043 It may take ages to do this, but through patience and determination a human can express this beauty in ever increasing fineness. And thus become The Christ in God's Kingdom.
043 このことを成すには年月を要するかも知れません。しかし、忍耐と決心を通じて、人間は永遠に高まる繊細さの中、この美しさを表現することができます。そして、このようにすれば、人間は神の王国におけるキリストになるのです。
【解説】
実際には日々の精進と言うことは簡単ですが、実行は容易ではありません。知らず知らずの内に私達は習慣に流されていますし、まして困難にめげずに進歩する道を維持することを選ぶには、大いなる決心を必要とします。
もちろん、上流には本項に記されているように各自のゴールがある訳ですが、丁度、堰を越えようとするアユの稚魚のように、何度も失敗を重ねながら、あきらめることなく努力を続ける中で、流れを遡ることが出来る訳です。上流に向かって泳ぐことを止めれば、流れと共に下流に流されてしまうことも明らかです。
何度も試行錯誤する中で、体験を学び知恵を身に付けられる訳で、本講座のように特段の導師の居ない中では、私達は各々、自らの毎日の体験から少しずつ何かを学んで必要な知識を身に付けて行く必要があります。
毎日の心の状態をどのようなものに保つと、どのような結果に結びついたか等、精神と物質との相関関係について得た体験を大切に記憶し、自らの知恵とすべきです。その蓄積によってのみ、私達は進化を遂げることになるのだと考えています。
043 このことを成すには年月を要するかも知れません。しかし、忍耐と決心を通じて、人間は永遠に高まる繊細さの中、この美しさを表現することができます。そして、このようにすれば、人間は神の王国におけるキリストになるのです。
【解説】
実際には日々の精進と言うことは簡単ですが、実行は容易ではありません。知らず知らずの内に私達は習慣に流されていますし、まして困難にめげずに進歩する道を維持することを選ぶには、大いなる決心を必要とします。
もちろん、上流には本項に記されているように各自のゴールがある訳ですが、丁度、堰を越えようとするアユの稚魚のように、何度も失敗を重ねながら、あきらめることなく努力を続ける中で、流れを遡ることが出来る訳です。上流に向かって泳ぐことを止めれば、流れと共に下流に流されてしまうことも明らかです。
何度も試行錯誤する中で、体験を学び知恵を身に付けられる訳で、本講座のように特段の導師の居ない中では、私達は各々、自らの毎日の体験から少しずつ何かを学んで必要な知識を身に付けて行く必要があります。
毎日の心の状態をどのようなものに保つと、どのような結果に結びついたか等、精神と物質との相関関係について得た体験を大切に記憶し、自らの知恵とすべきです。その蓄積によってのみ、私達は進化を遂げることになるのだと考えています。
「キリストにならって」より
心のゆるぎない平安と、ほんとうの進歩向上はどこにあるか
☆子よ、私は言った。「私は平安をおまえたちに残し、私の平安をおまえたちに与える。私がこれを与えるのは、世間が与えるようにではない」(ヨハネ14・27)と。
☆全ての人が平安を望んでいる。しかし皆が真の平安を得ようとして、心がけているのではない。
☆私の平安は、謙遜で心の柔和な人とともにあって、おまえの平安は、多くを耐え忍ぶところにある。
☆おまえがもし私に聞き、私の声に従うならば、大いなる平安を楽しむことができよう。
☆僕)それでは、主よ、私はなにをしたらいいのでしょうか。
☆主)万事において、自分が何をなし、何を言っているかを注意せよ。また、おまえのすべての意向を、ただ私を喜ばせることだけにおき、私以外には何も望まず求めることがないようにせよ。
☆他人の言葉や行いについては、どんなことでも軽々しく裁くな。またおまえと関係ないことに干渉するな。そうするなら、心を乱されることは少なく、あったとしてもまれであろう。
☆常に、不安一つなく、また心身ともに、何の煩いもないということは、現世においてはありえない。それは永遠の安息の状態だからである。
☆それで、少しの煩いも感じないからといって、真の平安を見いだしたと思い、また誰にも反対されないからすべてがよくいっていると考えてはならない、また何ごとでも自分の意のままになるので、自分が完全になったと思ってもいけない。
☆おまえが大いなる信心と快感とを覚えたにしても、自分を何か偉い者だなどど思ったり、特別に愛されているのだと思ってうぬぼれたりしてはならない。
☆なぜなら、こういうことによって、その人が真に徳を愛する人かどうかは認められずまた人の進歩と完全さとは、これらのことに存しないからである。
☆僕)主よ、では、どういうところにあるのでしょうか。
☆主)それは、おまえが、心をつくして自分を神のみ旨に献げ、小さいことにも大きなことにも、また現世においても永遠においても、自分のことをはからないところにあるのである。
☆こうするなら、全てを同じはかりではかり、順境においても逆境においても、同一の顔をもって感謝していける。
☆おまえが、勇ましく気長に希望し、たとい内的慰めを奪い取られたとしても、もっともっと耐え忍ぶように、おまえの心を備えるならーーー
☆また自分を正しいとも、こんな大きな艱難をうけるはずはないとも思わず、かえってどんな場合にも、私を正しいとし、私の聖なることを讃美するならーーー
☆その時こそ、おまえは真に正しい平安の道を歩いているのであって、喜びのうちに再び私の顔を見るだろうとの希望は疑えないものとなるのである。
☆おまえが、自分を全く軽んじるまでになった時こそ、ちくたくのこの世で望みうるすべての平安を、おまえは豊かに味わえるのだと悟るがよい。