275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。




【解説】
 確かに私達には少なくても何百、何千という想念・印象がやって来ることでしょう。その内、実際に私達が気付き取り入れるのは、ほんのわずかという訳です。本当はもっと多くのアイデアを持ち、事業も発展できる環境にあるのに、それを生かし切れていないのが私達です。
 本項ではその原因を、私達が事前に特定の分野の印象しか受け入れようとしない傾向にあることを指摘しています。つまり、私達自身の関心事を如何に広げるかが求められているのです。
 しかし、本人の関心事を拡げるのは容易ではありません。本来、最高位の創造物である人間はあらゆる事柄に関心を持たねばなりませんが、エゴが高慢になった挙句、自分以外の存在物に敬意もなく、尊敬もなくなってしまったのではないでしょうか。
 それを打破するためには、再度、自ら自然を探求する他、手段はありません。植物画や昆虫の絵本等、精緻な絵画を描く画家は皆、年配になっても生き生きとされているように思われます。言葉を発しない生きもの達を観察し、画としてその姿を再現する過程にそれら生きもの達との一体感の中で、より深い理解が広がって行くに違いありません。