217 Newness is youth as well as progress. And there is some evidence today of the effect that newness has on society. For we can observe increasingly large numbers of people who do not show their age as they did in the past because in these days of scientific discovery something new is brought to their attention almost daily. Whether they understand or not the effects are there. Since man is nothing but a thought in action, any new thought, especially of cosmic nature, will have an effect upon his body.
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。
【解説】
いつの時代も若者が新しい世の中を切り開くと言われています。現状の高齢化した我が国にあって、何が問題かと言うと、それは新しいものへの意欲が薄れることではないかと考えています。
しかし、こと肉体について言えば、ごく表層の皮膚を除けば、人間の肉体は最後の時まで、実は皆、活発に活動して生き生きとした状態を保っているのではないか思っています。つまり人間の死は肉体の本来の活動がほんのわずか立ち行かない不都合が生じた時に起こるもので、それまでは活発なる動きをしている、それによって生命が保たれているように思うのです。
逆に言えば、肉体は本来の生命活動を維持しているのに、心が「あきらめ」や「無気力」の状態に陥り、そのことが自身の肉体に悪影響を与えてしまっているという構図です。
これに対し自然界においては、常に新しいものが自然を支配し、繁栄していますし、自然界の生き物の中に衰えを見ることはあまりありません。旺盛なる生命力を表現するもののみが生存し、少しでも老化し、意欲を失ったものは他のものの生きる糧となったり、朽ちる等して、自然界から速やかに退場しているように思います。
生きものを観察する中では、皆誕生した頃が最も生命を良く表現しているように思えます。イエスやアダムスキー氏が述べたように、私達はこの宇宙意識によって生み出された存在達から、多くを学ぶべきで、幼児の素直さや、やがて出る若芽や若葉のはつらつとした姿の中に生命の源泉の姿をしっかり理解することが重要です。
217 新しさは若さであり、進歩でもあります。そして今日では新しさが社会にもたらしている効果についていつくかの証拠があります。何故なら私達は今日の科学の発見の時代にはほとんど毎日のように何か新しいものが注目される為、かつてのように年令を思わせない多数の人々がだんだん増えているのを見ることができるからです。彼等が理解しているかいないかは別としてその効果はそこに出ているのです。人は行動する想念以外の何物でもない為に、如何なる新しい想念であれ、とりわけ宇宙的性質を帯びたものは、その肉体に効果をもたらすことでしょう。
【解説】
いつの時代も若者が新しい世の中を切り開くと言われています。現状の高齢化した我が国にあって、何が問題かと言うと、それは新しいものへの意欲が薄れることではないかと考えています。
しかし、こと肉体について言えば、ごく表層の皮膚を除けば、人間の肉体は最後の時まで、実は皆、活発に活動して生き生きとした状態を保っているのではないか思っています。つまり人間の死は肉体の本来の活動がほんのわずか立ち行かない不都合が生じた時に起こるもので、それまでは活発なる動きをしている、それによって生命が保たれているように思うのです。
逆に言えば、肉体は本来の生命活動を維持しているのに、心が「あきらめ」や「無気力」の状態に陥り、そのことが自身の肉体に悪影響を与えてしまっているという構図です。
これに対し自然界においては、常に新しいものが自然を支配し、繁栄していますし、自然界の生き物の中に衰えを見ることはあまりありません。旺盛なる生命力を表現するもののみが生存し、少しでも老化し、意欲を失ったものは他のものの生きる糧となったり、朽ちる等して、自然界から速やかに退場しているように思います。
生きものを観察する中では、皆誕生した頃が最も生命を良く表現しているように思えます。イエスやアダムスキー氏が述べたように、私達はこの宇宙意識によって生み出された存在達から、多くを学ぶべきで、幼児の素直さや、やがて出る若芽や若葉のはつらつとした姿の中に生命の源泉の姿をしっかり理解することが重要です。
『聖フリッポ・ネリ』つづき
その後聴罪司祭のすすめで司祭になる勉強を始め、1551年36歳でめでたく司祭に叙階された。
ローマではじめに、教会から遠ざかっていた信者たちを招き教理や聖歌を教えたり黙想会を行った。そして、子供好きな彼は、したい寄る子供達に「できるだけ愉快に楽しく遊びなさい。しかし神様にそむくようなことをしてはだめだよ」と忠告する一方、勉強や仕事の仕方についても手をとって教えていた。そして、どんな時間でも告白を聴いたうえに、できれば途中まで見送ってやった。罪だけは、ひどくきらっていた。
ある日、彼は告げ口の好きなある夫人の悪い癖をなおすために「ニワトリを一羽買ってきてその羽をむしり取り、それを道々にまき散らしながらもう1度ここに来なさい」と命じた。夫人は言われたとおりにして再び彼の所へ来た。すると「今度はまき散らした羽をみんな拾ってきなさい」と命じた。
彼女はたまげて「そんなこと出来ません」と答えると、フィリポは「そうでしょう。これと同じく人を傷つけることばも1度口から出ると、もう2度と取り返しがつかないのですよ」と優しく諭したという。
彼は祈りの人であり、節欲の人であった。それが心の明るさ、寛大さ、美しい愛情を育てたのであった。祈りこそフィリッポにとって、生活の喜びであり、なによりの慰めであり、つきない愛の力の泉であった。