説】
 ここでのポイントは、本文にあるように私達が常日頃支配されている諸神秘に気付くことだと思います。実は、具体的にここで言う「神秘」がどのようなものであるかということになると、容易には浮かび上がって来ません。未来に対する不安感、何時起るかも知れない地震や災害、あるいは将来の健康不安等々は、各々が抱えている(言い換えれば「支配されている」)問題が、ここで言う神秘に属すると言えるでしょう。また、その先を突き詰めて行けば、「死」は最大の神秘と言えるでしょう。この問題は人間の苦悩の中で最も大きなもので、死の床にあっても、その関門について考える時の不安感は大きいものと思われます。
 ここで、本文ではこれらの神秘を取り去る為に、心は長年学んで来た三次元世界の知識を四次元世界である意識と融合させよと言っているのです。私達を取り囲む四次元世界は常に求める者に寛大でということでもあります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落191

191 The wealth of time could not be as great as an understanding that man must have before his future is secure. For without it he cannot hope to have the knowledge that our space brothers have.
191 時間の豊かさは人が自分の未来を確実にする前に会得していなければならない理解以上に偉大ではあり得ません。何故ならその理解なしには私達の宇宙兄弟達が得ている知識を持つことは望めないからです。


【解説】
 未来の可能性は各自十分あることは確かですが、ただそのまま、結果の世界に生き続けている限り、習慣に流されストレスに曝されて老化することはあっても、この種の理解力が飛躍的に向上することは望むべくも有りません。ある一時、チャンスが与えられた時に、その場で出来うる限りの自己改善を行わなければ次にチャンスが訪れるのは何世紀も先になる可能性さえあると言えるでしょう。その時、その一歩を躊躇した為に、その後、何十年も無為に暮らす人もめずらしくはありません。
 その点、傍らに手本となる人物が居れば最高です。イエスや仏陀の時代、各々の弟子達は身近に偉大な教師を得た訳で、何より各自の大転換となった筈です。これはアダムスキーについても同様です。
 一方、このような偉大な師が地上を去った後、やがて弟子達は師の語った言葉を振り返り、解釈を進めて互いに学ぶという作業に入ります。真理を会得した者が語る言葉の中から、真理を理解しようと努力しているのです。この点は本連載も同じです。アダムスキーが述べた言葉を噛み締めて、その中から少しでも自ら理解できるポイントを掴もうとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落190

190 Jesus for one tried to explain the fourth dimension, but even today his teachings are not understood. As a result the fourth dimension has been placed in the abstract side of life with the hope that it will be understood in the here-after. But how could one ever understand if he did not have some comprehension of it here? One must learn the next step to be taken before he can understand the reason for it.
190 一例として言えば、イエスはこの四次元を説明しようと努力しましたが、今日になってもその教えは理解されていません。その結果、四次元は今後理解されるだろうとする希望と共に生命の抽象的な側に置かれて来てしまいました。しかし、人がそれを今ここで何らかの会得をしない限り、これから先どのようにして理解できるというのでしょうか。人は進むべき次の一歩を学んだ後にその理由を理解することが出来ることを学ばなければなりません。


【解説】
 アダムスキーは本講座も含め、様々な所で原因と結果を同時に見るようにと言っています。ここでは原因、即ち四次元世界を私達は日常、切り離していることの問題点を指摘しています。哲学や宗教の学習においてよく見かけるのは、その高次な学習を行っている時は気分は高揚するのですが、一方、現実の生活に戻ればそれは一時の心のリラックスでしかなくなっていることです。それでもそういう時間を持つこと自体、貴重と言うことは出来ます。しかし、その結果、教わった内容は各自の隅に追いやられ、個人の勝手な概念の中に閉じ込められています。
 しかし、このような実生活に伴わない学習は長年月を費やしても本道の道にはなかなか到達できません。何より、現実生活の場面において、本人が本稿で言う四次元、即ち宇宙普遍の意識世界を自覚し認識することが大切だと言っているのです。それを実行するには、ある意味、理解できるまでその場に立ち止まる程の決意も必要でしょう。一方では、その四次元世界は私達自身を常に取り囲んでいる訳で、四次元を理解出来ないということは自分が毎秒呼吸している空気を認識できないような情けないことなのかと思います。
 かつて多くの教師達が地球に降り立ちましたが、イエスもその一人。当時の民衆にこの真理を伝えてくれたお方と聞いています。この講座も単に頭で読むばかりでは効果はありません。自分自身の心を訓練、教育してひとつひとつ気が付いた小さなことを実生活に応用することによって思わぬ効果を上げるものと期待されます。植物や動物達が日々の生活を謳歌するごとく、その応用にこそ力を注ぐべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落189

189 Since the beginning of time man has schooled himself to want concrete facts which are three dimensional like himself. He left the fourth dimension to mysteries and theories. And only here and there an individual could see the relationship of all dimensions. And when he would express his analysis he usually had very few followers.
189 時のはじまり以来、人は自分と同じ三次元の具体的な事実を求めるよう自分自身をしつけて来ました。人は四次元を神秘や理論に置き去りにしてきました。また、そこここでわずかながら、すべての次元世界の関連性を見る事が出来た者がいました。それでも、その者が自らの分析結果を表現する時、彼にはいつもほんのわずかの追従者しかいませんでした。


【解説】
 通常、何事によらず世間で求められるのは確実性です。まして不安定な世の中であり、今後、地球自体がどのような状況になるのか余談を許さない今日ではなおのことです。多くの人々はより確実なもの、更には利益を得るものを求めています。余談ですが、今日の日本の低金利時代の中で老後の不安に対して、安心確実な資金の運用が求められているのは御承知の通りです。
 しかし、古来より言われ続けて来ている通り、この世の中、三次元世界に確実なものは何一つ無いことに私達は気付く必要があるようです。一見して硬い大地は大きなビルを支える程の安定性がありますが、それでも地層の断面を見てもわかるように、地下の大地は太古から変動を繰り返しています。言い換えれば、私達自身も含めて、結果の世界にあるものは変遷し、否応なく日々移り変わっているということでしょう。
 従って、私達自身の生き方の土台をこのような結果の世界に置くということ、結果の世界に基盤を置くことは一見、安心のようで、実は不安定ということになるのです。三次元だけでなく、心の精神状態や心が感受する印象類等、四次元世界における心の状況を常に向上させることが、変わることのない原因の世界、宇宙意識に拠り所を構えることであり、安心安寧な人生を送る土台になるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落188

188 Man's troubles begin in the fourth dimension. For he as a sense mind operates in the three dimensions, an effect of the cause. So he gives much time to the world of effects and understands it fairly well. But he has trouble associating the invisible world around him with the world in which he lives. And when he uses his mind instead of his consciousness to try and understand the fourth dimension, he becomes confused. And the great difference which exists in the invisible fourth dimension which is cause, makes it still harder for him to understand, as he has been taught in the three dimensions for centuries. Even the ancients did not understand the fourth dimension, for had they done so they would not have divided heaven and earth. Or cause and effect.
188 人間の諸問題は4次元で起ります。何故なら、感覚の心としての人は原因の一結果である三次元で働いているからです。その為、人は結果の世界に多くの時間を費やしており、その世界をかなり良く理解しています。しかし、人は自分が住む世界と自分の回りの目に見えない世界に関しては悩みを持っているのです。そして人が4次元を理解しようとする時、自らの意識を使う代わりに心を使う為、混乱するようになるのです。そして因である目に見えない4次元に存在する大きな違いは更に理解を難しくしています。何世紀もの間、人は3次元世界の中で教えられて来たからです。古代人達も4次元を理解していませんでした。もし理解していたら、彼等は天と地、あるいは原因と結果に分割しなかったであろうからです。


【解説】
 本文の主旨から若干外れるかも知れませんが、ここで言う「問題は4次元世界から始まる」ことに関連し、コメントしておきたいと思います。
 結論的に言えば、私達の生活する日常世界である縦・横・高さの3次元世界では、およそ悩みというものは存在していないということ、悩んでいるのは心だけであることに気付きたいのです。
 自然界の何処を見ても、例えば冬になって葉が落ち、虫達がその短い命を終えても、何一つ悲しみに暮れ、佇んでいるような者は居りません。皆、各々の定めを受け入れています。大木から切り離された葉は、枯れ葉になって土壌を豊かにし、生き残った虫達の冬の寝床を提供し、やがて巡り来る春に備える植物の芽を冬の寒さから守っています。
 自然界は個々の生存の為の努力は精一杯するのですが、それを越えた事態に至っては潔く命を捧げます。そこには苦悩も悩みも無く、ありのままを受け入れている姿があります。その理由は、人間のような自我がなく、全てを創造主の導きに委ね、精一杯生き、生きている間は一刻一刻を楽しんでいるからに他なりません。
 一方、人間は他の者、時には創造主さえも騙して貪欲さを最大限表現する者となっています。当然ながら思い通りにならないことに怒りや落胆の念を発信します。これらは全て、自然界から発しているのではありません。それが何処にあるかは特定できなくても、私達自身の心から発していることだけは確かです。悩みや悲しみはすべて私達の心の反応であり、大自然とは一切、関わりのない所で発生している極めて個人的なものということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落187

187 Man should become aware of living two different experiences at the same time, for he is living on top of the earth of three dimensions, yet depending and living in the fourth dimension. For from the crust of the earth towards the sky is the invisible fourth dimension which we call space. Outside of it we could not live any more than the fish that cannot live out of the water. No form could live without the support of the fourth dimension for it is the air which we call atmosphere in which earth forms live and breath. And if it were withdrawn no form could live, not even the earth.
187 人は同時に二つの異なる体験を生きていることに気付くべきです。何故なら人は3次元である地上の頂上に生き、かつ4次元に依存しその中で生きているからです。地上の塊から大空に向かって私達が宇宙と呼ぶ目に見えない4次元が広がっています。魚が水無しでは生きて行けないのと同様、私達はその外側では生きて行けません。如何なる形有るものも4次元の支援が無ければ生きられません。何故なら地上の形有るものが生き、呼吸する私達が大気と呼ぶ空気が無ければ如何なるものも生きては行けないからです。そしてもし、大気が取り去られたら、如何なるもの、地球でさえも生きることはできません。


【解説】
 前述のクジラやトビウオの例に関連して、私達自身も2つの世界を日常的に体験することが必要だと言っています。一つは日常の私達の生活する世界、地上の生活です。他の一つは私達が毎秒呼吸する大気の延長上に続く広大な宇宙空間、ここは4次元の世界だと言っています。もちろん、空間自体は縦・横・高さで見れば地上と同じ3次元ですが、「4次元」と表現することは、そこにはそれ以外の要素、例えば空間を超越したような大きな働きがあることを意味します。空間に限定されず働くことができる宇宙の意識の世界がそこにあるということでしょう。
 最新の宇宙論の提唱者であるリサ・ランドールはかつてNHKのテレビ番組の中で宇宙が多重化した平面から成っており、それらの平面の間には唯一、想念(印象)だけが瞬時に行き来できるとしていました。私達は宇宙意識の海に包まれている訳で、日常の3次元世界で暮らす一方、宇宙に広がるより自由な世界から来る印象から多くを学ぶことが必要だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落186

186 The whale, although there are others, masters the pressures and elements of the sea, for it is able to go to great depths yet it can swim on the surface of the water and partake of the invisible gases from space that enshroud the earth. And there are some like the flying fish that leave the liquids for an experience in the sea of gases. Thus they have experience in two different kingdoms. The liquid of the water and the gases of which the liquid it made.
186 クジラは、他の者もいますが、海の様々な圧力や要素をマスターしています。何故なら海中深くまで潜ることが出来ますし、水面付近で泳ぎ地球を覆っている宇宙から目に見えないガス類を取り込むことが出来るからです。そしてトビウオのようにガスの海での体験を求めて液体を離れる者もいます。そのようにして彼等は二つの異なる王国での体験を持つのです。液体としての水とその液体を造ったガスの二つです。


【解説】
 ある面、人間よりはるかに高い能力を備えた動物も多いものです。例えば、本文にあるクジラはヒトと同じ哺乳類ではありますが、海中深く潜行出来たり、遠くの仲間と会話ができること等が知られています。
 ここでのポイントは、実は私達の日常生活を取り囲むように他の王国(次元)が広がっており、その世界を自らの体験として知っていること、知覚していることが大切だということです。前の段落では海の中に起っている様々な生命活動は人間の表面的な視覚からは感知できていないということを述べました。本文ではクジラやトビウオを例に日常の生活圏から一歩外に出て、新しい世界を知ることが大事だと言っているのです。日常生活の世界に100%依存している心をもっと冒険させて、周囲に広がる更に高次元な世界にもっと関心を持つ必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落185

185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするのものもいます。


【解説】
 目に見えないものに気付くことが大切だと言っても、やたらに神秘を造り出すことではありません。本文では海岸の波打ち際に座って、寄せ来る波の奥、遠く水平線の彼方まで続く海の中に生存している様々な生き物の活動を文字通り、意識せよと言っています。つまり、自らの知識として知っていることと実際の心の感覚を対比させ、如何に普通の心の感度が鈍いかを知ることが第一歩となります。
 このように、少し考えれば、私達の身の回りには意識の活動、生命の活力を感じ取る上で、教材は無尽蔵に存在します。また、自然と対話した先人達も数多くいるようです。芹沢光治良は晩年、著書「神の微笑(ほほえみ)」で、また坂村真民もその著書の中で同様のことを伝えています。人間はその感性を高めるにつれ、このような自然界における生き生きした生命の諸活動から豊富な印象を受けることができるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落184

184 No form or mind can live independent of consciousness. For outside of it, if there were any, would be absolute nothingness. So it is up to man to strive to have his mind listen to the teacher, the parent of all creation.
184 如何なる形有るものも、また心も意識と独立して生きることは出来ません。何故なら、その外側というものがもしあったとしても、そこは、絶対的な無であろうだからです。ですから、自らの心をすべての創造物の教師、両親に耳を傾けさせようと努力することが人間の義務なのです。


【解説】
 いつも問題の行き着く先は「意識」になってしまいます。しかし、本課の表題にあるように意識は全ての生命の知性であり力であるということになれば、宇宙にあまねく存在し、全体を包み込んでいる存在と言うことになります。その意識から細胞一つ一つに指示が出され、人を除き、生物はことごとくその教えに従って労苦を感じることなく生活を謳歌しているということです。
 問題は、自由な意志を授けられた、元来最高位にある人間が、その生命の根源とでも言える意識を無視し、また自我(エゴ)こそが人体の主人公として来たことにあります。しかし、本文では私達自身を含めて全ては意識に含まれていると言っており、私達は意識を求めて何処かに出向く必要はないことがわかります。まさに、空気のような存在で、何時でも好きな時に、交流することができるのです。山川草木、あるいは大気や星々、あらゆる所に意識を見ること、風の音、小鳥のさえずりの中にも意識の囁きを聞き取ろうとする探究心、感受性を心に植え付けることが、その第一歩です。
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