124 It is man's duty to be a happy child in his Father's house, and to do this he will have to be aware of the house. He must be aware that he is now in the heaven that he is seeking to enter and that within his form of self is the ever present all-inclusive intelligence.
124 自らの父の家の中で幸せな子供になることは人の義務であり、それを為すためには、人はその家の存在に気付かねばなりません。人は自分が現在、入りたいと求めてきた天国の中に居ること、また自身の形あるものの内側に全てを包含する永続する英知があることを気付かねばなりません。




【解説】
 必要なもの、生きる力となるあらゆる知識が必要に応じて与えられる環境を”天国”と言わずして何と呼ぶべきかということでしょう。私達自身の内側、手や足よりも近くにその湧き出す源が各自に備わっていると本項は説いています。
 自然界を見て分かることは野の草の葉1枚、或いは花びらの一片にも驚く程の美しさがある訳で、創造物の中で本来、最高位を占めるべき人間にはそれら以上に美しく幸せな生き方が用意されているのです。またそのような状態に戻ることが創造物としての義務である訳です。
 すべてが自分の中にあるとなれば、敢えて外に求める必要はなく、状況を快く受け入れ、心の中に湧き起る印象を大事にする生活が始まります。結局、これまで”努力”して来たことの多くは知識の無い自我がガムシャラに結果を追い求めて疲弊するだけの毎日でありましたし、少しでも思い通りにならないことに落胆することも多かったように思います。
 それに引き替え本項で説かれている内容は、決して未来を悲観することなく、私達自身の可能性と明るい未来が待っていることを私達に説いています。”愛燦々”の歌詞に「過去たちは優しく睫毛に憩う」、「未来達は人待ち顔して微笑む」とあります。つまり涙が睫毛につくことがあっても、愛が燦々と自分に降りかかってくる環境の中では、人生は嬉しいものだと歌っており、本項のイメージを多少汲み取っているのかと思う次第です。