110 If we analyze fear we will find it to be produced by a state of wondering in regard to our support and safety. In most every case fear is focalized about one's personal being or self-interest. Most men look upon the activities of life in the light of the effect that they will have upon themselves and those dear to them. They are living in the consciousness of the effective world, depending upon outer things for their support, and the recognition of the instability of outer effects produces a condition of uncertainty within their own minds. We may say then, that fear is the self-centered state and faith is living the impersonal state of being. Fear is based on effects; faith is based on Principle or Cause.
110 もし私達が恐怖を分析すれば、私達はそれが私達への支持と安全に関する不安状態によって作り出されることを発見するでしょう。ほとんどの場合、恐怖は自分の個人的な存在か自身の関心に焦点が当てられています。ほとんどの人達は、それらが自分自身や自分達にとって大切なものに与える影響という光で人生の活動を見ています。彼らは結果の世界の意識で生きており、自分達の支えを外側の物事に頼り、外側の結果物の不安定さの認識が心の中に不安定な状況を作り出しています。ですから私達は恐怖とは自己中心の状況であり、信仰とは非個人的な状態と言うことが出来ます。恐怖は結果に基づくものであり、信仰は法則、即ち因によっているのです。


【解説】
 よくアダムスキー哲学の中では「Effect」という表現が用いられ、それに対応する日本語の訳語として「結果」という言葉が用いられて来ました。しかし、日本語のイメージとしては、本来、「結果」に対応する言葉は「Result」という語を充てるのが一般であり、原語のEffectに含まれる語彙について少し述べておきたいと思います。
 本来、Effectに当る直接的な日本語表現としては、「効果・影響」という言葉になります。もちろん、「Cause and Effect」という熟語の訳として長らく、「原因と結果」として訳されていることから、本項においてもそれに倣って「結果」と訳出している訳です。
 即ち、本来のEffectとしては、何かの原因からもたらされた直接的ないし間接的な効果・影響を指している点に注目して戴きたいのです。つまりは、物質の奥にある目に見えず、耳に聞こえない因なる要素が発する衝動想念が具体的な物質世界に作用させ、出現したもの、その衝動の影響を受けて形あるものとして創造されたものがEffect(結果)だという訳です。
 しかし、私達人間にも当てはまる訳ですが、創造され、誕生した時には元来の創造主の意向に沿った存在であったものが、時を経過するにつれ、自我を強めたり、周囲と摩擦したりして老化が進行してしまうことも多いのです。このように創造の意気込み自体は永遠に活気あるものですが、結果物は移ろい易いものだということでしょう。このような因なるものの投影や作用の末に生まれ出たものをEffect(結果)と言っている訳です。
 本題の恐怖については、自分自身や近親者の保身をこのような本来、不安定なものに拠り所を置いていることから来る訳で、損得を捨てて、より安定なる因、即ち創造主の意向が作用する中に置くことが唯一の解決策になると言っているのです。