185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするものもいます。
【解説】
日常生活の慌しさの中で、私達はとかく意識的知覚状態を維持して行くことは難しいものです。しかし、それに取り組まなければこの講座の意味も単に他人の話であったり、単なる理論に終わってしまいます。
本項では具体的に私達が為すべきことは、まず第一に意識的行動の観察者になれと説いています。視覚や聴覚が教えてくれない現象の背後に生き生きと活動する多くの生き物の諸活動に気付くようになれば、それは自身の意識を使い始めているということだと説いているものと思われます。
使い始めなければその先には行けない訳で、まずはご自身の意識の膨大な力量を信頼して、意識の活動を良く観察し、自らの生き方を任せるようになれば素晴らしいことです。
海を眺めることは好きですが、その絶え間ない波の動きの不思議と共に海中に生きる無数の生物と意識を通わせるような時間を持つことが大事だとも言えます。
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするものもいます。
【解説】
日常生活の慌しさの中で、私達はとかく意識的知覚状態を維持して行くことは難しいものです。しかし、それに取り組まなければこの講座の意味も単に他人の話であったり、単なる理論に終わってしまいます。
本項では具体的に私達が為すべきことは、まず第一に意識的行動の観察者になれと説いています。視覚や聴覚が教えてくれない現象の背後に生き生きと活動する多くの生き物の諸活動に気付くようになれば、それは自身の意識を使い始めているということだと説いているものと思われます。
使い始めなければその先には行けない訳で、まずはご自身の意識の膨大な力量を信頼して、意識の活動を良く観察し、自らの生き方を任せるようになれば素晴らしいことです。
海を眺めることは好きですが、その絶え間ない波の動きの不思議と共に海中に生きる無数の生物と意識を通わせるような時間を持つことが大事だとも言えます。
『シエナの聖カタリナ』つづき
1374年キリストは再び現れ、カタリナに5つの傷(聖痕)を印された。その時、キリストは仰った「私はあなたの知識と雄弁の恵みを与える。各国を旅行し、国の権力者、指導者に私の望みを伝えよ」
聖霊の導きのままに、あるいは手紙や著書をもって、あるいは、各界の知名人を訪ねては教会と国家の間の困難な問題について有益な助言を与えた。また諸都市間の平和条約に、グレゴリオ11世教皇のアヴィニオンからローマへの帰還に、聖職者の改革に、欧州の離教に際しては、ローマのウルバノ6世教皇の首位権確保に平和の使節として、東奔西走。「神に栄光が帰せられ、霊魂が救われるならば、苦しみが私の上にふりかかりますように!」と人類共同体のために働いた。
こうした荒波の時代に聖会という箱舟を双肩にになってきた彼女は、その重みにたえかねてか、ついにローマで倒れた。かろうじて終油の秘跡を受け「ああ主よ、わが魂をみ手にまかせ奉る」の一句を残して、その潔白な魂は、1380年33歳で(キリストと同じ)帰天した。