207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。



【解説】
 私達は多かれ少なかれ何かをしたいという願いがあるものと思います。具体的なイメージが無い場合も多いのですが、何か自分の目的を探して暮らしている人も多いのかも知れません。出会いを求めるという訳です。
 実はそうした背景には、その人の過去の学習体験、とりわけ学習の過程で見失った要素が関係していると本項は説いているのです。自分に必要であった要素を当時、見失ったために今生においてそれとの再会を願うのだということです。
 実はそれ程に私達の生活の中での学習体験は重要だということでしょう。各自の成長に必要な要素は死後の転生先にも引き継がれる訳で、自分自身その理由は分からなくても自分が必要な要素を提供して呉れる者や言葉(教え)との出会いを求めるものだとしています。更にその出会いが出来た時、幸福感が湧き、更に学びたいという欲求が起こるとしています。
 これらが本来のカルマというものでしょう。日々行動する中でその出会いのチャンスが生まれます。