205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。



【解説】
 ここで注目すべきは、印象・インスピレーションは確かに受信の際は瞬時に来るものですが、実際にはその後も印象の経路は続いているということでしょう。丁度、印象が流れる道筋が出来たように、想念・印象の送り手と受け手の間に印象のチャネルが形成されるということのようです。
 即ち、ひとたび創造主あるいは高次の人物からの想念・印象を感受出来れば、以後は比較的容易に印象は流れ込んで来るという訳です。
 しかし、本文にあるように受け手の側に取り扱いを誤る事態があれば、その印象の流れが滞り、不都合が生じることになります。意思が通わなくなる訳です。またこのことからも分かるようにひとたび高尚な印象を感受することが出来たとすれば、その時、私達はその印象の発信者とのチャネルが出来たことになり、大変貴重な機会を得たことになります。出来るだけその状況を記憶し、その後も継続的に繋がるような心境を保つべきでしょう。印象を大切にする根拠はこの点にもあるのです。