4. PERCEPTION AND CONCEPTION
052 "What man can conceive he can also achieve," has been said, but between conception and achievement there lies a middle step which is perception. We are familiar with the use of the word perception as used in relation to a faculty of receiving knowledge of external things by the medium of the senses. This same faculty may also be used to alert the senses to a Cause Intelligence which is beyond its effective scope of perception. Conception is constantly taking place within man; the conscious intelligence of the cosmos is eternally incarnating in matter, but unless there is awareness on the part of the mortal sense mind these thoughts are liable to pass on without ever being recognized in the world of form. We know that thought is the basis of human action and there are millions of thoughts that pass over the highway of mind every day, but man perceives approximately one thought out of every hundred which is conceived within his mind.
第4章 知覚と受想
052 「人が思いつくことはまた、実現することが出来る」と言われて来ました。しかし、思いつくこと(受想)と実現の間には、知覚という中間の段階があるのです。私達は知覚という言葉を、感覚という媒体を通じて外の物事の知識を得る能力に関連させてよく用いて来ています。これと同じ機能は知覚の効果的な範囲を超えた宇宙的知性に感覚を鋭敏にさせるためにも用いることが出来ます。受想は人間の中で常に起こっており、宇宙における意識の知性は永遠に物質の中に体現していますが、肉体の感覚心の側に気付きが無ければ、これらの想念は形あるものの世界の中で認識されることのないまま、通り過ぎてしまい易いのです。想念は人間の行動の基本であり、また毎日、心の大道を何百万もの想念が通過していますが、人は自分の心に受想されるおおよそ100に1つの想念を知覚するだけであることを、私達は知っています。



【解説】
 本項から第4章に入ります。本章ではより精密に想念・印象がどのようにして各創造物を通じて実現までつながって行くのかを学ぶことになります。
 その最初の課題として、想念が知覚されるまでどのような経路を辿るかが本項で説かれています。即ち、私達がインスピレーションを得て何かこれまでにないことを成し遂げたという場合にも、その発端は私達がそれらの想念・印象に気付くこと、受想することから始まるという訳です。このConception(ここでは「受想」と訳出しています)は、実はあいまいながらも何らかの想念波動との接触を感じた程度の段階の知覚ということになります。これは漠とした状態であり、その存在を知っただけだと著者は説いているのです。  その想念・印象をより具体的なものとする為には、既存の感覚器官の側でも認識しなければなりません。色調や形状、音や味覚等々、普段の私達が接している感覚が認識しなければならない訳です。つまり応用する為には、単にぼおとして印象をとらえているのではなく、自らの感覚をそれらの合一させて理解することが必要だと言うことでしょう。
 これらの作業ははじめの内は容易ではないかも知れませんが、文末に記されているように、既に自分達には現状でも100倍以上の想念を受想している訳で、少しでも自らの心をその方向に向ければ、アイデアは泉のように湧いていることに気付く筈です。