127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。



【解説】
 その者の知性は外見ではなく、その者の行動や発言等、表現の中に表われると説いています。とかく私達は外見を整えること、見た目の良しあしという自らの視覚の判断によって評価しがちです。しかし、その者の内側の知性と外見とはあまり関係がないと本項は私達に諭しているのです。
 その証拠に私達は私達の身の回りに他惑星から来ている宇宙人に気付くこともありませんし、だまそうと近づいてくる者に容易にだまされ餌食になりやすいのです。
 外見ではその人の本質が分からないことは、イエスも聖書の中で自分が復活して戻って来た時に多くの人達がその人物がイエスであることに気付かないと話していたこととも一致しています。
 私達は形あるものの内部にある不変の魂、知性にもっと関心を持つべきで、視覚の反応に過ぎない外見への関心を捨て、そのものの本質を理解しようとする融和、融合的な心境になる必要があります。いわば自分の意識を対象の内部まで浸透させ、相手の意識と一体となることで相手を理解するというような感じかも知れません。