196 Let us now take the example of the cheerful, optimistic person, who looks upon all manifestation and "knows it to be good." The uplifting thought frequencies from this person will elevate our own vibrations, and our day will be enriched through contact with him. And although not necessarily conscious of it, as long as this influence lasts our minds will be operating on a higher frequency level. Just like the house that was impregnated with love and laughter, drawing us back for frequent visits, we will seek this person's company.
196 今度はあらゆる創造の現れを見て、「良きものであると知って」いる陽気で楽観的な人物の例について取り上げましょう。この人物からの高揚させる想念振動は私達の波動を高め、私達の一日はその人物と接する中で豊かなものになることでしょう。そして、それを意識しておくことは必ずしも必要ではないのですが、この影響が続く限り、私達の心はより高い周波数レベルで運用されることになります。丁度、愛情や笑いで満ちた家のように、私達はそこを何度も訪れたいと思わせるように、私達はこの人物と同行することを求めることでしょう。

【解説】
 いつかどこかで述べたかと思いますが、以前ある方から「人間明るくなければダメだ」というお話を伺ったことを覚えています。当時はその意義をよく理解出来ていなかったのですが、ようやく最近になってその重要性を認識出来るようになりました。明るさというのは、宇宙に流れる生命力そのものが万物を本来の創造の目的に沿うよう、即ち創造主の恵みの方向に導いていることを受け入れていることだったのです。
 しかし、これは全てを何処かの教祖に委ねてしまう新興宗教の類の姿勢とは異なる点に注意が必要です。各自が宇宙に流れる生命力を知覚でき、自らの役割、心身の働き等々を自ら学ぶ中で、たとえ現実社会が乱れ、低次な想念で汚染されていても本来の行く末は明るい展望があり、何より現在の生命活動の中に真理があることを自覚することが重要です。
 その人から発せられる想念・印象は人間のみならずあらゆる生命体が同調し理解し合えるものと信じています。想念・印象のレベルでは互いに相手を理解できる訳で、良き印象を放つ者に多くの者が集まることは当然のことです。かつて地上に居られたイエスや仏陀は今もって多くの者に慕われ、教会や寺院にそのイメージが建立されています。そのお姿に手を合わせることで各自の想いを伝えようとしているのです。