100 In these days of restless activity and innumerable new discoveries, in the babble of uncounted creeds claiming space contacts and guidance, and in the uncertain whirl of diversified circumstances it is well to contemplate this bit of wisdom and stabilize oneself in the thought that action begins with one single step. That regardless of how far or how near the goal may be there can be only one step taken at a time. It is the first stride forward or backward that will carry a man in that direction. This is true of every act of our daily lives and is just as true in our start to live a unified life. It takes but one step at a time to lift us out of the rut of the old habits and start us on the highway of the new, but that step must be complete; we cannot put one foot forward and keep the other in the rut, for in such cases we will have made no progress. That is what many people are doing in their effort towards moving into the newness of cosmic life - trying to go forward into the vastness of Cause while clinging to the limited sense conceptions of traditional belief and opinions.
100 今日の落ち着きのない活動と無数の新しい発見の時代、宇宙人とのコンタクトや導きを得たと主張する無数の信条のたわごとや様々な状況下におけるはっきりしない渦の中にあっては、この知識の小片をじっくり考え、行動は一歩から始まるというその考えの中で自分を安定化することは良いことです。ゴールが如何に遠いか、あるいは近いかに係らず、一時に一歩しか進むことはできません。前進であれ後退であれ、その方向に人を運ぶのは最初のひとまたぎです。これは私達の日常生活のあらゆる行為についても言えることで、統合された生命を生きる上で私達がスタートする上でも同じことです。古い習慣のわだちから私達を引き上げ、新たな王道で私達をスタートさせる為に一時にただ一歩が必要なだけですが、その一歩は完全でなければなりません。私達は一方の足を前に、他方をわだちの中に置いたままにしておくことは出来ません。そのような場合、私達は進歩することはありません。それは多くの人達が宇宙的生活の新鮮さの中に移行しようと努力している中で行っていることでもあるのです。因の広大さの中に行こうとする一方で、伝統的な信念や意見という限定された感覚の概念にしがみついているのです。



【解説】
 今も昔も宇宙人とのコンタクトやいわゆる超能力の発現事例など、人々の関心を惹きつける話題は多いものです。しかし、その中でどれが真実であるかの見極めは難しいものです。本人に悪意が無くて何らかの勢力が仕組んだものもあるでしょうし、もちろん本物もあるのです。
 そうした中、私達は自らの力で真実を見極め、有用な事例を学んで行く必要がある訳ですが、その判断基準はこれまで学んで来た事柄をベースにする必要があります。もちろん、真実は普遍のものですから、たとえ時間が経っても色あせることはありません。そういう意味では直ちに飛びつくことなく、冷静に観察する慎重さも必要でしょう。
 最も望ましいのは、自らの力で自身の歩む道を開拓して行くことですが、それも一度に一歩ずつの前進で良いのです。しかし、本文で述べられているように、進歩の道に足を踏み出しても、もう片方の足が古い習慣のままにいるのでは、進歩の妨げになります。少しの歩みでも、翌日はその経験を踏まえて、改善させる決意が必要な訳です。習慣に流されてはならないこと、また、日々の少しずつの歩みが有効であると著者は説いています。