021 It has been said, "A natural man knows the way of the Spirit, while the unnatural man knows not the way of the Spirit." This means, that once man recognizes his oneness with Cosmic Cause and begins to use its laws, he will have no further need of a teacher; for the Law gave him life....and the Law will be his teacher. The great universal language, which we use daily and know not, speaks to us in the deep reverberations of the thunder; and communes with us in the silence of Creation's deepest repose.
021 「自然人は聖霊の道が分かる一方、不自然な人には聖霊の道が分からない」と言われて来ました。この意味は、ひとたび人が宇宙の因との自らの一体性を自覚し、その法則を活用し始めるなら、その者には今後、教師は必要で無くなるだろうということです。何故なら、その法則が彼に生命を与え、、、そしてその法則はその者の教師になるであろうからです。私達が毎日用いており、知らずにいるその偉大なる宇宙普遍の言語は、雷鳴の深い響きの中でも私達に話し掛け、創造主の最も深い休息の沈黙の中でも私達と心通わせて来るのです。


【解説】
 物事の対処の姿勢として「自然体で」という表現があります。通常はこだわりや先入観を捨ててありのままを受け止め、その時々に自ら湧き出て来るアイデアを元に、その問題を解決して行こうとする意味合いで用いられています。しかし、その奥には、本人には宇宙普遍の知性からの働きを感知できる能力があり、適時適切にその知性からの指示を受けられるという信頼感があることが含まれています。
 かつて「野のユリ」を例にイエスは弟子達に宇宙にくまなく行き渡っている創造物達を育む英知を語りました。それが本文でいう自然(Natural)の意味を指すものと思われます。
 ひとたび、その知性の存在に気付くことができれば、もはや教師は不要であり、野の草花達と同様に自然に沿った歓びに満ちた生活が送れることになるでしょう。これら自然に従った生き方は、老子も同様な要点を述べていたように思います。
 なお、本文で述べられている「自然人」の話は通常のキリスト教教義では"The natural man receiveth not the things of the Spirit"とし、肉体の欲望に従属する者を「自然人」として取扱っており、逆の見方をしておりますので注意が必要です。