013 Those who are idealistically inclined will answer, "It is reality!" And those who are founded upon a cold scientific basis will answer, "Fact." Others will say that truth is that which is opposed to untruth or is that which is good. To those who gave the first two answers I shall say you are correct so far as you have gone but I shall proceed to catch you in a net of your own weaving. The latter answer that truth is that which is good is utterly misconceived and evasive.
013 理想的な傾向がある者は、「それは現実だ」と答えるでしょう。また冷徹な科学的基礎に立つ者は「それは事実だ」と答えるでしょう。他の者達は真理とは偽りに対立するものだ、あるいは良きものだと言うでしょう。その最初の2つの回答を出した者については、私はあなた方がそう言う限りにおいて、あなた方は正しいと言うべきでしょう。しかし、私は更に進んであなたをあなた自身の編目で捕らえようと思います。一方、真理とは、良きものだとした後者の回答は全くの誤解であり、言い逃れです。
【解説】
「真理」をどのように認識するかは、大事なところです。自らが宇宙を流れる永久不変の原理、私達を含めて万物が拠って立つ原則がどのようなものとして各自が認識しているかが、問われている訳です。
この点について、以降の講座を通じて学んで行く訳ですが、著者は先ず、私達に「真理」とはどのようなものとして認識しているかを問い掛けているということでしょう。丁度、禅の入門者にその見識を問う問答のようなものかと思われます。
私達はこれまでの善悪や好き嫌いの観念では広大であらゆる要素を包括する原理をイメージすることが出来ません。地震や津波、火山噴火等、時に生命を奪う自然の活動もこの中に含まれますし、私達が毎回の食事を摂り、仕事をする中でも他の生命を収奪しているケースも数多いのです。そうした段階の生き方も含めての真理があり、そのイメージはこれまでの私達が想像も及ばない拡がりを持ったものだと言うことでしょう。
『ヨハネ黙示録』
「不幸だ、大きな都よ、不幸だ。
その都のおごりによって、海に船を持つすべての人が富を得ていたのに、おまえはわずか1時間のうちに荒廃に帰してしまった。」。
天よ、この都のことで喜べ。聖なる人々、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。神はあなたがたの訴えを聞き入れて、この都を裁かれたのである。
すると、1人の力ある天使が、大きなひきうすのような石を持ち上げて海に投げ入れて言った。
「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやけっして見いだされることはない。歌を歌う者の声、竪琴を弾く者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の樂の音は、もはや、おまえのうちには全く聞かれなくなる。