131 It is not the prayers, the mantrums or the meditations that will bring this to us. But a re-birth into a fully conscious being of cause instead of the mental effect. In other words we must reverse the process of our learning. Instead of being mentally aware as an ego of the mind the mind must become aware of consciousness, as it has in the past of itself. For conscious awareness is the key that unlocks the storehouse of knowledge to the mind. It is the link between the Creator and creation.
131 このことを私達にもたらすのは祈りでもマントラでも瞑想ではなく、心による結果に代わって因による完全に意識的存在への生まれ変わることなのです。言い換えれば、私達は自分達の学習の過程を逆転させなければなりません。即ちそれまでの自分自身のように、心に属する自我として認識するのではなく、心は意識に気付く必要があるのです。何故なら意識への気付きは心に知識の貯蔵庫を開く鍵であるからです。それは創造主と創造物との間をつなぐ環(きずな)なのです。
【解説】
私達がルーサー・バーバンクのように真に自然から学ぶようになる為に必要なことは、従来の祈りや瞑想などではないと本項で著者が断定していることは注目すべきポイントです。
これら祈りや瞑想では問題を解決出来ない所に「生命の科学」学習の難しさがあるとも言えますし、何処に取っ掛かりを持てば良いか、悩まれる方も多いのではと思うものです。
各自のエゴの克服は、それほどに大きな難事業と言うことが出来ます。しかし、その一方で、イエスは幼子は容易にその問題をクリアーしているとも述べています。
本項では、それを「意識への気付き」(conscious awareness)と表現しています。目の前の事物を観る時、それを創造物と認め、それを生み出した英知に気付こうとする姿勢が重要だという訳です。この気付きが諸々の生活の場面で応用される時、人は意識を自覚するようになり、本文で言う創造主との絆を深めることが出来るようになります。
131 このことを私達にもたらすのは祈りでもマントラでも瞑想ではなく、心による結果に代わって因による完全に意識的存在への生まれ変わることなのです。言い換えれば、私達は自分達の学習の過程を逆転させなければなりません。即ちそれまでの自分自身のように、心に属する自我として認識するのではなく、心は意識に気付く必要があるのです。何故なら意識への気付きは心に知識の貯蔵庫を開く鍵であるからです。それは創造主と創造物との間をつなぐ環(きずな)なのです。
【解説】
私達がルーサー・バーバンクのように真に自然から学ぶようになる為に必要なことは、従来の祈りや瞑想などではないと本項で著者が断定していることは注目すべきポイントです。
これら祈りや瞑想では問題を解決出来ない所に「生命の科学」学習の難しさがあるとも言えますし、何処に取っ掛かりを持てば良いか、悩まれる方も多いのではと思うものです。
各自のエゴの克服は、それほどに大きな難事業と言うことが出来ます。しかし、その一方で、イエスは幼子は容易にその問題をクリアーしているとも述べています。
本項では、それを「意識への気付き」(conscious awareness)と表現しています。目の前の事物を観る時、それを創造物と認め、それを生み出した英知に気付こうとする姿勢が重要だという訳です。この気付きが諸々の生活の場面で応用される時、人は意識を自覚するようになり、本文で言う創造主との絆を深めることが出来るようになります。
『聖ノルベルト』
聖ノルベルトは1080年、ドイツのゲンネブの貴族の家に生まれた。幼い頃、司祭を志したが、ほうとうな青年たちとつきあい始めてから次第にわき道にそれだした。1115年ある日、馬上にまたがって遊んでいると、聖パウロの改心の時と同じく、いなずまに包まれ、「ノルベルトよ、何のために我を害しようとするのか・・。悪を捨てて善に従え。」と不思議な声が聞こえた。
彼は宮廷を去り、ジーグブルグ修道院にひきこもり、苦行や信心業に励むなど償いに努めた。翌年司祭に叙階され、布教活動に従事した。しかし、ノルベルトの過去を知っている人は、彼をあしざまに言い、顔につばきをされるなどした。彼はこれを償いと、ぐっと耐え忍び、善徳の模範をもって彼らに接するうちにいつしか疑っていた人々も彼の説教に耳を傾け、悪を捨てて、善にもどるようになった。
ノルベルトは新しい修道会の創立を教皇から薦められた。ある夜、白衣の修道士が手にろうそくを携えていく幻影をみて、その白衣を着るプレモントレ修道会を創立させた。
当時この教区は風紀は地に落ちたが、ノルベルトは善徳の模範をたれて、掟を犯す者をいましめ、邪説を排除した。又、ノルベルトは、ドイツ国王ロータル2世の信任も厚く、国政にも意見を述べ、国家の繁栄につくした。
こうして不意の出来事(いなずま)のうちに神の戒めを見たノルベルトは、残る生涯を摂理の良き働き手として寛大に捧げ、1134年安らかに永眠した。