002 When we speak of life, we mean in every phase of life's expression. In plain -we are going to explore life.
002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。
【解説】
実は先日、機会があり、友人とトルコ旅行のツアーに参加しました。その中でコンヤというトルコ中部の文化都市で13世紀に活躍したメヴラーナ(正式な名前は「メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー」1207-1273)という以後、トルコの精神的な支えとなる思想家の足跡に触れることが出来ました。
日本では旋舞(回る踊り)の宗教の創始者という何か神秘主義思想のように思われがちな人物ですが、現地トルコではメヴラーナは今もって多くの人々から敬愛されている方で、文字通り人々の心の神の愛、人の愛を蘇らせた人物です。イスラムについて日本ではその中身について知る機会は少なかったのですが、今回のトルコ旅行で、モスクの中にキリスト教時代の壁画やモザイク画が残っている等、イスラムの寛容さについて初めて知ることになりました。
いずれ詳しくご紹介する機会もあると思いますが、その後日本で探し当てた本の中にメヴラーナを評したトルコの詩人クサクレクの言葉があり、本項に関連するため、一つご紹介しておきます。「私は思い知った。真の道とはすなわち神の探求である。これこそが真の技術であり、他は全て児戯に過ぎない」(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」丸善プラネット(株)、p.62(2006))
同様に「生命の科学」においても最も大事なポイントは、私達被創造物の最大の義務は、私達に授けられた創造主からの贈り物をよく観賞し、その内容を学ぶことです。生命を与えられた者は、まずその本当の価値を知っておく必要があります。世に言うように自分の命を粗末にしたり、折角の自分の才能を埋もれさせるなど、もったいない行為は、このご自身の中の宝物に気付こうとしないことに原因がある訳です。
私達、各自の中に潜んでいる才能や知識に気付くことは私達の義務でもある訳です。
002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。
【解説】
実は先日、機会があり、友人とトルコ旅行のツアーに参加しました。その中でコンヤというトルコ中部の文化都市で13世紀に活躍したメヴラーナ(正式な名前は「メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー」1207-1273)という以後、トルコの精神的な支えとなる思想家の足跡に触れることが出来ました。
日本では旋舞(回る踊り)の宗教の創始者という何か神秘主義思想のように思われがちな人物ですが、現地トルコではメヴラーナは今もって多くの人々から敬愛されている方で、文字通り人々の心の神の愛、人の愛を蘇らせた人物です。イスラムについて日本ではその中身について知る機会は少なかったのですが、今回のトルコ旅行で、モスクの中にキリスト教時代の壁画やモザイク画が残っている等、イスラムの寛容さについて初めて知ることになりました。
いずれ詳しくご紹介する機会もあると思いますが、その後日本で探し当てた本の中にメヴラーナを評したトルコの詩人クサクレクの言葉があり、本項に関連するため、一つご紹介しておきます。「私は思い知った。真の道とはすなわち神の探求である。これこそが真の技術であり、他は全て児戯に過ぎない」(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」丸善プラネット(株)、p.62(2006))
同様に「生命の科学」においても最も大事なポイントは、私達被創造物の最大の義務は、私達に授けられた創造主からの贈り物をよく観賞し、その内容を学ぶことです。生命を与えられた者は、まずその本当の価値を知っておく必要があります。世に言うように自分の命を粗末にしたり、折角の自分の才能を埋もれさせるなど、もったいない行為は、このご自身の中の宝物に気付こうとしないことに原因がある訳です。
私達、各自の中に潜んでいる才能や知識に気付くことは私達の義務でもある訳です。
「キリストにならって」より
☆真正、永遠の光栄を欲する人は、現世の光栄には見向きもしない。
☆現世的な光栄を求めるか、あるいはそれを心から軽んじない人は、天上的なものをあまり愛しないことを実証している。
☆人からほめられることや、非難されることを気にしない人は、心が非常に平穏である。
☆その人の良心が純潔であれば、すべてに満足しやすく、おだやかになりやすい。
☆おまえがほめられたからといって、より聖徳に進んだのでもなく、また、非難されたからといって、よりつまらないものになったのでもない。
☆おまえが自分の内心がどうであるかを省察するなら、外から人がなんといおうが、それを気にしないであろう。
☆人は外面を見るけれども、神は心の中を見給う。
☆人は行為を見るけれども、神はその意向を考慮し給う。
☆常に素行がよくとも、自分をいやしいものと思うのは、謙遜な魂のしるしである。
☆どんな被造物からも慰めを求めようと思わないのは、大いなる純潔と、内的信頼の証拠である。
☆聖パウロのいうとおり、「自分をほめる者ではなく、主のほめ給う者が、神によみせられるのである。」
☆内的に神とともに歩み、外部のいかなるものにも心をひかれないのは、内的な人の状態である。