033 In the early ages of human development, man had been content to accept the world in which he lived as a mere five-sense manifestation. But as he grew wiser, he noticed actions taking place about him that were difficult to explain-actions that seemed to transcend these powers of outer perception. Puzzled by what he beheld, yet having no physical sense to account for this phenomenon, he relegated it to a realm of his own invention.... the sixth sense! He was then content (and still is), to consign everything not explained by his senses to this indefinable, mysterious plane.
033 人間の発達における初期の年代においては、人は自分が5感の創造物として生きているに過ぎない世界を受け入れて満足していました。しかし、成長して賢くなるにつれて、人は自分の周りに説明できない諸作用、即ちこれら外側の知覚力を超えるように見える作用が起っていることに気付きました。人は自分が見たものに当惑したものの、この現象を説明する物理的な感覚を持ち合わせていないことから、人はそれを自分の発明品の領分に追いやってしまいました。それが第6感です。人は自分の諸感覚では説明できないあらゆるものをこのはっきりしない、神秘の次元に委ねることに、これまでそして現在でも甘んじているのです。


【解説】
 実は私達自身は本項で言うような「五感」至上主義の認識の中にまだ生きているように思われます。自分の目、耳、鼻、舌そして手で触れることが出来る、ある意味確固とした物証の上に私達は暮らしている訳です。
 しかし、少し生命活動の内側を覗いて見れば、目に見えない微細なる世界の中で驚くべき活発な活動がなされ、様々な仕組みが働いていることが分かります。そして何よりもそれら活動に関連して、宇宙の源泉から絶え間なく印象類が伝えられていることに気付けば、私達は実際には印象のレベルでは非常に活発な世界に生きていることが分かります。
 これら印象類の取扱いの受け皿として、何か新しい「感覚形態」を人為的に想像して見ても解明には程遠いことは明らかです。私達は何とかこのような安直な言い逃れを廃して、本質に立ち向かうべきだということです。
 毎日休み無く鼓動する心臓が私達の生命を支えていることは承知できる訳ですが、その鼓動から何を洞察出来るか、それら与えられ続けている生命力に対して、ふさわしい日常生活を送っているかが問われています。