338 You may say, but can a sense mind create ? Yes, for the mind is an effect of a cause and it carries the same potential. All jealousy, hate, etc., are man's creation, for in the Cosmos we find none of these. And both the normal cells and the abnormal cells keep records of all actions to which the sense mind can go for information when the need arises. Normal cells will give the individual correct information, while the abnormal cells will give misleading information based on past experiences. Both live by multiplication. This is the law of survival, so the abnormal ones will strive to multiply and resent any interference, while the normal ones do not resent or resist interference.
338 貴方は感覚心は創造することができるのですかと言うかも知れません。出来るのです。何故なら心は因の一つの結果であり、それは因と同じ潜在力を携えているからです。全ての嫉妬、嫌悪その他は人の創造結果です。何故なら大宇宙にはこれらのいずれも見い出すことはできないからです。そして正常な細胞達と異常な細胞達の両者とも感覚心が必要性が起った時に参照しに行ける為の全ての行動の記録を保持しています。正常な細胞は各自に正しい情報を授けますが、異常な細胞は過去の経験に基づいて誤解させる情報を与えます。両者はともに細胞分裂によって生き延びています。これが生存の法則であり、異常細胞は細胞分裂に励んで如何なる邪魔に対しても腹を立てますが、正常な細胞達は腹を立てたり、妨害に抵抗することはありません。
【解説】
したたかな感覚心が、どのようにして英知を盗み、自らの勢力増強の為、画策しているかを本項は明かしています。生命が備える過去の経験や活動経過を調べて、それを自らの子分を生み出す為に利用する、悪質な存在であることが、本項で暴かれている訳です。
そういう意味では、私達は通常、全ての者が「悪人」である訳ですが、こうした実情を直視すれば、改善の方向性も見えて来ます。どのようにして自然界の他の生きものはこのような「妬み」や「不満」、「悲しみ」に囚われないのか、植物は枝を切られても更に伸びようと境遇に逆らわず、柔軟なる態度を貫いていることにも注目したいところです。
このような自然界の生きもの達がどうしてそれを可能にしているかについて、深く考える必要がありそうです。また、それと同時に私達の身体内部の浄化(みそぎ)についても心を尽くしてその実現を目指し、心身共に清明なる状態を維持すべきことは言うまでもありません。
338 貴方は感覚心は創造することができるのですかと言うかも知れません。出来るのです。何故なら心は因の一つの結果であり、それは因と同じ潜在力を携えているからです。全ての嫉妬、嫌悪その他は人の創造結果です。何故なら大宇宙にはこれらのいずれも見い出すことはできないからです。そして正常な細胞達と異常な細胞達の両者とも感覚心が必要性が起った時に参照しに行ける為の全ての行動の記録を保持しています。正常な細胞は各自に正しい情報を授けますが、異常な細胞は過去の経験に基づいて誤解させる情報を与えます。両者はともに細胞分裂によって生き延びています。これが生存の法則であり、異常細胞は細胞分裂に励んで如何なる邪魔に対しても腹を立てますが、正常な細胞達は腹を立てたり、妨害に抵抗することはありません。
【解説】
したたかな感覚心が、どのようにして英知を盗み、自らの勢力増強の為、画策しているかを本項は明かしています。生命が備える過去の経験や活動経過を調べて、それを自らの子分を生み出す為に利用する、悪質な存在であることが、本項で暴かれている訳です。
そういう意味では、私達は通常、全ての者が「悪人」である訳ですが、こうした実情を直視すれば、改善の方向性も見えて来ます。どのようにして自然界の他の生きものはこのような「妬み」や「不満」、「悲しみ」に囚われないのか、植物は枝を切られても更に伸びようと境遇に逆らわず、柔軟なる態度を貫いていることにも注目したいところです。
このような自然界の生きもの達がどうしてそれを可能にしているかについて、深く考える必要がありそうです。また、それと同時に私達の身体内部の浄化(みそぎ)についても心を尽くしてその実現を目指し、心身共に清明なる状態を維持すべきことは言うまでもありません。
『マザー・テレサを支えたことば』
いまにも倒れそうな人の背中に手を当てて支え、水や食糧をあたえ、風呂に入れてタオルで拭き亡くなっていく人を力づけ優しく看取りました。
その無償の愛に世界中が涙し、たくさんの人がマザーのもとを訪れました。このことは皆さんもよくご存じのことと思います。
しかし、だれもがマザーの活動を称賛したわけではありません。とくに救援活動を始めた頃は、冷ややかな批判を浴びせる人たちもいました。
このインドの国内では、毎日数知れない人たちが道端で亡くなっているのにそんなことをして一体何になるのですか、わずか数人を助けたとしても焼石に水ではないですか、無駄ではありませんか、という批判は、その最たるものでした。
相次ぐ批判や嘲笑にうちのめされそうになることもあったに違いありません。そういう時マザー、そしてそれに繫がるたくさんの人達はキリストのこのことばに寄りすがるようにして自らを支え、目の前で苦しんでいる人のために精一杯の活動を続けていくのです。
(聖書のことば 鈴木秀子著より)