282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。
【解説】
本項以降で著者は私達にいわゆる「土星旅行」の際に著者が見た光景と得た体験を「意識的に一体になる」手法で、追体験するよう求めています。
よく物語に引き込まれ、その世界に浸ることがありますが、それは意識的に融合した結果、生まれる感覚のように考えます。即ち、書物に書かれた物語であれば、それは著者が執筆時に意識していた世界と同じ状況に読者の意識状態が同調することを意味しているものと思われます。
従って、もし意識を自由に動かして様々な世界に移行することが出来れば、居ながらにして遠隔地の出来事や過去や未来についてもある程度、把握することが出来ることでしょう。
一見、何気なく例示されている「土星旅行」ですが、著者アダムスキー氏にとっては、これまでにない大きな意味のある宇宙旅行であったことが分かります。「生命の科学」の学習においても自らの意識の作用を理解する上でも、著者がここで何を伝えようとしているのか、注意深く次項以降を読み解く必要があります。
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。
【解説】
本項以降で著者は私達にいわゆる「土星旅行」の際に著者が見た光景と得た体験を「意識的に一体になる」手法で、追体験するよう求めています。
よく物語に引き込まれ、その世界に浸ることがありますが、それは意識的に融合した結果、生まれる感覚のように考えます。即ち、書物に書かれた物語であれば、それは著者が執筆時に意識していた世界と同じ状況に読者の意識状態が同調することを意味しているものと思われます。
従って、もし意識を自由に動かして様々な世界に移行することが出来れば、居ながらにして遠隔地の出来事や過去や未来についてもある程度、把握することが出来ることでしょう。
一見、何気なく例示されている「土星旅行」ですが、著者アダムスキー氏にとっては、これまでにない大きな意味のある宇宙旅行であったことが分かります。「生命の科学」の学習においても自らの意識の作用を理解する上でも、著者がここで何を伝えようとしているのか、注意深く次項以降を読み解く必要があります。
意識だけでなく、実際の肉体が行ったのですね。
《聖パトリック》(アイルランドの使徒)
パトリックは、少数の信者を組織しアイルランド全土に一大布教活動を展開し、ほとんどすべての住民をカトリックの信仰に導いた。
パトリックは385年、スコットランド(イギリス北部)の敬虔な家庭に生まれた。401年16歳の時、アイルランド人がブリタニアに侵入したさい、海賊にさらわれアイルランドに送られ、奴隷として売られた。そこで6年間、羊飼いをした後、神への奉仕に一生を捧げようと決心し脱走をして、首尾よく故郷の両親のもとに帰ることができた。
その後、司祭を目指して、あちこちの修道院で学んだが長い間勉強を中止していたため、その苦労も大変なものだった。苦学のすえ、ようやく哲学、神学を終了し、司祭、司教となりアイルランド布教を任命されたのが、432年のことだった。
当時のアイルランドはそこかしこに少数のカトリック教徒が散在していたが、住民の大半は偶像崇拝に陥っていた。そこで、パトリックとその同伴者はアイルランドに上陸してから、最初の復活祭にスレインの山に登った。丁度その時、ローゲアー王は、大勢の酋長と祭司を集めて春の祭りを行っていた。王はこの祭式の間、自分の手でつけた火以外には、他の火はつけてはならない、と禁じていた。にもかかわらずパトリックは大胆にもスレインの山上にかがり火をたいたのである。すぐに、捕えられ王の前に連れ出された。その時パトリックは堂々と王に向かって神の教えを熱心に説いた。それが3日3晩続いたという。その結果、酋長をはじめ何千何百の住民が洗礼と堅信の秘跡を授かった。
こうして信者の数が増えるにつれ、パトリックは組織的に島全体の布教をはじめ、多くの司教区をつくった。かれは一大家族を引き連れて、布教に出かけた。すなわち補佐役の司教、司祭、判事、ボデイガード、聖歌隊、ぶどう酒造人、祭具係り、給仕、馭者、きこり、牛飼い、鍛冶屋、職人、裁縫し、石屋などがついていたのである。この大家族は土地の慣習にならったもので、パトリックがいかにその地の慣習に自からを順応させるように努めていたかを示すものである。