026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。
【解説】
このエゴに関して言えば、未だ私達自身、自分がエゴに支配されていることすら、十分には認識できていないようです。エゴによって支配されていることが分かるのは、何かに対して怒っている時、対象物を嫌悪している時、自分の尺度で相手を見下している時です。しかし、そのような場合以外にも、少しでも不安な要素があれば、心は動揺し、最悪の事態を想像しパニック状態に陥るのかも知れません。
このような状況に対して、どのように対処すべきか、本項では直接的には記述しておりませんが、その文脈の中にはいくつかのヒントが含まれているように思います。
その一つが「心」自体は結果物、即ち創造された側のものであり、そこには限界があることをまず認識せよという訳です。何らかの拠り所を心が求めたがる(「しるしを求めたがる」)結果、ますます不安定な袋小路に入り込むとう訳です。そういう意味でも目に見えるものを探すのではなく、目に見えないものを大切に取り扱うことが重要です。もちろん、印象、インスピレーションは裏切ることのない創造主からのメッセージである可能性大です。
また、とかく「心」を喜ばせるものには要注意ということもあります。五感を楽しませるものが必ずしも有益ではなく、有害であることも多いのです。私達が自己を発達させる上では時に自我の羞恥心を克服する訓練も必要です。自分の誇りを捨てて、他者に奉仕する中で得られるものも多いように思われます。自らのエゴとどう対峙して行くか、各自の工夫が求められています。
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。
【解説】
このエゴに関して言えば、未だ私達自身、自分がエゴに支配されていることすら、十分には認識できていないようです。エゴによって支配されていることが分かるのは、何かに対して怒っている時、対象物を嫌悪している時、自分の尺度で相手を見下している時です。しかし、そのような場合以外にも、少しでも不安な要素があれば、心は動揺し、最悪の事態を想像しパニック状態に陥るのかも知れません。
このような状況に対して、どのように対処すべきか、本項では直接的には記述しておりませんが、その文脈の中にはいくつかのヒントが含まれているように思います。
その一つが「心」自体は結果物、即ち創造された側のものであり、そこには限界があることをまず認識せよという訳です。何らかの拠り所を心が求めたがる(「しるしを求めたがる」)結果、ますます不安定な袋小路に入り込むとう訳です。そういう意味でも目に見えるものを探すのではなく、目に見えないものを大切に取り扱うことが重要です。もちろん、印象、インスピレーションは裏切ることのない創造主からのメッセージである可能性大です。
また、とかく「心」を喜ばせるものには要注意ということもあります。五感を楽しませるものが必ずしも有益ではなく、有害であることも多いのです。私達が自己を発達させる上では時に自我の羞恥心を克服する訓練も必要です。自分の誇りを捨てて、他者に奉仕する中で得られるものも多いように思われます。自らのエゴとどう対峙して行くか、各自の工夫が求められています。
「プレアデス星訪問記」上平剛史著(たま出版)「空飛ぶ円盤と超科学」村田正雄著(白光出版)は宇宙人からの教えが充実していて、お薦めです。
☆宇宙人の食事について・・「私達は地球人のように肉食は致しません。それで、地球人のような短命ではございません。穀物や果物や野菜などが主なのです。」
☆金星での教育制度・・・「地球によくある、そねみ、ねたみ、憎しみ、悲しみ、うらみ等のような業想念は、全く見られず、天真爛漫のうちに成長するのです。・・常に天性教育を受けます。」
☆基地司令官(男性)は述べた。「大神様の愛念は私達がどのように努力しても推し計り知ることができないまでに、広く深くかつ高いものであります。・・こうした世界を次から次へと昇華を続けるのが人類なのです。」其の後瞑目されて、統一にはいられました。
☆「人類救済の只一つの道は『世界人類が平和でありますように。』と全身全霊でお祈りすることです。多くの人々がこの祈りをする時すでに決まっている地球の運命も徐々に修正されてゆくものです。直ちに起る災害が逐次次から次へと延ばされてゆき修正されてゆくものです。」
☆「競争で人に勝つことしか知らず、物欲、独占欲、エゴを丸出しにしてる人間にオーラは光輝きません。・・オーラは『他人を愛する心』を高め、『他人への奉仕』『全体への奉仕』を起こすことによって、つまり善念、愛念を高めることによってのみ、輝きを増します。この『他人を愛する』度合いが魂の進化度にもなっているのですよ。」
☆宇宙人は、過去、未来を画面で見られる。当時の50年先の「サクランボ娘」に上平氏の親戚が選ばれたのが、現実となった。
☆「私達の社会には人を攻撃する人は誰もいません。・・人にいやがらせをしたりも一切ありません。」
☆「地球の音楽の中には、ただ粗雑で荒々しい音を出すだけの、とても音楽と認められないものがありますが、私達の音楽は心を唄い上げる魂からの音楽です。」(ウイリアム・バード作曲 三声ミサ曲、
ビーバー作曲 ロザリオのソナタ をリラックスして聞いている時、あるUFO研究家2人のクンダリーニが上昇して覚醒したそうです。)
☆「神の目的にかなった行動をしてきた証である、と言えばびっくりするかもしれません。人間の個人的欲望を捨て『他人を愛する愛』を高めていった結果『愛の奉仕活動を基本とする社会』を構築できたのです。それによって、私達の進化は科学の発展と共に加速していき、宇宙の観察、調査、大宇宙旅行へとつながっていったのです。」
☆「『思いやり』『助け合い』『協力』『譲り合い』を人々の心に自然に根づかせる環境づくりが必要です。」