175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgment against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.
175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。


【解説】
 本項を読んで、若い頃、当時或るアダムスキー哲学の学習会で、経験豊かなある年長の方が、テレパシー等のテクニックの訓練に走ることを戒める発現を繰り返しされていたことを思い出しました。当時、私にはその本当の意味が理解出来ていなかったのかも知れません。単なる貴重なるアドバイスとして心に銘じて置いた訳です。それから40年近く経過して、ようやくその真意が分かった気がします。それが本項に書かれている内容です。
 私達は十分な土台が出来ていない内に、技能だけが発育してしまうと折角育てたテレパシー能力を本来の方向に発展させることが出来ず、却って裁きや恐怖が増えてしまうこともあり得るのです。当に知らぬが仏ということでしょう。
 しかし、本来の道を歩むとなれば、この地球社会の現実や過去の歩みに目をそむけることは出来ません。その中に誤りを見つけ、求める人達に救いの手を差し伸べることが私達本来の役割です。
 一歩進む度に、新たな問題が見え、それを克服する一つ一つの積み重ねが必要だと考えています。