263 A good example of this can be found in two people who decide to join together for life. Each is an individual with habits in his or her way of life, yet after years of life together they not only take on each others habits but they start to look alike. All because they have become aware of one another as though they were one. Even pets, such as dogs and cats etc., oftimes take on the personality of the master. So we can see that a constant reminder or association becomes an automatic manifestation of the other, where effort is no longer required for the form operates on memory pattern. The most important thing to realize is that the pattern remodeled the personality of the form in likeness of itself. It could be said that the original person is no more as he was, but another has taken his place. For one has absorbed the other and the two become as one.
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。
【解説】
「似たもの夫婦」という言葉があるように、長年生活を共にすると類似した性格になるという訳です。
即ち、私達についても、心が「意識」を常に意識して、日々生活することで、心が「意識」の影響を受けて進化するということです。「同行二人」の言葉のように、創造主と「意識」を信頼して毎日を送ることで、私達も本来の神の似姿になれると言うことでしょう。
そしてその心の変容については、驚く程に大きなものになると本項では指摘しています。
もし、本来の「意識」に心が融合して行くと、もはや過去の自分とは全く異なる人格にもなり得る訳で、本当はそれこそ真の進化なのでしょう。もし、何年年を重ねても、衰えることなく常に新鮮な感性を保ち、新しい課題に取り組んで行けることになれば、心がもはや昔の心で無くなった印です。
263 この良い例は生活を共にしようと決意した二人に見ることが出来ます。二人は各々自分の生活の習慣を持った人物でしたが、何年も生活を共にした後は、彼らは互いの習慣を身につけるばかりでなく、似始めるのです。彼らが互いを一体のものとして意識していたからに他なりません。犬や猫等のペットでさえ、しばしば飼い主の個性を身につけます。ですから、私達は、絶えざる思い出や交際はやがて(訳注:自分自身へ)自動的に他者を現出させることになるのです。形有るものは記憶パターンによって働くため、もはや努力は必要とされないのです。私達が認識すべき最も重要なことはパターンが自身の似姿に沿って人格を再形成させたということです。それは、元々の人間はもはやかつての者でなく、他の者がその位置をとって代わったと言うことも出来るでしょう。一方が他を吸収して両者が一体となったからです。
【解説】
「似たもの夫婦」という言葉があるように、長年生活を共にすると類似した性格になるという訳です。
即ち、私達についても、心が「意識」を常に意識して、日々生活することで、心が「意識」の影響を受けて進化するということです。「同行二人」の言葉のように、創造主と「意識」を信頼して毎日を送ることで、私達も本来の神の似姿になれると言うことでしょう。
そしてその心の変容については、驚く程に大きなものになると本項では指摘しています。
もし、本来の「意識」に心が融合して行くと、もはや過去の自分とは全く異なる人格にもなり得る訳で、本当はそれこそ真の進化なのでしょう。もし、何年年を重ねても、衰えることなく常に新鮮な感性を保ち、新しい課題に取り組んで行けることになれば、心がもはや昔の心で無くなった印です。
『お釈迦様の八正道』
1、正見・・正しく見る
2、正思惟・・自我的立場でなく、無我こそ自己の真実である。
3、正語・・妄語、両舌、悪口を離れる。
4、正行・・殺生、偸盗、邪淫を離れる。
5、正命・・間違った生活を捨て、正しい生活を営む。
6、正精進・・ひたむきな努力の生活。悪不善を断ずる 努力。
7、正念・・身を観察して、熱心に正しく理解し、精神を集中し、明瞭な精神、心を持って、身体を知る。
8、正定・・心身一致の正しい智慧を完成する。
お釈迦様は「ものごとを悟らなければならない」と言いました。どういうことを「悟れ」というのかというと「宇宙の構成」を知れ、ということなのです。太陽があって、惑星があって、地球があって、地球上に海がって、天があって、地があって、それがどういう関係を持ってどういう風に動いているのか、それをまず悟れと。こういう意味です。
お釈迦様は「色即是空、空即是色」と言いました。つまり、「エネルギーと物質は同じものだ」と分かっていたのです。
新人類とは、お釈迦様のいうところの悟りのように、この宇宙の構成と意志をよく理解し、それに逆らわないようにして、平和で皆仲良く生きていける世の中を作ろうと考える人です。それが、新人類です。(kolo
先生より)