180 Among many religious groups, and particularly those of an occult nature, we hear much about the great wisdom of the ancients. "If you expect to evolve to a state of masterful action," we are told, "you must go back and study the teachings of the old." It sounds a little twisted, doesn't it? To evolve we must go back! But why? Evolution is an expansion, a growth. Does the tree in its process of attaining maturity grow backwards into the roots? If it did I am sure we would never taste its fruits. I suppose no man ever appreciates the thing that he has in his hand, and while it is right that he should reach out for something new let it be an advancement, not a retrogression. Why dig up the peaceful past - it has served its purpose. It brought us to the present day - let it rest. The works of the past cannot serve us now and so far as the laws of the past are concerned we are now using them, for there is in the whole cosmos only one principle of action. It is used in the billions of varying manifestations but itself never changes. The only way in which we can prove the principle is by the effects produced and surely we are producing effects on a much vaster scale than did the ancients. In those days if a man discovered something of use to humanity he was considered divine and his revelation a miracle. Today we have a new invention almost daily and think nothing of it.
180 多くの宗教グループの中で、とりわけ魔術的性質を持つものの中にあって、私達は古代人達の偉大な知恵について多くを聞かされます。「もしマスターの行動状態にまで進歩したいと思うなら、立ち戻って昔の教えを学ばなければならない」と教えられます。しかし、それは少しねじれた考えではないでしょうか。進歩する為に立ち戻る必要があるなどということがです。しかし何故でしょう。進化は拡大であり成長です。成熟を達成する過程にある樹木が根の中に向かって下に伸びるでしょうか。もし、そうなれが私達はその果実を味わうことは出来なくなることは確かです。私は誰も自分が手にしているものを享受していないのではないか、また何か新しいことに手を伸ばすことが正しい時には進歩があるべきで、退化することはありません。何故平穏になっている過去を掘り起こすのでしょうか。それはその目的を務め終わっているのです。それは私達を今日にもたらしたのであり、休ませましょう。過去の業は今日の私達に仕えることは出来ず、過去の法則に限って、私達はそれらを用います。何故なら全宇宙の中には唯一つの行動原理しか存在し得ないからです。何十億もの異なる創造物に用いられていますが、それ自体は決して変化しません。私達がその法則を証明できる唯一の方法は、作り出された結果によってであり、確かに私達は古代人が成したより、はるかに広いスケールで結果を作り上げています。当時、もし人が人類に有用な何物かを発見したとすれば、その者は聖なる者であり、その者の発見は奇跡と見なされました。今日、私達は毎日のように新しい発見をしますが、それについては何ほども考えはしません。


【解説】
 先日、機会があり、佐倉(千葉県)の国立歴史民族博物館に立ち寄りました。当館は古代から近代までの人々の生活の様子を発掘物の展示とともに再現しています。中には平安時代の下級役人の日記や当時の権力者、藤原道長の備忘録等、実物の資料や生活環境の模型が展示されており、当時の生活がよく分かります。その中でも目立ったのは当時の貴族の屋敷の大きさです。庶民が長屋にひしめく中で、大きな屋敷の中には優雅な貴族社会があった訳です。
 このように人々の生活には大きな格差があり、各階層の壁は本人の努力で越えられるようなものでは無かったと言えるでしょう。現代社会は様々な問題はあるにせよ、当時と比べれば格段に進歩していることには誤りありません。仮に何か特定の人物が優れていたとしても、遠い昔の社会が良かったとは言えないのです。
 私達は科学的視点を持って、宇宙をその物質から精神作用に至るまで統一的に理解しようとしています。その際に重要なのは、現在起こっている状況に注視することであり、今を大切にすることです。想念は宇宙あらゆる所を同時に湧き起こっていることを理解することの方がはるかに重要だと言うことでしょう。