178 For if we desire to be as our creator we must face all phases of life without being disturbed. The Creator faces his creation without discrimination. For should he like one and dislike another he would be dividing himself, and thus do no better than man. But all phases of creation are loved by its creator for its purpose is known. It is a human trait to discriminate and through this many hurts are received because the ego mind separates itself from the whole.
178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。
【解説】
万物・万象の活動を認めるということかと思われます。よく慈悲という表現がありますが、その意図するところは何も、哀れみのみでなく、全てのもの達を等しく認め、その存在を愛おしむ姿勢があるものと考えます。
一方で私達は何故、このような当たり前とされそうな注意事項が、この場所で述べられているかについて考える必要があるかと思います。
とかく観察力や感受性が高まると、それまで観えて来なかった様々な要素も分かってしまうことになります。観察眼が鋭敏になることで、相手の真意が分かったり、世の中の仕組みが見えてしまったりすることでしょう。
これに対して、一つ一つ非難したり、毛嫌いの気持が湧くことも考えられます。しかし、そのであってはいけないと著者は言及しているのです。仮に現実はそうであっても私達は創造主がじっと見守ることを続けるように、裁きを行うことなく、等しく見守ることが大事だと述べている訳です。私達が好き嫌いを基準に個々の事例を裁くことをすれば、それは再び心に判断を委ねることを意味するからです。
ある意味、問題のルツボと化している地球で、より良い生き方を目指すのは容易ではないわけですが、先ずは全てを現実のもの、創造の低次な姿として受け入れ、次にその進化の為に自分は何をすべきかを考えるということでしょう。
178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。
【解説】
万物・万象の活動を認めるということかと思われます。よく慈悲という表現がありますが、その意図するところは何も、哀れみのみでなく、全てのもの達を等しく認め、その存在を愛おしむ姿勢があるものと考えます。
一方で私達は何故、このような当たり前とされそうな注意事項が、この場所で述べられているかについて考える必要があるかと思います。
とかく観察力や感受性が高まると、それまで観えて来なかった様々な要素も分かってしまうことになります。観察眼が鋭敏になることで、相手の真意が分かったり、世の中の仕組みが見えてしまったりすることでしょう。
これに対して、一つ一つ非難したり、毛嫌いの気持が湧くことも考えられます。しかし、そのであってはいけないと著者は言及しているのです。仮に現実はそうであっても私達は創造主がじっと見守ることを続けるように、裁きを行うことなく、等しく見守ることが大事だと述べている訳です。私達が好き嫌いを基準に個々の事例を裁くことをすれば、それは再び心に判断を委ねることを意味するからです。
ある意味、問題のルツボと化している地球で、より良い生き方を目指すのは容易ではないわけですが、先ずは全てを現実のもの、創造の低次な姿として受け入れ、次にその進化の為に自分は何をすべきかを考えるということでしょう。
『UFOコンタクティージョージ・アダムスキー』
問:心霊主義または霊媒として通常知られているものを、あなたは支持しますか?
答:私はいかなる探求の分野またはいかなる形の人間の能力の開発努力をも非難しません。誤った研究の推進からさえも究極的には真理が出てくることがあるからです。法則の誤用は通常無知によってもたらされます。
だれにも所有できて、だれもが楽しめる”真実の法則”と、個人のエゴを美化するいわゆる”もろもろの法則”とのあいだには大変な相違はあります、神すなわち創造主は一個人だけを尊重するのではなく、また神の創造になる大自然界も一個人だけを尊重はしません。
心霊問題も研究は、まず、人間の自我、人間と宇宙との関係、人間が扱っている諸要素などにたいする徹底的な知識を得ないことには危険な遊びになります。なぜならこうした基本的な準備が無いために、人間を研究する人は多くの大通りを行って結局混乱してしまったからです。
真の発達に”近道”はありません。しかし、忍耐力をもって研究するならば、やがて人は宇宙的な知識への道を得ることができます。誤って理解され実行されている心霊主義や神秘主義は人を当惑させて、しばしば危険におとしいれるだけです。