371 The rose had nothing to do with the creation of the lily, or vice versa; so man cannot judge one by the other. They are two distinct phases of plant life; and as such, should be recognized equally for their individual character. Yet, by judging and condemning the ideas that are presented to us through our senses, we daily judge and condemn the Creator's manifestations.
371 バラはユリの創造には何らの関係はありませんし、ユリも同様です。ですから、人間は他のものによって、そのものを裁くことは出来ません。それらは植物の生命の中の二つの別個の側面であり、このようにそれら個々の性質として等しく認識されるべきです。しかし、それでも私達の諸感覚を通して私達にもたらされる諸々のアイデアを裁き、非難することで、私達は創造主の創造物を毎日のように裁き、非難しているのです。
【解説】
想念・印象も含め私達が日々出逢うもの全てに対し、先ずは外見その他で優劣・好き嫌いの査定を厳に慎むことから始めなければなりません。実は、その点で私達の感覚が重要な責任を持っていることになります。外見は視覚、臭いは嗅覚、味は味覚等々、私達の既存の感覚が主人(私)に代わって次々に来るものに対し、裁定を下していることが問題なのです。
この「裁き」を消すことが出来れば、従来それに掛かっていた私達の心は、もっと寛容、客観的に各々の現象を観察でき、やがては、より精緻な想念・印象の動きにも気付けるようになるものと思われます。
「裁く」ことはまた、一方では「裁かれる」ことにもなる訳で、これら一人一人の変革は地道ながらも社会を変える大きな力になる筈です。
『ヨハネ黙示録』
さらに、小さな者も大きな者も、富める者も貧しい者も、自由な身分の者も奴隷もすべて、その右手か額に刻印を受けさせた。こうして、刻印、すなわち、あの獣の名、あるいはその名の数字を押され散る者以外は、物を買うことも売ることもできないようにした。ここにそれを解く鍵がある。賢いひとは、あの獣の数字を計算しなさい。それは人間の名を指す数字である。その数字は六百六十六である。
小羊の仲間たちの歌
それからまた、わたしは幻を見た。小羊がシオンの山に立っていた。この小羊とともに14万4千人の人々がいて、その額に小羊の名とおん父の名とが記されていた。