222 In the first part of the lessons we mentioned group cells that are related to the mind and take orders from the mind. 90% of the other cells take orders from the consciousness. Yet they can all be made to take orders from the consciousness, which they must do eventually if the ego is to survive.
222 教科の最初の部分で私達は心と関係を持ち、心の指令を取り入れる細胞群について述べました。しかし、90%のその他の細胞は意識からの指令を取り入れています。それでも細胞にすべて意識からの指令を取り入れさせることは可能ですし、それはエゴが生きながらえる為に、最終的にしなければならないことです。
【解説】
私達は自分(心)の意志によって動く、随意筋とそうでない不随意筋等について知るところですが、本項の意味する所も同様な内容を示しているものと思われます。この心の指令に従う10%の細胞群を訓練し、いちはやく意識の指導に従う集団に変貌させなければなりません。
本項で言う10%という割合は、人体の恒常性確保に上からは大きな障害になっていることは間違いないように思います。
これらの細胞を本来の意識の印象に従わせる為には、大きな努力が必要なことは確かです。味覚や嗅覚を永年楽しませ、快い音と外見の美しさのみを結果の世界に追い続けてきた私達の心は、そうした現象面だけでなく、それらの創造物をもたらしたより高次な印象と想念を味わう努力が必要です。
222 教科の最初の部分で私達は心と関係を持ち、心の指令を取り入れる細胞群について述べました。しかし、90%のその他の細胞は意識からの指令を取り入れています。それでも細胞にすべて意識からの指令を取り入れさせることは可能ですし、それはエゴが生きながらえる為に、最終的にしなければならないことです。
【解説】
私達は自分(心)の意志によって動く、随意筋とそうでない不随意筋等について知るところですが、本項の意味する所も同様な内容を示しているものと思われます。この心の指令に従う10%の細胞群を訓練し、いちはやく意識の指導に従う集団に変貌させなければなりません。
本項で言う10%という割合は、人体の恒常性確保に上からは大きな障害になっていることは間違いないように思います。
これらの細胞を本来の意識の印象に従わせる為には、大きな努力が必要なことは確かです。味覚や嗅覚を永年楽しませ、快い音と外見の美しさのみを結果の世界に追い続けてきた私達の心は、そうした現象面だけでなく、それらの創造物をもたらしたより高次な印象と想念を味わう努力が必要です。
『聖カロロ・ボロメオ』つづき
教会建築や各種の信心会を盛んにした。例えば顕示されたご聖体の前で40時間の祈りを盛んにし「キリスト教要理の会」を創始した。その上カロロは特に信者の宗教教育に深い関心を持ち、多数の伝道士を養成し、学校を創設した。元来内気で早口の彼にとって、演説や説教は苦手だったが、チチェロの哲学的作品を読んで思想と表現法に磨きをかけ、次第にゆっくりと明瞭にしかも荘重な口調で話すことができるようになった。
しかし、「他人に述べ伝えながら、自分は除名されること」を恐れたカロロは、何よりも自分の成聖に力をつくした。広大な司教区を司牧する力の足りなさをよく知っていたので、昼夜の別なく睡眠時間をさいて祈り、租衣粗食に甘んじた。信者たちがカロロの厳しい苦行生活を見かねて、休養をすすめると、「私の体はミラノ市の信者のために犠牲としてささげている」と答えたという。こうしたカロロの献身的な努力のお蔭で、ミラノ教区は面目を一新し、他の教区の模範と仰がれるようになった。
しかし、高い木には風当たりが強い。カロロの行った改革を快く思わない不平分子が、しばしば公然とカロロの活動を非難し、あるいは影に回ってカロロを苦しめ、これを暗殺しようとまでした。だが凶器のおどしも、名誉も冨の誘惑もカロロの救霊心を鈍らせるどころか、かえってこれを火と燃えあがらせた。
1576年の8月から翌年の春にかけてミラノ市は凶悪なペストに襲われた。1万7千もの死者を出し、元気な者は先を争って他へと避難した。真の牧者であるカロロは子羊のために命を捨てる覚悟で昼夜の別なく病人を見舞い、秘跡を授け、死者を埋葬した。ペストのあとに続いたききんの際にも、カロロは富者に説いて救援物資を寄付させたり、病院や孤児院を建てたりしては貧者、病者を救った。そして自分の財産は残らず売り払い、借金までして、毎日6千から7千の人々に衣食を与え、霊魂の世話をした。
1857年マニング枢機卿は聖カロロ・ボロメオ献身会をロンドンのウエストミンスター教区に設立し、今日に至るまで、熱心に仕事を続けている。
1584年11月カロロは厳しい生活や膨大な仕事に精根つき、46年の聖なる充実した生涯を閉じた。