252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.
252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。



【解説】
 記憶喪失については、ドラマ等で演じられることはありますが、私自身はその実態をよく知りません。しかし、記憶を失くすことがどのような事態をもたらすかは本項にもあるように、その後の本人の人生に大きな影響をもたらすことになります。
 このようなケースは一見、稀のように思えますが、こと宇宙的記憶、転生に引き継がれるべき記憶となると誰にでも起こっている一般的な現象ということになるのです。
 本来、私達は前生涯で培った知識や技能を何ら生かせず全てを忘れたまま、本生の人生を再び一からやり直しているという訳です。つまりは自らが本来保持すべき記憶を十分に留める努力をしない限り、折角の体験が生かされないことになる訳です。
 また本項で著者は私達に考えるヒントとも言える言葉を残しています。"the body still maintains the identidy(肉体は依然としてその正体を保持している)"。肉体は従来のままなのだが、それ以外のもの、即ち私達の心にとっての前の人格は死んでいるとも述べています。つまり心が参照すべき人格が失われているということです。言い方を替えれば、人格が無くなっても肉体は維持される訳ですが、それはそもそも何の為に肉体があるのかということにも及びます。私としては、人格が一番重要な要素であり、仮に肉体が同じでも人格が異なれば別の人物とも言えるからです。
 このように人格と記憶は一体のものと言えるのです。