2007年06月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落094

094 An attendant at a power plant that manufactures electricity sends out the current that you may use it for your benefit. He knows what the electricity is capable of doing and how it is to be used. And we are instructed how to use it. When used as instructed, many benefits are derived in many ways. We can even experiment with it providing we follow the law, without being hurt.
094 電気を起こす発電所の係員はあなたが自分の恩恵の為に使うことが出来る電流を送りだしています。彼は電気というものでどのようなことが出来るかや、どのようにして使用されるべきかを知っています。また、私達はその使い方について教えられています。教えられた通り使用する場合は、様々な面で多くの恩恵が引き出されます。私達は法則に従えば怪我をすることなく、電気で実験すらすることができます。


【解説】
 第3課「宇宙的法則の応用」の例示として、電気を挙げています。目に見えず、しかも今日の私達の生活の隅々に行き渡って私達の暮らしを支えているのが電気です。各々の末端で機能を果たしている電気ですが、その源を遡れば、発電所に行き着く筈です。この発電所には私達と直接顔をあわせることはありませんが、発電機を運転し電気を起こし地域にくまなく送電する操作を担っている発電所の担当者がいます。電気を宇宙あまねく意識とすれば、その発電所の担当者こそ私達が神と呼ぶ存在とすることが出来るでしょう。私達は発電所に赴くことはできませんが、そこから電気(意識)が送られてくることに間違いはありません。
 また、この電気にも取扱う上での注意点があり、その作用を良く知っておくことが必要です。より多くの電力を引き込む程、その影響は大きなものとなるからです。私達は学習を進めるにつれて、ますます宇宙の法則について正しい理解を身につける必要があることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落093

093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 神の御意志に対比するものとして私(心)の意志があります。以前にも述べましたように神の御意志は差別なく、あらゆる者(物)に等しく注がれ、自然界の全てがその意志に従って行動しています。唯一、人間だけが自らの意志を尊大化させて来ました。
 神の御意志は言わば宇宙の法則であり、万物はその法則に基づいて行動しています。しかし、わがまま勝手な人間の心は多くの場合、忠告の声(意識からの印象)に耳を貸さず、その結果、避けられた筈の痛い結果を味わうことになるのです。
 もちろん、私達(の心)も本来、生き生きした生活を送りたいと望んでいます。ただ、その実現を自分(心)の意志で達成しようとするのでなく、自分という存在を通して神の御意志が通過し、自分自身が神の道具として働き、その中に一切の自分(心)の意志を入れないことがポイントです。自らを通じて神の御意志を現実世界に具体的に体現することが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。


【解説】
 ”努力は報われる”と言いますが、何事もただ(心によるガムシャラな)頑張りでは効果が上がらないことも確かです。多くの場合、エゴによる過度の努力は周辺との摩擦を生み、ストレスを増して遂には身体や精神をゆがめる結果に陥りがちです。
 一方、自然界ではどうでしょうか。植物は道端の舗装のわずかな隙間からも芽をだし、茎を拡げて遂には大きな花をつけるまでになることがあります。私達が外から見て大変だと思う反面、植物にとっては静かに生長進化の道を歩んでいるに過ぎないと言うかも知れません。春夏秋冬、それぞれの状況の中で植物は気候に適した身辺活動を行っています。人間に比べれば、植物の1年は劇的な変化のある1年であると言えるでしょう。自然界の生命活動は皆、苦労を味わうことなく、ゆったりとした状態を保ちながらも、大きな変化、進化の道を遂げているのです。
 また、本文では、神秘についても言及しています。とかく私達は、自分の理解できない事に「神秘」のレッテルを貼って特別扱いする傾向があります。ジンクスやオマジナイ、運命やタタリ等、現代社会にあっても古代と変わらない神秘主義が横行しています。私達はこの教科を通じて、これら神秘として分類されてきた事物にも光を当て、より確かな理解力を養う必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 私達の心は言い訳に長けており、また私達の住む社会は他人から糾弾されないよう責任を限定、回避する様々な仕組みを設けており、それだけ複雑な仕掛けになっています。その合間をぬって一般人から多額の資金を集め、またその集めた資金によって逆に人々の暮らす社会全体を支配するような者が現れる時代となっています。人々の将来に対する不安につけ込んだ新手のビジネス(商売)もその一つです。
 しかし、その一方で、これら人間社会の複雑な仕組みとは一切係り無く、惑星上の生命を支えているのが創造主の法則です。この法則は虫や鳥、植物に至るあらゆる生き物に作用し、その者達に理解されています。そのことをイエスは幼子のように(素直に)ならなければ理解出来ないと表現したのです。本来の物事の原理、法則は単純なものです。私達は長年、物事を自分達の都合の良いように分類し、解釈して来ましたが、この本質的な法則に基づいた別の見方をすれば、全く違った世界が目前に広がることでしょう。他の全ての生き物と一体感が芽生え、やがて嬉々とした生命の躍動する光景の中に御自身がいることに気付きます。それはまさしく、幼子の住む世界と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。


【解説】
 通常、私達は複雑に入り組んだ社会に生きており、その中で自分の生き方を見失った毎日を送っています。その間にも心や肉体が疲弊し、やがて死を迎えます。しかし、この惑星における人間社会が例えどんなにか混沌としたものであっても、自らの心を見つめ直し、その実像を知ろうと努力すれば、その束縛や迷い、悩みもいずれは解消することになります。
 その為には、様々に多様化した現実から、余分なものを削ぎ取って、本質を浮かび上がらせることが理解に直結します。物事を理解するには、その原理をわきまえておくことが大事です。この生命の科学学習コースは、宇宙兄弟達(ブラザーズ)が特別に制作した教材だとされています。難しい表現をせずに、平易な言葉の中により大きな真理が埋め込まれていると言ってよいでしょう。私達は、この趣旨を十分に心に留めて、素直に自分の内面に照らして各教科を学ぶことが大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。

【解説】
 ここでは既に学習者に送付されていた「第1課」の反響について記されています。元来、「生命の科学」は一課毎の通信講座として設定されていました。著者アダムスキーは執筆を進めながら、書き下ろした段階から、随時印刷配布を行っていたことがこの記述により分かります。
 今となれば、本文に紹介された報告がどのようなものであったかは不明ですが、その内容は「本人の過去の記憶が鮮やかによみがえった」、「太古の光景を目の当たりにした」等の報告であったかと推測されます。
 本文では意識は膨大な記憶を保持していると言っています。いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれる記憶の書と言われるものです。決して神秘的なものではなく、真面目に本講座に取組む者全てが、これら宇宙の記憶にもアクセスする能力が自然に備わってくると述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたを苦痛を伴う結果をもたらすあなた自身の心の意志によってあなたを学ばせようとします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 通常、私達は自分達ではどうしようもない状況に至った時、自分達の責任を放棄して、人智の及ばない存在に運命を委ねる意味で「神の御意志」に従うことを宣言します。もちろん、本来の言葉の意味は異なります。自然界を見ればあらゆる物が調和した生命活動を行っています。これらの行動を支えているものこそ、「神の御意志」というものです。自然界の構成員は微生物から植物、高等動物にいたるまで、個々の能力を発揮しながら、しかも全体として調和を保ち、かつ個々の生き方を謳歌しているように見えます。これらは皆、神の御意志に従って、秩序を保ちながら全体として地球という惑星の環境を支えている訳で、神の御意志自体には私達の思い及ばない深い意図があると言わざるを得ません。
 その神の御意志は常に私達の上から、あるいは内部から私達に注がれており、その片鱗に気付くことができれば、より良い生き方をすることが出来ます。各自は常時、ある意味、無料で注がれている意識(神)の導きに対して先入観に捕われがちな自己(心)を鎮めて、心自身が気付くようになることが一番の早道です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。


【解説】
 ここでのポイントは印象に対する心の誤った解釈かと思います。本文では熱いストーブに対する幼児への両親の注意の例が述べられています。この場合、「熱いストーブに触れると火傷をするから、触れてはだめよ」と両親が子供に注意しますが、この注意の言葉こそが意識が発する印象です。これに対して、子供(心)がそのような親(意識)の忠告を無視して、自分勝手に行動し、火傷を負って痛い目を見るのが私達の心です。親(意識)の忠告を無視した結果、自らの体験により「貴重な」体験を得ることになった訳です。
 しかし、より深刻なのは、私達は往々にしてその失敗を繰り返すということです。過去の体験が生かされないことがむしろ多いのではと思っています。その理由は、私達がその失敗の原因を十分分析せず、改める作業を行って来なかったことにあります。本来、その時の自分の心がどのような事柄で占められていたか、等を調べれば少しはその原因を理解でき、再発を防げたかも知れないのです。正直にありのままの自分を見つめることが大切です。よく重大事故の後、原因調査が行われます。こうした失敗事例を分析して得た知識を基に再発防止策を策定し、皆がその事故についての知見を共有することで技術は進歩して来ました。それと同様なことを本来、人間の精神面についても行うべきなのです。
 これまでも繰り返し述べられているように、体験からしか学べない者は決して望ましい姿ではありません。しかし、体験から学べない者は更に救いがたいと言えるでしょう。私達は考えること、反省することを止めてはなりません。毎日、少しずつ進歩する努力の積み重ねが遂には成就へと導くからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。


【解説】
 あらゆる物の生命体こそが意識であり、各自は意識を敬うように言っています。ある意味、私達はその意識によって生かされていることを考えれば、当然なことでもあります。しかし、私達は通常、心は尊大であり、わがままになっています。自分の肉体は自分(心)の意のままに動かせますし、自分の自由意志で好きな行動が出来るとしています。
 しかし、私達の中に無言のまま存在し、全ての生命活動を支えている意識の存在の上に私達の日常があり、体内の生命活動無くして自分の存在が成り立たないことを思えば、この意識を尊び、その指導に従うことはごく自然の成り行きと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。


【解説】
 人体という同じ家に住むと言っても、片方(心)が相手(意識)の存在に気付かずに過ごしているのが日常です。気付く為には、日頃から相手の存在、作用に関心を持ち、自らの行動についてそれが従来の心の指令なのか、意識の導きのいずれに由来するかを観察し、見極めよと言っています。
 このような各自の行動の基となる拠り所を分析し、更にはその原動力である想念の由来を観察することで、本来の目指すべき意識による導きに対する感受性を高めることになるからです。
 しかし、一般的には日常生活のほとんどが過去の経験に沿った行動パターンで過ごしており、私達の生活が色あせ、ルーチン化した毎日の繰り返しになっていることに気付きます。それに対し、一日一日を新鮮に迎え、過去を振り返らず常にフレッシュな観察眼を開いて様々な側面に感動できる単純素朴な幼児の心を自分の中に育むことが、宇宙の息吹きにも、万物を支えている宇宙の意識との融合にもつながる姿勢と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 この部分の解釈には迷うところもありますが、本稿では「私達の心を発達させれば、(テレビの助けを借りなくても)テレビが造り出すような映像も目に見えるようになる」と解釈しました。なお、一方ではテレビやラジオの受信器を造り上げたのは人間の心であり、私達が実際に気中に流れる電波を増幅して放送番組を楽しんでいること自体が「心の発達である」と解釈することを付け加えて置きます。
 さて、ここでのポイントは、心と意識の関係です。心(感覚)を鋭敏にすれば遂には大気中を飛び交う映像信号も感知でき、感覚の受信能力を高めることができる一方で、これら感覚は常に意識という遥かに大きな存在に依存しているということです。ヘレン・ケラー女史の例を待つまでもなく、人間は感覚を失っても肉体の維持に大きな支障はありません。意識があるか無いかが重要だとしています。これについては医療の現場で「意識があるか無いか」ということが大きな問題になっていますが、このことも本稿でいうテーマと関連しているものと思われます。
 肉体という家の中に心と意識の両者が住んでいるという例えは、私達にある意味、安心感を与えます。私達(心)は遥かに力があり家を絶えず守っている意識から多くのことを本来、容易に学ぶことができる筈だからです

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落083

083 On this highway we shall find that all creation expresses a Divine intelligence. For consciousness is the life of even a grain of sand. It lives independent of forms, yet it activates all matter. It speaks the silent language which we call impressions, yet moves with a force far greater than any sound. And you and I are the highest manifestations of it, for without consciousness the mind would be nothing.
083 この大道では、私達はすべての創造物がある一つの神聖な知性を表わしていることに気付かねばなりません。何故なら意識は砂粒一つの生命でもあるのです。意識は形とは独立し、しかも全ての物質を動かしています。意識は私達が印象と呼ぶ無言の言語で話していますが、どんな音よりもはるかに大きな力で揺り動かしています。そしてあなたも私もその意識の最高位の創造物と言えます。何故なら意識無くしては、心は何らのものでもないのです。


【解説】
 揺れ動く心によって脇道に迷い込むことなく、進歩の大道を歩むことが前節で述べられました。
 その大道上では、私達は否応無しに万物が意識によって支えられていることを知ることになります。あらゆる物がその大小にかかわらず、内部で支えている生命の源を備えており、そのことを体験を通じてより深く理解することによって、人間本来の目的地に導くと言っているのです。
 また、意識の用いる無言の言語の力はどんな大きな音よりも万物を揺り動かす力があると言っています。この現実世界を突き動かすパワーが意識にあることに気付けば、それに自分の心を同調しさえすれば、私達人間は本来、とてつもない力を発揮できる存在なのです。進歩の道はこのように本来、幅広くゆったりしているものなのですが、その存在に気付くまでには困難があり、私達の日常からこの大道に入る為には「狭き門」があると言えるのでしょう。既存の迷いの脇道から私達はいつでも、この大道に乗換えることができますが、その決断までの心の躊躇の過程が曲がりくねった小道ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落082

082 All of our life we have been doing things the hard way. Either in one extreme or another. Now the time has come to settle down into the middle, which is the conscious eternal highway. And stop taking the mental by-ways, for the center balance will make life much easier.
082 私達はこれまで生活のすべてを困難なやり方で物事を行って来ました。ある極端から他の極端のいずれかであったからです。しかし今や、意識的な永遠の大道である中庸に落ち着く時期を迎えています。そして心の横道を取るのを止めるべきです。中央のバランス状態は生活をはるかに容易にすることになるからです。


【解説】
 一口に「中庸の徳」と片付ける訳ではありません。しかし、私達の精神生活は浮き沈みが特に激しいように思われます。たまたま幸運が重なり好ましい結果を得た時は私達の心は有頂天になり、あたかもこの調子が将来ともに続くかのように強気になる一方、思いがけず不運な結果に終われば心は前途を悲観し、打ひしがれて何らの意欲も生じない憂鬱状態に陥ります。
 このように私達の心は何事にも一喜一憂、本文で言う極端から極端へ振り子のように揺れ動いています。しかし、その結果、様々なストレスが自らの肉体に、更には周囲の環境に悪影響(危害)を与えているのです。
 そこで本文が指摘しているのがバランスのとれた中道の大切さです。つまり、心の動揺が消え、安定安心した落ち着いた場所に心を持ち続け、意識からの無言のメッセージに心を鋭敏にして置くことを勧めています。言う間でも無く、そのような創造主からの直接の導きを感受するようになれば、各自の行動は効果的なもの、実りのあるものとなり、結果としてより楽な生き方が出来るとしています。本文で言う中庸とはこのような人間の進歩の大道を意味しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落081

081 F.D.R. expressed it well when he said, "there is nothing to fear but fear itself." For fear promotes fear. Our late President Kennedy made the statement, "Ask not what the Nation can do for you but what you can do for the Nation." I would say it this way ; it is not what God will do for you but what will you do for God? And God is the consciousness of our being. Or we could put it this way, it is not what the consciousness does for the mind, but what the mind can do for the consciousness.
081 F.D.R.(フランクリン・D・ルーズベルト、Franklin Delano Roosevelt)は「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」と言ってそれを上手に表現しました。恐怖は恐怖を助長するからです。故ケネディ大統領はこう声明しました。「国家があなたに何を為せるかと問うのでなく、あなたが国家に何を為せるかを問え。」私ならこう言うでしょう。「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」。そして、神とは私達自身の意識なのです。そこでこういうようにも言えるでしょう。「意識が心に何をなすかではなく、心が意識に何をなすことができるかである」。


【解説】
 前述のように恐怖はまた更なる恐怖を造り出します。薄暗い道を歩いていると、ちょっとした物音にも心は驚きます。とりわけ目は暗闇を恐れます。恐怖が恐怖を呼ぶエスカレート振りはその恐怖心を許しておくと容易に勢力を増し、心臓の鼓動を高め、身体に鳥肌を立てるほど高まることは誰でも経験することでしょう。しかし、私達の肉体の各器官は光の有無に関せず、休むこと無く一瞬一瞬を全力で所定の任務を果たしています。唯一、私達の感覚器官の一つである視覚だけが不安に思っているだけのこと。視覚がその不安を肉体全体が置かれている危機だと騒ぎ立てているのです。
 ここで本文の「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」という言葉と「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」との関係について整理しておきましょう。恐怖は次の瞬間に心の拠り所がどのような状況になるか確信が持てない不安から生じます。その背景には心はその理解不足から不安定な結果や結果の世界における他者に依存していることに遠因があります。これを反転させて、その結果を造り出す創造主側に奉仕する、言い換えれば創造主の道具になり切って、刻々の任務を果たすことに生き甲斐を見い出せば、未来に対する不安は軽減します。本文は「求める」側から「進んで奉仕する」側、「生み出す」側に転換することで失う恐怖は無くなることを示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落080

080 The mind acts as it does mostly through fear caused by a lack of knowledge and faith. For if it changes, it knows not what the next moment might be like. Fear is the master of the mind and governs nearly every human being on earth, in one form or another. Very few people realize that fear is a dominant factor for we have been children of its household for centuries and now feel that it is a natural way of life. We do not even know that we fear, yet fear is nothing but a lack of understanding of the laws that govern life. And these laws cannot be learned by studying effects, especially of human experiences. For most of these are the result of fear dictation.
080 心というものはそのほとんどが、知識や信頼の不足が原因で生じる恐怖を通じて行動しています。何故なら、もし変化があった場合、心は次の瞬間にどうなるのか知らないからです。恐怖は心の主人であり、地球上のほとんどの人間をどのような形態にしろ支配しています。私達は何世紀の間、そのような(恐怖に支配された)家庭にいる子供であった為、私達の中で恐怖が支配的な要素であるということを知っている人々は極くわずかであり、今やそれが自然の生き方だと思うようになっています。私達は私達自身が恐怖していることすら知らないのですが、恐怖は生命を支配する諸法則の理解が欠けていることでしかありません。そしてこれらの諸法則は結果、とりわけ人間の体験を学ぶことによってでは学習することができません。何故なら、これらのほとんどが恐怖による指図の結果だからです。


【解説】
 私達の日常の生活には「心の恐れ」が隅々まで浸透しています。そしてこれに対して保険や貯蓄等、数多くの仕組みがこの世の中に設けられています。需要がある以上、それを商売(ビジネス)にする者が生まれるのです。また、恐怖は組織を維持するツールとして多くの社会組織の中で用いられています。会社で言えば、社員と上司の間、更に役員や社長、大株主や資金提供者(スポンサー)との間等、上から下までその指示命令を通す上で「命令」には服従し、その指示内容の実現に命令を受けた者は奔走しなければなりません。その目標レベルを達成できなければ、ペナルティーを受けるという恐怖がサラリーマンを支配しています。
 また、恐怖は国家間の防衛問題にも関係しています。相手国の脅威が自国の戦力の増強を追い立てています。
 しかし、一瞬、恐怖を少し離れて見つめ直すことをお勧めします。例えば自分は何を恐れているのかを紙に書き出して見ます。そしてその正体が分かれば少し前進です。恐怖の正体を突き詰め、所詮、自分の心の自己保身でしか無いことが分かれば、恐怖は消える他はありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落079

079 The mother has been used as an example, but people daily ignore impressions that are given to the mind by the consciousness and cause many imperfect acts that could have been avoided. All because the mind has been exalted through the ages and has given no thought to its parent - the consciousness. It supports itself by past acts and repeats history instead of going forward. There is some improvement historically, but actions are still founded on the past, like the destruction of men in war, instead of evolving above the past. The mind has an opportunity to bring newness each day by following the guidance of consciousness.
079 母親の件は一つの例として用いられましたが、人々は日常的に意識から与えられた印象を無視しており、避けることができた多くの不完全な行為を起しています。全ては心が長い時代を通じて誉められ、その両親である意識には何らの配慮も与えて来なかったことに原因があります。心は過去の行動によって自身の拠り所とし、前進する代わりに歴史を繰り返しています。いくつかの進歩も歴史的にはありますが、戦争における人間の破壊のように過去を超えて進化することの代わりに、行為は依然として過去に基礎を置いています。しかし、心は意識の指導に従うことによって、日々新鮮さをもたらす可能性を有しています。


【解説】
 実は意識による無言の指示(導き)は母親のケース以外にも、誰もが日常的に受けているとしています。私達の心は自らの経験や過去の実績を拠り所としています。その為、未知な領域に冒険するようなことは好みません。また、心が印象を感受できたとしても、それに従わず、自己の経験を護持して行動せず、折角のチャンスを見送ってしまうことも多々ある筈です。
 母親に母体の胎児の生育に必要な栄養素を摂るよう促すのと同様に、実は私達一人一人が日々新しい暮らしに一歩を踏み出せるよう意識は一人一人に合った導きを伝えようとしているのです。その導きに従って、ご自身の新たな世界を切り開くか、無視して旧態依然の生活を続けるかは本人次第ということになるでしょう。しかし、私達の内部には、このように私達を見捨てない導き手が常にいらっしゃることを理解するだけでも、心安らぐのは確かです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落078

078 And what is this higher intelligence? Again we have to refer to the consciousness for a definition. For at times it impresses the mother's mind to seek a certain type of food that she does not ordinarily care for, because this chemical is needed in constructing the infant form. And this intelligence causes the movement within the mother's body. No voice of instruction is heard yet the mind of the mother knows that some change has taken place. This is done by impressions for consciousness does not use sound as we know it. It is this consciousness that is the creator or builder of the form as near as we can tell. And this is all done independent of the mind. Even here the mind may interfere by opposing the impressions that come, like the food. Either by not seeking it or not being able to get it, which could bring about an imperfect form.
078 次に、このより高い知性とは何でしょうか?ここで再び定義の為に意識について引用しなければなりません。何故なら時々、胎児の建設に化学物質が必要となる為、それは母親の心に彼女が普段は好まないある種の食べ物を求めさせるからです。そしてこの知性は母親の体内に運動を生じさせます。声に出しての指導は聞こえませんが、母親の心は何らかの変化が起ったことを知ります。意識は私達の知るような音を用いませんので、これは印象によって行われます。私達がこの形あるものの創造主あるいは建造者と呼ぶのに近いのはこの意識なのです。しかもこれは心とは全て独立して行われています。ここにおいてもなお、心は食べ物の場合のようにやって来る印象に反対することによって妨害するかも知れません。それを求めることをしないか、摂ることが出来ないことによって、不完全な人体をもたらすことになるかも知れないのです。


【解説】
 自分に最も近い存在であるこの「英知」は私達の心に印象という形で指示を与えています。とりわけ妊婦の場合には体内の子供の肉体形成に必要な物質要素を母体が獲得しなければならない必要から、意識を通じてより強い指示を母親の心に与えることになります。このようにして女性は自らを舞台として人間創造のドラマを演じる体験をする訳で、生まれ出た我が子に誇りと愛情を強く抱くことになるのです。
 この一例からも分かるように、私達の体内で起る様々な生命活動を統括指示している英知がいつも私達自身の内に居ることは大変心強いことです。何処かに大切に保存しておくことも、他人に預けておく必要もありません。常に私自身に付き添ってくれて無言で肉体の維持を担って戴いている存在、また私達が望めば大宇宙を貫いているよい大いなる英知にもつながっている存在。この私達自身の内部にある知性こそ、私達が生きて行く上で頼りとすべき相手なのです。まさに「同行二人」そのものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落077

077 THE CREATION OF A HUMAN FORM
A pregnant mother knows that a conception has taken place within her being, but her mind does not know what is to be done in the creation of the form. Many times she wonders what is going on. There is not a mind in the world that knows exactly the type of intelligence that is responsible for the growth. It is true that pictures have been taken from conception to birth, but not of the intelligence that brings about the form from moment to moment. This intelligence is superior to the minds of men and that of the mother, for they know not what goes on. This proves that the mind is subject unto a greater intelligence than its own. Yet the mind has the potential of attaining equality if it allows itself to be guided by the higher intelligence.
077 人体の創造
 妊娠した母親は自分自身の中で妊娠が起ったことは分かりますが、彼女の心は形あるものの創造において何を為すべきかは知りません。何度も彼女は何が起っているのか不思議に思います。しかし、胎児の成長に責任をもっている知性のタイプを正確に知っている心はこの世に一つもありません。妊娠から誕生までの写真が撮られていることは真実ですが、一瞬一瞬人体を形作っている知性について写真に撮られることはありません。この知性は人間の心や母親の心より優れており、それらは何が起っているかを知っています。このことから、心はそのもの自体より大きな知性に支配されていることを示しています。しかしまた、心は自らをそのより高い知性によって導かれることを許すならば、それと同様な能力を持つ可能性を有しています。


【解説】
 前節では人体の誕生過程に形あるものの内部に宿る英知の働きが現れるとして来ましたが、その内容を更に深く説明しているのがこれ以降の段落です。
 卵子と精子の融合から始まる人体の創造過程は神秘という他はありません。一つの細胞が分化し、各々異なった器官の形成に向けて様々な変容を遂げ、何億倍もの大きさの組織体を構築し、そこに自立し行動できる個体を生み出す過程は、実に無から有を生み出す驚異のプロセスと言えます。
 私達一人一人は、皆、例外なくこの創造の過程を通って母体から離脱し、この世に誕生しました。赤ん坊が生命力に溢れ、皆一様に元気活発なのは、彼等がその創造の過程の息吹きを失っていないからです。
 このような女性の体内における人体の創造は、その身体の主人である母親の心が行っている訳ではありません。心とは別の無言の英知が母親の肉体の維持と同様に、胎児の誕生までの一切の手順を取り仕切っているのです。
 更に目を転じれば、世の中には生命の誕生という現象が溢れていることに気付きます。そしてまた、私達人類の生活もこれら生物の営みに依存していることが分かります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落076

076 So the mind does not have to go far to learn. For it can learn from the form through which it works if it humbles itself to the knowledge within the form. We can now see where the saying "man know thyself and you shall know all things" originated, for all creation is governed by this law. And there is no greater truth than this that has ever been spoken.
076 ですから、心は学ぶ為に遠くに行く必要はないのです。何故なら、形あるものの内部にある知識に心自らが謙虚になりさえすれば、心は形あるものの働きを通じて形あるものから学ぶことが出来るからです。私達は今、「汝自身を知れ、そうすれば全てが分かるであろう」という言葉が何処に起原を持つかを知ることができます。何故なら、全ての創造がこの法則に支配されているからです。そしてこれまで語られた中でこれほどに偉大な真実はありません。


【解説】
 世の中で最も身近にある形有るものは私達自身です。全ての形有るものの中にそれを生み出し、機能させている英知、意識が存在している以上、その最も身近で観察や学習に適しているのは私達自分自身ということになります。
 道を求めて様々な人物に逢い、事物を訪ねることも有意義ですが、それ以上に学習上、有効なのが自分自身を探究することです。自分自身のことであれば、自分の心の状態とその後の肉体への影響、更には自分の周囲の環境の変化等、外部(他人)から見えにくいことも一目瞭然です。またこの自分自身はこれまで及びこれからの私達を支えてくれる大切な肉体でもあります。自分の手や足、顔など基本的な部分も、自分自身の本質ではないにせよ、実生活においては無くてはならない部分です。これら肉体の各部はまた、私達の心の動きに応じて変化します。心が発する印象(想念)に大きく影響を受けているのです。つまり、日々の心の有り様は、瞬時にその肉体に影響を与えています。心がその肉体内のより深遠でパワフルな英知の活動に気付き、その指導に従いさえすれば、驚くほど急速に真理を学び取り、それらの成果を自らの肉体に表現することができる筈です。「汝自身を知れ」という言葉は一般に思われているように自分自身の限界を知ることとは正反対に私達に備わっている無限の可能性にいち早く気付くよう、促す言葉だったのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落075

075 We have been taught that the mind is the man as well as the knower. But as the mind is an effect, this statement is far from the truth. Yet within the form of man lives the knower. If the mind would humble itself and become the observer of the form through which it works, it would soon realize how little it does know. i.e. There is no question in our minds that we have brilliant people in the world, for the new inventions in the recent years prove this. In the field of electronics the things that are done could be called miracles. Things like correcting instruments from earth that are many miles out in space, and talking back and forth with a man in a capsule orbiting the earth. These accomplishments only show the potentials of the human mind when it listens to the guidance of consciousness. Yet with all of the knowledge at present there is not one man in the world that can create a human form and have it function as we do. But within the form there is that knowledge which manifests every day in the birth of children. Not to mention the thousands of other form creations.
075 私達はこれまで心こそが人間であり知る者であると教えられて来ました。しかし、心は一つの結果であり、この声明は真実とはかけ離れています。しかし、人体の内側には知る者が生きています。もし心が自らを謙虚にし、その知る者が人体を通じて働く様子の観察者になるならば、心はすぐに心がいかに少ししか分かっていないを自覚することでしょう。つまりこういうことです。世の中には素晴らしい人々が私達の中にいることについては疑問はありません。近年の新たな発明がそれを物語っています。エレクトロニクスの分野では為されている物事は奇跡と呼ばれても良いでしょう。宇宙空間に何マイルも離れている装置を地上から修正するようなことや、地球を周回するカプセル内の人間と相互に交信するようなことがそれです。これらの成就した出来事だけでも人間の心が意識の指導に耳を傾けた時に発揮する人間の心の可能性を示しています。しかし、今日の知識の全てをもってしても、世界中に一人として人体を造り出し、それを私達同様に機能させることが出来る人はおりません。しかし、その人体の内部には毎日、赤子の誕生として現出する創造的知識が備わっているのです。その他、何千もの他の創造物についても言うまでありません。


【解説】
 現代文明を造り上げた人間の能力は確かに優れたものがあります。それを成した「人間」の正体は私達の自我、あるいは心であるとし、人間は他の動物に比べて勝っているが故にこの地上を支配しているとして来ました。しかし、それは真実なのでしょうか。まず、私達の「心」なるものは、決して全能なものでなく、むしろ常に不安定で、それ自身で自立できない大変危うい存在であることを自覚する必要があります。これまで科学が進歩したのは、その得た知識を言葉として書き留め、記録に残すことが出来たからと思われます。各人の心は創造主の計らいにより真理の断片を掴む機会に恵まれますが、後人達はそれらをつなぎあわせることによって、今日の文明を造り上げたと言えるでしょう。
 しかし、自然界を見るとこれら創造作用は粛々と手際よく作業が行われ、実効を上げて行きます。そこに働く英知は無言です。心を指導するより大きな存在が働いていると言えるでしょう。私達の心は決して他の動植物より優れているという自尊心を捨て、もっと自然界の営みを観察することによって英知の現れを間近に見る必要があると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落074

074 History does not necessarily have to be repeated, for it is man's action that make history. We will cover this more thoroughly in the coming lessons but at the moment we will continue with the mind.
074 歴史は必ずしも繰り替えされる必要はありません。何故なら歴史を作るのは人間の行動であるからです。つぎの課ではより完全に取扱いますが、ここでは心について続けることとしましょう。


【解説】
 実に歴史は繰り返されているように思われます。人類の歴史は手法こそ巧妙化していますが、その実、内容は同じ、「争い」の歴史でもあります。
 個人について言えば、「過ちは繰り返される」とも言えるでしょう。問題の渦中にある時、一瞬、心を落ち着かせていったい何が問題なのか、かつて同様の状況はどうだったかを冷静に分析するゆとりを持ちたいものです。その状態における自らの心を観察し、まずは心配し、思い悩む心が訴えている事柄を受け止めましょう。次にその原因を探ることです。その整理する作業の中で、真の原因が見つかると同時に問題は解消する事例も多いものです。
 心は自己の存在を守る為にやっきになっており、不安のまま過度な反応を起すものです。こういう場合にも、心は自分自身が創造主から愛され、常に必要適切な指導の印象が授けられていることを自覚することがポイントです。
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