212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。
【解説】
私達それぞれは自分の心に支配され、わずかばかりの藪の中で一生を送っていることは残念でならないと著者は説いています。意識に従えば、あらゆるものが容易に手に入り、本来の創造主が用意して呉れている進化の道を歩めるというのに、私達はそれすら気付いていないという訳です。
古今東西、様々な哲人、知者がそのことを伝えて来ました。しかし、それをどのように実現して行くかの過程についてまでは整理されていなかったのかも知れません。また、人間が怠惰である故に、新しい生き方を好まないことも進化の道を歩めない要因でしょう。
それに対して、宇宙兄弟達は積極的に宇宙意識を自身に取り込み、実生活に活かすことを続けてきました。その結果、今日では私達が想像できない程の文明を構築するまでに至っています。私達にとって彼らは格好なお手本であり、またそのように彼らの生き方を見習う必要があります。アダムスキー氏と会った宇宙兄弟達は、実に必要な事項のみアダムスキー氏に授けたと聞いています。本人が必要としている知識を的確に伝えること、相手のニーズに合わせた情報提供が大事なことは言うまでもありません。
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。
【解説】
私達それぞれは自分の心に支配され、わずかばかりの藪の中で一生を送っていることは残念でならないと著者は説いています。意識に従えば、あらゆるものが容易に手に入り、本来の創造主が用意して呉れている進化の道を歩めるというのに、私達はそれすら気付いていないという訳です。
古今東西、様々な哲人、知者がそのことを伝えて来ました。しかし、それをどのように実現して行くかの過程についてまでは整理されていなかったのかも知れません。また、人間が怠惰である故に、新しい生き方を好まないことも進化の道を歩めない要因でしょう。
それに対して、宇宙兄弟達は積極的に宇宙意識を自身に取り込み、実生活に活かすことを続けてきました。その結果、今日では私達が想像できない程の文明を構築するまでに至っています。私達にとって彼らは格好なお手本であり、またそのように彼らの生き方を見習う必要があります。アダムスキー氏と会った宇宙兄弟達は、実に必要な事項のみアダムスキー氏に授けたと聞いています。本人が必要としている知識を的確に伝えること、相手のニーズに合わせた情報提供が大事なことは言うまでもありません。
『聖カミロ』つづき
反対される時こそ神の恵みが豊かに下る時と思い、カミロはさっそく聖フィリッポを訪れた。看護修道会を創立したいという望みを打ち明けた。すると聖フィリッポは、病人の肉体だけではなく霊魂も看護すべきで、そのためには司祭になったほうがよいとすすめた。
34歳で司祭になると、カミロは2人の同志を得て、昼は病院で働き、夜は借家で信心業に従事した。これがカミロ修道会のはじまりである。会員は肩に赤い十字架の縫い取りをつけた。赤い色はキリストのおん血を表したものでこれこそのちの赤十字運動の源泉となったものである。
なお会員は貞潔、清貧、従順のほかに、ペストなどの伝染病患者を看護する誓願までたてた。その後、司祭や多くの信者がこの修道会に入り、病院の患者の看護の他に入院できない貧しい病者家庭訪問を行い、これを物理的にも霊的にも援助した。ことに1590年イタリアにききんとペストが猛威をふるったとき、会員たちは貧しいながらも毎日400人に食事を与え、ペスト患者を郊外に収容して、昼夜霊肉両面の世話をした。病人はカミロの親切と優しさに励まされた。泣いている赤ん坊は、彼にだきあげられると泣きやんだ。ミルク、オムツ、湯を浴びさせる、カミロの愛情はどんな母親のそれにも及ばないくらいであった。快方に向かっている患者のためにスープや柔らかい食物を調理するするときの彼は、本当に楽しそうであった。
またカミロは囚人や刑を終えた人達を世話し、貧民救済にも力をつくした。こうしてカミロはひとびとの信望を一身にあつめ、「あの人に抱かれて死ねば、地獄には落ちない。」とまでうわさされ、ほうぼうから、引っ張りだこにされた。
1607年57歳の時会長の職を辞し余生を「謙遜の修道士」として病者や囚人の世話にささげた。
1614年北イタリアに視察旅行中カミロは病に倒れローマで最後の聖体を拝領するとき、「主よ、私は罪人です。でも、主の慈悲とその聖なる御血とに信頼し奉る」と言って、安らかに息をひきとった。
その後もカミロ会は、聖カミロの精神を受け継いで、着実に発展しその会員は伝染病に感染して犠牲になるのも覚悟のうえで、臨終者が最後の息を引き取るまで宗教的慰めを与えている。
平時においては、一般病者に対し精神的、肉体的
奉仕をなし、戦時には野戦病院を開いて、戦病傷者の看護にあたるので、アンリ・ジュナンの始めた赤十字に先立つこと300年以上前に、全く同じことを始めた聖カミロは、赤十字活動の始祖ともいえるだろう。