2007年05月

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落073

073 You may say here, what about the people among us who are criminals and those who harm others? These actions could be considered mistakes on the part of the actor since he has been taught to guide himself by effects. And most everyone has been guided by effects, so we have all made mistakes. But if we are wise and desire understanding we shall then learn the reason for our mistakes and make the corrections. And we can be thankful for the experience that taught us a lesson. For without this we would not know the better way.
073 ここで、あなたは私達の中にあって犯罪者であったり、他人に危害を与える者についてはどうかと言うかも知れません。これらの行為は結果によってのみ自身を導くように教えられて来たその行為者の側の過ちと見なせるでしょう。そしてほとんどあらゆる人が結果によって導かれており、私達は皆、過ちを犯します。しかしもし、私達が賢明であり理解を望むなら、私達は私達の過ちの理由を学び、修正しなければなりません。そうすれば私達はレッスンを私達に教えてくれたその体験に対して感謝することにも成り得るのです。何故なら、このこと無しにはより良い方法を知ることは無かったからです。


【解説】
 「体験から学ぶ」と言われますが、物事の背景にある原因に気付きにくい私達は、結果を唯一の拠り所とし、他人の評価や不確定な将来に対する不安から、不完全な行動、場合によっては自らの内部の勝手な囁きを受け入れて犯罪さえも犯してしまいます。本文では、このような犯罪も日常生活の些細な過ちと同じ原因であり、全ては私達が結果によって導かれているためとしています。そして、これら体験から学ぶことこそが大切だと教えています。
 よく事故発生後、その原因を徹底的に究明して再発防止策をとりまとめ、類似箇所に水平展開することが行われますが、そのようにして将来ともにその事故原因を取り除くことが着実な進歩につながると言えます。世の中の技術はこれら人間が学び取った多くの失敗事例が元になって改良されて来ました。
 しかし、人間の心の機能については、どうでしようか?各自の心の限界や挙動、たまたまの結果に右往左往する心の動きをしっかり見据えて、本来、そのにがい体験の原因を分析すべきなのですが、このような体験を学んで以後の人生に生かす努力は、意外に行われていないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落072

072 As you can now see, everyone in his daily life is important in one form or another. The thing that we must do is to learn the importance of each one, as the advanced space people do on their planets. In this way each individual effort is honored as he serves others. Directly or indirectly.
072 今やお分かりのように、あらゆる人はその日常生活の中で何らかの形において重要なのです。進化した宇宙人が彼らの惑星で行っているように、私達が行わなければならないことは各々の重要性を学ぶことです。このようにして、個々人の努力はその者が直接的あるいは間接的に他に奉仕することに対して栄誉を受けるのです。


【解説】
 ここでのポイントは「間接的」な関連性や相互依存性を如何にして気付くかにあると思われます。自分が直接接する人に対してはその仕事内容や自分の日常生活との係りについて少し考えれば気付くチャンスも多い筈です。しかし、私達の目に見えない所で様々な人々が働いていることで、私達の日々の生活が豊かになり、知識も増やしているものも多いのです。例えば、毎朝、各家に配られる新聞或いはテレビ放送等は、今日私達の日常生活を如何に教養深くまた、視野を深めかつ広げているか計り知れません。遠い外国で起った出来事も今では瞬時の内に伝わります。これらを支えているのは、自ら現地に飛び込んでいる記者やカメラマンであり、そこで起っている事実を茶の間に伝える役割を果しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落071

071 Jesus brought this truth to the people when he said that the man who desired honors from earthly men, had none coming in heaven. He also said not to worry about tomorrow, for the sparrow neither sows nor reaps, yet the Father takes care of each of them. But this calls for definite faith in the consciousness. For he also said, "are you not more than the raiment ?" This is the law by which all Venusians live.
071 イエスは地球の人達からの名誉を望んだ者で天国に来る者はないと人々に述べてこの真実を当時の人々に伝えました。彼はまた、明日を思い煩うなスズメは蒔くことも刈ることもしないが父はそれら個々の者を養ってくださっているのだから、とも言いました。しかしこれには意識に対する絶対的な信頼が要請されます。何故なら彼はまた、「あなたは衣服より以上のものはないですか?」とも言いました。これは全ての金星人が生きている法則です。


【解説】
 イエスが天国(heaven)と言った時、その天国とは金星や土星に置き換えるとより具体的なイメージが湧きます。他人から誉められることを望むのは人間の常ですが、それは金星や土星には何ら重きを置かれないことであると言っているのです。
 また、未来のことを心配するなとも言っています。明日、どうなるかは誰にも分かりません。しかし、大自然の他の動植物達は明日は他の者の餌食になるかも知れない中、皆静かに今を味わっていることも確かです。それが可能となるのは再三述べて来ましたように、意識への絶対的な信頼です。宇宙を貫く意識のパワーに自らの明日の命を預ける一方、現在を自分の能力発揮に集中する精一杯生きている姿がそこにあります。これらの有り様こそ、金星人の生き方だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落070

070 This equality is lived on Venus and Saturn, for each talent is respected as a Divine gift from the Creator unto creation. And it manifests in ever field of endeavor - sports, art, etc. There is not the feeling of competition that we of earth express. But rather a feeling or desire for a finer quality of expression of individual talents towards the fulfillment of the Divine purpose. It is only the ego mind that desires honors for its accomplishments.
070 この平等さは金星と土星では実行されています。あらゆる才能が創造物に対する創造主からの神聖なる贈り物として尊敬されている為です。そしてそれはスポーツ、芸術等々、努力におけるあらゆる分野に現わされています。地球の我々のような競争意識はありません。むしろ、聖なる目的の達成に向って個個人の才能に関してより精緻な表現を感じたり、望んだりするのです。その達成に対して名誉を求めるのはエゴの心だけです。


【解説】
 ここでの着眼点は、前述来の「平等さ」が実際に他惑星では"lived"、即ち実生活の場で生かされているということです。いわゆる「概念」や「思想」というレベルでなく、現実社会や個々人の人生に組み込まれ、根付いているということです。一方、この視点で地球上で行われている物事や人々の心の有り様を観る時、大きな違いに気付きます。競争意識の極端な例は「戦争」であるかと思いますが、私達各自の中においても多分に「競争心」があります。また、社会自体にも学校の入学試験からはじまり、契約における入札制度、更には競技スポーツまで、実は私達の生活の隅々に至るまで「競争」が浸透しています。
 このような中にあって、本学習者は真の平等感に基づいて他惑星社会での概念に少しでも近付く努力が求められます。その為には、現実の競争社会の中にあっても、自らは独自の心の有り様を確保しておく必要があります。先ずは差別を無くし、名誉を求めず、ひたすら創造主から授かった自己の才能の発揮にのみ心を傾けることです。一人一人が発する想念はやがて周囲の者にも影響を与え、関連するあらゆる場所を伸び伸びとした雰囲気にし、また活気溢れるものに変化させて行くことでしょう。また、実践する中で少しでも自分自身で成果を体験すれば自信もつき、進歩の歩みも速まることと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落069

069 The King turned to the blacksmith and asked him by what right he seated himself there. With this the blacksmith arose and questioned the other workmen by saying, "who fashioned your trowel and your compass" ? They replied "you did". Then he said, "could you have built this Temple without these ?" Their answer was "no." Then he said, "the honor belongs to me."
069 ソロモン王はその鍛冶屋に何の権利によってそこに座っているのかと訪ねました。すると、鍛冶屋は立ち上がり、他の者たちにこう訪ねたのです、「誰があなた方のコテやコンパスをこしらえたのか?」。彼らは答えた。「お前だ」。すると彼は言った。「あなた方はこれら無しにこの寺院を建てることができただろうか?」。彼らは答えた。「いいえ」。すると彼は言った。「それでは、その栄誉は私のものだ」。


【解説】
 仕事であれ何であれ、自ら一人で出来るものはありません。そこには陰になり日なたになり、様々な人間が関係していることに私達は気付く必要があります。とかく私達は成果は自分の努力や精進の結果だとしてしまいがちですが、実際にはそれを支えていた様々な事物や人物の恩恵を受けているのです。
 そのように物事の背景に気付こうと心を仕向けることは、やがて因、目に見えない存在への関心を高めることとなり、見えないものへの感受性が増すことに繋がります。
 私達が学ばなければならないのは、万物相互の関連性であるとされています。実に個々人の毎日の想念が惑星全体の行く末や気候状況と相互に結びついているように思います。そういう意味から、私達一人一人の毎日の祈りによって、地球の安寧にいささかなりとも、貢献できるということは素晴らしいことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落068

068 Another example for the sake of clarity. When King Solomon's Temple was finished he expressed a wish to have the man who had done the most in bringing about its completion, honored in a ceremony and seated in a chair next to his own on the Throne. All of the men of different talents presented themselves in clothing appropriate for the occasion, each hoping for the honor. But a blacksmith entered dressed in his working clothes. A burned apron and dirty hands from the forge, and seated himself in the chair. This caused a stir and complaint among the other men.
068 明確にする為にもう一つ例を挙げましょう。ソロモン王の寺院が完成した時、ソロモン王はその完成に最も貢献した者を式典で表彰し自らの王座の隣に座らせたいという希望を明らかにしました。様々な才能の持ち主が、各々その名誉を期待して、その場面に相応しい身なりで出席しました。しかし、ひとりの鍛冶屋が作業衣のまま入って来ました。仕事場から焼けたエプロンと汚れた両手のまま、その椅子に着席したのです。これは他の者たちの間に騒ぎと不平をもたらしました。


【解説】
 旧約聖書の一節と思われます。ソロモン王(ダビデ王の子、古代イスラエル第3代の王、在位紀元前965年~922年頃)は紀元前958年にソロモン神殿を起工したとされています。
 ここでのポイントは鍛冶屋職人が建築物その他の創造的な仕事において自分の製作した道具がどのように用いられているかを認識し、毎日の仕事に打ち込んでいたかということ、そして自らの仕事に対する誇りを持っていたかということです。まさに、後年、その製造した道具を見て、古物鑑定家に「いい仕事をしていますねえ」と言わしめる職人の心意気が感じられます。
 また、一方では、この一節から、如何に王が柔和で寛容、民主的であったかが分かります。反対に日本では将軍がそのような気さくに庶民を遇した事例は聞いたことがありません。上に立つ者のあるべき姿の一つでもあります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落067

067 Here you can see that the lowest talent is equal to the highest. From this you should know what the word equality really means. And this is far from the average definition of the word.
067 ここにあなたは最低位の才能が最高位の才能と等しいことがお分かりになるでしょう。ここからあなたは世界の平等というものが実際、どのようなことを意味するかを知らねばなりません。また、これは世の中の平均的定義とはほど遠いものです。


【解説】
 時代は移り変わっても仕事そのものの仕方や段取りは変わることはありません。結果となる作品が生まれる為には、その最後を託される者ばかりでなく、それを支える様々な者が各々の才能を発揮して持ち前の仕事をすることが必要です。最終結果に対する貢献度において、それに係る者すべてが等しく称えられるべきだとここでは述べています。
 一方、現在、この惑星の多くの国では、危険で汚れる仕事は下請けにさせて自分は各工程の進捗管理のみの(あるいはそれすらも行わない)事例が多いのが実態です。これらの下請けの従事者はビル竣工の際に、そこに集う人々からねぎらいの言葉を掛けられることもありません。使われる者と使う者の構図が出来ているのです。
 しかし、年月を経るにつれ、建物は残っても、その式典に誰が参列したか等、すぐに忘れ去られてしまいます。日本には法隆寺をはじめ数多くの歴史的建造物や仏像がありますが、今日人々が感嘆するのは個々の職人が造った造形美です。もともと誰が造った等という記録を残す等、無用のこと。無心に「美しさ」そのものを求めてノミを振るった職人にとっては結果である作品を通じて、自分達の目指したものを感じ取って欲しいということであり、建物の構造を担った大工にとっては自分が死んだ後、長い時代を経てもなお、地震や風雨に耐える構造であることこそが誇りなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落066

066 From here on many talents will be employed to complete the structure. The final touch of historic recordings and beauty will be the murals painted upon the inner walls of the entrance. And for this the finest artist will be engaged. But even he with all of his talent cannot produce what is asked of him if the pigments of his paint had not been processed from the pick and shovel man through the various refining steps necessary. And this is true with the brushes and other equipment which he must use. And without these his talent would be of no value.
066 ここからは、多くの才能を持った者が建物を完成させる為に雇われることになります。その歴史的記念と美の最終段階の仕上は入口の内壁上に描かれる壁画となるでしょう。そしてその為に最高級の画家が雇われることでしょう。しかし、彼の才能全てをもってしても、彼の使用する顔料がツルハシとシャベル人夫で取り出されてから必要な精製工程を経て処理されていなければ、依頼されたものを造り出すことは出来ないでしょう。そしてそれは彼が用いる刷毛やその他の道具についても同じく当てはまります。


【解説】
 建物の例えで言えば、私達は建物の構造や骨組みよりは外観を、人目に触れない天井裏や床下よりは内装に目が行きがちです。これらは私達の日常は視覚が支配しており、外観の最終結果のみを見て、物の評価を行っていることを意味しています。しかし、実際には、その結果を生み出すには様々な人間の才能発揮が積み重ねられて初めて実現するのです。言い換えれば、一つの結果は、それを支える数多くの努力の連鎖が背景にあることに私達は気付く必要があります。
 これらは、私達の身の回りの物、全てについて言えることです。毎日、何気なく食べる食品についても、食卓に並べられた品々について、各々この惑星の様々な所で育てられ、運ばれて来るものばかりです。また、お米については読者もよく御存知のように、モミが苗床に蒔かれ、稲の若葉が育つと水田に移され田植えが行われます。夏の草取り、秋の稲刈りを経て、脱穀、精米を経て店頭に並びます。このように数多くの人手と自然の恵みを受けて食物が食卓に上るのです。食事は毎日の生活の中では、断片に過ぎませんが、結果として世の中に存在するものの背景や起原について鋭敏になれと、本項は言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落065

065 The first workers that he engages are what could be called of the lowest talents. For they will be the ones responsible for the ditch in which the foundation of the building will be laid. And without which the building could not be built.
065 最初に雇う労働者は最も低い才能の者達と呼ばれるかも知れません。何故なら彼等は建物の基礎を置く為の溝を受け持つ人々であるからです。しかし、それ無しでは建物を建てることは出来ません。


【解説】
 建物はまず基礎部分から造り上げる必要があり、最初の仕事として地面を掘り、基礎を造る為の溝を造る作業員について述べています。私達はとかく、仕事に貴賎をつけがちで、これらの作業は粗雑な労働と見なしてはいないでしょうか。しかし、夏の炎天下、今日では機械力を使うとはいえ、その労働は端から見ても厳しいことが良く分かります。まして寒風の吹き荒れる冬には辛い仕事であることは言うまでもありません。
 私達は、背広を着て綺麗なオフィスでパソコンを使うことを上質な仕事、現場で土ぼこりの中、スコップを手にするのは粗雑な労働としてきますが、果たしてそういう区分が妥当と言えるのでしょうか。実は建物の基礎は建物の安全性や耐久性を左右する大切な要素です。今日では、建物を建てる際には、事前に地質調査を行っています。建物がどのような地盤の上に建つのかを知る上で、本来、この溝掘りから発見される知見こそ重要なのです。一方、同じ溝掘り作業であっても考古学の分野では地中の埋蔵物を掘り出す作業はスリリングで胸踊る仕事です。世紀の発見につながる作業には慎重さと考古学の十分な知識が必要です。基本的には同じ作業なのですが、時々によって仕事の価値に差を付けたがるのが私達です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落064

064 The construction of a large building can be used as an example of what we mean, especially when it is to be a new type of architecture. The completed building is pictured on the screen of a man's mind by the consciousness. Once the mind sees the picture clearly a blue print of the impressions is drawn in order to retain the design of the structure. As in the drawing of the house plans, this is the first effect of the cause. Then the blue print is placed in talented responsible hands to bring about the manifestation. This individual in turn procures artisans and materials for the construction.
064 大きな建物の建設はこの意味するところの一例として用いることができます。新しいタイプの建築の場合は特にそうです。完成した建物は意識によってある人物の心のスクリーンに描かれます。その人物の心がそのイメージ(姿)を明確に見るとその建物のデザインを保持する為、すぐに印象に基づく青図が引かれます。家の建築計画の作図の時と同様、これが原因の最初の結果です。次に青図はそれを現出させる任務を担う人の手に委ねられます。この人物は次にその建設に必要な職人や材料を手配するのです。


【解説】
 ここでは、以降(065)で述べられる人間の様々な才能に関する事例の前段として、建物の建築過程について説明しています。
 建築はある意味、極めて創造的な分野です。何も無い空間に立体的な建造物が建ち、完成後は多くの人々が集い、快適に活動する場となる訳で、建物を建てる際には、建築家は様々なアイデアに心を巡らします。そのような建築家の初期の精神活動には本講座で言う「意識」が深く関わっています。建築家の心が新たなイメージを求めて、因の世界からの指導を求め、アンテナを向ける時、遂には意識からの印象を感受します。通常、「アイデアが浮かんだ」とする瞬間です。このイメージをデッサンし、図面化して目に見える結果の世界に写し取る作業が最初の段階です。現実には、予定地にはまだ何も無く、建物は建っていないのですが、建築家にはその完成された姿が見えています。これら設計図面を見て、竣工後の建物の中を人が行き来している状況をイメージできるのは、私達が備えるべき能力の一つでもあります。
 そして出来上がった設計図を基に、様々な機材が手配され、各々の能力を持つ人員が投入されて、建物が出来上がります。このように建物一つをとっても、様々な人間の才能がそれを支えており、どの一つが欠けても、建物を建てることはできません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落063

063 The Bible also states that man has many talents. So we will observe the talents with which the Infinite man is endowed. And the important part which each one plays in the cosmic plan where men are equal.
063 聖書はまた、人は多くの才能を持っているとも言っています。ですから私達は無限なる人が授かっている才能を観察することとしましょう。そして人々が等しく存在する宇宙の計画の中で1人1人が担う重要な役割についてもです。


【解説】
 ここでは人間に備わった才能や能力について述べています。人間には様々な才能があり、各人が社会の中でそれぞれの役割を果たしているのです。これまでは心の身勝手さや原因を知ろうとしせず、結果だけに生きていた存在であるとして来ましたが、その結果の世界においては人間は自身の文明を造り上げて来ました。科学技術も発展させ、現代では宇宙にまでその活動の領域を広げています。
 それらは本文で言う人間の才能を生かした結果であると言えるでしょう。しかし、ここで考えたいのはこれら文明は膨大な数の人間が各々の役割を果たしているということです。例えば電車が動くには、レールと車両、電力が必要ですし、保線や車両の整備、発電機の運転、更には運転士の操作等、様々な人間がそれに介在し、仕事をしていることが分かります。これら全ては人間の才能と言えるものです。他の動物にはこのような分野の才能は見当たりません。それほどに人間には本来、数多くの才能が授けられています。自分ではまだ、気付いていないものも多い筈です。それら人間に等しく内部に備わっている才能に気付くことも、この学習の成果の一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落062

062 Patience and faith are the foundation of such a reward. For those who become impatient become shipwreck.
062 忍耐と信頼はこのような報いの基礎です。短気な者は挫折します。

【解説】
 長年の私達の習慣、更にはこの惑星における太古から積み上げられてきた社会システムの大きな流れの中にあっては、人間本来の生き方を新たに取り入れるのは容易ではありません。まして今までの心の指令に代えて、宇宙にあまねく目に見えず、耳に聞こえない「印象」を通じて会話する存在である意識を自らの教師として受け入れ、結果の世界に加えて、それらの印象を合わせて感受せよということは、初期の段階では気の遠くなる話しです。
 しかし、どのような分野であれ、努力の積み重ねはやがて成果として実を結ぶものです。体験上からも、その結果を得る機会は意外と早く来ます。いわゆる「時間」という概念に私達は捕われていますが、それは行動を起こす前の心の言い訳に過ぎません。実際に努力を続ける内に、その目的地はあっさり到達する例が多いように思われます。
 何もしない段階では、心が勝手に想像する困難のイメージは膨らむ一方ですが、行動を積み重ねる中で、それら仮想のイメージは容易に解消するものです。
 ですから、忍耐強く、目的に向かって一歩一歩近付くことが大切だということです。そして自らが望む目標が創造主の望むものであれば、なおのこと、行く手には数々の支援の手が差し伸ばされることでしょう。創造主への信頼があれば、努力は続けられるものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落061

061 Many people have asked me why I did not ask this or that, trifling things in most cases, but had I done so I would not have the knowledge that I have today. Jesus said, lest you become as a little child you cannot enter the Kingdom of Heaven. Which is the kingdom of cause. And the Bible states that there is nothing hidden that shall not be revealed in time.
061 多くの人々が私にあれこれといった多くの場合、つまらぬことを尋ねなかったのかと聞いてきますが、もし私がそうしていたら、私が今日得ている知識を得ることはなかったでしょう。イエスは言っています、幼子のようにならない限り、天の王国に入ることは出来ないと。それは因の王国でもあります。そして聖書はやがて明らかにならないものは何も無いと述べています。


【解説】
 宇宙兄弟達(Space Brothers)に対する時も、意識に対する時も同様ですが、先ず相手が何を伝えたいのか、何を授けたいのかを心で受け止める受容的態度が重要です。宇宙兄弟達の場合は、遠く遥かな宇宙を旅し、様々な危険にさらされながら、無法惑星・地球に来訪している訳で、私達はそのことを想い、先ずは相手のミッションに耳を傾けるべきです。また意識の場合も、日常めったに心に巡り会うことが出来ない以上、意識からの印象を感受した場合には、それを大切にして自分の心が勝手に騒いだりしないように、先ずは落ち着いてその指導を受け入れるようにしなければなりません。
 ここで言う幼子は人間の素直さを例えています。即ち、心が素直でなければ因の世界に入ることは出来ないと言っているのです。心は好奇心から日常的な様々な事柄に興味がありますが、それより更に重要な私達が宇宙の子供として生きる上で基本的な理解力を先ずは身に付け、実践力を養う必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落060

060 The consciousness is a cosmic teacher and unless the student does as I have done in this case, he shall have nothing but confusion in the end.
060 意識こそは宇宙的教師であり、学習者は私がこの事例で行ったようにしない限り、最終的に混乱以外の何物も得ることはないでしょう。

 これまで述べて来たように、「教師」につくことが学習の早道なのですが、その究極の「教師」こそ、宇宙意識なのだと言っているのです。人間は変化し、変質する可能性もあり、安易に「教師」につくことは得策ではありません。何より自分自身を良く観てみれば、時には邪念が入り込まないとも限りません。しかし、意識はいつも、皆さんの味方です。新緑の季節をご覧戴ければ、あのように青空を背景にして輝く新緑の緑の木々が暖かな光を浴びて嬉しそうではありませんか。これらは皆、各植物に若葉の成長を促す意識の働きかけがあってのことで、一つ一つの植物にとっては自らの成長の一環であり、全体としては5月の輝く美しい風景を構成しているのです。
 一人一人が意識の声を信頼して従う中で、結果として輝かしい、生気溢れる状況が生まれるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落059

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.
059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。


【解説】
 ここでは心を取扱う上での難しさについて述べており、一つ一つの基本的な側面を十分理解することを積み重ねることによって、大成することを示唆しています。逆に言えば、私達の心は常に自分の興味あることのみに注目し、結果を急ぎたがります。しかし、ポイントとなる要素を私達自身がマスターしなければ、容易に脇道に外れ、不完全な結果に陥りやすいということでしょう。
 特にこの「生命の科学」等の言わば太古から地球で培ってしまった旧弊の精神システムを捨てて本来の源流に一大転換する新しい生き方を始める以上、それを成し遂げるには絶大な忍耐と努力が必要だということでしょう。
 最近、一般の多くの場面で「意識改革」とか「パラダイムシフト」とかが、叫ばれています。しかし、これら既存概念の転換は単に頭で理屈が分っただけでは達成できません。問題は刻々の私達の心の姿勢であり、私達の心を落ち着かせ、自らが真に理解したことを実践しながら、着実に前進する中である日、全体の姿が見える(悟り)ようになるのです。そういう意味では、本講座を真面目に、ある意味、愚直に取組めば、「以前より勘が働くようになった」とか、「物事がスムーズに行くようになった」等の成果の断片も出てくる筈です。私達は、それらの細かな成果に満足し、進歩を止めることなく、更に大いなる世界に生きるべく、暖かくも厳しい目で毎日の心の訓練を続けるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落058

058 The mind, in order to learn from the consciousness must humble itself to get each point in a clear manner. For this instruction comes only by impressions. Whether observing an object or listening to sounds, impressions will be given independent of the mind. Consciousness is not governed by habits like the mind is. i.e. When I made the first contact with a space person my mind wanted to know many things, especially things that conformed with my habitual life. I had to control my mind and remain silent so that I could receive all that he wished to impress upon my mind. Had I speculated on what was to be given, I would have missed the significants of the meeting.
058 心は意識から学ぶには各々の要点を明瞭に理解する為、自らを謙虚にしなければなりません。何故なら、この教えは印象によってのみもたらされるからです。ある物体を観察する際や音に耳を傾ける際に、印象は心とは無関係にやって来ます。意識は心のように習慣に支配されておりません。ですから、私が最初に宇宙人と会った時、私の心は多くの事柄、特に私の生活習慣に合った事柄を知りたがっておりました。私は自分の心を抑制し、相手が私の心に印象付けたいと思っていたこと全てを受け入れる為に沈黙を続けたのです。もし私に何を与えられるのか考え巡らせていたら、私はその会見の重要ポイントを見失っていたことでしょう。


【解説】
 それでは具体的に心を訓練するにはどうしたら良いかをここでは説明しています。
 前項で述べられたように、学校における生徒と同様、私達は意識の指導に対して心を謙虚にすることが第一条件となります。つまり、目に見えず、耳に聞こえない因からのメッセージに心を開けと言っているのです。
 また、デザートセンターでのオーソンとの会見の際にアダムスキー自身がとった態度を例えて、宇宙兄弟達に対して謙虚に話しを聞く姿勢を貫いたために、その会見の本来の意義を理解するに至ったと言っています。
 とかく私達の心は騒ぎやすく、また一方では何もしない停止状態のいずれかになりがちです。印象を感受する為には、心を開き(Open Mind)、微妙な印象の流れを中断させず、その印象に心を寄り添わせて、ポイントを理解する必要があります。その為にも、印象の源、意識を自らの導き手として信頼することが必要です。こうした心の訓練を積み重ねることによって、私達の心は次第に意識による印象の指導を自らの人生に取り入れるようになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落057

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。


【解説】
 学ぶ際の基本姿勢について述べています。
 学校の例で言えば、生徒は先生の教え伝えることをまずは受け入れる姿勢が重要です。全く新しい分野や概念は容易には飲み込めません。とにかく先生の言わんとすることに耳を傾け、少しのヒントも逃さず自分のものとする姿勢が求められます。その為には、先生は生徒に全面的な信頼を寄せられていることが必要です。まして、哲学や宗教の分野ではなおのこと教師への信頼が大切です。しかし、問題は教師側にもあることが多いのです。日本には古くからの神道や仏教寺院など、膨大な宗教組織があり、加えて巷には数多くの宗教団体が存在しています。その中には一部の真理は教えてくれるものの、結果的には集まった信者を食い物にしたり、誤った教義に引き込んでいる場合も多いと思われます。
 決して断定する気はありませんが、宗教組織は当初、創始者(開祖)の時代は当時の社会のニーズ、当時の庶民の置かれた状況に救いをもたらす優れた業績を成し遂げますが、その後は膨れた組織体を維持発展させる為の集金組織に変貌する事例が多いのではないでしょうか。
 そういう意味からも私達は、既存の宗教組織に接する際には、慎重であらねばなりません。
 一方、この「生命の科学」シリーズは、この惑星上で使い古された宗教をひも解くまでもなく、新規に宇宙兄弟(Space Brothers)から直接、アダムスキーの最晩年にもたらされた、言わば21世紀を生きる私達に相応しい新しい精神改革の手引き書です。また、学習にあたってもこの講座を通じて自習することができる構成となっています。
 確かに、適切な教師につくことは効果的ではありますが、現状ではその教師役を務められる者はまだ、多く出ていません。自らの内面を観察し、自然をよく観る中で、講座で述べられていることの一つ一つを自分で確認するのが最良の道と言えそうです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落056

056 DISCIPLINE OF THE SENSES
How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の訓練
 諸感覚を訓練することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。

【解説】
 ここではこれまで必要だとしてきた感覚の訓練をどのように行うべきかを具体的に述べています。
 視覚は私達に大きな影響を及ぼしていますが、その視覚を訓練するには、まず、物を見てすぐに判断せずに、「時間をかけて」その物の背景にある要因や生まれた背景について知ろうと努力せよと言っています。
 何よりも万物を支えている生きた宇宙の力(パワー)を感じたいと望むことが始まりです。しかし、そのことは決して現実(現象)を軽視せよというのではありません。このような従来から私達が親しんでいる結果の世界とこれから学ぼうとする因から降り注ぐ力ある印象を同時に感じ取るようにと言っているのです。
 最も分かりやすい例としては、「まずい」「耳障りな」「くさい」などという感覚の拒絶反応を揚げることができます。これらは感覚の勝手な意見ですが、その内容は、その現象(結果)を出すに至った背景や経過などはお構いなしの感覚自体の利己的な意見です。しかし、例えこのような「まずい」「くさい」ものでも、人体にとって必須なものは数多いものです。人体の消化器臓器の内容物は皆、この類いの要素を持っています。表層的な感覚の評価は、そもそも人体自体における果たす役割とは全く関係が無いことが分ります。
 何か感覚が反応した時、その判断を直ちには認めずに、一呼吸置いて、本当にその判断で正しいか、もっと本質的な要素に気付かなければならないのではないかと再考する必要もあるでしょう。感覚の反応を受け入れるのと同時に、関連した印象にも目を凝らし、耳を傾ける態度が重要です。そうする中で、やがては各々の感覚に意識的な部分が育成され、原因と結果が一体となって見聞きすることができるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落055

055 If a family is to be happy, each individual of the family must respect each other member as he would like to be respected. And each must have trust and faith in the parents that are the guiding hands. And so it is with the senses - they are the family that make up the household of a man. And they must be taught respect, trust and faith in each other. And above all, for the parent which in the consciousness. It will not be easy to rehabilitate the senses due to the many habits that they have cultivated. But this must be done if we are to have a heavenly type of life. There is no other way except through learning and understanding the reason for life.
055 もし家庭が幸せになろうとするならば、その家族の各員が自分がそうされたいように互いを尊敬ししなければなりません。そして各々が導き手である両親に信頼と確信を抱かなければなりません。そしてそれは諸感覚についても言えることです。それらは人間という家庭を作り上げている家族なのです。それらが養った多くの習慣の為、諸感覚を矯正するのは容易ではないでしょう。しかし、私達が天国のような生活を得ようとするなら、この作業は成されなければなりません。生命の存在理由を学び、理解することを通じて以外に他の道は無いのです。


【解説】
 以前から繰り返し述べられているように、私達の心は4つの感覚から成り立っているとしています。人間の行動のきっかけは心の意志にあるのですが、その心に通常、情報を与えるのがこれらの感覚であり、実はこれら4感覚同士が内部で争ったり、外部からの情報を勝手に解釈していることに問題の根本があるとしています。
 これら4感覚をここでは、両親(意識)の下にある子供達からなる家族に例えています。人間にとって自己を構成する最も身近な存在であるこれら「家族」が両親の指導の下、調和した状態を保つことが最も重要だと言っています。まさに「心の平安」とはこれら諸感覚の落ち着いた状況を指すものと思われます。その為には、感覚同士が互いに尊敬するよう訓練する必要があります。しかし、これは長年培ってしまった私達の習慣とは反するものです。私達は、「勝ち負け」や「善悪」を明確にし、勝者や正義には特権を与え、敗者や悪人には罰を与える競争社会を造って来ました。その結果、勝負に負けることを恐れ、他人の評価を気にしています。本文はこのようなことの根源は各感覚の「美味しい・まずい」、「美しい・醜い」等の感覚の反応(裁き)にあるとしているのです。
 それゆえ、私達は自らの感覚の反応をよく観察して、それらの傾向を戒める必要があります。生命本来の存在目的について自然から、より深遠な真理を知ろうとする各感覚の意欲を促し、アンテナを鋭敏にすることが求められているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落054

054 Unless the sense mind disciplines itself and allows the consciousness to govern it, it will continue as it has in the past.
054 感覚心が自身を鍛練し、意識に心の支配を任せるようにしない限り、その状態は過去と同様、引続くことでしょう。

【解説】
 昔から、敵は汝自身と言われるように、自分の心をどのように訓練し鍛練するかが大きな課題です。その為には心自体が自らを訓練する他はなく、大いなる意識という目に見えず、耳にも聞こえない「印象」による指導に心自身を委ねることが求められます。
 これに関しては、イエスの幼子の例えが有名ですが、そもそも具体的にはどのようなことをイメージしているのでしょうか。最近、読んでいる本(坂村真民著「坂村真民一日一言」致知出版社、平成18年12月発行、P.20)に次の言葉が書かれていました。
 「宗教は教学ではない。頭でいくら知っても、それは救いにはならぬ。救われなかったら宗教ではない。多くの人は宗教を哲学にしたりする。念仏さえ哲学にする。そんなものでどうして救われるものか。上人(注:一遍上人)の言われるように愚かなる者の心に立ちかえることが宗教であり、信仰なのである。聖書にも幼な子の心になれとある。幼な子に議論などはない。理屈などはない。抱かれる無心な心が、幼な子の姿であって、これより美しいものはないのである。」
 とかく私達は、理屈で理解しようとします。こうして文字を打っているのも、半分は理屈の頭で作文しているのかも知れません。しかし、坂村真民も言うように先ずは、自らを空しくする、宇宙英知の前では全くの無知無学の身であることを恥じた上で、自分のおごりの心を鍛練し、宇宙に遍在する意識に自らを委ねるよう決意することしか、本来の向上は望めないと本文では言っているのです。理屈など考えず、意識に信頼を寄せて、心底受け入れる度量こそが大切だと考えます。幼な子は理屈抜きで、自分の信頼する存在に身を委ねる特質が備わっているから美しいのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落053

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.
053 感覚心(sense mind)のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。


【解説】
 人間のプライドほどに問題を長引かせ、大きくしている要素はないように思われます。日本流に言えば「面子(めんつ)」がこのニュアンスに該当するでしょう。端的に言えば「他者に対して高い地位にある者が低い地位の者に頭を下げるなど、出来る訳がない」、「自分より下の者に教えを請うまねは出来ない」等という苦痛の感情は、皆、この心が持つプライドに由来しています。
 このように、プライドをまず捨てることが必要になりますが、実際にはどのようにしたら捨てられるのでしょうか。そこに、自分以外の全ての者に対する等しい尊敬感が必須の要素となります。人の地位や名誉に関係無く、動物や植物、その他ありとあらゆる万物にも等しく、その存在に敬意を示す気持です。そうすることで、自分と接する方々に対しておのずと受け入れる態勢も生まれ、やがてはトラブルの解決にも繋がることにもなります。
 まして、自分の各感覚については、互いに好き嫌いを言わせないよう、他者を受け入れ、敬う姿勢を貫き通すよう日頃の訓練が大切です。うわべだけの、刹那的な感覚の喜びや他人の評価等は空しい限りです。ともに永続することはありません。私達は、そのような無常な物を追い求めているのではありません。感覚の領分を超えた英知の世界を探究する覚悟を持って、自らの幼子である感覚心を訓練して行くことが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落052

052 And oftimes the mind takes the stand of least resistance, a state of inertia, and does nothing. It tries to escape its responsibility instead of having the determination to learn by correction. It has been said that God helps those who help themselves. So the individual must do something in order to correct the undesired results and have the rewards hoped for.
052 そして、しばしば心は最小の抵抗、慣性状態をとり、何もしなくなります。心は修正によって学ぼうと決心する代わりにその責任を逃れようとします。しかし、神は自ら助ける者を助けると言われてきました。ですから、個人は不本意な結末を修正し、望んでいた報酬を得る為には何かを成さねばなりません。


【解説】
 よく経験することですが、問題が山積して解決方法が分からなくなると人間、眠気が襲うものです。これについては私自身、多くの「体験」があります。一般的にはくよくよせずに、一晩寝て考えようと肯定的に受取られています。それはそれで、当面の対処術としては賢明なのかも知れません。また、問題が整理されずにいる段階では、とかく問題が実際よりも大きく感じられます。その点では、一旦は心の中を空にして整理する時間を創る為に、睡眠や気分転換を図るのも良いかと思われます。
 しかし、ここでは、そのような現象の背景には心が課題に対して前進する代わりに、立ち止まって何もしなくなる(出来なくなる)傾向があると指摘しているのです。慣性の法則というのがありますが、何もしないのが一番労力を使わずに済む訳で、心はどうして良いか分からなくなると、そのまま、じっとして時間が解決してくれることを望みます。しかし残念ながら、そのままでは過ちは永久に修正されず、やがては問題を大きくしてしまうことに繋がるものです。
 実際には大きな問題にぶつかった時、私達の心は何もしなくなりますが、それはそれで仕方が無いことです。私の体験からすれば、その時は休息をとった方が良いと思われます。ポイントは、本文に指摘されているように、「責任逃れ」をしないことです。急ぐばかりが、解決につながるものでもありません。自身の責任において着実に問題に立ち向かって行く勇気と根気が必要なのです。絶えず謙虚さを失わず、他者から学ぶ率直さがあれば、問題解決のハードルも低くなるように思うからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落051

051 In time it must retract these opinions if it is to have a pleasant existence. All of the troubles in the world have been so created. And when they become too great, people decide to place them in The Hands of God, which is the All Inclusive Consciousness that created all things with a purpose. Each person will hope that this Great Intelligence will correct the situation. But when the correction is shown in many cases, it is not accepted for it is not understood by the mind which made the mistake in the first place.
051 もし快適な存在を得るのであれば、いずれはこれらの意見を引っ込めなければなりません。世の中のトラブルの全てはそのようにして造り上げられて来ました。そして、それらトラブルが大きくなりすぎると、人々はそれらを万物をひとつの目的で創造した全てを包括する神の御手に委ねることを決意します。各個人はこの偉大な知性が状況を修正してくれることを望むのです。しかし、多くの場合、修正法が示されても、その修正案は受け入れられません。最初に過ちを犯した心によって理解されないからです。


【解説】
 感覚の意見が人間を支配し、トラブルを引き起こしている以上、私達は日々の生活時間の中で、これら感覚による好き嫌いの意見に気付くことが大切です。現実の場面では、これらは複雑、巧妙に織り込まれているため、世の中の問題となるようなものについては、単純に人間の感覚に問題があると指摘することは出来ないかも知れません。
 しかし、人生において最大のトラブルである病気については、どうでしょうか。病気には様々な原因がありますが、痛みや苦しみに対してどのように自らが振る舞うか等、まさに病気に際してとる態度は本人の内面を反映するものとなります。出来うるなら、たとえ死を迎える事態であっても心落ち着いて、穏やかに最期を迎えたいものです。
 通常、人間の心は問題が大きくなり、到底自力では解決できないと知った時、全能なる神に全てを委ね、祈ります。それはそれで、正しい道なのですが、祈るだけでは不十分だとしています。神(因なる創造主)から授けられる解決策(メッセージ)を受信し、理解することが最低限必要なのです。この為には、日頃から創造主から降り注がれている印象に耳を傾け、同調できる姿勢を維持しておくべきなのです。騒がしく浮ついた心を落ち着かせ、印象に敏感になるよう感覚を鋭敏に保つことです。そうすれば、解決策はすぐにも示されることでしょう。
 自然界の他の生物達は皆、その種の能力を発揮しています。地震や噴火、嵐のような自然災害も事前に察知していたという事例も多く聞くところです。ひとりひとり、当面している状況や問題は異なりますが、是非、心を落ち着かせて因なる創造主から贈られるアドバイスに気付く努力を続けて戴きたいと考えます。ラジオやテレビと同様、多くの放送局を通じて折角の有益な放送がいつも流れている中、既存の4感覚だけに選局を限定していたのでは、もったいない限りです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落050

050 Jesus said a double minded man is unsuitable in all of his ways. And it is double minded when one sense likes something and the other does not. So Jesus urged man to be single minded in all of his ways. In other words unite all four senses for the purpose of service and not judgment. And this can only be done by conscious guidance. For in consciousness there are no likes or dislikes, it understands the purpose for all manifestation but the mind does not. All manifestations are conceived in consciousness and born into the world of effects. Just as the mind was conceived in consciousness and born as an effect of that conception. This is why it is so easy for the mind to guide itself by effects. And not having the knowledge and the reason for all of the effects it passes judgment in either likes or dislikes.
050 イエスは2心ある者は全ての道において不向きだと言いました。そしてひとつの感覚がある物を好み、他の感覚が好まない時、2心となるのです。それゆえ、イエスは人に全ての道において心一つになるように求めたのです。言い換えれば、裁きではなく、奉仕の目的の為に4つの感覚を統合せよということです。そしてこれは意識の導きによってのみ為され得るのです。何故なら、意識の中では好きとか嫌いとかが無く、全ての創造物(注:manifestation)にとっての目的を理解していますが、心はそうではないからです。全ての創造物は意識の中ではらまれ、結果の世界に生まれて来ます。丁度、心が意識の中ではらまれ、その結果として生まれるのと同様です。これが心が自分を結果によって導くことをそのように容易になる理由です。そして心は結果物の全てについての知識や理由を知らないが故に、好き嫌いの判定を下しているのです。

【解説】
 私達はこの世に生まれ落ちて以来、成長の過程にあります。創造物は因なる世界を経て、結果の世界において肉体を得ます。このようにして誕生した私達は、生まれた当初、その創造の過程における神の御手のぬくもりや輝きを放っています。しかし、やがてその者を司る「心」がその者を支配するようになります。心が未熟であり、知識や深遠な理由を知らないが故に、私達の心はその感覚を通じて得る情報を頼りに日々の生活を送るようになります。通常、私達の心はその存在の源となる因なる世界を通じて私達創造物を導いている意識の存在に気付くことがない為、結果の世界、目に見えるもの、耳から聞こえることを頼りに、自らを周囲の危険から守り、どん欲なまでの食欲によって自らを生き長らえさせようとします。
 しかし、この時、心の構成員の中で意見(判断)が分かれることがあります。それを「2心」と表現しているのです。いわゆる「迷い」の源がここにあるということでしょう。迷いは不完全な行動をもたらし、多くの場合、好ましい結果はもたらしません。迷いや躊躇なく行動する為には「心一つ」にならなければなりません。これは集団においても同様です。渡り鳥の群れの動きを見ればその見事さが分ります。皆、一斉に同じ方向に一糸乱れず飛び、外敵をかわす様はまるで一羽の鳥のように振る舞います。これらは固体における「2心」どころか、全体が文字通り、「心一つ」に一体化していると言えるものです。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ